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人間革命の意義とその必要性  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  人間革命の意義とその必要性
 マルロー 二つの問題があると思います。一つは科学教育ということで、これは方法の問題ということになる。もう一つは、つぎのようなことです。十九世紀は科学が人間形成を行いうるものと考えましたが、私たちは科学にはそのようなことは絶対にできないということを知っています。人文科学と呼んでいるものは、人間を全体的のものとして扱わないで、部分化しています。したがって重要なことは知識の伝達ではなく、いかにして人間を形成するかということになってくる。この人間形成は家庭からくることもあり、また、池田会長の創価学会のような組織からくることも、たしかにあると言っていい。
 池田 こういう考えはどうでしょうか。ゴーリキーは「この人生は、いわば、校舎と教科書のない学校である。私はこの“人生という大学”から学ぶことが多かった。私にとって、この人生は“私の大学”である」と述べていますが、私は、たとえ校舎や教科書がなくても、原理原則、勉学習慣だけは強力に樹立していきたいと思っています。これを「肩のこらない自然な教育」という形で実現してゆきたいというのが私の夢ですけれども、いかがでしょうか?
 マルロー すこし話をまえにもどしてお話ししましょう。なぜなら、方法を論ずるまえに、私としてはその奥にある内容をお話ししたいと思うからです。一方に知識の伝達あり、他方に人間形成ありと、私は申しました。ところで、かつて人間形成は、どの国にあってもイギリス帝国の“紳士”(ジェントルマン)といった典型によってなされていたのです。
 しかし、私は、日本こそ新しい人間形成の典型像をつくりうる最後の国であるという信念を持っているのです。もちろん、そんな考えはどれも過去のものであるという若者がおりましょう。
 しかし、創価学会のような人間形成の運動にほんとうに力が加われば、そして日本人の形成を決意するならば、これは人類にとって一個の亀鑑となりえましょう。
 池田 私の場合は、あくまでも「人間革命」の運動です。
 それでは、青年、学生たちのために、なにかひとことモットーとして贈ってくださいませんか。
 マルロー 「《武士道》プラス《禅》」……。
 池田 ……
 マルロー つまり、仏教の禅とそれから武士道的なものの結合ということです。ここに禅といったものは《精神的なもの》という意味で、仏教的精神とご理解くださってもけっこうです。
 池田 そういう意味でしたら納得できます。
 ところで西欧においては、《愛》ということが人間性の重大テーマとしてとらえられています。この愛に比較すべき東洋での概念……とくに仏教徒の概念はご承知のとおり《慈悲》ということばで表されております。慈悲とは「楽をあたえ、苦を抜きとる」という内容でありますから、愛とは思想内容が異なっております。だが両者の間には、共通性も大きいのではないか。
 愛というものは人間に本然に備わった本能的能力の一つであって、後天的に習慣によって養成された性質ではありますまい。隣人を愛し、地球を愛し、さらに未来の人類を愛しゆく。そうした意欲はだれもが持っていながら、実際には社会機構や生活苦に負けて、大事な愛がただ観念の内のこととして終わってしまう。たとえ観念の殻に突破口を切り開いた人でも、ではその「愛」を「だれ」へ向けて「いかに」実践するかとなれば、その「いかに」という様態に迷う、というのが偽らぬ姿ではないかと思います。むしろ、愛の実践について真剣であればあるほど……真剣な人ほど、迷うのではないでしょうか。人生の先輩としてのあなたから、「愛の実践」ということについて、なにか見解がありませんか?
 マルロー 《愛》は、あなたがおっしゃっているような意味では、つまり西欧的愛なるものは、こんにちではなんらの真実性もなく、仮面であるにすぎません。キリスト教の定義によれば「神は愛なり」ということはご存じと思います。いまではこの定義がロンドンでネオンサインに書かれています。そのヨーロッパ世界において、しかし、一八〇〇年以来、愛はその根拠を失ったのです。
 もう一つ重要なことがあります。だれが、いったい、かつて西欧で人間を形成したでしょうか。それは偉大な宗教的秩序だったのです。しかし、いまではこの秩序はまったく失われてしまいました。池田会長は、日本で、この人間形成のための偉大な宗教的秩序という役割を果たすことができます。世界的価値の見本を示すことができましょう。

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