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人間にとって最重要なもの  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  人間にとって最重要なもの
 池田 さきほどもお話ししたように、人間そのものの生きかた、その主体である人間自身の変革がどうすれば可能かということでしょう。文明のありかたが問われているということは、文明を生み出す人間のありかたが問われていることに他ならないからです。
 近代以後の文明は、人間のまわりにある環境の変革に幸福の鍵を求めてきました。自然界を変革し、価値を生み出そうとしてきました。産業革命にしても、今日のテクノロジー革命にしても、外界の変革を求めたものです。一方で社会、体制を変革すれば人間の幸福がもたらされるという思想から、いくたの社会革命も行われてきました。
 しかしこれら外界の変革のみを優先させ、人間自身の変革を無視した結果、欲望や衝動を野放しにしてしまいました。また体制の変革が優先し、逆に人間が疎外される結果もきたしています。現在の物質的繁栄と対照をなす精神の貧困や、人間疎外という逆転現象は、外界の変革のみでは十分ではないことを明らかにしています。
 たとえば一地域や一国の問題が、そのまま全地球的問題としてかかわってくる時代にあっては、自分だけというエゴは通用しません。他者の苦悩を自己の痛みとして感じとり、行動していくという人格の確立にしても、自己変革への不断の戦いがなければなりません。これ以外に現在の状況を打破する道はないと思います。
 かつて、あなたが「作家として私は、十年来、〈人間〉でなければ、いったい何に憑かれてきたのだろう」といわれたのをおぼえています。私は、生涯書きつづけるであろう小説『人間革命』の主題として、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という信念を綴りました。
 人間の尊貴さは、その無限の可能性にあると信じ、そこにいっさいをかけ、それを規範として行動していきたいと思います。
2  マルロー 期待しています。話は変わりますが、一つ申しあげたいことがあります。私が現在、重要視しているものに失業問題があります。私にはこれがすべての鍵を握っているように思えるのです。よく、どんなにひどい失業でも戦争ほど高くはつかない、戦争にくらべればまだましだ、といわれます。資本主義は戦争をささえていくこともできるし、失業を組織化することもできる。大きな失業問題が起こらなければ、革命も起こりませんし、逆についても同様でしょう。
 池田 そのとおりでしょう。失業問題は社会不安を醸成する第一のものです。ただし私は失業にたいして社会的な対策を講じることはもちろん必要ですが、社会政策の根底に不公平をなくし、エゴを乗りこえた理念の必要性を痛感しています。その意味でさきほど申しあげた人間の変革が、社会全体に、政策を立案し実行する側にも、社会一人ひとりの構成員にも要求されていると思います。
 マルロー 失業対策という面で技術的な問題がむろんありますが、しかしあなたのいわれることには、もちろん賛成です。
 池田 じっさいにはそうとう難しい問題です。同時に、為政者が民衆の側に立って本当に考えうるかどうかがポイントでしょう。政治上の浪費にしても、それを真に悪と感じる為政者が多く出なければいけませんね。
 マルロー 私は、政府は失業対策を、現在の社会保障と同じように真剣に考えるべきだと思っています。
 池田 まだまだ国家的な浪費が多すぎます。たとえば日本における選挙のように、何百億もの金が使われている……。
 マルロー すべての民主主義国がそうでしょう。
 池田 私はこれからの指導者に望まれる不可欠な条件は、自己を変革していけることであると考えています。
 マルロー 政治家は、もう長くはつづかないでしょうね。五十年もしたら、いなくなってしまうでしょう。そうなったらなにが彼らのかわりになるのか、私には予測はつきません。ただ、彼らにかわるものが、独裁者であるとだけは、いいたくありません。そのようなことは、けっしてあってはならない。そうならないよう、十分に気をつけなければなりません。
3  池田 いまの指導者の少なからずは、民衆を尊ぶといいながら、心のなかでは、本当は蔑視しているのではないか、との疑念を捨てきれません。民衆を手段化するのではなく、民衆を目的として、あらゆる政策なり外交が行われなければなりません。私は、民衆の望むものを犠牲にしたり、民衆を見落とすことは「悪」であるとの思想が徹底されなければならないと信じます。
 それと一方では、民衆一人ひとりがみずからの意識をレベルアップし、その力によってなしとげた社会変革、それは人間変革という沃野に広がる田園ですが、その社会変革こそ、永遠の光をもつと考えます。なによりも民衆が目覚め、この民衆の意識で権力をコントロールして、その暴走を抑えていく以外にないでしょう。
 あなたは、政治家は遠からずいなくなるだろう、といわれました。それに代わるものはこうした民衆であるべきでしょう。これまでの歴史は、一つの体制の悪を打倒しても、つぎの体制がまた悪を露呈していくという繰り返しであったともいえます。新しい体制は、また新しい悪を生むというこの悪循環に終止符を打つのは、体制がもつ権力に、積極的な意味での歯止めをかける以外にない。それには、権力者自身の内に、そしてさらにすべての人間の内に、権力に対する歯止めをもつことでしょう。
 マルロー たしかにそうでしょう。
 池田 お別れの時間がきました。大変、貴重な時間をさいていただき、ありがとうございました。
 マルロー (玄関まで見送り、前庭で)遠方からわざわざおいでいただき、こちらこそ感謝します。
 (一九七五年五月十九日、パリ南部ヴェリエールにて第2回対談)
4  訳者註
 (5)マルローもこの言葉に同意するであろう。現代は文学の時代ではない、と彼は考えているようである。最近著『ネオクリティック(新批評)』においてマルローは「ヒロシマ、ケネディ、ガンジーといったノン・フィクションの領域がますます盛んになるとともに、文学が衰退していく」ことと「伝記は文学の最後の尾骶骨である」ことを指摘しているが、そういうマルロー自身、『アルテンブルクの胡桃の木』以降、文学的創作には二十年余りも筆を染めていなかった。その唯一の例外ともいうべき作品が『冥界の鏡』であるが、これとても、その第一部が『アンチメモワール(反回想録)』と名づけられているように、いわゆる回想録の反対であり、また文学としての伝記的手法の反対であることを考えなければならない。なお、『ネオクリティック』を含む『無常の人間と文学』が没後、遺著として刊行されるに至ったことを付記しておく。

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