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日蓮大聖人・池田大作

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新しい騎士道を創り出すのはだれか?  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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2  池田 われわれの人生は限られております。空間的に往き来できる範囲、行動の種類と内容、そして時間的には寿命のうえで限られております。だが私は、この有限の身でありながら、無限のものを求めたい……本能的ともいえる衝動を心のなかに持っております。
 幸いに長い信仰生活のおかげで、そうした衝動のうち、利己的な面でのそれはコントロールできるようになりましたが、反面、世界や社会の現状をみるにつけ、人類の百年後のためには、いま、私はなにをなすべきか、いかなるクサビをどのように打っておくべきか、可能なるそれはなにがもっとも適切か、そしてその手段は……と、日夜考えるようになって、この点における「無限の欲求衝動」を強く感じているしだいです。
 もちろん、それについて私は自分なりにビジョンを描き、実行にも励んでいるつもりですが、私たちのこの「百年後の人類のためには……」という未来にたいして、あなたのご意見もうかがっておきたいと思っています。
 マルロー 私がよくわかっているかどうか確かではありませんが、「人間の権利」というものを教えることが、やはり、この場合いちばん大事なことでしょう。しかしそれは、けっきょく、「他者たちの権利」を教えるということだと思いますが……。しかし、そのためには百年かかるでしょう。
 もし池田会長がこのような真理を説かれるならば、世界中の国の人々が、こぞって、あなたの創られた大学にやってくることはまちがいありません。かつてガンジーの真理が世界の人々を招いたのと同じことです。
 なぜなら、世界の人々をおおっている、いちばん深い諸問題というものは、じつは簡単な形をとって現れうるものであって、もっとも深いものはもっとも簡単な形で現れうるのであるという事実を、忘れてはなりません。
 池田 ひじょうに蘊蓄のあることばですね。
 ところで、最近は、世界的に学問・知識の複雑化と専門化にともなって、知識人はますます一般大衆から遊離した存在になりつつあります。この知識人の、大衆と現実のいとなみからの遊離が、この世界を野蛮な力の横行のなかにおとしいれる動因の一つになっているように思われるのです。あなたは果敢に行動する知識人として、世界にもまれなほどの生涯をつらぬいてこられましたが、現在ならびに今後の世界において、知識人はどうあるべきだとお考えになりますか?
 マルロー 第一に、芸術と知識とのあいだに溝はあるけれども、人間と、いわゆる宗教現象のあいだにはそうした溝は存在しないということを申しあげたいと思います。
 私がアインシュタインと会ったときにいわれたことですが、原子力の原理について人はよく自分に説明をもとめるけれども、自分があらゆる人に説明をするという立場ではない、といっておりました。このことが、ひじょうに私の胸にひっかかっている。そうかといってジャーナリストたちに直接に話をしてしまったのでは、どのように勝手につくられるかわからない。その中間にやはり学者が介在しなければならない──と、こういうのですね。
 これは科学についてアインシュタインが私にいったことですが、同じことを精神的領域についてもいうことができます。つまり精神的領域の真理なるものがあるけれども、これは、だれか、やはりそれを把握している人物というものがある。これを万人に伝えなければならない。けれども、まさか宗教的真理をジャーナリストたちに、いっぺんにいうわけにもいかないでしょう。その間にはいってくるタイプの人たちとはだれか?
 池田 なるほど……。しかし、まさにその点において知識人が物事を真正に判断し、さらにこれを公平に大衆に還元すべきではないでしょうか?
 マルロー アインシュタインは、あるジャーナリストが彼について本を出したとき、全体を見なおして、これはかくかくのジャーナリストが書いたものだけれども、自分はこれを読んだ、これでよろしい──とサインをしているのですね。こういうふうな形をとることによって、ジャーナリスト側が作業をすすめることが可能になったわけです。

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