Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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個性化の原理  

「生命を語る」(池田大作全集第9巻)

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16  北川 まるで、核反応みたいなものですね。初めは、ほんの少しの核分裂が、起爆剤の役目を果たし、それが、ある一定の状態に達すると、こんどは、一挙に、すべての核が分裂し、あの驚異的なエネルギーの開放となります。核分裂の連鎖反応ですが、善悪を別とすれば――利用の仕方によって、善にも悪にもなりますので――一つの思索の参考にはなると思われます。
 池田 仏界を基調とした五陰の働きによって、他の生命体の仏界を触発することができるのです。仏界の触発は、宇宙にまで遍満しようとする仏の生命自体にそなわった特性に支えられて、かならず、仏界と仏界との連鎖反応をひきおこすと考えられる。
 最初は、仏界の衆生にも、起爆剤にも似た役割が課せられるかもしれない。だが、一人の生命から、とめどもなく流れ出る″蘇生の水″が、家庭という国土をうるおせば、家族を構成する人々の基底部にも、変革の波がわきおこるでしょう。
 一つの家庭が、慈悲と英知の力強い光明をおびてよみがえれば、その家庭からわきだした仏界の″水″は、あるときには職場へと広がり、また、あるときには隣人へとそそがれ、さらには、教育の場、政治の場、産業の場をもうるおしつづけるのです。その水のおよぶところ、枯死寸前の草木が水を得てよみがえるごとく、砂漠を旅するキャラバンの群れがオアシスのほとりで憩うごとく、すべての衆生とすべての国土が、生を謳歌し、生きることの歓喜を味わいつづけるのです。
 家族と家庭、隣人と地域、職業人と職場、医師と看護婦と患者と病院、教育者と子どもたちと学校、法律関係者と法廷、政治家たちと議会――それらのすべてに″慈愛の水″がそそがれれば、地域も、病院も、法廷も、議会も、また、その国土に生を営む衆生の集団も、それぞれの特質とか個性を示す生命体として、仏界を基調にしての脈動を開始するのではないかと思う。
 さらには、こうした衆生の集団と国土が、こんどは、新たな起爆点となって、日本の大地を揺るがし、ベトナムの国土を変え、一波が万波を呼びつつ、人類と地球をも、死と絶滅への道から救いうる方途を打ち立てうるのではなかろうか。
 ともあれ「一念三千」の実践には、無限の階層をなした衆生と国土を、その基底部から揺り動かし、仏界の国土としての常寂光土を築きあげていく五陰の行動を、いかなることがあってもやめまいとする、悲願と称するにはあまりにも光輝に満ちた理想と決意がこめられている。そして、仏法の、この哲理は、「一念三千」の当体としてありつづけようとする信仰者の生き方に、すべての生ある者の仏界を触発する起爆者としての役割を託しているのではないかとさえ、私には思われてならないのです。

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