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何のための教育か  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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24  人間学構築への提言
 池田 学問の進歩は、今後ますます加速度を加えていくでしょう。また、分析と同時に、各学問間の総合化も試みられています。
 しかし、いかなる学問の進歩も、その究極の目標は、人間生命を守ることにある以上、各学問を総合化し、リードする中核には、前にも申し上げたとおり、人間学がすえられるべきでしょう。
 今、社会科学、人文科学、自然科学と並んで、生命科学が時代の脚光を浴びていますが、これらの学問の基礎のうえに、人間学を築き上げなければならないと思います。
 全力をあげて、すべての学問の領域の人が、人間生命の探究に向かうとともに、総合学としての人間学を構築することが急務であると考えるのですが、いかがでしょうか。
 松下 あらゆる学問の中核として、新しい人間学がつくられなくてはならないというお考えに私は全面的に賛成するものです。
 このようなことを、今ごろになって一間一答のなかに加えなくてはならないことを思うと、いかに重大な問題を世の識者の人びとが今日まで放任していたかを痛切に感じさせられます。お互い人間が共同生活の調和ある向上を実現し、自他ともの幸せを生みだしていくためにも、人間学こそすべての学問の中心にならなくてはならないと思います。私は学問のことはよくわかりませんが、それほど重要なことが、ひとり日本においてのみならず、諸外国においてもあまり取り上げられなかったというのであれば、ごく常識的に考えてみて、まことに不思議でなりません。
 一つ考えられますことは、これまではそういう人間自身の探究といったものは、宗教にゆだねられていたのではないかということです。そして学問は、主として、いわゆる科学的な分野を担当してきたということも考えられます。そのようにして、宗教が人間の探究ということを大きな領分として、そこに成果をあげてきたということ自体はそれはそれで好ましいことだと思います。
 けれども、やはり学問が学問としてこれを取り上げなかったことは、いわばウカツであったと思います。それは東洋といわず、西洋といわず、ともにウカツであったわけで、これからは、人間学というものを、科学的、精神的の両方の面から、大いに取り上げ、探究していかなくてはならないと思います。
 具体的にそれがどういうものになるかは、いわば門外漢である私には論及いたしかねますが、やはり、そういった人間学というものの必要性を、世の識者の人びと、学者の人びとが痛感していただくことが、まずなによりも大切だと思います。そして、その認識にたって衆知を集めていただくならば、必ずやそこに立派な人間学というものが生まれてくるのではないかと思うのです。
 そのような意味において、幸いに先生のご関係しておられる創価大学というものがあることですじ、そこにおいても、ぜひともこの人間学を主要な科目としてお取り上げいただきたいと願うものです。

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