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日蓮大聖人・池田大作

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4 日本とイギリス  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  (1) 民主主義
 池田 イギリスと日本は、歴史的、地理的にいろいろな点で共通するものをもっています。日本人はこれまでもイギリス人から学んできたものが少なくありませんし、これからも学ぶべきことは多いと思います。たとえば、政治体制については、両国はともに立憲君主国であり、イギリスの王室も日本の天皇家も、おそらく世界で最も安定した君主だろうといわれております。
 しかし、イギリスと日本では大いに異なる点も、もちろんあります。たとえば、イギリスでは民主主義と自由の思想が長い歴史の試練を経て、深く国民のなかに根をおろしているのに対して、日本の場合はわずか四半世紀の歴史でしかありません。しかもそれらは、日本人が自らの力で苦闘のすえに勝ち取ったものではなく、第二次世界大戦の敗戦の結果としてアメリカから与えられたものです。日本の風土のなかから自然に生まれたものではなく、また、土壌が整えられておのずから育ったものでもありません。いわば″つぎ木″のようなものです。つまり、民主主義や自由主義と、それらにとって不可欠ともいうべき人々の伝統的な考え方や意識との間に、大きい断層があるわけです。
 トインビー 英米型の立憲政治は、いうまでもなく長い地域的歴史の発展がもたらした、英米固有の、しかも、あるていど幸運な産物です。したがって、この英米型立憲政治にそれまで馴染みのない国々が、これを模倣してその通り運用するのが容易でないからといって、驚くにはあたりません。中世的な諸制度ではイギリスときわめて共通点の多いフランスでさえ、イギリス的立憲政治の運用には困難を感じているのです。
 池田 なるほど。しかしここでは論を進めるため、日本で最も理想的な形の民主主義を打ち立てるために、われわれ日本人がイギリスから学ぶべきことは何か、という点についてお聞きしたいと思います。それにはさまざまなことがあると思いますが、私は、最も根本的なことは個人個人の主体性、自立性の確立であろうと考えています。このことは、イギリス人からみれば当然すぎることかもしれませんが、日本ではまずこれが実現されるべきであるにもかかわらず、忘れられてきたのが実情です。これでは、私は底のないカメを作っているようなものだと思うのです。
 トインビー 私の見解では、イギリスで議会制立憲政治が比較的成功しているのは、次のような要因によるものです。
 第一に、十七世紀に政治的暴動への反動が起こって以来、意図的に政治的穏健主義がとられたことです。第二に、二大政党制によって、議会活動の組織的運営がなされたことです。もっとも、これには党による個々の議員の統制という、高価な代償がつきまといます。今日、選挙民は秘密投票になっていますが、議員のほうは公開投票をしなければなりません。党の路線に沿った投票をしなければ、議員は党の懲罰をうけます。これは、産業労働者がストライキに参加しないと組合の懲罰をうけるのと同じです。第二に、二大政党間に暗黙の了解があり、基本的な問題については互いに一党派の利益のための策略を用いず、国家利益をまず優先させることです。第四には、政治的対立と個人的な好意や友情は両立する、という認識があることです。
 ただし第二次大戦以後は、三番目と四番目にあげたイギリスの伝統が崩れ去ろうとする、不穏な兆候がみえてきました。たとえば、労使関係に関する立法や、欧州経済共同体(EEC)加盟問題などについて、その兆候がみられます。
 イギリスの政治機構のはたらきよりもさらに根本的な次元からいえば、私は、イギリス国民が過去三世紀間にわたって個人の自由を維持してきたのは、次のような伝統によるのだと思います。つまり、市民一人一人が、大義を問われる問題で立場を明らかにするときは、身の危険をも顧みず、さらに必要とあらばわが身を犠牲にするという、道義上の義務感を身につけているのです。
 これは第二次大戦後のイギリス人とドイツ人の討論会でのことですが、私がかつて学問の自由の問題で教授職を辞さざるをえなくなったことを話したところ、ドイツの人たちは驚いた様子でした。私は、イギリスの社会生活を多少なりとも説明するための例として、なにげなくこの出来事を話したにすぎず、これぐらいのことは当然と思ったのですが、彼らはたいへん啓発されたといっていました。彼らは、イギリス人がもっている個人の自由は、ひとえに神々の恵みによるものと考えていたというのです。それまで彼らは、この個人の自由のよってきたるところを究明しておらず、また、それが、じつは、一人一人の努力によって初めて維持されているということについても、認識がなかったのです。私は、自由が個人の努力によってのみ得られるというこの点は、きわめて重要な点と考えます。
2  (2) 外交姿勢
 池田 次に、国際政治のなかでの位置についてみますと、イギリスも日本も、ヨーロッパ諸国、アジア諸国という国家集団の周辺に位置していますが、それでいて、政治的にはいずれもアメリカに顔を向けざるをえない立場にあります。この点では、両国に共通のものがあるといえますね。
 トインビー いずれも旧世界の沖合の島国である日本とイギリスは、この地理上の位置のゆえに、旧世界の大陸周辺地域ならびに新世界――もちろん新世界のなかでもとくにアメリカーーと密接な関係をもつ必要があります。しかし私は、両国にとってさらに重要なのは、アメリカとの関係よりも、むしろ近隣の大陸との関係であることが、やがて明らかになるものと信じるのです。それゆえ私は、両国がそれぞれ隣接する地域の国家グループーーつまり、日本の場合は東アジア、イギリスの場合はヨーロッパーーと提携していくことを期待し、希望しています。さらに、全人類を究極的に世界大の規模で統一するうえで、こうした地域的な提携が障害とならず、むしろ踏み石となることを望んでいます。
 池田 イギリスと日本の外交政策は好対照をなしているように思われます。イギリスは、自由諸国の先駆を切って中国を承認するというように、自主的な外交姿勢を貫いています。またコーロッパ諸国との関係についても、あくまでコーロッパの一員として、真剣に取り組んでいるように見受けられます。ところが日本は――私はことさら自分の国を悪くいうつもりはありませんが――率直にいって自主性が弱く、偏向していることを認めざるをえません。アメリカとの関係は、いまだにどうみても″追従″としかいいようがありませんし、日本列島は米軍の基地化している現状にあります。もちろんアメリカとの友好関係を悪化させてはなりませんが、対米外交においても、是は是、非は非として、独立国らしい方針を貫いてもらいたいというのが、国民一般の偽らざる心情です。
 いうまでもなく、対米関係については、イギリスと日本では歴史と伝統に大きな相違があります。英米両国は元来″親戚関係″にあり、ともに第二次世界大戦の戦勝国です。日本はアメリカとの関係も日が浅く、同大戦の結果、敗戦国としてアメリカの占領下にありました。奇跡とさえいわれた戦後の経済復興も、アメリカの保護のもとに成就してきたわけです。しかし、世界に比類のない平和憲法を有する日本としては、戦後四半世紀以上を経た今日、向米一辺倒の外交路線を切り替えて、自主的な中道主義に立ち、是々非々の立場で進んだほうが、かえって長期的にはアメリカにとってもプラスとなり、恒久的な友好関係を導くことができるはずだと信じるのです。
 トインビー アメリカに対するイギリスの姿勢にも、日本と同じように多少追従的なところがあったといわざるをえません。イギリス国民は、ごく最近までコーロッパ大陸諸国の一員になることを望まず、海の向こうの国民として自らを位置づけたいという、紳士気取りの願いをもっていました。この紳士気取りのために、イギリス国民は、これまで大いに尊んできたアメリカとの″特別の関係″も、じつは一衛星国としてのそれにすぎず、アメリカにはイギリスと経済的なパートナーシップをもつ意図など全然ないという、冷厳な事実に対して盲目だったのです。こうした″特別の関係″をもってすれば、イギリス経済の諸問題も解決できるだろうと考えるのは、あたかも英連邦に加盟していればイギリスの諸問題は解決するという考えと同じで、あくまで幻想にすぎません。私の見解では、イギリス経済の将来は、欧州共同体(EEC)の一員として生きるなかにあります。
 EC諸国にあっては、イギリスも各国と対等の加盟国の一員です。日本にとって中国との経済的パートナーシップ締結は、現実にはまだ手の届かぬところにありますが、やはり最終的には、日本経済の将来もそのような関係に行きつくことでしょう。日本は、中国をはじめ東アジア諸国と提携することによって初めて、対米依存から完全に離脱することができるでしょう。
 池田 正直なところ、日本はいまだにアジア諸国との関係において、その責任を果たしてはいません。アジア諸国への援助にしても、政府は日本にとって条件が良い国には与えますが、そうでない国へはあまり与えません。その反面、経済進出には非常に積極的です。
 現在のところ、日本はおもに経済外交に力を注いでおりますが、これからは、それも自国の富を増やすためではなく、富をもって貧しい国々を援助するという意味での、経済外交に切り替えられなければならないでしょう。そして、それとともに今後は教育、衛生、技術、学術の交流といった文化外交を推進することが、とくにアジア諸国に対しては重要ではないかと思います。
 トインビー 今日、経済発展の面でははるかに日本に追い越されていますが、イギリスもやはり世界の富裕少数国の一つです。ご指摘の通り、富める国々には、貧しい国々を援助し、かつ搾取を差し控えるという道義的義務があります。現在、大陸のEC加盟諸国から貧困諸国に与えられている経済援助は、絶対量からいっても、またEC諸国の国民総生産に占める割合からいっても、イギリスからの援助より大きいと私は思います。GNP世界第二位の日本としても、それ相応の義務を果たさなければなりません。
 またその援助もたんに経済面だけのものであってはならないという点でも、私はあなたのご意見と同じです。経済援助における最良の形とは、二つの通商国同士のうち経済的に優位に立つ国が、相手国と対等の通商条件をのむことです。これは、不平等な通商条件を押しつけたり、開発途上国に投下した資本からの利潤を、その国の外に持ち出したりして相殺してしまうような、たんなる施しよりも好ましいことです。開発途上国に対しては自立できるよう応援してあげなければなりません。そして、そのためには教育、芸術、保健衛生、科学、技術などの諸分野での援助が非常に有効です。

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