Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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あとがき  

「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
1  『池田大作全集』の記念すべき第一回配本は「論文1」で、「平和提言」「記念講演」「論文」の二部から成っている。その一編一編は、極めて幅広い分野に及び、仏法を基調として平和、文化、教育などを語りかける香気に満ちた内容である。
 これらの発表時期は、ほとんどがここ十数年である。この時期は、著者が仏法者として″宗教的使命″のみならず、平和、文化、教育という″人間的使命″の遂行を目指し、多角的かつ重層的に、めざましく行動した時期と符合している。行動は、今に至るまで間断なく続き、その先見性と独創性によって、常に、原野に道なき道を切り拓いてきた。本巻にみられる池田名誉会長の渾身の言論こそ、壮大な平和と文化の運動の原動力だったといえようし、未踏の原野の開拓作業の結晶といってよい。
 「平和提言」では、第一回と第二回の国連軍縮特別総会の折に出された軍縮と核廃絶を訴える提言、創価大学の平和問題研究所と同アジア問題研究所の紀要『創大平和研究』『創大アジア研究』のそれぞれ創刊号への寄稿、更に第八回から本年第十三回の「l・26SGIの日」2九七五年の一月二十六日にグアム島で、創価学会インタナショナルが発足したことを記念する日)に発表された世界平和への提言を収録した。
 また「記念講演」では、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)、モスクワ大学、北京大学、グアダラハラ大学、ソフィア大学、ブカレスト大学、復旦大学などで、名誉教授や名誉博士号の学位授与などの記念式典で行われた講演が機軸となっている。また、創価大学で、折々に行われた講演、講座の主立ったもの、加えて、一九七五年の訪米の際、ニューヨークのジャパン・ハウスで行われた日本協会主催レセプションでのスピーチも収めてある。
 更に「論文」には、潮出版社刊行の「人間の世紀」第一巻『生命の尊厳』への寄稿「生命を尊厳ならしめるもの」、創価学会創立四十八周年記念提言「環境問題は全人類的な課題」及び、四年前の全国教育者総会に寄せた「教育の目指すべき道」の三編を収録している。
 一読して、読者は様々な感懐を持たれるに違いない。著者は、平和を論じても、常に文明史的なアプローチを踏まえつつ、幾多の具体的な提言を行い、その中の核廃絶へ向けての米ソ首脳会談の提唱などは、既に実現し、時代を画す光彩を放ってさえいる。それらは、アカデミックな象牙の塔からの発言ではなく、世界を駆け巡りながら、各国首脳や識者、民衆との対話を重ねたなかから構想されたものである。トインビーやマルローのようなヨーロッパの大知識人を強く魅了した″行動的知性″の発言だからこそ、歴史の軸を回転させると見たい。
 また、各国の大学での講演にしても、多くが、社会主義国で行われていることに留意されたい。イデオロギー的には無神論を国是とするような国であっても、名誉会長には少しの遠慮も気後れもない。真情の発露の赴くところ、「人間」と「民衆」を回路に、社会主義ヒューマニズムはもとより、ギリシャ正教や中国思想の伝統とも、ごく自然に触発の対話を行っている。それは「無量義とは一法より生ず」という法理の、見事なる具体的な顕現といってよいだろう。
 著者の若き日の愛読書の一つに、ベルクソンの『道徳と宗教との二源泉』がある。言うまでもなく、そのテーマは「閉じたもの」と「開いたもの」との比較考証にある。詳細はさておき、本巻を通底しているものは、徹底して「開かれた」精神である。しかも、それは、単なる妥協や折衷ではなく、自らの宗教的信念を堅持した上での開放性である。多くの読者は、そこに、今後の世界宗教というものの、一つのあるべき姿が鮮明に浮き彫りにされていると見るに違いない。ベルクソン研究の泰斗、大阪大学名誉教授の澤潟久敬博士は、名誉会長の印象を、ベルクソンが同書で描いている″宗教的巨人″に擬している。これも、決して由なしとしないのである。
   昭和六十三年四月二日 「池田大作全集」刊行委員会

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