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日蓮大聖人・池田大作

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1 学問・教育のあり方  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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5  (5) 教育者と研究者
 池田 かつて博士は、実際に教壇に立つ教育者と、専門的に研究にたずさわる人とは、将来、分離することが望ましいと述べておられます。たしかに教育と研究とは、元来まったく異なるもので、しかも水準が高度になるにしたがって、教育のほうが犠牲にされる傾向が強いと思います。
 私も、博士のこのお考えには深い関心をいだくものですが、ただ、これを現実化する場合、マイナス面も考える必要があると思います。
 といいますのは、機関として、教育機関と研究機関を分離する方向はいいとして、それによって、教育者がこれまでもちあわせていた研究者としての側面を失う恐れが多分にあるということです。また、それが、教育者の教育活動に欠かせない新鮮さを損なうことになる危惧もあります。したがって、分離したとしても、教育と研究をいかに交流させるか、また、教育者の質的向上をいかに図るかが、重要な問題になってくると思います。その点について、博士はどのような制度的改革が望ましいとお考えでしょうか。
 トインビー 私の考えでは、大学レベルの教育においては、教授陣に研究活動のための時間と機会を与えるべきであり、しかもそうした研究活動を、講義をすることと同様、彼らの不可欠な義務の一部とみなすべきです。
 大学教育の役割は、学生に自己教育のやり方を教えるところにあります。私は、これを効果的に教えようとするなら、まず教授陣自らが自己教育を続けていかなければならないと考えます。そして、教職者にとっての自己教育とは、研究活動にほかならないのです。
 これに対して、研究者は、必ずしも同時に教職者である必要はありません。研究活動に向く適性が、いつの場合も教育という職務に向いているとはかぎらないのです。だからといって、研究者が、他のあらゆる活動を排して、実働時間のすべてを研究に注ぎ込んだらそれで一流の仕事ができるだろうなどとは、私は思いません。そんなことをすれば、人間生活全般の流れから孤立してしまいますし、研究室や書庫では得られない実際的経験というものから、自らをぼ紹することになるでしょう。最も創造性豊かな研究者というのは、常に研究を何か他の活動と結びつけてきた人々でした。
 私自身の分野、つまり歴史研究の場合は、最も著名な歴史家たちが、仕事のかたわら教職にあったとは必ずしもいえませんが、それでも同時に政治家とか、行政官、軍人、実業家などを兼ねています。そのなかには、同時に二つの職業にたずさわった人々もいますし、また、職業生活の半ばで、自主的に、もしくは他から強いられて実際的な職務から身を退き、その後に歴史を書き始めたという人々もいます。彼らは、自分の直接的な体験に照らすことができたからこそ、優れた歴史の書物を著すことができたのです。つまり、彼らは後に自分が研究対象にしたような活動に、すでに身をもってたずさわっていたので、そこから洞察力と英知とを引き出せたというわけです。
 池田 研究者が、人間の実際生活にふれることによってこそ、生き生きとした力を得て、自分の専門分野の研究を、より豊かに進めていくことができるというご指摘は、博士ご自身が偉大な研究者であられるだけに、私も非常に興味深く伺いました。これは、専門研究というものが、人間の実生活における感情や行動から遊離することによって、研究成果がきわめて危険なものになりうるという傾向を、是正する手がかりにもなろうかと思います。
 歴史や社会科学等の研究者にとっては、現実に生きているこの社会は、そのまま研究に貴重な素材とあらわなり、インスピレーションを与えてくれる宝庫であるはずです。また、自然現象等を対象とする研究者にとっては、人間社会の事象は直接の素材にはなりえないにしても、社会は、少なくともその研究の成果がいかなる影響をもちうるかについての、人間の反応を正しくとらえうる唯一の場でありましょう。
 その意味で、非常に専門化された分野の研究者も、自分の研究課題やその結果を学生や一般市民に理解できるように伝達し、あるいは教育しうるようでなければなりません。それによって初めて、自己の研究を人間的な眼で見つめ直すことができ、研究への新しい視点を見いだすことができるでしょう。それがまた、危険への暴走を食い止めるブレーキにもなり、その軌道を正しく修正することにもなると思うのです。

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