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日蓮大聖人・池田大作

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「融合の地」に響く地球主義の鼓動 ブエノスァイレス大学記念講演

1990.3.1 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

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2  そうしたなかにあって、二十一世紀へ向けての最大の課題は何か。私は、ナショナリズムとグローバリズムをどう融合させるか、すなわちグローバリズムを志向しつつ、どうナショナリズムの新しい秩序づけを行うか、という問題であると思います。それは例えば、ソ連や東欧諸国における民族運動の沸騰や、ドイツ統一、一九九二年に予定される欧州統合の問題などにも、″ポスト・ヤルタ″の世界が直面する最大の試練として、既に先鋭的に現れております。もし、対応を誤れば、収拾のつかない混乱を招くことは必至であり、はるか地平線上に顔をのぞかせたグローバリズムの太陽も、たちまち黒い雲に覆われてしまうでありましょう。
3  今、私の脳裏には、この一月に親しく会談した貴国のデ・ラ・グァルディア駐日大使の一言が鮮やかに蘇ってまいります。それは、私がアルゼンチンの国民性についてうかがった折のことでした。大使は「一口で言うのは難しいが」と断られながら、その特質を「融合の地」と表現されておりました。まことにすばらしい洞察であり、特質であると思います。私が申し上げるまでもなく、貴国は、その地勢自体、国内にいて世界中の風景を楽しめるといわれるほど多様であり、また国民も多様な諸民族の融合によって構成されております。私は、この「融合の地」という溶鉱炉から、未来に向かって限りない可能性がたぎる音を聴き取る思いがするのであります。
4  つまり、融合が生むカオス(混沌)は単なる無秩序では決してない。それは新たなコスモス(秩序)の星雲を生成しゆく創造的な渦であり、いわばカオスの噴流の中でこそ人間の創造的生命のダイナミックな躍動がある。これは、諸民族の「融合の地」アルゼンチンの姿にも通じていると思います。なるほど、そのエネルギーは沸騰点への過程にあるかもしれません。しかし、貴国を愛したフランスの社会学者E・モランがヨーロッパを評した言葉「生成的混沌」(『ヨーロッパを考える』林勝一訳、法政大学出版局)という言葉は、そのまま貴国の特質と二重写しになってきはしないでしょうか。そこに、私が貴国に新たなグローバリズムの先駆を見る理由があるのであります。
5  世界市民的人間像こそ時代の先駆
 さて、こうしたボーダーレス時代は、それにふさわしい新しい「人間像」を求めております。その点でも、南米独立の魁として、誇り高き「自由」と「自治」の精神に裏打ちされた個人主義が根を下ろしている貴国の伝統は刮目に値します。更に「融合の地」が育んだコスモポリタン(世界市民)的な雰囲気もある。
 このいわば「個の自立」のベクトルと「世界性」のベクトルの調和に、私は注目したい。
 貴国の代表的詩人ボルヘスは、想像力の翼の赴くままに時間と空間を超越した迷官に分け入り、「ただひとりの不死の人――それがすべての人間である」(『不死の人』篠田一士訳、『世界の文学』9所収、集英社)と、一人が万人を包含し、万人が一人に極まる不思議に迫っております。すなわち、一個の人間の内奥を「タテ」に掘り下げて「普遍」と出あうのであります。更にボルヘスは「アルゼンチン人は一市民であるまえに一人間であるというのが真相なのだ」(同前)とも言っている。つまりこれは、「ヨコ」に国家という人為的枠組みを突破して「人間」という「普遍」を見るのであります。こうしてボルヘスのこの「タテ」と「ヨコ」からの凝視が焦点を結ぶ地点に立ち現れてくるもの――それが「個の自立」と「世界性」を併せもった「コスモポリタン的人間像」のイメージであります。
6  広大なパンパで生き抜くガウチョ(牧童)の姿を描いた貴国の文学史上の傑作『マルティン・フィエロ』(ホセ・エルナンデス)。今なお人々に愛誦されているといわれるこの名叙事詩の最後で、主人公のフィエロがこう謳っております。
 「俺のすべての兄弟たちの幸せ不幸せは 俺の幸せ不幸せ 兄弟達は俺の生き方を誇りをもって心の中にとどめ 同胞達はいつまでも 俺のことを想い出してくれるだろう」
 だれびとの庇護も求めない独立不覊どくりつふきの生き方の象徴であり、いささかアウトロー的でさえあるガウチョ的な人間像のなかに、こうした「同胞(パイサーノ)」への限りない共感の念が脈打っていることに私は心ひかれます。自立した個人がその胸中に呼びかける「同胞」という言葉が「人類」と同義になる時代こそ、新しい世紀であると思うのであります。
7  さて、このようなコスモポリタン的個人が世界に貢献しうる最大の課題として、今後、世界的に急浮上してくるであろうものは人権問題であります。
 皆さまもご存じのように、近年「第三世代の人権」がクローズアップされ、心ある人々の注目を集めております。それは自由権的基本権としての「第一世代の人権」、生存権的基本権としての「第二世代の人権」に対して、発展・環境・平和などを内容としています。第一、第二の人権が″国家からの自由″の保障や、国家に要求する性質の権利だったとすれば、「第三世代の人権」は、もはや国家の枠を超えた地球的規模での対応なしには真の解決を望めない性質のものである点に際立った特徴があります。
 例えば、「環境問題に対する権利」を取り上げてみても、汚染されない空気や水とともに生きる権利を確保するには、国境や国益にとらわれていては解決できず、グローバルな視野と人類益の発想に立つほかはない。まさにボーダーレス時代こそ、コスモポリタン的個人の出番であると、私は信じてやまないのであります。
8  ともあれ、あらゆる閉鎖的な考え方が変更を迫られ、崩壊していくのが、ボーダーレス時代の潮流であります。個人においても、自分を超えて人類全体と関わっていることを自覚できるような生き方が求められているといってよい。そのような価値体系の一つとして、私は人権問題への取り組みを挙げたい。そして貴国の国民性のなかに、とりわけ若い世代の皆さまに、その旗手としての大いなる可能性を見いだすのであります。
9  最後に、本日が、歴史ある貴大学と、はるか日本の若い大学である創価大学との、学術・教育交流の第一歩となれば、これ以上の喜びはありません。貴国並びに貴大学のますますのご発展を心より念願しつつ、私のささやかな挨拶といたします。
 (平成2年3月1日 ブエノスアイレス大学 池田博正氏が代読)

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