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日蓮大聖人・池田大作

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日本美術の西欧への影響  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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2  池田 それはユニークな視点ですね。
 マルロー さらに詳しく申しあげるなら、そこからして、西欧と日本では、そもそも絵画の観念そのものがちがっていたのです。
 豊饒なるもののとらえかたをしようとするならば、主題から出発せずして意義のうえから出発しなければなりません。すなわち、西欧が日本美術についてなにごとかわかったと思ったときはどのようなときであったかといえば、それは、西欧の画家たちが日本の版画家の作品をまえにして、「なるほど日本の版画は、まったく異なる絵画の観念からできあがっている」ということに気づいたときだったということです。
 たとえば、ヨーロッパの人間は、あらかじめ額縁といったものを想定しています。この縁のなかの空間を満たそう、と。ところがあなたがたの世界のほうは、この縁といったものを切りはなしてしまっていた。いわば、われわれのほうは、この縁のなかのものを提供しようとしたのであって、レオナルド(・ダ・ヴィンチ)はそれをやってのけた。そこからタブロー(絵画)というものが生まれるにいたったというわけです。
 しかるに、あなたがたの世界は、この縁というものから自由になっていたのであって、この自由さがヨーロッパにはいってきたのが、まさに日本の版画をとおしてであった、といってよい。ヨーロッパには、そのときまで、そうした日本的例はまったく存在していなかったのです。
 池田 まったく異質な視角の出会いだったわけですね。日本においても、西欧のものの考えかたから大きな衝撃をうけました。
 マルロー 極東の重要な発明は、絵というものをけっして絵としてうけとらなかったところにある、といっても過言ではありますまい。注意しなければなりませんが、宗教時代におけるヨーロッパも、あなたがたの国とじつは同様であったので、ブロンズの彫刻家たちは、ブロンズ彫刻をつくっていると自分では思っていなかった。彼らは、ブロンズをつくっていると思っていたのです。そして、オブジェ(物)としての芸術が生まれたのは、十六世紀になってからであって、それ以前においては日本と同様であったということです。
 絵画にたいするあなたがたの関係は、今日なお形而上的に本質的重要性をもった関係である、という点に変化はありません。私はこの本質的ということばを、ことばの原義において語ろうとしているのであって、それはどういうことかといえば、この本質なるものが、日本においては、詩をとおして、絵をとおして、音楽をとおして顕れてくるということです。要するに、本質のみがそこにあるということです。
 これにひきかえ、西欧にあっては、ある時期から《本質》が姿を消してしまった。これは否定しようのない事実で、そこから、残ったものがオブジェであるということになったのです。この両者のへだたりは、絶対的に大なるものであると申さねばなりません。
 西欧はつねにシンメトリック(左右対称)にとりつかれてきましたが、これは人間の身体がシンメトリックであるから当然のこととはいえ、自然であるとはいいきれません。あなたがたの文明というものは、このシンメトリーをじつは拒否しています。したがって、シンメトリーの芸術をまえにして、非シンメトリーの芸術があるというこのちがいは、もっとも深い相違点の一つとこそいわなければならないでしょう。構造そのものの、全体性のなかでの相違といってもいいくらいです。

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