Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第13回「SGIの日」記念提言 平和の鼓動文化の虹

1988.1.26 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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2  やや我田引水の感があるかもしれませんが、トルストイもエマソンも若き日から私が座右に親しんできた文人であります。それだけに、感慨新たなものがあり、一連の両国首脳の対話から、単なる外交辞令を超えた新鮮な発想の転換が痛感されてなりません。
 レーガン大統領が「歴史上初めて『軍備管理』を『軍備削減』に置き換えるには、劇的な発想の転換が必要だった」と言い、ゴルバチョフ書記長が「良識が勝利した」と呼び掛けたところにも、それがよくうかがえます。
 いよいよ本年は米ソ間で、注目されている戦略核兵器の五〇%削減の条約が成るか否かの正念場の時を迎えております。世界の人々は、両首脳の今後の一挙手一投足に目を凝らすでありましょう。どうか、世界の期待を裏切ることなく、一度決めた「忍耐」と「対話」の大道を揺るぎなく進み、全人類的視野に立った決断をお願いしたい。
 紆余曲折はあっても、その大道を踏みはずさなければ、前途は明るい。二十一世紀を、はや指呼の間に臨む現在、緒についた平和と軍縮の流れの水かさを一段と増していくために、ささやかではありますが、本年も私自身、民衆レベルからの努力を着実に続けてまいりたい。新たな世紀への道はるかに、私どもが目指すものは「政治」に勝利する「文化」の、「力」に勝利する「精神」の、「国家」に勝利する「人間」の凱旋門であります。
 創価学会インタナショナル(SGI)は現在、世界百十五カ国にメンバーを有しております。戦争をはじめあらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の繁栄に尽くさんと、各国各地でメンバーは良き市民として地道に活動を進めております。私はこうした世界の同志の真心の応援を得ながら、これまで私なりに全力で世界を駆けめぐってまいりました。
 とりわけ教育、文化を核にした人間と人間との交流こそ、一切の平和の基盤であるというのが、私の変わらざる確信であります。そうした立場から、近く東南アジア諸国を訪問いたします。また長期的な展望に立って、ヨーロッパ、アメリカ、ソ連、中国等にも随時、交流の足跡を重ねてまいりたいと念願しております。
3  アジアとの文化・教育交流を推進
 なかでも本年、アジアは一つの焦点の年となりましょう。大韓民国(韓国)でのオリンピック大会開催は、幸いなことに全世界のほとんどの国が参加する、史上最大規模の「人類の祭典」となることが決まりました。米ソ対話の促進に続く緊張緩和の世界的潮流は、新しい時代をも予感させるものであります。
 私は一九八五、八六年の「SGIの日」記念提言で、韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の分断問題に触れ、双方の最高責任者の会談の急務なることを重ねて訴えました。アジアのみならず、世界の平和にとって、この問題が死活的に重要な位置を占めていると考えたからであります。
 国際政治に揺り動かされ、かつては戦場として血に染まった半島が、二度と崩れざる平和の地となってもらいたい。戦禍に泣き、分断に苦しんできた民衆こそ、最高に幸せになる権利を持っているというのが、私の変わらぬ思いであります。オリンピックが平和の祭典としての本来の役割を発揮し、東アジアの安定的発展にぜひプラスの方向に作用してほしいとは、誰人も抱く当然の願いであります。アジアの民の一人として、アジアの平和と安定を長く望んできた仏法者として、本年のソウル・オリンピック大会の成功を強く期待するものであります。
4  言うまでもなくアジアは仏法上まことに縁の深い地であります。戸田先生も生前、アジアの民の幸せを祈り続けてきたことを、私はよく知っております。従ってアジアの民への思いは、私の内にあってひときわ深く重いのであります。
 そうした心情から、これまでできる限リアジアの民衆との心の触れ合いを図ってまいりました。また、アジア各国の指導者や駐日大使などとも心を開いて話し合い、アジアにとって今、何が最も必要なのかを考えてきたつもりであります。
 このような対話の場で必ずといってよいほど話題になるのが、教育、文化交流の重要性であります。
 創価大学の創立者として、私はこれまで教育の交流に全力を挙げてまいりました。現在、創大は世界十一カ国・十五大学と交流するに至っております。アジアではこれまで香港大学、香港中文大学や北京大学、武漢大学、復旦大学等の中国の大学、インドのデリー大学、ジャワハルラル・ネルー大学、ラビンドラ・バーラティ大学などを訪問してまいりました。本年、私自身、香港大学、タイのチュラロンコン大学、マレーシアのマラヤ大学、更にシンガポール大学等を訪問し、図書の贈呈をはじめ教育交流の輪を一段と広げ進めていきたいと考えております。
 また民主音楽協会の創立者としても、アジア各国との文化交流はいつも私の念頭から離れたことはなく、民音の諸活動に側面からの支援を続けてまいりました。これまで「シルクロード音楽の旅」シリーズ、「マリンロード音楽の旅」シリーズ、日本・タイ修好百周年を記念するタイ古典舞踊劇「マノーラ」の公演、更には各国の国立民族舞踊団や王立歌舞団の公演等をとおし、中国、韓国、マレーシア、タイ、シンガポール、インドネシア、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカなどとの交流が重ねられております。本年の東南アジア訪問でも、マレーシア等で文化交流の輪を広げる予定になっております。
5  文化交流は「相互・対等」「漸進」的に
 なぜ私がこうした教育、文化交流を重視するのか。それはアジアの民衆と心の交流を図り、心の絆を強めていくことが、今ほど重要な時はないと思うからであります。
 私はかつて、文化交流とは、人と人との心を結び、その琴線に共感のハーモニーを奏でるものでなければならず、そのためにも、「相互性・対等性」に貫かれていることが肝要だ、と指摘しました。一方的な文化移入は、かえって文化放出国民の心に、傲慢というやっかいな種子を植え付け、逆に文化受容国の国民の心には、卑屈、時には憎悪の感情すら芽生えさせるからであります。
 今回は、その「相互性・対等性」ということに加えて、「漸進性」という原則にも言及しつつ、文化交流の在り方について、少々立ち入って論じてみたいと思います。
6  文化交流といっても、それが本格化してくればくるほど、一筋縄ではいかぬやっかいな問題をはらんでいることを、私は承知しているつもりであります。異なる価値体系を持った文化同士が接触すれば、そこによき触発作用が生じるのは当然でありましょうが、そうした異なる価値体系の浸透に対して、強い抵抗が生じることも、また必然なのであります。その結果、文化交流は、触発と同時に摩擦を生むことになる。このことは、西欧文化の、近代日本への浸透の過程をたどってみれば容易に明らかであり、最近の日本とアメリカ、ヨーロッパ諸国との貿易摩擦の底流には、その異文化間の価値体系のずれがあることは、周知の事実であります。
 我が国は、西欧文明の科学技術的側面は容易に受け入れ、その面では″本家″を追い越そうとしているかにみえます。しかし、精神面――すなわち文化の根底を成す価値体系となると、そうはいきません。日本の経済力の増大につれ、文化摩擦が経済摩擦とセットになって投げ返されてきても(″働きすぎ″″ウサギ小屋″うんぬん等)まだまだ戸惑いを隠せないというのが、我が国の現状ではないでしょうか。やっかいなことに、そうした摩擦は、交流が本格化してくるほどに、深刻の度を増しかねないのであります。
 もとより、事情は、文化放出国である欧米諸国においても同様であります。パリ大学のL・ヴァンデルメールシュ教授の「われわれ西欧人は、文化的相違がわれわれの支配的地位を脅かす惧れがあると見えるやいなや、その種の相違を我慢できない。ニューギニア原住民の儀礼的人肉喰いの慣習を、われわれ西欧人は極めて容易に認めるが、日本人が年に一週間の休暇しか取らないことには我慢がならない」との指摘は、その辺の難しさをよくついていると思います。
7  だからこそ、私は、文化交流には「相互性・対等性」と同時に、「漸進性」が必要であると思うのであります。なるほど、近代日本が科学技術面でなしたように、善悪は別として、素早く取り入れることの可能なものもある。しかし、文化総体となると、そうはいきません。急いで強引に事を運ぼうとすると必ず、亀裂やハレーション、それが高じて戦争といった事態さえ招いてしまうものであります。困難な課題ではありますが、否、それゆえに相互理解、相互浸透を旨とし、時間をかけて漸進的に事を運んでいくべきであります。そうであってこそ、文化交流というものが、平和裏に、二と二を乗じて八にも十にもなる豊かな実りをもたらしていくと信ずるものであります。
 世界の文明史に幅広い知見を持っておられたトインビー博士は、文化が浸透しゆく諸側面を、光線とプリズムによって分解されるスペクトルという、巧みな比喩をもって語っておりました。すなわち、放出される文化が光線であるとすれば、プリズムは受容国の抵抗、スペクトルは、政治、経済、技術、教育、芸術、宗教等の文化の諸側面であります。そして、トインビー博士は、文化は文化総体として受け入れられるのではなく、スペクトルのそれぞれによって抵抗の強弱があり、時間のずれが生じてくる。しかも、往々にして、人間にとって″枝葉″の次元ほど受け入れられやすく、価値観の根底にかかわるものほど強い抵抗を受ける――としております。
 再び申し上げれば、だからこそ「相互性・対等性」、「漸進性」を踏まえていくことが、大切になってくるのであります。交通、通信手段の発展によって、今後、異なる文化の間の交流が加速的に増えていくことは明らかであります。それは、新たな世界秩序への統合化のシステム作りの過程においても、欠かすことのできない作業であります。それだけに、文化交流は「触発」「建設」の方向に働かねばならず、過去の歴史上に一再ならずみられたような「摩擦」「破壊」をもたらすようなことがあってはならない。「相互性・対等性」、「漸進性」という二つの原則が、重視されねばならないゆえんも、そこにあるのであります。
8  私が、繰り返しこの点を強調するのは、第一に、欧米、特にアメリカにおいて、文化の相対主義というものに対する揺り戻し現象のようなものがみられるからであります。言うまでもなく、文化相対主義とは、近代ヨーロッパ的な価値観に基づく文化を、絶対的で普遍的なものであるとする進歩史観を斥け、相対化し、欧米以外の世界の文化にも、同等の価値がある、とするものであります。これは、特に第一次世界大戦以降、欧米中心の一元的世界観が崩れ、加えて、文化人類学などの先駆的業績が明らかにしてきた今世紀の大きな流れであります。二十世紀は「子供」「無意識」と並んで、「野蛮」を発見したとされるのも、従来「文明」に対して「野蛮」と貶価へんかされてきた文化が、実は、独自の価値と意味を持つことを見いだしてきた、言うなれば、歴史に対する正視眼ともいうべきものが、そこには働いているからであります。
 ところが、最近は、そうした文化の相対化が、欧米の人々の自信を失わせ、ひいては道徳的な混乱さえ招いているとする風潮が強まっているようであります。その結果″古きよき時代″を懐古する傾向が強まっているそうですが、これは、明らかに時代逆行と言わざるを得ない。文化のように、人間の生き方そのものと直結している問題が、富の大小や近代化の遅速などという物的かつ一元的な物差しで測れるはずもなく、もし、そうした価値観への回帰を志向するのであれば、古色蒼然たるアナクロニズムの烙印を押されても仕方がないでありましょう。
9  私が、文化交流の「相互性・対等性」と「漸進性」を訴える第二の理由は、近代日本の対外外交、特に対アジア外交が、その原則とは、まさに対極にあったからであります。
 かつてアジアに軍事的進出をした折の、朝鮮の人々に対する日本の側からの創氏改名の強要、国語としての日本語使用の強制などは、およそ文化破壊という以外になく、文化というものの在り方、成り立ちへの無知からきているとしか言いようがない。その結果、人々の心に、今もって消えぬ日本への憎悪と怨みを刻み込んでしまったのであります。こうした力による押し付けが、真の文化交流と対極にあることは、指摘するまでもないことであります。
 しかも、我が国は、東南アジア諸国においても、似たような所業を数多く犯してきているのであります。そうした過去の経緯を考えれば、アジアの人々が、日本の近代化の成功に驚きと羨望の念を抱きながらも、様々な″負″のイメージを重ねざるを得ないのも、当然のことでありましょう。
 これは決して、過去のことばかりとはいえません。現在でも、日本人のアジア、特にその地の文化への関心が高まっているとは、とうてい言えない。文化交流の在り方も、寒心にたえず、教育の世界を見渡しても、明治以来の悪弊である″脱亜入欧″のヨーロッパ志向は、依然根強いと言わざるを得ません。
 シンガポールのジャーナリスト陸培春氏は、その自著の中で「私達にとって、文化、経済面では日本は『遠くても近い』国で、その上、戦争中否応なしに日本とかかわっただけに、日本に対して関心を持たざるをえない。逆に、『日本の運命はアジア地域とどのようにうまくつき合っていけるかにかかっている』と考えているはずの日本人が、どうして私達のことについてあのように無知なのか、関心が薄いのかとても不思議だった」としております。
 これを一ジャーナリストの個人的意見としてすますわけにはいきません。多かれ少なかれアジアの人々の日本観の底流には、こうした複雑な感情が流れていることを、日本人は忘れてはならない。
 とりわけここ数年、日本が経済大国としての地位を確立するにつれ、″日本はもう外国から学ぶものはない″というような傲慢な姿勢――国際ジャーナリストの國弘正雄氏が「JAPAN AS No.1″的症候群」と呼んでいる現象が垣間見えることに、深い憂慮の念を抱いております。アジアに対する認識と理解の不足から、日本人のアジア蔑視の言動が多々目につくのは、はなはだ危険かつ残念なことと言わねばなりません。
10  我が国では、このところ「国際国家」としての日本の在り方が様々に論議されております。私は、真に日本が国際化を目指すのであれば、まずそのアジア認識を転換し、アジアの一員として、その繁栄のために日本が何をなしうるのかを真剣に考えることから始めねばならないと考えております。
 SGIは国連並びに広島・長崎市と協力しつつ、この一月、タイのバンコクで「核兵器―現代世界の脅威」展を開催いたしました。それまで東南アジアでは広島の被爆体験を訴える本格的な展示会は開かれたことがないのを、私は知っておりました。今まで「ノーモア・ヒロシマ」を訴える日本の声に対し、東南アジアの人々からのさめた視点が向けられてきたことも事実であります。
 第二次大戦中、日本は東南アジアの人々に甚大な被害を与えました。そのことを忘れて、被爆の惨禍ばかりを強調しても、東南アジアの人々が納得できないことも確かでありましょう。
 しかし今回、″核の脅威展″を開きたいとのタイ関係者からの強い要望に、私はあえて賛意を表したのであります。過去の忌まわしい行動は、深く反省しなければならない。それと同時に、核兵器の出現及び広島、長崎の被爆ということは、まさに黙示録的とも言うべき人類史の″事件″であり、特に戦争を知らない若い世代が中心になって″核時代″の意味を考え、新しいアジアの平和の時代を築いていってほしい。それが私のかねてからの念願であります。
 また、その意味で、今後二十一世紀へ向け、文化、教育交流の担い手たる若き世代、青年達の相互交流を一段と活発化させてまいりたい。
 去る七日、仏教発祥の地・インドで私に対して「国際理解のためのG・ラマチャンドラン賞」の授賞式を行っていただきました。その席上、ラマチャンドラン博士が「暴力に反対する青年運動こそ今世紀の挑戦である」と述べられたことに感銘いたしました。
 これまでも私どもは、例えば創価大学を中心として、世界各国、とりわけアジア諸国からの留学生を積極的に受け入れてまいりましたが、今後更にこれを促進するとともに、民間はもとより、各国政府機関にも働きかけ二十一世紀へ向けての幅広い青年交流の推進を図っていきたい。
11  アジア。太平洋に洋々たる未来
 ところで、このところアジア・太平洋地域の経済成長が世界的注目を集めておりますが、アジア地域に限っても、日本はもとより、韓国、台湾、香港、シンガポールのアジアNICS(新興工業国。地域群)、及びASEAN(東南アジア諸国連合)の持続的な成長が、今後の世界経済をリードする一つの重要な要素になってきております。
 一九六〇〜八〇年、すなわちこの二十年間のこれらの地域の経済成長は目覚ましいものがありました。実質GNP(国民総生産)の成長率は、韓国、台湾、マレーシア、シンガポールは軒並み八〜九%を超える数字を残しております。このままいけば二十一世紀には東南アジア地域は、世界で最も効率的な生産基地となり、世界経済活性化の中核センターになろうと予測されております。実際、二十一世紀初めには、日本、台湾、韓国だけで全世界のGNPの約二〇%前後を占めるとの説もあるほどであります。
 もとより、経済現象がすべてではありません。留意すべきは、そうした経済面での台頭が文化総体におけるバイタリテイーの一環である、ということであります。すなわち文化総体のバイタリテイーを、氷山の全体に例えれば、経済面は、文字通り、その一角にすぎないのであります。
 ヨーロッパの近代資本主義の勃興にしてもM・ウェーバー(『プロテスタとアィズムの倫理と資本主義の精神』)や、R・トーニー(『宗教と資本主義の興隆』)の古典的分析が明らかにしているように、経済的な現象であるとともに、優れて文化現象としての広がりを持っていたのであります。たとえ、いくら近代資本主義社会における″物象化現象″が指摘されようと、経済現象は、所詮は「人間に関することがら」(ヒューマン・アフェアーズ)であります。したがって、それは、文化総体にかかわる文化現象なのであって、いかにひずみを内包していようとも、生みの母体たる人間及び人間社会から、断ち切られることはないのであります。
12  さて、日本やアジアNICS、ASEAN諸国などの経済面での台頭について、一個の文化現象としてアプローチを試みようとすれば、まずアジア諸社会の固有の文化をそれとして、つまり多元的かつ内在的に理解する必要があることは言うまでもありません。根底には、かのC・G・ユングが予感していた「いまのところ見当もつかぬぐらいの影響力を秘めている、ひとつの東洋的叡智」のようなものが働いていることは明らかでしょうが、その具体的表出にあたっては、拙速は慎むべきであると思います。
 ただ一つ、注目しておきたいのは、最近、″漢字文化圏″や″儒教文化圏″のバイタリティーヘの論及が、とみに目立つということであります。儒教といっても、具体的な制度や教えを指しているのではない。それらは既に、ほとんどが死に絶えてしまったといっても過言ではない。そうではなく、昨年邦訳されて話題を呼んだ『アジア文化圏の時代』の日本語版への序文で、ヴァンデルメールシュ教授が「西欧固有の文化に関して一種の再検討を求め」「西欧人の文化圏とは異質な漢字文化圏の持つ活力について、本書は根本的で全面的な再評価を行い、西欧社会の超個人主義の含んでいる有害な傾向を摘発することを目的としています」(福鎌忠恕訳)と述べているように、具体的な制度や教えというより、それらの死に絶えてなおかつ残っている一種の秩序感覚――ヨーロッパの超個人主義に是正を促す秩序感覚に注目が集まっているように思われます。
 そうした秩序感覚は、儒教というよりも、ユングにならって言えば、より広く″東洋的なるもの″という規定ができると思います。更に言えば、私は、そうした秩序感覚は、純化されることによって、仏教で説く「縁」の考え方に通じていくのではないか、との感触を持っております。しかし先に述べたように、その点については性急を避け、今後の幅広く、息の長いアプローチを待ちたいと思います。
13  近代ヨーロッパ文明の進路を示唆
 本稿では、ヨーロッパの近代というものが内包していた″論理″の持つ性格を改めて確認し、そこから逆照射することによって、″東洋″″アジア″″東洋的なるもの″の目指すべき大枠のようなものを位置づけておきたいと思います。
 一昨年の「SGIの日」記念提言の中で私は、ヨーロッパ文明なかんずくその近代文明を位置づける言葉として、フランスの文明批評家P・ヴアレリーの「欲望と意志の大きさ」との言葉を挙げておきました。その点をもう少し詳しく紹介すると、ヴァレリーは、次のように言う。
 「『ヨーロッパ精神』の君臨するいたるところに、欲望の最大限、仕事の最大限、資本の最大限、生産能率の最大限、野心の最大限、権力の最大限、外的自然変改の最大限、交渉と交易の最大限が現れているのが見られるのだ。これら最大限の総体が『ヨーロッパ』である、或は『ヨーロッパ』の相である」(渡辺一夫・佐々木明訳)
 優れた文人らしく、見事に凝結された表出であります。最大限――たしかに、人間の「欲望と意志」のおもむくままにそれらを拡大してきた、否、際限もなく拡大しすぎてきた点に、よかれあしかれ、ヨーロッパの近代文明の特徴があるのであります。
 ところで、このヴァレリーの「最大限」という言葉には、何やら隠喩めいて象徴的な響きがたたえられております。人間の肉体的な力量の差があるといっても、何百倍などということは、おそらくありえない。それと同じように、人間の欲求(欲望と意志)にしても、感性や本能レベル――すなわち″等身大″のスケールで考えれば、その差はたかがしれているものであります。どんなに欲求の強い人でも限りがあり、いずれ飽きがくる。つまり、そこには″人間″としての体温、体臭が感じられる。それとは逆に、そうした感性、本能的なるものの限界を突き破り「最大限」へと人々を魅惑し誘っていったところに、ヨーロッパ近代の功罪があるのであります。
14  誠に、その魅惑する力は、ときに″金の翼″となって、人々を大いなるものの高みへと飛認させるかと思えば、時には、見る者すべてを石と化す″メズーサのにらみ″をもって、人間をそれと気づかずに陋劣ろうれつの淵に漂わすのであります。
 その力を、やや謎めいた表現で、それこそ魅惑的に語っているのが、英国の作家J・コンラッドの自伝的小説『闇の奥』の中で主人公が語るセリフであります。ヨーロッパ人の象牙商人が、アフリカで、なぜ黒人を搾取して恥じないのか――。
 「この地上の征服とはなんだ? たいていの場合、それは単に皮膚の色の異った人間、僕等よりも多少低い鼻をしただけの人間から、むりに勝利を奪いとることなんだ。よく見れば汚いことに決まっている。だが、それを償ってあまりあるものは、ただ観念だけだ。征服の背後にある一つの観念。感傷的な見栄、いいや、そんなもんじゃない、一つの観念なんだ。己れを滅して、観念を信じこむことなんだ、――われわれがそれを仰ぎ、その前に平伏し、進んで犠牲を捧げる、そうしたある観念なんだ」(中野好夫訳)
 こうした「観念」の背後に、人間と他の動物との、あるいは人間同士の差別を説く思想が横たわっていることは、見やすい道理であります。植民地化とキリスト教の布教とが、あたかも″二人三脚″のごとく行われるという、常識的には理解に苦しむような事態も、いずれもが、「最大限」に至らんとする「欲望と意志」の拡大とみれば、首肯できるのであります。
 こうしたヨーロッパ近代社会の功罪を、過不足のない眼で分析した人に、ドイツの社会学者E・ハイマンがおります。二十年ほど前に亡くなっておりますが、その巨視的な史観はマルクスやシュンペーターの社会動態分析にも比せられているそうであります。
 ハイマンは、昨年日本でも訳出された最後の著作『近代の運命』(野尻武敏・足立正樹訳)で、ヨーロッパの近代社会を「経済主義体制」として位置づけ、ヴァレリーと符節を合わせるように、そのメルクマールを「拡張」の二字でとらえております。そこでは、経済成長のもたらす剰余はひたすら蓄積に回される。「体制の拡張には蓄積以外には道はなく、蓄積には拡張以外に目的はない」からであります。
15  ハイマンは、この「経済主義体制」は「飢餓、疾病、抵抗力なきものへの死の強要」を防止する点で多大の効果を上げたが、「しかし正常な状態ではない。つまり、生命の成長・発展・変化のための恒久的な枠組みではない。それは、生産拡張という固定観念にとりつかれて『善き生活』を犠牲にしようとするひとつの人間の運動である」と述べます。したがって、そこに内在する″論理″は「その体制に客観的な存在理由と同時に限界をおく点を踏みこえて自己自身を絶対にして無限のものとなす危険を、内有する。つまり、無目的にして荒れる力学を内にもつ」のであります。
 こうしたハイマンの分析は、ヴァレリーやコンラッドの知見と符合して、ヨーロッパ近代というものの持つ特徴、功罪を見事に言い当てているといってよい。ゆえに、その功罪を見据えたうえで、彼は「経済主義体制」を、「本道へ立ち帰るためのもっとも効果的な回り道」としているのであります。 すなわち、近代の「経済主義体制」は、人間社会の正常な姿ではないゆえに「回り道」であるが、飢えや病気、早死になどとの闘いという面では、極めて「効果的」であった――言わば一つの必要悪と位置づけられております。
 ハイマンが、この書を著してから、既に四半世紀を過ぎておりますが、言うところの「拡張」、またヴァレリーの言う「最大限」が、人類史に残してきた功罪の罪の部分、すなわち、ひずみをどう是正するかという課題はますます緊要の度を強めております。それを一言で言えば、生活や社会における″全人性″の回復といえますが、これは、単にアジアのみならず、人類史にかかわる、しかも、いまだカオスの状態にある課題であります。私が一昨年「アジア・太平洋平和文化機構」の創設を提唱したのも、こうした人類史的課題への幅広い、総合的な取り組みが、総力を挙げて行われなければならない、と思っているからであります。
16  「アジア・太平洋文化機構」とアジア非核化の推進
 今回、SGIは香港で第九回世界青年平和文化祭を開催いたします。この文化祭は、二十一世紀へ向けて、こうしたアジアの新たな飛認を象徴する意義を込めて開催するものであります。まさにアジア・太平洋時代を視野においた若人の祭典といってよい。
 これまでアジアは全体として民族、宗教、文化等の多様性もあって、結束した形での発展が困難な状況にあったといえましょう。したがって、そこに伝統と近代化との融合、多様性の調和をもたらし、アジアの全体的な調和的発展をどう図るか、そうした発想から生まれたのが私の構想であります。
 「アジア・太平洋平和文化機構」は、アジアにこうした一つの形あるものを作り、平和的な相互依存の観点から、新たなアジアの発展を図っていこうとするものであります。スタートの時点では、アジア・太平洋地域の諸国が、主として「平和」「軍縮」「発展」「文化」の諸問題を話し合う定期的会議体とし、やがて環境と条件が整えば常設の審議機構としてはどうか。一昨年も申し上げたように、漸進的に、できるところから手をつけて、ともかく相互信頼に基づく恒久的な話し合いの機構を作り上げていくという柔軟な姿勢がよいと思う。
 アジア・太平洋地域とヨーロッパとは条件も環境も全く異なります。したがって、これを同一に論ずることはできませんが、ヨーロッパにEC(欧州共同体)が存在し、一つのまとまった地域として発展してきたことは、やはり注目しなければなりません。
17  平和維持という面一つとってみても、EC域内では戦後、侵略や武力衝突を起こすことなく現在まできております。この間、世界の他の地域では多くの紛争や戦争が起きていることを思うと、やはりここから学ぶべきものは少なくありません。
 平和維持という点から言えば、アジアの非核地帯構想にまず注目したい。昨年十二月のASEAN首脳会議で、東南アジア非核地帯構想が討議されたことは周知のとおりであります。首脳会議では「東南アジア非核条約」の締結に向けて準備を開始するのは、時期尚早ということで見送りになりましたが、既に全東南アジアを対象とする非核宣言条約案の作成は終了しているとのことであります。
 アジア・太平洋地域には、既に八五年、クック島ラロトンガで十一カ国二自治領が調印した南太平洋非核地帯条約が存在しております。東南アジアの非核宣言条約は、これとほぼ同じ内容といわれます。朝鮮・韓半島の非核地帯構想ともあわせ、これらの構想が横につながっていけば、アジア全体の緊張緩和にとって計り知れない影響を及ぼすでありましょう。アジアの非核化はかねてからの私の願いであり、ぜひ実現へ向けて動いてほしいと期待しております。
 私の「アジア・太平洋平和文化機構」の構想は、例えばこのような共通の安全保障問題を関係諸国が粘り強く討議し、そこから戦争を抑止し、平和的共存共栄の道をさぐるためのものでもあります。こうした討議の機関が存在するのとしないのとでは、実現のスピードが大いに違ってくるはずであります。
18  カンボジア問題の話し合い解決望む
 ところで、アジア全体の平和と安定にとって極めて重要な問題にカンボジア情勢があります。この機会を借りて私はカンボジア問題に一言触れておきたい。
 カンボジアでは、一九七九年一月にポル・ポト政権が崩壊し、カンボジア人民共和国、すなわちヘン・サムリン政権が樹立されて本年はちょうど十年目になります。
 私がアジアの人間として何よりも胸を痛めているのは、戦後長く続いているカンボジアの苦難と悲劇の歴史であります。政治的には七五年以来政権を握っていたポル・ポト派とシアヌーク、ソン・サン両派で八二年七月、民主カンボジア連合政府が誕生し、ヘン・サムリン政権とは敵対関係が続いております。
 カンボジアにおいて極端な政策によって多くの人々が命を落としたり餓死したりしたことは、誠に悲劇という以外ない。またベトナム軍の進入は、多くの難民を生み出しました。
19  こうしたなか、敵対していた民主カンボジア連合政府のシアヌーク殿下とカンボジア人民共和国のフン・セン首相との会談が九年ぶりに昨年十二月、パリ郊外で行われたのは明るい話題でありました。両氏とも互いに個人としての資格での話し合いとなったが両者が初めて同じテーブルについたこと自体、画期的なことと言われました。特にシアヌーク殿下が昨年五月に大統領職を休職にし、個人の資格でトップ会談実現にかけた熱意に私は注目しました。
 私が、個人的にシアヌーク殿下にお会いしたのは一九七五年四月、北京においてでありました。折からロン・ノル政府の崩壊により、五年にわたるカンボジア内戦に一つの決着をみた時でもあった。私との会談は、これからのカンボジアの方向性、政治形態、当面する世界の課題等であったことが思い起こされる。こうした思い出もあり、私はカンボジア情勢には人ごとでない関心を持ってまいりました。
 もとより、この問題は、カンボジアの国民が最終的には自主的な判断に基づいて解決していくべきが原則であり、私自身内政干渉めいた発言をするつもりはありません。しかし同時に、私どもは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民救援活動を支持し、創価学会青年平和会議を中心に、難民救援活動を活発に推進してきた関係もあり、人道的な観点からも、カンボジア問題に無関心でいるわけにはいきません。
20  ともかく国民的和解を求めてシアヌーク殿下、フン・セン首相等の首脳同士の対話が継続されること自体、歓迎すべきでありましょう。カンボジア問題の解決への前進を妨げているのは、何といっても双.方に根強く存在する不信感であります。首脳同士が粘り強く腹を割って会談を重ねていくうちに、何らかの妥協点が見いだされ、話し合い解決が進展する可能性は十分にあるといえましょう。何よりも対話による不信感の解消と信頼感の醸成を心から期待したい。
 専門家の話によれば、カンボジア国民の文化的アイデンティティー(同一性)はまだ強く、国民的和解を望んでいることは間違いないという。幸い米ソの対話が促進し、中ソ和解の動きとも相まって、解決への環境も徐々に整いつつあるといえましょう。何よりもカンボジア国民の幸せを最第一に念頭においた、関係各国の解決への努力を心より念願するものであります。
21  「平和と軍縮の十年」を提唱
 ここでアジア・太平洋というリージョナル(地域的)な課題から、グローバル(全地球的)な平和の問題ヘ視点を移してみたい。
 本年五月末には第三回国連軍縮特別総会(SSD3)が開かれる予定であります。私はこれまで様々な場を借りて、核兵器の廃絶を含めた軍縮問題について、更には戦争のない世界をいかに作り上げていくかに関して提言してまいりました。一九七八年に行われた国連の第一回軍縮特別総会(SSDI)、八二年の第二回同特別総会(SSD2)でも軍縮及び核廃絶への具体的提言を行ってきました。それらの提言では多くの場合、国連の役割を重視しております。
 私がなぜ国連を重視するかについては、新たな世界平和の秩序づくりを模索していくためには、当面、安全保障を軸とした国連の機能を充実、強化していく以外ないと考えるからであります。
 過去三回の軍縮特別総会に関しては、様々な評価がなされております。前回のSSD2に対しては「結局、核兵器はおろか、銃一丁すら削減しえなかったではないか」との批判もなされました。しかし私は、そうした具体的な軍縮の実りも当然大事ではありますが、この二つの特別総会を通じて、核戦争の脅威に対する認識が世界的に格段に進み、核廃絶の国際世論が高まったことを重視したい。そうした国際世論の波動が、最終的に昨年末の中距離核戦力全廃条約調印という歴史的意義を持つ合意に陰に陽に影響を及ぼしたことは、否定できません。
 その意味で本年のSSD3は、タイミング的にも重要な役割を担うものといえましょう。私は昨年の「SGIの日」記念提言の中で、SSD3の開かれる本年を国連の総意で「国際軍縮年」(IYD)と定めてはどうかと提案いたしました。本年を二十一世紀へ向けて、世界的な軍縮の流れをつくる突破口の年にしてほしいと願ったからにほかなりません。
 幸いなことに昨年末、中距離核戦力の全廃という一つの画期的な軍縮が合意された。この機会に、私は重ねて「国際軍縮年」のできるだけ早い実現を望むとともに「国際軍縮年」を起点に、国連「平和と軍縮の十年」のスタートを切ることを新たに提案したい。
22  六九年に国連事務総長の提唱により、七〇年代を「軍縮の十年」とする決議が採択されました。しかし、七八年に行われたSSDIの最終文書が「一九六九年に厳粛に宣言された『軍縮の十年』は終わろうとしている。不幸にして、当時総会において設定された諸目標は今日においても当時と同様、あるいはそれ以上に遠くにある。軍備競争は減少していないばかりか増加しており、抑制のための努力をはるかにしのいでいるからである」と記しているように、その実効はほとんどありませんでした。引き続き八〇年代を「第二の軍縮の十年」と設定しましたが、軍縮の全体的歩みは、今なお誠に遅々としていると言わざるを得ません。
 そこで、新たに「平和と軍縮の十年」の設定に踏み出すことは、極めて重要な意義を持つと思います。人類の言わば″悲願″であった軍縮を、いよいよ″現実″の段階に進ませるための十年のスタートを切るわけであります。
 このところ世界経済全体が不安定要因を数多く抱え、先行きが不透明な時代を迎えております。ほとんど明るい展望がみられない。こうしたなかで軍事費の増大が世界経済全体の健全な成長を阻害していることは、多くの人々が一致して認めるところであります。
 これからの十年は、二十一世紀を目前にした極めて重要な十年間であります。一九八八年を民衆の力で軍拡から軍縮へ大きく転じた「軍縮元年」としていきたいというのが、私の念願であります。地球的相互依存関係も強まっている折から、各国が足並みをそろえて軍縮の方向へ進めば、世界経済の明るい展望も開けてくるでありましょう。私はそのグローバルな軍縮の音頭を国連がとってほしいという願いから、「平和と軍縮の十年」の提言をする次第です。SSD3は、それを決定する絶好の時といえましょう。
23  言うまでもなく国連は、主権国家が集まって討議し合う場であります。しかし軍備を縮小する問題を国家同士の話し合いにだけ任せておくわけにはいかない。世界の民衆レベルでどれだけ平和、軍縮の世論を盛り上げていけるか、そこにNGO(非政府機関)の役割の重要さがあります。そうした国際世論の包囲網をどう形成していけるかに、SSD3の成否の一つのカギがあるといえましょう。
 SGIは、第二回軍縮特別総会の際に採択された「世界軍縮キャンペーン」の一環として、国連と協力しつつ「核兵器―現代世界の脅威」展を国際的に開催してまいりました。ニューヨークの国連本部を皮切りに、ジュネーブ、ウィーン、パリ、ストックホルム、ヘルシンキ、オスロ、ベルゲン、西ベルリン、アテネ、ベオグラード、ザグレブ、ニューデリー、モントリオール、トロント、北京、モスクワ、バンコクと世界十五カ国十八都市で開催されたこの展示は、多くの人々の注目と関心を集め、反核、平和教育の生きた教材として高く評価されてきました。
 世界の核廃絶の世論を盛り上げるうえで″核の脅威展″は、六年間にわたり大きな使命を果たしました。私はSSD3を機に、これまでの展示を更に発展的に解消し、一段と時代に即した包括的軍縮と人類平和を訴える新たな運動を検討してはどうかと考える。私は青年の諸君に、その検討を託すものであります。
24  前述したように、本年は核軍縮の分野では、戦略核兵器の五〇%削減が大きなテーマとなっております。モスクワで予定されている米ソ首脳会談における最大の焦点であります。私としてはSSD3を機に、かねてからの主張である核実験の全面的禁上の方向へ何らかの前進を望みたい。更に化学兵器の禁止交渉の進展も期待したい。前途はなお楽観が許されないが、今後、核廃絶へ向けて段階的に核軍縮が進む可能性があります。米ソ関係が対立から新たな平和的共存体制に向かえば、世界の緊張緩和にとってまさに、ドラスチックな回転がなされるのであります。
 しかしながら、グローバルな平和を展望した場合、核兵器の削減だけですまないところに難しさがあります。第二次大戦後、世界で百五十を超える戦争、武力紛争が発生し、第二次大戦を上回る犠牲者を生んでいる事態を直視しなければなりません。これらの戦場で使われたのは、すべて通常兵器であります。今後、通常兵器の分野で先端技術を駆使した開発がますます激化するであろうとの予測もなされております。
 国際政治の舞台で大手を振っているのは、残念ながらいまだに「力の論理」であります。したがって、世界の知恵と世論を結集し、平和で安定した国際社会の秩序づくりの構想をいかに練り上げるか――その構想力こそが今問われているのであります。
 世界は現在、巨大な転換期を迎えております。それは人類史のうえでかつてなかった規模の転換期と言っても過言ではありません。
 かつてドイツの哲学者K・ヤスパースは、紀元前五百年ごろ、更に八百年から二百年の間を〈枢軸時代〉と呼び、人類史におけるこの期間の重要性を強調いたしました。すなわち、この時代には釈尊、孔子、老子、第ニイザヤ、金フクレイトス、プラトン、アルキメデス等々、世界史に光亡を放つ宗教的、思想的、哲学的巨人が多数登場したからであります。
 ヤスパースの言葉を借りれば「この時代に実現され、創造され、思惟されたものによって、人類は今日に至るまで生きている」といってよい。彼は、この時代の特徴を「人間が全体としての存在と、人間自身ならびに人間の限界を意識した」と述べ、こうした人間存在の全面的変革を「精神化」と規定しております。
25  要請される「人類主権」の発想
 翻って、現代は″第二の枢軸時代″とも言うべき巨大な転換期を迎えているというのが、私の偽らざる実感であります。
 ″第二の枢軸時代″を特徴づけるのは、私の申し上げる″負の重力″をもってしてではありますが、言うまでもなく人類を一瞬にして絶滅させるほどの破壊力を秘めた核兵器の存在であり、全地球の破滅的危機であります。ここに至り、人類は否応なく国家の枠を超えて、全地球的な視座からものを考えざるを得なくなり、まさにドラスチックな発想の転換を迫られております。ヤスパースの言う″枢軸時代″が個としての自覚化の時代とすれば、現代のそれは″類的個″としての自覚化の時代、すなわち「人類的自覚に立った個」が要請されている時代といってよい。
 私が今、何よりも時代が大きな分岐点を迎えたと強調するゆえんは、国際政治の様々な場で、そうした言わば「人類的自覚に立った個」と「主権国家の論理」の激しいせめぎあいが見られるからであります。
 核兵器の登場により、国権の発動がそのまま人類の絶滅につながりかねない状況下にあって、人類は否応なく国家の枠を超え「国益」から「人類益」へ、「国家主権」から「人類主権」へと発想の転換を迫られております。私は、この時代の流れはもはや押しとどめることができないと確信しております。
26  しかしながら問題は、こうした流れを確たるものにするために、国際政治の場にいかにして新しい行動規範を導入し、新たな国際秩序を作り上げるかにあります。今回、私は″人類の議会″としての討議の場である国連を舞台に、一つの構想を示しておきたいと思います。
 最近の国際政治の流れをみていて、私は伝統的な国家主権の絶対性に徐々に変化の兆しが現れている気がいたします。
 例えば米ソ間で調印された中距離核戦力全廃条約に盛り込まれた査察、検証条項にも、それを感じるのであります。今回の場合、米ソ軍縮史上でも例をみない精密な査察・検証が実施されることになりました。
 完全な形で現地査察を受け入れることは、国家の主権にも触れる問題であります。米ソ両国がこうした精密な現地査察に合意したことは、もはや国家の威信を表に出し国家エゴにとらわれている限り、核の問題は解決しえないことを認識した証左といえましょう。
 また最近、地下核実験の検証能力改善のため、米ソの専門家が初めて互いに相手側の核実験場を立ち入り視察し、これにより段階的な核実験制限交渉の道を開こうとする好ましい状況もあらわれております。こうした流れが進展していけば、主権国家の絶対性という硬い岩盤を突き崩す可能性が生まれてくるといえましょう。
27  人類史に「世界不戦」の指標を
 もはや主権国家が、自らの権益を守るために武力を無条件に行使し、戦争に訴えることが当然の権利として認められる時代ではなくなっております。現代における戦争の惨禍の加速度的な増大は、国家主権(軍事力)の無条件の行使に何らかの制限を加えることを必然の要請にしております。
 かつて一九二八年、パリで「戦争放棄に関する条約」(不戦条約)が締結されました。この条約は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、国家の政策の手段としての戦争が否認され、戦争という制度そのものの正当性と合法性が否定された条約と言われます。不戦条約に対する法学者の評価は「戦争が単に道義的に非難されうるばかりでなく、国際法上違法であるとする観念を原理上否定できない時代を到来させた」というものであります。
 もとよりこの条約自体の不十分さをあげつらうことは容易であります。しかし、その後の歴史の経緯をみれば、当時この条約を生かす環境も条件も国際的に整っていなかったと言わざるを得ません。
28  私はかつて第九回「SGIの日」記念提言の中で「世界不戦宣言」の実現の急務なることを訴えました。時期尚早という批判は承知のうえで、あえて私が「世界不戦宣言」の採択を国連に要請したのも、ともかくこれまで主権国家の属性と考えられてきた戦争の権利について何らかの制限を加えたい、との切なる気持ちからであります。
 もとより私は法律の専門家でもなく、ここで「自衛のための戦争」論の是非に論及するつもりはありません。ともかく核時代の危機を憂慮し、世界の恒久平和を願う仏法者の心情を行間からくみ取っていただければと思い、四年前この提言をいたしました。
 パリの不戦条約から六十年。時代は変わり「不戦」を受け入れる世界の土壌は、かつてなく整い成熟しつつあると感じるのは、私一人ではないと思います。第一回の国連軍縮特別総会で採択された最終文書では「国際関係での武力の行使を放棄」し「軍縮の中に安全を求める時が来た」と謳われております。これが全加盟国のコンセンサスにより採択された意義は極めて大きい。
29  時代は今、徐々にではありますが明らかに変わりつつあります。ここで思い切った発想の転換をし、民衆の力を結集しつつ、新たな平和の時代を拓く第一歩を踏み出すことが必要な時を迎えております。
 かつて世界人権宣言が第三回国連総会で成立した後、国連はこれを法的拘束力を持つものとして条約化し、その実施を義務づけるために国際人権規約を起草し、各国が署名できるようにしました。本年は、その世界人権宣言採択四十周年にあたります。
 私はその先例にならい「世界不戦宣言」を国連決議として成立させ、やがては「世界不戦規約」として各国が署名できる形にしてはどうかと思う。更に言えば世界の各地域の実情に即してヨーロッパ不戦条約、アジア不戦条約、米州不戦条約、アフリカ不戦条約等へと発展させていくのが理想といえましょう。
 世界の不戦などというと夢物語のように思う向きもあるかと思いますが、わずか四半世紀前、国連を舞台に米ソ両国が軍備全廃案を真剣に討議し合った事実を思い起こしてほしいと思います。すなわち、一九五九年の第十四回国連総会ではソ連のフルシチョフ首相が軍備全廃提案を演説しております。この提案は詳細にわたる全面的完全軍備撤廃プログラムを含んでおります。
30  また同年、国連総会本会議で「全面的完全軍備撤廃に関する八二カ国共同決議案」が全会一致をもって採択されました。
 更に一九六一年には、米ソが「軍備撤廃交渉のための八原則」について合意に達し、この結果は両国から国連総会へ報告されました。同年九月、米国のケネディ大統領は初の国連演説に立ち、米国の新しい軍備撤廃案を打ち出しております。これは米国の″平和な世界における全般的完全軍備撤廃のためのプログラム″と称されるものであります。
 そして一九六二年には、新設された十八カ国軍備撤廃委員会で、米ソ両国から本格的な全面的完全軍備撤廃条約草案が提出され、それを中心とした審議が行われたのであります。その後の歴史の経過は、残念ながら米ソの軍拡に次ぐ軍拡の競争でありました。新たな軍縮時代に入ろうとする今、世界はもう一度新鮮な気持ちで初心に戻るべきであろうと思います。
 願わくは世界不戦規約と国際人権規約を、言わば二十一世紀を迎える人類を支える二本の巨木にしたい。この二本の柱を軸に、今後の世界の新たな秩序づくりを構想すべきであると思うのであります。
31  二十一世紀へ「世界市民憲章」づくりを
 もとよりこの道が容易なものでないことは十分承知しております。それだけに、何よりも恒久平和を希求する世界の民衆の知恵と力の結集が要請されるのであります。そうした民衆レベルでの力の結集の場として、私はかねてから国連を一つの基軸にした仮称「国連を守る世界市民の会」を構想しております。ここで、国連を重視しつつグローバルな世界秩序へつなげていく様々な架橋作業を、世界の英知を結集して進めてほしいと考えております。
 私は昨年、国連を支援する一民間人の立場から、一つの具体的提案として「国連世界市民教育の十年」の設定に触れました。世界に恒久的平和を築くためには、端的に言って「世界市民」の育成と結集こそが急務だからであります。
 その具体的な教育の中身としては、「環境」「開発」「平和」「人権」という、今日、人類が最優先で取り組むべき課題を総合的に含んだものとしたい。これらの四つのテーマは、どれ一つとっても国家の枠を超えた発想を不可欠のものとしており、″世界市民″の視座を要請するものといえましょう。しかも四つのテーマは切り離すことのできない関連性を持っており、全体で人類平和という最終目標を希求しております。
32  私は、こうした「世界市民」教育のベースになるものとして、新たに「世界市民憲章」を作ってはどうかと提案したい。その目指すところは、前記のテーマを包括した総合的な平和教育のための憲章であります。
 「地球人」としての意識が広く浸透し始めているとはいえ、世界には依然として民族的、宗教的対立からくる紛争が絶えません。「世界市民憲章」の前文では、文化、宗教、言語等の民族間の差異を「地球」という共通土壌に根付いた、言わば草木の種類の多様性ととらえ、すべての人々を「世界市民」として包含し、その普遍的立場から人類の平和と幸福を目指すことを謳いたい。
 言うまでもなく「世界市民」の立場と民族の自立性とは相矛盾するものではありません。自らの民族的、文化的アイデンティティーを深めつつ、広く地球に目を向け、人類共同体を志向することは、現在の世界にあって十分可能なことであります。
33  R・フォン・ヴァイツゼッカー西独大統領が「根なし草でない世界市民であってこそ、そのヒューマンな態度に説得力があります。寛容というものは、根を失いユニバーサルに融合しているところに花咲くのではなく、自らの立場を自覚しているところにこそ花を開くのであります」(永井清彦訳)とし、世界に目を開いていることとパトリオティズム(愛国心)とは対立し合うものではなく、今やヨーロッパの人々にとって世界市民的方向性はごく普通の自己理解になっている、と述べている点は、示唆的であります。
 私は、人権擁護という点から「世界人権宣言」と「国際人権規約」の持つ意義はかねて高く評価しておりますが、これらの宣言と規約は言うまでもなく主権国家同士の交渉の産物であり、今日極めて重視すべきNGOの役割や核兵器や環境破壊の脅威に対する人間の生存の権利等については言及されておりません。この点は十分補完する必要がありましょう。
34  また人権の歴史的流れをみますと、かつてユネスコのK・ヴァサック氏が指摘したように「第一世代」の市民的、政治的権利、「第二世代」の経済的、社会的、文化的権利に対し、現代は「第三世代の人権」が要請される時代であります。この権利は氏の言葉を借りれば、「発展への権利、健康でバランスのとれた環境への権利、平和への権利、そして、人類の共同財産を所有する権利」であります。世界人権宣言に謳われているのは、第一、第二世代という二つのカテゴリーの人権であります。「世界市民憲章」で目指すべきものは、この第二世代の人権を包括的に含んだものといってよい。そこに貫かれた共通の太い核は、生存の権利に根差した「生命の尊厳」の内実化であります。
 国連憲章の前文では「基本的人権」と「人間の尊厳及び価値」が謳われ、世界人権宣言の前文では「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳」と「平等で譲ることのできない権利」とが並記されております。「世界市民憲章」は、この人間の尊厳と価値の中身を、世界市民の立場から「生命の尊厳」として更に明確化させ、その内実化を進めていくものとしたい。従って「世界市民憲章」は、国連憲章と世界人権宣言、更にはユネスコ憲章を一段と時代にマッチした形で補完強化し、「世界不戦宣言」実現の土壌づくりを目指す、努力の産物と位置づけられましょう。
 その意味で私は、第三回国連軍縮特別総会を機に、世界のNGOの知恵を結集し、この「世界市民憲章」の実現へ向けて創造的努力をしてほしいと念願するものであります。
35  人類は、今や二十世紀という時代を総仕上げすべき時に突入しております。歴史の水面上では様々な現象が私どもの目を奪い、一瞬もとどまるところはありません。しかし、そうした一時的現象にとらわれることなく、歴史を真に決定づける深い水底の確かな流れに目を凝らしていこうではありませんか。それはほかならぬ民衆の意志という巨大な流れであります。世界の民衆は、明らかに世界の不戦と恒久平和を待ち望んでおります。
 最後に「創価学会インタナショナルは永遠に民衆の側に立つ」という不変の精神を再確認しつつ、今年一年も勇敢に平和社会建設のために邁進していくことを共々に誓い合いたいものであります。
 (昭和63年1月26日 「聖教新聞」掲載)

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