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日蓮大聖人・池田大作

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7 信教の自由について  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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1  池田 西欧民主主義国家において信教の自由が確立された根底には、信仰とは人間精神の問題にかかわるものであって、それは権力によって干渉されてはならないという考え方があったと思います。もちろん、歴史的ないきさつとしては、種々の利害や醜い思惑が直接的な動機の一部をなしていたかもしれません。しかし、少なくとも現在において、信教の自由の本源は、人間精神の自由の基本をなすものとしてとらえるべきだと考えます。
 私は、信教の自由は、いかなる時代がこようとも、またいかなる国においても、厳守されるべき原理であると信じます。また、それはいかなる信仰をもつ人であっても――仮に自分がその信仰をいかに正しいと確信していても――他人に対する場合には、あくまで厳守すべき原則であると考えます。
 トインビー 十七世紀に、西欧キリスト教世界で宗教的寛容が確立されたことは、近代西洋史上、主要な画期的事件の一つでした。ご指摘の通り、この宗教的寛容が確立された動機のなかには、たしかに醜い動機も含まれていました。つまり、いつまでも決着のつかない宗教戦争に、人々がいいかげん疲れ果てていたことや、かなり皮肉な意味での政治上のご都合主義なども、その動機となっていました。
 しかし、宗教的寛容が確立されたということは、やはり、個人の良心を力ずくで抑圧しようとした非道義性に対する、一つの純粋な反発を示すものです。個人の良心は、十七世紀末まで千三百年もの間、抑圧されてきました。ローマ帝国では、すでに四世紀の末に、キリスト教を除くすべての宗教が、力による抑圧を受けていました。それ以来、すべてのキリスト教国では、ユダヤ人を除いては、誰もキリスト教以外の宗教をもつことができなかったのです。ユダヤ人は自分たちの宗教をもち続けることを許されましたが、キリスト教徒でないという、ただそれだけの理由でひどい待遇を受けていました。
 ところで、イギリスの最もよく知られた民間団体の一つに「イギリス学士院」(ロイヤル・ソサエティー)というのがあります。これは、イギリスの代表的な学術団体の一つですが、かつて十七世紀に、国内戦争に嫌気がさした人々が設立したものです。彼らは、戦争の当事者双方が示す憎悪と残虐さに反発し、宗教的論争からは目をそむけることに決めました。そして、むしろ人々が互いにいがみ合ったり、真理を抑圧しようとしない、建設的な研究分野としての学問を究めていこうとしたのです。
 池田 残念なことですが、ある宗教を信ずる人が、他人の信仰を許すことは、往々にして、はなはだむずかしいことだと思います。
 現代においても、アイルランド紛争の一つの要因として、ローマ・カトリックとプロテスタントとの宗教的対立があると思います。こうした宗教的対立を解消するためには、宗教そのものがなくなればよい、という意見もありますが、古い宗教がなくなっても、そのあとには必ず新しい宗教が支配的になり、やはり紛争の原因になっています。ヨーロッパの歴史をみても、かつてはキリスト教の新旧両派の争いが、戦乱の原因になっていました。政治と宗教の分離が実現し、キリスト教が現実政治を動かす力を失った後は、ナショナリズムやマルキシズムが、さらに凄惨な紛争の原因になっているわけです。
 トインビー 北アイルランドを訪問されれば、ことにいまでは空からひと飛びで行けますから、ほんの数分の間に、約三百年前の昔へ旅されたと同じお気持ちになることでしょう。今日の北アイルランドは、すべての西欧諸国において宗教的寛容が確立される以前の十七世紀というものがどんなものだったかを教えてくれる、一つの遺跡のようなものです。
 北アイルランドの現状は、カトリック、プロテスタントという、二つの紛争当事者がありますけれども、そのじつ、本質的には宗教紛争ではありません。むしろ、権力をめぐる社会的・政治的な争いなのです。北アイルランドのプロテスタントは、かつてグレート・ブリテン島から入植した人々ですが、彼らが土着のカトリック信徒に処した態度は、まったく間違ったものでした。
 世界中の多くの国々では、いまだに特定の社会的地位や社会的水準に属する人々が、それ以上の地位や水準にある人々から抑圧されています。北アイルランドのプロテスタントたちも、土着のカトリック教徒を、政治的、経済的、社会的に従属させること――それどころか下層民として扱うこと――を望んでいます。こうして三世紀を経た今日、カトリック教徒たちは、この非人間的処遇に反抗ののろしをあげたわけです。そして、これが現状のような、かなりのテロ行為がプロテスタントに加えられる原因となっているのです。
 このように、北アイルランドでのプロテスタントによるカトリック支配は、宗教的支配といわれながらも、じつは政治的支配であるわけですが、南アフリカでの白人による黒人支配も、これと同じく政治的な支配です。またインドでは、政治、経済、社会の各面を支配するカースト制度が、宗教を隠れみのとして、その役割を果たしています。
 こうした状況をみると、あたかも宗教はたんに無益であるだけでなく、排斥すべき有害物だという見方が、真実であるかのような印象を受けるものです。しかし、私は、これは近視眼的な、誤った見方であると思います。なぜなら、私もあなたと同じく、宗教こそは人間本性にとって必要であり、不可欠な一部をなすものであると考えているからです。
 池田 宗教が、政治紛争や政治支配の隠れみのとして利用されてきたという博士のご指摘は、非常に重要なポイントですね。といいますのは、実際には政治的野心から行われた戦争が、宗教戦争という名を冠せられることによって、宗教は有毒であるという印象が、人々の心に強く植えつけられてきたからです。
 事実、人間を機械化された社会の部品として組み込み、権力が全面的にこれを支配できるようにするためには、宗教は大きな障壁となります。なぜなら、宗教こそ、人間の心を永遠なるものに結びつけることによって、権力支配の手の及ばない領域をつくる砦となるものだからです。人間の尊厳を真に実現させるには、宗教のもつそうした偉大な働きに、再び注目すべきでしょう。
 トインビー われわれは、何らかの宗教をもたないかぎり、人間ではありえません。そこでなされるべき選択は、宗教をもつかもたないかの選択ではなく、優れた宗教をもつか、劣れる宗教をもつかの選択なのです。
 キリスト教のような比較的良い宗教が、十七世紀に至るまでの十三世紀間、旧世界の西端部の人々に力ずくで押しつけられていたのは、一つの悲劇でした。また、宗教の悪用とそれに絡む宗教的不寛容の結果、人々の心が西欧の伝統的宗教としてのキリスト教から離反してしまったことも、悲しむべきことです。この結果として、新しい低級宗教であるファシズムや共産主義が、キリスト教に代わって登場してきました。しかし、フアシズムや共産主義は、実際には、人間が崇拝するにはあまりに劣悪な、人間の集団力というものを崇拝の対象とする宗教なのです。
 池田 宗教的信仰が争いの原因だからといって、信仰そのものをなくせば解決できるという考え方は間違いである――という点について、私たちの意見は一致しました。
 私は、こうした問題は、信仰と現実政治との関係を明確に区分することによって、初めて解決されると考えます。そのうえで、さらにどの宗教が優れているかという宗教的信仰の問題は、あくまで人間精神の問題として、精神の次元でその勝劣浅深が争われるべきでしょう。その手段は、決して権力や武力、暴力の助けを借りるのではなく、教義自体の哲学的明晰さ、深遠さを理論的に立証することでなければならないと思います。
 トインビー 政治と宗教の分離に関するかぎり、キリスト教よりもイスラム教のほうがよい歴史をもっています。予言者マホメットはコーランの中で、彼が″聖典の民″と呼んでいた人々を、イスラム教法に従い、定められた付加税を納める場合は寛大に遇するよう、さらに保護さえ加えるよう定めていました。この″聖典の民″とは、キリスト教徒やユダヤ教徒のことであり、マホメットは、彼らのもつ教典が部分的に真理を明かしたものであることを認めていたのです。これは、同時代のキリスト教徒による、対ユダヤ教徒、対イスラム教徒政策よりも進歩的な政策でした。
 東インドとか東アジア、日本、中国、朝鮮、ベトナムなどを訪れるキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒は誰でも、これらの地域で宗教的寛容が大いに行きわたっていることに驚かされます。日本では、仏教、神道の二宗教が互いに他を廃絶しようとせず、共存しています。これと同じ信教の自由は、しかし、旧世界の西端部においても、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が興る以前は、行きわたっていたのです。
 私は、宗教こそ人々に完全な自由を与える領域であると考えます。政治や経済の分野では、今後はおそらく、自由が大幅に制限されざるをえなくなるでしょう。人々の生活は、物質面では、私企業の存続を不可能にするところまで、安定化を図らざるをえなくなるでしょう。しかし、精神面での生活は、安定化を必要としません。したがって、物質面を安定させなければならないような世界においては、信教の自由を保持することが、かつてなかったほど重要性をもってくるはずです。

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