Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

二十一世紀への平和路線 『創大平和研究』特別寄稿

1979.2.0 「平和提言」「記念講演」「論文」(池田大作全集第1巻)

前後
2  今世紀に入って、さすがに絶対平和の叫びは、年を追って高まりつつあるが、それとても現代史の主流となってきたわけではない。ナチズムやファシズムの軍靴は、侵略戦争の賛美において古代のそれとは何ら変わらず、しかも数百倍の惨禍を地上に残したのであった。そうした侵略や、内外からの圧政に対する武力的抵抗の論理にしても、絶対平和とは、明確な一線を画している。三度の大戦を経験した今日でさえ、長年植民地として、列強の支配下におかれてきた国々に、武器を捨てて平和の道につくことを説いたとしても、さほどの説得力を持つことはできないであろう。こうみてくると″人類史とは戦争につぐ戦争、その幕間に束の間の平和がある″との説も、あながち的外れではない。
 こうした状況の中で、平和を唱え、実践することは、実に至難の業であるといってよい。しかし、至難だからといって、それを避けて通ることができなくなったのが現代であるということも、厳然たる事実なのである。そこに我々が直面している人類史的アポリア(難問)がある。我々は、あらん限りの英知と努力を結集して、できるところから勇気を持った一歩を踏み出さなければならないと思う。
 平和が焦眉の課題であることを知らしむる衝撃は、周知のように、まず″外から″きた。原爆、水爆などの原子力兵器の出現がそれである。″ヒロシマ″″ナガサキ″という二つの実例からみても、核兵器が、従来の兵器とは比較にならないほどの破壊力を持つことは、明らかであった。もし核兵器の開発、使用が進めば、そこには戦勝国も敗戦国もなく、人類そのものが滅亡の危機に追いやられかねない。その恐るべき脅威を最も憂慮したのが、ほかならぬ科学者達であった。戦後の歴史は、アインシュタインや湯川秀樹に代表されるように、本来、政治とは無関係に真理の世界にのみ目を向けている傾向の強かった多くの科学者を、熱烈な平和主義者へと変貌させた。世界のすべてとはいえないまでも、こうした現象が生じたということは、史上、類例のないことである。
3  それは同時に、旧来の戦争観の一変でもある。従来、戦争とは、クラウゼヴィッツの古典的定義にあるように、政治や外交の延長線上に位置づけられていた。国策の根本動機である国益を実現、もしくは確保するための手段であった。ところが核戦争というものが、一国のみならず人類存亡の危機につながるとあっては、もはや戦争は、そのような位置にとどまっていることはできない。かのゲッチンゲン宣言に署名した科学者達が「純粋科学の研究とその応用に従事すること、また若い人々をこの領域で指導することは我々の仕事であるが、この仕事から生ずる結果に対して、我々は責任を負う。それ故に我々はすべての政治問題に対して沈黙することができない」と良心の訴えをなしたのも、戦争観の変貌を端的に示している。
 もとより核兵器の出現が、戦争観の変貌にもたらした衝撃がいかに大きいといっても、何の脈絡もなしに生じたものではない。たしかにそれは、戦争のあり方に質的変化ともいうべきドラスチックな影響を与えたが、同時に、近代戦争というものの持つ性格の、半ば必然的な帰結でもあったのである。ここに目を向けることは、核という″外から″の衝撃に対する″内から″の対応を考えるとき、特に重要になってくるであろう。
4  近代戦争の性格を、一言にして言えば、とめどもなく発達し続ける兵器の破壊力が、それを動員する国家権力の強大化と相まって、次第に戦争の規模を拡大してきたこと、それにつれて人間が兵器を使うというよりも、兵器に人間が使われる傾向が増大し、人間そのものが、兵器や戦争の全き支配下におかれるようになってきたこと、以上のように要約できるであろう。
 ルソーやラスキンは、決して好戦主義者ではない。にもかかわらず、彼らが戦争や動乱の効用を認めたのは、軍隊や戦場というものが、ある意味で人間性を厳しく鍛えあげる格好の場であるとしていたからにほかならない。義務への忠実、規律正しさ、平等主義、忍耐、勇気、努力――そうした徳目は、例えば商業主義にみられる功利性や抜け目なさ、打算などに比べれば、よほど価値あるものと映っていたに違いない。
 しかし、近代戦争は、そうした徳目を徐々に無意味なものにしてしまった。騎兵の前に立ちはだかる敵方の勇者の姿は、歩兵や砲兵の目には見えない。彼らが見るのは、数十メートル、数百メートル先に倒れ、飛散するであろう、無名の敵兵である。まして何万フイートの上空から核兵器を投下する者に、地上の苦悶が想像できるはずはなかろう。うめき、苦しみ、死んでいく幾十万の人々は、彼にとって人間というよりも物体に近い。我が国の故事にならっていえば、平敦盛を討った熊谷次郎直実の心事など、今は昔の絵空事である。恐るべき想像力の荒廃、貧困であり、人間精神の敗北も、ここに極まるの観さえある。核先制攻撃による確証破壊能力の計算などに血道をあげている人の精神構造を思うとき、私には、このことが痛感されてならない。
5  しかも、核に収敏されゆく近代戦争の歩みは、近代国家の強権化、中央集権化と、不可分の関係にあった。近代戦争は、その規模といい、それに要する費用といい、人員といい、文字通り、国を挙げての総力戦の色彩を強めてきた。その意味でも、フランス革命が打ち立てた徴兵制、義務兵役制は、象徴的であった。これによって近代戦争は、一部職業軍団による争いから、国民皆兵の全体戦争となってきたのである。国民を一つの目標に向かわせるために、いかに多くの大義名分、イデオロギーが動員されてきたかは、もはや指摘するまでもなかろう。
 こうみてくると、核戦争の脅威というものは、ヨーロッパ主導型の近代文明総体が直面している、一つのカタストロフィー(破局)であることが分かる。それは、近代史を通じて徐々に進行してきた、機械や政治機構による人間支配の完結とも言える。したがって、二十一世紀への平和路線を模索するには、そうした史的視野に立って、文明総体を問い直すという、広範な分析、パースペクテイブ(展望)が要請される。機械や巨大機構による人間支配から人間を救い出し、どう主役の座を回復せしむるかという、明確な目標を浮かび上がらせるために――。
6  もとよりこうした大作業が、限られた紙幅で可能なはずもなく、また正直いって私一人の手に余ることでもある。しかし、多くの科学者も述べているように、平和というものは、一握りの人々に任せておくには、あまりに重大な問題であるし、またそれは危険でもある。そこで、平和を希求してやまない一仏法者としての立場から、今後の平和路線の進め方について、素朴な提言を試みたいと思う。
 第一に、日本が世界に誇る平和憲法を遵守し、その精神を内実化させるとともに、世界の共有財産にしていくこと。憲法の精神は、恒久平和を謳うとともに、国際紛争のガンともいうべき、相互の不信を信頼に変えていくことを根本にしているからである。
 第二に、常に戦乱の危機を秘めているアジア、アフリカ、中南米等の経済的向上と生活、政情の安定を実現すること。そのために、先進諸国は、それらの国が平和、安定、自立を目指す方向で、可能な限りの援助、協力をなすべきである。
 第三に、国連の権限を強め、軍備管理等の機能を高めるとともに、それを当面の場として、新たな世界秩序への統合化のシステムを探ること。ただしその場合も、力によるものであってはならない。
 第四に、国内的にいえば地域や地方、国際間でいえば各民族の、自主性、自立性を最大限に尊重すること。その民衆次元の草の根民主主義なくして、安定した世界平和を求めることはできない。
 第五に、平和のための教育の重要性。特にその教育は、日常生活全般にわたって行われるもので、自らの内なる生命の魔性に打ち勝つことを第一義とすべきである。
 第六に、国家や集団に対する、個の尊厳の理念が確立されていかなければならない。それには、一個の人間の尊さを説くとともに、人間社会総体の変革を主導する理念、真実の世界宗教ともいうべきものが、時代の要請となってくるであろう。
 以上、要約して六点である。それらの点について、若千の考察を加えてみることにする。
7  一、平和憲法の遵守
 我が国の平和路線として、第一に挙げなければならないことは、平和憲法を徹底して遵守するということ、それと同時に、平和憲法の精神を共有財産にまで高めていくことであろう。憲法を守ることは、国として当然のことであるが、戦後の保守政権の在り方をみると、随所に憲法の精神からの逸脱がみられる。特に最近の「有事立法」問題をめぐっての論議などは、平和憲法そのものを形骸化させかねない危険な動向が察知され、厳重な警戒を怠ってはならないと思う。
 言うまでもなく日本国憲法は「前文」と「第九条」において、恒久平和を貫くことを強く誓っている。そのためには「前文」が「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べているように、国際信義にのっとることを、第一義としている。この点は、作成時の経緯はどうであれ、核時代における平和の在り方を、鋭く先取りしたものである。
 前に触れたように、近代戦争の主導権を握っていたのは、あくまで国家であった。若干の例外はあるとはいえ、主権国家と主権国家とが、国益や威信をかけて争うのが、近代の戦争の主たる形態をなしていた。
8  しかし、核兵器の出現は、こうした近代戦争の概念を、根底から覆すものであった。それは、破壊力、殺傷力のあまりの巨大さゆえに、″使えない兵器″としての性格をもっていたからである。核兵器の使用による被害は、敵国のみならず自国にも及ぶ。それどころか、核拡散が進むにつれて、それは、人類絶滅にも通じかねない。国家間の戦争に使用するには、あまりに″高価″な代償をともなうことは、だれの目にも明らかである。
 そこで案出されたのが、核抑止力という″神話″である。核兵器の脅威をもって相手に恐怖感を与え、戦争抑止に役立てようとするこの考え方は、徹頭徹尾、相手への不信感に根差すものであった。不信は必ず不信を呼び、相互不信の悪循環はとどまるところをしらない。その後の核拡散の進行、あるいはSALTなどの米ソ間の核軍縮交渉が、一向に進まない現実をみても、抑止力信仰の破綻は明らかである。「諸国民の公正と信義に信頼」することを謳った日本国憲法は、そうした不信を信頼に変えることを宣言している点で、まさに画期的なものであった。
 しかもそれは、国家主義よりも国際主義を重視している点で、経済、文化等の面でも、その後の動向を先取りしているといってよい。通信、交通機関の発達は、世界的な情報量の増大をもたらし、国家や国益に縛られない各種民間団体や民間人の国際交流は、想像以上に活発化している。
9  また経済の面でも、多くの留保を必要としながらも、国際化、国際協力が進んでいくのは、必然といえよう。悪名高い多国籍企業などにしても、一方的に非難するだけでなく、こうした流れのうえからとらえていく必要もあるのではなかろうか。
 私は昨秋、アメリカの経済学者であるガルブレイス教授と対談する機会を持ったが、氏もそのことを重視しているようであった。ただし、現在の多国籍企業の在り方には、強い批判を持っており、何らかの規制――それが一国のものであれ多国籍的なものであれ、「公共の目的に企業権力の行使を合致させるような強固な規制の枠組み」の必要性を主張していた。そのうえで、企業の在り方が国際性を強めてくることは、時代の趨勢とみているようであった。私は一つの見識であると思っている。
 このように、経済、社会、文化のあらゆる方面での国際化の波は、今後強まりこそすれ、決して弱まることはなかろう。また、そうさせてはならない。従来の国際関係といえば、どうしても政治や軍事が先行し、そこで表面に立つのは国家であり、人間は脇役に甘んじていた。そのような流れは、徐々に崩れつつある。
 こうした時流を、調和ある方向へ向け、人間を主役とする場を創造することこそ、二十一世紀へ向けての平和路線の、最も重要な課題である。それには、それぞれの民族が互いの自主性を尊重しつつ協力し合っていく、国際信義の回復がなされなければならない。日本国憲法を遵守し、内実化していくことが要請されるゆえんもここにある。
10  二、南北問題
 今後の世界平和を考えるとき、絶対に避けて通ることのできないものに、南北問題が挙げられる。戦後しばらくの間は、国際緊張をもたらす最大のガンは、東西の対立、特に米ソ両国の冷戦であった。しかし″雪解け″以来二十年余り、今、国際紛争の火種の多くは、アジア、アフリカ、中近東諸国のような第三世界にくすぶっている。
 しかも、かつての「自由主義陣営」と「社会主義陣営」との対立が、多分にイデオロギーの相違に発していたのに対し、南北問題は民衆の実生活に深く根差した、より構造的なものである。それだけに解決も難しく、特に長年の植民地支配によって搾取を続けてきた先進諸国は、この問題の解決に全力を挙げなければならない。
 そこで問題になってくるのは、経済援助、経済協力の在り方である。第三世界の国々の大部分は貧しく、また貧富の差も激しい。植民地支配が続いた結果、統治能力の揺れが目立ち、政情不安定な国も多い。しかも、資源、人口、食糧、エネルギーなど、世界的な問題のひずみが、最も重くのしかかるのも、この地域の民衆のうえである。従って援助、協力は、それらの事情を十分踏まえたうえで、第三世界の国々が、どう自立と繁栄の方向へ向かっていくかということを主眼になされなければならない。
11  ある識者によると、援助には、自らの陣営を強化しようとする狙いの「政治型、戦略型」、損得勘定が表に立った「経済型、ソロバン型」、そして政府開発援助を柱とする「平和維持型、人道型」の三つのパターンがあるという。
 当然のことながら、第一、第二のパターンは好ましくない。好ましくないどころか、新たな世界秩序の形成にとって百害あって一利なし、の場合さえある。「政治型、戦略型」は主として東西冷戦のころ、米ソ両国の援助競争によって行われたものであるが、現在でもなくなってはいない。少なくとも、政情不安定な国の対立する一方の勢力に、武器を供与、貸与したり、売り付けたりする愚は犯してはならない。我が国でも最近は、武器輸出が問題になっているが、我が国の経済発展が、どれだけ朝鮮戦争やベトナム戦争にあずかっているかという過去を考えれば、恥ずべき行為といわなければならない。
12  また第二の「経済型、ソロバン型」も採るべきではないと思う。損得勘定は相手を選ばない。その結果、援助も一部支配階級を潤すだけで、民衆の生活向上にまで還元されない場合が多い。しかも損得が根底にあるから、政府間援助にしても、何らかのかたちで、自国に還流してくるのが常である。残念ながら我が国は、このパターンに属する。額の少なさとともに、今後、改めていかなければならない点であろう。
 結局、経済援助、協力の在り方としては、北欧諸国などが行っている「平和維持型、人道型」が、ベターな選択であろう。種々の隘路はあろうが、それは、政治や経済がともすれば引きずられがちな、利害損得とは異なった次元を発想の基盤としているように思えるからである。その国がどう自立し、繁栄の道をたどっていくかという発想である。
 そのためにも私は、従来の南北問題を考える視点は、経済に偏りすぎていたように思えてならない。もちろん物も重要であるが、それと同時に、心の次元の交流、すなわち、教育、文化、学術面を、もっともつと充実させていかなければならない。それも啓蒙的な姿勢で臨むのではなく、相互の尊重、触発を第一義としていくべきである。文化とは、本来そうしたものだからである。
 政情不安や社会動向のいかんにかかわらず生き延びていくのは、そうした心の絆であり、富の平等にもまして、世界平和への礎になっていくものと、私は信じている。
 互いの触発を通じて心の世界が豊かになっていくということは、人権感覚を鋭く磨いていくことでもある。例えば、現在、アメリカ人一人のエネルギー消費量は、インド人五十人以上に当たるという。こうした不平等から目を離さないみずみずしい人権感覚、生命感覚がなければ、南北の格差是正などは、絵に画いた餅に終わってしまうに違いない。その意味からも、憲法「前文」の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」との社会的、平和的生存権の規定は、極めて重要である。
13  三、国際機構
 主権国家の枠を超えた種々の交流が盛んになってくるにつれ、政治の側の対応も、当然必要となってくる。そのためには、何らかの形での、世界統合化へのシステムが考えられなければならない。力によるのではなく、できる限りの諸国民の合意に基づいて――。
 現存する国際機構は、何といっても国連をおいてほかにない。たしかに現在の国連が果たしている役割は、十分というには程遠い。特に安全保障理事会などの場で横行した大国のエゴイズムは、国連の私物化という以外になかろう。中国や第三世界の人々に、根強い国連不信感が存在しているのも、ある意味では当然であろう。
14  しかし、そうした国連といえども、過去に幾つかの足跡は残してきている。安全保障の面でも、ソ連によるベルリン封鎖問題、スエズ動乱、キプロス、コンゴ、中東問題など、もし国連の存在がなかったならば、大紛争に発展したかもしれぬ問題は数多くある。更にユネスコをはじめとする非軍事的側面を併せ考えれば、その存在は決して軽くはない。
 だが私は、それにもまして国連が、世界各国の代表が集い、討議し合える場として、常に存在し続けている事実、しかも紆余曲折はありながら三十年間にわたる年月の重みを重視したい。こうした国際機構の存在はかつてなかったし、国際連盟のわずかな命運を考えれば、なおさらのことである。こうした場がなければ、討議の機会を作ることさえ容易ではないし、討議なくして英知の結集もまたありえないからである。
15  ここ数年来、国連は資源総会や軍縮特別総会のような、人類の抱える重要課題を討議の場にのせてきた。私も非常に有意義なことと考え、軍縮特別総会に際しては、ワルトハイム事務総長、モイソフ議長あてに、十項目からなる核軍縮及び廃絶に関する提言をさせていただいた。そのなかでも、核問題のような人類的課題に関しては、国連の機能と権限を強化し、その厳重な管理、監視下におくことが不可欠であると訴えた。単に核に限らず、NATOやワルシャワ条約機構のような軍事ブロックをはじめ、各国間の軍事協定も、何らかの形で、国連の配下におかれねばならないであろう。第一次大戦も、当初の小さな紛糾が、世界的規模の、いわゆる大戦に発展したのは、この軍事ブロックの存在が一因となっているからである。
 軍縮特別総会の成果は、必ずしも満足すべきものではなかったかもしれない。しかし、これまでの軍縮交渉の経緯を考えれば、短兵急な成果を望むほうが無理というものである。一歩一歩積み上げていくしかない。その場を作り出したということだけでも、そうした試みの持つ意義は大きいといってよい。
16  ともかく、国際政局は、かつての二極構造から多極構造への歩みを続けている。主権国家を超える多くの要因が生じてきているといっても、国家の残影はまだまだ色濃い。従って、多極構造をそのまま放置することは、二極構造の時代にもまさる紛争の火種を残すことになる。加えて、潜在的核保有国への核拡散の可能性などを考えれば、国連の強化は、一層の急務となってくるであろう。
 そのうえで、より有効な世界的統合へのシステムが模索されなければならないが、それは遠大な計画である。現在の国連機構の延長上に考えられるのか、それとも別個の機構になってくるのか、すべては今後にかかってくる。だが一つだけ言えることは、力による統合への道であってはならないということである。軍備管理の問題から始まって、民族自治権、富の分配など、課題は気の遠くなるほど横たわっている。それらを一つ一つ取り上げ、着実な積み上げがなされ、その結果としての統合でなければならないであろう。国連はそのための、当面望みうる最高の場である。従って我が国も、中国加盟問題の時のように対米追随に終始する醜態をさらすことなく、国連の強化に積極的に取り組むべきであると考える。
17  四、「地域」「地方」の活性化
 世界的統合化へのシステムと同時に考えなければならないことは、「地域」「地方」の活性化という課題であろう。前者を求心力に例えれば、後者は遠心力にあたり、両者はバランスのとれたものでなくてはならない。地域や地方とは、国際的にみれば各民族ともいえるし、国内的にみれば、それぞれの伝統と風土をそなえ、人々が現実に生活している場である。
 先に世界統合化に当たっては、力による統合であってはならないと述べたが、私が懸念するのは、国連が主権国家の集まりであるため、国内と同様、国際的にも権力の行使による統合化へ走る危険性なしとしないからである。もしそうなれば、国際機構は、平和を維持するためのものとは程遠い、世界帝国へと堕してしまうであろう。
 国によって多少の差はあるが、近代国家の生成の過程は、国家権力の強大化と、ほぼ軌を一にしていた。国家権力は、ウルチマ・ラチオ(最後通牒)としての力(軍隊、警察機構等)を背景に、中央集権体制を築き上げた。その中で常に犠牲にされ、苦汁を飲まされ続けてきたのが地域であり、地方であった。
18  我が国明治以降の近代化過程も、その典型的事例であった。戦前においては軍事が、戦後は経済が音頭をとって、いずれも国家権力と癒着しつつ中央集権的近代化を推し進めてきた。その結果、地域や地方は、見るも無残な荒廃にさらされている。私は近代化そのものは、必ずしも悪くはなかったと思っている。しかしそれは、あくまで地域の特性や伝統とバランスを保ったものでなければならない。日本の場合、それが極端にアンバランスである。高度成長政策は、消費文化一色に日本の社会を塗りつぶしてしまった観さえある。
 そうした中央集権的画一主義には、地域や地方の入り込む余地はない。都市化や過密、過疎現象は″辺境″を荒廃させただけでなく、都市部からも「地域」「地方」としての特性を奪い取ってしまっている。
19  私がなぜこの問題を重視するかといえば、「地域」や「地方」は、何よりも人々が生き、生活する場であるからである。それぞれの地域で、人々が自らの生活を生き生きと営み、自主的、民主的に運営する――いわゆる草の根民主主義なくして、国政レベルの民主主義といってもいかに脆いものであるかを痛感するからである。逆に、草の根民主主義の大地さえしっかりしていれば、政情に多少の振幅があっても、正常な軌道へと戻していく復元力が働く。この種の政情安定こそ、我が国が真実の平和と民主主義の国として、世界平和に貢献していくうえで、欠かすことのできない要因なのである。
20  こうした視点は、目を国際社会に転じても同様に重要である。世界における「地域」「地方」――すなわち、それぞれの民族が、それぞれの民衆の自主的な決定によって安定した社会をつくりあげ、その基盤に立って国際社会に参加してくるのでなければ、新たな世界秩序を築くことも不可能であろう。″急がば回れ″ではないが(そういえば、ローマの諺にも、″ゆっくり急げ″というのがあると聞く)、そうした方法は、迂遠なようにみえて、世界平和への揺るがぬ礎を築いていくのだということを改めて認識する必要がある。
 経済援助や各種の協力、また新たな国際機構の模索などにしても、それに資するような方向で、なされねばならないであろう。私がかつて、国連のワルトハイム事務総長に会った際、「国連を守る世界市民の会」(仮称)の設置を提案したのも、世界市民の自覚に立った人々の連帯の輪こそ、国連を誤たずにリードしていく重要な一環となると考えたからである。
21  五、平和のための教育
 「地域」や「地方」を重視するということは、そこに生活する人々の生活感覚こそ、一切の根本であり、平和の原点となるからである。そこでクローズアップされてくる課題は、生活感覚の中に平和の大切さをどう刻み込んでいくか――つまり、平和のための教育の問題である。
 支配本能や闘争本能は、慈愛や思いやりの心とともに、人間に生来そなわっているものである。仏法ではそれを″むさぼりいかりおろか″の三毒として説いている。それらは放置しておけば、いつどこで暴発し、闘争の修羅場を現出してしまうか、予測の限りではない。したがって、常にそうした傾向と戦い、平和の感覚が習性化してしまうほどに、肉化される必要がある。そのような自己革新をなすには、学校、家庭、社会を含む、広い意味での教育作業が行われなければならない。
 かつてW・ジェームズは、人間の支配本能や闘争本能を昇華させていくためには、戦争に代わる何らかの「道徳的等価物」を用意する必要があると述べたことがある。例えば、平和や建設のための部隊が創設され「金持の御曹司達が、各自の選択に従って、あるいは石炭や鉄の鉱山へ、あるいは鉄道輸送へ、寒風吹きすさぶ漁船団へ、皿洗い、洗濯、窓ふき、道路やトンネル建設、鋳物工場、汽船の機関室、高層建築の現場へと徴用されるならば、子供っぼさが彼らから払い落とされ、一層健全な感情と落ち着きのある理想をもって社会に帰ってくる」であろう、と。
22  たしかにそのように、軍隊とは異なる闘いの場を設けることも一方法であろう。しかし私は、より根底的には、家庭、学校、社会を通じて、一切がある意味では闘いの場であるととらえる視点が必要であろうと思う。ただし、その闘いの向く方向が違う。敵はむしろ内部にあるという発想の転換である。
 もし征服をいうならば、敵の勢力や自然の制覇ではなく、自己の胸中の制覇でなければならないであろう。それは、人間の内なる魔性への挑戦である。それに勝利した人は、支配欲や闘争本能を制覇した人であるから、彼は外に敵を求めるようなことはしない。彼が目指すものは和であり、調和である。自然との和、人間との和、一切の事物を互いの連関性、循環性のうえから把握していく視座――。
 思うに、こうした和、調和の精神は、西洋の伝統精神とはなじみにくいものではなかろうか。なぜなら、東洋の伝統が、一言にし言えば自然中心の調和主義であるのに対し、西洋のそれは、人間中心の努力主義といってよく、そこから善悪両面での攻撃的エネルギーが噴出してきたからである。しかしながらその結果、人間と人間との闘争としての戦争、人間と自然との闘争としての公害等、いたるところで破綻をみせている現在、和や調和を重視する方向への転換は不可避であろう。その意味から私は、二十一世紀は和を重んずる東洋の伝統精神に、新たな光が当てられてくるであろうと信じている。
23  こうした観点から現代戦争を考えるならば、そこには勝ち負けという考え方そのものが、無意味となってくるであろう。
 勝つことを求めず、従って戦おうとしない国を国際社会が注目するなかで、武力で侵略することは、反感と不評を買うのみで、得られるものは少ない。もちろん、それでもあえて侵略しようとする者はいるかもしれない。ちょうど、ヒトラーがポーランドその他を侵略したように――。だが、国を侵略し征服することはできても、治めることは、はるかに困難である。やがては、西欧諸国が植民地を手放さざるを得なかったように、その人民の意思によらない統治は、労多くして功少ないために、おのずと崩壊していくのである。
 しかも今世紀の二度の大戦が教えるところは、戦争そのものが、勝った国も負けた国も含めて、癒しがたい損害を与えるという事実であった。核兵器の出現は、その極北に位置している。したがって、核時代にあって戦争における勝ち負けという考え方は、無意味というよりも有害であるというのが、私の信念である。平和のための教育の眼目は、ここにおかれなければならないと思う。すなわち、戦争を起こす者は、同時に、人間としての敗北者宣言をしているとの視点に立つことである。
24  六、個の尊厳の理念
 第六点は、更に深く広範な意識の変革を要求するものである。
 戦争の本性は、国家を代表とする集団の目的に個人が服従し、生命、財産を犠牲とすることをさえいとわないという心理状態に支えられている。そこでは尊厳性をもっているのは国家等の集団であり、個人の尊厳性は、一時的にせよ無視される。
 人間だれしも、我が身の安全と幸福を追求し、自らの家庭の平穏を願っている。自らの意志で、これらの追求と努力ができることが、個人の尊厳性が保証されている状態である。ところが、戦争においては、国家の命令によって戦場へ狩り出され、自身の願うのとは全く別の目的に従わせられなければならない。
 そこでしなければならないことは、直接的にせよ間接的にせよ、殺人と破壊を目的とした行為である。正常な事態においては、最も非人間的な野蛮行為である。すなわち、人間の尊厳を無視したやり方で、人間の尊厳を否定する行為を要求されるのである。
 平和なときは、例えば我が国の場合、憲法によって人格の尊厳は冒すべからざるものと認められ、各人の権利が保障されている。だが、もし、いわゆる国家にとっての非常事態になったときには、思想や言論の自由ばかりでなく、自分の希望によって住み、仕事をする権利すら国家の意志によって奪われる。これでは、平和時の人格の尊厳性の保障ということ自体、本物ではなかったという以外あるまい。
25  例えば、自らが所有している家であれば、だれからも出ていけといわれる心配がないはずである。出ていけといわれた時には出なければならないということは、自分が所有者でなく、借りている家だということである。思想、言論、職業、居住の自由にまつわる権利も、要求された時には捨てなければならないとすれば、それは個人の人格の尊厳性に必然的に備わったものではなく、国家から一時的に貸与されたものだということになってしまう。
 これは、個人の尊厳とか人格、生命の尊厳とかという謳い文句自体、まやかしにすぎないことを物語っている。私達は、こうした、まやかしの尊厳性に酔いしれていてはならない。まごうことのない、真実の人間の尊厳、人格、生命の尊厳性を勝ち取るべきである。この自覚と、強い意識に人間が立ち上がっていったとき、人々の生命と財産を危険にさらす戦争は、その根を断ち切られることになるはずである。
 ただ、一口に個の尊厳の回復といっても、そう簡単なことではない。むしろ難事中の難事といったほうがよい。また平和といっても、今まで触れてきたように、人々の心中深く根を下ろしたものでなければ、戦争と戦争との間の幕間のようなはかないものである。私はその意味からも、一個の人間の偉大さを徹底して解明し、確認した力ある理念が要請されてくると思う。
 近代戦争の歴史は、兵器の破壊力の強大化にともない、どれだけ多数の人間を殺傷できるかの効率を追い続けてきた。いいかえれば、生命を虫けらや瓦礫同然に扱う、人間の物化の過程であったといってよい。核戦略論争の中で語られる″メガ・デス″(百万人を殺すことのできる核物質の量の単位)などという言葉は、そうした人間蔑視、生命感覚の荒廃を如実に示すものである。
 故に、二十一世紀を望む平和観は、この失われた人間の座をどう回復していくかを第一義としなければならない。そのためにも私は、一切の社会構造の基底部に、人間の尊厳を説き切った、その名にふさわしい世界宗教を紹介する必要を痛感している。
 私自身の信仰の次元でいえば、その理念を日蓮大聖人の仏法に求めることができる、と確信している。なぜなら、例えば「一人を手本として一切衆生平等」との御文にみられるように、日蓮大聖人の仏法は、生命の根底まで掘り下げ、そこから一個の人間の尊さ、偉大さを、完壁に説き明かしているからである。平等観といっても、一個の人間の絶対的尊厳に立った平等観なのである。その偉大な東洋仏法の精髄は、必ずや二十一世紀を照らす光源になっていくであろうとの視点を、私は胸中に抱いている。
26  ともかく、少なくとも次の点だけは明らかであろう。二十一世紀の理念は、人々の心の奥に根を下ろし、不信を信頼へ、憎悪を和解へ、分裂を融合へと向かわしむる、英知を結集する源泉でなければならない。それは上へ向かっては国家やイデオロギーを超えて世界的連帯を築きゆき、下に向かっては庶民と庶民との間に揺るがぬ信義の絆を形成していくであろう。このことは、真実の平和というものが、人類的課題であるとともに、人間一人一人に課せられた使命であることを物語っている。両々相まって、人間は、主役の座を回復させていくに違いない。
 思うにそれは、第二次宗教革命ともいうべき、壮大なる転換をもたらすであろう。かつての宗教革命は、ヨーロッパ社会に限定されており、何といっても宗教の世界の枠内で行われたものであった。たしかにそれは、一切に君臨していた絶対神を、個人の内面の座へ引き下ろしはした。しかし、その後にきたものは、個人の尊厳とは裏腹の″外なる″権威の絶対化であった。進歩信仰、制度信仰、資本信仰、科学信仰、そして核信仰――。神なき時代の神々は、近代化の波に乗って多くの爪跡を残し、今、偶像の座から滑り落ちようとしている。
27  したがって、第二次宗教革命ともいうべきものの様相も、おのずから明らかであろう。人間は、制度であれ核であれ、自ら作り出したものの奴隷となってはならない。人間が主役なのである。一個の人間の内なる変革は、その必然的波動、必然的帰結として、政治、経済、文化、教育等のあらゆる側面に価値観の転換をもたらしていく。それは、人間を主役とした人類総体のトータルな発想の転換である。そこにこそ、核という″外から″の衝撃をはね返す″内から″の対応の原点がある、と私は信じている。
 変動常なき歴史の過程は、佇立ちょりつして今を見守っている。未来世紀は、静かに、確実に近づきつつある。この過去から現在、未来へわたる歴史の流れの中にあって、我々の果たすべき使命は何か――。人間以上の尊厳なる者はない、生命以上の宝はないとの不滅の原点に立って、人間の善性を信じ、触発し、啓発しゆくことをおいてほかにあるまい。もし人類史のかつてない試練を超克することに成功したならば、我々の足跡は、一国の勝利ではなく、人類の勝利として、長く歴史に記しとどめられるであろう。
 (昭和54年2月 『創大平和研究』創刊号)

1
2