Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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1 学問・教育のあり方  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

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2  (2) 生涯教育について
 池田 次に、具体的な話になりますが、個人の才能を開発し伸ばしていくためには、一人の教師が何十人もの青少年をみなければならない現在の学校教育のやり方では、目的を達しえないだろうと思われます。
 人間には、それぞれ能力の違いがあり、その人なりに何らかの優れた長所や資質をもっているものです。その各人の内奥にある長所や資質を、生活、実践の場でいかに引き出すかが、カギであるといえましょう。そのさい、周囲の人々として心がけるべきことは、児童に対して、家庭にあっても学校にあっても、学問ができる、できないということだけで縛りつけるようなことがあってはならない、ということです。
 人生は、学校教育で教えることだけで律せられるものではありません。学生時代の優等生が必ずしも人生の成功者とはかぎらないという事実が、これを証明していると思います。学校教育の年代にはあまり目立たなかった人が、中年期あるいは晩年になってから、優れた才能をあらわす場合も多々あります。
 また、学問それ自体が年々発達し進歩しているため、学校時代に学んだ知識が、年月が経つと、もはや時代遅れの役に立たないものになってしまっていることが、少なくありません。
 トインビー 知識が常に増大し、しかもその解釈がたえず変化している今日の世界では、フルタイム(全日制)の青少年教育だけでは十分ではありません。引き続いて、生涯にわたるパートタイム的な自己教育をしていく必要があります。今日では、年少期に学んだことだけでは、その後の人生を生きるのに、もはや十分ではありません。このことは、学生が学校教育で得た資格や大学を卒業して得た学位が、その人の一生にわたる評価とはなりえず、たんなる仮の評価とみなすべきことを意味しています。
 われわれは、成人してからも、おのおの繰り返しテストされ、再評価される必要があります。つまり、各人が人生の各時期ごとにどれだけ実績をあげたかが、そのテストとなるべきでしょう。人がまだ十六歳とか二十二歳とかの年齢で、ただ一度だけのテストで一流とか三流などと等級づけられ、それで終わりというのはばかげており、不当なことです。
 人間には、人生の晩年期に花を咲かせる晩成型の人もいますし、反対に、若いときに輝かしいスタートを切りながら、その能力が実を結ばずに終わるという人もいます。ウインストン・チャーチルは、子供のころは明らかにおくてであり、青年期には明らかに才気換発であり、中年期には明らかに失敗者であり、六十代にはまぎれもなく偉大な人物でした。
 イギリスの歴史に決定的な影響を与えたもう一人の人物は、七世紀のギリシャ人キリスト教宣教師、タルソスの聖テオドロスでした。テオドロスが、イギリスのキリスト教会改革の目的で派遣されてきたのは、チャーチルがイギリスを侵略から救うべく首相に任じられたのと、ほぼ同じ年齢のころでした。
 チャーチルと同じく、テオドロスは自分の使命を見事にやり遂げました。彼は、六十代、七十代の二十年間にわたる奮闘によって、イギリス国教会を改革したのでした。彼らとは逆に、晩年を期待はずれに終わった人々の例も、もちろんあるわけです。
 池田 実際問題、社会に出たときには、学問に示される能力は、その人の人間としての価値を決めるものではありませんね。むしろ、心の広さや、生活のうえで身につけた経験の深さなどのほうが、より大きな価値をもつことが少なくありません。また、もてる才能を発揮し尽くすには、知的労働と肉体労働とでは差はありますが、頑健な身体と、神経の機敏性ということも、必要になってくるでしょう。
 そのためには、学校教育においても、机上の学習だけではなく、社会との接点をつくって人生の経験を踏ませる方法を考えるとか、課外活動や共同生活の経験をもたせるよう、なるべく多くの機会を設けなければならないでしょう。現在求められている教育のあり方として、私は、この全体人間を志向した人間教育の必要性を強調したいと思います。
 トインビー さきにも述べたことですが、成人期に教育を続けることの利点の一つは、成人者は自分の個人的な経験を、学問的に――つまり間接的に――学ぶ事柄に関連づけることができるということです。ここでさらに付け加えたいのは、課外活動や共同生活を通じて実際的な経験を積ませることについても、青少年教育のなるべく早い時期にその機会を与えなければならない、ということです。
 このことは、イギリスでは従来の、いわゆる″パブリック・スクール″という教育制度のなかにみられます。そうしたパブリック・スクールーーといっても実際には公立ではなく私立の学校なのですが――のいくつかは、たしかに体制側の温床であるとの批判は免れません。しかし、これらの学校では、年長の生徒たちに実際に権力を行使させ、責任感を養う機会を与えています。これは大事なことです。この点、私には、イギリスのパブリック・スクールは貴重な模範を示してきたと思えるのです。私自身、そうしたパブリック・スクールの一つで教育を受けましたが、生徒会長は常に「権力は人格の試金石である」というギリシャの格言で戒められていました。
 人間の能力は多種多様であり、これら多種多様な能力はすべて社会的に価値があるものです。各個人がもつ独自の能力というものは、すべて発掘し、育成すべきです。それを可能にするには、学生たちに、実際に経験を積み、それを生かす機会を与えてやらなければなりません。また、理論と実践とが互いに補足し合い刺激し合うような、一体化した教育を、生涯続けることが必要です。
3  (3) 教育の資金源について
 池田 残念なことに、現代においては、教育は国家権力の支配下におかれ、国家が追求する目的に、教育行政が従属している実情にあります。とくに、教育の淵源ともいうべき学問研究自体が、国家権力と密接な関係におかれています。
 これは、研究が巨額の費用を要するため、国家権力の支援なくしては思うままに研究を進められないという事情にもよります。その結果、国家利益に直結する分野の研究が過分に優遇され、国家利益と結びつかない分野、あるいは国家利益に不利な意見をもつ研究者は、不当に冷遇される場合がままあります。
 こうした学問・研究の世界の実情は、そのまま教育界にも反映されています。つまり、国家利益に結びつく分野の教科が重視され、そうでないものは軽視されるわけです。また教科書の内容に不当な干渉がなされることさえあります。こうした事情のもとでは、全き人格育成という理想は踏みにじられ、歪められた人間像をつくってしまう恐れがあります。私は、この点を大いに心配するのです。
 トインビー 教育への融資、コントロール、指導などを国家に独占させるのは、好ましくないことです。国家は、権力を増大させてくれそうな研究分野に補助金を出したがるからです。国家はまた、そのようにして公的な融資や統制を受ける教育に対して、イデオロギー上の歪曲を加えようとしがちです。これは、学生たちを体制側のイデオロギーの支持者にするためです。教育が公的財源の補助を受けることには、もちろん利点もあります。たとえば、すべての少年少女たちに均等な機会が与えられることです。今日のイギリスにも、貧しい家庭の出身ながら、公的な補助金制度のおかげで最高度の教育を受けた人々が、あらゆる職業の指導層に何人もいます。
 池田 教育の機会均等という面から考えると、たしかに、教育費を全面的に個人の負担にすることはできません。したがって、国家あるいは公共自治体が、その財源から教育を援助するという方式をとることは、やむをえないことだと思います。ただし、その教育内容に干渉したり、または間接的にせよ教育に偏向をもたらすような施策は、とられてはならないと考えます。その意味で、援助の方法がどういう形で行われるかという問題が重要ですね。
 トインビー イギリスでは、第一次世界大戦以後、公共資金で運営されても政府のコントロールは受けないという、半官法人が設立されてきました。これらの法人は、自治体が管理します。その一つに大学補助金委員会があり、これが現在、イギリスの大学基金の大部分を供給し、配分しています。現在、大学基金のうち、学生の納付金や民間の寄付金が占める割合は、ほんのわずかにすぎません。
 この半官法人の意図するところは、政府が財力を使って半官法人の方針に干渉するのを差し控えさせることにあります。これまでのところは、この意図もおおむね実行されてきています。しかし、長い目でみた場合、大学補助金委員会やその他の半官法人――たとえば、重要な教育機関でもあるBBC放送――の自治性を、今後とも議会が尊重し続けるかどうかを論ずるのは、時期尚早です。
 こうしてみると、半官法人という仕組みも、まだ明らかに不確かなものであるわけです。したがって、十分に確実な恒久的基盤の上に教育を独立させることが大切です。そのためには二つの条件が必要だと私は考えます。すなわち、まず、国家や企業のコントロールを受けない恒久的な財政基金であり、次に、誰がみても高い倫理的・知的水準にあって、そのため誰からも尊敬され支持されるような教職スタッフ、教育行政スタッフです。
 このような基金には、撤回不可能な形での寄付金をあてるのがよいでしょう。つまり、贈与者は、寄付金を提供するにさいして、本人もその相続人も、基金の管理運営に口出しする権利は一切放棄するという、法的拘束力のある誓約をするのです。アメリカの民間財団にあっては、このことが研究と教育の向上を図るうえでの原則となっています。またこのやり方は、アメリカ政府が大学に土地の無償払い下げをするさいの原則でもあり、そうした無償地が州立の総合大学、単科大学の財政源の一つとなっています。
 土地は、永久基金の形態としては最良です。地価の変動は貨幣価値に反比例しており、貨幣価値は、現在のように高度のインフレが速いベースで進行しているときでなくても、下落する傾向にあるからです。私が一九〇二年にウインチェスター校で得た奨学金は、この大学の創立者が一三九五年に寄付した土地からの収入でまかなわれていました。
 私は、あらゆる国のあらゆる教育機関が、撤回不能の土地の寄贈を受けて、学生の学費を安く、教職者の給料を高く維持できるようになってほしいと思います。これによって初めて、国家や大企業によるコントロールからの自由が保障されることでしょう。
 教育機関は、あくまで完全な自治的機関でなければなりません。教育法人の規約には、教育行政スタッフや教職員だけでなく、小中学校の場合は両親、高校や大学の場合は学生を含め、それぞれの代表からなる代議制度を規定すべきです。また、教育は社会全体が重大な関わり合いをもっている社会活動ですから、一般大衆からの代表も出すべきでしょう。このような多様な参加者がそれぞれもつ権限によって、教育方針の作成とその実施が決定づけられることになれば、それこそ多くの議論が交わされることでしょう。これは、この問題に関する、最近の世界中での論争が示す通りです。
4  (4) 男女共学の得失
 池田 日本の教育は、儒教道徳の影響で、第二次大戦の終わりまでは、男女別々に行われてきました。しかし、戦後は、公立の学校では小学校から大学に至るまで、男女共学制がとられるようになりました。
 イギリスでも、男女共学については比較的歴史が浅いと聞いておりますが、博士は、男女共学の得失について、どのようにお考えになりますか。
 トインビー イギリスでは、男女共学は一八七〇年まで行われませんでした。それも原則上の理由からではなく、経済的な事情によるものでした。この年に初めて公立の初等・中等学校等の制度――つまり公共の歳費でまかなわれる学校制度――が男女共学制になったのですが、大学を含めてすべての私立学校ではまだ男女別システムのままでした。
 当時、イギリスには大学の数が少なく、イングランドに二つ、スコットランドに四つあるだけで、どの大学も学位の取得から女性を締め出していました。私の妻はケンブリッジ大学に学びました。彼女は、各期ごとの試験を受けることを許され、優等の成績を収めましたが、学位を取ることはできませんでした。
 アメリカには、もちろんずっと以前から男女共学の単科大学があって、男女学生が一緒に授業を受け、学位を取得しています。今日では、イギリスも、男女学生が自由に一緒の授業を受けるようになり、アメリカ流の男女共学の単科大学をつくる話も
 出ています。
 私は、男女別、男女共学の両制度には、ともに多くの議論の余地があると思います。現在、男女共学は十三歳から十八歳までの学生たちの間に、性の素乱というきわめて深刻な問題を生じています。一般に認められているように、若い人たちにとって、この年代はじつにむずかしい時期にあたっており、男女共学であれ、男女別であれ、この時期の教育は多くの問題にぶつかりがちなものです。近ごろは、十四、五歳の若い女の子が妊娠するようなケースがしばしばあります。これは男女共学がもたらした、必然的とまではいえないにしても、実際にみられる結果であり、彼女たちはそのためにたいへん悲しんだり、苦しんだりしています。
 私が十四歳のころは、学校はそれぞれ厳格に男女別になっていました。すでに女子大学もあり、年少の女子のための学校もありましたが、男女学生間の関係はきちんと規制されていました。お互いに顔を合わすということは、滅多になかったのです。このため、男女学生間の乱れた性関係というものはもちろんありませんでしたが、しかし、同性愛は避けられませんでした。十四歳で寄宿学校に入るまで、私は同性愛などということは聞いたこともありませんでした。ところが、入学してからはそのことがよく話題になっていましたので、私もしばしば耳にするようになったわけです。残念ながら、同性愛は寄宿学校の弊害の一つなのです。
 私には、男女共学、男女別という二つの制度の長所と短所のバランスをとることは、きわめてむずかしいことだと思われます。男女を別々にすることによって、男女共学にみられる異性間の性の乱れを解消しようとすれば、今度は同性愛という、同じく深刻な問題を抱えることになるからです。
 池田 ご指摘のように、共学にも分離にも、それぞれ問題があると思います。私なりの考えを申しますと、男性同士あるいは女性同士の同性愛を悪いことだと考えるのは、あくまでも相対的な問題だと思います。ある社会では――たとえば古代ギリシャがそうでしたが――それを認めていますし、ある社会では非難しています。それに対して、男女間の性関係においては妊娠の問題があり、生命の尊厳という問題がかかわってきます。したがって、学生間にみられる同性愛と異性間の性関係とではどちらがよくないかという選択を、もし迫られるならば、私はあえて、同性愛のほうがまだ小さな悪であるといわざるをえないでしょう。
 私自身、大学のほかに中学生、高校生のための学園を二つ創立しましたが、男子校と女子校に分けました(編注。一九八二年四月以降は男女共学になった)。男女別の学園をつくったのは、とくに共学による性の乱れを意識したからではなく、生徒たちが学業に専念できるようにという願いからでした。もちろん、私の気持ちとしては、生徒たちの間に、同性愛などの性的な問題は起こってほしくありません。しかし、そういう問題が起こることも、あるいは考えられます。それに対しては、私としては生徒の良心に任せるべきことを主張しています。
 私は、学校なり、公共の機関が個人に教えるべきことは、個人の自由な判断を尊重できるような、それぞれの人格を磨くことであり、正しい判断のための素材を与えることだと考えます。個人の判断の結果が誤っていたとすれば、それは学校がその任務を十分に果たしていない証拠であって、個人の自由に干渉することは、自らの無能と怠慢をあらわにすることにほかならないでしょう。理想主義的にすぎるかもしれませんが、私は、学校教育とは、そうあるべきだと考えています。
5  (5) 教育者と研究者
 池田 かつて博士は、実際に教壇に立つ教育者と、専門的に研究にたずさわる人とは、将来、分離することが望ましいと述べておられます。たしかに教育と研究とは、元来まったく異なるもので、しかも水準が高度になるにしたがって、教育のほうが犠牲にされる傾向が強いと思います。
 私も、博士のこのお考えには深い関心をいだくものですが、ただ、これを現実化する場合、マイナス面も考える必要があると思います。
 といいますのは、機関として、教育機関と研究機関を分離する方向はいいとして、それによって、教育者がこれまでもちあわせていた研究者としての側面を失う恐れが多分にあるということです。また、それが、教育者の教育活動に欠かせない新鮮さを損なうことになる危惧もあります。したがって、分離したとしても、教育と研究をいかに交流させるか、また、教育者の質的向上をいかに図るかが、重要な問題になってくると思います。その点について、博士はどのような制度的改革が望ましいとお考えでしょうか。
 トインビー 私の考えでは、大学レベルの教育においては、教授陣に研究活動のための時間と機会を与えるべきであり、しかもそうした研究活動を、講義をすることと同様、彼らの不可欠な義務の一部とみなすべきです。
 大学教育の役割は、学生に自己教育のやり方を教えるところにあります。私は、これを効果的に教えようとするなら、まず教授陣自らが自己教育を続けていかなければならないと考えます。そして、教職者にとっての自己教育とは、研究活動にほかならないのです。
 これに対して、研究者は、必ずしも同時に教職者である必要はありません。研究活動に向く適性が、いつの場合も教育という職務に向いているとはかぎらないのです。だからといって、研究者が、他のあらゆる活動を排して、実働時間のすべてを研究に注ぎ込んだらそれで一流の仕事ができるだろうなどとは、私は思いません。そんなことをすれば、人間生活全般の流れから孤立してしまいますし、研究室や書庫では得られない実際的経験というものから、自らをぼ紹することになるでしょう。最も創造性豊かな研究者というのは、常に研究を何か他の活動と結びつけてきた人々でした。
 私自身の分野、つまり歴史研究の場合は、最も著名な歴史家たちが、仕事のかたわら教職にあったとは必ずしもいえませんが、それでも同時に政治家とか、行政官、軍人、実業家などを兼ねています。そのなかには、同時に二つの職業にたずさわった人々もいますし、また、職業生活の半ばで、自主的に、もしくは他から強いられて実際的な職務から身を退き、その後に歴史を書き始めたという人々もいます。彼らは、自分の直接的な体験に照らすことができたからこそ、優れた歴史の書物を著すことができたのです。つまり、彼らは後に自分が研究対象にしたような活動に、すでに身をもってたずさわっていたので、そこから洞察力と英知とを引き出せたというわけです。
 池田 研究者が、人間の実際生活にふれることによってこそ、生き生きとした力を得て、自分の専門分野の研究を、より豊かに進めていくことができるというご指摘は、博士ご自身が偉大な研究者であられるだけに、私も非常に興味深く伺いました。これは、専門研究というものが、人間の実生活における感情や行動から遊離することによって、研究成果がきわめて危険なものになりうるという傾向を、是正する手がかりにもなろうかと思います。
 歴史や社会科学等の研究者にとっては、現実に生きているこの社会は、そのまま研究に貴重な素材とあらわなり、インスピレーションを与えてくれる宝庫であるはずです。また、自然現象等を対象とする研究者にとっては、人間社会の事象は直接の素材にはなりえないにしても、社会は、少なくともその研究の成果がいかなる影響をもちうるかについての、人間の反応を正しくとらえうる唯一の場でありましょう。
 その意味で、非常に専門化された分野の研究者も、自分の研究課題やその結果を学生や一般市民に理解できるように伝達し、あるいは教育しうるようでなければなりません。それによって初めて、自己の研究を人間的な眼で見つめ直すことができ、研究への新しい視点を見いだすことができるでしょう。それがまた、危険への暴走を食い止めるブレーキにもなり、その軌道を正しく修正することにもなると思うのです。

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