Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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宇宙の源流  

「生命を語る」(池田大作全集第9巻)

前後
10  川田 そうしますと、「南無妙法蓮華経」には、根源的生命を中心として、すべてが統合され、含まれていると考えてよいのでしょうか。
 池田 そう考えてもよい。だが、さらに厳密にいうと、根源的な生命の″我″、力、時空をさえも生みだす源泉としての、大宇宙生命の本源、それが「久遠」であり、「南無妙法蓮華経」なのだね。
 川田 そうしますと「久遠即末法」の原理とは、生命論からいえば、「久遠」としての大宇宙生命と、そこに息づく生命の″我″が、現象世界を繊りなしている姿をさしているのではないでしょうか。
 池田 そう。たとえば、宇宙生命の″我″は、成住壊空の脈動をたたえつつ、無限の時空へと広がっていく。しかし、それは、現在の一瞬の宇宙の本源に内在する「久遠」の働きであり、「南無妙法蓮華経」の宇宙大の根源的な力の噴出です。
 しかも、現実の世界を織りなす唯一の実在は、現在の一瞬であり、この一瞬にあらわれた宇宙の姿のみです。さらに、現在の瞬間に顕在化した大宇宙そのものを支える宇宙生命の″我″と、あらゆる存在者、たとえば、私たちの生命の″我″は、たがいに融合し、統合しあって、生の奥底に渦巻いている。
 つまり、現在「一瞬」の宇宙は「永遠」の流転を含み、しかも、そのなかに、あらゆる″生命″の″我″を内蔵している。また、宇宙生命に憩うおのおのの生命の″我″も、時空への具象化の可能性と力をたもっていることは、いままで、たびたび述べてきたとおりだ。このような宇宙生命に内在するすべての″我″を、具体的に、「永遠」と「宇宙」ヘと開いていく「南無妙法蓮華経」の本来的な働きを「久遠即末法」の原理と称するのです。
 しかし、いまもいったように、たしかに宇宙の働きそれ自体は「久遠即末法」といえるし、私たちの生命の″我″も、「永遠」と、「宇宙」へと広がる根源的な力を含んでいる。だが、現実の私たちの人生は、「永遠」を含むといっても、一年先の生をさえ先取りしてはいまい。「宇宙即我」といっても、私たちの生命的空間は、地球大にさえも広がってはいないように思う。
 そこで、生命論の議題も、ようやく、瞬間に永遠を生き、かぎりなく広がる物理空間を覆いつくす生命空間の顕現の方途を模索するところに入ってきたように思われる。

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