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日蓮大聖人・池田大作

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生命の尊さ  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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2  私は、過去の西洋における宗教戦争や異教徒に対する残虐な攻撃、異端審問に見られる残忍さなどは、こうしたキリスト教の論理から出たものではないかと推測します。そして、キリスト教的神への信仰が薄れた現代も、それに代わって、国家的正義やイデオロギー的正義が絶対者となり、往々にしてそうした正義の名のもとに大量殺人が正当化され、美化されているといえないでしょうか。
 したがって、私は、いかなる正義も、生命を尊厳とする論理に優先することはできないという考え方が、たんに民衆の間にばかりでなく、国家権力を保持している人々の胸中に、しっかりと確立される以外に、個々の殺人も、国家的規模の殺人である戦争行為も、根絶できないと考えます。そのためにも、生命の尊厳性を真っ向から説いた仏教の果たしうる役割はきわめて大きいと考えていますが、教授は、どのようにごらんになっているでしょうか。
3  ウィルソン 西洋史の長い推移の中で、キリスト教の倫理は、たがいに大きく異なる、また時にはまったく相反する命題を支えるために、引き合いに出されてきました。イエスは人々に「(一方の頬を打たれたなら)もう一方の頬をも向けなさい(注1)」と命じましたが、これは、平和主義と無抵抗主義の両面を暗示する教説です。イエスはまた、汝の兄弟を「七たびを七十倍するまで」許せとも言っています。
 しかし、そのイエスの教えを継いだ教会は、その最盛期において、正義の戦いのためには、またなかんずく教会とキリスト教徒の君主を守るためには、人々に、殺人をも辞さないよう要求してきました。死刑執行人たちもまた、教会が制定し、あるいは裁可した法的手続きに従って行動するよう要求されたときには、そうした仕事を、義務として引き受けなければなりませんでした。このような場合における殺人は、正当と考えられたばかりでなく、おそらくは殺されるべき者の魂に恵みを与えることでもあるだろう、と考えられたのです。また、教会が特定の君主や民族国家と固く一体化したとき、殺人の宗教的正当化は、ときとして純粋な政治目的に利用されました。
4  こうした戦争や死刑の宗教的正当化の動きが高まるにつれ、これに厳然と抗して立ち上がったキリスト教徒も常にいましたが、彼らは過去の時代には大した影響力を示さなかったことも確かです。ずっと時代が下って政教分離が進んできたこと、近代の国民国家がその存在の正当性の意識を宗教に依存しなくなってきたこと、それにキリスト教の全般的衰退などが複合的な原因となって、キリスト教徒も、また教会それ自体すらも、人間に対する暴力を許容した(さらには裁可した)かつての姿勢を、徐々に捨て去っていきました。
 今日では、キリスト教徒も教会当局も――もはや政治体制を支えていく必要性に束縛されなくなったため――イエスの、より単純で絶対的な道徳的規範に立ち返ることができるようになっています。いまでは、彼らも容易に殺人や戦争を非難することができ、事実、多くの人々がそのようにしています。しかし、また他方では、同じ理由から、彼らは、国事に対する発言力を弱めており、ますます全体を代表しない少数派にすぎなくなってきています。国家は、もはやイデオロギーによる正当化にあまり頼ることなしに、政治的必要性からこうせざるをえないと考えられるものに従って、ことを運んでいます。
5  私個人としては、クリスチャンではありませんので、生命を積極的に尊重する精神を教え込んでいくことこそが、まぎれもなく、あらゆる種類の暴力を抑制するうえで、重要な役割を果たすことになると信じています。キリスト教国の法律も、今日では、生命への積極的尊重に基づいており、神の意志に照らして有罪と定めるなどというようなことは、もはやありません。西洋諸国においても、いまではすべての人がキリスト教徒というわけではありませんし、また、自らキリスト教徒という名称を受け入れている人々でも、多くがキリスト教に冷淡であったり、無関心であったりしています。ですから、私には、何が犯罪であるかという概念は、もはや宗教的な規制に則るべきではなく、教養ある人道的な人々の、大多数の同意が得られる提案に則ることが、最も大切であると思われます。
 キリスト教の聖典に説かれているような初歩的なキリスト教倫理も、ローマ・カトリック教会が発展させた精緻な法典も、もはや、現代生活の急務には適さないように思えます。その理由は、これらの法典は、当初、現代とはまったく違った条件のもとで、また、社会や人間の問題が、その種類と規範において、量的にも質的にも今日とは非常に異なっていた社会において、編纂されたものだからです。
6  今日のような多元的な社会では、人々はさまざまに異なる宗教的信条をもっており、しかも、たとえ同じ宗教の信仰者であっても、真剣さもじつにさまざまです。さらにはまた、一切の信仰を排斥する人もいます。このような状況の中では、たとえ人々がどのような宗教的信条を選んだとしても誰もが一様に同意を与えられるような、幅広い人道主義的な提案に、社会倫理や刑法の基盤を置くことが重要であると思います。人間の価値こそ、明らかにそうした倫理の出発点であり、それこそがまた、たがいに大いに異なる宗教的信条をもつ多くの人々の間で、通常、支持されうるものでありましょう。
7  池田 仏教が生命を慈しむことに最高の価値を置いたことを物語るエピソードを、ここで紹介しておきたいと思います。それは、釈尊が過去世に行った無数の仏道修行の一つとして説かれているものです。
 その一つは、薩埵王子(注2)と呼ばれたときのことで、王子は兄たちと森へ遊びに出かけたとき、飢えのために死にかかっている虎を見かけます。それは母親の虎で、かたわらには、何匹かの子虎が、すでに母親が乳も出ないので、同様に死に瀕していました。兄たちは、そのまま城へ帰ってしまいますが、薩埵王子は取って返して、飢えた母虎に自分の身体を食べさせ、彼らを救ったというのです。
 もう一つは尸毘王しびおうと(注3)いう王であったとき、鷹に追われて鳩が逃げ込んできます。王が憐れんで鳩を守ろうとすると、鷹が「あなたは鳩の命を重んずるが、私が飢え死にしてもよいのか」と迫ります。しかし、鷹にやる物がありません。そこで、王は、自分の身体の肉を削ぎ取って、鷹に与えたという話です。
 これらのエピソードは、仏教徒にはよく知られた本生譚の一つです。ここに教えられていることは、虎や鷹、鳩といった人間以外の生き物の生命をも、人間のそれと平等に尊ぶべきであるという考え方であり、そうした、他者のためには自己の生命をも抛つ慈愛の心と実践が、仏教の教えであるということです。
 釈尊滅後約百年ごろに出て、仏教の精神を政治に反映しようとしたアショーカ王(注4)は、さまざまな善政を行いましたが、その一つに、あらゆる動物のための病院を各地に設けたといわれています。
 人間の生命のみを尊重する考え方が往々にして人間のエゴイズムを生み、その人間の中でも、特定の民族や、特定の信仰者、特定の階級の人々のみに限られた生命尊重に陥りやすいのに対し、動物に対してさえも生命尊重の精神を及ぼすことは、最も本源的な生命尊重のあり方を象徴しているのです。
8  もとより、私たちは現実的にこれを行動に当てはめることはできません。さまざまな生き物を食糧にせざるをえませんし、明らかに害をもたらす生き物は、殺したり駆除したりせざるをえません。しかし、その根底に、生命尊重の精神が貫かれているかどうかが大事です。同じく牛の肉を食べるにしても、そこに感謝があり、また、そうした犠牲のうえに保たれている自己の生を、より価値あるものとしていこうとする努力がなければならないでしょう。そして、こうした精神的基盤が確立されていくことこそ、人間同士の殺し合い――小さい規模では犯罪としての殺人行為から、大きい規模では戦争まで――を、この世からなくしていく鍵といえるのではないでしょうか。
9  (注1)『新約聖書』マタイ539
 (注2)薩埵王子
 釈尊が過去世に菩薩行を修行したときの名。慈悲の精神を説いたもので、出典は金光明経巻四。
 (注3)尸毘王
 釈尊が過去世に菩薩として布施行の修行をしていたときの名。真に仏道を求めて精進しているかどうかを試された。菩薩本生鬘論巻一にある。
 (注4)アショーカ王
 生没年は不明。インドを初めて統一した大王。仏教に帰依し、過去の暴虐を悔悟してから、慈悲の精神に基づいた統治を行った。戦争の放棄、平和主義の政治・外交・福祉政策などを採用。仏典の結集や、石柱や磨崖に刻まれた法勅によってもその事跡が知られる。

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