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日蓮大聖人・池田大作

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不戦世界を目指して――ガンジー主義と現… ガンジー記念館記念講演

1992.2.11 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

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2  昨年秋、来日された館長とも、お互いの師匠の思い出に触れながら、師匠から弟子へと受け継がれていく「精神の継承」をめぐって、ゆっくりと語り合いました。実は、本日二月十一日は、私の亡き恩師戸田城聖創価学会第二代会長の誕生日なのであります。恩師は、一九〇〇年の生まれでありますから、ガンジーとは、ほぼ三十歳の年齢差であります。
 第二次世界大戦中、ガンジーが、最後の獄中闘争を行っているとき、我が恩師も、日本の軍国主義と戦い、牢獄にありました。恩師は、ガンジーのごとく、信念の平和主義者でありました。慈愛の民衆指導者でありました。独創の歴史変革者でもありました。
 私どもの「平和」と「文化」と「教育」の運動は、すべてこの恩師の精神と行動を受け継いだものであります。恩師は、こよなく貴国を敬愛しておりました。いつの日か、この憧れのインドの大地を踏み、インドの哲人たちと心ゆくまで語り合いたいと願っておりました。その意味において、私は、この席に恩師と二人して臨んでいるような感慨を禁じ得ないのであります。
3  さて、私どもは現在、一世紀に一度あるかないかの大変革期に直面しております。世紀末に変動はつきものと言われておりますが、ゴルバチョフ氏のペレストロイカに先導された歴史の流れは、文字どおり堰を切られた奔流のように、ペレストロイカそのものをも、飲み込んでしまいました。ベルリンの壁の崩壊からソ連邦の消滅に至る、ここ数年の動きは、あらゆる歴史家の予測を大きく上回ってしまいました。
 その結果、自由を求める民衆の声は、もはや、いかなる権力をもってしても抑圧できないという事実が明らかになってきた反面、歴史はいかなるイデオロギーや理念の指標ももたず、海図なき航海を余儀なくされつつあることも否定できません。
 そうしたカオス(混沌)が強まれば強まるほど、私は、狂瀾怒濤の逆巻く歴史の川面の底深く、静かに、訴えるように語りかけてくるマハトマ・ガンジーの声に耳を傾けざるを得ないのであります。
4  「ロシアで起こっていることは謎です。私はこれまでロシアについてはほとんど語りませんでしたが、ロシアの経験が究極的に成功するとはとても思えません。あれは非暴力主義に対する挑戦のように思われます。それは成功しそうに見えますが、その背後には力(暴力)があります。社会をその狭い通路のうちに保つのに、その力がどのくらいのあいだ有効なのか私には分かりません。インド人がロシアの影響をうけた場合には、極端な不寛容へとみちびかれることになります」(書簡「ガンジーとロマン・ロラン」蛯原徳夫訳、『ロマン・ロラン全集』42所収)と。
 ご存じのように、この言葉は、一九三一年十二月、スイスのレマン湖畔に病身のロマン・ロランを訪問したガンジーが、ロランに語ったものであります。いうまでもなく、当時は、ファシズムの軍靴の音が近づくなか、口シア革命は人類史上の希望の星として、多くの人々の心を捉えており、ボルシェヴィズムの暗黒面であるテロや暴力も、さして表面化していないころであります。
5  ゆえに、熱烈な平和主義者ロランなども、「ガンデーの革命とレーニンのそれと、二つが、今日、同盟して、旧い世界を覆す、新しい秩序を建設する」(「インド――日記」宮本正清・波多野茂弥訳、同全集31所収)ための架橋作業に、腐心しておりました。そうした時期だけに、限られた情報のもと、もっぱら体験によって鍛え上げられた曇りなき目で、暴力や不寛容というボルシェヴィズムの宿命的ともいうべき悪をえぐっているガンジーの先見性は特筆されてよいでありましょう。
 ソ連邦崩壊の決定打となった昨年八月のクーデター失敗の直後、モスクフの広場で秘密警察の創設者ジェルジンスキーの巨大な像が引きずり倒され、民衆の足蹴にされる映像を見つめながら、先入観にとらわれず、一直線に物事の本質に迫るガンジーの眼識の確かさを、私は改めて痛感した一人であります。
6  ガンジー主義は人類の至宝
 さて、未曾有の「戦争」と「暴力」の世紀を終えようとしている今日、この「人類の至宝」にして「二十世紀の奇跡」ともいうべき先哲から、不戦世界を目指すため、私どもが学び受け継いでいくべき遺産は、何でありましょうか。私なりに、「楽観主義」「実践」「民衆」「総体性」の四点に絞って申し上げてみたい。
7  まず第一に、その透徹した「楽観主義」であります。思想の人であれ、経綸けいりんの人であれ、古来卓越した人物は、ほぼ例外なく楽観主義者の風格をもっているようであります。そのなかでも、ガンジーほど、けれん味なく、鮮やかな軌跡でそれを生き抜いた人は、まことに稀であると私は思っております。
 彼は語っております。
 「私はどこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示し得るというのではなく、究極においては正義が栄えるに違いないという断固たる信仰を抱いているからである」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな――ガンジー語録』古賀勝郎訳、朝日新聞社)
8  また「わたしは手に負えないオプティミストです。わたしのオプティミズムは、非暴力を発揮しうる個人の能力の、無限の可能性への信念にもとづいています」(マハトマ・ガンディー『わたしの非暴力』1、森本達雄訳、みすず書房)と。ここに明らかなように、ガンジーの「楽観主義」は、客観情勢の分析や見通しに依拠して生み出されたものでは決してない。それでは単なる相対論でしかありません。正義といい、非暴力といい、徹底した自己洞察の結果、無条件に己が心中に打ち立てられた、人間への絶対的な信頼であり、死をもってしても奪い取ることのできない不壊の信念であった。
 私はそこに、常に己に立ち返ることから出発する、東洋の演繹的発想の粋を見る思いがするのであります。無条件なるがゆえに、そこには永遠に行き詰まりはなく、自ら信念の道を放棄してしまわないかぎり、彼の「楽観主義」は、限りなき希望の展望と勝利とを約束されているのであります。
9  「暴力肯定の世界」は崩壊ヘ
 「非暴力には敗北などというものはない。これに対して、暴力の果てはかならず敗北である」(同前)との、静かななかにも不敵な自信をのぞかせた言葉は、まさに汝自身の胸中を制覇した人のみがよく発しうる、精神の勝ちどきであります。勝利の声であります。
 想像するに、数々の試練によって鍵え上げられていった、ガンジーの境涯は、獄中で抗議の断食を続けているときも、ファシズムの脅威を前に、暴力か非暴力かののっぴきならぬ選択を迫られているときも、あるいは、カルカッタやベンガルで地域抗争による悪戦苦闘を強いられているときも、黒雲を突き抜けた先にどこまでも広がる、澄みきった青空のようであったにちがいない。
 だからこそ「楽観主義」を標榜できたのであり、そこに、非暴力という人間の善性の極限、すなわち臆病や卑屈による″弱者の非暴力″ではなく、勇気に裏付けられた″強者の非暴力″を民衆と分かち合おうとした、ガンジー主義の真髄があると、私は思うのであります。
10  その原則を曲げて、安易に″弱さ″や″暴力″の誘惑に屈し不純物を混入してしまえば、たとえ一時的に成功を収めようとも、ガンジー主義とは異なるものになってしまう。
 ロマン・ロランの言う「天稟(=生まれつき)の宗教家であり、必要に迫られた政治家」(宮本正清・波多野茂弥訳、前掲書)であったガンジーにとって、人間の人間であることの証ともいうべき非暴力こそ生命線であり、それを抜きにした世俗的な成否などは、どこまでも第二義的なものにすぎなかったのであります。
 こうした達観した生き方は、そこまで達観できなかったロランやネルーのような理解者、多くの同志をも、時には困惑させ、混乱させたにちがいない。確かに短いスパン(間隔)で見れば、ナテスヘの非暴力抵抗の勧めなど、ガンジ―の主張があまりにも現実離れした理想論に見えたときもあったでありましょう。
 しかし、長いスパンで戦後の歩みを振り返ってみれば、戦火のなか、自由と民主主義は非暴力によってのみ救われるという「荒野の叫び」を、倦むことなく叫び続けていた、ガンジー的課題を我々が乗り越えたなどとは、とうてい言えません。
 むしろ、世紀末を覆う人間不信のペシミズム(悲観主義)は、人間への信頼を誇らかに謳い上げたガンジーの透徹した「楽観主義」を肝要の課題として浮かび上がらせているように思えてなりません。
11  ガンジーの遺産として、第二に注目すべきは、「実践」ということであります。
 申すまでもなく、ガンジーは生涯にわたって「実践」の人でありました。
 あるバラモンから、瞑想生活入りを勧められたとき、彼は「わたしとて、魂の解脱と呼ばれる天国に至ろうと、毎日努力をしています。しかし、そのために、わたしはなにも洞窟に隠棲する必要はありません。わたしはいつも洞窟を担いで歩いているのですから」(森本達雄『ガンディ』、『人類の知的遺産』64所収、講談社)と答えたユーモラスなエピソードは、この裸足の聖者の面目を、よく伝えております。
 同じ非暴力主義者であっても、トルストイなどと比べ、ガンジーの行動力と行動半径は際立っている。
12  とはいえ「実践」は単なる行動とは違います。単に身体を動かすことなら動物でもできる。否、動物のほうが行動的であるかもしれない。
 「実践」とは、善なるものの内発的な促しによって意志し、成すべきことを成し、かつ自ら成就したことの過不足を謙虚に愛情をもって検討する能力とはいえないでしょうか。
 積極果敢な行動の人である彼は、同時に現実への畏敬と謙虚な姿勢を忘れない。自らを唯一の正統と思い込む居丈高な心からは、最も遠かったはずであります。
 また、断固たる確信の人である彼は、その確信の根拠を理論の整合性などではなく、魂に求めるため、大きく人を容れる雅量と寛容の人でもあったのであります。
 「善いことというものは、カタツムリの速度で動くものである」(坂本徳松『ガンジー――インド独立の父』旺文社文庫)、「非暴力は成長の遅い植物である。しかし、その成長はほとんど目に見えないが、たしかである」(森本達雄訳、前掲書)等の印象深い留言(残されを言葉)は、「実践」の人の静かな信条の吐露として、今なお千釣の重みをもっております。
13  ガンジーに見るこうした「実践」像は、二十世紀に猛威を振るった急進主義的イデオロギーが生み出した革命家像や人間像と著しいコントラストを成しております。献身的な理想主義者ではあるが、偏狭で独善的で、自らの主義を通すためには、流血をともなう武断主義に訴えることも辞さない――ボルシェヴィズムは、こうした血気にはやる革命家群像をおびただしく輩出しました。
 ロシアの詩人パステルナークが、『ドクトル・ジバゴ』で厳しく糾弾しているのも、この種の急進主義的イデオロギーであります。
 すなわち急進主義の使徒たちは、「一度として人生のなんたるかを知ったことのない連中、人生の息づかい、人生の魂を感じたことのない連中」(ポリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』下巻、江川卓訳、新潮社)である、と。
14  文豪タゴールの甥のソーミエンドラナート・タゴールも、その痛ましい症例であったようであります。
 かつてはガンジー主義者で、後に共産主義者となったこの青年が、ガンジーに激しい敵意を燃やして訪ねてきたときの様子を、ロマン・ロランは『日記』の中に、綴っております。それは「高潔な理想主義者で、きわめて真摯で、自分の信仰のために一切を犠牲にする覚悟でいる」(宮本正清・波多野茂弥訳、前掲書)優れた一青年が、「革命の旋風に捲きこまれた個人の魂たちの致命的な狂気」(同前)に陥っていく悲難でありました。
15  昨年のソ連邦の崩壊で、口シア人がフランス革命を終わらせたとの声が、一部で聞かれました。
 ある意味で、確かに共産主義の死は、フランス革命からロシア革命へと受け継がれてきた近代の合理的で急進主義的なイデオロギーの死に繋がっているといえるかもしれません。ガンジーは、いち早くそうしたイデオロギーの″アキレス腱″を見破っていました。「合理主義者はあっばれである。しかし、合理主義が全能を主張するときには、ぞっとする化け物となる」(古賀勝郎訳、前掲書)と。
 ガンジーの一生を色濃く染め上げている漸進主義的「実践」像は、それゆえに尊く、永遠に不滅であると、私は信じるのであります。
16  第三に、当然のことながら、ガンジーにあって欠かすことのできないのは、その「民衆」観であります。
 民主主義の今日、民衆の名を口にする人は数多くいます。しかし、どれだけの人が、どれだけの指導者が、真に民衆の側に立って働いているか。大半は民衆におもねり、利用し、裏では民衆を愚弄しているといっても過言ではないでありましょう。
 だが、ガンジーは、正真正銘の民衆の″友″であり、″父″でありました。全身で民衆の中へ入り、全身で苦楽をともにし、全身で民衆の心を深く知り、つかんだ、彼の無私と献身の生涯は、文字どおり″聖者″の名にふさわしい。
 「神はなぜにそのような(=アヒンサー〈非暴力〉の)大実験のために私ごとき不完全な人間を選ばれたのか」(同前)と自問しつつ、ガンジーは言います。
 「神はわざとそうされたのだと思う。神は、貧しく無言で無知な大衆に仕えねばならなかった。完全な人が選ばれていたならば、大衆は絶望してしまったろう。大衆は同じ欠点を持った人間がアヒンサーヘ向かって進むのを見て、自分たちの力量に自信を持ったのだ」(同前)と。
17  私はこの、民衆へのあふれんばかりの愛情と同苦の思いが横溢している姿に、心の底からの感動を禁じ得ません。私どもの信奉する日蓮大聖人も、一介の名もない漁師の生まれでしたが、そうした御自身をむしろ誇りとされ、民衆仏法の旗を高く掲げられていったのであります。
 ガンジーの「民衆」観は、私に大乗仏教の菩薩道の真髄、真価をほうふつさせてやみません。
 しかし、彼の「民衆」観は、虐げられし人々への愛情、同苦、憐憫といった″慈母″のような側面ばかりではなかった。非暴力を体得させることによって、民衆に自分自身をば「弱者」から「強者」へと鍛え上げさせていく、″厳父″の側面も併せもっていました。
 ゆえに、ガンジーは、「一人に可能なことは万人に可能であるというのが、私の常に変わらぬ信条なので、実験は私室ではなく野外で行なってきた」(古賀勝郎訳、前掲書)との信念のままに、ためらうことなく民衆の″海″へ飛び込んでいったのであります。
18  「一人に可能なこと」とは、いうまでもなく「人間のできうる限りの完全な自己浄化」を目指す、強者の非暴力であります。
 この非暴力の高き理想を、「万人に可能」ならしめんとして民衆に訴え、強者たれ、強者たれ、と叫び続け、あのような大規模な大衆運動にまで組織化していった例は歴史上かつてなかった。
 アインシュタインは「われわれの時代における最大の政治的天才」とガンジーを称えておりますが、私は、その「われわれの時代」を「人類史上」と置き換えても、決してほめすぎにはならないと思う一人であります。
 その天才性は、多くの人々が疑問視するなか決行され、近代インド史上に燦然と輝く成果を収めた、あの″塩の行進″の着想などに、いかんなく発揮されるわけであります。その天才を支えていたものこそ、ガンジー独自の透徹した「民衆」観であった。そのことを、身近で一番よく知っていた人が、盟友ネルー初代首相であったと思います。
19  彼は、主著『インドの発見』(辻直四郎・飯塚浩二・蟻山芳郎訳、岩波書店)において、ガンジーの登場を「一陣の涼風」「一條の光明」に譬え、まことに生き生きと描き出しています。
 なかでも、私が注目したのは、ガンジーが、民衆の心から「どすぐろい恐怖の衣」を取り除くことによって「民衆の心の持ち方を一変させた」という歴史的な事実であります。長年の植民地支配がもたらした権力への恐怖、それにともなう卑屈、臆病、諦め等々の弱さから解放されることこそ、強者への第一歩であった。
 強くなれ、強くあれ、との彼の励ましは、「善良さには知識が伴っていなければならない。単なる善良さはたいして役に立たぬ。人は、精神的な勇気と人格に伴った優れた識別力を備えていなければならない」(古賀勝郎訳、前掲書)という言葉にもよく表れております。善良さや強さは、賢明さの裏付けがあってこそ十全な力を発揮できるからであります。
 ネルーは「恐れるな」との教訓を、ガンジーからのインド民族への最大の贈り物、としました。
 民衆がいかなる権威や権力をも恐れなくなってこそ、民主の時代の夜明けではないでしょうか。そうであるならば、ガンジーのメッセージはインドに限らず、全地球上の民衆への贈り物として、未来永遠に輝きを増し続けるでありましょう。
20  最後に、文明論的観点から「総体性」について触れてみたいと思います。
 西欧主導型の近代文明の欠陥を一言にしていえば、あらゆる面で「分断」と「孤立」を深めた点にあります。「人間と宇宙」「人間と自然」「個人と社会」「民族と民族」、更に「善と悪」「目的と手段」「聖と俗」等々、すべてが分断され、そのなかで人間は「孤立化」に追いやられていった。人間の自由や平等、尊厳を追求した近代の歴史は反面、そうした孤立化の歴史でもありました。
 ところで、ガンジーが全人格と全生涯をもって語りかけてくるものは、そうした近代文明に対するアンチ・テーゼ(対立する主張)であったことは、いうまでもありません。確かに、有名なチャルカ(紡ぎ車)に象徴される彼の文明批判は、全面的に受け入れるには、あまりにもラジカル(極端)すぎるかもしれません。
 しかし、私が何よりも尊いと思うのは、ガンジーの言々句々、挙措動作が、巧まずして発散している一種の世界感覚であり、宇宙感覚であります。すなわち、「分断」と「孤立」を乗り越え「調和」と「融合」を志向する、「総体性」ともいうべき感触であります。それは、ガンジーの次の心情に端的に吐露されていると、私には思えてなりません。
21  「私は全人類と一体化していなかったならば、宗教生活を送れなかったろう。それは、私が政治に立ち入ったから可能になったのである。今日、人間のあらゆる活動は全体として不可分のものとなっている。
 人間の仕事を社会的なもの、経済的なもの、政治的なもの、純粋に宗教的なものというように完全に区分することはできない。
 私は、人間の活動から遊離した宗教というものを知らない。宗教は他のすべての活動に道義的な基礎を提供するものである。その基礎を欠くならば、人生は『意味のない騒音と怒気』の迷官に変わってしまうだろう」(古賀勝郎訳、前掲書)と。
 まことに明快な論旨であります。
 その宗教観は、宗教と生活を不可分のものとし、宗教を人間の諸活動の源泉ととらえる大乗仏教の在り方と、見事に符合しております。
 政教分離は近代政治の原則ですが、それは必ずしも宗教を人間の内面的私事に限定するものではなく、むしろ純化された宗教性が、人間社会の万般を潤していくことなのだ――″マハトマ″は、こう訴え、語りかけているようであります。
22  私は、ガンジーの高弟J・P・ナラヤン氏との十三年前の出会いを思い出します。
 ガンジス川中流の田園の町パトナの私邸に氏を訪ねました。その時の一時間に及ぶ語らいは、今も鮮やかに脳裏に焼き付いております。
 ナラヤン氏の「総体革命」という考え方に強くひかれた私は、率直に問うてみました。「総体革命』について私も以前から提唱してきました。結局は一人一人の人間革命が基本になり、そこから政治、教育、文化など各分野の変戦につながっていくのではないでしょうか」と。それに対し、氏は「全面的に賛成です」と即座に応じてくれました。
 病魔と闘っておられる日々でしたが、病身とは思えぬ力強い口調が印象的でした。そこに、私は、様々な試練にさらされつつも、脈々と受け継がれていく、ガンジーの魂の深い息づきを感じたのであります。
23  ″開かれた宗教性″に人類蘇生の道
 今から三十年以上も前に、現代の″脱イデオロギーの時代″を予見していた、アメリカの思想家ダニエル・ベルは、「神聖なものの復活、すなわち新しい宗教的な形態の勃興はあるのだろうか。私は、このことに関し疑問をもっていない」(『二十世紀文化の散歩道』正慶孝訳、ダイヤモンド社)とも述べております。
 私はガンジーが「宗教とは、宗派主義を意味しない。宇宙の秩序正しい道徳的支配への信仰を意味する」と訴えている、開かれた精神性、宗教性こそ、それに呼応するものと思っております。
 ガンジーは、この大いなる精神性、宗教性は、あらゆる人々の中に平等に宿っている、その内なる力を眠らせたままでは決してならない、それを全人類に目覚めさせていこうと呼びかけているように思えてならないのであります。
 「真理は神である」をモットーとし、セクト性を徹底して排しつつ、ガンジーが心に抱いていた″聖なるもの″こそ、この精神の力ではないでしょうか。それこそが凶暴なイデオロギーによって痛めつけられた人々の心を癒し、蘇生させ、人類史を開きゆく大道であることを、私は信じてやみません。
 私がこの「平和の王道」を恩師から学んだのは、戦後まもない十九歳の時であります。以来四十五年間、波瀾万丈の民衆運動に身を投じてまいりました。
 これからも更に、ガンジーが生涯、民衆の中で、魂と魂の美しい共鳴を奏で続けたあの姿をしのびつつ、尊敬するインドの皆さま方とご一緒に、「不戦」「平和」への大いなる精神の連帯を、世界へ広げてまいる決心であります。
24  最後に、ガンジーに「マハトマ(偉大なる魂)」との尊称を贈ったタゴールが、「人間」と「社会」と「宇宙」を貫く永遠なる生命の律動を見事に謳い上げた詩の一節を朗読させていただきます。
 「昼となく夜となく わたしの血管をながれる同じ生命の流れが、世界をつらぬいてながれ、律動的に鼓動をうちながら 躍動している。
 その同じ生命が 大地の塵のなかをかけめぐり、無数の草の葉のなかに歓びとなって萌え出で、木の葉や花々のざわめく波となってくだける。
 その同じ生命が 生と死の海の揺監のなかで、潮の満ち干につれて ゆられている。
 この生命の世界に触れると わたしの手足は輝きわたるかに思われる。そして、いまこの刹那にも、幾世代の生命の鼓動が わたしの血のなかに脈打っているという思いから、わたしの誇りは湧きおこる」
 (「ギタンジャリ」森本達雄訳、『タゴール著作集』1〈詩集I〉所収、第三文明社)と。
 ご清聴、ありがとうございました。
 (平成4年2月H日 インド、ガンジー記念館)

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