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核廃絶と食糧危機の回避  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  核廃絶と食糧危機の回避
 池田 話はかわりますが、さきに核の問題について話がありましたが、広島、長崎の悲惨な歴史的事実は、たんに日本の悲痛な経験であるばかりでなく、人類の貴重な経験です。その意味で日本が核全廃に向かって世界の先駆をきって努力を行うべきことは当然であり、人類の未来にたいして日本にあたえられた歴史的使命でしょう。これほど素晴らしい価値ある仕事はないと思うのです。
 前回、対談した折にもふれましたが、この核全廃へ向かうプロセスはいろいろ論議され、運動も展開されています。しかし、私はどうしても人間生命の尊厳観を事実のうえで確立する思想の必要性を痛感するのです。科学者の良心とか、核兵器のボタンを握る為政者の良心とかがいわれますが、生命の尊厳観が一人ひとりの心のなかにしっかりと根を下ろし、その思想が大地となって、そのうえに核廃絶という運動が実ってくると考えるのです。私どもの運動は、いわばこの大地を耕し、肥沃なものとしていく根底的な運動であると自覚しています。
 私が考え、表明している現実的な案としては、核廃絶に関する世界各国の最高責任者による首脳会議を開くべきだということです。いっさいは話し合いのテーブルに着くことから始まる。単純なようでこれは動かせない原則であり、これを信ぜずしてはいっさいは無意味になってきます。一面からいえば、話し合いが真に有効性を発揮し始めたとき、人類の歴史は大きく局面を打開する第一歩を踏み出すことになるでしょう。
 マルロー たしかに話し合いは必要です。しかし、条約や協定は、けっきょくたいして重要なものではありますまい。条約は、文明が変化しないときには重要かもしれません。ヨーロッパにおいて文明はナポレオンから一九一四年まで変化がなかったようなもので、当時においては、たとえば英国と日本とが同盟を結ぶということも悪いことではなかったでしょう。しかし、いまではどうでしょうか……。
2  池田 問題は話し合いの中身であり、相互理解から相互信頼が芽生えたかどうかです。核の問題、これは人類が解決すべき第一のものですが、人口、食糧、汚染、資源など、いま話し合いによる人類共存の方向が、共感をもって確認されるべき時が来ています。
 一回目の対談のさいに、私は世界食糧銀行についてふれましたが、具体的には申しあげませんでした。この食糧問題ですが、インド、バングラデシュ、アフリカ諸国などにみる、たびかさなる旱魃や洪水によって、極度の飢饉が招来され、想像をこえる多くの人々が飢餓線上にあることに、私は仏法者として無関心でおれません。それで、さきにローマで開かれた世界食糧会議を注目していたのですが、こうした会議がもたれたことは一歩前進としても、その内容には失望せざるをえませんでした。
 残念なことに、どうしても国家間の利害と思惑が交錯して、飢餓の苦しみを人間として分かち持つといった姿勢が欠けています。「食糧戦略」とまでいわれるほど、国家エゴが横行しています。私としては、食糧問題を討議する会合は、次回からもっとも食糧問題で苦しんでいる当の現地で開催したらいいと考えています。また、基本的な討議の姿勢としては、“なにを要求するか”ではなく、“なにをあたえうるか”に発想の根本をおくべきだと思っています。
 「世界食糧銀行」の機能としては、よく指摘されるように食糧の安全保障、世界的な農業政策の再検討、配分機構の確立などを果たさなければなりませんが、なによりもまず求められるのは、この銀行の基盤となる理念、思想ではないかと考えます。国家、個人のエゴイズムを乗りこえ、人類の生存という一点に協力体制をしいていくために、仏法でいう慈悲は大きな思想的基盤を提供すると、私は信じています。
 私たちの具体的行動の一つとしては、バングラデシュについて、私たちでできるだけのことをしたいという強い気持ちをもっています。マルロー先生はバングラデシュとかかわりが深いわけですが、なにか示唆がありましたら……。
3  マルロー まず、池田さんご自身が、現地へいらっしゃるべきでしょうね。それというのも、バングラデシュは、非常に変化が激しい国だからです。私がバングラデシュにいたときにも、信じられないほど多くの死者をみました。暴行され、避難した、三十万人あまりの女性もみました。もう三年まえの話です。
 情況はその後大きく変わりました。この国でなにかをしようとするならば、まじめな意志をもつ人々だけで仕事をしなければなりません。まず、政府首脳と目される人物に会うことが望ましい。そして、すべてを一からやりなおすため、効果的共同作業について話し合うべきです。なぜなら、これまでになされてきた国際的援助の三分の二は、まったく台なしになっているからです。なにかを送ってやるなどということでは、もちろん解決するはずもないし、救済になるどころではありません。
 池田 参考にいたしましょう。ただもっと本質的なことになりますが、食糧問題について、見落としてならないことは、世界的に農業政策にたいする再検討がなされるべきである、ということです。これまで、先進諸国に支配的な考えは、工業化のためには、農業が犠牲になるのもやむをえないというものでした。こうした一方的な考えかたをあらため、工業化の推進とともに、いな、それ以上に、農業の保護育成を、十分に考えていく必要があるでしょう。
 このことに関して、中国を訪問しての見聞は非常に示唆に富んだものでした。中国ではバランスのとれた経済発展を考えているようです。それはあくまで農業を基礎にして、そのうえで工業の発展を目指すという行きかたで、農業をまず磐石にして十分な食糧の確保を図り、このベースのうえで工業もみるべき発展をとげています。おそらく経済発展のパターンが奇形にならないよう、十分留意したうえでの農業重視の方向でしょうが、世界的な食糧危機のなかで、この中国の試みは注目されるべきだと思いました。
4  訳者註
 (4)「マルクス主義においてその芸術観だけは、すくなくとも修正しなければならない」と、かつてマルローは訳者に語ったことがある。芸術は、けっして、歴史的《条件づけ》以下のものではないというのである。『芸術が国に奉仕するにあらずして国が芸術に奉仕すべきである』とはマルローの一論文の題名であり、彼の生涯と、文学・美術の全作品が、いかにして人間が《人間の条件》より自由になりうるかを問いつづけてきた立場であることを考えるとき、マルクス主義に対するこの態度はきわめて当然のものとして納得されよう。

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