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日蓮大聖人・池田大作

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2 ファシズムヘの防塁  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  池田 最近、アメリカなどで社会の管理化が進むにつれて、ファッショ化の危険性が心配されているようです。民主主義とファシズムとは、その本質はまったく相反するものです。しかしまた、民主主義はファシズムを生む土壌となる危険性を秘めてもいます。また、ファシズムは、民主主義の仮面をかぶって現れてくるようにも思えます。そこで、ファシズムの台頭を防ぐために最も心しなければならないことは何か、民主主義のなかに潜むどのような要素がファッショ化をもたらすのか、といった点について考えてみたいと思います。そこでまず、民主主義が衆愚政治に堕する危険性を内蔵しているという点についてですが――。
 トインビー 民主主義は、たしかにこれまでにも幾度か衆愚政治へと堕しています。そのよく知られた悪例が、紀元前五世紀のアテネ民主制です。当時、アテネ市民の大多数を占めていた貧困階層は、投票によって、富裕階層に納税義務を課しました。しかし、富裕階層は、一大戦争の敗北からアテネ民主制の威信が失われるや、この機に乗じて暴力的なファシスト政権を樹立しました。この政権はたちまち転覆され、アテネには再び民主主義が確立されましたが、民主主義につきまとう弊害は、それでもなお除かれなかったのです。
 池田 民主主義に絶望しているのが少数者である間は、まだしも心配がありませんが、これが大多数の国民の気持ちになったとき、ファシズムヘと走る恐れがあるのではないでしょうか。フアシズムは、最初からファシズムとして明らかな姿をとってくるものではなく、人々がそれと気づかぬうちに、合法的に、民主主義社会のなかに台頭してくるもののようです。したがって、それが大きくならないうちに、本質を見抜くことが必要です。
 ファシズムの典型的な例は、いうまでもなく、ドイツにおけるナチスの台頭です。当初、ナチスは、周知の通り、民主的なワイマール体制下にあって右翼の小さな反体制政党、しかも群小政党の一つにすぎませんでした。そのナチスがなぜ、選挙というまったく民主主義的な手段によって第一党になり、独裁体制を固めるまでになったか――。それはもちろんヒトラーという、大衆心理操作の悪魔的天才が現れたことにもよるのでしょうが、それだけではなく、民衆は、それぞれの階層なりに納得して、ナチスの主張を支持したわけです。それが恐るべき事態を招くとは、おそらくほとんどの人が気づかなかったに違いありません。
 とくに、一九二九年の世界恐慌以降というもの、ナチスは小企業者階層、ホワイトカラー階層、農民階層、そして青年層の圧倒的支持を得ました。敗戦と恐慌に打ちひしがれた人々が、自己の要求を満たしてくれそうな政党を、第一党に押し上げたのだといえましょう。
 トインビー 貧困少数者というのは、政治的に無力な存在です。これに対して、かたや体制的な資本家と、かたや体制的な組合労働者との間で締めつけられている準中産階層の場合は、自らを組織化し、これら二つの特権階級に対して攻勢に出ることができます。
 この反抗的な準中産階層こそ、一九三〇年代のドイツでヒトラーを政権につかせる爆発的な社会的勢力となったのでした。彼らは、他に誰も救済してくれる者がなかったため、「国家社会党」を組織し、政治支配権を握ることによって自らを救済しようとしたのです。ドイツにこのような不満階層がいなかつたとしたら、ご指摘の通り、ヒトラーはその煽動家的才能だけでは、ドイツの独裁者にはなれなかったでしょう。そうした階層があったればこそ、ヒトラーは彼らに対して、自分を指導者として迎えてくれるならば、その返礼に彼らを救済しようと申し出ることができたのです。
 池田 何もナチス時代のドイツの民衆だけが愚かだったというのではありませんが、彼らは自分たちの不満を解消してくれると約束したナチスに、容易に身を任せてしまったわけです。ところが、自らの不満を解消するためにナチスのとったその方法が、他の人々にさらに大きな苦痛を与えるという結果を、彼らは知りませんでした。つまり、自分たちが苦痛にじっとしていられなかったように、それ以上の苦痛を受けた人々が、自分たち以上に激しい力をもって立ち上がってくるということを理解しませんでした。その結果は、ナチスの野望、およびそれに託したドイツ国民の希望の、手痛い挫折と自滅になったわけです。
 このように、自身の苦痛には敏感であっても、他人の受ける苦痛にはきわめて無神経であるというのが、人間性の悲しむべき特色の一つだと思います。ともあれ、自由を守るためには、民衆一人一人が、自らの支持する政治がどういう結果をもたらすかを見通せる英知をもつとともに、一人一人が人間の尊厳と愛に貫かれた確固たる思想を、自分なりにもつことだと思います。そのような思想をもつことによって、一人一人の英知が啓発され、また、そうした英知だけがフアシズムの台頭を防ぐものとなるでしよう。
 民主主義を守るためには、各人が自分の周囲で起きるすべてのことについて、その本質を見極める賢明さをもたなければならないと思います。平凡な表現かもしれませんが、要するに賢明になるということが、ファシズムの台頭を防ぎ、民主主義を守るための最も大切な要件ではないでしょうか。
 トインビー 私の見解では、フアシズムに対する最善の防御とは、社会正義を最大限可能なかぎり確立することです。ただし、完全な社会正義の達成は困難です。なぜなら体制者は――いかなる社会階層が体制を構成しようとも――通例、社会の富の差別的配分を主張するものだからです。たとえば今日のイギリスでは、資本家だけでなく組合労働者によっても、差別配分が強く主張されています。
 その結果、社会にはいつの時代にも、冷遇されたまま取り残される階層が存在することになります。こうした不遇な階層は、同じ市民のうちのより強力な階層から受ける不当処遇が極大化すると、あらゆる機会をとらえて、自分たちを公平に遇さない政権を転覆しようとするものです。まさにこの事態が一九二三年のドイツに発生したのでした。政権は、社会的な正義を行えば行うだけ安定するものです。しかし、社会正義というのは、目標としてとらえどころのないものです。社会を構成する各種各様の階層に、どうすれば公正な富の分配ができるかとなると、一致した判断の基準というものがないからです。

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