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第11回「SGIの日」記念提言 恒久平和へ対話の大道を

1986.1.26 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

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1  第11回「SGIの日」にあたり、最近の私の所感の一端を述べて、SGIの新たな出発を期したいと思います。
 創価学会創立55周年にあたる昨年は、同時にSGI発足10年という幾重にも重要な節を刻んだ年でありました。この意義を踏まえ、昨年は世界青年平和文化祭を、ハワイと広島で開催いたしました。ともに総本山より日顕上人現下の御臨席を賜り、幸い大成功裏に終えることができました。この間の世界の同志の多大の尽力に対し、改めて深く敬意を表するものであります。
 思えば恩師戸田城聖先生が「原水爆禁止宣言」を発表し、それを青年に託したのが一九五七年でありました。以来二十八年、広島で第六回世界青年平和文化祭を盛大に開催できたことは、SCI発足十周年の見事な締めくくりをするとともに、恩師の遺命でもある核廃絶へ向けて世界のメンバーが心を一つに運動を進めていく大きな契機となったと思うのであります。
 私どものこれからの目標は、仏法を基調にして、世界の一大平和勢力としての確固たる基盤をそれぞれの国で作り上げることにあります。この機会に、妙法を根本にして全世界に恒久平和と安穏な社会を実現していくところに「立正安国」の元意があることを改めて確認しておきたい。私とともに、この遠大な目標へ向けて、次の十年への前進の歩みを勇敢に開始していただきたいことを心から願うものであります。
2  米ソ首脳会談に期待する
 ここ数年、私は米ソ最高首脳の会談が世界の平和のために不可欠なことを、機会あるごとに繰り返し主張してまいりました。一九八一年五月、三たびソ連を訪れた際、チーホノフ首相(当時)との会見では、ソ連首脳に対し「モスクワを離れてスイスなど良き地を選んで、アメリカ大統領と話し合いの場を徹底して開いてくれれば、どれほどが全人類は安堵するであろう」と呼び掛けました。
 その後、八三年の第八回「SGIの日」に寄せた提言、また昨年のSGI発足十周年記念提言でも、重ねて米ソ首脳会談の早期開催を要望いたしました。そこで双方が互いに知り合い、今、何を考え、何を最も望んでいるか誠心誠意、腹を割って意見を交換し合うことの重要性を指摘いたしました。世界の平和に大きな責任を持つ米ソの最高首脳が、まず万難を排して会うことから、緊迫した閉塞状況を打ち破る大胆な発想と行動も、勇気ある決断も生まれてくるというのが、私の変わらざる確信であるからであります。
 その意味で昨年、米ソ首脳会談が実現したことは、誠に歓迎すべきことと言わねばなりません。会談の実質的成果は今後の米ソの行動にまたねばなりませんが、何よりも米ソの直接的対話が世界全体にもたらした緊張緩和のムードを私は評価したい。会うということ自体が、世界全体に与えた明るい希望と平和環境を作ることを過小評価してはならないと思う。
 とりわけ、ここしばらく続いた米ソ間の厳しい対立は、″新冷戦″という指摘がなされたほどであった。核軍拡競争にしのぎを削った結果、核兵器が″使える兵器″へと小型化し、″核先制攻撃症候群″といった忌まわしい言葉が、しばしば口にされるようになりました。私自身も一九八一年八月のハワイでの第二回SGI総会の席上、そうした現代の核戦略の非人間性と危険性を厳しく指弾いたしました。
 こうした流れからいえば、昨年米ソ首脳が核戦争には勝利がないとの点で意見が一致し、核戦争であれ通常戦争であれ、米ソ間のいかなる戦争も戦ってはならず、軍事的優位を追求しない、との共同声明を発表した意義は大きい。私が一貫して米ソ首脳会談の必要性を主張してきた大きな理由も、米ソ首脳が人類的視野に立って、核戦争をはじめとした「不戦」の誓いを世界に改めて明言してほしい、また、首脳という責任ある立場であればあるほどそれが可能であると信じていたからにほかなりません。事実、会談は、世界平和に一筋の光明となり、今後に期待を寄せる人も少なくないのであります。
3  また、去る十五日には、ゴルバチョフ書記長が、今世紀末までに三段階方式で核兵器を全廃しようとの、新軍縮構想を発表。レーガン大統領もこれを評価するなど、核軍縮への注目すべき動きが出てきていることを、私どもは率直に歓迎したいと思います。
 アメリカの著名な平和運動家ハロルド・ウイレンズ氏は「専門家の意見なら大丈夫だという神話は、まさに神話でしかない。水爆をこしらえるためには科学的知識が必要だが、水爆の数が多くなり過ぎたと気づくためには、常識がありさえすればよいのである。そしてこの常識こそ、現在、最も必要とされているものなのだ」(向笠広次監訳)と述べております。
 この「常識」とは、人間としての良心や良識に置き換えることもできましょう。首脳という責任ある立場は、専門の行政官や科学者などに比べて、はるかにこの「常識」の見地に立ちやすいのであります。そして、その立場は、ごく普通の常識人、つまり民衆と回路を通じているのであります。こうした回路を無数に、縦横に掘り進んでいくところに、国家や国益の壁を超えた、グローバル(全地球的)な平和への潮流を流れ通わせていくことが可能となるでありましょう。
 冷たい風の吹き続けていた日ソ間にしても、ゴルバチョフ書記長の意を受けた今回のシェワルナゼ外相の来日は、平和条約締結への展望など、戦後の両国関係に大きな転換をもたらす可能性をうかがわせる、画期的な意義を刻んだのであります。
4  私は八三年の第八回「SGIの日」に寄せた提言の中で、米ソの専門家レベルからなる「核戦争防止センター」の設置を要望いたしました。昨年、米ソ共同声明の中で両国が核戦争の危険を減らすために、危機軽減センターを設け、専門家レベルの研究を目指すことに合意したことを歓迎したい。偶発的な核戦争の発生防止に具体的な措置を講じることは「核不戦」の誓いを実質化するために極めて重要な点であります。
 もとより私は米ソ関係の今後を手放しに楽観しているわけではない。″新しい出発点″に立った米ソの今後の行動こそが厳しく問われているとの認識に変わりはありません。とりわけ私が危惧しているのは、長引く交渉の過程で、宇宙の軍事化がなし崩し的に既成事実として定着してしまうことであります。それが過去の米ソの新兵器規制交渉の悪しき歴史でもあったからであります。その意味で正念場はむしろ本年、そして来年も開かれる予定の米ソ首脳会談にあります。私はこの会談でまず、核廃絶に至る前提条件として、核兵器をこれ以上増やさないという核凍結措置にぜひとも合意してほしいと思う。それを前提に、ともかくも核兵器の大幅な削減に踏み出すべきであります。
 なぜならSALT(米ソ戦略兵器制限交渉)の例を引くまでもなく、これまでの軍縮交渉が軍縮とは名ばかりで、実際は軍備管理の話し合いに終始し、核兵器の削減にまで手をつけなかったからであります。核戦力の″均衡″を重視するあまり、現状維持的な選択をとることはもはや許されない。そのためには米ソ首脳の対話が包括的な核実験の禁止にまで行き着くことを心から要望するものであります。核実験がすべて禁止されれば、核拡散防止条約に加盟している非核保有国にとっても大きな朗報となることは言うまでもありません。恒久的な平和を願望する世界の人々の厳しい目がそこに注がれていることを、米ソ首脳は忘れないでほしいものであります。特に米ソ首脳は、宇宙での軍事行動を規制する新しい条約の締結にぜひ展望を開いてほしいと願わざるを得ません。
5  民衆の力で不戦の潮流を
 もとより世界の平和は米ソだけに任せておくわけにはいかない。崩れざる平和を構築する道をいかに構想するかは、我々自身に課せられた使命でもあります。国益のしがらみにとらわれない、思い切った発想からの平和へのアプローチがますます必要になっております。
 今、私どもは二十一世紀へ向けて国際社会に大きな構造的変容が起こりつつあることに自信を深めねばなりません。ごく普通の一般市民が担う反核・反戦の運動の高揚と、国境を超えた広がりは、新しい民衆の時代の胎動を感じさせるものであります。核兵器の廃絶を求め、飢餓や貧困を地上から追放しようとする平和、人権、環境保護のための民衆の運動が、政府や国際機構と並んで強力な組織体として活発に活動していることの意義は、いくら強調してもしすぎることはありません。歴史を動かすのは、最終的には民衆自身の力であることが、グローバルな規模でより深く自覚される時代を迎えたといってよい。
 世界的ジャーナリストとして知られるノーマン・カズンズ氏は近著の中で「武力の備えがもはや一国の安全保障に大して役立たないとすれば、人間社会が存続し、機能しつづけるためには、何か武力に代わるものが出て来なければならない。その新しい力とは人間の意志に表現される力、すなわち一致した世論の力である。その力から、人間社会の安全な避難所を建設するためのエネルギーと迫力とが生じてくる」(松田銑訳)と述べております。私もまた同感であります。
 今年は国連の定めた「国際平和年」(IYP)であります。「国際平和年」の意義は、戦争を防止し世界的な平和を築くための知恵と構想を人々が出し合い、それを具体的な行動に結び付けるところにあると思うのであります。
 「国際平和年」の開幕にあたり、デクエヤル国連事務総長はメッセージを寄せ「今こそ全世界の幸せな未来のために、平和には欠かせぬ創造力をもって行動を起こさねばならない」と訴えております。
6  言うまでもなく創価学会インタナショナルの最大の目標は仏法を基調にした世界平和の実現にあります。SGlの基本路線として既に確認されているように、私どもは生命の尊厳を根本的に説き明かした日蓮大聖人の仏法に基づき、恒久平和実現と人間文化・教育の興隆を目指しております。更に戦争をはじめとするあらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の繁栄に尽くしゆくことを目指しております。そのために核兵器廃絶と世界不戦の実現を大きな目標とし、国連憲章の精神を支持し、世界平和維持の努力に協力する路線を進むことを決定しております。
 そうした流れからいって、国連が本年を「国際平和年」と定め、活動の柱を平和と軍縮、平和と開発、平和な生活の準備という三課題においたことは誠に時宜を得たものであり、私どももその推進の一端を担うことをここに改めて表明しておきたい。
 昨年国連が発表した統計によると、第二次大戦後、世界で約百五十の戦争、紛争が発生し、二千万の人々が死亡しております。この数は第二次大戦で死亡した兵士の人数を上回るものであります。
 第二次大戦後、世界中を巻き込むような大きな戦争は起こっていない。しかし、局地戦争は絶え間なく、結果的に二千万の人々がその犠牲になっているという厳しい現実を、私どもは直視しなければなりません。
 国連の報告書は、こうした大小の紛争では民間人の死傷者が極めて多いと指摘し、近年の紛争の特徴は宣戦布告のない不規則戦争であり、その結果として戦闘員は法や条約から何の制限も受けないと感じていると述べております。誠に戦争ほど残酷かつ悲惨なものはないという無法状況が、今なお世界の各地で繰り広げられているのであります。
 こうした直接的な戦争による被害と同時に、世界には人権抑圧、差別、飢餓、貧困など平和を脅かす構造的諸問題が存在することに目を向けねばなりません。今日、平和と人権とは不可分の関係性を持っております。私どもはその基本的観点から、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民救援活動を支持し、創価学会青年平和会議を中心に難民救援活動を活発に推進してまいりました。難民救援活動は、人権擁護という積極的な平和創出のための不可欠の要件をなすというのが私どもの信念であります。「国際平和年」にあたり、こうした人間の尊厳を守る諸活動は、更に多角的に着実に積み重ねていきたいと決意しております。
7  アジア・太平洋地域の可能性を凝視
 国家間の相互依存関係が高まっている今日、私は一方で次第に大規模な戦争ができにくくなっている状況が生じつつあると思っております。まして戦争による経済への様々な悪影響、打撃を考えると、戦争は最大の浪費であり環境破壊であることに一日も早く気づかねばなりません。たしかに紛争を世界から一挙になくすことは不可能でありましょう。問題は可能なところから地域的な平和保障の枠組みを作り上げ、それを全世界にいかにして広げていくかにあります。
 私は現在の世界を展望しつつ、その可能性を潜在的に秘めた地域としてアジア・太平洋地域を挙げたいのであります。たしかに、戦火そのものという次元からみれば、アジア・太平洋地域は現在、戦争の火種は数多くあるものの、直接、大規模な戦人が燃えさかっている地域であるわけではありません。砲煙弾雨に覆われ、対応を誤ればいつ何時世界を巻き込む破局的事態へと発展しかねない、一触即発の危機をはらんでいるのは、何といっても中東であり中米でありましょう。アフリカ諸国の飢餓問題も、いわゆる″構造的暴力″という観点から、避けて通れぬ課題であります。
 私は、それらの現実から、いささかも目を離すつもりはありませんし、我が国も国力に応じた平和への努力を怠ってはならない、と思っております。
 と同時に、戦争や飢餓などの直接的な抗争や亀裂という次元をもう一度掘り下げて、政治、経済、文化、教育等の諸要素を総合的にとらえつつ、世界平和の問題を考えてみるとき、更に、平和を戦争と戦争との間の幕間劇に終わらせず、文明史的視野に立った恒久平和創出の展望を試みようとするとき、どうしてもアジア・太平洋地域に目を向けざるを得ないのであります。そこには、日本がこの地域の一員であり、しかも重要な役割を担っているという時間的、空間的な関係性の深さ、地政学的な判断も含まれていることは言うまでもありません。
8  アジア・太平洋地域の重要性については、昨年の提言でも触れましたが、何といってもこの地域は、NATO(北大西洋条約機構)とワルシャワ条約機構が直接対時するヨーロッパとは異なった多元的要素をはらんでおります。試みにその特徴を挙げてみると、世界の超大国の米ソ、経済大国であるとともに平和憲法を保持する日本、資源大国であるカナダ、二十一世紀を視野におさめ近代化に前進する中国、着々と実力をつけつつある東南アジア諸国連合(ASEAN)、NICS(中進国)と呼ばれ経済成長目覚ましい韓国、台湾、香港、そしてオーストラリアやニュージーランドなどを中心にした南太平洋非核地帯化の動きなど、注目すべき多元的な動きが顕著にみられるのであります。
 私が昨年十一月、来日したインドのラジブ・ガンジー首相と会談したのも、世界の平和、アジア・太平洋地域の平和の展望をどう開くかということが、私の念頭を去らなかったからであります。インドは、スウェーデン、ギリシャ、メキシコ、タンザニア、アルゼンチンと組んで、ヒロシマ・ナガサキが核軍縮で果たす意義を強調し、宇宙軍事化の停止や包括的核実験禁止条約締結を呼び掛けるなど、核軍縮を中心にした平和外交を活発に展開しております。
 私は中国と並んでインド外交の今後に大きく注目している一人であります。
 これまで、ニューヨークの国連本部をはじめ、海外十力国・十二都市で開催してきた「核兵器―現代世界の脅威」展のインド開催(本年一月)並びにカナダ開催(四月)を私どもが強く支持し、併せて今秋、中国で同展を開くことを要望してきたのは、アジア・太平洋時代を展望しつつ、不戦と非核の潮流を世界的に巻き起こしてほしいとの念願からであります。私自身も、できうる限り、そのための尽力を惜しまないつもりであります。
 もとより、アジア・太平洋地域が多元的であるということは、そこがいまだカオス(混沌)の状態にあり、したがって、危険性と可能性を併せ持っているということであります。不安定なその地域にあって、米ソの軍事対決がこれ以上激化すれば、第三次世界大戦の引き金にさえなりかねない危険性は、日に見えております。一九七四年五月、私はフランス政府特派大使として来日したアンドレ・マルロー氏と会談しました。その折の氏の発言で、今なお鮮明に心に残っている言葉の一つは「もし次期世界大戦が起こるとすれば、必ずやそれは、太平洋圏内で起こるであろう」と断言しておられたことであります。我が国は、そうした破局的事態を招かないために、最大の尽力をなすべきであります。
 と同時に、二十一世紀へ向けて、カオスのごときアジア・太平洋地域に潜在する可能性、エネルギーを鋭く凝視することこそ、歴史の進歩を正しく見詰めることであると、私は思うのであります。
9  かつて、フランスの文明批評家P・ヴアレリーは、ヨーロッパ文明とは、端的に言って地中海文明を意味するとして、その構成要素としてローマの法制、キリスト教、ギリシャの精神の三つを取り出しました。そして、ヨーロッパ文明は「欲望と意志の大きさ」によって特徴づけられ、善かれあしかれ、その側面によって世界的な普遍性を持ち得たとしております。
 あえて言うまでもないことですが、ヨーロッパ文明は、善悪両面を併せ持っていました。それは、一方では「欲望と意志の大きさ」によって開拓された多くの物質的恩恵を人々にもたらした。しかし、その「欲望と意志の大きさ」は、同時に凶暴な植民地主義、帝国主義の牙をも研いでいたわけであります。そのヨーロッパ文明、地中海文明の良質の部分を昇華しつつ、なおかつ新たな文明史の地平を切り拓くアジア・太平洋文明の夜明けを翹望ぎょうぼうすることは、果たして荒唐無稽な夢と言えるでしょうか。
 他の個所で触れたことがありますが、未来世紀へ、東アジアの役割をとりわけ重視しておられたアーノルド・J・トインビー博士は、私との共著『二十一世紀への対話』の中で、その理由として、次の諸点を挙げておられました。
 第一に、文字通り全世界的な世界国家への地域モデルとなる帝国を、過去二十一世紀間にわたって維持してきた中国民族の経験。第二に、この長い中国史の流れの中で中国民族が身につけてきた世界精神。第三に、儒教的世界観にみられるヒューマニズム。第四に、儒教と仏教が持つ合理主義。第五に、東アジアの人々が、宇宙の神秘性に対する感受性を持ち、人間が宇宙を支配しようとすれば自己挫折を招くという認識を持っていること。第六に、人間の目的は、人間以外の自然を支配しようとするような大それたことではなくて、人間以外の自然と調和を保って生きることでなければならないという信条があること。第七に、東アジアの諸国民は、これまで西洋人が得意としてきた、軍事、非軍事の両面で、科学を技術に応用するという近代の競技においても西欧諸国民を打ち負かしうるということが、日本人によって立証されたこと。第八に、日本人とベトナム人によって示された、西洋にあえて挑戦するという勇気。――以上、八点でありま
 す。
 私は、この碩学の分析に、何事かをさしはさむつもりはありません。また、この博士の分析とは異なった見解があることも承知しているつもりであります。ただ、私としては、そのはるかな課題であり挑戦である労作業にあたっては、「人間」と「人類」を見すえた、新たなるヒューマニズムという基軸だけは、片時も忘れてはならないと思っております。
10  「アジア・太平洋平和文化機構」を構想
 昨今のアジア・太平洋地域は、日本に代表されるように、主として経済的側面から脚光を浴びているようであります。現実の課題への取り組みも、もとより重要ですが、それは、やみくもに経済競争一辺倒に走るのではなく、世界平和を遠望した巨視的なパースペクテイブ(展望)のもとでなされなければならないでありましょう。そうであってこそアジア・太平洋文明は、「ラッセル・アインシュタイン宣言」の「私たちは、人類として、人類にむかって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ」との訴えにみられるような、新たな人類史的意義を帯びてくるでありましょう。
 そうしたパースペクティブのための一つの布石として、私はアジア・太平洋諸国間の平等互恵の協力関係の進展のために、その連携の拠点となる「アジア・太平洋平和文化機構」の構想を提示したい。それは、国連の直接の管轄というより、もっと緩やかな間接的な関係であってよい、と思っております。
 それはまた、国連経済社会理事会の下部機関である「アジア・太平洋経済社会委員会」(ESCAP)と何らかのかたちで連動し、その働きを平和、文化、軍縮等の側面から補強、補完することも当然、考慮されてよいでありましょう。
 私は、かつてC・カレルギー博士と対談した際、東京に国連の「アジア・極東地域本部」を新設するよう訴えたことがあります。「アジア・太平洋平和文化機構」構想は、その後の世界の動向を見詰めつつ、それを発展させたもので、アジア・太平洋地域の諸国が地域的な問題を討議し、平和を守り、軍縮を達成し、経済を発展させていくために、各国が平等な立場で話し合える国際的な対話の場を恒常的に提供することに主眼があります。
11  言うまでもなく世界百五十九の国々が加盟した国連の本部はニューヨークにあります。私は世界平和のための″人類の議会″であり、国際社会の様々な問題解決の場としての国連の役割に期待し、ささやかではありますがこれまで国連を一貫して支援する活動をしてまいりました。今後も国連憲章の理念がより豊かな開花を見るように応援していきたいという気持ちに変わりはありません。
 しかし、国連は、例えばその安全保障機能など、多くの問題点を抱えていることは周知の事実であります。また、全世界を包含する機構であるために、地域的な問題に対する実効性をともなう処理を難しくしているという側面もみられるのであります。
 こうした点を改革するために、全く新しい発想のもとに、時代に適応した組織を考えることも必要な時を迎えているといえましょう。その一つの方向性として、私は地域分権的な発想をぜひ取り入れてほしいと思うのであります。
 また、私が主張する「アジア・太平洋平和文化機構」は、新しい時代に即したNGO(非政府機関)の在り方を模索するからでもあります。今日、民間活動は飛躍的に活発化し、その役割が重要度を増しておりますが、一方、国連に対する民衆や非政府機関の参加は必ずしも十分なものとは言えません。「アジア・太平洋平和文化機構」はむしろ民衆レベルの積極的な参加を要請し、またNGO自身、何をなしうるかを真剣に模索する中で、NGOとリンク(連動)したかたちでの活動の新しい地平を開くものになってほしい。私どもも、NGOの一員として、そうした構想の実現に、可能な限り支援の労をとっていきたいと思います。
12  二十一世紀を展望するとき、私は世界的統合へのシステム作りのために諸国民の英知を結集する必要があると考えますが、それはもとより一挙に可能なものではありません。それは地域分権的な活動の積み上げのうえに、グローバルな展望が開けてくるものと思っております。
 これまでもアジア・太平洋の地域協力の問題は様々なかたちで論議され、具体的な構想も示されております。地域経済協力の必要性と相互依存関係を制度化するために、経済分野での機構案も幾つか提唱されてまいりました。
 しかし、それらが実現への具体的な歩みを進めるまでになかなか至らないのは、アジア・太平洋地域が先に触れたように、広大で多元的、多様性に富んでいるからでもあります。社会体制も違い、人種的、宗教的、文化的多様性と経済発展の段階の違いなどが、協力関係を生みにくくしている面があります。
 ヨーロッパ共同体(EC)を作り出した欧州諸国のような文化的、歴史的な共通性と比較して、アジア・太平洋諸国はあまりにも政治的、経済的、文化的に多様でまとまりにくいとの指摘がなされております。したがって「政治」(安全保障)や「経済」に過度に偏重した構想は、摩擦と反発を生みやすく、壊れやすいという点に留意する必要があります。
 そこで私は、「アジア・太平洋平和文化機構」構想の基本的座標軸を「平和」「軍縮」「発展」「文化」におくことを提唱したい。その際、最も重要なことは、この地域の文化的伝統の多様性、多元性を尊重し、特定の文化を優遇したり押し付けたりするような画一的な行き方は、断じて避けるべきであります。固有の文化を尊重するところにしか、相互理解の道は開けてこないからであります。
 もとより新しい機構づくりが一朝一夕に成るものとは思っておりません。最初からすべての関係諸国の参加を募り、理想的な形ができなければスタートしえないと考える必要はない。漸進的に、できるところから手をつけて、ともかくも相互信頼に基づく恒久的な話し合いの機構を一歩一歩作り上げるという柔軟な精神で進んでいったらどうか。前段階としては、緩やかな″合議体″のようなかたちでもよいと思うのであります。
 例えば、一つの試みとして、アジア・太平洋諸国の首脳が一堂に会して「アジア・太平洋サミット」の開催を考えてはどうか。これまで、先進国の首脳会談は開かれてきましたが、アジア・太平洋地域で、そうしたサミットが開かれた例はありません。そうした実績を一つ一つ積み重ねながら、ゆくゆくは二十一世紀にふさわしい国際機関のモデルにしたいというのが、私の願いでもあります。
 留意すべきは、「平和文化機構」にしても「サミット」にしても、決して大国主体、大国本位の運営であってはならない、ということであります。国内でも地域の時代が言われているように、世界にあっても、それぞれの「地域」の活性化なくして、世界の平和も繁栄もあり得ない時代を迎えているからであります。
13  国際政治に憲法の理念を生かせ
 日本は一九五六年に国連に加盟いたしました。以来今年でちょうど三十年が経過いたします。国連入りが決定した総会で、当時の重光外相は「我が国は極東の一国であると同時に、欧米の文化、産業を習得しており、国連において″東西の懸け橋″となり得るのではないか」と演説し、世界の多くの国々の共感を呼びました。
 国連加盟以来三十年、アジア・太平洋地域をはじめ全世界的に、今、最大の課題は″伝統と近代化との融合″であるといえましょう。「アジア・太平洋平和文化機構」を推進し、この″伝統と近代化との融合″という文明論的課題にまで、何らかの方向性を与えることができたとすれば、東と西を結ぶという日本の国連加盟の″原点″を、より今日的な形で現実のものとする道ともなりましょう。そのためには、東京に本部のある国連大学との協力体制も、重要なポイントになってくるでありましょう。
 その設置場所としては、日本はもとより、例えば、オーストラリアのメルボルンなども、有力な候補地として挙げられるでありましょう。なぜなら、オーストラリアは日本と並んで、最も早い時期から、太平洋地域の重要性を認識し、その連帯を推進してきたからであります。
 日本がこの構想のリーダーシップをとってほしいと願う理由は、日本国憲法が「前文」と「第九条」において、徹底して恒久平和を貫くことを誓っているからであります。
 とりわけ「前文」に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるように、諸国民の公正と信義を基盤に平和を追求することを高らかに謳っております。この点は核兵器が人類の運命を脅かしている時代にあって、平和の在り方を鋭く先取りしております。一部の人々が言うように、国際政治の現実に憲法を合わせるなどという改憲路線より、憲法の理念を現実の国際政治の中で積極的に生かす方途を求めるのが日本の使命でありましょう。
14  なぜなら今日の地球社会の最大の問題の一つは、相互不信にあるからであります。不信感より発する武力による対決を避け、すべての問題を話し合いによる平和的解決に求める流れをグローバルに作り上げることが、何よりも必要かつ重要な時代であります。ここに平和憲法の理念を画期的なものとして世界に訴え続けていかねばならない理由があります。
 「日本人は国際社会にとって、良い手本となりうる、極めて有意義な先例を作りつつある、いや、既に先例を作ったと言うべきかもしれません。日本は経済発展に全力を傾注してきました。武器の生産を抑え、その後も日本自身の安全にとって必要なことだけをやってきました。この先例を手本とすることができるなら、世界全体の素晴らしい発展が期待できます」(デクエヤル国連事務総長)というような考えが、世界の心ある人々の間に生じていることに、私は意を強くしております。
 今日、好むと好まざるとにかかわらず、経済大国・日本に対する風圧と期待が高まっております。それに応えていくには、軍事的な側面によらなくとも十分可能なはずであります。軍事的側面に比重をおくことは、戦後日本の平和的発展の方向性を根底から揺るがし、とりわけアジア諸国からの反発を集中的に受けることは間違いありません。むしろ「アジア・太平洋平和文化機構」のような平和保障の機構づくりに思い切って資金を出すほうが、世界からはるかに大きな評価を得られましょう。それにより、アジア・太平洋地域に新たな″ジュネーブ″″ウイーン″を生み出し、軍縮、発展、文化の平和的拠点として世界に波動を及ぼしていくことも可能なはずであります。
15  分断の朝鮮半島に平和的統一を願う
 さて、私は、カオスのごときアジア・太平洋地域は危険性と可能性を併せ持っている、と述べましたが、その危険性の部分を象徴しているのが、言うまでもなく、我が国と″一衣帯水″の大韓民国(以下、韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)との分断対立状況であります。もし現在の休戦状況に変化が起こり、戦争になれば、それは南北六千万民衆が犠牲になるだけでなく、この地域の戦略上の位置からみて周囲の国々に波及し、あるいは核戦争への導入線ともなりかねない。
 同一民族が二つに引き裂かれてから四十年、今なお分断による様々な悲劇が続いている現実を直視せずして、アジア・太平洋の平和を論じることはできません。なぜ同一民族が住んでいた国土が二つに分断されたのか。歴史を振り返ってみるならば、かつての日本軍国主義の横暴な併合と植民地支配とが深く関係しております。この国の民衆は否応なく日本の野望に巻き込まれ、言語に絶する悲惨をなめつくしました。そして日本の敗北に際し、米国とソ連が日本軍の武装解除について任務分担を決めました。その境界線が三十八度線であります。
 すなわちこの半島の北緯三十八度線を境に、その北はソ連、南は米国軍が支配権を握るかたちになった。その後、南は韓国、北は北朝鮮が国家成立を宣言し、一九五〇年六月から三年にわたって戦争(動乱)があり、現在の分断ライン(軍事分界線)が確定したのであります。
 もとより、この問題は、韓国、北朝鮮両国が自主的な判断に基づいて進めていくべきが原則であり、内政干渉めいたことは、いささかもあってはならないでありましょう。近年、南北赤十字会談など、かの地における南北対話の自主的、具体的進展がみられるだけに、特にこの点は留意されるべきであります。
16  とりわけ日本が、過去の経緯からいって、両国の問題にどれだけ立ち入った発言をする資格があるかというと、はなはだ複雑な問題が絡んでまいります。その前に解決しておかなければならない課題が、数多く存在するからであります。
 第一に、″一衣帯水″の間柄にあるとはいっても、日本人は、韓国、北朝鮮の民族の歴史について、驚くほど無知であります。これは、明治以降の″脱亜入欧″路線によるところが多いと思われますが、その無知から生ずるいわれなき誤解、偏見のたぐいも、払拭しきれたとはとうてい言えません。第二に、約七十万人に及ぶ在日韓国・朝鮮人問題があります。日本社会に根強い誤解や偏見、差別に直接さらされるのは、それらの人々であることを忘れてはなりません。
 こうみてくれば、日韓、日朝関係の不幸な過去は清算されたわけでは決してなく、生々しい現実の課題として残されているわけであります。こうした課題に目をつぶって韓国、北朝鮮の問題をうんぬんすることは、片手落ちのそしりを免れません。それどころか、かの地の人々の感情を傷つけ、かえって顰蹙を買ってしまうでありましょう。それらの問題の解決に向けて、私どもも努力していくつもりですし、多くが政治がらみの問題であることを勘案すれば、まず為政者こそ、積極的で前向きの取り組みをお願いしたい、と思うものであります。
 それらの事情を十分承知したうえで、なおかつ私が、この問題に言及するのは、一にSGIの最高責任者として、世界市民の立場から、世界の恒久平和を希求してやまないからであります。韓国、北朝鮮の分断問題というものは、恒久平和実現にとって、それほど重いからであります。このことは、昨年の国連四十周年記念総会に、韓国、北朝鮮両国が招かれ、演説していることからも明らかであります。かの地の平和と繁栄なくしてアジア・太平洋地域の平和はありえず、ひいては世界平和さえ望みうべくもない、と私は思っております。逆に、かの地に平和の灯が点じられるならば、世界を覆う暗雲を切り開く突破口になるでありましよう。
17  韓国と北朝鮮の国連加盟は今後に残された課題であります。中国、ソ連などは韓国を承認せず、反対に米国、日本など西側諸国は北朝鮮を承認していません。そのため東側は韓国を承認し、西側は北朝鮮を承認するという、いわゆるクロス承認による局面打開が意図されましたが、北朝鮮はこのような考えや国連の同時加盟は分断状況を固定化するものと主張して、歩み寄りがみられておりません。
 韓国と北朝鮮は、これまで幾つかの合意を達成してきております。その最も大きな成果は一九七二年七月四日の南北共同声明であります。そこでは(1)統一は外勢に依存したり、外勢の干渉を受けることなく、自主的に解決すべきである(2)統一は互いに相手側に反対する武力行使に依拠することなく平和的方法で実現すべきである(3)思想と理念、制度の差異を超越してまず単一民族として民族的大団結を図るべきである、という統一原則が合意されています。その後、様々な経緯もありましたが、自主的に平和的に統一を目指すという基本政策は、その主張にみる限り変わっておりません。
 しかし、社会制度が違い、四十年間も分断状況が続いた国が平和的に統一を達成するには、実に困難な壁が横たわっていることは言うまでもありません。
 私は昨年の提言の中で韓国、北朝鮮の対話促進の機運を歓迎し、南北最高責任者の会談の必要性を訴えました。以来、一年が経過しましたが、私は南北首脳が直接話し合う機運が、徐々に熟しつつある、と感じております。四十年間の南北双方からの多くの提案を検討し、今後を展望するとき、まず、すべての前提として必要なことは、南北の最高責任者が直接会い、同じテーブルで率直な話し合いをすることにあると考えたからであります。米ソ首脳会談に関しても述べたように、まず会うこと自体に大きな意味があることを今回、私は重ねて強調しておきたいと思います。様々な提言がなされても、結局、四十年間展望が開けない最大の要因の一つは、双方に不信感が根強く存在するからだと思うのであります。
18  対話こそ信頼関係への王道
 アメリカの元駐ソ大使で軍縮問題の論客として知られるジョージ・ケナン氏は、この不信感を、「一種の固定観念で、多くの成分から醸造されたもの」であるとし、その成分を次のように指摘しております。
 「その中には恐怖、怒り、国家の誇り、個人の誇りなどが含まれる。さらに敵国の意図の読み誤り、ときにはその意図などまったく考えてみようともしない姿勢。自分たちを美化し、敵国を非人間的な存在と考える社会の傾向。職業的な軍事政策立案者の、物事の部分しか見ようとしない狭い視野。彼らが戦争を不可避と思い込むことによって本当にそれを不可避なものにしてしまう傾向――などがある」(佐々木坦・佐々本文子訳)と。
 誠に、こうした固定観念にとりつかれることほど恐ろしいことはありません。
 私自身、微力ながら米、ソ、中をはじめ世界各国の指導者の方々と会い、平和への道を模索してまいりました。対話を重ねながら改めて思うことは、実際に会ってみると、会う前にもっていたイメージや先入観が一面的であることに気づいたり、全く違う面があることを見いだす例が少なくないということであります。したがって対話の中から思い切った決断も生まれやすく、対話こそ、ケナン氏の言う「固定観念」を取り払う王道と言えましょう。
 そしていったん信頼関係が生じると、価値創造へつながる合意が生まれてきます。とりわけ、社会制度や価値観の違いがある南北間においては、最高責任者の直接的対話こそ必要不可欠であることは論をまちません。前例のないことであり、多くの紆余曲折が予想されますが、ともかく実現まで粘り強く進めてほしいものであります。
19  対話は何をもたらしうるか。従来の南北の提言を吟味し、合意事項を点検するならば、まずなしうることは「相互不可侵・不戦」の誓約であります。
 北朝鮮も「南進はしない」と言い、韓国も北へ侵攻する意図を否定しています。最高責任者が、改めてその意図を明確にし内外に宣言することが、一切の出発点であろうと考えます。
 南北は三年にわたる戦争の末に休戦協定を調印しましたが、「休戦」は真実の平和とは程遠いのが実態であります。いつまた戦火が燃え上がるか分からないし、そのため双方の軍事費は、他の国々と比較して国家予算の中で、はるかに大きな割合を占めております。
 「休戦」ではなく永続的な「終戦」にすることを、民衆は心から望んでいるはずであります。侵攻しない、再び戦争しない、その合意は分断四十年の歴史の転換をもたらすための大前提であります。「相互不可侵・不戦」の誓約こそ一切の前提であって、更にそれ以前の前提条件を求めるべきではないというのが、私の基本的な考えであります。
 更にその合意を関係各国、すなわち米国、ソ連、中国、日本が確認し、支持決定するならば南北間の緊張は大いに緩和するでありましょう。
 その対話を突破口として平和を渇仰する南北の民衆のために一つ一つ、実現し得る合意を積み重ねていくことになれば、北東アジアを覆い続けてきた暗雲から明るい陽光がのぞくことになりましょう。その日の到来のために関係者の一層の尽力を心から望むものであります。
20  非武装地帯を平和と文化の拠点に
 ところで、現在南北を分断しているラインは、軍事分界線(休戦ライン)と呼ばれていることは先に述べたとおりであります。ほぼ北緯三十八度線に沿って、西は漢江の河口から東海岸へ長さ二百四十八キロにわたる長いラインであります。
 この分界線を中心に南北二キロずつ計四キロが非武装地帯になっております。この広大な区域は南北の軍事衝突を緩和するために設けられたものであります。
 非武装地帯の中を通る南北の唯一の公認された道は板門店で通じ合う。昨年、分断四十年で初めて南北離散家族が南から北朝鮮の首都・平壌へ、北から韓国の首都・ソウルヘ向かった道であります。
 私も、その歴史的な交流をテレビで見た一人であります。南北の唯一の接点である板門店を経由して往来する様子を目にしながら改めて思うことは、この南北を結ぶ道をもっと広範な人々が、より自由に往き来しながら、不毛の非武装地帯が民衆のために解放される日まで漸進的に平和に寄与する方途が考えられないかということであります。
 そこで、板門店あるいは非武装地帯のいずれか適当な地を選んで、平和、文化の拠点として蘇生させていく構想が考えられないでしょうか。
21  「相互不可侵・不戦」の誓約が南北の最高責任者によって行われると、現在の非武装地帯はその平和維持作用に加えて新しい創造的な作業の場へと変えていくことができる。南北の軍事力の衝突を避けるという言わば消極的な休戦維持機能の側面に対し、積極的に平和を作り上げていくために活用していくという方向性であります。「休戦」から「不戦」へ、更に民衆に平和と文化の恩恵を与えていく創造的場へと広げていくことが可能でありましょう。
 その突破日、足がかりとしては、既に国交のない韓国と中国、ソ連などの間でも行われている学術・スポーツなど非政治的分野の交流から始めるのが一番現実的と思われます。
 現在の寒々とした荒蓼たる非武装地帯を思うとき、これは夢のような提言と受け取られるかもしれません。だが本来、同一民族を分断し、対立させている軍事分界線は存在しなかったのであります。人々は自由に往来していました。日本の植民地併合、戦争、米ソの対立といったことがなければ、不毛の非武装地帯は民衆の生活の場であったのであります。
 再び真実の平和がくれば民衆に解放されるべき土地であります。そうした未来への布石として、まず、第一段階では学術、スポーツ面での国際交流、共同研究などからスタートする。学術・研究の分野は、本来、国家、民族、イデオロギーといったともすると対立の因になる壁を超えて、より普遍的なものを追求する営為であります。研究の成果は、一国の民衆だけのものではなく広く人類に還元されるべきものであります。様々な分野での研究成果は広く知らされ、人類の共同の財産となっていくに違いありません。
22  更には世界の国々に開かれた国際学会の場として、また共同研究の場として、韓国からも北朝鮮からも、あるいは現在、北朝鮮とは国交がない米国、日本など西側諸国、韓国と国交のない中国、ソ連の学者、研究者などが自由に参加し、研究討論できる場にすれば、交流、研究をとおして新しい情報が正しく伝わり、テクノロジーの分野を含めた研究成果が活用されていくでありましょう。それはまた、アジア・太平洋地域の南北問題の解決に大いに貢献し、多大な寄与をなしうると確信するものであります。
 国際政治に揺り動かされ、かつては戦場として血で染まった地が、平和と学術文化興隆の場として変わりゆくとき、南北の民衆は戦争の恐怖からようやく解放されるでありましょう。侵略に苦しみ、戦人に泣き、分断にあえいできた民衆にこそ、最も強く安穏と繁栄の陽光が燦々と降り注いでほしいというのが私の願いであります。
 私が南北分断の状況について今、あえて発言し、二十一世紀への構想をここで述べたのは、世界平和を心から願う仏法者の立場から、また同じ地球市民として、この半島に生き暮らしている人々と、平和の陽光を共有したいとの切なる心情からであります。この国が真の平和へ先駆の道を切り開くことは、他の国々の民衆にも大きな希望と勇気を与えることは間違いありません。
 この国の民衆は、ある意味で二十世紀の苦悩の象徴でありました。その苦悩を乗り越えて、この国が蘇生するとき、アジアのみならず人類の最大の難問を英知で解決した模範として、燦然と歴史に輝き続けるでありましょう。
23  新世紀担う青年の力に期待
 以上、アジア・太平洋の問題で具体的な提言をいたしましたが、最も大切なポイントは平和を希求する民衆の心と心をどう結び付けていくかということであります。
 今を去る十七年前、私は未来を見すえ中国の青年との友好を訴えました。一九六八年九月、第十一回学生部総会の席上であります。当時、日中間の国交は閉ざされたままでありました。一方ではベトナム戦争が激化し、米中の武力対決も懸念されておりました。私はだれがみても厳しい時代状況を根本的に転換しゆくために、あえて中国の国連復帰、日中国交正常化などアジアの平和、世界平和へのビジョンを提示しました。
 それは日中の戦争に直接関係ない世代が、ともに手を取り合い、明るい世界の建設に笑みを交わしながら働いていけるようにとの願いを込めての提言でありました。その願いは叶い、今、日中の若人の間には深い友誼の絆が芽生えております。
 私は同じく韓国、北朝鮮の若人とも平和、友好の心で変わらぬ友情を育んでいける時代の一日も早い到来を願わずにはいられません。過去の不幸な歴史に関与していない若い世代から、お互いに尊敬し助け合って、それぞれの国の未来を明るく健全なものにしていく友情が広く深くなっていくことを期待したい。そしてこうした友情の輪が民族、国境を超えてヨーロッパの国々、南米の国々、二十一世紀の大陸アフリカの国々等に広がって、地球がより強い平和の光に包まれることを念願してやみません。
 新しい世紀は確実に我々の前に近づきつつあります。その世紀を担うものは、試練に挑戦する青年のエネルギーであります。今回の私のビジョンの実現を、私は若き世代の手に託したい。アジア・太平洋の、そして全地球の前途を担う青年達に、その実現を目指す遅しい前進を心から念願するものであります。
 (昭和61年1月26日 「聖教新聞」掲載)

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