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日米関係と日本の進路  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  日米関係と日本の進路
 マルロー そこで、ひとつ、池田先生にご質問したいことがあります。日本と米・中・ソ三国の関係、とくにアメリカとの関係について、おそらく日本は、いまのままの状態をつづけていくことが不可能なような状況におかれているのではありますまいか。核のもちこみにしても、日本はそれほど長いあいだ、それを拒否しつづけることはできないのではなかろうか。問題は、かりに日本が核をもった場合、そのことによって日本とアメリカの関係がどう変わるかということです。その関係いかんによって、日本の対アジア、対中国の外交政策も変化せざるをえない状況にいたるでしょう。
 アメリカは、もはや、アジアにたいして従来のような帝国主義的態度を維持しえないところにきています。ヨーロッパにおいてはフランスがドイツとの接近を強めつつある。こうした情勢のなかでアメリカも従前同様の対日関係の態度をとりつづけられるはずはないし、ここからして日米関係は、おそらく今後、世界にとっての大問題を呈することでしょう。
 池田 米・中・ソ三極といっても、情勢は明らかにちがってきています。ヨーロッパにおいては、ヨーロッパ独自の立場を保ち、発言権を強めていこうという動きがありますし……。
 日本はご存じのように明治維新をもって世界に眼を広げましたが、その近代化の流れは、まず富国強兵策によって軍事力の強大化を図るという道を選択しました。それの決定的挫折であった第二次大戦以後は、経済力を自国のパワーとして世界へ進出した。そのいずれも、他国からみるならば侵略的色彩はいなめなかったわけです。私はこれからの日本の進路としては、簡単にいえば平和のカナメとなり文化の輸出国になる以外にないと思っています。人類の文化に貢献しうる創造のダイナミズムをもって進んでいくべきだと──。
 つまり、“日本を文化の宝庫に”という構想です。
 アメリカと日本との関係も、そうした友好ベースの再構築が必要ではないかと思っています。たしかに政治状況の変化にともなう一時的バランスの変化はあるでしょう。この点については、一月、キッシンジャー氏と会談したさいにも話題になりました。キッシンジャー氏は「日米の深い友好関係は日本の外交関係によるであろう」といっていましたが、たしかに、これからの日米関係は、外交関係の基本的ベース、つまり外交理念そのものの転換が必要です。
 あなたが今、指摘されるような状況からして、いまや日米関係には新たな討論が交わされなければならないでしょう。もし日本が主体性をもって対応しなければ、かえってアメリカの信頼を失うことにもなりかねません。
2  マルロー それについては、アメリカ自体の変化も必要でしょう。私がみるところでは、アメリカの政策はつぎのように要約されます。つまり、日本にたいするアメリカ側の意向を保持しつつ、その意向をどうやって遂行させるか、と。私の考えでは、もはや日米関係は一方的な望みを押しつけることは不可能だと思います。遅かれ早かれ、現在のままの関係を維持することはできなくなるでしょうが、また逆に、容易にそれを壊すこともできないにちがいありません。
 池田 よくわかります。さきほどの日本列島を文化の宝庫にしようという私の構想について、もう少し申しあげたいと思います。
 「戦争」と「文化」は対極に位置するものです。軍事、武力が、外的な抑圧によって人間を脅かし、支配しようとするのにたいし、文化は内面から人間自身の可能性を開花させ、解放させるものです。
 また武力は軍事的強大国が力の論理を貫こうとするのにたいし、文化交流というものは、摂取という受け入れがわの主体的な姿勢が前提となります。いうなれば武力の破壊にたいし、文化の基底にあるものは創造でしょう。
 現代の戦争、なかんずく核戦争は文化をことごとく破壊するにいたります。戦争は明らかに人間生命の狭量さの噴出であり、文化とは人間生命の豊かさの表現ともいえる。両者は人間生命の本質からみて、絶対にあいいれないものです。選択は一つしかありません。
 私は文化により権力を包囲していく必要性を痛感しています。つまり政治によって陥りがちな「不信」と「反目」を、文化本来の光で「信頼」と「理解」に転換していかねばならないと考えます。第二次世界大戦以降の日本人のメンタリティーには、そうした自覚が強く芽生えていることは、すでにご承知のことと思います。日本の進路も、ここから明白になるでしょう。
 マルロー おそらく国際問題は、まず、国内問題といったところでしょう。つまり、日本の政治的指導者のタイプに大きくかかわってきます。
 池田 それは、イデオロギーをふりかざしての対立抗争から、指導者の人間的資質の競いあいという時代にはいったともいえますね。

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