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日蓮大聖人・池田大作

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仏教の西欧への影響  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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2  池田 最大のポイントは、仏教の本質、中核はなんであったか、です。仏教の出発点は間違いなく人間の生死の解決にあった。このことは釈迦の四門出遊という出家の動機からして明らかです。仏教は人間の生死を究極のテーマとしてスタートし、人間生命に光を照射しつつ、生命観の確立をもって終わるといっていい。これは人類のあらゆる思想、哲学にとって、永遠のテーマであったし、今後もそうでありつづけるでしょう。
 私どもの運動は、人間生命への把握に立って、生命のもつ無限の力、ことばを変えれば人間の善性をかぎりなくみずからも触発し、周囲をも触発させていく運動です。
 仏教三千年の流れのなかで、仏教はご指摘のとおり、それぞれの地で、それぞれの国土に適した形で変化し、思想的発展をとげてきました。しかも、そこに一貫して、仏教の中核といえる人間生命へのあくなきアプローチがあり、それがどのように行われていったかの変化相であることを見極めていくべきでしょう。
 マルロー先生ご自身のテーマでもある、人間の生死という問題ですが、トインビー博士と対談したさい、多くの点で見解の一致をみましたが、ただこの人間の生死に関連して、安楽死の問題については意見が二つにわかれてしまいました。
 トインビー博士は、安楽死肯定の立場をとっておられた。人間が、知的活動が不可能となり、植物人間のような存在になったら、みずから生命を断っても許されるだろうという立場です。これにたいして私は、人間生命の尊厳性は、なにものにもまして尊く、地球よりも重いと申しあげた。これは仏法の生命観からして当然です。
 現代文明の危機がいわれますが、人間のための文明であるべきものが、人間存在を脅かすこういう逆転状況も、結局は人間の生死にたいする誤りのない思想が確立されていないところからきているように思えるのです。
 永遠に実在する生命の常住性が、私たちの肉体という無常性の前に見失われ、人間生命の尊厳観が実体として確立されていないこと、これが生命軽視の風潮となり、その意味から文明に脆弱さとかげりをもたらしていると考えます。
3  マルロー なるほど──。そうした仏教がヨーロッパの精神風土に新たな展開をもたらしえないとは、だれもいいえません。あなたがたの成功を祈っていることをご承知おきください。現在から将来にかけて、創価学会には多くの期待が寄せられており、たいへん大きな運命が創価学会を待っていることを知っていますし、それを喜んでもおります。
 フランスでは、このごろ創価学会のことがよく話題にのぼります。これは、会長がこちらにいらっしゃっていることにもよるでしょうがね。テレビの放送もありました。
 池田 そうらしいですね。
 マルロー 創価学会についてのテレビ放送で、ひじょうに滑稽なことが一つありました。というのは、学会の寺院をみせるといいながら、そのじつ奈良の法隆寺をみせておりましたので。もっともこれは、大半のフランス人にとってそう重要なことではありません。だいたいフランスの人間は法隆寺のなんたるかを知りませんから。
 池田 フランスのような文化国家が、そうした誤りをするのは残念なことです。(笑い)
 マルロー でも、同様に、もし日本でシャルトルのカテドラル(大聖堂)をテレビに映したとしたら、それがパリのノートル・ダム寺院ではないと、何人の人がわかるでしょうか。(笑い)

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