Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

文明の十字路に立って ブカレスト大学記念講演

1983.6.7 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
1  一昨日は、村落博物館を見学し、その広場で祖国ルーマニアの未来を担うべく美しき心と遅しき心で育ちゆく、少年少女達の民族舞踊の乱舞を拝見し、私は感動しました。この美しき瞳の少年少女の一人一人が「平和を、平和を!」と叫んでおられた。また、太陽と自由と平和がなければ、私達の未来は暗い、と訴えながらの歌と踊りは、終生にわたって私の耳架に深く響いて離れないことでしょう。
 どれほど平和を愛し、どれほど平和のために学んでいかなければいけないかという、命からの強き響きを私は感じました。
 また、幾百年にわたる各村落の家々七十一棟をそのまま保存しておられる光景を拝見し、貴国の心の奥にある魂は、やはり、太陽と自由と平和を希求しゆくという一貫したものであり、それはその心情の発露であることを、私は感じ取ったのであります。
2  ともあれ、このたび、美しい花、そして緑の樹々に包まれた貴国にFDUS(ルーマニア民主主義社会主義統一戦線)のご招待を受け、初めて訪問させていただき心から感謝申し上げます。
 更にこの伝統あるブカレスト大学での講演の機会を与えてくださった、イオン・イオビッツ・ポペスク総長をはじめ、ご関係者の方々に、私は心から厚く御礼を申し上げるものであります。
 また、聴聞してくださる教授の先生方並びに学生の皆さま方に、深く敬意を表するものであります。
 私はこれまでも、創価大学の創立者として、また創価学会インタナショナル会長として、世界各国を訪問し、平和・文化・教育の交流に尽力してまいりました。
 そこで、きょうは、緑したたる尊き歴史の年輪を刻んだ大樹に覆われた山々と、石油やぐらのはるか彼方から、輝く太陽が昇りゆく国章に象徴されるような、貴国の洋々たる新世紀への前途を思いつつ、かつまた、日本とルーマニアとの一層の交流発展を願いつつ、「文明の十字路に立って」と題し、少々時間をいただいて、所感の一端を述べさせていただきたいと思います。
3  さて、貴国は、豊富な天然資源のもとに、戦後、社会主義諸国の中でトップを切る経済成長を成し遂げた国であります。それと同時に、世界でも屈指のフォークロア(民間伝承)の宝庫として、日本でもよく知られております。
 私は、日本最大の音楽鑑賞団体である民主音楽協会の創立者でもありますが、その民主音楽協会が、一昨年の夏、「シルクロード音楽の旅」という企画を催しました。その際、ルーマニアからも三名の演奏者を招待し、全国的に演奏会を行いました。″ナイ″と呼ばれる民族楽器が奏でる軽妙な調べは、貴国の民族と民衆の魂の響きを乗せて、日本の各地で大変に好評を博しておりました。
 そうした魂の響きに耳を傾ける時、私は貴国の波乱に富んだ歴史に、目を向けざるを得ないのであります。
 申すまでもなく、貴国は、紀元前のダキア人の古代国家に始まり、ローマ帝国による併合、ゴート族やフン族の侵入、スラブ族の南下にともなうビザンチン文化圏への組み入れ、オスマン帝国の支配、そして十九世紀後半からの独立への道と、幾春秋にもわたる試練を経てこられました。
 そのような巨大な歴史のうねりの中、己が自由と独立と存続を求めてやまぬルーマニア民族の心は、凍てついた大地の下に閉じ込められているような時であっても、片時も戦いをやめることはなかったでありましよう。
 その間、様々な文化が、貴国の大地で交差しながら、肥沃な精神的土壌として蓄えられてきたのではないかと私は考えます。これが、フォークロアの宝庫たるゆえんでもありますが、歴史の淘汰作用に耐えて現代残っている、幾つかの大文明の中でも、貴国は、西ヨーロッパ・キリスト教文明、ビザンチン文明、イスラム文明と、実にこの三つの文明に、深く深くかかわってこられたのではないかと思うのであります。
 その意義からみても私は、まさに貴国は、歴史的にも、そして地理的にも、「文明の十字路」に厳として位置してこられたと考えるのであります。
4  もとより文明の交差というものは、平和裏になされるとは限りません。それどころか、しばしば武力による侵略・征服をともない、その結果、衰亡してしまった文明も数多くあります。しかし、文明や文化というものは、一見死に絶えてしまったようでも、その民族の心の底を地下水脈のように流れ続けているものであります。それは、様々に変形されながらもいつしかまた、時代の流れとともに地上に噴出してくる。それが文化的伝統の持つ力であるからであります。
 東洋に「ふるきをたずねて新しきを知る」という言葉があります。
 古い歴史や文化を大事にしなければ、未来への展望も開けてこないという意味であります。私は、そうした観点から、二十一世紀への展望を試みてみたいと思いますが、その際、まず私なりに最も重要ではないかと考えているのは、″部分と全体″という視座であります。両者の、すなわち″部分と全体″というこの二つのバランスをどうとっていくかが、二十一世紀への進路を決定づけるカギであるといっても過言ではないと思うからであります。
5  現代社会が一つの世界、一つの全体へと緊密に結び付きを強めつつあることは、もはや常識であります。十五世紀の大航海時代に始まり、産業革命を経て急激に発展してきた近代の科学技術文明は、民族と民族、文明と文明とを隔てていた距離空間を、一挙に短縮しました。
 卑近な例を挙げれば、オイル・ショックや最近の逆オイル・ショックの教訓は、一国のみの経済を考えていたのでは、その国のみならず世界経済が立ちゆかないということであります。また、モントリオールやモスクワの五輪で大活躍した、貴国のナディア・コマネチ選手の華麗な演技は、宇宙衛星を通して、瞬時に日本の茶の間にも送られてきました。
 更に根本的には、核兵器の出現があります。もし米ソ両大国が全面核戦争に突入すれば、もはや勝者も敗者もなく、人類は滅亡の淵に立たされます。
 その意味で核兵器は、地球を一個の運命共同体へと変えました。
6  このように善悪両面で、現代の我々は、世界を一つの全体、何らかの形で統一されゆく一つの社会と考えなければ、動きのとれない時代に直面しているわけであります。
 しかし、一つの世界への道は、決して平坦ではありません。統計によれば、現在国際紛争の起きているのが四十件、関与している国は四十五か国にものぼっています。
 ざんぎやく愚かにも人間の歴史は、悲劇の舞台をあまりにも大きく演出してきている。そして人間同士が残虐な方法で殺し合いをしている。
 ともあれ、著名なギリシャの歴史家ヘロドトスは、ダキア人を評して「トラキア人のなかでもっとも勇敢で正義感が強い」と簡潔に述べていますが、誠に鋭い洞察であると私は敬意を表するものであります。
 ダキアは、その後ローマの支配下に置かれました。しかしそれは、かたくなな支配と隷従ではなく、人種的に混血を繰り返し、優れたローマ文明と融合することによって、ルーマニアの民族形成がなされていったわけであります。今日、貴国が展開されている果敢なる自主平和外交などをみるとき、私は、そうした歴史の沿革に思いをいたさざるを得ません。
7  「新しいヒューマニズム」を求めて
 それはさておき、一つの世界への道程にあって、国家間、民族間の対立が、大きな障壁であることは言うまでもない。この対立を解消させるには、国連などによる粘り強い努力が必要とされましょう。
 しかし、私が″全体″に対する″部分″と申し上げるのは、必ずしもそうした国家や民族を意味しません。それらは、どちらかといえば、政治次元に重きをおいた区分だからであります。もとより、そうした区分も「平和五原則」などを軸としながら、当然尊重されていかなければなりませんが、私が申し上げたいのは、それらが、西ヨーロッパ諸国の主導してきた近代ナショナリズムによってもたらされた――たかだか、ここ数百年の歴史の所産であるということであります。
 それらの背後には、人類数千年の歴史と伝統に支えられた、豊饒にして多彩なる文化的土壌が横たわっているはずであります。豊かなフォークロアが示すように、ルーマニアにはルーマニア固有の、そして日本には日本固有の文化が、民衆の心の中に脈々と受け継がれているはずであります。
8  スイスの思想家ヴェルナー・ケーギは、「けだし一つの世界、甲の形にせよ乙の形にせよおそらくわれわれの未来を成すであろう一つの世界も、故里という細胞群――精神生活が、東でも西でもそのつど栄えた細胞群――が健康を維持するかぎりにおいてのみ生きうる」(坂井直方訳)と語っております。
 ケーギの言う「故里という細胞群」とは、それぞれの民族に固有の文化であり、私の言う″部分″も、そのことを意味しております。ガンなどの悪性の細胞が、人間の身体を次第にむしばんでいくように、一つの世界という″全体″への歩みも、固有の文化である″部分″をおろそかにすれば、絵にかいた餅に終わってしまうでありましょう。
 そこで、いかに両者のバランスをとっていくかが、重要な課題になってくるわけであります。これがいかに至難の業であるかは、科学技術による近代化を進めている国々が、おしなべて伝統と近代化の問題で苦闘を強いられているという事実が、雄弁に物語っております。言うまでもなく近代化とは、一つの世界化の異名にほかなりません。
9  ここで、湖面を対岸へ向かって漕ぎ渡っていく一艘のボートを想定してみたい。
 ボートは伝統文化、オールは近代化に譬えられます。ところで、いくら立派なボートに乗り、力いっぱいオールを漕いだとしても、肝心の湖水が大荒れであったならば、ボートはとても対岸へたどり着くことはできません。試練にさらされた現代文明は、必死にオールを動かしながら立ち往生しているボートに、どこか似ているといえないでしょうか。
 今求められているものは、凪のように穏やかな湖水であります。そして、この湖水にあたるものこそ、個々の伝統文化を輝かせながら、なおかつそれらを一つに結びゆく普遍的、精神的価値ではないでしょうか。言わば、この原点である、精神の世界化ともいうべきものが、成就されなければ、容赦なく進む近代化や、科学技術の発展に対応できないと、私は深く憂慮している一人であります。
10  私はここで、貴国の生んだ世界的な宗教学者ミルチャ・エリアーデの言葉を思い出すのであります。彼は、「私の願いは、いわゆる〈新しいヒューマニズム〉が、現代の西洋人と、知られざる、あるいは馴染みない意味の世界との出会いによって産み出されるということだ」と訴えております。
 〈新しいヒューマニズム〉とは、平易な表現の中に文明の十字路に生まれ育った人にして初めて可能な、豊かな未来性をはらんでおります。ただ残念ながら、エリアーデの願望にもかかわらず、この〈新しいヒューマニズム〉には、未だはっきりとした輪郭が与えられていません。昨年、ノーベル平和賞を受賞したスウェーデンのアルバ・ミュルダール女史が、平和の訴えにもかかわらず「世人は、耳をかそうとせず、じつのところ、私は少し疲れを感じはじめています」と率直に語っているように、心ある人々を失意に追いやるような現実が立ちはだかっていることも事実であります。
 しかし、私は、歴史の深い流れから、目をそらしてはならないと思うのであります。歴史の水面上では、様々な現象が、うたかたのごとく浮かんでは消え、消えては浮かび、を繰り返しておりますが、長期的にみて、歴史を決定づけるのは、水底の深く、緩やかな動きであります。そして私は、ほかならぬ民衆の大地に耳をそばだてて、心の扉をたたいてみれば、その深く緩やかな流れの音が、たしかに聞き取れると信じております。
11  話は変わりますが、東京の中心に「ダリエ」という、ルーマニア料理を食べさせてくれる、しゃれて、こぎれいなレストランがあります。申すまでもなく「ダリエ」とは、貴国を代表する作家の一人であるザハリア・スタンクの名作『はだしのダリエ』からとったものと思われます。この小説は、我が国でも翻訳され、よく読まれております。私も多忙なため、全部は読んでおりませんが、その内容の要点だけは読み取りました。その中で、言語を絶する圧政にもかかわらず、貧しいなかにあって、来る日も来る日も逞しくも明るく生き抜いている農民達の姿に、大変感動いたしました。
 その中に、ことのほか私の印象に残っている一つのシーンがあります。
12  『はだしのダリエ』の舞台は、ドナウ川の手前側のブルガリアとの国境近辺のようです。ですから、ダリエの村の人々とブルガリア人との付き合いは、ごく日常的なものであった。川を渡り、春には種を、秋には野菜を売りにくる彼らとは、土の匂いのする友情で結ばれていた。
 ところが、ブルガリアとトルコの戦争が起こり、彼らがぶっつりとダリエの村に姿を見せなくなった。そのうち、消息が伝わり、イヴアン、ストイヤン、ヴェルチウ、アントン……と、親しい名前が次々に戦場に消えていった。それどころか、今度は村人達が、ブルガリア人と戦わなければならなくなった。ある日、広場に集められ、憲兵からそのことを聞かされたとき、「人びとは口々にささやきはじめた」――とスタンクはつづっております。
 「ブルガリア人と戦争するんだと?」
 「おれたちゃ、ブルガリア人にどんなうらみがあるんだい? 友達だったじゃねえか。イヴアンも、ストイヤンも死んでよかったなあ。生きてりゃ、あいつらと戦場で顔を合わせるところだったぜ。こんな恥ずかしいことがあるもんか。おれたちゃ、お互いになぐりあい、射ち合わにゃならなかっただろうよ……おお、神さま、神さま!」(直野敦訳)
13  何と美しく、何と温かな人間性のほとばしりでありましょうか。きっと彼らは無学であったに違いない。しかし、無学ゆえに、歪められた民族的偏見や敵意とは無縁だったのであります。無学ではあるが、生活の大地にしっかりと根を張り、ルーマニア人であるとブルガリア人であるとを問わず、人々の心の奥深く潜んでいる人間性の美質、魂部分をひときわ鮮やかに体現しております。私は、別に無学を奨励するつもりはありませんが、あらゆる知識や学問とはそうした民衆のみずみずしい生活感覚に奉仕していくべきものであるという一点だけは、断じて忘れてはならないと思っております。
 誠に優れた文学作品というものは、民族の心のひだ一本一本を鋭く写しとり、万人の心を揺り動かしてやまない普遍的な形を与えているものであります。スタンクが見事に描き出したように、民衆の心、広く人間の心というものは、余計な粉飾物を取り払ってしまえば、想像以上に平和主義者であり、コスモポリタン(世界主義者)とはいえないでしょうか。
14  ここで今度は、日本の民衆に関するエピソードを、一つ紹介させていただきたい。日本と帝政ロシアが戦争を始めた一九〇四年ごろの話ですから、『はだしのダリエ』の舞台と同時期であります。
 ある時、日本軍の連隊本部にロシアの将校一名と兵隊一名とが捕らわれてきた。初めての捕虜であった。そこで、一人の中隊長が兵隊達を集めて「捕虜見学を希望する者は手を挙げよ」と言ったところ、手を挙げた者、挙げない者、ほぼ半々であった。そこで中隊長は、見学を希望しない者一人一人に、その理由を聞いていった。すると一人の兵隊が、こう答えた、というのであります。
 「自分は在郷のときは職人であります、軍服を着たからは日本の武士であります、何処のどういう人か知りませぬが、敵ながら武士であるものが運つたなく捕虜となって彼方此方と引廻され、見世物にされること、さだめて残念至極でありましょうと察せられ、気の毒で耐りませんから自分は見学にいって捕虜を辱じめたくありません」
 中隊長はこの意見を聞いて非常に喜び、見学を希望していた者も次々にこれに賛同して、ついに捕虜見学は中止されたというのであります。
 これは、日本の有名な作家が書き残している史実ですが、戦争の渦中の出来事だけに、とりわけ心洗われるようなエピソードではあります。私は、こうした人間性の美質を象った発想が、職人という名もない民衆の心から生まれ、またたくまに全中隊を制していったということが、誠に尊く思えてならないのであります。
15  彼は、絶対に戦争などはしたくなかったと思います。一日一日の職人としての仕事が一番尊く、また誇りに思っていたに違いない。しかし、やむなく戦場に臨んでも、人間であることの誇りだけは失いたくなかった。ロシアの捕虜を「何処のどういう人か知りませぬが……」といとおしむ言葉には、彼らもまた異国にあって、家族を持ち、働き者の生活人であるに違いない、といった哀惜の情が満ちております。
 それはまた、ダリエの村の人々の思いにも似て、生活の匂いのする民衆の心というものを伝えて余りあります。二つの事例が、ともに「恥辱」について語っている点に注意してください。ブルガリア人の友達と殺し合いをするのを「恥ずかしい」と思う心、ロシア人の捕虜を「辱めたくない」と思う心――その二つの心は、遠く離れて、いまだ見も知らぬ異邦人であっても、必ずやどこかで手と手を取り合っていることでありましょう。
16  「課題は足もとにあり」と言われます。洋の東西を問わず〈新しいヒューマニズム〉は、観念やスローガンではなく、こうした民衆の心の上壌の上にこそ、絢爛と花開いていくに違いありません。また、それに支えられてこそ、あたかもオールが水をしっかりつかみ、湖面を滑るように進んでいくボートのように、伝統と近代化、私の言う″部分と全体″も、調和とバランスのとれた発展をしていくであろうことを信じてやまないのであります。
 ともあれ、二十一世紀まで残すところ二十年足らずであります。そして、歴史というものは一刻も流れを止めようとはしません。〈新しいヒューマニズム〉の構築作業は、あげて皆さまの、また私どもの双肩にかかっております。私も、人間の尊厳を説き切った日蓮大聖人の仏法を奉ずる一人として、これまでもその作業に尽力してきましたし、今後も力の限り挺身してまいる決意であります。きたるべき世紀を、物心ともに栄えゆく一つの世界で荘厳するために、はるかなる道程を、ともどもに手をたずさえて進んでいきたいと思います。
17  最後に、この席をお借りしてルーマニア建国の指導者、世界平和のため尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より感謝の意を表し、私の講演を終わりたいと思います。ありがとうございました。ムルツメスク(ありがとう)。
 (昭和58年6月7日 ルーマニア・ブカレスト大学)

1
1