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日蓮大聖人・池田大作

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教育の目指すべき道――私の所感 全国教育者総会に寄せて

1984.8.25 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
2  人間主導型の教育を
 ただ、一つだけ私の信念として申し上げておきたいことは、教育改革が、政治主導型で行われてはならない、ということであります。政治権力というものは、古来、教育に限らず、すべてを支配下におこうとする傾向性を持ちます。とりわけそれが顕著だったのが、明治五年に学制が施行されて以来の日本の近代教育であったと言えましょう。政治主導型のもとでは、国家目標が一切に優先します。″殖産興業″や″富国強兵″のスローガンが錦の御旗として掲げられ、教育は、それに奉仕すべきものとされてきました。欧米列強に伍するための近代化政策として、やむを得ない側面もあったでありましょうが、その過程で何が失われていったのかという点から、目をそらしてはならないと思います。
3  戦後の憲法や教育基本法のもとでの教育も、そうした弊害から逃れえたとは、とうてい言えません。
 概括的に言えば、戦後の民主主義教育においても、支配的であったのは政治主導型の流れであったといってよい。国家目標が、戦前戦中の「軍事大国」から「経済大国」にすげ替えられただけであり、教育はここでも、それに奉仕するものとして位置づけられてきたといっても過言ではありません。従って、国家目標が崩れ去れば、教育目標も宙に浮いてしまう。一九七〇年代から八〇年代を覆った教育荒廃の暗雲が、我が国の高度経済成長路線の挫折と軌を一にしているのも、偶然ではないように思えます。
4  本来、教育の目的は、個々の人間の尊重、独立人格の形成というところにおかれねばならない。しかし現実には、国家や企業にとって価値ある人間、つまり、そういう機構、組織の中で効率よく効果を発揮する人間の育成というところに、教育が手段として用いられてきたという傾向性は看過し得ない事実であります。
 私が、かねてから立法、行政、司法の三権から教育権を独立させる「四権分立」構想を世に間うてきたのも、そうした政治主導型の教育がもたらす弊害や歪みを取り除くことを念願するからであります。政府が音頭をとり続けてきた明治以来の近代教育の過程で、見失われてきたものは何か――それは「人間」の二字であります。
5  牧口常三郎初代会長は、長年にわたる教育実践と研究に基づいて、教育の目的を、次のように規定しております。
 つまり、教育の目的は学者が定めるものではなく、他のだれかに利用されるべきものでもない。人生の目的がすなわち教育の目的と一致すべきであるとの観点から「教育は児童に幸福なる生活をなさしむるのを目的とする」としているのであります。
 誠に平易にして明快なる規定といえましょう。更に、その「幸福」の内実について、三十余年にもわたる教育経験を通しての熟慮をもとに、社会学的考察をも加えながら、独自の価値論を樹立し、解明されんとした牧口初代会長の業績に、私は、「人間」を凝視し続けた先覚の眼が感じられてならないのであります。
6  ここで、私の胸に響いてくるのは、教育権の独立、貧困の解決、自由民権の擁護のために戦い抜いた″民衆の詩人″ビクトル・ユゴーの、剛毅なロマンチシズムを称えた叫びであります。
  「光明は人を健やかにする。
  光明は人を輝かす。
  あらゆる社会的の麗しい光輝は、科学、文学、美術、および教育から生ずる。人を作れ、人を作れよ」
    (『レ・ミゼラブル』豊島与志雄訳)
7  明年は、ユゴー没後百年に当たりますが、彼の言を待つまでもなく、教育の本義は、人を、人間をつくる点にあります。その意味からも、今後の教育改革にあたっては、従来の政治主導型から人間主導型への転換ということを、機軸に据えていかなければならないと訴えたいのであります。最近は、戦後教育への疑問から、戦前の国家主義的教育を懐かしむかのごとき発言がしばしば聞かれますが、それは、歴史の教訓から何も学ぼうとしない態度であると言わざるを得ません。
8  さて、人間主導型の教育改革は、いかなる方向に推進されるべきなのか。これまでも種々様々な観点から論議、研究され指摘されてきておりますが、先に述べたように、私は制度的側面ではなく、それが依拠すべき理念、指標というべき側面を、私なりの観点から「全体性」「創造性」「国際性」の三点に絞って、問題を提起してみたいと思います。
 皆さま方もご存じのとおり、これらの点については、私はこれまでも折に触れ訴えてきました。
 「全体性」については、昭和四十三年二月の第一回婦人部総会記念の一文「創造性ある″全体人間″たれ」をはじめ、四十五年八月の高等部夏季講習会、更に拙著『わたくしの随想集』等の中で述べてまいりました。
 「創造性」についても、先述の第一回婦人部総会、四十八年四月の第三回創価大学入学式及び翌四十九年の第四回創価大学入学式、同じく四十八年三月の関東男子部総会、第十四回学生部総会、あるいは『私の人生観』『きのう きょう』等において、その重要性を指摘してきました。
9  また「国際性」についても、昭和四十一年の『大白蓮華』巻頭言、四十八年の第三十六回本部総会、五十三年の第八回創価大学入学式、更には『わたくしの随想集』等々、国際人としての幅広い視野と教養を育むことの大切さを訴えてきました。
 幸い、これらの主張は、世間一般においても、時代の要請する一つの大きな流れとなってきているようであります。最近も、ある識者は「国際性」「創造性」「人間尊重」の重要性について触れていましたが、「人間尊重」についても、私は生命尊厳の原点に立って幾百回となく訴えてきたつもりであります。
 ここでは、それらの主張を総括する意味も含めて、「教育の目指すべき道」に関する一つの考察として論じてみたいと思います。
10  「知識」と「知恵」の調和こそ急務
 第一に強調したい点は「全体性」であります。「連関性」と言い換えてもよい。ともかく、我々の周囲に生じてくる出来事や物事は、一つとして孤立して生ずるものはありません。すべては何らかの形でつながりをもち、一個の全体像を形づくっているのであります。
 卑近な例でいえば、我々の身体一つ取り上げてみても、頭、手、胴、足、五臓六腑、更には個々の細胞ヘ……と、次から次へ細かな部分に分けられますが、それらは一つの身体として密接につながり合っております。身体と心とのつながりも無視することはできない。また、最近の深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように、人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば、つながりは無限に広がっていくでありましょう。小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは、不可分の関係にあり、絶妙なリズムを奏でているといってよい。
 ゲーテのファウストの独自を借りれば、
  「あらゆるものが一個の全体を織りなしている。
  一つ一つがたがいに生きてはたらいている」(大山定一訳)
 のであります。そこには、見えざる″糸″によって結ばれた生命体としての全体像が浮き彫りにされており、それを感じ取ることは、古来、一つの知恵でありました。
11  ところが近代文明は、そうした知恵に背を向け、全体を絶えず部分へ部分へと分割する道をひた走ってきました。人知の発達という点から言えば、それはある意味では必然の流れであったかもしれない。しかし、その反面、物質面での多大な成果にもかかわらず、人間は自然はもとより人間同士のつながりをも断ち切られ、狭く閉ざされた、自分だけの孤独な空間の中で呻吟せざるを得ない状況に追い込まれていってしまっているのであります。
 これを、学問や教育の問題に置き換えてみると、「知恵の全体性」をなおざりにした「知識の個別性」の独走、と位置付けることができると思うのであります。人間の″幸福″や、よりよく生きるための″価値″とは無関係に知識のみが独り歩きし、肥大化している姿とも言えましょう。
 明治の日本が近代化の緒についていたころ、大教育者にして先覚の人・福沢諭吉は、早くもこのことに気づいていたようであります。彼は、こう言っております。
 「彼の物知りと云ふ人物は、物を知るのみにして物と物との縁を知らず、一に限りたる物事を知るのみにして其物事の此と彼と互に関り合ひあるの道理を知らざる者なり。学問の要は唯物事の互に関り合ふ縁を知るに在るのみ。此物事の縁を知らぎれば学問は何の役にも立たぬものなり」と。
 更に福沢は、こうした「物知りにして物の縁知らず」は「字引に異ならざる者なり。強ひて其異なる所を云はんとならば、紙の字引は飯を喰はず、人の字引は飯を喰ふの相違あるのみ」――つまり、無為徒食の存在であると痛烈に攻撃しております。
12  申すまでもなく福沢は『学問のすゝめ』を著し、広く学の研鑽を促し、自らも実行した人であります。彼が排撃したのは、学問や知識それ自体ではなく、学問のための学問、知識のための知識でありました。
 私は、福沢のこうした言葉を、単に効用主義、実用主義の観点からとらえてはならないと思います。
 周知のごとく「縁起」や「因縁」などの語源に明らかなように、「縁」とは、本来、仏法用語であります。その深義はさておき、福沢が「縁」といっているのは「つながり」ということであります。それは物と物との「縁」であると同時に、物事と自分との「縁」ということであります。学問や知識が自分自身にどうつながり、いかなる意味を持つのかという、言うなれば「全体性」への志向であります。そこに私は、あらゆる精神の働きを統御する軸として「生きることが第一」という命題を掲げた、かのベルクソンと同様の志向性をみるのであります。
13  たしかに近代科学の発展の経緯を振り返ってみれば、知識のための知識追求を発条としてきたことは事実であります。しかしその結果、核兵器が出現し、幾多の有害物質が公害をまき散らすとなれば、否応なく科学者の社会的責任が問われます。知識が、自分や人類の運命とどう「縁」や「つながり」を持つのかを問い直さざるを得なくなるわけであります。
 より教育現場に即して言えば、最近私は、若者が古典・名作を読まなくなったという声を、よく耳にします。受験用のダイジェストな知識は持っているが、それ以上は知らないし知ろうともしない、という。視聴覚時代とはいえ、誠に憂慮すべき傾向であります。
 古典についてのダイジェストな知識などはそれこそ受験のための知識、知識のための知識にすぎない。古典を読むということは、優れた文人の魂と「縁」することであります。それによって自我が磨かれ広がり、自己の成長が図られるのであります。そうした精神的鍛えは、原典に真正面から取り組む以外になく、ダイジェストな知識などでは、とうてい不可能といってよい。その労苦を避けていては、表面的な知識のみは豊富でも、精神構造は人間としての豊かさや潤いのない浅薄で偏った人間に育っていってしまうでありましよう。
14  古典に限らず、すべての勉学面で「知識の個別性」を「知恵の全体性」へとつなげていく努力を、教師も生徒も、常に怠ってはならないと思います。受験をはじめ制度面での歪みを取り除くことも当然、必要であります。とともに、こうした努力がなされれば、多少の制度悪などは包み込み、乗り越えていくスケールの大きな人材が育っていくに違いない。自分だけ良ければ、という小さなエゴイストではなく、「知恵の全体性」を問いながら、自分の生き方を人類の運命にまで連動させゆく「全体人間」ともいうべき俊逸の育成こそ、教育の本義であることを、私は信じてやまないのであります。
15  「創造性」は人間の勲章
 第二に訴えたい点は「創造性」ということであります。
 思うに創造性ということは、人間に与えられた勲章であり、人間が人間であることの証とは言えないでしょうか。人間のみが、能動的かつダイナミックに、一日そしてまた一日と、より高きものを目指し、新たな価値創造の営みをしていける存在なのであります。
 「創造性」とはまた、個性を開花させてゆく母体でもあります。人間は千差万別であり、それぞれに個性をもっております。しかし多くの場合、個性は全面的に花開く前に、蕾の段階でしおれていってしまいがちであります。具体的に言えば、個性の輝きというよりも、一種の性癖の段階で凝固してしまっている場合が、間々みられる。「創造性」とは、そうした偏頗な凝固を溶かし、より満ち足りた開花へと内奥からうながす力であり、母体なのであります。いわゆる仏法で説く「桜梅桃李」の法理とは、そうした生命の内奥より発する個性の開花を意味しているのであります。
 ゆえに「創造性」とは、優れて内発的な力であります。かつて、第一次世界大戦後の灰儘の中に、学窓を巣立っていくイギリスの少年達に、ホワイトヘッドは「あらゆる成長の不可欠の源泉が諸君自らの内部にあるという事実をつかめ」(杉本正三訳編)と訴えました。知識はいくらでも外部から注入することはできますが、「創造性」や「創造力」は、何かが触発となって内より発してくる以外にないのであります。
 こうした「創造性」の開発、すなわち人間の陶冶こそ、学校をはじめとする今日の教育現場で、最も希薄になっていることの一つではないでしょうか。
16  青少年は、善い方向にも悪い方向にも向かいゆく可能性の当体であります。広く教育に携わる者として重要なことは、どれほど深く強く、その青少年一人一人の「創造性」を信じ、温かく育み、粘り強く開花させていくかということでありましょう。
 たしかにここでも、受験技術の習得など、制度面の歪みがもたらす要因が、大きな壁となっている事実を、私は否定するつもりはありません。しかし、そこにすべてを帰因させていては、無責任のそしりを免れない。「創造性」を薫発しゆく土壌は、人間と人間との打ち合いにあるからであります。無償の信頼関係に支えられた、ある時は厳しく、ある時は温かい魂と魂との打ち合いと鍛えの触発作業をとおしてこそ、創造的生命というものは、泉のごとく湧き出してくるからであります。
17  私の脳裏には、プラトンが有名な『書簡』の中で述べている言葉が、鮮やかによみがえってまいります。
 プラトンは、少しばかり彼の話を聞いたり著書を読んだだけで知った風な顔をしている人々に対し、「これらのひとたちは、……肝心の事柄を少しも理解している者ではありえない」として、次のように述べております。
 「そもそもそれ(肝心の事柄)は、ほかの学問のようには、言葉で語りえないものであって、むしろ(教える者と学ぶ者とが)生活を共にしながら、その問題の事柄を直接に取り上げて、数多く話し合いを重ねてゆくうちに、そこから、突如として、いわば飛び火によって点ぜられた燈火のように、(学ぶ者の)魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれ自体を養い育ててゆくという、そういう性質のものなのです」(長坂公一訳)と。
 誠に精妙な筆の運びといってよい。プラトンの言う「肝心の事柄」とは、彼の哲学の精髄部分に連なるものであり、恐らく、人類最大の教師の一人であった師・ソクラテスの薫陶のもとで学び取ってきた体験が、二重映しにされているでありましょう。それはかなり高度な精神的営為であることも事実であります。
 それと同時に、プラトンの言う「突如として、いわば飛び火によって点ぜられた燈人のように、(学ぶ者の)魂のうちに生じ、以後は、生じたそれ自身がそれ自体を養い育ててゆく」という触発作用は、広く現代の教育現場にも敷衍することのできる課題であると思います。青少年を一個の人格と見、人格と人格との切磋琢磨をとおして何ものかを伝えていくことは、知識の伝達にもまして、教育の基幹だからであります。
18  ご存じのように、日本の伝統社会には地域によって子育てを″子やらい″と呼ぶ習慣がありました。″子やらい″とは、子供を前にやり、あとから押してやるという意味で、子供の自立心を養うことに重点がおかれていたようです。柳田国男は「ちやうど今日の教育といふものゝ、前に立つて引張つて行かうとするのとは、まるで正反対の方法」と言っております。そうした習慣は、一定のカリキュラムを立て、それを修了するまでは青少年を「半人間」もしくは「未人間」とみなしがちな近代教育の知識偏重の傾向に対して、一つの重要な教訓を投げかけております。
 人類学の分野では、近代文明が見落としてきた三つの大きな要素――未開、無意識、子供――の発見が、二十世紀の三大発見とされている、と言う。たしかに子供の発見、すなわち青少年の独立した人格をどう認め、評価するかという点では、現代教育は、大きな曲がり角にさしかかっているといってよいでしょう。
19  ともあれ、青少年の内に秘められた創造力を薫発していくには、教える側の努力が不可欠であります。忍耐が、勇気が、愛情が必要であります。人間を教え育んでいくためには、教師自らが人間的魅力の輝きを放っていなければなりません。
 ソクラテスの感化力を、世人が″シビレエイ″のようだと評したのに対し、彼は、シビレエイは、自分がシビれているからこそ他人をシビれさせることができるのだ、と応じました。
 とすれば、青少年の「創造性」の薫発は、まさに、教師自身の努めて創造的な日々の中にこそあると思うのであります。でなければ、いくら「創造性」の開発などと言っても、それは絵に画いた餅に終わってしまうのであります。
 コンピューター社会が進行し、教育の場にも様々な機器が導入され、ますます効率と便益を増していくでありましょう。それはそれとして結構なことであります。しかし、その反面で、先に触れたような努力、忍耐、勇気、愛情といった古くて新しい人間的な徳目が、更には創造的生命力が枯渇してしまったならば、本末転倒のゆゆしき事態であります。
 学問に王道がないように、教育にも王道はないのであります。その意味からも私は、我が教育部の皆さまが「勇気ある関わり」「慈愛あふれる関わり」等をスローガンに人間教育に携わり、社会的にも大きな評価が寄せられている幾多の結晶を勝ち取っているという事実に、絶賛の拍手を惜しまないものであります。
20  幅広い教養の国際人たれ
 第二に「国際性」であります。国際化時代が加速度的に進行する中で、有能な国際人をどう育成していくかは、日本の将来の死命を制するほどの重要性を持っているといっても過言ではありません。
 善かれあしかれ、現代の日本は、世界でも有数の「経済大国」となっております。最近の貿易摩擦が示すように、その日本がどういう方向を目指すかは、世界の動向に重大な影響を及ぼします。私も何回かお会いしているキッシンジャー博士によれば、「経済大国」が「軍事大国」化しない理由は、歴史的にみて考えられないそうであります。しかし、過去の歴史がどうあれ、今後の日本が平和と繁栄を享受していくには「軍事大国」以外の道を歩むほかなく、よしんばそれが未踏の道であっても、先駆の誇りと勇気をもって切り開いていかねばならないでありましょう。
21  それを私は、かねてより「文化立国」と申し上げているのであります。私も一民間人として、これまで様々な試みを行ってきましたが、文化交流のもたらす相互理解というものは、一見華々しくはなくても、偉大な力を持つことを痛感しております。
 これに関連して、最近ある本を読んでいたら、日露戦争終結時にまつわる一つのエピソードが語られていました。
 ――戦争末期、日露両国を仲裁してくれる国を探すため、アメリカには金子堅太郎、イギリスには末松謙澄の二人が、政府の秘密指令を帯びて派遣された。当時のルーズベルト大統領は、金子とハーバード大学の同級生ということもあって「君のためにつくそう。ところで国民に日本を何といって宣伝したらいいんだ」と言った。それを予期していた金子は、新渡戸稲造の『武士道』を手渡した。すると大統領はそれを一晩で読み、「この本で日本人がわかった。アメリカ人に宣伝してやろう」と、仲裁に乗り出してくれた。
22  ところが末松のほうは、サロンに顔を出しては「旭日昇天のごとき日本」といった、今でいうGNP風の誇示と宣伝にのみエネルギーを費やしていたので、嘲笑を買うばかりであった、と。
 文化の持つ力を象徴的に物語るエピソードと言えましょう。残念ながら日露戦争後の日本は「軍事大国」への道をひた走ってしまいましたが、今日の「経済大国」日本も、それが文化の力によって裏打ちされない限り、極めて危うい岐路に立たされているということを、私は訴えたいのであります。
 「文化立国」を目指すには、何といっても人であります。語学にも堪能で幅広い教養を身につけた、力ある国際人を数多く育成していく以外にありません。その点、実際の役に立たない、と悪名の高かった日本の語学教育も、最近は随分改良が加えられているようであり、喜ばしいことであります。
 とともに、私が強調したいことは、語学に堪能であることは、国際人としての必要条件ではあっても十分条件ではない、ということであります。国際人として立ちゆくには、政治や経済の実用的知識にとどまらず、自分の国の伝統文化への造詣と相手の国のそれへの理解――すなわち、幅広い教養が要請されるのであります。その教養とは福沢諭吉の言う「物知り」ではない。立ち居振る舞いにいたるまで、自らの人格に刻み込まれてこそ、真実の教養であります。「文化とは生き方である」とのエリオットの名言があるように、それは、付け焼き刃の知識などではなく、マナーやしつけをはじめ、小さいころから教え込まれていなければ、決して身につかないものなのであります。その意味で「文化立国」とは「教育立国」でもあります。
23  かつて森鴎外は「二本足の学者」の必要性を強調しました。
 「私は日本の近世の学者を一本足の学者と二本足の学者とに分ける、
 新しい日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を巻いてゐる国である、そこで東洋の文化に立脚してゐる学者もある、西洋の文化に立脚してゐる学者もある、どちらも一本足で立つてゐる、(中略)そこで時代は別に二本足の学者を要求する、東西両洋の文化を、一本づゝの足で踏まへて立つてゐる学者を要求する、真に穏健な議論はさう云ふ人を待つて始て立てられる、さう云ふ人は現代に必要なる調和的要素である」と。
 鴎外自身、和漢洋の文化に通じた大教養人でしたが、ともかくこの指摘は、今なお未解決にして喫緊の課題を提起しているといえましょう。学者に限りません。「二本足」とは、要はバランスのとれた幅広い教養と受け止めていってよいと思う。国際化の進行しゆく今、鴎外の時代にもまして「現代に必要なる調和的要素」を兼ね備えた人材群の輩出が要請されているのであります。
24  このバランスや調和という観点から、最近気になっていることを、一点申し上げておきたい。それは、ここ数年来ブームとなっている昭和史の歩みの中で″排外主義″と″拝外主義″の振幅が、あまりに激しすぎるということであります。
 戦前、戦中の神がかり的な国粋思想、″排外″的な行き方は論外としても、その反動として戦後は、日本の歴史の中の良質な部分までが等しなみに軽視、あるいは無視されてきた。すなわち″拝外″であります。
 最近では、それへの揺り戻しのようなものが、力を増してきているようでありますが、もしその流れが「経済大国」の傲りと重なったならば、またしても日本を危険な方向へ導いてしまうであろうことが、懸念されてなりません。
 私が申し上げたいことは″排外主義″も″拝外主義″も、コインの両面のようなものであり、ともに自信と主体性のなさの表れであるということであります。自信がないからこそ揺れ動き、アンバランスになってしまうのであります。そのような状態で、いくら「世界に目を」と叫んだところで、とうてい真の「国際性」の名には値しないでありましょう。
25  経済力や軍事力は、思い上がりは生んでも自信はもたらしません。文化こそ自信の揺籃であります。その意味では、教育の現場にあっても、例えば日本語の正しい使い方、古典や伝統芸術への造詣など、日本文化のかけがえのない遺産の習得には、もっともっと力を入れていってよいと思っております。外国語の学習一つとってみても、日本語の正しく豊かな習熟がなければ、どこかで行き詰まってしまうからであります。
 私の見聞からいっても、国際社会で通用し、厚く遇されている人々は、まず″魅力ある日本人″としての個性の輝きを持っているものであります。″良き日本人″であることは、″良き国際人″であることと、決して矛盾せず、むしろ、両々相まって真実のコスモポリタン(世界市民)たりうるのであります。教育の場に要請される「国際性」も、そうした方向を目指していくべきではないでしょうか。
26  以上、「全体性」「創造性」「国際性」を視座においた人間教育の重要性を述べてきました。
 言うまでもなく教育制度の改革も、そこに拠って立つべき明確にして深い理念があって初めて、その目的を成就できるものであり、私が非才をかえりみず、あえてここに三つの視座に言及した理由もそこにあります。
 そこで私が期待したいことは、具体的な教育実践の中で、新たな青少年観、成長発達観を練り上げ、皆さまの手で今日的な教育理論を構築していっていただきたいということであります。
 牧口初代会長は、だれにも劣らない情熱をもって、教育に携わるとともに、厳しいまでに冷徹な科学的態度をもって教育事実を記録し、その蓄積を『人生地理学』をはじめとする教育理論にまとめ上げ、ついには『創価教育学体系』へと構築していったのであります。
 戸田第二代会長もまた、優れた教育者でもありました。公立学校での教育経験や、時習学館という自ら創設した教育機関での実践をもとに『推理式指導算術』をまとめられたのであります。こうした尊い伝統と情熱は、我が教育部の中にも、脈々と受け継がれているでありましょう。
 今後も教育実践報告大会、研究発表大会を充実させ、更に教育活動の基本である授業記録の着実な蓄積を期待したいのであります。こうした皆さまの営々とした努力こそ、やがては一波が万波を呼び、二十一世紀への偉大な潮流となっていくことを信じてやみません。
27  教育国連を考える「世界教育者の会」を
 さて、周知のとおり、明年は「国際青年の年」であります。時代を開く活力、豊かな創造性を持った青少年が大いに交流し、グローバルな視野に立って、二十一世紀の地平を切り開いていく使命を自覚する年になってほしいと願ってやみません。教育に携わる関係者の責任もそれだけに重大であります。その意味から、私はここで、何点か、具体的な提案を申し上げておきたいと思います。
 第一に明年、ハワイ(あるいは広島)で「第一回世界教育者会議」を開催してはどうかと提案するものであります。
 各国の教育の現場に直接携わる者、あるいはその関係者の代表が一堂に集い、グローバルな視点から教育の現状を論じ合い、新しい時代にかなった教育の在り方を模索することは大変に意義のあることだと思う。
 この会議において、仮称「教育国連を考える世界教育者の会」を発足させてはどうか。かねてから私は世界的次元での「四権分立」的発想に立った「教育国連」の必要性を主張してまいりました。現在、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が抱える様々な問題を思うにつけ、二十一世紀の人類の教育を考える国際機関を民衆の英知を結集しつつ求めていくことが必要不可欠になっていると痛感いたします。
 もとより、この問題は相当な準備と時間がかかることは言うまでもなく、この世界教育者の会を更に進め、各地域ごとの実情を踏まえた「教育国連構想ヨーロッパ準備会議」や「アジア準備会議」等の必要な時が必ずやってくると思うのであります。
 どんなに時間がかかろうとも、教育の問題は一歩一歩地道に積み上げていく以外にない。だが、地下水脈は必ずや地表の凍てつく大地を突き破って噴出してくるものであります。その意味で皆さま方の忍耐強い努力をお願いしたい。
28  更に「世界教育者会議」では、「二十一世紀教育宣言」の採択を考えてはどうか。
 全地球的な課題を踏まえつつ、人類として、人間として二十一世紀の教育がどうあるべきかを徹底的に論議し煮つめてほしい。そして、誰人も納得しうる宣言を提起していっていただきたい。この宣言をもって各国各地の教育者が、自らの住む地で賛同の輪を広げ、二十一世紀への人間教育の大きなうねりとしていくことができれば、教育者の連帯も、青少年の活力も一段と豊かなものになっていくことでありましょう。
29  次に国際的な教育交流の今後について、一言触れておきたい。これまで私は創価大学の創立者として各国の大学を訪れ、教育交流を進めてまいりました。引き続き今後も、この道を更に耕し、肥沃な交流の大地としてまいる決意ですが、その点を線につなぎ面として拡大するために、教育者の皆さまの一段の努力もまたお願いする次第です。
 ご存じのとおり、先ごろ、創価学園の社会科教諭による第一次訪中団が敦爆をはじめ中国の各地を訪問し、中国の教育界のメンバーと有意義な交流を進めてまいりました。教育部においても、すでにソ連、中国に教育交流団が派遣されておりますし、多くの教育部員が、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア等、教育交流を進めております。
 私は、更にこうした教育者の交流を可能なところから各国に広げ、重層的な教育交流の実を挙げていってほしいと念願するものであります。
 また、将来的には教育部の先生方が中心になって協議し、各国に少年・少女平和使節団の派遣も考えていってはどうか。春秋に富んだ若き世代が友好交流の輪を広げることこそ、二十一世紀の明るい未来を約束するものであると確信するからであります。
 更に将来的な構想を申し上げれば、「創価教育賞」を設け、教育界で大きな足跡を刻んだ人達の功を称え、人間教育興隆の一石としていってはどうかと考えるものであります。
 二十一世紀を担う主人公はまぎれもなく現代の青少年でありますが、彼らの生命の扉を開く主体者は何といっても、直接かかわっている教育者であります。
 その意味で言えば、教師の胸中の一念の中にこそ、青少年の限りない成長も、時代変革の活力も秘められているといっても決して過言ではありません。この教師の強い一念はまた、父母の行動に、そして地域社会のうえに反映していくことは間違いありません。
 その現実の証を、教育部の皆さま方が、勇気と情熱と、慈愛あふれる日々の行動でもって示していっていただきたいことを念願して、私の所感とさせていただきます。
 (昭和59年8月25日 「聖教新聞」掲載)

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