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日蓮大聖人・池田大作

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人類誕生の条件  

「生命を語る」(池田大作全集第9巻)

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2  川田 それで、ドブジャンスキーの分類でおもしろいのは、生物進化に対して、人間生命出現以後を、人類進化と称している点です。ともあれ、生物の進化もさることながら、人類誕生の場面は、尽きせぬ謎を秘めているといえますね。
 北川 ところで、進化論の原典ともいえる、ダーウインの『種の起原』にまつわる話ですが、一八五九年の暮れに出版されるや、すさまじいまでの嵐を呼びおこしたそうです。
 池田 むろん、批判の嵐でしょうね。それまでのキリスト教の教義の一つであった、人間は天地創造の最後の日つまり第六日目に、神によって造られたという説に、真っ向から反逆したものだったのですから。
 『旧約聖書』の「創世記」には「神はまた言われた、『水は生き物の群れでみち』」「『地は生き物を種類にしたがっていだせ』」「『われわれのかたちに、われわれにかたどった人をつくり……』」とあります。ヨーロッパの人々は、この「創世記」にある現象が、突如として起こったのは、紀元前四〇〇四年だと信じていたという。
 北川 紀元前四千年と、現代科学が示す三十億年とは、ずいぶん違いますね。
 池田 しかも、十七世紀の中ごろには、一人の大主教が、念のために、『旧約聖書』を読み直して、たしかにこのとおりだと確かめ、不動の確信をいだきなおしたという。(笑い)
 川田 このダーウィンの革命的な学説に賛意をあらわした人は、ごくわずかでしたが、そのなかに、みずから、ダーウインの擁護者を任じた人物に同じイギリスのトーマス・ハクスレー(生物学者。一八二五年〜九五年)がいます。
 彼は、「ロンドン・タイムズ」から『種の起原』の書評を頼まれまして、この書物を一読して感激のあまり、次のように叫んだと伝えられています。「こんなことがいままでわからなかったとは、おれもなんという間ぬけだったろう」(今西錦司『私の進化論』思索社)と――。
 そのハクスレーが、一八六〇年の六月、歴史に残る大論戦を展開しています。並みいる当時の科学者たちの主張を打ち破ったところで、オックスフォードの主教であるウィルバーフォース(英国国教会。一八〇五年〜七三年)が登壇し、ハクスレーに向かって冷ややかに質問します。
 「きみは自分がサルの子孫だといっているそうだが、それはきみのおじいさんの血統なのか、それともおばあさんの血統なのか」(同前)と嘲笑したのです。
 ハクスレーは厳然として答えました。「もし、私の祖先に哀れなサルか、それとも、りっぱな素質と、大きな影響力とをもちながら、そういう恵みを、科学的討論を茶化したり、真理のまじめな追求者を辱じめたりすることに用いるような人間か、そのどちらかを選ばねばならないのならば、私はもちろんサルのほうをとるでしょう」(同前)と。
3  池田 急所をえぐったとどめの一撃だね。
 川田 しかし、どうやら、ウィルバーフォースも含めて、当時の人々には、ダーウインの主張の真意がよくのみこめていなかった面もあるようです。ダーウインが、人間の祖先は、サルの始祖と共通の生物から進化してきたと主張していると聞いて、その意味を取り違えて、人類の先祖は、ゴリラやチンパンジーであると早合点したのでしょう。
 現在、地球上に生息している、オランウータンとか、テナガザルとか、チンパンジーなどは、人類とは種を異にする動物であって、とうぜん人間の祖先であるはずもないからです。
 北川 チンパンジーが突然変異を起こして、人間生命に近づいてきたなどといった話は、耳にしたこともありません。(笑い)
 池田 ところで、人類と類人猿との共通の祖先というのは、考古学者や人類学者の説によれば、ドリオピテクスと呼ばれているようだね。
 北川 ええ、時代的にいうと、四千万年前から千二百万年ぐらい前まで約三千万年間にわたって生存していたといわれます。
 池田 私たちの祖先は、その時代に、類人猿へとつながる道と訣別し、人類独自の進化を開始したと考えられる。
 もし、この分岐、訣別がなければ、人類への開拓の道は閉ざされたままであり、ホモ・サピエンスとしての現世人類の誕生もなかったであろう。しかし、この分岐、訣別といっても、人間生命と他の生物とが、断絶した存在であり、人間だけが、特別な存在であるという意味ではない。
 人間生命にも本能とか原始的な衝動が渦巻いている。こんどは逆に、人間以外の他の生物にも親子の情愛がそなわっているし、ある種の動物においては、私たちのかわす言葉のもっとも初歩的なものを見いだすことも可能であるという。つまり、人間のなかに動物があり、動物のなかに人間があるともいいうるのです。
 動物と人間生命は明らかに連続している。ゆえに、仏法の輪廻説では、人間といえども、牛とか馬に生まれかわることもありうると説くのです。にもかかわらず、人間生命は動物から種々の特質を受けつぎながら、一面では、人間生命と他の生物との相違点を明確にあらわしています。人間と他の動物との差別を示すものは何か――そこに着目したときに、人類の誕生がいつ、どのようになされたかを論ずることができるのです。
 川田 それにしても類人猿と訣別した、その分岐点が何ゆえに起きたかは、進化論上最大のテーマです。
4  池田 そのまえに、人類進化のプロセスをひととおりたどってみると、二百万年ぐらい以前には、オーストラロピテクスが出現し、ビテカントロプス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・サピエンスとつながっているようだね。
 北川 ビテカントロプスが、四、五十万年前、ホモ・エレクトゥスが十万年ぐらい以前、そして、ホモ・サピエンスともなれば、五万年以上さかのぼることはできないようです。
 池田 ホモ・サピエンス以外は、現在では絶滅してしまって、その骨が化石として見いだされるだけだが、学者たちが、これらの化石人類を、まぎれもなく人類の先祖につながると確信したのは、二本足歩行とか、道具を使っていたとか、火を使用していたとか、また、言葉を使っていた、などといった事実からの推測ととっていいでしょうね。
 川田 太古の人々が残した生活の跡とか、頭蓋骨、歯、骨盤などを、科学的に調査した結果からの類推です。ドリオピテクスから少しあとになりますと、直立二本足歩行が定着してきます。
 オーストラロピテクスは、荒けずりの石器を使っていた痕跡が認められますし、中国のピテカントロプス――北京原人――は火を使用していた形跡が認められます。ホモ・エレクトゥスのなかに入るネアンデルタール人は、ムステリアンの石器文化を築きあげています。また、最初のホモ・サピエンスといわれているクロマニョン人は、みごとな洞窟芸術を残しています。
 池田 言語によるコミュニケーションも、おそらく数百万年の歴史を有しているだろうが、言葉、道具、直立二本足歩行、火の使用、芸術などはすべて、他の生物には見られない人間生命独自の所作であると断定してもいいね。
 北川 そうしますと、私たちの遠い祖先は、長い人類進化の道程で、こうした人間らしい特徴を、少しずつ自己のものとしていったのですね。
 池田 化石人類のなかには、ホモ・サピエンスの直系の先祖ではなく、進化の途中でゆきづまり絶滅していった系統も含まれているかもしれない。この点に関しては、各種の学問の進歩、累積が、解明してくれるでしょう。
 しかし、いずれにしても、太古の人類は、他の動物には見られない精神の働きを発揮させつつ、文化の華を咲かせていたでしょう。その形跡は石器などの物質的証拠でしかたどりえないが、それはあくまでも、部分的な残り滓です。
 もう一歩深く、そうした道具の使用や芸術的創造へとおもむかせた生命内在の特質に目を向ける必要がある。そこにこそ人類が文化を築いた源泉があるのです。つまり、人間をまさに人間たらしめたものとは、その生命自体にある特質であり、幾多の先哲がかかげるように、知性、理性、意識、精神などをあげなければならないでしょう。
5  川田 ベルクソンも、知性的意識に着目し、人間形成の推進力としています。澤潟久敬氏によれば「狭義の道具は知性の産物である」(「ベルクソン哲学の素描」、『世界の名著53』所収、中央公論社)とも表現されていますね。
 池田 私も同感です。物的証拠として残るものは石器などの道具です。しかし、大事なのは、それを作った人間の知性です。それこそ、人間の誇る強さだったのです。さらに、外界に対してばかりでなく、人間は、内なる世界に向けて自己意識をもつことによって初めて人間になりえたと思う。
 知性の発動が、道具を作り、技術を磨き、言語を練りあげていった。さらに付言すれば、カントがいみじくも指摘した、実践理性としての道徳法則も、人間らしくあるための重要な要素と考えられる。『実践理性批判』の結論部分の冒頭にある有名な一節を思い起こしてもらいたい。
 「それを考えること屡々しばしばにしてかつ長ければ長いほど益々新たにしてかつ増大してくる感歎と崇敬とをもって心を充たすものが二つある。それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳的法則とである」と記され、少しあとに「第二のもの〔道徳的法則〕をみるときは、叡智としての私の価値は私の人格によって無限に高められる。この人格において道徳的法則は動物性から、そしてまた全感性界からさえ独立な生命を私に啓示する」(波多野精一。宮本和吉訳、岩波文庫)とある。
 かの偉大な哲人は、人間行為の前提となる道徳法則が、先天的に実在することを見ぬいていた。しかも、この道徳律が、「動物性から(中略)独立な生命を私に啓示する」と明言するのです。
 北川 人間にそなわった″実践理性″が、遠い昔の人々の心に芽ばえ、精神生活を支えつつ、人と人との連帯を可能にしたのですね。
 池田 念のためにもう一度繰り返すが、人間的な営みの底には、知性、理性、自己意識などの強力な発現があった。この事実を見落としてはならないと思う。
 知性とか自己意識なども、その可能性というか、潜在的なものとしては生物進化の段階において、あらゆる生物の生命的内奥を流れつづけてきたと思う。だが、人間生命誕生までは、本能的衝動などと一体であり、知性としての独自の働きを発現することはなかったのではないだろうか。
 いいかえれば、生物学的な本能の陰に隠れていた知性の光が、人間生命の形成とともに、本能のなかから輝き始めたのです。知性の光が輝きを増し、内なる道徳律が姿をあらわすとき、人類は、類人猿との訣別の道を選びとったのです。
 北川 少し疑問に思えることがあるのですが、人類の祖先が、ドリオピテクスの時代に、人類進化へ向かい始めたときに、すでに私たちと同じだけの知性、理性をそなえていたのでしょうか。オーストラロピテクスやネアンデルタール人でさえも、復元像を書物などで見ますと、あまり、知性的な顔はしていないように思えるのですが……。(笑い)
 池田 たしかに人類よりも、チンパンジーに近いような面影も残ってはいるね。
 しかし、人類学者フットンが「ネアンデルタール人の頭蓋骨を基にすれば、チンパンジーの容貌を模写するのも、哲学者の顔の顔だちを模写するのも、同程度の努力でできる」(R・S・ソレッキー『シャニダール洞窟の謎』香原志勢。松井倫子訳、蒼樹書房)と述べているように、チンパンジーに近い顔だから知性的でないとはいえない。かえって、それゆえにこそ底知れない知性を想像させる場合があるものです。
6  北川 ただ、知能の発達とほぼ平行すると考えられる大脳の大きさですが、オーストラロピテクスでは、五百ccぐらいです。チンパンジーで、三百から四百ccですから、かなり大きくはなっていますが、それでも、現生人の三分の一しかありません。ホモ・エレクトゥスで千cc前後、ネアンデルタール人になってようやく、私たちと同じく千五百ccぐらいになります。すると、オーストラロピテクスあたりでは、まだ、知能水準はあまり高くなかったと推測せざるをえないのですが……。
 池田 そのとおりでしょう。だから、一千万年ほどもさかのぼった時代の始祖たちは、荒けずりの石器とか、また、自然のままの石ころを使用したにすぎなかったのです。しかし、彼らは、少なくとも類人猿とは明確にたもとを分かっていた。
 たしかに、彼らの知能水準は、ホモ・サピエンスにくらべれば、比較にならないほど低いものだったでしょう。だが、彼らの生命の内から姿をあらわしはじめた″知性の火″は、徐々にではあるが、それ以前の長い生物進化のゆるやかな勢いにくらべれば、めざましい速さで燃えさかろうとしていた。″知性の火″が、勢いを増すにつれて、その発現を可能にすべく前頭葉の発育がうながされたのではないだろうか。もし、わかりやすい類推の例を出すことを許されるならば、私は、次のような説明を試みたいと思う。
 人間の赤ん坊の知能は、表面から見るかぎり、類人猿の子どもとあまり変わらないであろう。言葉も話せないし、歩くこともできないし、ただ本能だけで生きているように見受けられる。しかし、その頭脳のなかには、人間としての未来の可能性はすべてそなわっているはずです。いいかえれば、人間的な生命活動を営むための素質は、生まれおちたときに、すべて与えられているのです。
 川田 チンパンジーの赤ん坊ですと、どんなに努力して育てても、やはり、チンパンジーどまりですね。(笑い)
 池田 人間は、どんなに未熟であり、野蛮に見えても、人間としての特質をそなえているはずです。オーストラロピテクスの生命にも、知性と道徳の″人間の火″が輝き始めていた。ただ、彼らの脳の構造が、知性の開花をおさえていたのであり、本質的な潜在力は、現代の私たちと比較しても決して見劣りするものではないと思う。
 北川 よくわかりました。だから、大脳容量の増加につれて、知能の水準が高まり、それに応じた文化を形成することができたのですね。
 池田 人類進化の様相を注視すれば、以上のように考えざるをえないのです。
7  人類誕生の条件
 川田 ここで、もう一度、人類の歩みと類人猿との道が分かれていった、そのときにもどりますが、人間生命には、何ゆえに、知性などの″人間の人″が輝きを増し始めたのでしょうか。生物の進化について、突然変異とか、自然淘汰とか、適応などといった進化論的な原理がありますが、そうしたものによるのでしょうか。
 池田 ダーウィン以来の、伝統的な進化の理念ですね。
 川田 正統的なダーウィニズム(ダーウィンが提唱した生物進化に関する学説)では、生物の進化は、まず、第一段階として、遺伝子のなかに突然変異が起きまして、そこに環境からの自然淘汰が働く。そして淘汰によって選ばれたものが、遺伝をとおして、次の世代へと伝えられる、と主張しています。遺伝子の突然変異は、まったくアトラングムに起きますので、環境にうまく適応するかどうかは不定です。大部分の突然変異は、環境によって除かれてしまう。
 そのうちに、まったく偶然の出来事ですが、環境にうまく適応するような突然変異が起きることもある。すると、変異を起こしたほうの生物が、元の主人公との生存競争に勝って、ぐんぐん繁殖していくのだとします。この理論を、人類の出現にあてはめますと、私たちの祖先が類人猿とたもとを分かったのは、偶然にも、人類進化へと向かう突然変異が起こりえたからだ、という結論になりそうです。
 北川 ところが、人類学者の今西錦司博士は、ダーウインよりもラマルク(フランスの博物学者。一七四四年〜一八二九年)を評価しますね。ダーウイニズムでは、環境が主導権を握っていて、生物の生命がもっている主体的な働きが無視されている。
 池田 突然変異体は、あらゆる方向に出現するけれども、そのなかで、よく環境に順応しえた者が、生存闘争に勝利を得て栄えていく。そうすると、一個の生物が、生きつづけられるか、それとも敗者の憂き目をみるかを決定するのは、環境条件しだいだということになるね。
8  北川 ラマルクは、徹底的に生物の生命の主体性を強調します。つまり、環境と生物は、たがいに関連しあい、環境が変われば、それに応じて生物のほうも変化していく。ゆえに、進化を進めている主体者は、つねに生物自身だということになります。
 川田 ラマルクの考え方に立ちますと、突然変異にも方向性がでてきますね。
 北川 今西博士の説を紹介しますと、もうずいぶんポピュラーになりましたが、″多発突然変異説″があります。正確を期すために博士の著書『私の進化論』(思索社)から引用します。
 「生物の種は環境の変化に適応するため、まず突然変異の頻度を高める。次には現われてくる突然変異を、適応の方向に沿うようにする。たくさんの個体がいることだから、この際適応の方向にむかって、なにほどかのばらつきが生じてもやむをえない。適応の道にのって同一方向にむかい、小きざみながらなおも突然変異を重ねてゆくうちに、種の個体は次第に新しい適応型に変わってゆく。この際も個体によって変化に多少の遅速ができることはやむをえない」と記されています。これで、種を超えるような大きな進化の説明にはなりそうです。
 池田 なるほど。一定の方向に向かった突然変異が、連続して多発する。人類への進化の場合も、大脳容量を増加させ、人間性を触発するような突然変異が、連続的に起こったということになるね。
 川田 私、今西博士の学説を聞いていまして、ふっと想起したことがあります。『ホモ・サピエンス?』(岡村祐一、玉川大学出版部。以下カッコ内は同書より引用)という題名の本に書かれていたことです。「?」をつけたところに、著者の心情が託されている(笑い)非常におもしろい書物です。
 その著書によると、人類が誕生したころは、地球の気温がしだいに寒冷化に向かっていたそうです。この寒冷化のため、人類と類人猿との共通の祖先が住んでいた森が縮小しはじめ、食糧も乏しくなった。
 池田 そのころ、ヒトの先祖だけが、森を離れて地上におり立ったのだね。
 川田 この著者の考えは別にあるのですが、多くの学者は「気候の変化に伴ってやってきた飢餓が、彼らを地上に追い降ろしたのだ」と説明しています。
 池田 地球的な規模の気象変動への適応ととれるでしょう。でも、地上には、獰猛な野獣が、わがもの顔に横行していたはずだ。軽はずみに、森からおりると、たちまちにして、肉食獣のえじきになりかねない。
 川田 だからといって、森にしがみついていたのでは、深刻な食糧危機に襲われます。それでも、森の縮小とともに移動していけば、個体数の減少という事態にあいながらも、細々とした生活だけはたもてそうです。こうして、人類の祖先以外の生物は、森に残って、いまでは、オランウータンとかチンパンジーになっているというわけです。
 ところが、人類の始祖だけは、生存にかかわる危機にめぐりあって、主体的に、環境の悪条件を乗り越えようと試みた。つまり、みずからの意志による″決断の時″をもったわけです。
 北川 その決断をしたということが、生物学的に表現しますと、ある一つの生命体に突如として生じた変異といえるわけですね。人類への第一歩を踏みだす突然変異が、つづけざまに生起し、一群の生物の集団が、未熟ながらも、人間としての輝きを増していった。それが類人猿の道と離れた人類の集団であった、と理解できそうです。
 池田 動物性から人間らしさへの決定的な第一歩を、連続的に生起する突然変異としてとらえることも、たしかに可能でしょう。しかし、人間の道への生命自体の躍動は、かつて生物進化の過程で、数かぎりなく起きたであろう新しい種の形成とは、異なる色彩をおびていたのです。
 かつての生物進化をおしすすめ、新種への生命の飛躍をおしすすめたものは、主に身体的な衝動であり、本能であったと思われます。ところが、動物から人類への進化上における生命の飛躍をつらぬくものは、たんなる動物としての無意識的な本能ではない。生物進化のなかから姿をあらわしつつも、それを凌駕した特質を示す、知性の光であり、自由なる意志であったのです。
 川田 シャルダン流にいえば″精神圏″の形成ですね。
 池田 いいかえれば、人類の始祖に浮かび上がった″開拓者の魂″が、生物進化を乗り越えて、人類進化の道を切り開いたのだと思う。
 もちろん、この地球上における生物進化の三十億年にもおよぶ長い旅路がなければ、人類進化への扉は開かれなかったであろう。しかし、生物進化のたんなる延長線上に、人類進化を位置づけることは、私は決して当を得てはいないと考える。たとえ、それが、多発連続突然変異のなせるわざであるとしても、生起する変異の質的相違を不問に付すわけにはいかないと思うからです。
9  川田 先ほど紹介しました『ホモ・サピエンス?』の著者も、生命内奥に実在する「心」を取り上げ、「天才の狂気」とか、「開拓者魂」とかいったふうに表現しています。「狂気」などというと精神病者とまちがわれそうですが、とうぜん、逆説的な表現です。「殺し屋たちの横行する地上への進出は、第三者の眼には、『無謀』と写ったに相違ない」と述べていることからも、他の生物の先祖の立場にたった言葉だと思います。
 著者の論述にしたがっていきますと、――卓越する能力の持ち主はひるむことをしらなかった。彼は(人類の始祖のことです)まず、武器の発明に力をそそいだ。殺し屋どもの鋭い牙や爪に対抗しうる武器がぜひとも必要であったからである――と。
 このように戦闘面が強調されていますが、生存競争の観点からはうなずけるでしょう。
 そして、さらに――彼は、知性をかたむけて苦吟した。そして、天才者のみに閃くひらめきが、彼に、「梶棒」と「石」を教えたのである。だが、それを有効に使うためにはどうすればいいか。二本足歩行という至難のわぎを、訓練を重ねて身につけていった――というのです。
 池田 手を自由に動かすために、二本足歩行を企てたという推論は、おもしろいね。
 川田 そのあとに、著者の感想が付記されています。「″二本足歩行″を企てたことは、『驚天動地』の天才的発想であった(以来、これ以上の大天才は生まれていない)」と――。(笑い)
 池田 表現が、じつにうまい。少し、ドラマチックすぎる感がないでもないが、おそらく人類生誕の具体的な情景は、著者の仮説に近かったかもしれないね。
 北川 このあたりで、人類誕生の条件となったものを整理してみますと、まず、生命発生以来の生物進化が必要であった。
 池田 必要不可欠の条件です。
 北川 それから、気候の変化とか、外界からの圧力も欠かせないですね。
 池田 森の楽園がずっとつづいていれば、おそらく、″開拓者の心″も眠りつづけていたかもしれない。
 北川 でも、他の類人猿たちと同じ条件にありながら、われわれの祖先だけが、人間性を獲得している。知性、理性、倫理、意志、精神といったものが、人間たるべき内的な推進力であり、人の道へと通じる偉大な扉を開く″鍵″であることはわかるのですが、人類の始祖たちが、いずこからその″鍵″を手に入れたかという本源的な問題は解決されていませんね。
 池田 それが最大の謎だね。この問題を解く手がかりはまったくといってよいほど、何もないのだが、間接的な解明のデータはないわけではない。残念ながらいまのところ、太古の人々の生命の内側を知るべき資料は、学者たちの間からも、ほとんど示されていないのです。
 人間の心は、そのままでは形としてのあとを残さない。大昔の人々の心にいかなる感情がわきおこっていたか、また、いかなる知識をたくわえ、いかなる思想をはぐくんでいたかなどとなると、ほとんど暗中模索といったありさまです。
 それにはドリオピテクス、せめて、オーストラロピテクスあたりの資料がほしいところだが、現在、考察の対象としての、ある程度の価値を有するデータは、ネアンデルタール人のものがもっとも古いといわれる。
10  川田 ネアンデルタール人といいますと、「生と死」の章で出てきましたソレッキー博士の業績が光っていますね。
 池田 私も、ソレッキー博士の提示している資料を手がかりにしたいと思う。「生と死」のところでもふれたことだが、博士は、中近東イラクにあるネアンデルタール人の遺跡を発掘して、ネアンデルタール人たちが墓の周りに、野菊やすみれの花を供えていたことを指摘している。(前掲『シャニダール洞窟の謎』参昭)
 このことから、死に対する何らかの意識が彼らにあったと解釈しているわけです。
 本能のままに生きる動物は、死を意識することはない。すべての生物が、死をまぬかれえない存在でありながら、ただ、知性、精神の人をともした人間のみが、来たるべき死を自覚している。
 他者の死は、いやでも、みずからの未来を予測させずにはおかないものです。昨日までの友が、いまは生の鼓動を失って何の反応も示さない。あれほど、たがいの情をかわしあった親と子、夫と妻、恋する男女の間をも、死は無残に切り裂いてしまう。死者への愛着が深ければ深いほど、残された者の心は痛み、人の世の移ろいやすさに愕然とするのではないだろうか。
 川田 死ほど絶対的なものはありませんから……。
 池田 太古の人々も、生と死の実相に思い悩んだにちがいない。「死とは何か」「生とは何か」といった人類永遠の課題は、現代人のみならず、人類の始祖たちの胸奥にも深い影を落としていたであろう。
 一瞬の油断が、たちまちにして、彼らの生を奪い去っていった。また、学者の説によれば、平均寿命も三十歳を超えてはいなかったともいう。ひとたび、大自然の猛威が襲いかかれば、集団全員が絶滅の危機に追いこまれないともかぎらない。つまり、彼らにとって、死は、現代人には考えおよばないほどの恐怖の的であり、また、日常生活のなかに深い根をおろしていたでしょう。
 北川 現代の私たちのように、死のことは忘れて、生に埋没しようとすることもできないでしょうね。
 池田 だが、それだけ痛切、深刻な死の自覚であったればこそ、それは、生死への思索を深めずにはおかなかったと考えられます。
 死せる者は、いったい、いずこへ去っていったのか。死は、人の生命を″無″に帰してしまうのであろうか。それとも、死者には生者の思考を超えた世界があり、死者の国は永遠につづくのであろうか。こうした、太古の人々の思索の激闘は、彼ら自身の英知を磨き、直観智の光明を強める結果をもたらしたのではなかろうか。
 ネアンデルタール人は、死後の世界を信じていた。死は、この世の生を奪い去りはするが、人の生命を″無″へとおとしいれるものではない。むしろ、死は、一種の眠りに近いのではないか、と彼らは考えたらしい。
11  川田 それは、どのような証拠からでしようか。
 池田 ネアンデルタール人のつくりあげた文化を、ムステリアン文化というが、その名前の由来である南フランスのル・ムスチェの遺跡から、十八歳の少年の墓が発見されている。少年は横向きに寝て、ひざを曲げ、ちょうど深い眠りに入ったようすをしていた。火うち石の剥片をつんだ″まくら″までしていたという。
 また、ある洞穴では、二人の大人と四人の子どもが、東西の方向に並んで、眠ったような姿勢のまま発見されている。周囲には、数々の石器とか、動物の骨なども一緒に埋められていたともいう。このような遺跡の発掘から、いまいったような思考が推測されるのです。
 北川 彼らが、死を眠りに近いと考えていたことはわかりましたが、では、眠った生命はどのような状態にあると信じていたのでしょうか。
 池田 そのまえに、もう一つ重大な示唆を与える遺跡の話をしておこう。これもソレッキー博士の発見によるものだが、四十歳の男子の骨格について興味深い推論をしている。その男性は、腕の肘関節から下のところが切断されていた。明らかに、現代的にいえば「外科手術」が行われたことを示しているという。
 しかも、重要なことは、四十歳といえば、彼らにあっては、かなりの老人に属するわけだが、このように自分一人では、とうてい生活できなかったであろう老人を、その生の終わりまで面倒をみていたふしがあると、科学者たちは指摘している。
 北川 いまの言葉で表現しますと、一種の社会保障ですね。
 池田 病弱者とか、老人とか、ともかく、一人では生きていけない人たちを、ネアンデルタール人は、集団の力で守りあっていったことが推測されるのです。
 親と子の愛ならば、動物の仲間にもある。しかし、社会の中の弱き者を、すべての人の協力で守りあうという行為は、カントのいう″わが内なる道徳的法則″がなければ、とうていなしうることではあるまい。
 かの人々の生命には、生死流転の秘密をなんとか解こうとする知性とともに、実践理性としての道徳律が脈打っていた。心の底から、自然のうちに浮かび上がる道徳法則――それは、いったい、いかなる実在からわきいだすものであろうか。こうして、太古の人々の思索は、死をとおして未来に向かうと同時に、道徳、倫理の根を求めて、自己の生命の奥深く分け入ったのです。
 川田 たしか、「生と死」のところでは、彼らが人間生死の基底に見いだした実在を、ソレッキー博士は、「天」と表現しているとうかがいましたが……。
 池田 博士のいう「天」とは、万物を支え、その底流に脈動する実在であり、大自然の変転をつかさどる実在としての宇宙生命を意味しているように思う。大昔の人々は、自然の脅威にさらされつつも、その苦難を乗り越える能力を生まれながらにして授けてくれた根源的実在への長敬の念を忘れることはなかったのです。
 ネアンデルタール人は、死への思索をバネとして、直観的な英知を、自己の生命と大自然の流転の内奥にさしこんだのではないだろうか。もちろん、彼らには、科学的な分析能力などはなかったであろうし、論理的な思考も未熟なものだったことでしょう。しかし、彼らの体当たりともいえる、根源的なものへの肉薄は、むしろ現代の私たちよりも勝れていたとさえいえるでしょう。
 かの人々は、直観的に、「天」なるものの実在を感じとっていた。しかも、ネアンデルタール人は、粗雑ながらも言葉を駆使したというから、みずからの実感や思索の成果を他の人々にも伝えることができたでしょう。むろん、十数万年後のいまとなっては、博士のいう「天」を、彼らがいかなる言葉で表現したかは知るよしもないが、それでも、彼ら仲間には通じる一つの言葉が使われたであろうということだけは、否定できない事実のような気がする。
12  北川 そうしますと、墓を花で飾る儀式はたしかに、死者の冥福を祈る気持ちをあらわしたのでしょうが、その底には生と死をともに支える宇宙の実在といったものの考え方があり、それが前提となって何らかの気持ちをささげる行為となったともとれますね。
 池田 そうです。それでこそ、死は一種の眠りであると信じた彼らの心情を、より正確に理解することができるのではないだろうか。つまり、死は、みずからを生みだした本源的な生命への帰還であり、無限の過去から、生きとし生けるものの生死流転を織りこんで流れゆく宇宙本源の生命に憩うことであると、心の底から信じていたのです。
 川田 宇宙生命との邂逅への信念は、もう知性や倫理の領域さえも乗り越えていますね。
 池田 そうです。宗教的な心情であり、いや、宗教そのものであるといっても過言ではないでしょう。多くの学者が、ネアンデルタール人の心には宗教的な衝動がうずいていたといっていますが、私にはさもありなんと思えるのです。
 北川 つぎに、現在の人類つまリホモ・サピエンスの直接の祖とされているクロマニョン人に移りたいと思います。
 クロマニョン人は、じつにすぐれた芸術作品を残していますが、そこに託されているのは宗教的な情想であり、祈りであるといわれています。
 池田 クロマニョン人は、アルタミラ洞窟の壁に描かれたバイノン(野牛)の絵をはじめとして、多くの絵画と彫刻を残しています。彼らの芸術的な才能もさることながら、数々の作品にあらわれた、複雑な精神生活には目をみはるものがあるようです。
 川田 洞窟芸術は、宗教的な儀式に使われたと聞いています。たとえば、狩猟にいくまえに、一種の儀式を行い幸運を祈ったというのです。
 池田 呪術的な儀式だったのかもしれないね。呪術は、幸運への願望をあらわしている。とともに、原始的な形をとってはいるものの、獲物となる生物の生命にみなぎる大自然の力への畏敬の表現であり、それとのかかわりを求める人々の心情が託されていることも見逃せないでしょう。
 呪術だからといって、すぐ幼稚だ、原始的だと片づけるのは誤りです。呪術として表面化した古き時代の人々の心の底に渦巻く情念を無視すべきではないでしょう。
 川田 ネアンデルタール人とかクロマニョン人の生命に宇宙生命の脈動が、彼らなりの方法でうつしとられていたとの考察は、よく理解できましたが、オーストラロピテクスあたりではどうでしょうか。
 池田 先ほどもいったように、二百万年ほど以前ともなれば、心の内面を察知できるだけのデータの発見はきわめてむずかしい。ほとんど不可能だとも思われる。
 おそらく三百万年以前の人々の場合、無意識的な衝動によって何らかの形で、宇宙生命なるものの脈動を感じていたことも考えられます。
 たとえかすかな光であろうと、また、いかに微弱な胎動であろうと、″知性の人″が姿をあらわしているところには、死に対する自覚が胸をよぎっていく。また、もし、道徳、倫理の内なる法則にめざめていたとすれば、その源を求める知恵が動きだす。この生命の厳とした法則にあてはめれば、人は人となるとき、すでに、宗教的な心情がうごめいていなければならない。
 いや、人間生命の実なる相に思いをめぐらせば、人の心に、″知性の人″が輝くことと、本源なるものへの肉薄を求める宗教的な心の胎動とは、まったく同時でなければなるまい。ただ、知性、倫理などの発動は、外界に、道具や言葉として表現されるゆえに、後世の人々が、その証拠を発見することができるのに対して、宗教的な衝動はあくまで内面的な出来事であるために、実証を得ることはきわめてむずかしいだけの相違であろう。
13  川田 最後の質問になりますが、人類誕生の時点で輝きを増しはじめた知性、理性、倫理などと、宗教的衝動との共通の源泉は、どうやら、当の宗教心が帰っていくであろう本源的な宇宙生命自体である、と結論できそうですね。
 池田 人間生命の側からいえば、知性などと宗教的心情の胎動は同時です。しかし、万物の底を流れる悠久なる宇宙生命に考察の視点を移すとき、人の生命にあらわれつつも、瞬時にして帰還を求める宗教心こそが、生命の内奥からの知性の発現を呼びおこす力であり、倫理の法則をわきあがらせる泉であることが明確に理解できるでしょう。
 それは、人間の生命において、知性、倫理、良心よりも、宗教的な心情のほうが、より深く、そして、より本源的な位置を占めているからです。いいかえれば、人間が人間としての道を歩むべく、人類への″扉″を開く″鍵″は、知性でもなく、良心でもなく、じつに、宇宙本源の生命からわきおこる宗教的な衝動であり、生みの親への復帰を希求する生命奥底の宗教心だと推測するほかはないようだね。
 私は、先ほど、人間は、知性を駆使することによって人間になるといった。それにまちがいはないのだが、ここまで考察を深めてくれば、次のように主張しなおさねばなるまい。つまり、人は、宗教心を宇宙生命から強力にくみとることによって、初めて人となる――と。
 北川 もし仮に、この宇宙空間のなかで、ある生物が、宇宙本源の生命にふれ、そこから、宗教心をくみだすだけの条件がととのった場合、人間的な生命を得るのでしょうか。
 池田 宇宙のいずこにおいても、生きとし生けるものの生死流転の底に、宇宙本源の生命が息づいているかぎり、その生命にふれるところには、宗教的心情の胎動があり、偉大なる進化の飛躍がうながされるはずです。地球上における場合には、もっとも原始的な生命が姿をあらわしてから、三十億年にもおよぶ生物進化の基盤があった。その底には、たえず、宇宙本源の生命の脈動が波打っていたと思う。
 そして、人類の誕生において、宇宙生命の波動は、かつてないほどの高まりをみせ、さまざまの外的な条件を受けいれつつ、しかも、それらの条件に触発されながら、生物進化を人類進化へと飛躍させていった。この事実を、人間生命の側から見れば、宇宙本源の生命への、深く強烈なきずなを結んだことを意味する。
 こうした生命飛躍、人間的生命誕生への基本的な原理は、たとえ、人々の探索の手が届かぬような大宇宙のはてであっても、普遍的なものとして通用するのではなかろうか。本因となる宗教的な力と、さまざまの条件との、密接不可分の関わりあいのなかから、知性、倫理の″人間性の火″をいだいた生命が産声をあげていくのです。

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