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日蓮大聖人・池田大作

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第12回「SGIの日」記念提言 「民衆の世紀」へ平和の光彩

1987.1.26 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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2  そこで、本年「平和・地域の年」を、世界にあって″広布第二章″の幕開けと、私は位置づけたい。私どものこれからの目標は、世界の一大平和勢力としての確固たる基盤を、それぞれの国でつくりあげ、民衆の民衆による民衆のための時代を築くことであります。私も世界の友とともに、その方向へ一段と力を傾注してまいりたい。
 二十七年前に、初めてアメリカの地を訪問して以来、私は、三十九の国々を歴訪しております。なかでもアメリカとソ連は、中国と並んで、私が最も重視して足を運んだ国であります。
 しかし、それは私が「大国主義」にくみしているわけでは毛頭なく、未来世界への展望を切り開くには、二つのアプローチが必要であると考えるからであります。一つは″演繹的アプローチ″ともいうべきもので、グローバルな観点から、新たな世界秩序への統合化のシステムや方向性を探る試みであります。二つには″帰納的アプローチ″であり、世界平和への秩序づくりにあたっては、国際的にも国内的にも、地域(国際的には諸民族、国内的には地方)の活性化が不可欠であるという視座であります。
3  この第一の″演繹的アプローチ″からみれば、今日の世界において、米ソ両国の影響力の大きさは、よい意味でも悪い意味でも、冠絶かんぜつしております。私がこれまで、米ソの様々な分野の方々と膝を交えて、平和と文化と教育をテーマに対話を積み重ねてきたのも、ささやかではありますが、この二つの超大国から、私なりに波動を起こしていきたいと願ったからにほかなりません。
 その意味からも、私は本年、来月早々にアメリカの地に足を運ぶ予定になっておりますし、できれば本年半ばごろには、ソ連も訪問したいと思っております。アメリカでは、昨年のキッシンジャー元国務長官に引き続き、優れたジャーナリストでアメリカを代表する″知性″である、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のノーマン・カズンズ教授らとも、対談を進めていきたいと思っております。
 またモスクワ大学のログノフ総長との対談『第三の虹の橋』が、本年中にも刊行される予定でありますが、これらの対話の試みは、人類の知的遺産を少しでも後世に残し、地球に真の平和と繁栄をもたらすための英知を結集したい、との素朴な願いから進めてきたものであります。特に、これまで重ねてきた数々の対談の中でも、米ソの識者との触発のやりとりは、私にとっても初めてのものだけに、実り多い成果を念ぜずにはおれません。
4  ″第二の世紀末″に何が必要か
 さて、二十一世紀まではや十有余年、内外を問わず″第二の世紀末″が口にされる昨今であります。たしかに、時代の様相は、決して明るくない。近代文明の危機、ヨーロッパ主導型の近代科学技術文明の直面するアポリア(難問)に警鐘が鳴らされ始めて、既に数十年が経過していますが、闇の果てに夜明けの暁光を望むことができるかといえば、なかなかそうした状況にはありません。近代文明のもたらしたカタストロフィー(破局)の象徴ともいうべき核状況一つ取り上げてみても、一向に好転の気配は感じられないのであります。
 「共に平和を望みながら、たえず戦争の脅威におびやかされている」との戸田城聖第二代会長の憂慮は、解消されるどころか、かえって強まっているといっても過言ではないのであります。
 二年後の一九八九年は、かのフランス革命から二百年の歳月を刻みます。フランス本国をはじめとして、様々な記念の行事が企画されているようであり、私どもも、できうる限りの協力を惜しまないつもりであります。
 と同時に、私は、ルソーが『社会契約論』の冒頭に記した、あまりにも有名な一文――「人間は自由なものとして生まれている。しかも、いたるところで鉄鎖につながれている」といった矛盾は、どの程度解決されたのかとの問いかけを、改めて持ち出してみる必要があると思うのであります。
 私は、歴史の進歩に全面的に疑いをはさむ立場はとりませんが、そうはいっても、近代史や近代革命史を通じて、人間性の「解放」と「開花」が十全になされたなどとは、とうてい思えません。″第二の世紀末″が喧伝されること自体、そのことを証明していると申せましょう。
 何が欠けているのか、何が必要とされているのか――私は、幾多の近代革命が、多くの血の代償をもってあがなってきた「人権」の概念を内実化しゆく視座、換言すれば、「人権」を単なる制度的保障に終わらせず、人間が人間らしく生きゆくことの必要にして十分な条件にまで掘り下げる視座こそ、時代の喫緊の要請であると信じております。
5  アメリカン・デモクラシーの原像
 その問題提起を踏まえ、訪米を目前にした好個のタイミングをとらえ、アメリカ精神の源流ともいうべきものに、私なりの考察を加えてみたいと思います。
 言うまでもなくアメリカは、地球社会の縮図ともいうべき″実験国家″であります。様々な国からの移民が集まって出来上がったこの国で起こっていることは、善きにつけ悪しきにつけ、人類の明日の姿を予兆させるものがあります。それだけに多民族国家としてアメリカが抱える問題は深刻であり、容易に解決の道が見いだせないものも少なくない。
 しかし、私はそうしたマイナス面より、様々な民族が寄り合い、力を合わせ、また競い合うことによって生まれる活力、エネルギー、創造性という面にむしろ心がひかれる。多くの課題を抱えながらも、アメリカが自由と民主と平等の大地として、若々しいエネルギーを秘めて世界に存在し続けること自体に、私は、世界平和の展望を切り開くうえで、大きな希望を見いだすものであります。
 そこで、私はアメリカン・デモクラシーの原像ともいうべきものに、いま一度、スポットを当ててみる必要があると思うのであります。なぜなら、フランス革命に先立ち、その起爆力になるなど、かつては、新大陸から聞こえてくる暁鐘のごとくもてはやされたアメリカ革命、アメリカン・デモクラシーも、ようやく色あせ、特にベトナム戦争後は国内でも自信を喪失し、日本でも翻訳され話題となったバートラム・グロスの『笑顔のファシズム』に象徴されるように、どちらかといえば悲観的な展望のほうが多いように思えるからであります。
6  しかし、私はアメリカン・デモクラシーとは、そのような底の浅いものだとは思いません。いわゆる″栄光の五〇年代″以来、アメリカの戦後史の変転は実にめまぐるしく、かつドラスチックですが、それは即アメリカ社会に潜在しているある種の活力を示しているといってよい。昔日の栄光を失ったとはいえ、アメリカン・デモクラシーのもつ復原力は決して過小評価さるべきではないというのが、私の見方であります。
 私はかつて「創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力をもって人間の尊厳を侵しつづける″力″に対する、内なる生命の深みより発する″精神″の戦いである」と位置づけておきました。
 ここに言う″精神″とは、人間の善性のことであり、何にもまして自らを律しゆく自律の力を意味しております。変革と進取の気概に満ちみちて、自由闊達に、しかもその自由を放縦とはき違えることなく、常に節度をわきまえたバランス感覚、自己抑制力のことであります。
 更に言えば、暴力や権力、金力などが、ともすれば人間の悪の力を誘発する傾向性を持つのに対し、″精神″の優れて人間的な特性は、まどうかたなく善の力への触媒作用をなす点にあります。そうした″精神″の持続的な顕現こそ、例えば、M・ガンジーが「非暴力は臆病をごまかす隠れみのではなく、勇者の最高の美徳である。非暴力を行なうには、剣士よりはるかに大きな勇気がいる」(森本達雄訳)と述べているように、人間の尊厳を内から輝かせていく、平和の勇者の王道であると私は信じております。
 そして、私は、この″精神″の戦いにおける勇者の、唯一にして最大の武器こそ言論であることを、改めて訴えておきたい。古来、多くの哲人が、言葉を持つことを、人間であることの最大の特徴としてきたことから考えれば、このことは当然ともいえますが、翻って人類史を眺望してみれば、言論が、人間の戦いを勝利へと導く旗振り役を演じた事例など、誠に蓼々りょうりょうたるものであります。むしろ、人類史のほとんどは、暴力、権力、金力などの″力″に拘束された人間の、鮮血淋漓りんりたるせめぎ合いの繰り返しでありました。その荒涼たる冬景色の中に、わずかに点在する言論勝利の足跡――私は、そのなかでも抜きん出て象徴的な事例こそ、アメリカン・デモクラシーの原像を宿している、かのアメリカ革命であると思うのであります。
7  たしかに、アメリカ革命に続くフランス革命、のちのロシア革命などの近代革命においては、特に革命前夜あるいは初期の段階に、民衆による言論運動の沸きたつような盛り上がりが見られたことは事実であります。ロシア革命の勃発を実地に見聞したアメリカのジャーナリスト、ジョン・リードの世紀のルポルタージュ『世界を揺るがした十日間』の次のような描写は、そうした言論運動の勃興し沸騰しゆく様子を、誠に生き生きと伝えております。
 「……ロシヤ中が読むことを習いつつあった。そして政治・経済・歴史などを読んでいた。――なぜなら、民衆は知ることを欲していたからだ。……すべての都市、たいていの町、戦線、などで各政党は自己の新聞をもっていた――ときには幾つももっていた。無数のパンフレットが何千もの組織によって配布され、軍隊、村落、工場、街頭などへ注ぎこまれた。ながい間阻止されていた教育にたいする渇望は、革命とともに狂気のような爆発的表現を示した。スモーリヌイ学院だけからでも、最初の六カ月間に、何トン、何車、何貨車、という文書が毎日でていって国土に浸みこんだ。熱砂が水を吸うように、ロシヤは読み物を吸収して、飽くところがなかった。しかもそれは、お伽話、嘘っぱちの歴史、宗教話をうすめたもの、頽廃をおこす三文小説、などではなくて、社会学や経済学の理論、哲学、トルストイやゴーゴリやゴーリキーの作品、などであった。……
 次は弁舌である。これにくらべると、カーライルの『フランスの演説洪水』も、ちっぽけな小川であった。――」(原光雄訳)
8  やや、長文の引用になりましたが、勃興しゆく民衆のエネルギーが、言葉という人間本然の武器を得て、大海のうねりにも似た巨大な波動を広げゆく様子が、文字通り、活写されているといってよい。ロシア革命に限らずフランス革命の初期においても、似たような言論運動の盛況がみられました。しかし、残念なことにそのエネルギーは、その後の激動の過程において、二つながら急速なる終息を余儀なくされてしまうのであります。代わって登場するのは、独裁であり、テロの恐怖であります。民衆は沈黙を強いられ、″精神″はついに″力″の前に敗れ去ってしまうのであります。
 そうした事情は、アメリカ革命においてはどうであったのでしょうか。先に″精神″を善なる力として発現せしむるには、自律の力、バランスのとれた自己抑制力が不可欠であると述べましたが、そうした″精神″の働きは、アメリカ革命において、フランス革命やロシア革命の場合に比べて、やや異なった帰趨をたどったようであります。
 リードが描いたロシア革命時のような言論の高まりに比肩する事例を、アメリカ革命の中に探すとすれば、だれもが、初期ニューイングランドにおける民衆のエネルギーを特徴づけるタウンシップ(郡区)や、そこでのタウン・ホール・ミーティング(市民集会)に指を屈するものと思われます。
9  トクヴイルの古典的分析が明らかにしているように、人口二千人から三千人の共同体であるタウンシップは、その規模からいっても、行政への住民の直接参加、全員参加が可能であり、のちにルソーが提起した直接民主主義の条件を、かなりの程度そなえておりました。したがって、民衆一人一人が、自由で平等な主体者として政治に参加しており、「自由の学校」(トクヴィル)「人民の学校」(エマソン)として、まさに草の根民主主義のエネルギーの培養器であったといえましょう。たしかに、そこには、今なおこの大陸の天地に息づいているアメリカン・デモクラシーの原像が、深く彫り込まれているのであります。
 とりわけ重要なことは、アメリカ革命時のタウンシップでのエネルギーが、イギリス本国からの独立に向けられると同時に、自らの新しい共和政体をどう主体的に築き上げるかという現在と未来の構想にも向けられていたことであります。言葉をかえれば、「解放」のエネルギーは、同時に「建設」のエネルギーでもあった。革命という激動の渦中にあっては、エネルギーの暴走、行き過ぎは、多かれ少なかれ不可避であります。にもかかわらず、イギリスからの独立運動と並行して、東部十三州のすべてで独自の憲法作成を進めていたという事実、そして、バージニア権利章典のように、今もって人民主権の典範とされるような優れた足跡を印してきたという事実――それらは、アメリカ革命のエネルギー、″精神″の発現に、人間が主役を演じていることの証ともいうべき自律の力、自制の力が働いていたことを物語って余りあります。
10  私のこうしたアメリカ革命観は、十年ほど前に亡くなったハンナ・アレント女史の労作に負うところが大きいのですが、女史は、だからこそアメリカ革命は「勃発したのではなく、共通の熟慮と相互誓約の力にもとづいて、人びとによってつくられたものだ」とし、「創設が一人の建築家の力ではなく、多くの人びとの結合した力によってなされたあの決定的な時期を通じて明らかになった原理は、相互約束と共通審議という、内的に連関した原理であった」(志水速雄訳)と述べております。
 現代でも、多くのリポートは、善悪は別にして、アメリカ社会の隅々まで浸透する「法による支配」の徹底ぶりを伝えておりますが、それは、単に文化的伝統や風習を異にする多民族社会を統治するための便法、といった次元にとどまるものではないでしょう。たしかに、新大陸への上陸に先立ち、メイフラワー号の船上で、既に近代的な「誓約」を交わしていた父祖達の統治意識、秩序感覚には、そうした面も予感されていたかもしれない。とともに、アメリカの人々の法なかんずく憲法に対する憧憬と愛着の底流には、あのアメリカン・デモクラシーの原像の形成期に、どこか外から与えられたものではなく、自ら主体的に取り組み、作り上げてきたものだという事情があるものと思われます。
11  御聖訓に「一人を手本として一切衆生平等」と仰せですが、この原理を敷衍して拝すれば、こうした民衆一人一人の主体的なかかわりがあったればこそ、アメリカ革命最大のイデオローグ、T・ペインの「アメリカの主張はほとんど全人類の主張である」との言葉にみられるような、自信に満ちた一種の普遍主義へと道を通じていったに違いありません。
 もとより、以上の考察は、アメリカ革命やアメリカン・デモクラシーの″光″の部分にスポットを当てたものであり、そこには、常に″影″の部分が随伴していたことを忘れてはならないでありましょう。植民地の建設自体、インディアンなどの原住民にとっては、まぎれもない侵略であったし、そのやり方もフェアであるなどとは、お世辞にも言えません。アメリカン・デモクラシーを賛美するトクヴィルにしても、自由な言論が花開いた初期のニューイングランドにおいてさえ、既に「全体主義的」な、あるいは「神政政治」的な臭味をかぎとっております。事実、初期ニューイングランドでの魔女狩りまがいの現象については、広く知られているところであります。
 そしてまた、その後のアメリカの歴史をたどってみれば、″精神″の働きに自律、自制が効き、言論が自由な討議を重ねながら秩序形成にあずかったなどとはとうてい言えない。黒人に対する集団暴力としての奴隷制度、移民してきた異民族への差別、迫害など、″精神″どころか、暴力をはじめとする″力″の横行のほうが目立つのであります。ペイン流の普遍主義にしても、「世界の警察官」的な使命感に裏打ちされてしまうと、他国民にとっては独善でしかありません。
 私も面識のあるハーバード大学のJ・D・モンゴメリー教授は、近著の中で「アメリカで行われていることはすべて人種が等しく切望する理想」とする「普遍主義という名の傲慢さ」を厳しく戒めております。アメリカ革命を成功とみるアレント女史も、その遺産が正しく継承されたかどうかという点になると、はなはだ否定的であります。
12  しかし、私はだからといつてアメリカン・デモクラシーの″光″の部分まで、等しなみに葬り去ってしまってはならないと思います。何といってもそこには、二十一世紀への平和構築を考える際、貴重な糧となるべきものが、数多く含まれております。マグマのような若々しい、また荒々しいエネルギーを秘めた″実験国家″アメリカの帰趨は、人類の平和にとって計り知れぬ重要性を持っております。折しも合衆国憲法二百周年を迎える本年、私は、アメリカン・デモクラシーの原像よ、薫れ! と強く念願してやみません。
13  ″人類の議会″国連を支援
 私は、以上の考察において、アメリカ的普遍主義の光と影、栄光と挫折について、若千触れてきましたが、ここでは、それに関連させて、国連に対する私の基本的見解、そしてなぜ私どもが多角的に国連支援の活動を展開しているのかということの根拠を、あらあら述べてみたいと思います。国際連盟や国際連合の普遍的安全保障という、人類史にとって画期的な考え方の生みの親となったのは、何といってもW・ウィルソン大統領やF・D・ルーズベルト大統領が色濃く体現していた普遍主義、換言すればメシア的リベラリズムであったからであります。
 さて、私はかつて『創大平和研究』創刊号に「二十一世紀への平和路線」を寄稿した際、恒久平和構築のために大切と思われる六項目の指標を挙げておきました。すなわち(1)日本国憲法=平和憲法の遵守(2)南北問題への視座(3)国連重視と新たな世界秩序への統合化のシステム作り(4)″地域″の活性化(5)平和のための教育(6)個の尊厳の確立――の六点であります。
 私なりの試案でありますが、なかでも、新たな世界秩序を模索していくためには、当面、安全保障を軸とした国連の機能を充実、強化していくことが、避けて通れぬ課題であると思うのであります。
14  たしかに、文字通り世界を一つに結ぶ「世界連邦」なり「世界法」なりが、一挙に実現すれば、それに勝ることはない。しかし、それがいかに困難なことであるかは、世界連邦運動の苦渋と曲折に満ちた歴史が、はっきりと示しております。それゆえ、はるかにそうした理想的な秩序を望みながら、その実現へのステップとして、国連の存在が、重要かつ不可欠になってくるのであります。
 私は、現実の国際政治の場で″国連無力論″が根強く存在し、アメリカやイギリスのユネスコ脱退にみられるような″国連離れ″が、一部で進行していることを、もとより承知しております。だが、世界統合化ヘのシステム作りのために、国連に代わりうるものを、と問われれば、何人も代案を持ち合わせていないのであります。もし″国連無力論″や″国連離れ″現象を、おもむくがままにしておけば、国際社会は、再び元の無法状態をまねきかねないでありましょう。
 世界のほとんどの国を網羅した国連のような国際平和組織が、戦後四十年余の長きにわたって、ともかくも存続し続けてきたという″時間の要素″を、私は、まず評価したい。国際連盟のあまりにもはかなかった命脈を考えれば、なおさらであります。肝心の安全保障機能に象徴されるように、思うにまかせぬ点も、多々あったかもしれない。しかし、どんなに意見が対立しようと、討議を交わす場――「人類の議会」として――が存在すること自体の意義の大きさは計り知れず、世界の民衆に、想像以上に安堵を与えてきたはずであります。
 安全保障の面でも、ソ連によるベルリン封鎖、スエズ動乱、キューバ・ミサイル危機、キプロス、中東問題など、国連が解決へのイニシアチブをとった事例は決して無視されてはならず、そのほか、もし国連が存在しなければと考えると、肌に栗を生ずるのは、私一人ではないと思います。
15  更に、経済社会理事会の広範な活動に代表される社会面、経済面、人道面での多大な貢献を考え合わせれば、もはや、国連を抜きにした国際社会のイメージは描けないといっても過言ではないのであります。
 とりわけ、重視されるべきは、国連設立の土台となった国連憲章の存在であります。一九四一年の大西洋憲章から四五年の国連憲章への流れは、ウイルソン大統領の発想の基盤となったといわれるカントの『永遠平和の為に』はもとより、ルソーやサン・ピエール、モフスムスなどの平和思想に、深く淵源をもつものであります。
 国連憲章に盛られた理想主義、人道主義、普遍主義等々の理念は、のちの国連の歩みが、いかにその理想から逸脱していようとも、二つの大戦の惨禍を経験した人類の平和への希求と英知が生んだ結晶であり、立ち返るべき原点であります。それは、世界統合化へのシステム作りの道程においても、一つの″導きの星″として輝き続けるに違いありません。
16  ″国家主権″から″人類主権″への視座を
 さて、こと改めて指摘するまでもないことですが、国連の安全保障機能の強化を考える際、最大のネックは、国連が主権国家の集合体、連合体であるという点にあります。国家主権の絶対性を前提として、そのうえに何らかの実効力のある超国家的機関や超国家的権威を持たないため、国権の発動としての戦争を防止するための十分な働きができない。特に、安全保障理事会の常任理事国に与えられた拒否権が、「人類の議会」を大国支配の具に堕さしめているという非難はよく聞かれるところであります。
 ところで、かつての主権国家は、自らの権益を守るために武力を行使し、戦争という手段に訴えることが、当然の権利として無条件で許されている存在でした。したがって、軍事力は、主権の重要な構成要素だったわけであります。しかし、今世紀に入ってからの戦争規模の拡大は、こうした国際法上の常識が常識として通用しない新たな状況を引き起こしました。敗戦国はもとより戦勝国をも国力を疲弊させ、国土を荒廃させてしまう戦禍の加速度的な増大は、国家主権の無条件の行使ということに何らかの制限を加えることを、必然の要請としたのであります。国際連盟や国際連合の普遍的安全保障という考え方も、そこから生まれております。
 そうした流れを決定づけたのが、言うまでもなく核兵器の出現であります。核状況というものの意義づけについては、のちに触れるつもりですが、この悪魔的兵器の持つ巨大な殺傷力と破壊力は、いわゆる″使えぬ兵器″として、人類に、戦争を行うことそれ自体を不可能にしてしまったのであります。それゆえ、国権の発動がそのまま人類の絶滅につながりかねない核状況下にあって、人類は否応なく国家の枠を超え「国益」から「人類益」へ、「国家主権」から「人類主権」へと発想の転換を迫られているのであります。そうでなければ、早晩、全体的破滅という悲劇的事態を招いてしまうからであります。
17  そこで、重要なことは、そうしたドラスチックな発想の転換を行うと同時に、具体的にどのようにして国家主権に制限を加え、超国家的機関への権限の委譲を行っていくかということであります。
 様々な方途が考えられるでしょうが、それらを逐一追うことは、私の意図するところではありません。しかし、私は、国家主権の制限や委譲は、あくまで自発的制限であり、自発的委譲でなければならないと思っております。力を背景にして強制的に行おうとしても、現状では、それが大国相手であった場合は、戦争の危険性をはらんでおり、小国相手の場合は、容易に抑圧と化してしまうでしょう。いずれにしても将来に禍根を残してしまいます。
 私は、先に恒久平和構築のための六項目を挙げた中で、三番目の世界秩序への統合化のシステム作りの次に、四番目として″地域″の活性化を挙げておきました。ここにいう″地域″とは、国内的に言えば、文字通りの地方・地域、国際的には、端的に言って各民族であります。したがって、国連を足場に新たな世界秩序を模索していくには、諸民族が、多くの権限を超国家的機構に委ねながらも、なおかつ活性化されていなければならない。それには、主権の制限や委譲が自発的になされるという一点が、絶対にゆるがせにしてはならない条件なのであります。そうでなくては″角を矯めて牛を殺す″弊害を招いてしまうでありましょう。武力よりも言論、説得を旨とする国連の行き方に照らしても、困難ではありましょうが、この点を守り抜いてほしいものであります。
18  考えてみれば、今でこそ、そして国連という場において、主権国家というものを考えると、どうしても″悪玉″のイメージばかりが際立つのですが、そこには善悪両面があるということを、特に歴史的アプローチを踏まえながら、押さえておいたほうがよいのではないでしょうか。
 歴史的にみれば、主権国家が、現代のような攻撃的イメージを持ったのは、近代化に先んじた欧米列強諸国の植民地主義、帝国主義の鉄火が、世界を蹂躙し始めてからのことではないかと思われます。それ以前の、近代国家の形成過程においては、どちらかといえば防衛的、自立的イメージのほうが強かったようであります。ですから、世界平和へのシステム構想に、あのように熱心に意を用いたルソーやカントも、国際機構による国家主権への侵害という点に関しては、極めて警戒的なのであります。
 ルソーは「主権をそこなうことなしに、どの点まで連合の権利を、拡張することができるか」と自らに問いかけつつ、緩やかな連合である「同盟」や、緊密な連合である「連邦国家」をともに斥け、その中間形態である「国家連合」を採っております。平和への実効性を欠く「同盟」と主権侵害の恐れのある「連邦国家」の長所、短所を絆にかけたうえでの、ぎりぎりの選択であったと思われます。
19  また、カントも、国家主権の保護のために連合の目的は平和の維持だけに限定されるべきであるとし、「単に戦争を防止することだけを意図する諸国家の連合状態が、諸国家の自由と合致できる唯一の法的状態である」と述べております。
 ルソーもカントも、主権国家というものを保護さるべき防衛的、自立的イメージでとらえていたことは、明らかでありましょう。ちなみに、ルソーやカントにとって、主権国家のイメージは、人民にとって必ずしも抑圧的なものではなく、人民主権とかなりの部分でオーバーラップしておりました。
 こうした主権国家の防衛的、自立的イメージは、現在でもなくなったわけでは決してない。それどころか中小国、なかでも戦後、植民地の軌から解き放たれたアジア・アフリカ諸国にとっては、今なお死活の重要性を持っているといってよい。(1)領土・主権の相互尊重(2)相互不可侵(3)内政不干渉(4)平等互恵(5)平和共存――を柱とした″バンドン精神″は第三世界の人々にとって、過去の遺物ではないはずであります。
 それよりも何よりも、戦後、信託統治理事会を舞台に、民族自決(国家主権と裏腹の問題としての)の原則を推進してきた功は、一に国連に帰せらるべきものであります。主権制限という次なる課題への挑戦は、そうした過去の実績をこぼつようなものであってはならない。主権の制限、委譲は自発性を原則に、と私が重ねて訴えるのも、こうした微妙な問題は、時間をかけながら、慎重かつ漸進的に進めていく以外にないと思うからであります。
20  「平和憲法」を世界精神に
 その点、平和憲法を掲げ、国連中心主義を外交上の国是としてきた日本の立場の重要性は、どんなに強調してもしすぎることはないのであります。
 言うまでもなく、日本国憲法は、その翌則文」で「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」等と、安全保障を、武力によらぬ相互信頼に託す積極的な国際友好を志向しております。とりわけ、交戦権の否認の問題は、それが、従来、国家主権の不可欠の主柱とされてきただけに、一国それも日本のような″経済大国″の実定法に主権の制限、委譲として明文化されていることの意義は、計り知れないものがあります。それゆえ、日本国憲法がどのような運命をたどるかは、日本の進路のみならず、人類社会の進歩、発展の指標の明滅にかかわる歴史的意義をはらんでいるといってよい。それは、まさに壮大なる人類史的実験なのであります。
21  一九五六年、当時の重光外相は、日本の国連加盟演説の中で、世界平和に貢献せんとする日本の決意を吐露し「……こうした感情は、日本国民の固い信念を表すものでありますし、この信念は、わが憲法の前文にうたわれており、国際連合憲章がかかげる目的や原則とも全く一致しております」と述べております。
 そこでは、一国の最高法規たる憲法が、何の無理もなく、国連憲章という国際法規へと回路を通じているのであります。両法規の成立した時代背景――両大戦を経て、人類が最も平和を熱望していた当時の状況を考えれば、それは、当然の帰結ともいえます。したがって、こうした″開放系″ともいうべき平和憲法を遵守していくことは、国際社会における日本の存在が重みを加えれば加えるほど、そのまま国連の安全保障機能の強化、充実への突破口となり、ひいては、新たな世界秩序へのシステム作りのうえでも、かけがえのないモデルケースとなっていくに違いありません。
 日本の主権の制限、委譲が自発的なものであったかどうか――換言すれば、日本国憲法の制定はどの程度自主的になされたのかという背景について、様々な論議があることを私は承知しております。しかし、次の二点だけは、改めて確認しておかなければならないでしょう。
22  第一に、成立のいきさつはさておき、国民の大多数は平和憲法を喜んで受け入れ、各種世論調査が示すように、その平和志向は一貫して続いていること。第二に、日本が占領軍と何ら関係なく憲法制定作業を行ったなら、平和、民主、人権を兼ね備えた日本国憲法のような優れた典範は、まず一〇〇%望み得なかったということ、以上の二点であります。したがって、日本の政府も国民も、こうした平和憲法を、国内的にも国際的にも内実化させていく方向を、それこそ自発的、自主的に推し進めていくべきであります。国家主権を強化する″閉鎖系″へと逆戻りするアナクロニズム(時代錯誤)の愚を犯すようなことがあってはならないと訴えたい。
 たしかに、自衛隊のような、最高裁判所が合憲、違憲の直接的言及を避けざるを得ないような存在が現にあるという事実を、無視することはできません。しかし、私が申し上げたいのは、そうした個々の現実ではなく、歴史を巨視的に俯轍した際の大きな流れの帰趨であります。国家や軍事ブロックの中に閉ざされてしまうのではなく、国家を新たな、グローバルな世界秩序へとつなげていくはるかなる架橋作業――そこに、日本の選択の道があることを忘れてはなりません。
 対米関係などにしても、アメリカの意をうかがうことにのみ専一するのではなく、ルーズベルト大統領やサンフランシスコ会議のころを華やかに彩った、多角的国際主義というアメリカ外交の初心に帰れ、と説得するぐらいの大胆なイニシアチブを、日本国憲法は要請しているのではないでしょうか。「世界を法によって治めるということの同意が一朝にして成立することはないだろう。しかしすべては主張と討議とから始まる」(ノーマン・カズンズ教授 松田銑訳)からであります。
23  世界市民のスクラムを幾重にも
 そのような国家主権の自発的制限、委譲という課題を″自動車″に例えれば、そのなめらかな走行のために欠かすことのできない″道路整備″や″交通整理″にあたるものこそ、恒久平和を目指して国連を守り育てようという国際世論の形成であります。
 交通機関の発達もあって、民衆と民衆とのトランス・ナショナル(脱国家的)な相互交流は、急速に増大しつつあります。国家機関同士の″国際関係″に対し、民衆次元における″民際関係″が、新たな世界秩序を切り開くうえで、無視できない力を持ちつつあることが″地球的相互依存時代″の大きな特色といえましよう。
 このような世界的な民衆パワーのうねりを予告する象徴の一つとして、SGIもその一員であるNGO(非政府機関)の存在があります。環境NGO、人権NGO、軍縮NGOなど、その数は、世界に約一万ともいわれる。それらは、いずれも地球規模の課題に取り組むために発生した民間団体であり、各団体の基底部には、人類の平和、福祉、安定の増進という理想が強く流れていることは間違いない。それらのうち現在約八百の団体が、かなりの制約こそあれ、正式に国連活動に参加しているといわれます。すなわち、草の根の市民の声を、国連に送り届けているのであります。民間機関のより幅広い国連への参加は、そのまま市民の国連参加と民意の反映を進めることになり、国連に新しい活力を与えることが期待される。また、民間機関相互の連携、交流が強まれば、国境を超えた民衆の連帯も更に広がるはずであります。
 現段階では、国連でのこうした民間団体の参加、決定権は微弱である。加えて、多岐にわたる民間団体相互間の連帯をもたらすための調整機関も不備であります。また、民間機関の発展は、今のところ先進諸国側に多くみられるなど、その現状には少なからぬ難題が横たわっていることも事実であります。しかし、国際世論の形成といった大課題が、そう簡単になしうるはずはありません。中国流にいえば「愚公、山を移す」といった信念と忍耐と努力を要することを、忘れてはならないのであります。
24  「国連世界市民教育の十年」を提唱
 それは、端的に言って、「世界市民」をどう育成していくかという課題に集約されるでありましょう。そのためにも、私は、国連を支援する一民間人の立場から、一つの具体的な提案を申し述べたい。それは、「国連世界市民教育の十年」の設定であります。私は、これを、一九九一年から二十一世紀までの十年間とすることを提案いたします。
 国連は、これまでも、こうした長期的な取り組みを進めてきております。例えば、「国連開発の十年」をとおして、発展途上国への開発援助協力が活発になされてきました。また「国連婦人の十年」の努力は、女性の権利と地位を高めるうえで、大きな力があった。同様に「世界市民」を育成するという作業は、地球大の視野をいよいよ必要としている二十一世紀の未来を考えれば考えるほど重要であります。
 ソクラテスが国名を問われて「アテナイ人」と答えずに「世界市民」と答えたように、国家、民族、地域というこれまでの狭い思考形式を超えて、地球全体を″我が祖国″とするような人類愛こそが、「世界市民」教育の最も根幹をなすものでありましょう。
 その具体的な教育内容としては「環境」「開発」「平和」「人権」といった、今日、人類が取り組むべき重要課題を包括すべきであります。平和教育としては、戦争の残酷さ、特に核兵器の脅威、軍縮の必要性が中心テーマとなりましょう。開発教育としては、当然、飢餓や貧困の撲滅の問題であります。世界の約三分の二の貧困国、約五億人の栄養不良者、こうした現実に目を向けさせ、人類の経済福祉をどう確立すべきかを考える。環境教育では、自然と人間の調和がテーマとなりましょう。例えば、核爆発が生態系にいかに深刻な影響を及ぼすかを真剣に考えさせることも重要です。人権教育としては、人格の尊厳について学ぶことになりましょう。
25  これら四つのテーマは、いずれも国家の枠を超える人類的価値を追求するものであり、「世界市民」の資質に欠かせないものであります。また、四つのテーマは相互に関連し合っており、全体で人類平和という一つの目標を可能にするものであります。したがって、「世界市民」教育も、これらのテーマを包括した総合的な平和教育の性格を帯びたものとすべきでありましょう。
 同時に、これら四つのテーマは国連が取り組むべき中心的課題でもあることから、「世界市民」教育の柱の一つに、国連の重要性への認識がおかれることは当然であります。
 言うまでもなく、教育は、時間がかかる忍耐のいる作業であります。まして「世界市民」の教育は、新しい課題であり、人類の英知を結集して取り組まねばならないでしょう。その意味からも、私は、第一に「国連大学」に、十年間で何を、どう、教育するのか、「世界市民」を育成するための教育システムの研究を委嘱してはどうかと考えます。
 これは、世界の平和を願う人類の大学として発足した「国連大学」の本来の使命と責任にも則したテーマでありましょう。また、環境、開発、平和、人権のそれぞれの問題ごとに、世界の平和研究機関などの研究者、エキスパートに研究を依頼し、その結果を「世界市民」教育の一環として学ぶことも考えられる。この点でも、世界の英知に期待するところは大であり、我が創価大学の「平和問題研究所」も、この点、創立者として協力を惜しまぬ所存です。
26  更に「世界市民」育成のための教科書を検討することも、一つの試みでしょう。各国との協力のもとにSGIが行った「世界の教科書展」においても、グローバルな視野に立った教科書による人類意識の涵養を求める声が数多く聞かれました。「国連大学」をはじめとする世界の英知を結集した教科書と教育システムは、「世界市民」教育への情熱を各国に喚起するに違いありません。
 一九九一年までの向こう四年間は、「国連世界市民教育の十年」を軌道に乗せるための準備期間とし、この期間中に確たる展望と方途を十分に練り上げる必要があります。その準備作業の一環として、国連の努力はもとより、これに加えて、草の根の活動によって世論を喚起していくことこそ、「世界市民」教育計画にはふさわしい。NGOは、こぞって、この″十年計画″の意義を世界に周知徹底せしめていくべきでしょう。
 また、″十年計画″そのものにも、できうる限り民間機関の参画が可能となることを期待したい。各機関は、それぞれの分野で研究、展示、出版などをとおして貢献できるはずであります。創価学会としても、これまでに反戦出版(青年部編八十巻、婦人部編十六巻)や展示会などにより、ささやかながら平和意識の高揚に努めてきました。反戦出版は、幾つかの外国語に翻訳されてもおります。こうした草の根の啓発運動と″十年計画″とのリンケージ(結〈こも、十分に意義あることと考えられます。こうして″道路整備″や″交通整理″が進めば、国家主権の自発的制限、委譲といった″自動車″も、なめらかな走行が可能になってくるでありましょう。その行く手には、面目を一新した国連のそのまた向こうに、新たな世界秩序の″堂宇″さえ望見できるに違いない、と私は信ずるものであります。
27  アメリカに新たなる″精神のルネサンス″を期待
 時代は世紀末へ向かって一潟千里で駆け抜けようとしております。私は、若いころから、エマソンやホイットマンらの広々とした文物の世界に親しんでまいりました。彼らが活躍した十九世紀半ばは、民主主義とヒューマニズムの流れが高揚した″アメリカ・ルネサンス″と呼ばれる時代でありました。私が今アメリカに期待するのは、″精神″の力を復興させ自らが新たな″精神のルネサンス″へ向けて第一歩を踏み出してほしいということであります。二十一世紀への平和と民主を掲げた理念の大国として、再び世界に模範の実践を示してほしいのであります。NSAの仏法運動の意義も、そうした大きな歴史的文脈のうえでとらえ直すことができましょう。
 私はこれまでたびたびアメリカを訪れておりますが、とりわけカリフォルニアの大地を踏みしめるたびに、私の胸中に一陣の涼風が吹き抜けていく感を深くするのであります。アメリカでは新しい風は西から吹くといわれると聞いたことがあります。特にカリフォルニアは、そうした清新な変革の芽を育み育てる豊かな土壌があるのではないでしょうか。
 加えて、カリフォルニアは、太平洋のイメージと密接に結び付いております。私は、これまで何回か、太平洋文明というものの可能性について触れ、政治や経済の次元にとどまらず、大きく文明史的観点からみても、環太平洋地域の重要性は時とともに増していくであろうと指摘してきました。その枢要部分を成すのがアメリカ西海岸、特にカリフォルニアの天地であります。
 既に一世紀以上も前、アメリカの作家メルヴイルは、有名な『白鯨』の中で、太平洋のイメージを、次のような印象深い言葉でつづっております。アメリカ東海岸のある漁港を出発した捕鯨船が、東回りでフイリピンと台湾の間のバシー海峡を抜け、太平洋を望んだ時のことであります。
 「放浪と瞑想とを愛する神秘家ならば、ひとたびこの静穏の大平洋を眺めたとすれば、終生これを彼の心の海とするであろう。それは世界の水域の真只中にうねり、インド洋と大西洋とはその両腕にすぎない。もっとも新しい民族によって、ほんの昨日建てられたカリフォルニアの町々の防波堤を洗う、その同じ波はアブラハムよりも古いアジアの、滅びてもなお豪華な岸に打ちよせ、そしてその中間には、珊瑚礁群の銀河や、低く横たわりながら涯しなくつづく未知の諸群島、または禁断の日本諸島が浮かぶ。かくして、神秘で神聖な太平洋は、世界の全胴体を帯のように巻き、あらゆる岸辺をおのれの一つの湾とし、その潮鳴りは地球の心臓のひびきを思わせる」(阿部知二訳)
 誠に、雄渾にしてダイナミックな筆致であります。太平洋文明というものに明確な輪郭を与える労作業は、おそらく、何世代にもわたって未来世代の手に委ねなければならないでありましょう。その未来のいつの時かにおいて、カリフオルニアが、想像以上に中枢的役割を果たすであろうというのが、私のひそかな予測であります。多民族社会であるアメリカが、地球社会を先取りした″縮図″であるという点からも、そう言えるのであります。
28  創大ロス分校に「地球的問題群研究センター」を構想
 さて私は、これまで世界各国で二十八の大学を訪れ、教育環境を視察してまいりましたが、カリフォルニアのように伸びゆく大地こそ、二十一世紀を志向する人間教育の場にふさわしいと考え、多くの人々の賛同と尽力をいただき、今回、ロサンゼルスに創価大学の分校をオープンいたします。たしかにアメリカの知的風土の多くは東海岸にあるといわれます。しかし、様々な面において西海岸が今後発展の度合いを高めていくであろうこともまた、多くの人の指摘するところであります。この地は未来へ伸びゆくアメリカの象徴の地といってもよい。
 かつて日本の創価大学の創立に際し、私は建学の精神として (1)人間教育の最高学府たれ (2)新しき大文化建設の揺監たれ (3)人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ、の三つのモットーを示しました。創大ロス分校は当然この建学の精神に立脚しつつ、更に広い視野から人類社会の発展に寄与する方向を目指してほしい。
 そこで、この機会に私自身の期待の念を込めつつ、創大ロス分校の三指針を発表しておきたい。
 (一) 平和建設を担いゆく人材の宝庫たれ
 (二) 太平洋文明構築の電源地たれ
 (三) 東西を結ぶ知性のセンターたれ
 創大ロス分校は、創大建学の理念とこの三つのモットーを基軸に、世界の人々の期待に応えゆく英知のセンターとして徐々に整備、発展していってほしいというのが私の願いであります。
 聞くところによりますと、本年は、かのエマソンがハーバード大学で歴史的な講演「アメリカの学者」をなしてから百五十周年にあたるそうであります。精神の自立性を高らかに謳い、アメリカ独自の思想、学問を推し進める端緒となったことで、この講演はアメリカの「知的独立宣言」になぞらえられているという。こうした佳節にあたり、創大ロス分校がオープンすることに、私は少なからざる意義を感じてなりません。
 今後、地球的問題群といわれる課題をどう解決していくか――それには東と西、北と南の壁を超えて、ともに知恵を出し合い、力を合わせ創造的に取り組んでいくことが肝要であります。その意味で二十一世紀ヘ向けて、グローバルな知的ネットワークを張りめぐらせていくことが、時代の要請になっているといえましよう。ささやかであっても、創大ロス分校はその一翼を担ってほしいと思います。
 そうした観点から、私は近い将来、全地球的問題の解決に世界の英知を集め、科学的、総合的にアプローチするための研究施設を、この分校の敷地内に設立することを考えていってはどうかと思うのであります。単に創大付属の研究施設というのではなく、創価学会がその社会的、人間的使命をグローバルなスケールで果たすための「地球的問題群研究センター」を私は構想しております。これは世界各国の研究所や大学研究機関、更には国連の研究機関などともネットワークを組んで、二十一世紀の地球の安定化と平和の戦略を生み出す役割を担うものであります。
 これまで私は様々な機会に、数多くの提言を行ってまいりました。核兵器廃絶への様々な具体策、「核戦争防止センター」設置構想、「世界不戦宣言」案、「教育国連」・「環境国連」構想、「国連を守る世界市民の会」設置案等々、更に昨年はアジア・太平洋時代を見すえ「アジア・太平洋平和文化機構」の構想を提示いたしました。私の構想する研究センターで、これらの提案の具体化への研究も併せて進めていただければと思うものであります。
 私はこの研究センターの特徴としては、地球の平和と安定への情報、提言、ビジョンを単に政府へ向けて提示するのみでなく、世界の市民が活用し、ともに知恵を出し合っていける方向性も考えてほしい。したがって世界の草の根レベルの運動家の意見なども吸収する必要があろうし、広く市民とともに歩む研究センターが望ましいことは言うまでもありません。
 今日、世界の巨大な危機を乗り越えていくには、そうした知的レベルと草の根レベルとが協力した新たな地球平和の戦略が必要になっている気がしてならないのであります。私はこの機会に、斬新な発想に立った研究センターの構想を具体化するための「SGIビジヨン委員会」を作ることを提案するものであります。
29  「原水爆禁止宣言」を時代精神に
 本年は戸田城聖第二代会長の「原水爆禁止宣言」から三十周年の年にあたります。一九五七年九月八日、世界の民衆の「生存の権利」を脅かすものは魔ものであり、サタンであり、怪物であるとの立場から、核使用が「絶対悪」であることを訴え、反核の運動を男女青年部員の手に託したのであります。戸田第二代会長は、原水爆を使用するものは「奪命者」を意味する「魔」であると断言し、核保有を正当化する論理を仏法者として根源的視点から批判したといえましょう。
 ここで当時の国際情勢を振り返ってみますと「原水爆禁止宣言」が出された前年の一九五六年の一月にダレス米国務長官(当時)が「戦争瀬戸際政策」を発表しております。同年五月にはイギリスが原爆実験、更にビキニではアメリカ初の水爆投下実験が行われ、十月にはアイゼンハワー米大統領(当時)が核実験中止に関するブルガーニン書簡に内政干渉との返事を出すなど、米ソ対立が次第にあらわになっておりました。翌五七年五月にはソ連が核実験、イギリスはクリスマス島で第一回水爆実験を強行、アメリカもネバダで次々に核実験を行った。こうしたなか、アメリカのライナス・ポーリング博士は核実験禁止アピールに二千人の米科学者が署名したと発表、また世界平和評議会総会では核実験即時無条件停止のコロンボ・アピールが発表され、反核の機運が相当な高まりをみせておりました。更に八月にソ連がICBM(大陸間弾道弾)実験成功を発表、十二月にはアメリカもICBMアトラスの試射に成功し、米ソの核軍拡競争が徐々に激化の様相を呈しはじめております。
30  核兵器を前面に押し出して東西両陣営が厳しく対時し合うという地球的危機の時代相を鋭く見抜かれた戸田第二代会長は、原水爆を人間の生存の権利を脅かす「絶対悪」とみなし、この思想を全世界に広めることの重要性を訴えたのであります。
 なぜ、戸田第二代会長は、このような「原水爆禁止宣言」を「遺訓すべき第一のもの」として、若人にその実現を託されたのでしょうか。私はそこに、深い洞察と透徹した先見の眼が秘められていたことを、改めて強調しておきたいのであります。
 核兵器が、なぜ「絶対悪」であるのか――それは、核兵器が、通常兵器の延長線上では考えられない、否、考えてはならない、いわば運命的兵器だからであります。黙示録的兵器といってもよい。それは、通常兵器に対するのとは異なった対応と思考様式を我々に要請しております。
 ところが、当時は、そのような要請に気づいている人は、意外なほど少なかったのであります。多くの人々は、核兵器の殺傷力と破壊力の巨大さを、通常兵器の延長線上でとらえておりました。唯一の被爆国である日本で「きれいな原水爆」とか「平和のための核実験」とかいった言い方が、公然とまかり通っていたことからも、その一端はうかがい知れます。「解き放たれた原子の力は、我々の思考様式以外のすべてのものを一変させてしまった」とするアインシュタインのような人は、どちらかといえば少数派であったのであります。
 戸田第二代会長の発想は、当時の一般的な物の考え方を、根底から覆す起爆力を秘めていたわけであります。だからこそ、左右のイデオロギー的な平和論が、時間の淘汰作用に耐えきれずに色あせていくなかで、「原水爆禁止宣言」は、時とともに鮮やかな光亡を放っているのであります。
31  アメリカの気鋭のジャーナリスト、ジョナサン・シェルは、核兵器がもたらす人類絶滅の脅威を、こう述べております。
 「……人類の絶滅は個々の人間の死よりも、はるかに恐るべき現象であり、より激しい破壊をもたらす、ということができる。なぜなら、人類がいなくなってしまった場合、個々の人間の誕生や生命だけでなく、死という現象も起こらなくなるからである。個人の人間の死は単なる死にすぎないが、人類の絶滅は死の死を意味する」(斎田一路・西俣総平訳)と。
 「死の死」とは、核兵器の持つ運命的、黙示録的性格を言い得て妙であります。大規模な核戦争の果てに待っている世界は、死屍るいるいとした荒涼たる無の世界、否、無という言葉さえ存在しない、我々にとって何の意味も持たない世界なのであります。したがって、この運命的兵器の魔性を鋭くついた「原水爆禁止宣言」の思想を、私どもは、繰り返し繰り返し訴え続け、一つの時代精神にまで高めていかなければならないことを、三十周年を機に、重ねて申し上げるものであります。
 戸田第二代会長亡き後、創価学会はその遺訓を受け継ぎ、国内外で広範な反戦・反核運動を展開してまいりました。一九七四年九月には戦争絶滅、核廃絶を訴える一千万署名を達成し、翌年の一月には私自身、ニューヨークの国連本部を訪れ、ワルトハイム事務総長(当時)にこれを手渡しております。
 私どもの反核運動は、すべての戦争を否定する世界不戦の運動の一環であり、その反戦活動の成果は青年部、婦人部の反戦出版九十六巻となって結実。これらの抄訳版は、英・独・仏・ルーマニア語版としても出版されております。
32  更に日本国内における反戦・反核展の成果を踏まえ、一九八二年の第二回国連軍縮特別総会(SSD2)に代表団を派遣し、ニューヨークの国連本部で「核兵器―現代世界の脅威」展を初めて開催したほか、広島、長崎の被爆者を交えシンポジウムや討論集会も行いました。またこの際には、ささやかではありますが私からの「軍縮及び核兵器廃絶への提言」をデクエヤル国連事務総長に手渡してもらいました。
 その後、第二回国連軍縮特別総会で決定された世界軍縮キャンペーンの一環として″核の脅威展″は世界各国で巡回展示され、多大の反響を呼んでまいりました。国連並びに広島・長崎市と連携をとりつつ、我が青年部の諸君がこの展示会の推進に情熱的に取り組んできたことを、私は心から頼もしく思っております。何よりもそれは戸田第二代会長の「原水爆禁止宣言」の遺志を受け継ぐ実践でもあったからであります。
 ″核の脅威展″は、ニューヨークの国連本部での開催に続き、ジュネーブ、ウィーン、パリ、ストックホルム、ヘルシンキ、オスロ、ベルゲン、西ベルリン、アテネ、ベオグラード、ザグレブ、ニューデリー、モントリオール、トロントで行われ、昨秋には中国・北京でも開かれ「国際平和年」を意義づける行事として大成功を収めました。本年六月には十四カ国十七都市日としてソ連のモスクワで開かれる予定になっております。更に明年初頭には東南アジアでの開催も検討されております。
 私がこうした展示会の開催の意義を重視するのは、何よりもまず平和を希求し、核廃絶を願う諸国民の意思を総結集する必要性を痛感するからであります。人類の命運を握っているともいえる核軍縮の問題を、単に米ソの話し合いの行方にまかせて、傍観しているわけにはいきません。米ソに対し、全地球的な世論による平和の包囲網をかけることが、ぜひとも必要な時を迎えております。こうした反核への国際世論の大きな高まりを第二回国連軍縮特別総会につなげたいというのが、私の希望であります。
33  核廃絶・全面軍縮に向けて
 昨年、レイキャビク会談で、レーガン米大統領は、今後十年間で戦略核ミサイルを全廃するという大胆な構想を提案いたしました。これに対応し、ゴルバチョフ・ソ連書記長は戦略爆撃機、巡航ミサイルも含めた「あらゆる核兵器の全廃案」を提示、合意成立寸前までいったことは周知のとおりであります。これがアメリカの戦略防衛構想(SDI)規制問題をめぐる対立によって、結果的に合意が成らなかったことは誠に残念であります。
 それだけSDIをめぐる対立の根が深いことを世界の人々は再認識した次第ですが、合意が成らなかったとはいえ、いわゆる「核兵器の全廃」という最終目標へ向けて合意寸前までいったという事実は否定できません。米ソ間の軍縮交渉で戦後、トップ同士がここまで歩み寄ったことはかつてなかったといえましょう。最終合意に至るにはまだまだ多くの障害が横たわっておりますが、レイキャビク会談で私がもった印象は、否定的な面よりも、むしろ″やればできる″ということであります。
 私はこれまで一貫して米ソ首脳会談の必要性を強調してまいりました。私はこの機会に重ねて米ソ首脳によるトップ会談を早期に開催し、現在の閉塞状況を大胆に打ち破るための対話を進めてほしいと願わざるを得ません。
 私は昨年九月、キッシンジャー元国務長官と東京で会談いたしました。その際、同氏は米ソ首脳会談の重要性を指摘し「このサミットが重要であるというのは、一つには、米ソ両国民がそれを望んでいるからです。また一つには、世界のあらゆる国民がそれを望んでいるからです。そして、なかんずく、米ソ・サミットが平和への展望を前進させる一つの手段だからです」と述べております。
 私もこの見方と同意見であります。もし米ソ間で画期的な核軍縮の合意がなされれば、次の段階として米・英・仏にソ連、中国、インドを加え、核保有国の首脳による″平和サミット″を開催すべきだというのが、私の年来の主張であります。
34  もとより現状が楽観を許さないことはよく承知しております。レイキャビクで米ソ首脳会談が不調に終わり、その後、第二次米ソ戦略兵器制限条約(SALT2)の実質破棄状態が生まれ、またソ連が一方的に中止していた核実験の再開を表明するなど、米ソ関係の行方に暗雲がたれこめております。
 何よりも大きな問題は、両国間に抜きがたい不信感が存在することであります。しかし、こうした不信感は絶対に解消できないものではない。
 かつてケネディ米大統領は、ワシントンのアメリカン大学における演説で「歴史は、国家間の敵意が個人の場合と同様、永久に続くものではないことを教えている。われわれの好ききらいが、どんなに固定したもののように見えても、時と事態の推移はしばしば国家間、隣人間の関係に驚くべき変化をもたらす」と述べております。
 そのとおりであり、かつては″倶に天を戴かざる″の感があった米中関係が、一朝、劇的な転回をみせたとは、ごく最近の事実であります。
 国家間の敵意を縮小させ、国家間の関係に驚くべき変化をもたらすために、私どもは私どもなりに、民衆次元での努力を根気強く積み重ねていきたい。もとより、核兵器を一気に削減すればすべてが解決するわけではありません。今、世界を覆いつつある軍事化の波を逆転させ、全地球的な軍縮、緊張緩和の潮流をいかに強化させていくかがポイントであります。そして、それによって生み出した余力を、環境破壊、人口爆発、飢餓、大量難民などの複合的かつ地球的な問題群の解決のために向けたいものであります。
35  年々、世界の軍事費は上昇の一途をたどっております。その額は年間九千億ドル(約百四十四兆円)に達すると言われております。こうした軍拡路線が各国の経済を圧迫し、その持続的成長を阻害していることは、もはや常識であります。問題は米ソ両超大国に限りません。第三世界の国々にも、その重い足カセがはめられているのであります。
 歴史的に人類は苦い体験をもっております。一九三〇年代の大不況の際、失業者を減らし、経済に活況をもたらすために、軍備を拡張する政策がとられました。アメリカでも、第二次大戦時の軍備増大が一九三〇年代の大不況を克服する一因になったと考えられております。しかし一つの国が軍拡に走ると、連鎖反応的に軍拡に走る国々が続出し、その結果、領土分割戦争を招き、世界的な大戦へとつながった教訓を、私達は改めてかみしめねばなりません。
 軍拡が経済の活性化をもたらしプラスに作用するという神話は、今も生きております。アメリカ国内でベトナム戦争時代の経験を生かせず、このところ急速な軍拡路線がとられてきたことは周知のとおりであります。しかし、それがアメリカ経済を圧迫し、財政赤字をはじめ様々なマイナス要因を生み出していることは、多くの識者の指摘するとおりであります。
 更に軍事費の増大が世界経済全体の健全な成長を阻害することも、既に権威ある調査研究によって明らかにされているところであります。創価大学の大西昭教授が中心になり同大学応用経済研究所が編み出した世界経済モデルの分析研究も、その一つであります。
36  これは米ソの軍拡競争が両国の経済に及ぼす影響と、世界経済に与える衝撃を世界モデルを使って分析したものであります。すなわち、米ソの核軍縮の話し合いがまとまらず、緊張が高まったと仮定し、標準予測に比べてアメリカが一九八六年から年率二%軍事支出を増大するとして計算すると、二〇〇〇年のアメリカの実質国内総生産は標準予測に比べて〇・五%しか増加しない。加えて長期金利は三%上昇、財政赤字は七・四%、貿易赤字は二・四%それぞれ増と、マイナス面が大変大きいという結果が出ております。
 逆に米ソの核軍縮交渉が進展し、世界的軍縮が実現したと仮定し、アメリカの国防支出が八六年水準で凍結された場合、二〇〇〇年のアメリカの実質国内総生産は一二・九%増が見込まれるという。軍備を増やさないことで浮いた財源のうち、半分を自国の経済発展に使い、残り半分を発展途上国への政府開発援助に回したと仮定した数字が、これであります。軍事支出の現状凍結ですら、いかに国内経済に大きなプラス要因になるかを、この数字はよく示しております。
 ソ連も同様の条件を適用すると、軍事費を現状凍結した場合、二〇〇〇年の実質国内総生産は九・九%増という明るい予測が出されております。
 とりわけ注目すべきは、軍縮による政府開発援助拡大の効果があがり、発展途上国の実質国内総生産が大きく増加することが見込まれることであります。
37  ここで使われた世界モデルには、米ソの軍拡競争のシステムが組み込まれております。アメリカの軍事支出は前年のソ連の軍事支出増に反応して増加し、ソ連の軍事費もアメリカの軍事支出増に対応して増加する傾向を持っております。したがって、米ソの軍拡競争が続けばどんどん軍事費が増大するという″報復のシナリオ″が組み込まれております。逆に米ソの緊張緩和が進めば、事態は急速に改善される期待が持てることが明らかにされております。
 この世界モデルは経済学とコンピューターとシステム分野の高度先端技術がドッキングしてできた経済学の先端的研究分野と言われております。一九八五年の国連総会にデクエヤル事務総長が提出した報告書「二〇〇〇年の世界経済の展望」でも、この創価大学の世界モデルが使われております。
 このまま軍拡の破滅的な道を歩くか、あるいは思い切って軍縮の道へ転換し、人々の暮らしを向上させるか――こうした分析研究からも世界は今、分岐点に立たされていることが分かるのであります。前者の道を選択することは、核戦力を含む巨大な殺毅力を持った軍備を拡大することにより、経済を疲弊させる方向にほかなりません。
 アメリカ国内で市民の間に今、やみくもな国防費の増大に拒否反応を示す健全な動きがみられます。慢性的な国内経済の不振に悩むソ連の側にも、軍縮への要請は当然存在するでしょう。地球的相互依存関係が強まっている現在、各国が足並みをそろえて、軍縮の方向へ進み、世界的に緊張緩和の流れが定着すれば、二十一世紀への明るい展望が開けてくることが期待できましょう。
38  私は四年前の第八回「SGIの日」を記念した提言の中で、通常兵器を含めた膨大な軍事費を、これ以上増やさないための国際的な合意がぜひとも必要なことを強調いたしました。そして、そのためにとりあえず早急に「軍事費を凍結するための国際会議」の開催を呼び掛けました。
 すなわち、多くの先進国が発展途上国に向けて盛んに武器輸出を続ける一方、途上国が巨額の累積赤字を抱えて苦しんでいる状況を何とか解決するために、途上国への武器輸出に規制を加える必要がある。更に各国が軍事費の凍結に合意するのみでなく、軍縮を進めることによって浮かした資金を人類の福祉と向上のためにどのように使っていくか、例えば、そうした資金をプールし、発展途上国の福祉と生活向上のための開発基金、また各国の平和教育推進のための教育基金の構想等が考えられねばならないとし、こうした国際会議を開催してほしい旨の要望をいたしましたこうした「軍縮」と「世界経済の安定と繁栄」との関連は、私どもが最大に関心を寄せてきたテーマの一つであります。「核兵器―現代世界の脅威」展の中でも「軍縮と開発」を三つの柱のうちの一つにしてきたことでも、それはお分かりいただけるものと思います。
39  また、私どもは今日の世界で平和と人権とは不可分の関係性を持っているとの基本的認識のうえから、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民救援活動を支持し、創価学会青年平和会議を中心に難民救援活動を活発に推進してまいりました。今後もこうした人間の基本的権利と尊厳を守る活動に、意欲的に取り組んでまいる決意であります。
 しかしながら、将来、難民問題が更に深刻化する状態が十分予想される現在、全地球的な難民発生早期警報システムとともに、総合的な開発と救援策が不可欠となっております。したがって、地球上の飢餓や貧困を撲滅するためには、軍縮によって生み出した資金をこれに充てるのが最上の方法と言わざるを得ないのであります。
 来年には第三回国連軍縮特別総会(SSD3)が予定されております。私どもは二十一世紀へ向けて世界的な軍縮の流れへの突破口を、この特別総会を契機にぜひとも切り開いておきたいと念願しております。そこで、そうした国際世論を盛り上げるために、SSD3の開かれる年を国連の総意で「国際軍縮年」(IYD)と定めてはどうか。私はそのリーダーシップを平和憲法を保持する日本がとってほしいと考えております。
40  青少年による世界交流の推進を
 創価学会インタナショナルは世界百十五カ国にメンバーを有しております。そして、それぞれの国でそれぞれの国の良き市民として、メンバーは人類の幸福、世界の恒久平和と繁栄のために尽くしゆくことを目指しております。
 私自身、世界の各国を訪ね、さまざまな階層の人々と対話を交わしてきたのも、国家やイデオロギーを超えて世界的連帯を築き、世界の民衆と民衆との間に揺るがぬ信義の絆を形成したいと願っているからにほかなりません。それこそが私どもの目標とする戦争のない平和社会を実現する基盤なのであります。
 特に私は世界の未来を担いゆく青少年の交流を活発に進めていきたいと念願しております。SGIはこれまで様々な次元から世界の民衆同士の交流を進めてまいりました。とりわけ毎年、SGIメンバーが世界平和への誓いを一段と固め合う祭典として、世界青年平和文化祭を開催し、SGI運動の一つのシンボルともなっております。
 そこに雀躍して集い来る若人の姿に一つの着想を得て申し上げるのですが、単にSGIに限らず二十一世紀を視野におさめ、国際交流を一段と進めるために「世界青少年交流センター」とでもいうべきものを作る構想を、日本が率先して考えてみてはどうか。世界の青年がそこに泊まり、交流し、お互いが歴史と文化を学び合っていく場とするのであります。現在、中国では「日中青年交流センター」の建設が進められておりますが、そうした場を更に拡大、充実させていく必要があると思うのであります。それが、草の根レベルでの、青少年による″民衆交流″の拠点になれば、平和への計り知れぬ貢献をなしていくでありましょう。
41  昨年末、私は″構造的暴力″の唱導者であり、平和研究の世界的権威であるJ・ガルトゥング博士と再会いたしました。そして、平和構築への条件をめぐって、幅広い論議を交わし、多くの点で意見の一致をみました。博士は、恒久平和の建設へ、仏教とりわけ私どもの進めている運動に、大きな期待を寄せておられました。博士の最近の論文には、次のような一節がみられます。
 「仏教には積極的な平和政治のためのひとつの源泉としての大きな可能性、しかもかなり活用されていない可能性があるということ、また直接的暴力と構造的暴力に満ちたこの世界の堕落した影響を受けないようにするために、復活しなければならない、生かし続けねばならない何かがあるということである。(中略)世界では、より平和を志向する構造をうちたてようとの努力はなされている。しかしそれらは、ときとしてエトス――核になる規範を欠いている。仏教こそまさにそのエトスであり、それはおそらく具体的な構造を求めているのである」と。
 たしかに仏教とりわけ私どもの信奉する、大乗仏教の真髄である日蓮大聖人の仏法は、いまだ歴史的に検証されていない、未知の可能性をはらんでおります。歴史の手垢に汚されていないだけに、それが、恒久平和のためにどう貢献していけるかは、いつに私どもの取り組み方いかんにかかっているのであります。
 ″精神″の力の復興は、単にアメリカのみの課題ではありません。世界のいたるところに存在する″構造的暴力″を駆逐していくためには、究極的には、″タテ″に、内なる生命の深みより発する″精神″の力を掘り起こし、″ヨコ″には、世界市民の心のスクラムを幾重にも、幾次元にも広げ、強めていく以外にないのであります。SGIの皆さんは、そうした先駆の労作業に日々汗しているのだとの誇りも高く、きょうも、恒久平和への旗を振りゆかれんことを念願しつつ、私の所感とさせていただきます。
 (昭和62年1月26日 「聖教新聞」掲載)

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