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人間の尊厳とデモクラシー  

「人間革命と人間の条件」アンドレ・マルロー(池田大作全集第4巻)

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1  人間の尊厳とデモクラシー
 池田 よくわかります。
 ところで、あなたは一九六五年に、ド・ゴール大統領(当時)の特使として中国を訪問され、毛沢東主席に会われたとうかがっています。このことは有名ですけれども、毛主席についてのご印象はいかがでしたか。
 マルロー たしかに一九六五年に訪問しました。毛主席に会った初印象は、あたかも歴代皇帝の堂々たる像の一つを眼のあたりにしたという感じでした。
 当時、毛主席の肚は、いわゆる毛沢東思想を世界中にひろめることにあると、あらゆる国で取りざたされていたようですが、そういうことは絶対になくて、毛主席の念頭にあったことは、あくまで中国人の生活水準を向上させるということにほかなりませんでした。
 ところで、この対話のありかたについてですが、池田会長は日本人としてはひじょうにまっすぐにものをいうかたと思っております。私自身もそうした人間ですので、はっきり、率直に話を進めさせていただきたいと思います。日本人は礼譲の国民でありますが、この場合、そうしたありかたは願いさげにしていただいてけっこうです。これまで、日本政府の要人といろいろ会ってきておりますが、儀礼的なふれあいばかりで、率直さが皆無でした。
 池田 そうですか。
 ところで、こんにち資本主義陣営においても、社会主義陣営においても、社会の組織化があらゆる場面にわたって進行し、複雑化し、人間個々の部品化、管理化が強まっています。これは現代において、人間の尊厳に対するもっとも大きな脅威であると、私は考えます。このような状況から人間を救い出すためには、なにをしなければならないと考えられますか?
 マルロー これについてお答えすると長くなりますが……。
 池田 簡潔でけっこうです。
 マルロー いかにも簡潔ということは肝要。しかし、この簡潔ということが、曰く行いがたしといったところで……。(笑い)
 科学の工業適用が人間の個性破壊につうずるということは、なるほど事実といえましょうが、それはデモクラシーについてもいえることです。ここでは、このデモクラシーの問題のほうについてご返事させていただきたい。デモクラシーは、科学との関係において、私どもの二十世紀文明においてまったく新しい批判的面を呈するにいたったということです。
 それというのも、そもそもデモクラシーとは、一方においてイデオロギーであるとともに、他方、一個の技術でもあるからにほかなりません。デモクラシーはフランス、アメリカで初めて誕生したときには、国民の総意を背景としておりました。つまり、デモクラシーにおいては、まず、国民の総意が理想であって、たとえば国民投票で八〇パーセントの国民の賛同が得られなければ総意ということにはならない。そしてその意味でいうかぎり、こんにちの英・米・仏いずれの国にあっても、デモクラシーは、技術としては瀕死の状態にあるといって過言でないでしょう。まったく新しい技術にもとづいたデモクラシーが、つぎに誕生してこなければなりますまい。
 池田 私も、現実はそのとおりだと思います。そのためにもデモクラシーを蘇生させる人間の尊厳についての新しい哲学が確立されなければならないでしょう。
 マルロー デモクラシーの技術的適用は、十九世紀このかた世界のどこでも、まったく進歩していない。これは信じられないことです。
 池田 そう思います。かつて対談したクーデンホーフ=カレルギー伯もそういっていました。
 マルロー おっしゃるところの「人間の尊厳」について、かつて私は小説中にこう書いたことがあります。ある農民の革命家が、ファシストの手で拷問されながら、「人間的尊厳とはなにか」と相手から訊かれ、こう答えるのです。「そんなこと、知るものか! わかっているのは、屈辱とはなにか、このことだけだ!」と……。
 池田 ひじょうに興味深いお話です。

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