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日蓮大聖人・池田大作

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3 精神と肉体の関係  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
1  池田 古来、多くの哲学者や思想家が″精神″と″肉体″の関係について、さまざまな考察を重ねてきました。そして多くの学説が出されてきましたが、大別すれば唯物論の考え方と唯心論のそれになると思います。
 私は、唯物論や唯心論を説く人々の生命に対する考察が文化の発展に貢献してきた点は、正当に評価されるべきだと考えます。たとえば唯心論は、人間としての道徳心や愛を説き、人間社会を人間らしく保つために多大な貢献をしてきました。また唯物論は、近代科学の成立と発展の基盤としての役割を果たしてきています。
 しかしながら、唯物論者が、精神の機能を認めながらも物質としての肉体を本源的実在と考え、ともすれば生命そのものを物質視する傾向があることを考えると、唯物論に全面的に賛成するわけにはいきません。また、唯心論者が人間の理性や悟性、欲望等を重視している点は理解できますが、だからといって肉体的側面を軽視し、肉体につながる欲望等を蔑視してきたことは正しくないと思います。同じように、生気論者による、生命独自の秩序を生物体に認めながらも、その秩序を保つ根源として生命を超越した実在を求める思考法にも、抵抗を感じざるをえません。
 私は唯物論、唯心論はいずれも一面のみを追求しているにすぎず、精神と肉体の関係を総体的に把握するものではないと考えています。
 トインビー 唯物論も唯心論も、そのいずれか一方だけでは実在に対する満足すべき説明とはならないとのご意見に、私も賛成です。物質は精神論では理解しきれませんし、精神を物質論で理解することもできません。両者をともに包含する単一体としてみるとき、初めてそれぞれを理解することができるわけです。ところが、この精神身体相関の統一体における二つの側面は、知的に理解可能な単一個体へと還元できるものではありませんから、われわれはこの両者が不可分であることをなかなか理解できないのです。
 池田 私もそう思います。そのような精神と肉体のあり方を説明するのに、仏法では″色心不二″という生命観を展開しています。ここにいう″色″とは、物理、化学を主体とした科学的方法によって把握される、生命の物質的側面である肉体を指します。次に″心″とは、そのような物理・化学的方法によってはとらえることのできない、生命の種々の働きを指します。このなかには唯心論者が思索し、考察してきた理性や悟性といった精神活動、欲望等も当然含まれます。
 仏法では、この″色法″と″心法″とは二であってしかも二でなく、一体であるととらえています。その″色″と″心″とが一つになっている本源的生命の本質の世界を指して″一念″ともいっております。しかも、そのいずれか一方が他方より根源的であるというのでもありません。″色法″と″心法″とは、それぞれの側面で生命の能動性を発揮しながら、しかも一個の生命体として渾然一体となっているのです。
 このように、生命全体の立場から生命自体のあり方を考察したのが、仏法の″色心不二″の原理です。こうした生命観から考えれば、唯物論的思考は科学的方法論によって″色法″の世界を究明するものであり、唯心論は″心法″の世界を追求していったものであるといえます。
 トインビー われわれ現代人にできることは、知性では理解できないけれども仮説のうえで実在する統一体を、精神と肉体という一見本質的に異なる二つの構成要素に分析することくらいです。したがって、私も″色心不二″の概念は、われわれが″実在それ自体″を理解するうえで到達できる最も近似のものであると思います。
 池田 近年、精神身体医学等によって、精神と肉体の相互関係は、学問的にも一般に認められるようになりました。また、メダルト・ボス等の医学者は、心的エネルギーと肉体的エネルギーが人間生命において相互に交流し合うという考え方を示しています。このような考え方は、生命を″色心不二″と把握した仏法の思考法に合致するように思われます。
 しかし、仏法ではさらに思考を進めて、精神・肉体が渾然一体となって脈動し、能動的活動を続ける生命の本質を、宇宙生命との関連から考察していきます。私はこうした仏法の考察に立つとき、初めて精神と肉体の不二の関係をただ認識するだけでなく、生命を新たな創造の方向に能動的に生かし、有機的に発揮させることが可能であると考えます。
 トインビー 私も″色心不二″は地球上ないし他の天体に棲息するあらゆる生物種の各成員の姿に認められるものであり、また宇宙生命の流れの一部をなしていると考えます。さきにも述べましたが、生物の各個体はいずれも宇宙と同一の広がりをもち、それゆえ全宇宙そのものと同じなのです。ヒンズー教の″タット・トヴァム・アシ″(汝はそれなり)という格言は、生物個体と″究極の実在″との関係についての真理を示すものであると私は信じています。

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