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日蓮大聖人・池田大作

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宗教の普遍性  

「社会と宗教」ブライアン・ウィルソン(池田大作全集第6巻)

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2  ウィルソン 他の惑星の生物がどのような性質の知性をもっているにしても、彼らが、彼ら自身の社会内で、科学的・数学的公式だけでコミュニケーション(意思の疎通)を図っているということは、想像しがたいことです。もちろん、われわれが地球上で使っている“社会”とか“コミュニケーション”などの用語それ自体が、いずれも、彼ら惑星生物の間に普及している相互関係の構造には、すでに全然当てはまらないかもしれないということは、当然、考えられることです。ところが、さらに、もし彼らの社会機構が全面的に合理化された整合体であったとすれば、もはや明らかに、地球の人類がそうした生物と親密な関係を結ぶ可能性は、ありえないだろうと思われます。
 そうした生物が、愛情・恐怖・疑惑・不安・利己心・利他心・その他の人間的な感情をもっているのでなければ、何らかの接触がなされたとしても、それが効果的な形で行われるということは、想像しがたいことです。ただし、厳密に科学的な情報の交換は別でしょう。しかし、それにしたところで、文化的にいっても(また惑星間で比べてみても)、われわれが想像するよりもずっと相対的なものであることが分かるかもしれません。事実に関する情報だけのコミュニケーションであれば、数学的記号だけで十分でしょうが、そうした記号では、感情移入の理解は何ら得られないでしょう。そして、もしそうであるならば、そこには、尊敬や信頼や愛情に基づく関係は、一切生まれえないことになります。
 しかし、あなたが仮定されたように、もし彼らが思考力豊かな生物であるならば、彼らは、自分の生きる環境に対して対応しているであろうと考えなければなりません。彼らが誕生・成長・老衰・死滅に支配される存在であるとすれば、そうした経験の中での精神的なショックに対しても、反応しているに違いありません。もしそうであるとすれば、それは彼らを、存在についての宗教的解釈とでも呼ぶべきものに導きうるものだということに、私も同意したいと思います。その場合、そこに生じる疑問への解答に対する、もしくは少なくともそのための手引きに対する要請は、ほとんど間違いなく彼らを生の意味についての関心へと導き、さらには生の意味やそれに相応しい個人の態度についての教理体系へと、導くことになりましょう。そして、そのことは、あなたの言われるように、宗教への出発点になるものといえましょう。

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