Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第15回「SGIの日」記念提言 希望の世紀へ「民主」の凱歌

1990.1.26 「平和提言」「記念講演」(池田大作全集第2巻)

前後
2  人間・平和・文化主義を基調に
 世紀の変わり目を指呼の間にした今、我々は「人間主義」「平和主義」「文化主義」の永遠の指針を更に深く胸に刻み、新しい時代の新しい先駆の道を開拓してまいりたい。
 その意味で、改めてSGIの基本路線を再確認しておきたい。
 第一に、創価学会インタナショナルのメンバーは、自国の文化、伝統を重んじ、法を尊重しつつ、良き市民として、それぞれの社会の繁栄に貢献することを目指す。
 第二に、創価学会インタナショナルのメンバーは、生命の尊厳を根本に人間文化・教育の興隆を目指す。そのために国際的な文化交流、教育交流を活発に進める。
 第三に、創価学会インタナショナルのメンバーは、戦争をはじめとするあらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の平和と繁栄に尽くしゆくことを目指す。そのために核兵器廃絶と世界不戦の実現を大きな目標とし、国連憲章の精神を支持し、国連の世界平和維持の努力に協力する路線を進む。
 SGIはこの基本路線をしっかりと踏まえ、これからの十年、世界の平和勢力として更に確固たる基盤を築いていきたい。
3  昨年、私は東京でオーストリアのフランツ・フラニツキ首相とお会いしました。その際、首相は「ラテン語の言葉に『平和を欲するならば、戦争の準備をせよ』とある。しかし、私はこの言葉を『平和を欲するならば、平和の準備をせよ』と置きかえて、活動しております」と、平和への深い心情を披歴されたのが深く印象に残っております。私も全く同感です。
 二十一世紀まで十年余。この期間に、私たちは恒久的な平和を迎えるための本格的な準備に入らねばなりません。二十世紀を総仕上げすべきこれからの十年は、世界にとってとりわけ大事な十年となるでありましょう。
 昨年末、私はベルリンのブランデンブルク門が開放される様子を伝える映像を、深い感慨をもって見つめました。一九六一年十月、私自身、西ベルリンを訪れた際、この間の前に立ったときの鮮烈な印象を、今も忘れることができないからであります。
 それは東西を分かつ壁が造られてから、わずか二カ月後のことでありました。
 以来二十八年、地殻を揺るがすような民衆のエネルギーによって、東西冷戦の象徴であった悲劇の壁が崩壊しました。私は、まさに歴史の歯車が音をたてて新しい時代へ向かって回転しはじめた感を深くしたわけであります。人類史上、こうした劇的な変化が、わずかな例外を除いてかくも平和裏に起きたことは、かつてなかったといえましょう。
4  昨年、マルタにおける米ソ首脳会談は、新たな世界秩序を模索しつつも、冷戦終結という現状を確認しあっただけで終わりました。新たな世界秩序の骨組みと、そこに至る具体的なアプローチはなお″霧の中″にあるといってよい。
 今、地球上の人々は「民意の時代」「民主の流れ」の鼓動に耳をそばだてながらも、一つの時代の終わりを迎え、その先がはっきりと見通せない漠たる不安に包まれております。それは現代が歴史の大いなる過渡期にあるからといえましょう。全地球的な課題はいまだ山積しておりますし、地域的な不安定要因は随所に見られます。
 しかし、米ソが第二次大戦後の冷戦に終止符を打ち、対立から対話と協調の体制に入ったことは、まさに画期的なことであります。今後、東西の協調体制が順調に進み、軍縮が進展していけば、世界に緊張緩和が広がり、その分、核戦争の危機は遠のき、経済の発展も促されることになりましょう。
5  その意味では、次の世紀へ向かって、私たちは一応明るい展望を開いていく可能性をもつに至りました。とりあえず大事なことは、過渡期に特有のカオス(混沌)を分裂と抗争に向けることなく、現在の望ましい流れを更に安定的なものにすることでありましょう。
 従って、長期の展望に立ちつつも、一挙に事を運ぼうとするのではなく、できることを一つ一つ積み重ねていく″漸進主義″がモットーにされねばなりません。
 と同時に、この絶好の機会をとらえ、思い切った発想のもとに、新しい時代の新しい平和構想を打ち出すことが必要であります。先行きが不透明だからといって警戒心のとりこになり、臆病になっていては、いつまでたっても道は開けない。今こそ根源的な地平から時代を見通し、長期的な平和構想に知恵をしぼるべきではないでしょうか。
 現在、急務なことは、人類はいかなる時代を迎えているのか、私たちはいかなる地点に立っているのかを冷静に分析し、確固たる時代認識と展望をもつことであります。
6  高まる″ボーダーレス″時代の鼓動
 昨年来の、転変容易ならざるソ連や東欧諸国の動向を見ていると、″人間だれしも、人間らしく生きる権利がある″との強靭なる民衆の意志が押し上げた「民意の時代」「民主の流れ」がもはや、何ものもさえぎることのできぬ、また何ものをも飲み込んでいってしまう巨大な潮流になりつつある、との感を深くします。そして、科学技術の進歩に支えられたボーダーレス(国境のない)時代の情報化の加速度的発展を思いやれば、こうした流れは、遅速の差こそあれ、早晩、人類史の主流にまで広がっていく可能性さえ十分に秘めている。否、そうしていかなければならないと思います。
 私は、昨年の「SGIの日」記念提言を「新たなるグローバリズムの曙」と名付けましたが、その後一年間の激変に次ぐ激変は、あらゆる人々の予測を越えて急テンポであり、グローバリズムの太陽は、ほのぼのと明けそめる曙の薄明を破り、はるか水平線の彼方にその赫々たる姿を現しつつあるといっても過言ではない。その太陽こそ民衆にほかならず、世紀末の今、我ら民衆勢力は、いよいよ歴史創出の主役の座に躍り出ていく、絶好のチャンスを迎えているのであります。
7  しかし、もとより手放しの楽観は許されません。確かに、映像で伝えられる東欧諸国の人々の顔は明るさに輝いております。ベルリンで、プラハで、ブカレストで……長年の圧政の範を断ち切り、運命の決定権を自らの手に取り戻した若者たちの顔は「自由」と「解放感」に輝いており、アンガージュマン(参加)を唱導したサルトルなどが存命ならば、熱烈なエールを送ったにちがいない。「新しき世紀をつくるものは、青年の熱と力である」とは、私の恩師戸田城聖創価学会第二代会長の力説してやまぬところでしたが、東欧諸国の実り多き未来のためにも、青年たちの輝く笑顔よ、永遠なれ、と祈らずにはおれません。
 東欧の新しい波は、人間性解放の運動でもあります。
 と同時に、一歩観点を変えて見るならば、なべて東側諸国の人々が希求しているものが、端的にいって西側陣営が達成した(とされている)「自由」であり、経済的な「豊かさ」であるということを、忘れてはならないと思います。
 かつて、マルクス主義は、それらの「自由」や「豊かさ」を「ブルジョア的……」の名のもとにしりぞけ、それらの「価値」の真の内実は″能力に応じて働き、必要に応じて受け取る″共産主義社会でこそ与えられると誇示してきました。そうしたユートピアが、唯物史観という進歩主義的歴史観の階梯の頂上に理想として据えられ、多くの優れた青年たちを魅了し、社会変革への志を鼓舞してきたのは、そう遠い昔のことではありません。相次いで旧来の路線と決別しつつある社会主義諸国の現状は、そうした未来図を、文字どおりのユートピア、画餅と化さしめつつあるのであります。
8  換言すれば、東欧諸国は、確かに圧政から解放されることによって、「自由」や「豊かさ」という目標を手にしたかもしれないが、その先、何も指し示されていません。東側陣営の激変は、民衆パワーというものの可能性を示し、勇気づけはしましたが、様々な難問を抱える西側の自由主義社会の未来像を、必ずしも豊かにするものではないのであります。雪崩をうつように″国境″や″壁″を超える民衆の波また波を目にして、西側の心ある人々は、勝利感などというには面映く、どこか戸惑いにも似た複雑な心境に襲われているのではないでしょうか。自分たちが手にしている自由主義社会の現実は、それほどまでに魅惑的で、誇るに足るものなのか――と。
 アメリカや西欧、日本などの先進資本主義国の内情が、勝利感に酔うなどとはほど遠いことは、申すまでもないことです。ブッシュ米大統領が命運をかけて取り組んでいる麻薬問題に象徴されるように、心を蝕む病は、深く侵攻しております。″ポスト・ヤルタ″がいわれるなかで、核戦争の脅威こそやや薄れはしたものの、環境破壊、資源枯渇、エネルギー危機、人口爆発など山積する″地球的問題群″は、我々に一刻も手をこまねいていることを許しません。
 そして何より、激動する世界のなかで経済の優位にひたり、足元は噴火山上に、ありながら、太平に浮かれ踊っている日本の現状に目をやるなら、言うところの「自由」や「豊かさ」が、人間の美質を鍛え上げるのとは、およそ逆方向に作用していることは明らかでしよう。
 九〇年代を迎えて″世紀末″がとりざたされておりますが、まかり間違えば″世紀末″どころか、人類史そのものの″終末″さえ招き寄せかねないのが、「自由」と「豊かさ」のもたらすある側面であることの、シビアな認識が欠かせないのではないでしょうか。
9  民意の時流の「明」と「暗」
 東欧諸国の解放感にあふれる喜びの表情が「民意の時代」「民主の流れ」の″明″であり″光″であるとするならば、以上に見たような側面は、その″暗″と″影″を垣間見せております。
 ここ数年の激しい変動のなかで勝ったのは社会主義であり、未来への希望が見いだせないという点で資本主義は敗北した、とのパラドックスが語られるゆえんであります。
 フランシス・フクヤマ氏(元アメリカ国務省)は、昨年大きな論議を呼んだ論文「歴史の終わり」の中で、今世紀、欧米流のリベラリズムが、ファシズムと共産主義という二つの全体主義の挑戦をしりぞけ勝利した結果、歴史は終焉し「芸術も哲学もなくなる」脱歴史時代を迎えるとして、その″苦い勝利″を、こうかみしめております。
 「″歴史の終焉″によって長く退屈な時代を迎えるような状況が、あるいはもう一度、歴史を始めようという原動力になるのかもしれない」と。
 私は、根本的なところでフクヤマ氏に異論をもちますが、人間が本然的にただ「生きる」だけでなく「よく生きる」こと、すなわち、「何のため……」という「意味への飢え」を抱き続ける存在であるかぎり「長く退屈な時代」に耐えることなど、とうていできないと思っております。そういえば作家の堀田善衛氏も数カ月前、パリの本屋から詩の本が姿を消したことを嘆いておりました。詩を欠き哲学を欠いた無意味で退屈な社会――それは、あのドストエフスキー描くところの地下室の住人、″二二が四は死の始まり″(『地下室の手記』江川卓訳、新潮社参昭)として不敵に居直り続ける地下生活者の反逆を生むこと必定であります。それどころか、そうした無意味で均質化された大衆社会こそ、笑顔のファシズムであれなんであれ、新たな装いを凝らした全体主義の格好の標的となり、餌食となってしまうにちがいありません。
10  我々は″明と暗″″光と影″が相交錯する「民意の時代」「民主の流れ」を、決してそのような方向へおもむかせてはならないと思います。
 その意味からも、私はここで、プラトンの民主主義批判を振り返っておきたい。周知のようにプラトンは『国家』第八巻において、政治制度のあり方を(1)王制(2)名誉制(3)寡頭制(4)民主制(5)僣主制――の五つに分類し、それぞれの特質や優劣を論じながら、併せてその政体に相応した人間類型の分析も行っております。ちなみに、プラトンの優劣のランクづけは、順番どおりであり、民主制には四番目の位置しか与えておらず、哲人王による政治の推奨者らしく、トップは王制であります。
 プラトンの民主制に対するこうした低い評価には、時代的背景が考えられ、一つには、プラトンの青春が、かのアテナイの民主主義の混乱と衰退期にあたっていたからでありましょう。アテナイが、スパルタとの間にペロポネソス戦争を引き起こすのは、プラトン誕生の直前です。三十年近く続いたこの大戦争が、アテナイの敗北という形で幕を閉じるのは、二十五、六歳のころであり、彼の青春のほとんどは、戦火に覆われていた。それは同時に、開戦間もなく名宰相ペリクレスを病で失い、アテナイの民主主義が急速に衰えていく過程でもあった。
11  打ち続く戦乱と人心の荒廃――人間の醜悪な面をいやというほど見せつけられながら育った、並外れて鋭敏かつ聡明な青年が、どのような人間観、政治観をもつに至るか。プラトンは、人間の赤裸々なエゴイズムというものを冷厳に見つめ、そこから現実批判の矢を放っていたはずであります。
 そして、おそらく決定打となったのは、敬愛する師ソクラテスの死刑であった。付和雷同する愚かな民衆と、彼らにおもねり扇動することしかしないデマゴーグたち――。″ソクラテスを殺したのは、アテナイの民主主義である″といわれるように、プラトンが期待を寄せていたアテナイの人々は、こともあろうに、「最も正しい人」に極刑をもって報いたのであった。プラトンが、民主制に極めて懐疑的になったのは、ある意味で当然ともいえるのであります。
 ともあれ、若き魂に刻印された深刻なる体験は、人間や社会への類まれな鋭い洞察をもたらしています。
 とりわけ、民主制が、ある種の内的必然性ともいうべきものに突き動かされて、対極にある全体主義的な僣主制へと移行していくくだりは、多少の戯画化をともないつつも、委曲を尽くした精妙な描写といい、説得力といい、この巻に限らず『国家』全編中の白眉の個所といってよい。
12  「自由の背理」という永遠の難問
 そこで浮き彫りにされるのは、人間にとって永遠のアポリア(難問)である「自由の背理」というテーマであります。民主制――「自由こそその国のもつもっとも美しいものであり、それゆえに本性において自由である人間が住むに値するのはこの国だけである」を標榜する民主制は、その表看板である自由のあくなき追求のあまり「欲望の大群」を生み出し、それによって「青年の魂の城砦」は、徐々に占領されていく。そこから、次第にはき違えが生じてくる。「慎みをお人好しと名づけて」「思慮を女々しさと呼んで」「ほどのよさやしまりのある金の使い方を、やぼったいとか自由人らしくないとか理由をつけて」それらの美徳を追放してしまう。逆に「傲慢を育ちの良さと呼び、無秩序を自由と呼び、浪費を気前の良さと呼び、無恥を男らしさと呼び」、悪徳群に「花冠をかぶらせて、盛大な合唱団とともにはなばなしくつれもどす」。
 その結果、混乱は時を追って手のつけられないものになっていくだろう。そこで事態収拾のため強い指導者が待望される。「針のない雄蜂」の群れから押し上げられた「一匹の針のある雄蜂」たる彼は、最初は確かに民衆の指導者であるかもしれない。しかし、抗し難い権力の魔性が彼を操り、早晩「僣主ヘの変化」を促すことも、また必然である。詮ずるところ「過度の自由は、私人においても国家においても、ただ過度の隷属へと変化する以外にない」。かくして、民主制という「最も高度な自由」は、僣主制という「最も野蛮な隷属」へと堕し、独裁者の支配下に入っていく。(以上、『国家』藤沢令夫訳、『プラトン全集』11所収、岩波書店、参照)
13  右のように要約してしまうと、なにやら味気なくなってしまうのですが、プラトンの説くところは、まさに「自由の病理」であり「自由の背理」であります。人類にとって自由とは、魅惑的であると同時にいかに手強く、また重い課題であり続けたのか――『国家』の悠揚迫らざる運筆の妙に乗って、迫真性と説得力を秘めた文脈を追っていくと、現代の全体主義的権力の発生の素因など思い及ぶこと多く、身につまされるような生々しい感慨をおぼえることもしばしばであります。
 こうしたプラトンのラジカルな民主制批判は、にもかかわらずやや異なる次元からH・ケルゼン、K・ポパー、B・ラッセルなどの近代民主主義のイデオローグたちの反発と反批判を浴びてきたようであります。
 その次元とは、婦人や子どもの共有、哲学者(少数者)による国家支配、あるいは詩人の追放など、プラトン描くところの理想国の全体主義もしくは極端な共産主義を思わせる制度的側面であります。論者のすべてとはいわないまでも、ラッセルがスパルタになぞらえた、それらの制度的要因が、いわば″つまずきの石″となって、多くのデモクラットやリベラリスト、ヒューマニストの目を、プラトンの民主制批判の本質からそらさせる結果になっているケースが、意外に多いのではないでしょうか。
 むしろ「プラトンの『共和国』(=『国家』)は主として各人の内面の統治をあつかっていると、指摘だけでもした人があるのか」(昼予吉訳、『アラン著作集』4所収、自水社)とのアランの読みのほうが、プラトンの本意に近い。『国家』は「制度」論というよりも「人間」論、更に言えば内なる「魂」論がその機軸であります。
 アランは、たたみかけるように言います。「同書中の政治的な部分は、気まぐれであり、まあ、性急な読者を迷わせるためのものである。なぜならば、プラトンは、誤解されるよりはまったく理解されぬことを望んだため、つねに用心したからである」(同前)と。
14  内なる魂の健康を直視せよ
 「気まぐれ」とは、アラン一流の剛直な裁断ですが、確かにプラトンの筆は、制度を論じて、すぐさま人間に転じ、おもむくところまっすぐに、人間の内面の統治という難事へと及んでいくのであります。先述したように『国家』第八巻で、五つの政体とそれに対応する人間類型に論及したあと、続く第九巻で、もっぱら「魂の健康」「魂における調和」が考察されるのも、意図するところの当然の帰結といってよい。魂を(1)理知的部分(2)
 気概的部分(3)欲望的部分、の三つに分ける彼は、他の二つが、理知的部分の支配、統御下に置かれるとき、初めて「魂」の健康や調和がもたらされる、とする。そして、第九巻の末尾では、そうした自己の「内なる国制」に目を向けることを、しきりに促している。「外なる国制」の検討は、必然的に「内なる国制」の整備を要求するのであります。
 そして、その要請は、これまた必然的に、「魂」の不死、永遠性という、プラトン畢生の大テーマヘとつながっていきます。『国家』が、死後十二日目に生き返ったエルという勇士が、自ら見てきた死後の魂の運命を語る、謎めいた一種の黄泉よみの国物語で締めくくられているのも、「魂」の調和や健康を保っていくためには、不死、永遠性という視座を欠かすことができないということの証左といえましょう。それは、宗教そのものではないが、宗教に近接する領域であります。
 少々、プラトンにこだわりすぎたかもしれませんが、それというのも私は、彼の言う「魂」の位階秩序を整えるという課題こそ、現今の「民意の時代」「民主の流れ」を広く深く定着させていくための最大のポイント、″画竜点晴″であると信じているからであります。東欧諸国を席巻する民衆パワーは、確かにすさまじいばかりの「解放」のエネルギーであり、それは、長期的な観点からいえば、いかなる権力者も、民意に逆らっては存続できないということを、まざまざと見せつけました。
15  大切なことは、その「解放」のエネルギーを、いかにして「建設」のエネルギーヘと転化させていくかであります。当面は「自由」や「豊かさ」を追うことになるでしょうが、官僚支配で疲弊しきつた経済システムを建て直すこと一つとってみても容易なことではない。ソ連のペレストロイカの難航ぶりがその証左であります。また、ソ連や東欧諸国は、極東の島国・日本では想像できないような複雑な民族問題を抱えており、これなど、解き放たれたエネルギー、パワーは、対応によっては対立・抗争を激化させる方向に向かいかねないでしょう。そこに、どう回路をめぐらし、突破口を切り開き、グローバルな「民意の時代」「民主の流れ」へとつなげていくか――。
 遅ればせながら「政治三流国」(P・ケネディ・エール大学教授)日本でも、近年、女性や市民勢力など、旧来の政治や社会のエスタブリッシュメントからはみだし、傍流視されてきた部分の民衆パワーの胎動が、旧態依然たる価値観にしがみついている既成勢力を、ようやく脅かしつつあることは、心強いかぎりであります。それを、どうグローバルな動きへ連動させ、発展させていくかということは、主権国家の枠組みを突き崩すボーダーレス時代の諸課題と相まって、今後、人類社会の命運をかけた、一大労作業となっていくでありましょう。
16  普遍的価値としての「人権」
 私は、そのためにも、人々が汝自身の「内面」を、改めて見つめ直してみる必要があると思います。「外なる国制」にもまして「内なる国制」を凝視しようとする、かのプラトンの眼であります。なぜなら、そうすることによって、目睫もくしょうの間に迫った二十一世紀を前にした現代世界の喫緊の課題であると同時に、「民意の時代」「民主の流れ」のシンボルともいうべき、人権の普遍的意義づけという難題にも、貴重な示唆が得られると思うからであります。
 今から半世紀ほど前、迫りくるファシズムの軍靴に、人間の尊厳を形成している諸価値が脅かされるのに心を痛めながら、イギリスの詩人T・S・エリオットは、ラジオを通じて訴えました。
 「世俗的な改革家や革命家の運命が一段と安易のように私におもわれる一つの理由はこういうことなのです――主としてこれらの人々は世の悪を自分の外部にあるものと考えているということです。この場合、悪はまつたく非個性的と考えられるので、機構を変革する以外に手はないということになります。あるいは悪が人間に具体化されているとしても、それはいつも他人の中に具体化されるのです――階級とか民族とか政治家とか銀行家とか武器製造業者とかいつた人々で、決して自分自身の中ではありません」(『西歐社会の理念』中橋一夫訳、新潮社)
 まさしく″アルキメデスの点″ともいうべき、根源的な指摘であります。ドミノ現象を思わせる東欧諸国の相次ぐ変動が教えるものは、ある側面でいえば、悪や敵をもっぱら「外部」にのみ求め、自らの「内部」を見つめようとしなかった誤った考え方、敵対階級さえ消滅させてしまえば一切は解決するとした階級闘争史観の崩壊であります。その「階級」を「民族」と置き換えれば、アーリア民族の血の純潔を唱えた、ナチスの悪魔的な民族理論に至ること、申すまでもありません。戦後半世紀近く経った今なお、外国人労働者の流入などに反発する極右勢力の台頭が、西欧諸国からしきりに伝えられるのも「民族」に悪を仮託する習性が、いかに根強いかを示しております。
17  それは、決して他人事ではなく、大型景気下の人手不足もあって、外国人労働者の急増している日本でも、価値観の根底を揺さぶる問題として浮上してくるはずであります。指紋押捺問題へのかたくなな対応などを見ていると、だれしも寒心に堪えないところでしょう。「内部」に目を向けよう、というエリオットの訴えは、さかのぼってプラトンのうながしは、こうして古くて新しい、切実な課題なのであります。
 「人権」を考える場合も、こうしたアプローチを欠かすことはできない。昨年は「フランス革命」と「人権宣言」から二百周年ということもあり、様々な催しが行われ、SGIもその一端を担わせていただきました。とりわけ「人権」論議は盛んだったようで、フランスのある雑誌は、『共産党宣言』の有名な言葉をもじって「ひとつの妖怪がヨーロッパを――地球を、ではないにしても――徘徊する。人権という妖怪が」と論じていたという。いわゆる「コミュニズム神話」から「フランス革命神話」への逆戻りを評したものですが、最近の東側世界の惨状を見れば、無理からぬことかもしれません。「人間および市民の諸権利の宣言」と題する「人権宣言」は、なかでも普遍的な価値を帯びた人類の理念として、改めて脚光を浴びました。私も、昨年六月、フランスを訪れ、フランス学士院での講演などを通じて多くの方々と接し、彼の地の熱気を肌で感じ取ることができました。いうまでもなく「人権宣言」をはじめ、十八世紀ヨーロッパの啓蒙思想を母体とした「人権」思想は、時代の進展とともに、様々に発展、補強されてきました。当初は、国家権力から個人の諸権利を守ることを主眼にした「自由権的基本権」であったのが、資本主義の諸矛盾が増大するにつれ、今世紀初めごろからは、国家に人々の生活の保障を求める「生存権的基本権」の色彩を強めてきた。
18  更に最近は「自由権的基本権」を「第一世代」、「生存権的基本権」を「第二世代」とし、平和や環境などの国際的な連帯を要するものを「第三世代の人権」と呼ぶ論者も現れている。これなどは明確に旧植民地であった第三世界を視野に入れてのものでしょう。
 三年ほど前、私は「フランス革命・人権宣言二百周年委員会」のミシェル・バロワン会長とお会いしました。その折、同会長は、二百周年を期しての「新人権宣言」の構想を熱っぼく語り「人間の徳が尊ばれる社会の実現のためには『友愛』が大切であり『友愛』の実現のためには『連帯』が重要なのである」と訴えておられました。残念ながら、バロワン会長は、不慮の事故のため他界されましたが、その念頭には、「第三世代の人権」へと至る人権思想の流れが、据えられていたにちがいありません。私が強調しておきたいのは、そうした「友愛」や「連帯」を可能ならしめ、ともすると法的・制度的側面の保障にウエートがおかれがちな(もちろんそれも大切ですが)「人権」概念を精神面から裏打ちし、例えばS・ヴェイユが、人間に最も普遍的な感情とした「胸を痛める心」のようなみずみずしい人権感覚の内実を与えていくためには、「内面」を見つめる内省の目が不可欠になってくるであろうということであります。
19  険悪化する日米貿易摩擦を問う
 身近な例にアプローチしてみれば、近年とみに険悪化しつつある日米貿易摩擦であります。両国間の応酬において極端な論調は、既に経済や貿易の次元を超えて、文化という全人的、全人格的な生き方や価値観の領域にまで踏み込んでの相手国への非難、攻撃となっております。そのような応酬が、感情的な対立にまで高じていって、閉ざされたエスノセントリズム(自民族中心主義)のぶつかり合いになることを、私は一番恐れます。
 まず、日本経済の発展が自由貿易体制から受けてきた幾多の恩恵を考えれば、日本の市場や社会はより開かれた、自由で民主的なシステムを目指すべき時であることは間違いない。それは、戦略的な選択という以上に「自由」といい、「民主」といい、「人権」なかんずく「個の尊厳」を機軸にした西欧近代が生んだメルクマール(指標)として、体制や文化、伝統の相違を超えて尊重されるべきものだからであります。もしそれらの理念と現実との矛盾、適応異常をいうならば、少なくとも抽象化された人類の理念として普遍的価値を有するものと認定し、それを前提に理念の内実化を図るべきでしょう。
20  特に、フランスの「人権宣言」が強引に行った「国家権力」と対峙する「個人」の人権の保障といった経験をもたぬ日本では、「個の尊厳」はどうしても影が薄れがちです。個人の権益が国家や会社、団体のために犠牲にされ、権力の前に、民衆、特に権力を看視し、異議申し立てをすべき知識人が屈し、沈黙する……こと新しい議論ではありませんが、こうした意見には、改めて虚心に耳を傾けるべきであります。
 それをせずに、少しばかりの経済的成果に酔って、日本文化の特殊性や優位性を言挙げしているようでは、日本の孤立化を深めてしまうばかりです。内省と自制の目を欠く国家の傲りが、国際社会で尊敬されるはずはなく、また、永続的な「友愛」や「連帯」など望みうべくもなく、俗に言う″金の切れ目が縁の切れ目″になってしまうことは、目に見えています。
 それと同時に、アメリカを中心にしたリビジョニスト(日本見直し論者)といわれる人々の回の端々に、西欧近代がもたらした諸々の価値を、自明の前提として、無条件に正当化している様子が垣間見られる点は、これも内省の目の欠落として気になるところです。先にあげた理念と現実との適応異常は、この場合、次のようにはね返ってきます。
 すなわち、普遍的な「自由」を謳い上げたフランス革命にしてからが、その「自由」の極度の抽象化ゆえに伝統との断絶を生じ、それを埋めるために「自由の専制」(ロベスピエール)のもとでのテロルという、強引な手段に訴えざるを得なかったではないか――。
 そして、何よりも、西欧近代のリベラリズムは、その美しいスローガンとは裏腹に、アジアやアフリカを植民地主義の桎梏につなぎ、搾取し、第三世界の人と国土に今なお残る様々な歪みと傷痕をしるしてきたではないか――と。理念と現実との適応異常です。ゆえに、それらの地域では、今もって西欧的価値観の流入を、「文化帝国主義」であると警戒し、反発する人々が多いことを、決して忘れてはならないと思います。
21  これらは、縦り返すまでもない常識に属することですが、気になるのは、最近「東西」の概念の変質が、しきりにとりざたされていることです。もともと社会主義と自由主義という「イデオロギー」の対立をいっていたのが、最近は「東」洋(アジア)対「西」洋(欧米)という「文化」や「地域」の対立を意味する文脈で「東西」が使われることが多いという。日米貿易摩擦の背景にある、自由主義社会になじまぬ日本を排除していこうという「日本文化異質論」もここに由来する、と。
 これは、憂慮すべき問題です。近代の行き詰まりや植民地主義への反省から、今世紀になって生まれてきた、欧米以外の文化にも対等の価値を見いだそうとの「文化相対主義」は、ヨーロッパの知性の自浄能力、内省の力を示す、良識の帰結であったはずです。それを、遅れた「東洋」と進んだ「西洋」を暗ににおわせる古めかしい″閉鎖系″に逆流させてしまっては、「友愛」や「連帯」どころか、価値観の「押しつけ」になってしまう。″文化摩擦″あるいは″文化戦争″とおよそ文化に似つかわしからぬ物騒な言葉が飛びかうゆえんです。
22  「自律」の力養う宗教の重要性
 とはいえ、日米貿易摩擦は、文化の交流や伝播というものが、決してきれいごとではなく、時には、価値観と価値観との激しい撃ち合いをもたらすということを、改めて浮き彫りにしました。これは、異文化が接触する場合、ある程度やむを得ないことであり、要はその撃ち合いを、どう正しい融合の方向へと昇華させていくかでしょう。
 そして、地球文明や人類文化のグローバライゼーションが、否応なく要請されている現在、我々はそうした撃ち合いを通して、新しい文化、新しい理念の構築目指し、時には痛みに耐えて自分自身を作り直すぐらいの覚悟で臨まねばなりません。
 その際、とりわけ我が国にとって、要諦中の要諦となってくるのが、内省のもたらす「自律」ということだと思います。人間同士と同じく、異文化の接触においても、自己を律することなく、一方的に自己主張ばかりしていては、決して成熟した関係は生まれません。
 悪を自身の「内部」に見いだす目は、同時に善を「外部」にも見いだす目である。マニ教的な、極端な善悪二元論ではなく、自分も他人も、善でもあり悪でもありうる存在である。ゆえに、互いの撃ち合いのなかで、どう善を顕在化し、悪を覆滅させていくか――その自律の力は、対立でも離反でもなく、自他の、人格と人格との正しいスタンスをもたらすでしょう。
23  そうした、自分を律する力が働いていれば、自らの価値観を相手に押しつけたり、相手の国の″床の間″に土足で踏み込んでいくような不作法は生まれないでしょう。相手国の事情や受け止め方、影響などを考えずに、やみくもに経済合理性だけで押し通そうとする″アニマル″ぶりとも無縁なはずです。
 また、GNP(国民総生産)の多いか少ないかに左右されるような自信は、とうてい、自律の力による真の自信とはいえない。よく、日本人の対外観が″拝外″と″排外″との間を揺れ動くといわれるのも、目が自分自身ではなく、もっぱら外部にばかり向いている、すなわち「自律」ではなく「他律」に依っているからではないでしょうか。
 かつて、森有正氏が「世界は自己規律の競争である」として、平和や文民統制の本当の意味をそこに求めていたのは、まことに優れた見識であると思います。これだけ巨大な経済力をもった日本が、それをコントロールする自律の力を身につけなければ、極めて危険な存在となり、揺れ動く国際情勢のなか、なし崩しに軍事大国化の道を歩む恐れさえあります。そうであっては「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」(日本国憲法)との平和国家・日本の理想など、絵空事になってしまいます。
24  ところで、私は、宗教の大きな社会的役割の一つは、そうした自律の力を養っていく点にあると思います。
 例えば、法華経には「常不軽菩薩」という修行者のことが説かれています。昨年末、非暴力を唱える世界的平和学者のG・ペイジ・ハワイ大学教授と会談したときにも申し上げたのですが、不軽菩薩は「常不軽(常に軽んじない)」の名のとおり、すべての人間は仏性をもつがゆえに、いかなる人をも軽んぜず、「生命」と「人間」を最大限に尊重していった。にもかかわらず傲り高ぶった人々は、不軽菩薩の悪口を言ったり、杖で打ち、石を投げつけたりして迫害を加えたが、不軽菩薩は、それでも人間を軽んずることは、仏を軽んずることであるとの信念のままに、礼拝し説法し、最後まで人間を尊重する行動を貫いていったのであります。
 この不軽菩薩の「軽んじない」という断固たる意志と行動は、まさしく「自律」の力の発現であります。それは、法華経の修行の肝心として説かれているのですが、プラトンが、魂の一切を「理知的部分」の支配下に置こうとしたように、人間すべてに通ずる「自律」という徳目の一つの理想像でもあります。
25  実際、世界市民といっても、そうした「自律」の力をもつかどうかが、重要なポイントになってくるのではないでしょうか。けだし、透徹した内省の目こそ、よく国境や民族の壁を超えゆく発条となるからです。
 そして、恒久平和とは静態的なものではなく、そのような「自律」の人間と「自律」の社会によって支えられ、意志的に勝ち取られるものでしょう。私は、平和のための協力も、政治、経済、文化、教育といった次元で当然必要と思いますが、その一方で、宗教が、いかに「自律」の人間を数多く輩出しうるか――それは平和構築へ資するところ極めて大、であると思っております。宗教の名に値する宗教であるかぎり、ということは、今、人類史の要請に応えうる宗教であるかぎり、世界市民としての内実に深い精神的基盤を与えるはずだからであります。
26  地域紛争の解決に向け″国連サミット″開催ヘ
 さて、昨年、年頭に当たり、私は国際的な多極化の流れの中で、新しい政治的、経済的秩序を作り上げるために、国連を中心にしていくことが、最も現実に即した行き方であると提言いたしました。私たちは、かねてより新たな世界秩序への統合化のシステム作りのために、国連を中心とし、その権限を強化すべきことを主張してきましたが、近年、国連の役割に対する評価が予想以上に高くなってきているのは心強いかぎりであります。
 東西のイデオロギー対立に終止符が打たれつつある現在、国連がより効率的、有機的に力を発揮していく土壌が生まれております。最近の世界情勢を見るにつけ、一段と国連の役割が重要度を増しており、この面での新しい構想と取り組みが必要とされております。昨年末の私とラフューディン・アーメド、ヤン・モーテンノン、明石康氏ら国連事務次長との一連の会談でも、こうした認識で一致いたしました。
 ただし米ソ間で協調関係が強まるのはプラスですが、世界の多極化は国際関係の不安定要因になりかねません。一九九二年のEC(欧州共同体)の市場統合へ向けて総体的にヨーロッパに緊張緩和の流れが強いのに比べ、アジアや中米、中近東、アフリカ等では、局地的な紛争が依然として続いており目を離せません。
27  最近、こうした地域紛争を解決するうえで国連は大きな役割を果たしました。私は米ソ関係の改善を軸に、世界に緊張緩和の大きな波動を巻き起こしていくには、こうした地域紛争の終息にまず全力をあげることが大事だと思います。まして発展途上の国々が、政府支出の約半分を軍事と債務の償還にあてている現状を思うと、戦争の浪費性に改めて目を向けねばならない。そして紛争解決へ国連を十分に機能させる必要があります。
 そのためにも、今年の国連総会の際、各国の最高首脳が国連本部で一堂に会し、国連を軸に種々の問題を検討する討議の場を、常設していくようにしてはどうか。できれば国連事務総長が呼びかけ人となり、米国、ソ連、中国、日本、フランス、英国、西独、イタリア、カナダ、ブラジル等にEC代表を加え、″国連サミット″を開催してほしいと思います。
 現在、先進国首脳会議が毎年開かれておりますが、もはや西側諸国の首脳による話し合いや合意だけでよしとする時代ではない。東西、南北の枠を超えて知恵を出し合わねばならない問題が山積しております。
 このサミットでは、地域紛争解決のための手立てを徹底して論議するとともに、靴繊問題、興蹴問題、北問題等、世界の首脳の意思の疎通が必要な重要問題にしばって討議する。そのための準備会議も当然、要とされましょう。
28  新たに「環境維持団」を構想
 例えば今、世界的に大きな課題になっている環境問題をとってみても、思い切った取り組みが要請されております。一九九二年六月には、ブラジルで地球環境問題に関する様々な対策を決める国連の環境開発会議が開かれます。この会議でどんな対策が打ち出されるかは、地球環境の今後に死活的な重要性をもっております。
 そこで、もし本格的な対策を講じるのであれば、国連に新しく「環境安全保障理事会」を設け、国連の平和維持軍にならって″環境維持団″のような環境を強力に守り保護する存在をつくることが必要であります。環境問題はもはや論議の段階を超えて、そうした、思い切った抜本策が要請されております。
 こうしたサミットの形で毎年、国連総会にあわせて、国連を使って、世界の最高首脳がひんぱんに対話をするという流れが確定すれば、それだけで地球上に緊張緩和の明るい雰囲気が満ちてくるでありましょう。軍縮の面では、本年中に戦略兵器削減交渉(START)や、欧州通常戦力交渉(CFE)の合意が期待されております。
 これまで軍備に巨額の資金と人的資源が投入されてきました。これが経済の健全な発展を阻害することを、各国の指導者もようやく深刻に認識するようになりました。
29  とはいえ、まだ楽観は禁物であります。核軍縮はかなり進むにしても、核兵器が廃絶される見通しは今のところたっていません。それ以上に通常兵器の軍縮には困難が横たわっております。政治指導者の意識が変わり、国際政治の場で軍事力への依存の度合いが低くなっているとはいえ、地域紛争をなくす有効なシステムは確立されておりません。
 戦後の古い秩序から新たな秩序に平和裏に移行し、二十一世紀を「希望の世紀」にするために、私たちは思い切った一歩を踏み出さねばなりません。
 米ソがともに巨大な核戦力を保有するに至った状況のなかで、人類が全体として生き残るためには「普遍的安全保障」(コモン・セキュリティー)という発想が必要だとされてきました。これは自分たちだけでなく、相手もともに生き残る道を探るグローバルな安全保障を志向しております。これを更に積極的に言い換えれば、世界の「不戦」のシステムを構築することになりましょう。
30  私はこれまで国権の発動がそのまま人類の絶滅につながりかねない核状況下にあって、人類は否応なく国家の枠を超え「国益」から「人類益」へ、「国家主権」から「人類主権」へと発想の転換が迫られていることを強調してまいりました。
 問題は、国家主権の絶対性の相対化をいかに進めるかであります。ただし、このことは現状の国民国家体制を解消し、世界連邦的なシステムにただちに移行することを意味するわけではありません。近い将来に、それが可能だというのは楽観的にすぎましょう。より現実的な考え方として、一つには、現行の国家体制はそのまま維持しつつ、日本国憲法が規定する「交戦権の否認」を世界各国の憲法が導入する道を探ることであります。これにより国家主権の発動としての戦争という仕組みを廃絶することを目指したい。
 それぞれの国民の自由や人権を保障し、福祉を実現する等の国家の役割は、今後も必要であります。そうした人間にとってプラスの主権は、維持されねばなりません。民族自決の権利も重要であります。しかし、戦争をするという主権だけは憲法で否認する――もしこの一点が世界的に拡大していくならば、不戦のシステム化が現実の視野に入ってまいります。
31  二〇〇一年「世界不戦会議」を
 私は現在、米国のノーマン・カズンズ教授(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)と世界平和をテーマに対談を重ねておりますが、この点で私と同氏とは全面的に意見の一致をみました。カズンズ教授は世界連邦協会の会長を務め、長く国連強化運動のリーダーシップをとってこられた方ですが、その思索の行き着くところ、私の考え方とも一致したわけであります。
 かつて人類は両度の世界大戦に対する深い反省に立って、二度と戦火は繰り返すまいと誓いました。そこから国連憲章の精神も生まれました。しかし不幸にも、戦後の歩みは、恒久平和への希求とは裏腹に、米ソ冷戦による軍拡競争が続き、人類絶滅の危機さえ招来するに至りました。
 今、米ソ冷戦体制に終止符が打たれ、新しい時代の到来が指摘されております。私は改めて国連憲章の初心に帰り、人類が生き残るための新しい「不戦共同体制」を構築すべき時を迎えていると思います。
 私は、この「不戦共同体制」への移行を、まず十年単位で考えたい。とりあえず九〇年代をその準備期間とし、二十一世紀のスタートとなる二〇〇一年に国連本部で「世界不戦会議」を開くことを主張したい。この会議は、政治家のみならず民間人も加わった大規模な平和会議にしたいと思います。
32  こうした不戦の流れを世界的な潮流にしていくためには、国際世論の支持と盛り上がりが不可欠であります。それには各国の憲法に「交戦権の否認」を導入する運動を民衆レベルで起こしていく必要があり、東欧諸国の変革に見られたような民衆のパワーを国境を越えて結集しうるか否かが、カギを握っております。これを国連NGO(非政府組織)による「世界不戦キャンペーン」として進めたいと思います。SGIが進めている「戦争と平和展」の国際的な開催は、その柱の一つと位置づけられましょう。SGIとしても、国連の「世界軍縮キャンペーン」「世界人権キャンペーン」への支援と併せて、新たに「世界不戦キャンペーン」の運動を強力に推し進めていきたい。
 二〇〇一年「世界不戦会議」では、かねてから私どもが主張している「世界不戦宣言」を採択し「世界不戦規約」「世界不戦条約」への具体的な青写真も討議されるものとしたい。
 それには政治レベルでの取り組みと並んで、民間レベルでの推進が重要であり、「国連を守る世界賢人会議」の創設を提唱したい。この会議で、国連を強化、改革して、世界の「不戦」システムを構築するための民間人の知恵を結集したいと思います。
33  私は一九八七年九月にケニアのナイロビ大学のムビシ副総長、ナイジェリアのノーベル賞作家ショインカ氏、更には、昨年、ケニアのモイ大統領、ナイジェリアのモモー情報文化相らアフリカ諸国の指導的立場にいる人たちと会談し、青年への期待と教育の重要性等について意見を交換いたしました。
 二十一世紀を「希望の世紀」にするためには、人類の「不戦共同体制」の構築作業を進めるのと同時並行的に、人的資源の開発、すなわち世界の人々の潜在能力を全体的に引き出すための「教育」の課題に改めて取り組んでいく必要があります。
 これまで世界的な教育の課題をユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が担い進めてきた実績を、私どもは高く評価しております。ユネスコ憲章前文には「正義・自由・平和のための人類の教育」の重要性がうたわれておりますし、ユネスコはそうした理念のもとに軍縮教育世界会議等を開催してきました。
 私は国際的緊張の高まりを背景に、ユネスコが軍縮教育、平和教育を推進してきた意義は認めつつも、軍縮・平和の範囲にとどまらず、更に新しい時代に即した地球規模の教育的課題に国連全体として取り組むベき時期を迎えていると思うのであります。そこで私は、国連として「第一回教育特別総会」(SSEI)の開催に踏み切る必要性が高まっていると考えております。
34  第一回国連教育特別総会
 国連が音頭をとって世界的レベルで教育問題に取り組む必要があると考える理由は、大きく分けて二つあります。
 一つは、前述したように現在、貧困、飢餓、人口、環境問題等、地球的規模で解決を迫られている課題が山積しております。これらの問題は個々バラバラの問題というより、人類的視野からトータルなものとして解決を図っていく必要があります。そうしたグローバル・コンセンサス(地球的合意)を要する問題には、どうしても教育の力を借りねばならないと思います。
 本年は国連が定めた「国際識字年」であります。現在十五歳以上の世界人口の約三割、およそ九億人が非識字者、すなわち読み書きできない人といわれます。そのほとんどがいわゆる第三世界に属する人々であります。
 世界には今なお多くの読み書きすらできない人々がおります。私はユネスコが西暦二〇〇〇年までに世界中の人々が読み書きできるように、様々な行動計画を立てていることを評価します。しかし、ことは読み書きだけの問題ですむわけではない。これまで教育を十分に受けられず、生きるための基本的な知識すらもてないでいた民衆が潜在的な力をどう全体的に引き出し、地球社会の建設にともに向かうか。
 もとより、これは極めて困難な課題であり、忍耐が要請される作業であります。時間もかかるでありましよう。こうした教育の課題には、従来の″上からの開発″では十分な力を注げなかったきらいがあります。二十一世紀に備え、地球全体の力の底上げを図るには、民衆による″下からの内在的発展″を強力に推し進める必要がありましょう。
35  私は民衆の潜在的な力を信ずるものであります。しかし、民衆が自らの潜在力に目覚めるには、そのための教育が必要なことも確かであります。そして、その教育を担う人材が要請されております。まさにグローバルな形で教育の力が今、問われている気がしてなりません。
 すでに指摘したように、世界の軍事費は戦後、増大の一途をたどってきましたが、幸い東西間の緊張が戦後最低の水準になったとの認識から、米ソともに国防予算の削減に向かっております。現在、軍事費の削減分を国内経済の発展にどう振り向けるか、いわゆる「平和の配当」が大きな焦点になりつつあります。
 国連の報告によりますと、地球上のすべての人々に適切な食糧、水、健康、教育を確保するという人間的目標の実現のために追加すべき費用は、一九九〇年代を通じて世界が毎年軍事に使っている額の約五パーセントに当たります。
 世界の軍事費を約五パーセント減らすだけでそれが可能だということは、軍縮の進展を考慮に入れると実現可能な数字であります。私はその軍事費の削減分の一部を、国連が第三世界への「教育発展基金」として各国から拠出させ、有効に活用してはどうかと思います。
 現在、日本では青年海外協力隊という組織が、発展途上国への手助けに活躍しております。このような発想を教育という分野にしばって、更に世界各国が協力体制を敷く「国連教育協力隊」構想を提唱したい。
36  「教育発展基金」をベースにすれば、各国から人材をつのることは十分可能でありましょう。
 教育特別総会が必要だと考える第二の理由は「世界市民教育」を進めるためのものであります。私は九〇年代を「国連世界市民教育の十年」にと提案してまいりました。その具体的な中身としては「環境」「開発」「平和」「人権」という人類が最優先で取り組むべき課題を総合的に含んだものを提唱してきました。
 グローバルな視座からものごとをとらえる意識が広く浸透しはじめているとはいえ、世界には依然として人種、民族、宗教的対立からくる紛争が絶えません。国連が一日も早く「世界市民教育」を本格的に進めるために、教育特別総会が必要な時を迎えております。これによって地球を″共通の家″とする新たなグローバリズムの浸透を図っていきたい。
 教育特別総会の開催地としては、その趣旨からいって先進国より第三世界のほうが望ましい。アフリカのケニアの首都ナイロビは、東アフリカの玄関口として空の便も良い国際都市であります。ホテルや国際会議場も整っており適当な候補地といえましょう。
 以上、私は国連を軸にした新たな提言を幾つか試みました。もとより現状の国連には限界があり、過剰な期待だという意見もあるにちがいない。私はそうした現実を十分認識しつつも、あえて新しい時代に即した国際秩序を形成するには国連の役割を強化する以外ないという信念に立って提言を申し上げました。
37  日ソ友好関係樹立の道を開こう
 現代は国境を越えて様々なモノが瞬時に動く時代だといわれます。確かに科学技術や通信網が発達し、情報やカネの動きは国境を越えて激しい。世界経済はますます複雑に入り組んでおります。輸送手段の発達により、人間の交流も活発化する一方であります。
 国境の壁はますます低くなっております。この新年、東西ベルリン間では三百七十万の人々が相互訪問したという。お互いがお互いを直接的によく知り合い、理解しあえる新しい時代が到来しております。
 昨年、東欧で始まった自由と民主化を要求する声は、やがて全地球的に浸透していくことが予想されます。現在はまだ軍事的な緊張が見られるアジア・太平洋地域にも、そうした波は及んでくるでありましょう。
 戦後の東西冷戦構造のなかで対立分断状況が固定化されてきた大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との関係にも、やがて厚い氷を突き崩す″春″の訪れを期待したい。そのための南北首脳会談の一日も早い実現を重ねて要望したい。
 立ち遅れている日ソ間の関係改善についても、私は双方が近く思い切った歩み寄りをするのを望んでおります。日ソ友好関係樹立の道は、歴史的経緯もあり、一筋縄ではいきませんが、長い目で見れば政治、経済を超えた民衆と民衆の友好連帯関係を一歩一歩どう築き上げるかであり、二十一世紀への「不戦共同体制」を世界的にどう構築するかという英知の試みのなかで考えられねばなりません。
 今夏、アメリカの創価大学ロサンゼルス分校で、創価大学主催による環太平洋シンポジウムが開催されることになっております。私はこのシンポジウムで、日ソ関係を含めた多角的問題について実りある討議を期待しております。
 併せて近い将来、ロサンゼルス分校内に「アジア・太平洋平和文化センター」を設け、私がかねて構想している「アジア・太平洋平和文化機構」ヘと連なる諸問題を広く研究していってはどうかと考えております。
 いよいよ民意が、地域を、国を、地球を動かす「民意の時代」「民主の流れ」の時を迎えております。人類史上初めて、民衆が真の主役になる時代が到来しつつあるといっても過言ではありません。その先にどういう新しい世界が生まれるのか。私たちは座してそれを待つのではなく、その新しい地球文明創出の先頭を走るランナーであり続けたいと思います。
 本年も、私は可能なかぎり世界を回り、民衆の側に立って、平和な地球の建設のために走り抜きたいと念願しております。
 (平成2年1月27日「聖教新聞」掲載)

1
2