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「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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26  形而上と形而下
 池田 今日、形而上の問題と形而下の問題とは二元的に切り離して考えられる傾向が強いようです。私は、この二つは必ずつながるとの考えをもっておりますが、この点についてのご意見をお聞かせください。
 松下 実は私は、形而上・形而下というような言葉は知らなかったのですが、説明を聞きますと、ごく通俗的にいって、形ないものと形あるもの、いわば精神と物質、心と物ということのようにも思われます。
 そうといたしますと、私はこの二つを切り離すのではなく、必ずつながるというお考えに賛成です。
 私は、かねてから「塀批ぃち婿」ということを申しております。ご承知のように、私はPHP研究所というものを島索し、そのモットーとして「驚鶯によって平和と幸福を」ということを唱えてまいりましたが、その場合の繁栄にしろ、平和にしろ、幸福にしろ、たんに物的なもの、形にあらわれたものだけでなく、日に見えぬもの、心の面をも含めた、いわば物心一如の繁栄、平和、幸福なのです。
 そのことをたまたま、月刊誌『PHP』の創刊号(昭和二十二年四月号)に書いておりますので、やや長文になりますが、その一部をここに引用させていただきます。
 「繁栄というとすぐ思い浮かべるのは草木の生い茂って大きく生長していく姿であろう。幹も太くなり、葉も茂っていく。このように世の中が栄えていくことが望ましい。しかし幹や葉ばかりを見てはいけない。太い幹、茂った葉をささえる根の広がりを忘れてはならぬ。目に見える栄えの陰に目に見えぬ栄えがともなわねばならぬ。世の中の栄えも、ただ人びとが金持ちになる、暮らしが楽になる、というような物質的のことだけを繁栄というのではない。これと同時に心も豊かになることが望ましい。
 学問、思想、芸術というような心の働きが高まってくる。道徳も向上する。すべて伸びやかに住みよい世の中になることがほんとうの繁栄であると思う。これを物心一如の繁栄といったらよいであろうか。物と心が別々でなく、お互いにつながりのある豊かさが繁栄の姿であるといいたいのである」
 「平和というとすぐ戦争を思う。戦争をしないことが平和だと思う。なるほど戦争を代表とする争い――国内の争いでも、一家の争いでも、個人間の争いでも――なんの争いもないところに平和がある。しかし平和というものはもう少し突っ込んで考えてみると、落ち着いた心の在り方をいうのではなかろうか。嘆き、恨み、ねたみというような心をかきみだすもののない澄み切った心が平和の姿であろう。形に見える争いのないということより、もっと心のなかに食い込んだ平和というものを観念したいと思う」
 「幸福ということは物心一如の幸せという意味にとりたい。物の満ち足りたありさまは幸福の力強い条件ではあろうが、また『狭いながらも楽しいわが家』という見方もある」以上、引用が長文にわたりまして恐縮ですが、このように私は、あらゆる面で、本来、物心一如ということを考えており、形而上・形而下の問題は必ずつながるというお考えに全面的に賛成するものです。

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