Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新しき統合原理を求めて クレアモント・マッケナ大学記念講演

1993.1.29 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

前後
2  東欧の解放、平和裏の統一ドイツの誕生、湾岸戦争の終結等々、そのつど新たな国際秩序創出のための展望が多く語られてまいりましたが、日ならずして夢は急速に色あせ、国連中心という大筋での合意はあるものの、現状は、秩序へのあてどなき暗中模索の段階にあるといってよいでありましょう。
 それは、野焼きを終えたあとの、赤茶けた地肌に似ております。その荒涼たる大地に、みずみずしい新草を敷きつめるためにも、私どもは全力をあげて、新たな統合原理を探し当てていかねばならないと思うものであります。
 とはいえ、人類は、ファシズズムやコミュニズムといった偽りの統合原理の悪酔いから、まだ醒めたばかりであります。私は、旧ソ連の何人かの友人から、イデオロギーが人間に君臨し、食いものにしていく″プロクルステスのベッド″の譬えを聞きました。
 そのイデオロギーのもとでの膨大な犠牲を思えば、統合原理の模索は、慎重のうえにも慎重を期さねばなりません。その意味からも、新たな統合原理は、人間を超越したところにではなく、徹底して人間に即して内在的に求められなければならないと思うのであります。
3  こうテーマを設定したとき、私の脳裏に浮かぶのは、精神薬理学のパイオニアであるエルキース博士の鋭い洞察であります。博士は、私どもの機関紙のインタビューに答えて次のように論じております。
 「″治癒″とは全体性の回復のことです。治癒(ヒーリング)と全体(ホール)と神聖(ホーリー)という言葉は語源を同じくしております。それは円満であること、すなわち、個人として調和がとれ、他者と調和がとれ、そして地球と調和がとれていることを意味します。痛みとは、部分が全体から切り離されたという警告なのです」と。
 これは医学的な「痛み」の問題に限らず、病める現代文明の総体にあって、人間の全体性が著しく損なわれてしまっている点に病巣の根源があるといえないでありましょうか。
 人間の全体性、全人性――こうした言葉が私たちの想像力のなかで、生き生きとしたイメージを結ばなくなって、既に久しくなりました。ホモ・サピエンス(英知人)、ホモ・エコノミクス(経済人)、ホモ・ファーベル(工作人)、ホモ・ルーデンス(遊戯人)等の言葉の総称が全人性ともいえますが、それだけでは定義を羅列しているようで、いささか策に乏しい。意味が浅くなってしまうでしょう。
4  むしろ、全人性への希求をたたみかけるように訴えているD・H・ロレンスの警世の書『アポカリプス論』の末尾の文章のほうが、問題の輪郭を、より鮮やかに浮かび上がらせているように思えてなりません。
 「人間が最も激しく冀求ききゅうするものは、その生ける完全性であり、生ける連帯性であって、己が《魂》の孤立した救ひといふがごときものでは決してない」(『福田恒存飜譯全集』第三巻、文藝春秋)としつつ、ロレンスは、こう結びます。
 「吾々の欲することは、虚偽の非有機的な結合を、殊に金銭と相つらなる結合を打毀うちこわし、コスモス、日輪、大地との結合、人類、国民、家族との生きた有機的な結合をふたたびこの世に打樹うちたててることにある。まず日輪と共に始めよ、さうすればほかのことは徐々に、徐々に継起してくるであらう」(同前)と。
5  このいかにも芸術家らしい激発に対し、マルクスやシュンペーターにも比肩される巨視的な社会動態分析を行ったエドゥアルト・ハイマンのような、いかにも学者らしい幅広い識見からも、同じような言葉を聞くことができるのであります。すなわちハイマンは、全人性や生の全体性を歪めることなき社会の発展を「有機的成長」とし、慎重にこう述べております。
 「『有機体』というこのつねに危険な比喩をわれわれのいまの目的に使用することが許されるならば、社会『有機体』が生命をもって成育し変化し、それでいて同一性を維持していく」(『近代の運命』野尻武敏・足立正樹訳、新評論)社会の謂である、と。
 近代社会が、こうした「有機的成長」から著しく逸脱していることは、申すまでもありません。
6  生きた「全人性」の回復こそ王道
 全人性とは、過去の歴史や伝統を生き生きと今に蘇らせ、かつまた宇宙的生命の律動を全身で呼吸しつつ脈動しゆく、一個の生気あふれる生命体であります。そこでこそ人間は、真の充足感を、つまり足ることを知った人の落ち着きや余裕、他者への思いやりや配慮など、古来、人間が徳と呼んできたものを手にすることができるのではないでしょうか。
 逆に歴史や伝統、他者や宇宙から切り離されてしまえば、彼を待っているものは、いつも末梢神経の働きに引きずられているようないらだち、不安感、そして狂気にさえつながりかねない、とめどもなき自己喪失感であるにちがいありません。
7  ニーチェが言う「最後の人間」としての現代人の姿は、近年、様々に論じられていますが、そのあまりにもみすばらしい、歴史の勝利者と言うにはほど遠い、意気阻喪させるようなイメージは、私には、そうした不安感や自己喪失感と表裏をなしているように思えてならないのであります。
 実際「最後の人間」のイメージは、ロレンスが″非有機的な、殊に金銭に連なる結合″と断罪したそれと、酷似していると思うのであります。それが、現代流の「経済人」であるとすれば、かつてアダム・スミスが描き出した元祖「経済人」の何とはつらつとして生々躍動していることでありましょうか。
 この「経済人」のイメージひとつ取り上げてみても、近代の進展にともなう全人性の損壊は、否定しようのない事実と思われます。
 私は、こうした現状から、飢えや疾病との戦いなどに象徴される近代化のメリットを失うことなく、全人性をどう復権させていくかということこそ、猛威を振るう分離の力の勢いを鎮め、新たな統合原理を追求しゆく王道であり、迂遠のように見えても、時代の病への抜本的な治療であると、信じている一人であります。
8  さて、そうした課題に挑戦していくうえで大切なことは、第一に、漸進主義的アプローチ(接近)ともいうべきものであると思います。
 一昨年、旧ソ連において七十年間にわたる共産主義の実験が無残な失敗に終わったとき、一部で″ロシア人がフランス革命を終わらせた″といった感想が語られていました。
 ブルジョア革命たるフランス革命からプロレタリア革命たるロシア革命を一本の線でつなぎ、そこに歴史の継承的進歩・発展の軌跡をたどろうとする見方が、ソ連邦の消滅によって、ほぼ息の根を止められたというのであります。
 確かに、そうした感想には少なからぬ真実が含まれており、 一言にしていえば、歴史や人間に対する急進主義的アプローチの破綻ではなかったか、と私は思っております。
 いうまでもなく急進主義的アプローチとは、あらかじめ歴史の進歩・発展に対する合理的な青写真を描いておき、その理念や理論に合わせて現実を裁断し、作り変えていこうとする行き方であります。そこには十九世紀の理性万能の風潮が色濃く反映されており、全人性という課題に即していえば、人間の理性的側面のみが極端に肥大化されていました。
 そのため、歴史は一定の理論、法則によって導かれ、従ってその理論、法則さえマスターしてしまえば、すべてがわかったように錯覚する、頭でっかちの、善意であるがゆえにそれだけ鼻持ちならぬ、非寛容で傲慢な革命家群像を、おびただしく輩出してしまったわけであります。
 確かに、すべてが合理的に割り切れ、そこから合理的なユートピアの青写真が導き出されるのならば、そこへ到達するのに早いに越したことはなく、急進主義に傾くのは理の当然であります。それに従おうとしない″反革命分子″に対しても、何らかの強制力を行使したくなるのも、必然の成り行きでありましょう。
9  こうした急進主義に対する批判は数多くありますが、ここでは一つだけ、キルギスタン出身で現代ロシアを代表する作家アイトマートフ氏の告発をあげておきたいと思います。
 私との対談集『大いなる魂の詩』(読士冗新聞社。本全集第15巻収録)の中で氏は青年に、こう呼びかけております。
 「若者たちよ、社会革命に多くを期待してはいけません。革命は暴動であり、集団的な病気であり、集団的な暴力であり、国民、民族、社会の全般にわたる大惨事です。私たちはそれを十分すぎるほど知っています。民主主義改革の道を、無血の進化(漸進的発展)の道を、社会を逐次的に改革する道を探し求めて下さい。進化は、より多くの時間を、より多くの忍耐と妥協を要求し、幸福を整え、増大させることを要求しますが、それを暴力で導入することは要求しません。私は神に祈ります――若い世代が私たちの過ちに学んでくれますように、と」
10  やや長文になりましたが、全人性、生の全体性の立場からする、痛切な訴えであると私は感じております。それはまた、かつてエドマンド・バークやゲーテが行ったジャコビニズム批判と、驚くほど波長が一致しております。
 とともに革命的急進主義に限らず、何らかの「歴史的必然性」に基づく世界観は、ともすれば人間が自らの行動によって運命を切り開いていく力を否定してしまう傾向にあるといえないでありましょうか。
 人生にしても歴史にしても、物を扱うように対象化し客体化してはならず、その何たるかを知るには、そのなかに身を置き、自ら生きて知るしかない。それゆえ、変化は内発的、漸進的になされる以外になく、もし、外から急進的な働きかけがなされると、必ず全人性、生の全体性のどこかが壊れ、偏頗を生じてしまうのは当然であります。
11  その点、真正の自由主義者であったF・A・ハイエクが、社会に向かう自らの立場を、植物の世話をする園芸師に擬しているのは、言い得て妙であります。植物の生長は、いかなる意味でも内発的、漸進的になされる以外にない。園芸師にできることは、そのためのより良き条件づくりであります。
 同じように自由主義者も「社会それ自体が持っている自生的な力」(『隷属への道』西山千明訳、春秋社)を、どう円滑に引き出すかという点に尽きるべきだと言うのであります。
 またはからずも、この類比は、社会における、「多様性の尊重」も促しております。よき園芸師がそうであるごとく、それぞれの多彩にして尊厳なる個性を大切にしながら、いかに「調和の花園」を広げていくか。
 この現代の重大な課題にあっても、内発的、漸進的なアプローチによって、多様性を創造性の源泉と生かしゆく道が、開かれていくのではないでしょうか。
 そして貴国が、その偉大なる模範を世界へ示しゆく使命を担っておられることは、改めて申し上げるまでもありません。
12  武器はソクラテス的対話
 従って、第二に訴えたい点は、急進主義的アプローチが必然的にテロや暴力に依存していったのとは逆に、漸進主義的アプローチの必然的帰結であり、武器は、「対話」であるということであります。
 それも、ソクラテスがそうであったように、言葉と言葉の撃ち合いが、果ては死をもたらすかもしれないほどの緊迫した状態さえ覚悟した、退くことを知らぬ徹底した対話であります。それはおそらく、暴力に数十倍する精神の力と強さを要するはずであります。
 思うに、隣人との対話であれ、歴史との、あるいは自然や宇宙との対話であれ、語らいを通した開かれた空間の中でのみ、人間の全人性は保障されるものであり、自閉的空間は、人間精神の自殺の場になっていくほかはありません。なぜなら、人間は生まれ落ちたまま人間であるのではなく、文化的伝統を背景にした″言葉の海″″対話の海″の中で鍛え上げられて初めて、自己を知り他者を知り、真の人間となっていくからであります。
13  私は、言論嫌い(ミソロゴス)が人間嫌い(ミサントローポス)に通じていくことを、ソクラテスが若者に諄々と説いて聞かせる『パイドン』(藤沢令夫訳、『世界古典文学全集』14〈プラトン1〉所収、筑摩書房)の美しい一節を想起しております。
 言論嫌いを生む言葉への不信は、言葉への過信と″一つもの″の裏と表にすぎない。その″一つもの″とは、対話と、対話による人間同士の結びつきに耐えられぬ弱い精神をいうのである。そうした弱い精神は、何かにつけ人間への不信と過信の間を揺れ動き、分離の力の格好の餌食になってしまうだろう。対話は最後まで貫徹してこそ対話といえるのであり、問答無用は、人間の弱さへの居直り、人間性の敗北宣言である。
 さあ、若者よ、魂を強く鍛えよう。望みを捨てず、自制力を働かせながら、勇気をもって前進しよう。金銭よりも徳を、名声よりも真実を求めて。――ソクラテスは、こう温かく語りかけているようであります。
14  古代ギリシャと現代の大衆社会を同一視することはできませんが、かといって、その差異を強調しすぎるのも考えものであります。その証拠に、例えばウォルター・リップマンの古典的名著『世論』は、よりよき世論形成のための要として「ソクラテス流の対話」「ソクラテス的人間」の必要性を、繰り返し訴えているのであります。
 私は先日、東京で貴大学のスターク学長並びにバリツァー教授と会談した折、「教育以上に大切なものはない」との点で深く賛同じあいました。開かれた対話に基づく教育こそ、単なる知識や情報の伝達にとどまらず、偏狭な視点や感情の超克を可能にするからであります。特に大学は建設的対話を通してソクラテス的世界市民を育て、新たな統合原理を探索する突破口を開きゆく使命を有していると思うのであります。
 ちなみに、ソクラテスと並んで人類の教師とされる仏教の釈尊も、臨終の床での最後の言葉は嘆き悲しむ弟子たちへの質問の勧め、対話の促しであったことを、申し添えておきたいと思います。釈尊は入滅のそのときまで「友が友に尋ねるように、なんでも聞いてごらん」と人々に呼びかけ続けたのであります。
15  機軸は自制ある人格形成
 第三に、機軸としての人格、ということを強調しておきたいと思います。全人性とは人格の異名といってよく、統合原理といってもできあいの抽象的な理論などではありません。卓越した人格の力を通して、内在的に模索される以外になく、いわば統合の力という絆の結び目を成すのが、人格なのであります。
 その一つの証左として、第二次大戦後、いち早く国際的なスケールで取り組まれた貴大学の人間教育の尊い努力は、今、平和秩序形成へ、卒業生の方々の目覚ましい活躍となって結実しております。この事実に対し、私は深い感慨をおぼえる一人であります。
16  貴大学が創立されたのと同じ時期、私の恩師である戸田城聖創価学会第二代会長は、日本の軍国主義の弾圧による二年間の獄中生活を終え、民衆一人一人の人格に光を当てながら、新しい人間主義の運動を開始いたしました。青年をこよなく愛した恩師が、よく、「人生の名優たれ」と励ましていたことを私は懐かしく思い起こすのであります。確かに、人格の力というものは、役者が舞台の上で、自分の役割に徹し、演じきっていく時の集中された力によく似ております。名優がそうであるように、卓越した人格にあっては、どんな切羽詰まった立場に置かれても、どこかでその立場を演じているような余裕と落ち着き、ある種のユーモアさえも漂わせているものであります。そして、淡々とその場を切り抜けていけるのであります。それは、自分で自分をコントロールする力といってもよいと思います。
17  優れた演出家でもあったゲーテは、俳優を選ぶ際の基準について問われ、こう答えております。
 「何をおいても、自制心を持っているか否かを見た。なぜならば、いつこう、自分の制御もできず、他人に対して、最も好ましいと思うところを示すこともできないような俳優は断じて物にならない。俳優という職業に徹底するには、絶えず自分自身を無にして行かねばならない」(エッカーマン『ゲーテとの対話』神保光太郎訳、角川文庫)と。
 言うところの「自制心」とは、魂の理知的部分による欲望の統御を説いたプラトン哲学の「節制」にも通じていると思います。単に俳優に不可欠の資質であるのみならず、人格を人格たらしむる最大の要件であるといっても、過言ではないでありましょう。ここで、私は仏法者としまして、仏法哲理のなかでも最も重要な原理が、まさにこの人格形成の要件に符合していることに触れてみたいと思います。
18  仏法では、衆生の生命状態を十の範疇(カテゴリー)に分けます。悪い方から順に申し上げれば、苦しみに押しつぶされた状態の地獄界、欲望に心身を焼かれている餓鬼界、強者を恐れ弱者をあなどる畜生界、常に他人に勝ろうとする修羅界、平静に物事を判断する人界、喜びに満ちた天界、学理・教説に接し悟りを志向する声聞界、自然現象に触れ一人悟る縁覚界、一切衆生を救済しようとする慈悲の境地である菩薩界、そして最後に、円満にして自在な仏の境地である仏界であります。この仏界に至ろうとする努力が真実の仏法の信仰であります。
 そして更に、この十の範疇のそれぞれが、互いにまた十の範疇を具えている。つまり地獄界という範疇は、その中に地獄界から仏界に至る十の範疇を含んでいるということであります。生命は一時として固定化してはおらず、次の瞬間には十の範疇のうち、どれかへと絶えず変化していくとするダイナミックな生命観が、ここにはあります。
19  ″菩薩界・仏界がコントロールする生命″を
 本論の文脈で特筆すべきは、そうした流れの中にあって、十の範疇のうちのどれが、自らの生命の基底部となるかが、実践・修行のうえの最大のポイントとなってくることです。そして、最も高い境地である仏界、菩薩界を基底部に据える生き方が、理想的仏法者像、理想的人間像として勧められているのであります。
 人生には必ず喜怒哀楽があり、そのつど十の範疇のうち、どれかが発現していく。しかし、それらは、常に清浄にして不壊なる菩薩界、仏界の生命によってコントロールされている――まさに、理想的な人格形成の在り方そのものと思うのであります。
 私どもの信奉する日蓮大聖人は、単にそう説いただけではなく、邪な権力によって斬首刑に処せられようとしたときも、嘆き悲しむ門下を「これほどの喜びをば、笑いたまえ」とたしなめ、捕吏ほりに酒を振る舞うなど、生涯最大の難局を悠々と乗り越え、後世に人間としての範を示されているのであります。
20  ゆえに、私は、この仏法哲理が、全人性の復権への機軸をなす人格形成に大きく貢献できるものと信じております。のみならず、仏法の実践者として、二十一世紀の命運を決するともいうべき新たなる統合原理を求めての旅路に、皆さま方とともに勇気ある出発をしていきたいことを念じてやみません。
 その思いを、私が若いころから愛誦してきた、ウォルト・ホイットマンの人間讃歌に託し、私のスピーチを終わらせていただきます。
21   ぼくには見えるあらゆる土地の男と女が、
  ぼくには見える哲人たちののどかな連帯が、
  ぼくには見えるわが人類の建設的な営みが、
  ぼくには見えるわが人類の忍耐と勤勉のかずかずの成果が、
  ぼくには見えるさまざまな身分が、肌の色が、未開が、文明が、
  ぼくはそれらのもののなかに入りこみ、見分けがたいほどにまじり合い
  そして地球上のあらゆる住人たちに挨拶を送る
   (『草の葉』杉木喬・鍋島能弘・酒本雅之訳、岩波文庫)
 ご静聴、ありがとうございました。サンキュー・ソー・マッチ。
 (平成5年1月29日 アメリカ、クレアモント・マッケナ大学)

1
2