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日蓮大聖人・池田大作

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生命を尊厳ならしめるもの 「『人間の世紀』第一巻」から

1973.1.0 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
1  はじめに
 現代の文明社会において、それが直面している″危機″と称せられるものの実体は、とりもなおさず、尊厳なるべき生命が、あらゆる意味で危殆に瀕しているということである。だが尊厳であるべき生命への侵害及び軽視というこの風潮は、何も現代に始まったわけではない。むしろ、文明の発祥以来、生命に尊厳性が認められたことは、極めて稀であったとさえ言えるのではあるまいか。
 古来、尊厳なるものと考えられたのは、まず、神であった。神の姿やその特質についての考え方は、民族により、時代により、様々に異なるが、尊厳という比類を許さない絶対的価値が、神に対してのみ与えられたという点では一致していたとみることができる。
 尊厳とは、ある意味で神の代名詞でさえあった。
2  やがて、文明の発達とともに、人間社会がより大勢の人々の心を持続的に統合することが要求されるに至り、この神は、地上における″力″と密着する。すなわち、尊厳なる神の、地上に投影したものとして、王による統治が始まる。王は、神の子、神の代理人、時には神そのものとして、尊厳性を付与され、絶対的権力をふるうのである。
 古代ギリシャ人の言う、アジア的専制君主がそれである。そこでは、人民は、否、大臣、将軍といえども、尊厳なる王に仕える奴隷でしかなかった。
 これに対して、古代ギリシャ人にとって、尊厳なるものは、いかなるものとして映ったか。美や真理、あるいは善といった、プラトンのいうイデーがそれであったと考えられる。各ポリス(都市国家)は、それぞれに守護神を掲げ、その神が体現するイデーに奉仕し、献身することを、市政の理想としたのである。このギリシャ的倫理のもとでは、人々は神の尊厳を分かち持つことができたから、一応、理念的には、人間の尊厳も可能であった。だが、それにしても、現に生きている生命そのものに基盤をおいた尊厳観では決してなかったのである。
 歴史は、一貫して、こうした神に基盤を持つ尊厳観の展開であったといってよい。
3  科学と技術は、本来、神の尊厳に奉仕するために生まれたのであったが、やがて、その発達は「神」を覆った神秘のベールをひきはがすに至った。尊厳性の淵源は多様化し、相対化して、空洞化したにもかかわらず、人間の奉仕と犠牲を求めるメカニズムは少しも変わらないばかりか、むしろ、より大規模になってきたとさえいえる。
 生命の尊厳という考え方、つまり、この世で尊厳なるものとは、人間の生命それ自体であるという思想が、今日に至って″市民権″を得ようとしているのは、こうした歴史的推移の結果といえよう。もとより、それは生存の本能から発したものであって、過去においても少数の人々は、これを鋭く指摘してきた。だが、大多数の人々は、この点で自分が逆立ちしていることには、気づかないできたのである。
 今日では、当然のことと考えられている、この生命の尊厳という思想も、その歴史は、極めて浅いわけだ。しかも、現代人は言葉の美しさと快さに酔いしれるのみで、理念を裏付ける実体に迫る術を知らない。
4  確たる実体の把握がなされない、単なる言葉としての理念は、現実の前には、極めて無力であり脆い。生命の尊厳という考え方が、あらゆる人間の営みの根源となり、現実的な力を持つためには、生命とは一体、何であり、いかなる特質、内容を持ち、あらゆる事象とどう関係するのかといった問題が、明確に理解されなければならないであろう。そのうえに立った生命の尊厳観にして初めて、社会的、文化的営為のうえに、厳たる支配力を持ち得るに違いない。
5  一、人間精神の歴史と生命の尊厳観
 ″生贄″の論理
 人間精神の発展の初期段階において、尊厳なるものは、万物の根底にある″霊″であったと想像される。特に、自然界の力は、人間の力をもってしては、いかんともなしがたい強大な存在であり、抗すべからざる神聖なものと考えられたであろう。自然の圧倒的な力の前には、人間はただ畏れ従う以外になく、その怒りを鎮め、更に、前もって怒りを誘発しないために、人間の犠牲が必要であるとされた。
 その最も代表的な例として、広く知られているのは、アメリカ原住民の樹てたアステカ文明における生贄の儀式である。彼らは、自らの信ずる太陽神ウィツイロポチトリが与えてくれる超自然の力は、捧げられた人間の心臓の数に比例すると信じた。少なくとも、毎月の半分は生贄を捧げる儀式が行われたと伝えられ、捕らえた他部族の兵士であることもあったが、多くはアステカの若者がこの生贄となったのである。生きながら胸を切り開いて、心臓を取り出し、ほとばしる血で祭壇を染める残酷さであるが、当の犠牲者も、民衆も、むしろ名誉と考えるのみで、何ら疑念を抱かなかったといわれる。
 しかし、これは、何もアステカだけの特殊な風習ではない。やり方には差があっても、人身を生贄に捧げる風習は、あらゆる民族に共通のものであった。アステカの例がよく知られているのは、外部世界との接触がなかったために、純粋な形で残されていたからにすぎない。いきなりこれに接したスペイン人征服者をはじめ、世界の″文明人″は、この風習の野蛮さに驚愕したが、何千年かさかのばれば、いずれの民族もやっていたことだったのである。
6  生贄を捧げる対象は、自然力を象徴化した神ばかりではない。生前に強大な権力を持った王侯達が死んだ場合、その妻妾や召使い達も、亡き主人の霊を慰めるために、生贄にされるのが普通だった。中国の殷代と思われる貴族の墓が発掘された時、おびただしい白骨の列が、その殉死の有り様を如実に物語っていた。我が国でも、古代には同様の風習があったが、その残虐さへの反省から、野見宿禰の建言によって埴輪をもって代えるようになったという。ただし、野見宿禰建言説は、今日疑問視されているが、殉死の風習がかつてあったことは間違いなく事実である。
 ともあれ、原始社会においては、天地自然の抗いがたい力や、人智をもって計り知ることのできない死者の霊といったものが、畏怖され神聖視された。これと尊厳観とは必ずしもイコールで結びつかないかも知れないが、そうした畏怖の中に、尊厳とする考え方もおのずから含まれていたとみることはできよう。そして、現実問題として、人間生命は、こうした力や死あるいは霊というものの前には、誠に無力ではかないものであるとされ、更に、これらの力や存在を慰め鎮めるために、すすんで生きた人間の身体が生贄に供されたのである。
7  ″巨大機械″の誕生
 このような原始社会の風習は、その後の人間の歴史にも根強く残ってきた。時間的にみれば、人間の誕生以来の歴史の、おそらく九九%は、こうした原始的状態が占めてきたのである。いわば人間に体質化したものとして、それが極めて歴史の浅い文明化社会の底流をも強く規定しているとしても、何ら不思議はない。
 文明化の歴史は、大部分が神に対する奉仕のための工夫から始まったと考えられる。大がかりな建造は、まず神の住居を荘厳するためのものであった。ヨーロッパ先住ケルト民族のものと思われるドルメンやメンヒルは、多分、信仰の祭壇であったのであろう。エジプト、ギリシャ等に残っている古代の大建築も、大部分が神殿である。これはのちに述べることと関係するが、エジプト王のためのピラミッド、ベルシャの官殿の遺跡も、一応は王を対象にしているが、その王とは、神そのもの、あるいは神の代理とされたのであって、これらの建造もまた、人々の宗教的情熱によってなされたのである。
8  古代ギリシャの学問や芸術、文学もまた、神の栄光を称え、神の偉大さを証明することに主眼があった。ピタゴラスの学問の底流にあった神秘主義はその一つの典型である。ユークリッドの幾何学も、神の摂理の明晰さを証明しようとしたものであった。ホメロスの作品において、神々が演じている役割を考えてみるがよい。また、神々の崇高さと美しさを表すために幾多の優れた彫刻が生まれ、神々の心を慰めるために競技や演劇が行われ、詩が朗読された。
 だが、文明の発達の結果は人間の自然支配の力を増大し、神々への畏怖から人間を解放することとなった。人間に知恵と火を与えたプロメテウスは、神々から罰せられたが、知恵を得た人間は、もはや独自の道を歩み始めたのである。アダムとイブは、知恵の果実を食べたあとエデンの園から追放され、苦悩を負いつつ、自らの力で生きていかなければならなくなったのである。これらは神を中心にした物語であるがゆえに、追放、処罰という形で語られているが、人間を中心にみれば、人間が神の支配を脱し自主独立の道を歩み始めた過程を象徴しているといえまいか。
9  人間の力の増大は民衆のあらゆる力を組織的に統合し、ルイス・マンフォードのいう″巨大機械″を形成することによって一つの極点に達する。この″巨大機械″の上に君臨する絶対君主は、神の地上における代理者、時には神そのものとさえ考えられた。王は神聖視された権威によって臣民の献身を得、臣民は献身的な協力の成果という実質的利益とともに、神聖なる王の恩寵のもとにあるという心理的充足を得たのである。
 しかしながら、神の代理、あるいは神そのものという尊厳性を得たのは、あくまで王のみであって、臣民は、それにつながる者として栄光を分かち持ったにすぎない。実質的には王以外の臣民のすべては、王の権威と力を支えるための″巨大な機械″の部品でしかなかった。ある時は王の意志一つで、ある時は機械の論理によって、この部品はいつでも取り替えられたり、つぶされたりした。
 この″巨大機械″の原理は、エジプト、バビロニア、アッシリア、ベルシャ、秦、漢、マヤ、アステカ、インカ等々の古代国家だけのものではない。近代以後、再び強大化し、人間の生命の尊厳への圧倒的な抑圧となっている。近世ヨーロッパに端を発するナショナリズムは、その現実にあらわれた姿であり、その強大化の極限状況は、ナチズムなどの全体主義に示されたとおりである。
10  いや、それは政治的な国家機構ばかりではない。経済的目的を追求する種々の機構――企業もそうであり、労働組合や思想・学術団体といえども、巨大機械の原理と無関係ではないといえよう。
 もとより″文明化″された現代においては、ナチズムなどの全体主義の行った大量虐殺は例外として、目に見える形で生贄が捧げられるわけではない。民衆の奴隷的あるいは献身的な労働によって、ピラミッドや神殿、長城等を築くわけでもない。だが、国家意志の名のもとに、かつてとは比較にならない規模を持つ殺戮のための準備が大国によって着々と進められ、現に局部的には殺象と破壊の行為が公然と行われているのである。それだけではない。人間の福祉の向上を名分として、国家や企業は、自然を破壊し汚染して、人間の生存条件を急速に悪化させているのである。
11  真理と美への奉仕
 神への奉仕から出発しながら、やがてそれ自体が神化されていったものに、右の″王″や″巨大機械″と並んで、真理や美、善といった価値理念がある。前者を社会的側面における神化現象とすると、後者は文化的側面における現象と言える。もっとも、この二つは別個に独立したものではなく、緊密に結び合っており、むしろ、一つのものの異なった面であるとさえ言えよう。
 ギリシャ人が最も大きいウエートをおいたのは″美″であったように思われる。これに対してヘブライの永遠的な神への志向は″真理″の探究であったと言えないだろうか。″善″なる価値は、真理と美の追求の結果として、必然的にもたらされるもの、あるいは真理や美の探究それ自体が善であるとされ、″善″そのものを追求することはあまり行われなかったようだ。
 ともかく、真理の探究は、根本的には神そのものに迫ろうとする信仰であり、それに付随し、神の摂理を究め証明しようとして宇宙、自然の真理の探究が行われ、もろもろの学問の発展を促していった。美もまた、神の摂理のあらわれた姿は本来、美しきものであると考えられ、更に、神のこの世の支配を意義づけるために、神の居処である神殿や寺院は、最大限の美しい意匠で荘厳された。こうして、科学と技術、芸術が、神を中心とし信仰を基盤として発達していったのである。
12  だが、宗教改革を経て、神の有り様に対する考え方が変わった。つまり、神と地上の世俗との媒介者としての教会、寺院は権威を失い、信頼されなくなってしまったのである。いかなる人も、神と直接に触れ合うことができることとなり、その趨勢のおもむくところ、真理の探究、美の追求それ自体が神に接する行為であると信じられるに至ったのである。従って、真理を追究する人にとっては、そのこと自体が神聖なる営為であって、美を究め、その創造に献身することも、神聖なる使徒の振る舞いとなるのである。
 科学至上主義、芸術至上主義が、近世から近代にかけてのヨーロッパ文明の巨大にして強力な柱となったのは、このような思想的背景があったことを知る必要があろう。そして、こうした真理や美を至高の目的として仕える科学者や芸術家が、何を生み出し、人類をいかなる運命に巻き込もうとしているかは、今さら論をまたない。
 もとより、彼らが生み出したものがどう使われるかということは、彼ら自身の責任問題ではない。ここに、前述した社会的側面のいわゆる″巨大機械″の原理が、その無気味な顔をのぞかせる。科学者の発見した真理やその応用で創造された技術は、国家や企業という″巨大機械″の手に移る。現代では科学者の作業それ自体が、膨大な資金を必要とするようになり、既にその段階すら″巨大機械″の支配下に組み込まれてしまっている状態である。
13  ″巨大機械″の原理といい、真理や美、善の価値理念といい、いずれも超越的な″神″という一本の根から出たものである。原始の先祖達が、神のためにおびただしい生贄を捧げたように、今日に至るまで人類は、これら残虐な神の派生物に対し、生贄となることも、やむを得ぬこととしている。否、自ら生贄となることを名誉とさえ考える人も少なくない。
 ところで、生命の尊厳という思想は、現に生きているこの人間の生命が神聖であり、他の何ものをもってしても侵すことのできないものであるとする考え方である。従ってそれは、少なくとも人間文化の発祥以来、一貫して支配的に流れてきたもろもろの原理を真っ向から否定し、百八十度転換するものなのである。
 もし旧来の支配的思考の流れの一端にしかすぎない″生命の尊厳″観――ルネサンスや近代ヨーロッパのそれは、この域を脱しない――であるなら、真の意味での生命の尊厳観とはなり得ないであろう。
 つまり、そうした生命の尊厳への訴えは、圧迫へのプロテストではあっても、決して文明を転換させることはできない。まして現代の人類が直面している、これまでの文明を百八十度逆転させた、新しい人間文化を建設していく基盤と柱には、とうていなりえないのである。言ってみれば、従来の文明の中で叫ばれてきた″生命の尊厳″の思想は、せりあがった山塊の頂にたまたまかかる雪の冠のようなものであった。それは美しいが、はかなく、最上層の特殊な人々のみが享受したにすぎない。これから築かなければならない文明は、その最も基底部から頂上に至るまで、″生命の尊厳″という哲理の純自の結晶で築かれた高峰でなければなるまい。
 その前に、従来の文明において、以上に述べた生命軽視の基調のうえに、どのような形で生命尊厳観があらわれたか、そしてそれは、いかなる実体性を持つものであったかをたどっておきたい。
14  二、人間主義運動としての革命の本質とその失敗
 ここに言う″革命″とは、いわゆる狭義の政治革命ではなく、思想的、宗教的変革である。例えば、政治革命、経済革命であっても、社会の広範な領域にわたる思想的変革をもたらしたものはこの中に含まれるが、あくまで思想的な変革に主眼がある。それは、本論の主題が″生命の尊厳″という理念の解明にあることからいって、むしろ当然のことであろう。
15  高等宗教の誕生
 この観点から論ずるにあたって、まず取り上げなければならないのは、今日、いわゆる高等宗教と呼ばれるものが誕生する母胎となった各種の宗教的、思想的変革運動である。これは、原始宗教における″生贄″の思考法からの別離をもたらした。いわゆる原始宗教は、天地自然を、この世のすべてを包容し、限りなく与えてくれる″母″と考えた。特に、人間への恩恵の源泉である大地を母とし、天空を父とするものが一般的であったようだ。″生贄″の血は、そうした一切を産み出してくれる母なる大地の胎内をうるおすとされたのである。″生贄″に捧げられた若者達が恐怖を抱かなかったのは、母なる神の体内に還るのだと考えたからである。
 それに対して、新しくあらわれた神は、人間に法と原理を与え、それに則って行動することを要求する厳しい父としての神である。幼児のように抱擁し、慈しむ母ではなく、突きはなし、自立することを求める父親の神である。母なる大地の神が多様性に富んでいるのに対し、父なる天の神は、唯一絶対の存在である。
 このような厳父としての神の概念が、まずイスラエルの人々の間に芽生えたことは決して偶然ではなかったと思われる。なぜなら、彼らはアブラハムの昔から、彼らを温かく抱擁し慈しんでくれる大地を持たず、厳しい砂漠の空の下を彷徨ほうこうしなければならなかったからである。
16  しかし、思想的に人間を自立へ導く法と原理を持った神として、明確にあらわれるのは、モーゼからである。この点についてエーリッヒ・フロムは、その著『正気の社会』の中で次のように述べている。
 「あらゆる生命の統一原理を代表し、目に見えぬ無限のものである神の概念によって、自然の有限で雑多な世界、つまり物質の世界にたいする対極がつくられた。神に似せてつくられた人間は、神のもつ性質を共有している。人間は自然から抜け出し、完全に生れ、完全に目覚めようと努力する。この過程は、中国では最初の一千年間の中期に、孔子や老子があらわれるとともに、つぎの段階に到達した。インドでは仏陀とともに、ギリシャではギリシャの啓蒙期の哲学者とともに、パレスチナでは聖書の予言者とともに、ローマ帝国では、キリスト教やストア主義のおこった新しい頂点とともに、メキシコでは、ケッツアルコートルとともに、アフリカでは、もう五百年あとに、マホメットとともに、つぎの段階に到達したのである」(加藤正明・佐瀬隆夫訳)
17  少し長い引用になったが、この変革の意味を的確に表明していると思ったので、そのまま写させていただいた。ただし、フロムが見落としている一つの大事なポイントがあると思う。それは人間が自然から抜け出し目覚めるための努力であったという意味では、これらはたしかに同等に論じられるであろうが、そこには根本的に相異なる二つの方向があったということである。ここに挙げられている中で、中国、インド、ギリシャのそれは、どこまでも法ないし原理が根本で、孔子、老子、仏陀、そしてギリシャの哲人達は、それを求め究めて、覚者として人々に伝えたのである。従って、同じくこの法、原理を求めて究めれば、すべての人がこれらの覚者と等しい存在になり得るはずである。
18  これに対して、聖書の預言者達や、イエス、マホメット等といった人々は、神という実在が根本であり、その特別の恩寵によって、預言者となり啓示者となったのである。この場合、神は「原理を代表」する存在であるが、より根本的には神の意志そのものが原理になる。これらの宗教の淵源である旧約聖書によれば、宇宙そのものが、神の「光あれ」「水の中に蒼弯おおぞらありて水と水とを分つべし」「天の下の水は一処に集りて乾ける土顕るべし」等々の言葉によって生じ、形成されたのである。この思想の中では、だれでも法と原理を覚知すれば、イエスやマホメットと等しくなれるという考え方は、とうてい生まれてこないし、存在することを許されない。
 このことは、これらの新宗教が、旧来の原始的土俗宗教と対決する方式のうえに、大きな違いとなってあらわれていく。法や原理を根本とする宗教は、旧来の信仰を思想的、哲学的に打ち破り、そのうえで、これらをその体系の中に取り込んでいったのである。それに対して、旧約聖書から発した宗教は、そうした思想的、哲学的対決はなく、全能の神のもとへ行く、目の覚めるような、救済の福音によって心を奪うか、現実的な力の対決によって相手を圧倒し、服従させていった。これはまた、その後の歴史の展開にも決定的な相違を生ずるのである。
19  教会支配からの脱皮
 特にキリスト教は、イエスを単なる預言者とせず、神と神の子イエス、そして聖霊との三位一体を教義とした。そこから更に、その地上における代理者としての教会の権威が絶対化され、中世ヨーロッパの教会支配が確立されたのである。あらゆる学問や芸術は神学に仕える侍女とされ、独自の発展は強大な力によって抑圧された。ルネサンスと宗教改革によって象徴される近世啓蒙運動は、こうした教会の絶対主義的支配から信仰と学問、芸術を人間の手に取り戻そうとするものであった。
 宗教改革は当然のこと、ルネサンスさえも、いわゆるキリスト教信仰からの解放を目指したものではなかった。ルネサンスを代表する偉大な芸術家の作品は、いずれも神の栄光や聖書の中に説かれている物語を題材としており、壮大な寺院建築を飾るために創造されたものである。哲学者や科学者が真理の探究に情熱を傾けたのは、ほかならぬ神の摂理の正しさを裏付けるためであった。たしかにマキアヴェリのように、極めて冷ややかな無神論者もいたことは事実である。だが、それは、あくまでも例外的存在にすぎなかった。
20  大部分の科学者や哲学者、芸術家は、敬虔な信仰者であり、むしろ、その信仰の情熱こそ、彼らの思索や研究、創作活動を支えるエネルギーの源であったことを知っておく必要があろう。
 それにもかかわらず、彼らが築いた業績は、結果として人間の偉大さを謳い上げることとなった。ルネサンスの芸術家達が描き刻んだ神や天使の像は、人間らしい魅力に満ちあふれ、時には生々しいまでの人間味をさえたたえている。神の摂理である真理の探究は、信仰によって得られるのでなく、理性による人間の思索と研究によって得られるのだということを前提として、初めて成り立つ。人間らしさ、人間の理性が、あらゆる理想を、はるかな頭上の天国から、この地上に引きずり下ろしたのである。
21  更に、宗教改革は、信仰そのものを教会という媒介者を経ないで、直接に人間と神の接する場においた。このことは、やがて、人間がこの世界においてなす、あらゆる善なる行為が、神の恩寵につながるのだという考え方に発展していく。つまり敬虔な祈りだけが、神の心に叶った祝福された行為なのではなく、学問も、芸術も、生産活動も、商業活動も直接、神の恵みと祝福を受けることができるのである。
 このように、ルネサンス及び宗教改革は、ヨーロッパ・キリスト教世界においては、人間の尊厳を現実化するための画期的な前進の一歩となった。あくまでも神を中心とし、神の摂理によって一切が決定されるとした中世の思想に対して、ルネサンスの思想は、人間の自由意思を前面に押し出したのである。宗教改革は、信仰そのものを人間の心に帰せしめる結果となった。その意味で、宗教改革は、もとよりその起こった動機は全く異なるが、ルネサンスの志向したものを、信仰の分野に実現したということができる。
22  ところで、こうしたルネサンスの思想的変革を理解するために、その一例としてピコ・デラ・ミランドラの思想を一瞥いちべつしておきたい。ピコは人間の意識や行動が、星の位置などによって決定されるという中世の信仰に対して、自然現象は物質界の法則に従うものであり、人間は自らの経験と意志によって意欲し行動すると主張した。これを裏付けるために、ピコは、聖書の天地創造説に新しい解釈を施す。――神は創造の日の最後に人間をつくり、それまで個々の存在に分け与えていた一切を人間に与え、自らの似姿とした。そして、最初の人間アダムを世界の中央に据え、お前はお前の自由に自らの本性を形成してよい、お前自身が自らの創造者、形成者であれ、そのために自分は、あらかじめ定められた特定の使命、特質を付与しないのである――と告げたというのである。
23  このピコ・デラ・ミランドラの思想は、ルネサンス以後の思想、学問の展開に対し一つの重大な転機となった。自然現象を物質界の法則に従うとしたことは、のちの自然科学の発達にとって思想的基盤となった。ケプラーは、ピコを指して、自己の先駆者と呼んだと伝えられる。また、人間は自らの創造者であり形成者であるとする考え方は、神の支配から脱して自らの権利を確立しようとしたルネサンス的人間像を、象徴的にあらわしているといえよう。
 だが、ルネサンスも宗教改革も、神の支配を基調とするキリスト教世界という体制内の変革の域をあくまで出なかった。たしかに教会の権力及びドグマによる支配は、大きく揺るぎ崩れかけた。だがそれは、人間の自由の増大へはつながらず、世俗的王権という新しい支配体制の中に組み込まれていった。教会が占めていた″シーザーのもの″はシーザーに奪い返されたのである。しかも、この″シーザー″は、新しい装いをもってあらわれてくる。すなわち、かつて教会が自らの世俗的支配権を増すために用いた「王権神授」の原理を、今度は王権が自身のために活用して、神によって裏付けられた王権としてあらわれる。近世絶対王政がそれである。
24  ヨーロッパ・ヒューマニズムと世界侵略
 近世王権の確立と拡大の歴史は、国によってそれぞれ事情が異なる。スペインはイベリア半島からアラブ勢力を駆逐して確固たる基礎を築き、世界の富を求めて海外に進出した。フランスは百年戦争を経て、まず国土を確保し、重農政策によって富を増大した。
 イギリスは羊毛増産から繊維産業、鉄綱産業へと、産業革命を中核に、やがて″世界の工場″として巨大な力を蓄えていった。世界を舞台にした活動では、無敵艦隊を破って海洋軍事力の主導権を握り、スペインに代わって植民帝国のチャンピオンとなった。ロシアはもっぱらイギリス、フランスに学んで、文化的向上を図る一方、東方シベリアに進出し広大な国土を領するに至る。
 ドイツは宗教改革の結果、新旧両派に分かれた宗教戦争の舞台となり、悲惨な破壊をこうむる。元来、オーストリア、ドイツは、神聖ローマ帝国の本拠として、中世を通じて世俗的帝王権の中枢であったが、封建領主の支配体制が根強く、絶対王政の樹立は立ち遅れたのである。そうした諸侯割拠の体制が、宗教戦争を名目とする諸外国の介入と戦乱を許してしまったといえる。ともあれ、こうした事情で、ドイツ、オーストリアは、国内の統一、世界進出において他国に遅れをとることとなる。
 ルネサンスの先覚者であったイタリアも、ローマ法王庁の権限が強く、加えて各都市が自治権を持っていたため相互の争いを繰り返し、そこにフランス、ドイツ、オーストリア等の勢力が介入して、王政の確立、統一は最も遅れてしまった。その他のオランダ、ベルギー、北欧や東欧諸国などについても、筋からいえば触れなければならないところであろうが、本論の主旨には影響がないので略すことにする。
25  ともあれ、こうして成立した近世・近代のヨーロッパは、中世のそれとは著しく異なったものとなった。中世ヨーロッパが、キリスト教の信仰と、教会の支配体系のもとに統合され、コスモポリタン的な雰囲気を持っていたのに対し、近世・近代のそれは、ナショナリスティックな割拠体制になってしまったのである。その一方で、ヨーロッパ各国は、アジア、アフリカそして新大陸アメリカに進出し、世界のヨーロッパ化の歴史が始まる。
 彼らは、その旺盛な物欲と支配欲に促されて、こうした世界の各地が、あたかも無人の地であるかのように、自国の領土に取り込んでいった。その底流には、ヨーロッパ人のみが人間としての尊厳性を持ち、他の民族は、ヨーロッパ・キリスト教民族のために仕えるべく、神より定められた人種であるという考え方があったことは否めない。言い換えると、ルネサンスと宗教改革によってあらわれた「人間の尊厳」観が、あくまでキリスト教の神の恩寵を基盤としていたことからくる限界性が、ここに、はからずも顕在化したのである。
26  ヨーロッパ人が″暗黒大陸″と呼んだアフリカにも、既に立派な黒人王国があった。黒人達は、きちんとした法と慣習をもって、部族的な秩序ある社会生活を営んでいたのである。アジアにいたっては、ヨーロッパよりはるかに古くから開け、体系化された文明社会であったことは、今さら言うまでもない。また″新大陸″アメリカも既に数万年来、モンゴル系人種がベーリング海峡を渡って住み着き、独自の壮大な文化を築いていたのである。だがヨーロッパ諸国民は、そうした文化に何らの敬意を払うこともせず、原住民族の権利を顧慮することもなく、神と王の名において自国への併合を進めていった。こうしてアメリカにおけるアステカ、インカ等の王国、アフリカの黒人社会、インドのムガール帝国、そして、やがて中国の清王朝が、あるいは破壊され、あるいは破壊にまで至らずとも無残な侵略を受けたのである。
27  市民革命とナショナリズム
 ヨーロッパ近世に始まった絶対王政に対しては、国によって様々な形をとったが、いずれも人間としての権利を掲げて革命が行われた。イギリスにおいては清教徒革命に始まって、何度か試行錯誤を重ねながら議会制民主主義が確立されていった。フランスでは一七八九年の大革命によって一挙に爆発し、共和制からナポレオンの帝政、そしてまた共和制、王制と変動を重ねる。ドイツは王政の確立自体が遅れ、革命も二十世紀に入って第一次大戦の終幕とともに起こる。ロシアの場合、最も強力な帝政が続くが、やはり二十世紀初頭に至って大革命が起こり、共産社会へと移行する。
 王政の圧迫に対して抵抗の中核となった人々も国によって異なる。イギリスでは貴族階級が中心になり、フランスはブルジョア階級が主体となった。ドイツ革命は軍人によるものであり、ロシア革命は労働者、農民が中心となった。しかし、例えばイギリスの場合も、貴族による革命というだけではとどまらず、徐々に一般庶民、労働者の権利要求へ波動は伝わっていったのである。
28  こうして、この一連の動きは、神の権威を後ろ楯とした王制の横暴に対して、自国内で起こった民衆の″生命の尊厳″への戦いであったといえる。
 この変革の歴史によって、たしかに王政は崩れた。だが民衆の心に根ざしたナショナリズムは、なくなったわけではない。むしろ民衆が国政の前面に出ることによって、かえって、ナショナリズムは民衆の心に浸透し、一層強力になったといっても過言ではない。こうして極度に高まり、強化されたナショナリズム相互の対決が、二度にわたる大戦を惹き起こしたのである。大戦後の今日、ようやく人々が骨身にしみて感じていることは、偏狭な国家主義、ナショナリズムこそ、人間の尊厳にとって最も恐るべき侵害者であったということではあるまいか。
29  ″豊かさ″のもたらす危機
 たしかに、ナショナリズムの危機性が徐々に自覚されつつあることも事実である。しかし、それは手放しで楽観できる事態ではない。いわゆる″巨大機械″としての国家は、その威力をそがれたとしても、企業をはじめとする種々の組織がある。しかも、国家権力それ自体が、心理学的な巧妙な手段を駆使して、人々に自律的、能動的に行動していると思わせながら、結果的には部品化し奴隷化していく可能性も、今日ではむしろ増大しているからである。
 更に科学と技術の発達によって、人間の基本的欲求の一つである物質的欲望が大幅に充足できるようになったが、このことは多方面にわたって、広範な変革の波を及ぼしている。既に述べたヨーロッパ諸国民の世界征覇も、そのキリスト教的生命観による優越感、使命感とともに、科学の発達による技術の力があって初めてなし得たものであった。また近世以来のナショナリズムの潮流が、深刻な挫折をきたしたのも、二度の大戦において繰り広げられた、科学技術の巨大な力による破壊と殺象の恐ろしさが、大きな要因となっている。
30  人間に幸福をもたらすと信じられた科学技術の発達は、こうした悲惨な戦争と結び付いて成し遂げられてきたものである。科学技術の与えてくれる恩恵は、それが戦争のために急激に発達したことが原因であった。従って、逆に現在の福祉はやがて、いつ恐るべき災禍に変貌して襲いかかってこないとも限らないのである。
 科学が発達し真理が解明されることは、人間にとって、より大きな力の獲得を意味する。
 しかし、真理の究明は無条件に″善″とは言えない。力は使い方によって、善にもなれば、悪にもなる。問題は使う者の心、すなわち人間の本性であり、それをリードする道徳律、世界観、生命観の問題となる。
 更に、ここにもう一つ新しい問題が生じてきた。科学技術の力が戦争という破壊や殺戮に使われることが″悪″であるということは、まだ容易に判断できる。では物質のより豊かな生産のために用いられることは、そのまま″善″と言えるだろうか。普通に考えれば、無条件に″善″であるはずである。貧困、窮乏は、戦争、病気とともに、人間の最も普遍的な不幸の原因であった。科学の成果が産業において技術化され、物資を豊富に、しかも安価に生産し提供できるようになったことは、この貧困、窮乏を追放して人間に幸福をもたらしてくれるはずであった。ところが、ここにも複雑で深刻な問題が生じてきたのである。
31  たしかに窮乏のために生きるか死ぬかという追い詰められた状況では、物資の供給は幸福に直結する。だが、平常の事態においては、窮乏感というものは、相対的なものである。人より豊かになりたい、人より優れたものを持ちたいというのが人間の本性であって、その願望が満たされない限り、たとえ有り余る豊かさの中にあっても、不満や貧窮感は常につきまとう。そして、比較的安易に欲望が満たされると分かると、次から次へと欲望をかきたて、その欲望を追求せずにいられなくなる。もはやこうなると、人間は欲望の奴隷に堕してしまい、心の平静も、精神的な充実の意欲も失ってしまう。人間精神の内面からの崩壊が進行しはじめるわけだ。
32  侵蝕される生命の連鎖
 これは心理的、精神的な人間の崩壊現象であるが、生理的、肉体的にも人間をむしばむ恐るべき現象があらわれてきた。産業の発達によって、自然が破壊され、生活環境が著しく汚染されはじめたのである。産業が自然のリズムに秘められた力をそのまま活用していた段階では、破壊も小規模であり、汚染も、自然現象の流れの中で還元され、再生されることができた。しかるに、科学技術の発達によって本来、地上の生命的世界にとっては異物である重金属や石油を原料とする高分子化合物が、生命の連鎖の中にまぎれこみはじめたのである。
 中枢神経を冒す水銀、激痛をともなって骨を軟化させ、背丈が縮んでしまう″イタイイタイ病″を起こすカドミウムなどは、そうした重金属類の代表である。高分子化合物の例としては、DDTやBHCなどの殺虫剤、PCB等の薬品類がある。いずれも動植物の体内に吸収されるが、元素である重金属は当然、高分子化合物も、極めて安定した構造を持っているため、破壊されないまま、それらの動植物を食べた人間の体内に取り込まれ蓄積されていく。その蓄積量が、ある許容限度を超えると悲惨な症状を呈し、廃人にしてしまうか、死に至らしめるのである。
33  もとより、具体的にそうした症状があらわれたという例は、今のところ、限られた地域の、限られた人々にしかみられない。だが汚染は、地域差はあるにせよ地球的規模で進行しており、その進行の速度は、年々加速されている。もしこのまま進んでいくならば、やがて、被害は全人類の上にふりかかってくるに違いない。繁栄のための生贄というには、原始社会の生贄に比べても、あまりにも悲惨であり残酷ではないか。
 ともあれ、近代以後の科学技術の力による物質的豊かさへの努力は、それが人間の幸福、生命の尊厳を現実に保証するであろうと信じられたからこそ、あくことなく続けられてきたのである。ところが、その繁栄を謳歌している産業社会において、精神的にも肉体的にも、尊厳なるべき生命に対する深刻な破壊が生じてしまった。それは文明時代に入って以来、大部分の人々を導いてきた短絡的思考――すなわち、社会の体制、機構を変えれば幸福は保証されるとか、物質的に満たされれば幸せになれるといった考え方――の根本的欠陥を露呈したものといってよい。
34  社会体制と幸福、物質的豊かさと幸福感とは直接に結び付くものではなく、人間生命という、とらえがたいが無視することのできない実体が、その間にあることを意識せざるを得なくなったのである。否、それは単に中間にあるなどというものではない。実は、この″生命″こそ一切を包含する全体であり、生命の尊厳をこそ何よりも優先して考慮しなければならないことが明白となったのである。もとより、そうした考え方は過去にも幾多の優れた人々が提唱してきたことも事実である。言いふるされたことでもあり、当然の道理でもある。
 それにもかかわらず、なぜ言いふるされるのみで実現しなかったか。なぜ当然の道理が現実にならなかったか。それを私は、人間の原始以来の基本的思考と、社会原理、文明の理念の中にこれを根本的に否定する要因があることを示した。そして一方、この当然の道理を実現するために様々な形で変革の試みがなされたけれども、これらの人間の思考や社会原理、文明の理念そのものを変えることはできず、今日に至った失敗の歴史を明らかにした。この失敗の原因を一言で言うなら、人間生命の核心的把握がなされなかったことにあるということである。
 実体への核心的把握と程遠い、単なる抽象的な言葉や盲目的、受動的に身をゆだねた信念では、現実変革の力とはなり得ない。生命とは何か、なぜ尊厳であるのか、また、いかに行動し、どのように社会と文明を創造することが、生命の尊厳という原理を保証するのかという、明確な意識と能動的な行動があって、初めて生命の尊厳は確たる実体性を持つことができるのである。
35  三、生命の尊厳性を考える視点
 規範としての尊厳観
 既に述べたように″生命の尊厳″という理念を確固たるものにするには、生命とは、一体、何であるのか、を明らかにしなければならない。ただその前に、尊厳とはどういうことなのかという点について、明確にしておく必要がある。文字通りの意味は「尊く、厳かなこと」であるが、それだけでは、あまりにも漠然としている。これについて、カントは『人倫の形而上学の基礎づけ』で次のように述べている。
 「目的の王国においては、すべては価格を有つか、あるいは尊厳を有つかである。価格を有つものは、その代りに、他の何ものかを等価物としておくことができる。それに反し、すべての価格を越えて尊いもの、したがっていかなる等価物をも認め得ないものは、尊厳を有つのである」(高坂正顕訳)
 つまり、カントによると、尊厳とはいかなる等価物をも置くことができないこと、あらゆる価格を超えたものということである。とするならば、尊厳性ということは、そのもの自体において付随する特質ではなく、そのかけがえのなさを感じてくれる意識者との関係において成り立つものである。卑近な例で言えば、極めてありふれた万年筆であっても、長い間使って愛着があるとか、それがその人にとって生涯忘れることのできない思い出の記念であるとかいった場合、どんなに大金を積まれても手放せないということもあろう。それは、その人にとって、それなりに″尊厳性″を持っていることになる。
36  同様のことは動物についてもいえるし、人間についてはなおさらである。一人の人間は様々な意味で、いろいろな人と深いつながりがある。そうした関係のある人々にとって、その人の存在は他に代えられないものである。このため、その人が死んだり遠い土地へ去ったりすると、心の中に空洞が生じたように感ずるのである。関係が親密で心の中に占めていた比重が大きければ大きいほど、そのあとの空洞も大きいわけである。そういう意味では、あらゆる人がそれなりに尊厳性を持っているし、あらゆる動植物や物体も尊厳性を秘めているということができる。ただ、その尊厳性が事実のうえで、つまり実感的な意識として具現するかどうかは、それを感ずる人の心によると言わなければならない。
 しかしながら、いわゆる″生命の尊厳″ということは、こうした感情と同等に論ずべきものではない。個人的な性向や生活経験の結果として、具体的な個々の人間・生命に感ずる尊厳性ではなく、普遍的な理念として、具体的な行動や態度の起因となるものである。もしそうでなければ、その生活経験や個人的性向から、ある物体や人間あるいは理想に尊厳性を認める人が、そのゆえに他の人々の生命を犠牲にするといったことも当然ありうるし、それを容認することは、生命の尊厳という理念にかけられている期待を裏切ることになってしまうからである。
37  宗教的信念の問題
 生命の尊厳ということは、あらゆる生命は尊厳であるということである。そこには尊厳視すべきであるという意味を含んでいる。尊厳視すべきだということは、尊厳性を感じうる意識を持たないものには、しょせん無意味であるから、人間をその主体として初めてこの理念が存在しうることも言うまでもない。そして「あらゆる生命」ということは、自己の生命のみであってはならない。自己と関係の深い人々の生命のみであってもならない。更に人間生命のみであってもならない、ということである。
 ところが、現実問題として、同じ人間同士でも好意を持てる人もいれば、どうしても好意を持てない人もいる。単に感情的な好悪の問題でなく、生命の安全を脅かしてくる人の場合もある。まして他の動物などにいたっては、その生命を尊厳と認めようといっても、とうてい無理だという場合が少なくはない。従って、あらゆる生命に尊厳性を認めるということは、それを信念とする以外にない。そうと決めるということである。これは、もはや、経験的な次元から帰納的に出てくることではない。自ら定めた信念であり、そこから演繹的にこれを規範として行動し、生きる姿勢を確立していくのである。
 古来、こうした尊厳観が本来、宗教や哲学を基盤として出てきたのは、このためといってよい。また、こうした人生の規範、人間としての拠りどころを説き示したものが宗教であり、その本質を探究しようとしたものが哲学にほかならない。
38  宗教はそれぞれに、尊厳とすべきものを立てた。多くの場合、人間は罪を負ったものであり、悪業に染まった存在とし、尊厳なるものは天上あるいは彼岸にあると説いた。そして、そうしたはるか彼方の尊厳なるものに自己の生命を帰することによって、罪の重荷を取り除き、浄化されて、その栄光にあずかることができると教えたのである。この救いの約束のもとに、人々は現実の人生に規範を定め、一種の安心感と充足感をもって生活を営むことができた。今日、そうした宗教が凋落してしまった原因は、もちろん宗教自身にもあるが、人々の関心が現実生活に集中してしまったことにもよる。秩序や法を失った社会が成り立たないように、人間の精神世界も拠るべき規範を失った時には、混乱し停滞して行き詰まってしまうものである。
39  生命の尊厳観と自己変革
 ちょうど現代人の心は、法と秩序の復活が自由の喪失になることを危惧しつつ、しかも、その再建を願わずにいられないといった状態にあるといえないだろうか。従って、ここで明らかにしなければならないのは、人間の自由が抑圧され奪われるのは、いかなる場合であり、どのような宗教であれば、いわゆる人間としての自由を奪うことなく、しかも確固たる基盤を人間存在に与えてくれるかということである。その場合、尊厳なるものを外界の事物や超越的な存在に求めるのでなく、生命そのものを尊厳とするのでなければならないことは既に述べたとおりである。これまでの宗教において、人間の自由が抑圧され歪められたのは、その説く尊厳なるものの実体が、あくまで現実の人間性を否定したところにあったからである。
40  人間の自由への願望を満たしつつ、しかもその精神の拠りどころとなるべき宗教は、生命それ自体を、そのあるがままの全体において尊厳とするものでなくてはならない。もとより、それだけでは一切が自由である代わりに、それを自己の昇華のための規範とすることは不可能である。生命とは、あらゆる要素と可能性を秘めた複雑にして多様な存在であるが、どのようになることが望ましいかを描くことはできるはずである。例えて言えば、種々の欲望はあらゆる生命に本然的に備わる特質である。だからといって欲望に無制限に身を委ねれば、周りの人々を傷つけ、我が身を滅ぼしてしまう。そこに欲望を賢明にリードできる理性なり道徳律といったものが、その人の生命に内在化しなければならない。
41  これは誠に複雑にして難解な課題であるが、そこに生命ないし人格の理想像を描き、この理想を自己の生命に実現することを目指して、自己変革に挑むのである。それは自身における″尊厳性″を、単なる一般的原理としてのそれから、具体的現実としてのそれへ転換するものとなろう。それと同時に、他に対してはどこまでもその生命を尊厳と認め、その幸福を願って行動していくべきである。なぜなら、その人の信念から行動として体現化されたものは、同時にその信念をより深め、生命自体を変革していくからである。
42  カントが「君は、君の人格の中にある人間性と、また他のすべての人の人格の中にある人間性とを、常に同時に目的として取扱い、けっして単に手段として取扱わないように行為せよ」と言い、「人間にとって、目的であるとともに、同時に義務であるところのもの」は「自己自身の完全性と――他人の幸福である」というのも、全くこの意味であると思う。しかしながら「自己自身の完全性」とは一体どういう状態をいうのか。これが明らかにされなければ、この議論は単なる概念の提示に終わってしまうであろう。
43  十界論に見る生命観
 文学を意識の流れとしてとらえたマルセル・プルーストの言葉に、次のような一節があった。
 「私は、ただ一人の男ではない。私の心の中を、ぴったりと列を組んだ兵隊の行進が、何時間も何時間もよぎってゆくのである。ある瞬間に私の心をよぎる兵隊の性格が、その時の私の心なのである。ある時には、ひどく興奮した男たちが、または無関心な男たちが、さらに次の瞬間には嫉妬ぶかい男たちが私の心を通りすぎてゆく。だが驚いたことに、嫉妬ぶかい男たちは、それぞれ別な女に嫉妬の炎をもやしているのである」
 たしかに、私達は、自分の心を冷静に振り返ってみる時、瞬間瞬間、様々な心が入れかわり立ちかわりして、とどまることがないのに気づく。スポーツや娯楽に興じている時の自分と、不愉快なことがあって怒っている時の自分、不幸な人のために役立ってあげることができて満足している自分と、のどが渇いたとか空腹だとかで、飲み物や食物を欲している時の自分等々というように様々に異なる。そのような変化の中にも一貫した自分があるのに違いないが、瞬間瞬間の変化は自分でも驚くばかりである。
44  私は本論で人間の尊厳への第一段階の思想運動として、旧約聖書を基盤とした一神教と、仏教そして中国の孔子、老子を挙げ、その後、一神教世界がどういう変遷をたどったかを通観した。そして仏教と孔子、老子の思想については″神″ではなく″法″を根幹にしたものであることのみ述べておいたが、この中でも仏教は生命そのものを解明し、そこから自己完成の原理を導き出そうとしたものであるといえる。この仏教の説く哲理はいかにも深遠で複雑なのであるが、こうした生命の多様性を分析し整理した法理に十界論がある。十界の名称は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏で、この一つ一つの名前は、日本人には馴染みの言わば抹香臭さを感じさせるものだが、生命の多様な実体を、見事に分析してみせた合理的な思索の結晶であると私には思える。
45  簡単に、この内容、特質を紹介すると、地獄とは苦悶する生命であり、餓鬼とは貪欲な衝動の生命である。畜生とは目先のことにとらわれる愚かさ、修羅は闘争の心、いわゆる平常の静かな人間らしい心が人間界、喜び楽しむ生命が天界である。以上を六道と言い、日常的な人間生活は、この六道を転々としているというのが「六道輪廻」である。このように瞬間瞬間、生命が変転するのは外界の縁によるが、受動的にあるがままに生きている限り、この六道の範疇は出られないというのが「六道輪廻」ということである。声聞以上の生命は、自ら自己変革の意志をもって、能動的、主体的に縁をつくり実践していく時に、初めて覚醒させることができる。声聞とは先覚者の教えを求め、それに習って自己を変革しようとする心であり、縁覚とはいわゆる飛華落葉の自然現象、宇宙の姿に想いを凝らし、自ら悟りを得ようとする心である。広い意味では書を読み学問することに喜びを見いだしていく生命も声聞と言えるし、芸術的創造活動や自然界や社会の現実の中から真理を究めることに無上の喜びを覚えるのは縁覚と言えるであろう。
46  仏界とは宇宙と生命の本質、究極的真理を体得し、自己の不滅と宇宙との一体性を悟り究めた絶対的な心の状態である。それは一切を包容し、一切を生かしていく無限の智慧をともなう。仏教が説く究極の理想、自己の完全性とは、この仏界の生命を確立することである。ここに理想をおいて、自己変革に挑む道程の生命を仏教は菩薩と呼ぶのである。広い意味では、すべての生命に尊厳性を認め、その幸福のために尽くす無辺の慈悲が菩薩の生命である。母が我が子の幸せを願う限られた対象に向ける慈愛も、「菩薩の一分」と説かれる場合もある。
47  ともあれ仏教は、仏界の生命を顕現することを理想と説くが、元来この十界は、すべての人、すべての生命体に備わっているものであって、例えば地獄の生命が苦悶の心であるからといって、これをなくすことはできないとする。生命体として現実に存在する限り苦しみ悩むことは避けられない。欲望もまた生命体の機能として必然的に備わっているものである。逆説的な言い方になるが、こうした苦悩があればこそ、楽しみが楽しみとして感じられるのであり、欲望があればこそ満足感が味わえるのである。
 要は地獄の生命に覆われ埋没してしまったり、餓鬼界の貪欲な衝動に支配されるのでなく、仏界の生命の確立を目指し、菩薩界の生命活動を基軸として、こうした十界の生命を賢明に主体的にリードしていくことである。ここにカントの言う「自己自身の完全性と――他人の幸福」を同時に具現する実践的哲学の原理があると私は考えたい。
48  「殺」の心を殺す
 人間は、生きるためには他の生物の生命を犠牲とせざるを得ない。厳密な意味で生命の尊厳とは、生きとし生けるあらゆる生命体について、その尊厳性を認めるということである。ところが人間は、一方で″生命は尊厳なものである″と言いながら、他方ではその尊厳なる生命を大量に屠ることによって、自己の生命を維持している。いや人間ばかりではない。ほとんどの動物は、その対象が動物であれ植物であれ、生命体を自分の生命維持のための資源としているのである。
 自己の生命の尊厳性と一般的な生命の尊厳性とは、ここで重大なジレンマに陥ることになる。これは人間を中心にした場合、人間の尊厳という問題と生命一般の尊厳という問題との矛盾になる。これに関連して、釈尊の言動をとどめた書に一つの興味深い問答がある。それは――ある人が、「生命は尊厳だというけれども、人間だれしも他の生き物を犠牲にして食べなければ生きていけない。いかなる生き物は殺してよく、いかなる生き物は殺してはならないのだろうか」と問うた。これに対して、釈尊は「それは殺す心を殺せばよいのだ」と答えたというのである。
49  質問のポイントは、殺してよい生き物と殺してはならない生き物との区別を示せということにある。釈尊は、直接にはこの質問に答えていない。だがそれは、はぐらかしたのではなく、より本質的に生命の尊厳というものを明らかにしているのだと私は考える。
 生命の尊厳とは、あらゆる生命を尊厳と認める自身の心の中にある。客観的にみるだけなら、いかなる生命も無常のはかない存在であり、苦悩に覆われ悪業に支配された存在にすぎないであろう。それが人の心に尊厳と映るのは、その人自身がこれを尊厳とみるからである。そして、その一切の生命を尊厳とみる心が、自己の生命を尊厳ならしめるのでもある。この客観性と主観とが一体となったところに、真実の尊厳性が現実化するのだと言ってもよい。
50  こう言えば、それでは尊厳とみたうえでなら、何をどのように殺してもかまわないのかという疑問が起こるかもしれない。私はそれは違うと思う。生命は、自己に関して少しでも生きながらえようとする、自己維持の特質を本然的に持っている。いわゆる生存本能というように、意識下の意識にもそれはあるし、更に深く生命体の機能にもそれは備わっている。他の生命を殺すということは、自己の生命の持っている、そうした特質、法則といったものへの違背になるわけである。そこには単に、意識のうえでの作為では変えられないものがあると思われるのである。
 周知のごとくキリスト教の原罪説は、アダムとイブが悪魔にだまされて、知恵の実を食べたことから人類の罪が始まったとする。その知恵とは善と悪とを判別する知恵であったという。このことは善悪の意識が人間の心に罪を刻むのだということになろう。もしそうであるなら、人間は人間としての高度な精神機能を営み続ける限り、罪の消えることはあり得ないことになる。私は、そうではなくて善と悪とをよく判断し、自らの醜さを深く省みながら、しかもその本源にある生命の尊厳性を実感しうるところに、人間の尊さがあるのだと考えるのである。
     (昭和48年1月 「人間の世紀」第一巻『生命の尊厳』所収)
 〔参考文献〕
 L。マンフオード『機械の神話』河出書屋新社
 L・マンフオード『生活の智恵』福村出版
 E・H・フロム『正気の社△L社会思想社
 速水敬二『ルネッサンス期の哲学』筑摩豊房
 ライフ人間世界史『古代アメリカ』タイムライフ社
 カント『人倫の形而上学の基礎づけ』

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