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日本の蘇生へ持続ある運動を  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

前後
2  訳者註
 (1)ここで二人の対話者のあいだでいわれている事柄は、訳者が「解説」でふれた「不可知論と行動」の問題に深くかかわりをもっている。マルローにとっては、池田会長が「マイスター・エクハルトのように」実存について語りながら、すなわち本来的に現実世界のつながりの「契機モメントがない」実存の問題を掘りさげながら、なおかつ義務的行動への賭けを実践していくありかたが、ひそかに、ひじょうなる深い関心の的となっている。人間の実存にたいする形而上学的問いが、いかにして歴史的参加と結びつきうるのか? アンドレ・マルローその人においてもそれは謎であり、この謎をとおして彼は池田大作氏の行動を注視している。マルローが、池田会長の請いに答えて、日本の青年たちのためにモットーとして「武士道プラス禅」といったのも、この意味で解されなければならない。すなわち禅の一語によって実存の目覚めの必要性をいうとともに、武士道の語によって行動を意味しようとしたものである。なお、武士道についてのマルローの理解は、一九六〇年に氏が来日したおりのインタビューで訳者に聞かせてくれた「武士道とは、武士の勇気と、主君への忠誠をとおしての超越者との交わりの誓い、くわえて日本民族の超越性を意味する」との言葉に明らかなとおり、きわめて形而上学的立場での理解である。
 (2)「万人は自分自身の神をとおして真の神にいたる」とは、インドのことわざで、マルローはおおいにこれを愛して随所に引用している。
 (3)不可知論(者)l’agnosticisme(l’agnostique)トマス・ハクスレーが「私は神にたいして懐疑論者ではない。かつてキリスト教神秘思想の一派、グノーシス派の人々が、真の神を認識する人間はわれわれである、といったのとは反対に、私は真の神のなんたるかを知らないという立場である。したがって、《認識》を意味するギリシア語の《グノーシス》に否定の“ア”の字をつけて《アグノスチシスト》と自己主義しよう」と書いたことに端を発する。なお、「釈尊その人が偉大な不可知論者である…」とのマルローの言葉の真意にたいしても誤解があってはならない。「死後われわれの魂はどうなるのですか?」との仏弟子の問いに答えて釈迦が「死後の問題、輪廻の問題の心をわずらわすことなかれ」と答えたのは有名なことであり、マルローの言葉もこの点をさしたものだが、彼はこの種の形而上学的問題にたいする偉大な仏陀の判断中止の態度を高く評価しているのであって、「輪を断て!」との仏教の行動はくりかえしその念頭に去来しているのである。

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