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はじめに  

「人生問答」松下幸之助(池田大作全集第8巻)

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2  はじめに   松下幸之助
 池田さんに初めてお会いしたのは、昭和四十二年秋、創価学会の東京文化祭にお招きいただいた折りのことであった。創価学会のめざましい発展ぶりなり、非常な若さにもかかわらず、会長ご就任以来、短時日でそうした発展を実現された池田さんのことは、かねて耳にもし、また興味をもっていたので、お招きに応じて見せていただくことにしたのである。
 会場の国立競技場に着き、まず感心したのが、出迎えや案内の方々の真心のこもった親切な応対ぶりである。私どもでも、よくお得意先をご招待して、その応接には相当心をくばるようにはしているが、それよりも数段念の入ったものが感じられた。
 会場に入ると、広い国立競技場が立錐の余地もないほどの超満員である。しかも水を打ったような静けさでありながら、非常な熱気がたちこめている。これまで見たどんな会合にも感じられなかったその一種独特の緊迫した雰囲気には、いたく心を打たれた。
 そしていよいよ文化祭が開幕した。そこに繰り広げられた光景は絢爛というか豪華というか、まことに目を奪う鮮やかさであり、しかも、それが一糸乱れぬ秩序正しさで整然と進行していく。広いグラウンドいっぱいに、体操が、行進が、踊りが、マスゲームが息つぐ間もなく次々と展開される。同時にそれに合わせるように、私どもの席の正面の観客席にさまざまな人絵、人文字が色彩豊かに描かれていく。西洋の名画もあれば日本の浮世絵もある。きれいなお花畑や花火も現われる。時には映画のように画面が動きを見せ、真っ赤な鷲が飛翔し、帆船が怒濤を越えていく。
 ふと私は、昭和十六年に、当時の一万人の従業員を甲子園球場に集め、来賓、家族など五万人の観客の前で会社の運動会をやったことを思い出した。その時の競技ぶりは、来賓の一人であった大阪師団の少将の人から「軍隊でもこれほど整然とはできない」とおほめをいただいたものであった。しかし、戦時中の国民の気分も高揚していた当時とちがい、むしろ社会混乱といっていい今日に、これほどのことができるということに、私はまことに感銘を深くした。そして、創価学会の真価というものを認識するとともに、そういうことができる人間の心というか、力の広さ深さを、あらためて思ったりもした。
 この日は、ご多忙の池田さんとは目礼を交わしたていどであったが、そのかわり、幹部の方が池田さんの意を体して「よくお越しくださいました」とか「いかがですか。なにか不都合はありませんか」と三度も挨拶に来てくださった。なんでもないことのようだが、十万近い人を集め、数千の人を招待して多忙をきわめておられるだろう池田さんが、そこまで心をくばっておられることに私は驚いた。そしてそこに、ほんとうに人を大事にし、人間尊重に徹しておられる池田さんのお心の一端を見る思いがして、非常な感動を覚えたのである。
 この若さで、このまま成長されれば、将来、国の発展、人心の開発に非常に貢献し、日本の柱ともなる人だと思った。
 それで、一度ゆっくりお話ししてみたいと思っていたところ、幸いその後、機会を得、以来、心の友として親しくしていただいている。いろいろ忌憚なく意見も申し上げるが、お会いするたびに啓発されるところが非常に多い。
 そういうところから、お互いに問答というか、自分の疑問とすることを問い、それに答えることも有意義ではないかということになった。そして、双方百五十間ずつ出し合い、問いつ答えつしたものが本書である。たまたま『週刊朝日』のお勧めもあって、その適切な選定により、主として時局に関連ある約三分の一のものが同誌に連載された。同時に人間とか人生とかいった問題にふれた未掲載分についても、お読みいただければということで、池田さんとも意見の一致をみ、『人生問答』上下三巻として刊行の運びとなったものである。
 人間を考え人生を考え、また日本と世界の未来を考えるうえで、本書がなんらかのご参考になればまことに幸いである。
   昭和五十年九月

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