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活力のある国、ない国  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  活力のある国、ない国
 池田 つぎに、いまご指摘がありました仏教流布の過程と思い合わせましてお聞きするのですが、プラトンをどうごらんになりますか。
 ご承知のように、プラトンはソクラテスの思想の山脈を、後世にのこした弟子ですが、プラトンがいてソクラテスがいた、ともいえます。人類史を彩るギリシアの思想的巨人ソクラテスは、プラトンという後継者の存在があってこそ思想史にその名をとどめているわけで、こうした思想の後継、発展ということについて私は考えざるをえないのですが……。
 マルロー プラトンは巨大な天才です。また、一方、おどろくほど見事な文章を書くことのできた、稀有な哲学者の一人です。だいたい、哲学者というのは文章を書くことが下手なものですが。
 私は、古代美術、ギリシア美術、たとえばアクロポリスなどに敬服するのと同じように、プラトンに敬服しています。彼がたいへんすぐれた業績をのこしたということはたしかですが、といって、われわれがいまさら彼を模倣しないであろうことも同様に確実なことです。
 プラトンは、ソクラテスの哲学を世に広めたという以外には、彼自身の思想としては、それほど大きなものをわれわれにもたらしたとはいえません。しかし、文化の水準を高めたということはいえるでしょう。
 私のほうからおたずねしたいのですが、あなたは日本の状況をどうみておられますか。
 池田 率直にいって、将来が見渡せない、展望がひらけないといった状態にあります。これはなにも日本にかぎったことではありませんが、歴史的にみても現代の特徴は、危機意識、不安感が庶民レベルにまで浸透していることでしょう。しかし、危機感が時代を変えゆく底流とも考えられる。その危機感を広く民衆全体がもっているところに、現代の様相があります。
 日本の場合、とくに資源、人口、公害と、どの地球的問題においても、もっとも尖鋭化した形になっています。それらは、経済第一主義で第二次大戦後を進んできた日本人にたいして、深刻な反省と問いかけをもたらしている。戦前は軍事をさきとし、戦後は経済をさきとして、そのあとに人間がついていった。これの挫折です。
 国際関係をみても、日本はアメリカ、ソ連、中国という三極のなかにあって、どのように進路をとるべきか、選択をせまられています。またいわゆる先進国の一つとして、南北問題にどう対処していくか、という課題もあります。
2  マルロー ド・ゴール将軍だったら、おそらくこう答えたことでしょう。「どの国とも、絶対に同盟関係を結ばないように」──と。これはかつて、イランの国王にいったことばでしたが。
 池田 たしかに、ヨーロッパが直面する、古くて新しい課題の一つに「コンチネンタリズム(大陸主義)」と「ナショナリズム(国家主義)」の相克があることは、よく承知しています。このコンチネンタリズムから誕生したといえるECも、ヨーロッパ平和主義の英知のあらわれでしょう。
 ただ、このナショナリズムとコンチネンタリズムをいかに最高の状態で調和させるかという問題は、私たちにとってもかなり重要な関心事です。もっとも、日本の場合はヨーロッパとは歴史的条件も地理的条件も本質的にちがいますが、日本の行動の選択は、やはりかぎられた条件のなかにしか存在していません。
 マルロー 私が何度か日本を訪ねた印象としては、まだまだ日本はダイナミックであるということです。外国人として私がみたかぎり、日本の活動には、そこに日本の伝統的な精神というものが、生き残っているように思えます。恐ろしいほど傷ついて活力が低下していると感じられる国がありますが、日本の場合、それが感じられない。ただし、日本が進むべき道を模索しているということ、これはたしかでしょう。
 池田 日本の伝統的な精神、というより東洋に伝統的な精神といったほうがいいでしょうが、東洋には「小我」を去って「大我」に生きようという精神の志向が、伝統的にあります。「小我」とは表面の生死、無常の現象に目を奪われ、煩悩のままに生きる状態をいうのですが、それら煩悩、執着という生命の働きを生み出す究極的な生命の実体をみつめ、むしろ無常の現象をつつみこんでいく生きかたを「大我」に生きるといいます。
 文明の発達というのは、もちろん人々に執着があり、煩悩があるからこそもたらされたといえるのですが、この「小我」を正しく方向づける「大我」のうえに立つことなくして、文明の新たな転換もありえないと思います。
 なぜなら現代文明は、まさしくこの人間の「小我」に翻弄されているといえますし、人間の際限のない無原則な欲望が、資源の枯渇化とか、環境汚染とか、核兵器といった形となって、文明の挫折をもたらしかねない状況を呈するにいたっています。日本の伝統的な精神は、仏法で説く「大我」の生きかたを促すものです。もちろん、この仏法の「大我」は、組織や国家のなかに埋没させることではありません。人類普遍、生命の奥底の真の「大我」でなければならないことはいうまでもありません。したがって、いま日本の進路が問われているとは、日本人自身の生きかたが問われ、模索されているということでしょう。
3  マルロー この点について、会長があたえようとする忠告がなんであるかを、うかがいたいと思います。今日ではすべての大国が、大なり小なり経験主義的な政策を取らざるをえなくなっています。つまり一つのものを探しながら、その経験を生かし、さらにつぎの一つをみつけていくというような行きかたです。この経験主義的政策において根本的に重要なことは、なにが中心課題かを知ることです。なぜかといえば、ドラマチックな文明にあっては、中心課題は画然とあたえられているからです。
 キリスト教の最盛期には、中心課題はローマでした。共産主義の中心課題は、マルクスではなくて党そのものです。これに反し、われわれのような場合にあっては、経験主義はまったく特殊なものといえます。つまり、たしかにすべての問題は経験してみなければわからないが、問題によって、その重要性、能力、発見性が同一ではないからです。
 現時点では、もっとも重要なものは人間ということになりましょう。あなたの眼には、人間にとってなにがもっとも重要なものと映りますか。

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