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日蓮大聖人・池田大作

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第19回「SGIの日」記念提言 人類史の朝世界精神の大光

1994.1.26 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

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1  「共生」の秩序へ新たな構想
 冷戦終結後四年、世紀末の乱気流が勢いを増すなか、時代は大きな曲がり角を迎えているようであります。世界情勢は流動化の現象が著しく、めまぐるしい変化の連続であります。冷戦が終わって、人類にとって、より希望のもてる新たな世界秩序の方向が見えてくるのではないかとの期待は早くも裏切られ、前途は混沌として何が起こるかわからない闇に包まれております。
 とりわけ世界経済を覆う不況という暗雲によって、各国とも経済的に困難な局面を迎え、生き残りに必死の様子がうかがえます。こうした時はどうしても目先のことに一喜一憂し、心が内向きになりがちであります。そこで大事なことは、決して閉鎖的な心でなく、広々とした地球的な材げで進路を模索することであります。
2  これだけ相互依存が進んだ世界にあっては、もはや一国のみが繁栄を願っても不可能であり、ともに協力しあい、共存共栄の道を探る以外にありません。国と国との関係であれ、人間と自然との関係であれ、ともに生き、ともに栄える「共生」が時代のキー・ワードといえましょう。今、必要なのはグローバルな「共生のための総体革命」であり、そのためには人類の精神的変革が必要であります。私どもが進めている「人間革命運動」は、その基盤となるものであります。
 同時に時代の先行きが不透明であればあるほど、悲観主義に陥ることなく、いい意味での楽観主義で、「希望」を合言葉に挑戦の気概を強くもって進むことが大事でありましょう。
3  泥沼化する旧ユーゴスラビアの内戦、イタリア、口シアにおける極右・右翼勢力の台頭、ドイツのネオ・ナチの横行など、昨今の世界情勢に不安材料は多々ありますが、一方、明るい予兆も見られます。昨年、パレステナ暫定自治協定の調印で、中東和平に画期的な第一歩がしるされました。しかし、その実施の段階で足ぶみ状態が続いております。もつれた糸をほぐすのは簡単ではないということであります。ゴルバチョフ元ソ連大統領は昨年、創価大学に来学した折の講演で、「一番重要なことは、人類の英知を思慮深く結集させること」とし「今、重要なことは進歩と漸進的な改革であります。この漸進性こそ、人間が本然的に備えた性質であり(中略)新しい時代を切り開く最良のいき方であります」と語っておりました。
 急進主義イデオロギーの″悪″をつぶさに体験してきた人だけに、この言葉には、新しい発想で困難な時代を切り開いてきた人間政治家の知恵の輝きが感じ取れます。平和、発展、共生へ向けて人類の英知を結集し、地道に一歩一歩、粧り強く変革の道を進む以外にないということであります。
4  私は、本年最初の平和旅をアジアから始めます。いうまでもなく、明年、日本は終戦から五十周年の大きな節目を迎えます。戦後、日本は欧米の経済に追い付け追い越せを合言葉に進んできましたが、アジア諸国への配慮は戦争責任の問題を含め決して十分とはいえませんでした。戦後最大の転換期ともいうべき時を迎えて、我が国は身近な足元から来し方行く末を見直す必要に迫られているといえましょう。
 まずアジアの一員として責任ある行動をとり、アジア諸国から信頼される存在にならねばならないというのが、私の決意であります。「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」という合言葉があります。地球的視野で発想し、身近な地域から行動を起こす、という意味であります。私自身の決意としては、この「地域」をアジアにまで広げ、自らの行動を起こしたのであります。
5  アジア・太平洋文明を展望
 今から八年前、私は第十一回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」を記念する提言(本全集第1巻収録)の中で、アジア・太平洋時代を展望し、「アジア・太平洋平和文化機構」の構想を提示しました。併せて首脳が一堂に会する「アジア・太平洋サミット」の開催も提案しました。
 アジア・太平洋諸国が地域的な問題、すなわち平和と人権を守り、軍縮と経済発展を目指しつつ、文化・学術交流を推進し、平等な立場で話し合える恒常的な場を創出することを願った構想であります。アジア・太平洋諸国間の平等互恵の協力関係の進展のために、その連携の拠点となるものが是非とも必要だと考えたからであります。
 その際、漸進的に、できるところから手をつけて、相互信頼に基づく恒久的な話し合いの機構を一歩一歩作り上げるという柔軟な精神で進んでいくこと、最初は緩やかな「会議体」のような形でもよいと申し上げました。
6  当時、私が脳裏に描いていたのは、欧州における秩序作りの試みをアジア・太平洋においても構想できないかということでありました。すなわち欧州のCSCE(全欧安保協力会議)のような話し合いの機構が、アジア・太平洋にも必要になっているということであります。CSCEは地域機構を常設するというのではなく、加盟各国が一堂に会して会議を連続して行い、成果を積み上げていくというものでありました。
 私はこうしたいわば柔軟性をもった対話の場をアジア・太平洋地域に設けたいという基本的認識のもとに、この構想を提唱しました。特に新しい発想として、各国のNGO(非政府組織)とリンクさせ、「平和」「軍縮」「発展」「文化」を基本的座標軸に、「民衆の声が届くフォーラム」「民衆の声を生かす機構」であってほしいと願っての提言でありました。
 私がここで特にアジアのみならず「アジア・太平洋」という枠組みを設定したのは、一つは極めて多様性に富んだ、新しい文明の地平委を切り開く可能性をもつ地域としての、アジア・太平洋文明に期待してのものであります。
 かつてEC(欧州共同体)生みの親といわれるクーデンホーフ・カレルギー博士、更に歴史家のアーノルド・トインビー博士は、私との対談の中で、独自の歴史観に立って大平洋文明の到来に強い期待を寄せておられたことが忘れられません。
7  「国連アジア本部」の新設を
 もう一つは、やはりアジアと深い関わりをもつ米国を抜きにした構想は現実にそぐわないと考えたからであります。問題は米国、中国、日本、そして、できればロシアなども含めて、いかに相互に協調・協力していけるかであり、それが常に私の念頭から離れない課題であります。大きく見れば、それは「歴史」「文化」「民族」「社会」が異なる米国文明、中国文明、日本文明等々、諸文明の「協調」と「融和」への壮大な実験といえましょう。
 昨年、シアトルで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)は、そうした私の構想を前進させる予兆を感じさせるものがありました。私は特にAPECのビジョン声明で「コミュニティー(地域社会)」を打ち出したことに注目しました。今世紀初めてアジア・太平洋が一つのまとまりとしての地域社会の旗を掲げた積極性を評価したい。
8  八年前、私はアジア・太平洋サミット開催の必要性を強調しましたが、はからずも昨年、APEC加盟国の首脳が一堂に会しサミットが開かれた意義は大きい。それぞれの国のもつ相違点は相違点としつつ、「開かれた地域主義」をモットーに相互理解を進め、友好関係強化の方向に前進しはじめました。APECは緩やかな結合体を目指しつつ、今年も首脳会議が開かれる予定であり、制度化への流れが感じられます。
 更に、本年注目すべき動きがもう一つあります。それは、日本がリーダーシップをとってAPECの文化版ともいうべき「アジア・太平洋文化交流・協力会議」(仮称)の創設を目指すと伝えられていることであります。
 NGOの力も生かし、民間レベルでの「アジア太平洋地域社会知的交流推進ネットワーク」作りも提案するということであります。かねてから経済や安全保障面だけでなく、「教育」「文化」という視座を重視することを強調してきた者として、私はこうした動きを率直に歓迎したい。
9  昨年の九月、ハーバード大学を訪れ、二度目の講演をいたしました。その際、ハーバードで人々の話題にのぼっていた論文にサミュエル・ハンチントン教授の「文明の衝突」があります。
 それは、冷戦終結後の世界では、西欧、儒教、日本、イスラム、ヒンズー、スラブ、ラテン・アメリカといった七つの文明の衝突が問題であり、紛争の要因になるというものであります。なかでも世界は西欧対非西欧の「文明の衝突」により、最大の暴力的紛争の危険性があると見ております。
 問題はこうした衝突なり、対立なりを回避し、どのようにして共生の秩序を作っていくかでありましょう。
 確かに、この世界には異なる民族がそれぞれの文化、宗教をもって文明を形成しております。しかしそうした文化や宗教の違いが必ず対立、衝突につながるわけではありません。歴史的に見ても文化、宗教などが異なった民族同士が仲良く暮らしてきた例は多い。
 問題はどういう条件のもとに、そうした対立が生じるかを知り、その解決法を探ることであります。
10  従って、そうした対立、衝突が紛争にならないような協調の思想を基盤にした抑制の仕組みをどう重層的に作り上げるかが鍵といえましょう。ここでのキー・ワードは秩序を生み、維持しゆくものとしての「協調」であり、とりわけ「抑制の思想」であります。
 これはまた「ソフト・パワーとは競争力ではなく、協調力である」とのジョセフ・ナイ氏の言葉を借りれば、競争による「分断」を回避し、「協調」「結合」をもたらすソフト・パワーを基調にすることであります。そこで必要なことは、いかに自制力、抑制力を国際社会の行動原理にし、共同体システムの中に組み込んでいくかであります。
11  私は、かねてからアジア地域に国連の地域本部、すなわち「国連アジア本部」が必要であると考えてまいりました。既に国連の機関としては、バンコクにアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)、東京には国連大学がありますが、アジアは人口十二億の中国、八億のインドをはじめ、巨大な人口を抱えていること、第二次大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争をはじめ、長年戦人のなかにあり、今も地域紛争や北東アジアの分断対立など、平和を脅かす問題を抱えていること、更には人権問題や環境問題が深刻化していることなどから、アジアに国連の地域本部があってしかるべきではないでしょうか。
12  欧州には全欧安保協力会議があって新秩序作りに貢献しており、ジュネーブには国連欧州本部があって国連機関の本部も多く所在しております。同様にアジアとしては、「アジア・太平洋平和文化機構」と「国連アジア本部」の二つの柱が必要でありましょう。
 「国連アジア本部」を設置する場所として、私がまず想起するのは、一つは、釈尊の平和思想の母なる国であり、アショーカ大王を生み、今世紀は偉大なるガンジー、非同盟諸国をリードしたネルー首相を生んだ「精神の大国」インドであります。
 もう一つは「戦争と暴力の世紀」であった二十世紀の悲劇の象徴の地である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を分断する広大な「非武装地帯」であります。
 「国連アジア本部」と「非武装地帯」という連想は、この地の歴史を振り返ると、また、荒涼たる不毛と対立の地である現実を見るとき、理想と現実の大きな隣たりを感じるかもしれません。
 しかし、南北分断の半世紀の歴史を踏まえた長期的な展望のうえから、二十一世紀のアジアのためという私の心情の発露を汲み取っていただければと思います。南北分断の基本的問題については、更にこの後に詳述いたします。
13  世界NGOサミット開催を――ボストン二十一世紀センターを活用
 昨年末、来日した国連のガリ事務総長にお会いした際にも、私は「国連アジア本部」の提唱を伝えました。明年は国連が創設されて五十周年を迎えます。ガリ事務総長からも、五十周年への協力を要請されました。私どももNGOとしてできるかぎりの協力をしたいと考えております。今のところ国連本部のあるアメリカを中心に五十周年の佳節を祝し、民衆の意識を盛り上げる意味で幾つもの企画を立てております。
 アメリカSGIは、国連発祥の地サンフランシスコで「記念文化祭」、ニューヨークで「国連ルネサンス会議」、フイラデルフイアで「世界民族文化展」、フロリダで国連「世界子どもの日」参加のフェスティバルなどを計画しております。更にアメリカSGI青年平和会議では、五十周年を目標としながら国連への具体的な支援、国連改革のあり方を検討し、提言としてまとめていく予定であります。
14  周知のように、国連は、第二次世界大戦の戦勝国。米、英、仏、ソ、中の五カ国の意向を中心に創設されました。以来五十年近く経過し、国際情勢も当時とは全く異なり、加盟国が激増したなかで国連のシステム、役割が抜本的に見直されねばならない時期を迎えております。その改革の最大のチャンスが五十周年であることは間違いありません。
 その意味でこれからの一年はとりわけ大事な期間となります。多くの英知を結集しながら、冷戦後の新しい時代にマッチした国際機関として、真の意味での国連ルネサンスを成し遂げねばなりません。
 私は昨年、米国のボストンを訪問した際、SGIの平和貢献のための一つの拠点として、現地に「ボストン二十一世紀センター」を創設いたしました。周知のようにボストンは世界的な学術・知的分野を担う一大センターであります。私は、ボストン二十一世紀センターに、二十一世紀に貢献する様々な英知の発信所になることを期待しております。
15  国際的な英知の人々の力も借りながら、徐々にセンターの体制を整え、グローバルな諸問題への提言もしていってはどうかと考えております。その一つの試みとして、二十一世紀センターが専門家の協力を仰ぎながら、国連五十周年を目指し、国連改革の提案をまとめてはどうか。
 ガリ事務総長にお会いした際、私は、「国連アジア本部」構想とともに、国連がもっとNGOの力を最大限に生かす方法を考えるべきだと申し上げました。これには事務総長も全面的な賛意を示してくれました。
 国連が、人類、民衆の代表の集まりという側面を強めていくために、五十周年を記念して「世界NGOサミット」あるいは「世界NGO総会」を、新たな発想で開催していくとの提案であります。
 「民衆の声が届く国連」「民衆の声を生かす国連」こそが国連改革の基盤だというのが、私の基本的発想であります。その意味で主権国家の枠を超えたグローバルな立場に立って、ポストン二十一世紀センターはNGOの視座から国連改革の提案をまとめてほしいと思います。
16  平和憲法生かす国際貢献
 現実の国連改革の動きの焦点は安保理事会の改革になっております。すなわち安保理事会の理事国を増やし、構成を変甦するための改革の検討が、昨年九月からの第四十八回国連総会でスタートしております。これに関連し、私は、日本の国際貢献のあり方、特に国連へのコミット(関与)の在り方について触れておきたい。
 このたび、旧ユーゴスラビア問題担当の国連事務総長特別代表に明石康氏が就任しました。解決の展望が開けない非常に困難な職務にあえて挑戦された氏の決意に、同じ日本人の一人として私は強い共感をおぼえます。厳しい寒さのなかで食べるものさえない人々の惨状が伝えられるなかで、国連の努力が実り、一日も早く平和が戻ることを願ってやみません。
17  しかしながら日本社会及び日本人の旧ユーゴ内戦への関心はまだまだ薄いのではないでしょうか。もちろん日本が紛争地域から地理的に離れているという理由もあるでしょうが、問題なのは国際平和秩序の構築に積極的に参加しようとの意識が、まだ日本人のなかに成熟していないように見える点です。
 こうした無関心、消極性の背景として、いわゆる「一国平和主義」として批判される日本人の心情があるように思われます。私は、日本人さえ無事であればそれでよい、日本さえ繁栄していればそれで満足というような利己的で受け身の発想は改められねばならないと主張してまいりました。
 これまで経済的に世界と深く関わり、その世界貿易のなかで繁栄の道を歩み大国化した日本が、「一国平和主義」的生き方をとろうとしても所詮、不可能であります。それは世界から孤立する道以外の何ものでもないからです。
 一九九〇年に勃発した湾岸戦争下での国際貢献をめぐる問題は、日本社会全体を大きく揺さぶりました。これを機に平和憲法の理念のもとで、どのような国際貢献が可能なのか論議を深めるべきでしたが、十分それをなし得なかったのは、まことに残念なことと言わざるを得ません。
 冷戦が終結し、新たな共生の秩序が模索されるなかで、日本の役割は、ますます重みを増していると思います。日本が平和憲法に適った形での明確な国際貢献の構想をもたねばならない時期を迎えていると思います。
18  そこで重要になってくるのが、国連へのコミットの仕方であり、現在、国連改革の焦点になっている安保理改革、特に日本の常任理事国入りの問題であります。日本の国際社会に占める地位を考えれば、やはり日本はこの問題を避けて通ることはできません。今日、国際社会の日本を見る眼は、「期待」というよりも、国力にふさわしい「責任」を果たすことを求めているからであります。結論的に言えば、日本は国連安保理のなかで、日本独自の役割を、より積極的に果たしていく方向を選択すべきだと思います。何よりもそれが平和憲法の戦後史に刻んできた意義を前向きに生かす道でもあるからです。戦後、平和憲法を保持し、核兵器をもたない経済大国として、軍縮、核廃絶を掲げて世界の平和に貢献してきた日本の行動を否定する者はおりません。
19  日本の平和憲法と国連憲章とは戦争を違法と見なし、「国際協調主義」を掲げる点で、同じ出自をもっているといえましょう。平和憲法の精神を世界化しようとすれば、当然、日本は国連の中で積極的な活動をしなければなりません。ただし、日本が安保理常任理事国になった場合、留意しなければならない点があります。それは平和憲法との兼ね合いで、国連の軍事的行動に日本がどう対処していくか、その基本的な姿勢を考えておかねばならないということであります。
20  国連システムを効率的に連動
 このところ国連は単なる平和維持機能から一歩踏み出し、武力行使を認める平和執行機能の強化を目指しているように思えます。冷戦終結後、国連の平和維持に果たす役割への期待が高まり、国連がそれに積極的に応えようとの意欲は高く評価されましょう。しかし、国連がそれだけの力と体制をまだもっていないのに、下手をすれば紛争の当事者になりかねない方向に踏み出すのは、よほど慎重を期さなければならないと思います。
 国連のガリ事務総長は、先日の安保理への報告書で、PKO史上初の「平和執行部隊」である第二次国連ソマリア活動について、国連部隊の武力行使による強制的な武装解除を断念し、人道援助物資の補給路の護衛活動などに重点を置いた従来型PKOに任務を転換するよう勧告しました。性急な武力行使が必ずしも有効でないことを証明する一例といえましょう。
21  ソマリアの一例をもってして、今後の国連のPKOのあり方すべてを判断するわけにはまいりません。これからも国連は、様々な事態に臨機応変に対処していかねばならないからです。しかし、その場合も、「軍事力」をハード・パワーとすれば、国連の原点はあくまでも各国を協調させ、行動を調和させるというソフト・パワーにあることを忘れてはなりません。
 従って、国連がやむを得ざる選択として一定の軍事的な措置を取らざるを得ない場合も、それはあくまでも「必要悪」としてのものであるとの認識がなければなりません。あえて言えば、武力行使に対する抑制心があるかないかということであります。
 ガリ事務総長は、私との会見のなかで愛読書について、少年時代はナポレオンとアレキサンダー、長じてはガンジーとトインビーを尊敬している、と語っておられました。この一事からも、武力行使を余儀なくされる場合はあっても、国連の本質は、システムとしてのソフト・パワーにあることを事務総長は十分わきまえられていることが推察されるのであります。
22  日本が安保理常任理事国になれば、当然、最小限の軍事的なコミットも考慮しなければならなくなりますが、その場合も平和憲法をもつ日本の行動、発言はそれなりの重みをもってくるはずです。
 現在の安保理は大国主導型とか容易に武力行使に傾きがちというような批判がなされております。こうしたなかで私が期待したいのは、日本が安保理の常任理事国に加わることにより、中小国の意向も反映させた、よリバランスのとれた選択が可能になることであります。日本が大国の横暴を抑える、いい意味での「抑制力」としての力を発揮することです。これは国連自体の正当性を高めることにもつながると思います。
23  経済社会理事会の強化望む
 ガリ国連事務総長は、細川首相との会談で日本の常任理事国入りの問題に触れ「PKOの要員派遣は常任理事国入りの条件ではない。PKOの財政負担はすべての加盟国一律の義務だが、PKO参加の義務は存在しない」と述べ、日本は人道支援や経済・社会開発の分野で積極的に貢献すべきだとの意向を示しました。
 私は、これは事務総長の率直な期待の表明であり、大事な視点を提示されたと感じました。
 様々な要因が絡んで、現在、紛争が各地で多発しております。現状は紛争が深刻化してから国連が動き出す形になっていますが、そうならないように未然に食い止める予防措置を、国連としてどうとっていくかも大きな課題といえましょう。
24  紛争の背後には貧困、飢餓、抑圧、差別など社会の政治的、経済的、文化的構造の問題が絡んでいるといわれております。特に経済的問題が解決すれば、かなりの紛争が解決すると見られています。こうした紛争の根本的原因を無視して、軍事に偏った解決策をとっても真の解決にはなりません。それぞれの地域が抱える社会的問題をどう解決し、地球全体として人々の生活を向上させ安定させていくかは、むしろ経済社会理事会の課題であります。
 従って、そこで必要になるのが安保理事会と経済社会理事会との緊密な連係プレーではないでしょうか。
 執行権をもつ強力な安保理事会に比べて、経済社会理事会は強制措置を取る権限をもたない弱い機関といわれております。その重要な使命からいっても、経済社会理事会の強化は重要な国連改革のポイントだと思われます。今後は、国連本部内の、そして国連システムの効率的な連動をいかに成し遂げるかが課題だと思えてなりません。
 日本が安保理の常任理事国になって、こうした方向へ向かう調整役としての力を発揮していけば、大きな国際貢献といえましょう。
25  青少年問題への視座――全人間的触発が不可欠
 さて、かれこれ二十年ほど前、私は「国連を守る世界市民の会」のようなものが可能かどうか、淡い構想として世に問うたことがあります。その具体化には、まだまだ道遠し、の感がありますが、いずれにせよ、一国、一民族の枠を超えた世界的視野に立った人材をどう育成、輩出していくかは、長期的観点から見た国連活性化の、いわば生命線であるといってよい。
 そして、その課題を直視するとき、現状は決して楽観を許さないのであります。特に、二十一世紀を彼らに託す以外にない青少年の眼が、明るく未来と世界に向いているかといえば、とうていそうは言えない。私がここで若干、角度を変えて、昨今の、特に先進諸国における青少年問題に触れざるを得ないゆえんも、そこにあります。とりわけ本年は国連の定めた「国際家族年」にあたっており、この関連でも青少年問題は極めて今日的な課題といえましょう。
26  ″子どもは社会の鏡″といわれるように、青少年の心は、だれよりも時代の動向を鋭くキャッチし、反応します。その点からいっても、旧ソ連・東欧の社会主義国の崩壊のもつ意味は大きい。大まかにいって、ロシア革命からソ連邦の崩壊にいたる二十世紀の大半の時期、何といっても社会主義は、人類史の理想としての位置をほぼ占有し続けてきたといっても過言ではないでしょう。
 先進国と発展途上国、洋の東西などのニュアンスの相違こそあれ、いわゆる″赤い三〇年代″といわれる一九三〇年代を中心に、社会主義は、歴史の進歩・発展を指し示す指標として、悪と不正を許さぬ多くの心ある人々、特に理想に燃える若い人たちの心をとらえ続けてきました。そうした趣数が、ようやく色あせ始めたのは、今世紀最後の四半世紀になってからでしょう。
27  雪崩をうつような旧ソ連・東欧圏の崩壊は、その衰退傾向にとどめを刺すものでありました。以来、青年らしい若々しいエネルギーの噴出、かつて″インターナショナル″を誇らかに高唱していた不屈で献身的で、理想に目を輝かせた青年群像を、世界史の表舞台で日にすることは、ほとんどなくなったかのようです。
 ″約束の地″が、虹かかるユートピアとはほど遠い、抑圧と隷属の荒蕪の世界でしかなかったことを知らされた青年たちが、混迷を極める価値観の渦潮に翻弄されつつ、頼るは金銭のみ、といった拝金主義の風潮に流されていくことは、一面無理からぬことともいえます。
 ″冷戦″の勝者といわれる自由主義諸国にしても、例外ではありません。社会のいたる所でおよそ勝者の栄光には似つかわしくない荒れ果てた地肌をさらけ出しているのであります。青少年の非行や犯罪の増加は、その象徴的事例といってよい。
28  今後を憂い、警鐘を鳴らす人は枚挙に暇がありませんが、例えば、ボストン大学のジョン・シルバー学長は、「最大の脅威は私たちの国の内部に、そして私たち一人ひとりの内に存在するのである」として、こう述べております。「私たちは、不行跡の紛れもない痕跡を帯びている。わがままの限りを尽くしてきたことのツケが回ってきたのである。気楽で豊かな生活のなかで身につけた習慣のために、私たちは最悪の状態ではないとしても、最良からはほど遠い生き方をしている。私たち自身と私たちの子孫の幸福のためには不可欠のことなのに、自制と無私を要求される決断と、できれば避けてしまいたいような決定を下す能力が、私たちには欠けているようだ。自制能力が欠如している証拠は、個人の生活のなかだけでなく、社会のあらゆる側¨面にはっきり表れている」(『何がアメリカを衰退させたか』鵜川昇監訳、イースト・プレス)と。
29  これは、とりたてて目新しい主張ではなく、たまたま手元の一冊から引いた、いわば常識であります。ルソーの古典的名言に「あなた方は、子供を不幸にするいちばん確実な方法は何であるかご存じだろうか。それは、何でも手に入れるという習慣を子供につけることだ」(『工ミ―ル』戸部松実訳、中央公論社)とあるように、わがままの是正は、良き習慣の第一歩であり、逆に自制なき自由が放恣にいたり、不幸と混乱、ひいては圧制さえ招き寄せてしまうことは、古今の道理であります。
 ただ、一番の問題は、そうした常識や道理が、そのまま無条件で、若い人たちの心に受け入れられにくくなっている現状にあります。シルバー学長は、快楽主義や物質主義への不満がアメリカ国民に広がりつつあることに、時流転換への希望を見いだしていますが、その営為、努力を尊びつつも、事はそれほど単純ではないと思われます。
30  なぜなら、そこで問い直されているのが、近代文明の推進力となってきた原理そのものであるからです。申すまでもなく近代文明は、利便と効率を進歩・発展のための第一義とし、ひたすら快楽のみを追い続ける抜き難い、ある意味では抗しがたい習性をもっていました。それが、至上の価値観をなしてきました。従って、世紀末を覆う物質主義、快楽主義、拝金主義といった暗雲は、人間の欲望に手綱をつけることを忘れた近代文明の、半ば必然的帰結であったといってよい。しかも、産業社会の進展がもたらした都市化、情報化の大波は、青少年教育の大切な場であった家庭や学校、地域共同体などを飲み尽くし、従来、躾と呼ばれてきたそれらのもつ教育的機能を著しく限定的なものにしてしまいました。
31  そうしたなかにあって、旧来の常識や道理をそのまま説くことがいかに困難であり、下手をするとパロディーの材料にさえされかねないということは、教育現場(広義の)に携わっている人々が、一番、身にしみて感じておられることと思います。
 青少年に、物質主義や快楽主義、拝金主義といった近代文明の″負″の側面を強調するだけでは、おそらく十分ではなく、それらに代わる新たな規範や価値観、欲望を制御し、自らを律しきる人格形成のあるべき姿を提示しなければならない。その信念に支えられた自制であり、自律でなければ、手応えある説得力をもち得ないでしょうし、世界市民のエートス(道徳的気風)など望みうべくもないのであります。
32  ソクラテスの生き方から
 往昔おうせき、時流のカオスの真っただ中に身をおき、その難事業に果敢に挑戦したのが、″人類の教師″であり、不滅の青年教育の大家であったソクラテスであります。当時、アテナイの民主政治の衰退期にあって、そうした時期特有の価値観の混乱が、青少年の心に暗い影を落としていたことは間違いない。プラトンの『対話編』すべては、その証左であるともいえます。そして、迷い、寄る辺なき時流に押し流され続ける若き魂の教導を一手に受けて、富と名声をほしいままにしていたのが、プロタゴラス、ゴルギアス、プロディコス、ヒッピアス等の、いわゆるソフィストと呼ばれる人々でした。
 その教導がどのようなものであったのかを典型的に示しているのが、クセノフォーンの『ソークラテースの思い出』(佐々木理訳、岩波文庫)に出てくる、プロディコスが語るところの″ヘラクレスの試練″であります。古今東西に共通する道徳教育の教科書的なパターンを示しているので、引用してみたい。
33  ――ヘラクレスが、少年から青年になろうとしているとき、自分の前にある二つの道のどちらへ行こうか迷っていた。すると彼の前へ二人の婦人が現れた。二人は容貌端麗に高貴の風があり、自ずとそなわる飾りとして身体には清らかさ、眼には羞らい、容姿にはつつしみがあふれて、純自の衣によそおわれていた」「いま一人はふっくりと柔らかな肉附きにふとり、顔は生地の色をなお白く、なお紅く見せるように化粧し、姿は生れつきよりも高く見えるようにつくり……」と。いうまでもなく、前者が美徳へ、後者が悪徳へと、ヘラクレスを誘うのであります。悪徳への誘いは、ルソーの言う「子供を不幸にするいちばん確実な方法」そのままですので割愛し、ヘラクレスに美徳を説く婦人が「真実をありのままに語ろう」と力説するのは神々の恩寵であれ、友人の信愛であれ、他の都市からの尊敬であれ、あるいは五穀の実りであれ「世の中の善にして美なる物のいずれの一つも、神々はこれを人間に労せず努めずしてお与えにはならぬ」ということであります。
 これは、ルソーどころか、孔孟流の儒教道徳にも通底している青少年教育の古典的パターンであります。そして、何人も首肯せざるを得ない道理であり、常識であり、正論でもありましょう。「世の中の善にして美なる物のいずれの一つも」「労せず努めずして」得られないという自覚の欠落こそ、まさにシルバー学長の痛嘆と軌を一にしているところであります。
34  先にも触れたように、問題は、現在、私どもが直面している社会状況が、そうした正論をそのまま説いて通用するような段階、つまり、例えば道徳教育の時間を増やすといった対応で事足れりとしておられるような生易しい段階にはない、ということであります。
 ちなみに最近、日本人の品格を論じたお茶の水女子大学教授の藤原正彦氏の文章を興味深く読みました。自らの体験を踏まえ、氏は、英国の騎士道や紳士道に比せられる日本の武士道に注目。かつては欧米の人々を魅了した日本人の品格の回復のために、武士道の見直しの必要性を痛感しつつ、新渡戸稲造の名著『武士道』(原題″Bushido, The Soul of Japan″)を大学一年生に読ませてみたところ、若者たちの拒絶反応の強さは想像以上であったようです。
 いわく「欧米型個人主義の洗礼を受けた彼等にとって、忠義、孝行、家族的自覚などは噴飯ものに過ぎず、最近の実利優先の風潮の中では、名誉や恥は第二義的なものでしかなかった。名誉が生命の上位にくるなどということは、ナンセンスと憤慨する者さえいた」と。
 こうした風潮の支配下で、価値あるものは「労せず努めずして」得られるものではないということを青年に納得させるのは、恐ろしく困難な業でしょう。まして近代文明の価値基準が利便と効率、快楽にあり、かくいう大人たちこそ、その風潮にどっぷりとつかってきたのですから、古典的な道徳観が、そのまま通用するはずもないのであります。それと知らずして、ある種の高みから賢しらな説教をしようとしても、若者たちのしらけと拒絶反応を招いてしまうだけでしょう。
35  もとより、安易な比較は禁物ですが、アテナイでその名をうたわれていたソフィストたちも、どこか後進を高みから睥睨しているような、賢しらな知りたげ風があつたにちがいない。プラトンが活写しているように「人間は万物の尺度である」で知られるプロタゴラスのような人でさえ、その臭味から決して無縁ではなかった。
 その点を鋭く突いたのが、ソクラテスであります。青少年の徳育を扱った対話編『プロタゴラス』や『メノン』を、一読してすぐ気づくことは、そのほとんどすべてを占めているのが「何が徳であるか」ではなく「何が徳でないか」の吟味であります。勇気にしろ節制にしろ、正義にしろ敬虔にしろ、プロディコスが″ヘラクレスの試練″で説いたような既成の徳目は、どれ一つとしてソクラテスの吟味の刃を逃れることはできない。
 問答の詰まるところ、すべての徳目はその根拠を突き崩され、はたして徳育というものが可能かどうかという問いに帰着してしまうのであります。
 「――私たちは以上の議論ののちに、さらに徳とは何であるかという問題にも向かって行って、そのうえであらためて、それが教えられうるか否かを考え直してみたらと思うのです」(『プロタビフス』、『築摩世界文学大系』3所収、田中美知太郎訳代表、築摩書房)。「これ(=徳)についてほんとうに確かな事柄は、いかにして徳が人間にそなわるようになるかということよりも先に、徳それ自体はそもそも何であるかという問題を手がけてこそ、はじめてわれわれは知ることができるだろう」(『メノン』、前掲書)と。
36  私は、現代社会にあって古色蒼然たる惨めな姿をさらしている徳目も、徹底してこうしたソクラテス的吟味にかけられ、その溶鉱炉を通して鋳造し直さなければ、新たな倫理規範として蘇ってはこないだろう、と思っております。それを怠って、いくら躍起になって訓戒を垂れても、若い人たちの戸惑いや拒絶反応は一向に改まらず、世代間の断層を広げるばかりでありましょう。
 ところで、ソクラテスにあって、徳とは何であったか、徳育は可能であったのか否かという課題は、哲学的には「イデア論」や「ミュートス」(神話)に連なる微妙な問題をはらんでいます。
 その点はさしおいて、教育的観点から最も大切なことは、「何が徳でないか」を検証するソクラテスの弁論の方が、「何が徳であるか」を主張するソフィストの弁論よりも、はるかに説得力があり、青年たちの心を捉えて離さなかったという事実であります。それは、影響力を恐れた権力者たちが、彼の口を封ずるために、死をもってのぞまなければならなかったという一事からも明らかであります。
37  世界市民の精神的基盤――SGI運動の人間教育的側面
 その稀有な説得力、影響力の由来はどこにあったのか。それは、ソクラテスが、だれよりも鋭敏に時代を呼吸し、だれよりも鋭く、深く時代を凝視し、だれにもまして強く、一身を賭して時代を生き抜いていたからであります。
 そうした魅力ある生き方、人間像の放射する磁気が、青年たちの若々しい感受性に伝わらないわけはない。魂の奥底では、真剣には真剣をもって、本気には本気をもって応えていくことこそ、いつの時代においても変わらぬ、若さというものの真面目であり、特権であるからであります。
 ソクラテスの影響力を、触れる者をだれでもしびれさせてしまう「シビレエイ」に擬するメノンに対し、ソクラテスは言います。「もしそのシビレエイが、自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせるというものなら、いかにもぼくはシビレエイに似ているだろう」(同前)と。
38  自らしびれているからこそ、他人をしびれさせる――これこそ、人間教育、徳育を成り立たしむる鉄則であり、いってみれば千古不磨の″黄金律″であると私は信じております。そこには、教える者が学ぶ者を高みから睥睨する風など少しもない。徹底して平等で公正な目線が保たれています。そこから響いてくるのは、一個の人格と人格とが、全人間的に触れ合い、打ち合う入魂と和気の共鳴和音であります。
 そこに形成される信頼の″かたち″こそ、古来″徳″と呼ばれてきたものであります。思うに、非行や犯罪の増加など現代の青少年問題の遠因、根因は、こうした全人間的な触発が欠落している点に求められるのではないでしょうか。少なくとも、その点をはっきりと見据えずして、様々な″対症療法″も、十分な効果を発揮し得ないのではないでしょうか。
 その意味からも、私は、私どもの進めているSGI運動の意義を強調しておきたい。なぜなら「シビレエイ」の譬えは、まさしく大乗仏教の精髄である「同苦」の精神――「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦」(涅槃経)、「一切衆生病むが故に我病む」(維摩経)等――へと、まっすぐに通じているからであります。
39  ここに、SGI運動の優れて人間教育的側面があり、その深みに棹さしているからこそ、私どもは「歴史をつくるは この船たしか」と胸を張って、人類史の大道を歩んでいるのであります。
 モンテーニュは「ソクラテスは、おまえはどこの人かとたずねられて、『アテナイの人だ』と答えずに、『世界の人だ』と答えました。彼は普通以上に充実した広い思想の持主でしたから、全世界を自分の町と考え、自分の知人や、交際や、愛情を全人類に向かって拡げていたのです」(『エセー』原二郎訳、『世界文学全集』11所収、筑摩書房)と述べております。
 SGI運動が目指すものも、そうした世界市民のエートス以外の何ものでもありません。ソクラテスにあってそうであったように、そこでは、勇気や克己、献身、正義、愛、友情等の徳目も、現代の色あせた姿を一新して、人々の胸に生き生きと脈動していくことでしょう。
 ゆえに、私は、以前(九〇年)の第十五回「SGIの日」記念提言で「宗教の名に値する宗教であるかぎり、ということは、今、人類史の要請に応えうる宗教であるかぎり、世界市民としての内実に深い精神的基盤を与えるはず」として、諸宗教間の無原則な妥協や野合よりも、むしろ、世界市民の輩出を競い合うことを慫慂したのであります。
40  北東アジア平和会議を開催
 ところで、アジア・太平洋の安全保障の面における現下の最大の問題の一つは、いうまでもなく、北東アジアの平和の問題、すなわち、韓国、北朝鮮の分断対立状況であります。
 私は、一九八六年一月に南北分断と対立の状況に関して提言をいたしましたが、その際、最も必要だと考えたことは、南北の最高責任者による直接対話と「相互不可侵・不戦」の誓約の実現を最優先すべきことでありました。最高責任者として、韓国の大統領と北朝鮮の国家主席の直接対話には至っておりません。
 しかし、九〇年九月には、初めて南北首相会談が実現しました。翌九一年十二月、ソウル市内での第五回南北首相会談においては、「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」を南北の首相が、それぞれの国名とともに署名しました。
 この合意書には「南北不可侵」が明記され、「相手に対して武力を使用せず、武力により侵略しない」「意見対立と紛争を対話と交渉を通じて平和的に解決する」こと、非武装地帯の平和的利用問題についても協議・推進することが表記されました。この合意書は九二年二月の第六回南北首相会談で、半島の「非核化共同宣言」とともに発効しました。
 これにより平和共存への基本枠は定められましたが、その後、韓国側が北朝鮮の「核開発」をめぐって疑惑解消を要求し、北朝鮮側は米軍の撤収を要求するなど双方が反発しあい行き詰まりの状態が続いてきました。
41  昨年は、南北対話にとっては、大きな試練の年でありました。北朝鮮の核開発問題をめぐって、対話は中断され、交渉は暗礁に乗り上げたまま、一向に進展を見せませんでした。
 懸案の「核査察」が実施されたとしても、まだ半島の非核化への道は多くの課題を残しており、険しいといわなければなりません。
 私は八六年の提言で、南北最高責任者の直接対話の必要性と「相互不可侵・不戦」の誓約の実現とともに、南北の合意を関係各国、すなわち米国、ソ連、中国、日本が確認し、支持決定することにより、南北間の緊張が緩和することを述べました。
 その一つの理由は南北間の合意だけでは、今日、直面しているように、大きな障害があるからであります。もちろん、関係諸国の協力、応援については、南北双方に対して干渉がましいことは絶対にあってはなりませんが、南北の合意が実現しやすい環境を作っていけるように配慮、努力することは、南北の分断と戦争に関わった周辺諸国の責任でもあり、義務でもあると私は考えるからです。
42  緊急な課題は核問題であり、同時に、長期的な視点からも、北東アジアの平和安定を実現するために、韓国、北朝鮮、米国、ロシア、中国、日本による「北東アジア平和会議」の開催が必要でありましょう。
 北朝鮮が要求する米軍の撤収という問題は南北だけでは解決できる問題ではなく、そうした環境が生まれるときに、実現の可能性が出る問題であります。
 会議では、まず、南北が合意した半島の「非核化共同宣言」に盛り込まれた合意事項を実現しやすい環境作りへ向かって協議していくことを目指すとともに、この半島の非核化のために「核兵器不使用協定」などの実現を図るべきであります。
43  南北離散家族再会のためのセンター
 私の提言の第二は、先に「国連アジア本部」に関連して触れておきましたが、非武装地帯の平和利用についてであります。
 この提言は、あくまでも人道主義、人間主義の立場から、現在は、全く不毛のこの広大な地域を平和や人権のために活用するためのものであります。
 それは、南北分断の最大の犠牲者である離散家族の救済のための緊急な提言であります。その再会、交流のために、様々な努力がされてきましたが、現実は、一千万人といわれる離散家族の悲願とはほど遠いと言わなければなりません。
 人道上から見ても、南北離散家族の再会、交流のために、板門店あるいはその他の非武装地帯のなかに「南北離散家族のための再会交流センター」開設の早期実現を提言いたします。
44  これは南北の話し合い、合意に基づいて人道的な見地から開設されるべきものですが、国連もしくは国際赤十字等の国際機関の管轄のもとに置くことも一案だと思います。現状では、南の離散家族が北に行き、北の離散家族が南に行くことに障害があるとするならば、過渡的な手段として、まず、北でも南でもない非武装地帯のなかに再会、交流の場を新たに開くことを考えることが現実的な選択であると思うからであります。
 また、それと並んで、例えば、国際的なボランテイア組織などの協力を求めて、アジアなどの発展途上国の人々への農業・工業技術指導、語学研修などを行う場所として活用することを意図したセンターの開設も一案だと思います。現在は不毛の広大な地域に、こうした国際社会に開かれた場を開いていくような構想は、長い目から見れば、結局は南北への国際的信頼感を高め、国益にも役立ち非武装地帯の再生にも突破口を開くと私は確信してやみません。
 また、日本は、こうした非武装地帯の再生化に対して、あらゆる協力を惜しまないことが、あの戦争と今日までの分断状況への責任の、何がしかの償いになっていくと思います。
45  在日韓国・朝鮮人の人権に配慮
 次に私は、戦後半世紀のなかでもう一つ最大の問題について所感を述べたいと思います。それは日本で生活する約七十万人の在日韓国・朝鮮人の人権問題であります。
 この問題は、日本の中の問題ではありますが、同時に、日本と韓国、北朝鮮のこれまでの不幸な対立的な関係を改善していくうえでも重要な問題と私は考えております。更には、日本が国際化時代において、国際社会から信頼され、認められていくためにはどうしても解決しなければならない問題でもあります。
 日本には多くの在日韓国・朝鮮人が生活しております。戦後になってから日本に移り住むようになった人もおりますが、多くは、一九一〇年の日本の韓国併合後に、先祖伝来の土地を取り上げられたりして、生きるために故郷を離れた人、戦争のために強制的に連れて来られた人と、その子孫であります。
 私が深く胸を痛める問題の一つは、基本的人権の骨格である「参政権」が、日本での永住権を認められたこれらの人々に、与えられていないことであります。日本人と全く同じように税金を払いながら、権利は与えられていないのであります。
46  ノルウェー、デンマーク、スウェーデンでは、十八歳以上で三年以上その地域に居住していれば、地方選挙権が外国人にも与えられています。オーストラリアでは、不動産税を納めれば、市町村での選挙権が認められています。フランスでは、幾つかの市町村で議会の諮問議員になれるという形で参政権の道を考慮しております。
 在日一世はもとより、日本で生まれ育った二世、三世が長年、基本的人権である参政権を認められない現状に対して、もっと関心がもたれるべきであります。戦後半世紀、日本が、国際社会の中で貢献しながら繁栄の道を求めるならば、まず、日本の中で、戦後も、様々な差別と迫害のなかで生きてきた方々の人間としての基本的な要求を実現していくことが大事だと考えるからです。
 私は二十世紀の戦争を体験した世代の一人として、あの戦争の負債が、いまだに、日本の国内でも精算されず、また、長い歴史を誇る民族が分断の悲劇から半世紀近く経過しても、その″くびき″から解放されていない現実に対して、新しい改革の流れを起こさなければならないとの思いから、幾つかの提言をいたしました。
47  包括的核実験禁止条約を
 最後に、国際新秩序を模索するなかで、何としても軍縮の流れを定着させなければならないことを訴えておきたい。世界的な景気の低迷による経済的側面からも、軍縮は喫緊の課題であります。
 冷戦が終結した際、最も期待されたことは軍備にこれまでのような無駄なお金を使わないですむようになるのではないかということでありました。ところが現実には軍縮が目立って進んでいるわけではありません。軍備に投資していた資金を減らして平和のために使う、いわゆる「平和の配当」は夢と化しております。特に憂慮すべきなのは、アジアが世界で最も大きな武器購入地域になっていることであります。
 一九八七年から一九九一年までの五年間、米国、ソ連、フランス、英国、中国の五カ国で、世界の武器輸出の八六パーセントを占め、これらの武器が国際紛争を更に泥沼化させているといわれます。特に国連安保理事会の五常任理事国で武器輸出の八割以上を占めているところに、平和の維持とは裏腹の皮肉な実態があらわれております。
48  第三世界の国々がこうした武器の購入により、それでなくとも苦しい経済状況を悪化させ、民衆の生活の改善を妨げていることは間違いありません。冷戦の終結がプラス要因になっていないことは、まことに残念なことであり、本来、食料、医療、教育などに使われるべき資金が武器の購入に回っている現実を転換しなければならない。
 この問題に手っとり早い解決策はありません。まず武器輸出の大国が率先して軍縮を進めること、軍事産業の民主化を進め、武器を大量に輸出しないよう自粛することです。多くの指摘があるように、その点では″軽武装″ゆえに目覚ましい経済発展を成し遂げた戦後の日本の歩みが、格好のモデル・ケースを提供しているはずです。
49  九一年、国連総会は日本やEC(欧州共同体)の提案で武器移転登録制度を設けました。しかし、この登録制度には義務はありません。あくまでも各国の自発的な登録に期待するだけであります。この不十分な制度では武器輸出の抑制は不可能であります。この点でも戦後一切の武器輸出に関わってこなかった日本こそ、世界の武器輸出に歯止めをかけ、武器輸出抑制の制度化に尽力する資格を有すると思います。
 と同時に、第三世界の武器購入にストップをかけるには、経済援助と絡ませる仕組みが必要といわれます。兵器の購入を厳しくチェックし、兵器を大量に購入した国には経済援助をしないというシステムが国際的に制度化すれば大きな成果が上がるでしょう。
50  明一九九五年は世界の平和にとって極めて象徴的な年になります。国連創設五十周年であるとともに、広島、長崎に原爆が投下されて五十年目を迎えます。同じく来春には核不拡散条約(NPT)を無期限延長するか、一定期間延長するかを決める再検討会議が開かれることになっております。ところで最近、核軍縮に対する関心が薄れているといえないでしょうか。
 冷戦が終結し、かつてのような核超大国同士の厳しい核軍拡競争の脅威がなくなったこともあるでしょうが、依然として膨大な核兵器が地上に存在するという脅威への関心が薄いことは憂慮しなければなりません。北朝鮮の核査察問題に象徴されるような核兵器の拡散の問題も大きな課題ですが、核保有国の膨大な核兵器を一日も早く減らし、どのようにして廃絶にまでもっていくかは、いわば全人類的な課題といえましょう。明年を節目に、こうした核兵器をめぐる様々な問題に解決への道筋をつけるべきだと考えます。
51  そのためにはまず包括的核実験禁止条約をまとめあげ、すべての核実験が禁止されねばならない。そして九五年のNPT再検討会議では、すべての核保有国に対して核兵器の廃絶が最終目標であることを改めて強く確認すべきであります。
 懸案だったウクライナの核兵器廃棄の動きは朗報ですが、仮に米国とロシアが一定の数まで核兵器を減らすことができたとしても、すべての核兵器をなくすところにまでいたるには原子力の国際管理が必要であり、そのための機関を作らねばならないでしょう。冷戦が終結し、核抑止そのものの考え方の意味がなくなった今こそ私は、この方向へ進むべきだと思います。現在のジュネーブの国連軍縮会議を、核廃棄物の処理問題などもカバーできる新たな「国連軍縮機関」にまで拡大発展させる必要がありましょう。
52  こうした平和への様々な課題を国連五十周年の大きな節目にどのように取り組んでいくか、私は関係者の真剣な検討をお願いしたい。なかんずく戦後、ヒロシマ・ナガサキの被爆体験に立脚し、核廃絶を主張してきた日本はこの歴史的な転換期を迎えて、平和へのリーダーシップを発揮すべきだと思います。
 例えば、一九九五年に「国連平和サミット」を開催し、国連に世界の首脳が集まり、全面完全軍縮への合意の流れが作れればと思うものです。原子力の国際管理案や全面完全軍縮などというと夢物語のように思うかもしれませんが、戦後まもなく米国はパルーク案という原子力国際管理案を国連の原子力委員会に提出したことがありますし、一九五二年には国連憲章を基盤に紛争解決の手段としての戦争を制度的に不可能にし、戦争のない世界を築くための包括的な軍縮提案を行っております。
53  戦争のない世界を築くも築かないも人間次第であります。それを不可能と諦めてしまうか、あくまでもその難行に挑戦していくか、そこに二十一世紀の命運がかかっております。考古学者の説くところによりますと、人間の歴史四百万年のなかで、集団同士がぶつかりあう戦争の歴史は一万年にも満たないそうであります。とするならば、戦争のない人間社会の実現は決して不可能ではないという確信がわくではありませんか。
 二十一世紀まで七年を残すのみとなりました。戦争と暴力の二十世紀のなかで翻弄されてきた民衆が、今や歴史の主役として登場する時代がやってまいりました。民衆こそが新しい共生の秩序を建設するための主体者なのであります。その民衆の国境を越えた連帯により世界の不戦を実現させ、第二の千年を希望輝く時代にしようではありませんか。そのために本年も私は、世界を駆け巡り平和のための対話を続けてまいる所存です。
 (平成6年1月26日「聖教新聞」掲載)

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