Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

自然のなかの人間  

「生命を語る」(池田大作全集第9巻)

前後
11  北川 それにしても、一人の人間生命の影響力が、少なくとも、人類全体の内奥にまでおよびうるとするならば、正報としての生命主体の確立こそが、民族と人類の未来までも左右するのですね。
 池田 私たちの住む大宇宙の秩序ある変転のなかにあって、各個人が、いかなる生命状態にあり、どのような能動性を発現しうるかに、人類と地球の運命がかかっているといえよう。万物の調和のリズムに眼を開き、あらゆる生き物と共存しようとする人間生命の姿勢は、宇宙に張りめぐらされた″生命の糸″の働きを支え、新たな宇宙の創造へと向かっていくでしょう。
 人類の心は、愛や信頼や慈悲心に満たされ、その脈動が生命体としての自然を創造の営みへと導いていくにちがいない。こうした大宇宙の一個の生命的な営みは、″かけがえのない宇宙″の律動を守り、支えようとする人間生命を、こんどは逆に、″かけがえのない一個の生命体″として慈しみとおすと考えられます。「依正不二論」の人間らしい実践のあり方だね。
 逆に、私たちが、醜い貪欲や愚かさやエゴイスティック(利己的な)な自我のままに、敵対し、憎しみあい、殺害しあうとき、どす黒い″殺しの血″に衝き動かされる「狂った細胞」としての人類の心は、他の生物と大自然を破壊し、万物を支える″生命の糸″をずたずたに断ち切ってしまうでしょう。大自然が崩壊し、地球が死と暗黒の惑星に姿を変えてしまう状況に直面して、個々の人間の生もその根底から断ち切られざるをえないはずです。
 このいずれの道を選ぶかは、私たち人間の自由であり、また、その能力も本来、人間の生の内奥にそなわっている。要は、人間生命に内在する、宇宙を生の創造に向かわしめる発動力と能動性を、いかにして開発し、顕現するかです。
 もし、一個の生命主体に、愛や信頼心がそなわっていたとしても、その発動力が弱ければ、他者を動かし、生命の波動をおよぼすことは、きわめて困難でしょう。また、いかに能動性が強くても、疑念、不信、敵憮心などに満たされていれば、人類も自己も滅びさるだけでしょう。
 ″かけがえのない宇宙と自己″を、生の創造へと導く発動力と能動性を顕現させるような人間の生き方と、真に、宇宙の律動と協調しつつ生を営む人間らしい境涯を、さまざまな角度から明確にしえたとき、「依正不二論」は、人類救済の偉大な実践哲理として、人々の行動のなかに生かされるのではないだろうか。

1
11