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日蓮大聖人・池田大作

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大乗非仏説論への考え方  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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1  大乗非仏説論への考え方
 池田 釈迦牟尼の教えのうち、日常的な生活やこの人生を空しいものとし、この日常的人生から離れてしまうところに苦悩のない涅槃の境地が得られると説く教えと、菩薩として現実社会の中に飛び込み、人々の救済のために命を投げ出して取り組んでいくところに真実の涅槃が得られると説く教えとがあります。
 後者の教えは、中央アジアを経て、中国、日本へと伝えられ、前者の教えは、主として東南アジアの諸地域に広まりました。現実生活の中での実践を重んずる人々は、日常生活から離れて自身の涅槃を求める教えを、少しの人々しか救えない教えという意味で小乗教と呼び、自らを大乗教徒と称しました。
 ところで、近代に入って、西洋人が東洋に対して学究の眼を向けるにしたがって、仏教の歴史などについても研究が進められるようになりました。その結果出てきた学説の一つに、大乗は釈迦牟尼が説いたものではないという推論があります。
 私もまた、この大乗経典の一つである法華経を重要な拠りどころとした日蓮大聖人の教えを信奉している一人ですので、この学説を根拠にした批判に直面することが、しばしばあります。しかし、私は、それに対して、法華経が釈迦牟尼の説いたものではないということは、明確な根拠のない、あくまでも推論にすぎないこと、また、かりに釈迦牟尼の説いたものでないという立場を想定したとしても、法華経自体のもつ内容の深さ、偉大さに変わりはなく、むしろ法華経が釈迦牟尼以外の誰かによって説かれたとすれば、それを説いた人こそ偉大であると考えています。もちろん、こうした問題は、個人の主観の問題でありましょうが、客観的な立場から、大乗非仏説論について、どうお考えになりますか。
2  ウィルソン 西洋においては、仏教の知識は、最初、主として上座部仏教諸国、なかんずくスリランカ(セイロン)との植民地関係を通じて発達しました。西洋の学者たちが仏教を研究するようになったとき、最初の接触から学んだものこそが仏教の基本的で、真実の、そして正統の形態であると考えたことは、決して驚くべきことではありません。彼らがこのような考え方をしたのも無理からぬところであり、歴史上、似たようなケースがあります。つまり、最初に出会った特定の型が基準とされ、その後に発見されたものは、その変形と判断されてしまうのです。
 仏教に関する西洋の知識は、ヨーロッパの学者たちがパーリ語の聖典を研究翻訳し、仏陀の生涯や仏教の教義に関する作品を出版するにつれて、発展していきました。彼らは、これらのことを、上座部仏教諸国から見聞していったのです。西洋の学者たちが、仏教の伝統の中に別の発展形態があることに徐々に気付き始めたとき、彼らの多くは、それらを変形とみなしたいという気持ちになりました。彼らは、西洋人による仏教発見の過程を、仏教の歴史そのものに投影させたのでした。
 パーリ語の聖典が原本とされ、サンスクリット聖典や、特に翻訳物ではパーリ語聖典から得られた知識と異なる事柄については、用心深く扱われたのでした。その結果、大乗仏教は、より多くの信徒数をもち、チベットや中国を経て日本へと伝播される間に、より広く、より多様な影響力を示しているにもかかわらず、西洋人にはあまりよく知られていなかったため、仏教の一つの変形と考えられるようになったのです。
3  これが気まぐれな判断であったように見えるとしても、それと似たようなことが東洋の学者たちの間にもあったことは、推測できることでしょう。たとえば、彼らは、キリスト単性論の教派であるコプト教会に(注1)馴染んでいたので、これを標準的なキリスト教とみなし、その後、ギリシャ正教、カトリック、プロテスタント等のキリスト教諸教を発見したとき、それらを変形と考えてしまったのでした。
 ずっと近年にいたって、西洋の学者たちも、揃って仏教の伝統のすべてをより広く認めるようになり、さらにモダン・スクール(近代学派(注2))の影響によって、(上座部を含む)小乗教と大乗教の伝統を同等に認めるようになりました。
 法華経については、あなたが強調しておられる点こそが、まさに重要な点であると、私も思います。法華経のように古い文献の場合、著者が誰であるかについての絶対的な証拠といった問題は、専門家に――彼らの視野がときとして多少狭いことはあるにせよ――任せるべきです。誰が何を書いたかの確定に関心を注ぐのは、おそらく西洋独特の一種の強迫観念でありましょう。
 この学究的な関心は、キリスト教世界で醸成されたものです。キリスト教にあっては、教義上の正確性、厳格な系統的論述、そして相矛盾する要素の排除が、信仰にとって不可欠になっていたのです(キリスト教の神は、直接、弟子たちに語りかけたと信じられており、そのためイエスが話した言葉にさまざまな違いがあることが、大いに議論の的となりました。承認されていない「福音」も存在しており、教会が認めた福音書にも、後世の筆記者によって付け加えられた項目が含まれていることが、今日では一般に認められています)。
4  仏教の場合は、人格に関するきわめて異なった概念があるため、また、真理に関する地域別の、個別的な概念が少ないため、筆者についての論争は、教説自体の受け入れやすさや、その一貫性、またその教説が人類救済のために提供するものに比べれば、重要性が少ないわけです。
 結局、宗教的真理についての重要な判定は、たぶん文献の分析という問題よりも、その真理が人々に何をもたらすのかという評価のほうに置かれることになるでしょう。このことは、そうした文献の分析が、それを書いた人物が誰かということや、その文献の歴史上の信憑性に関するものであっても、またはその思想が文脈の中でもっている蓋然性に関するものであっても、変わりないでしょう。
 宗教とは、結局は、一つの社会現象です。このことは、どの宗教の思想内容への先入観も抜きにして、またその究極の真理への評価を抜きにして(誰にも評価できるものではありませんが)、確言できることです。
 そして、宗教が社会現象であるかぎり、人類にとって大事なのは、その教説の意図するところであり、その信奉者たちの生活に与える影響でなければなりません。私は、一人の社会学者として、その影響性を研究する中で、どこまでも私心のない客観性を保ち続けようと努力しております。ただし、その客観性の中で、私心のなさと人間的な共感とのバランスは、常に保っていきたいと思っております。
5  (注1)コプト教会
 現在、エジプトとエチオピアに約三百五十万人の信者をもち、キリスト単性論(キリストには人性と神性の両性はなく神性のみがあるとする)の神学を立てている。教会の典礼で用いられる言語はコプト語で、これは紀元三世紀ごろから十五世紀末ごろまで用いられた古代エジプト語直系の言語。また、独自の法王を立て、断食の慣行などには特に注意が払われる。
 (注2)モダン・スクール(近代学派)
 スイスのインド学者C・レガミー(Regamey)が、西洋の仏教学者たちをアングロ・ゲルマン学派と近代学派に区別した。近代学派はパーリ語仏典、サンスクリット仏典の他、チベットや中国、日本の仏教にも研究の源泉を求めている。

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