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日蓮大聖人・池田大作

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1 人間の動物的側面  

「二十一世紀への対話」アーノルド・トインビー(池田大作全集第3巻)

前後
2  トインビー 人間社会の規範や風俗、習慣は互いに連携しあって、一つのネットワークを形成しています。人間生活の諸分野を律する規範には、それぞれ論理上の脈絡はないかもしれません。しかし一分野でとられる放任主義や抑制主義が他の分野にも波及しやすいという意味での心理的な脈絡は、まぎれもなく存在します。現在、性関係にみられる放任主義が、麻薬の服用や悪徳行為などの放任状態を呼んでおり、また個人的ないしは政治的目的のために暴力に訴えることも、自由放任的になってきていますが、これらは決して偶発的なことではありません。
 最近、人間生活の多くの分野で無法状態が生じている原因として、一つには過去三回の世界大戦と、同じく一九一四年以降に頻発した局地戦争において、何百万という人々が兵士にされたことがあげられます。戦争は人間生命を奪うことへの人間の正常な抑制心をあえてくつがえします。兵士にとっては、同じ人間同胞を殺すことが――一般市民として犯せば罪に問われるべき殺人が――罪どころか義務になっています。人間の主要な倫理規範がこのように恣意的に、非倫理的な方向へとくつがえされてしまうのは、それ自体すでに乱脈を示すものであり、道義に反することです。しかも従軍中の兵士たちは、かつて慣れ親しんできた社会的環境からまったく引き離され、したがってそれまでの社会的制約からも解放されています。すでに殺人を命じられている以上、彼らが強姦、略奪、麻薬服用などへの通念的な抑制心にもはや縛られなくなったとしても、そこには何の不思議もないわけです。ベトナムにおけるアメリカ軍兵士の道徳的頑廃も、じつはどこの戦場の兵士にも常に起こることが端的にあらわれたケースなのです。
 池田 まったく、戦争がもたらす倫理観の恐ろしいほどの低下は、いつの時代でも同じですね。
 トインビー 戦争は悪です。ただし、科学的精神は悪ではありません。ところが知らずしらずのうちに、しかも間接的にですが、この科学的精神は現代の無法化を、とくに性関係において助長してきたと私は思っています。科学が倫理上もつメリットは、真理の発見とその直視に寄与することです。科学はあらゆる伝統的な信念、しきたり、風習に挑みます。
 性行為に関する伝統的なしきたりは、どこの社会でも程度の差こそあれすべて抑制的なものでした。私は、これは倫理上正しいことだと考えます。しかしながら、規制というものは、厳しければ厳しいほど、それを破ることが頻繁となり、悪質なものとなり、その違反を慎重に隠そうとする行為も、ますます偽善味を帯びてくるものです。現代の子供たちは、正規の学校教育を通じてだけでなく時代精神を通じても、真理への科学的情熱と、まやかしに対する科学的侮蔑心をもつよう教えられています。その結果、今日ではクレディビリティ・ギャップという形で、親や政府の威信が、したがってまた権威が失墜しています。現代っ子たちは、性関係についてもその他のことについても、親たちの言行は一致していないと頭から疑っているわけです。
 このことがもし性行為に関する伝統的しきたりヘの現代の反抗の一因であれば――私はそうだと信じていますが――若者たちは、その性の行動を規制しそうにはありません。公的機関が抑圧的な措置を加えても、あるいは性的禁欲主義への自主的な運動が起こっても、彼らをその気にさせることはできないでしょう。
 池田 現代の若者たちに見られるそうした性の放縦の傾向は、物質主義的な文明の圧力に押されて、彼らの生命自体が衰弱化しているところにその真因があるのではないかと私は見ています。弱りきった生命から、どうしてみずみずしい愛の精神が生まれるでしょうか。
 かねて博士は「愛の働きに、現代の状況を乗り越える方向がある」と主張しておられます。私はそのご見解にはもちろんうなずけるのですが、さらにその愛自体を生み出し、支える、もう一歩深いところに基点をおかなければ、真に現実的な力とはなりえないのではないかと感じます。
 性に人間的道義性を回復させる道としては、まず若者たちの精神を抑圧している物質主義的な力を除いてやることが先決でしょう。それと同時に、愛を支え、愛を生み出す根源の生命自体を開発し、躍動させ、強めていくことが必要です。私は、それを可能にするものが何であるかが問われるべきだと考えます。
 トインビー 性の放縦を正すものとして期待できるのは、積極的な方法だけでしょう。性の放縦は、人類の未来に対する信念と希望の喪失を示すものです。それを癒すものとしては、まぎれもなく若い世代に生気を吹き込む――といって空想的なものではない――何らかの目的を与えてやることです。
 性の行為を律するどんな規範体系も、たしかに神聖不可侵のものではありません。といって、もし人間の性関係が何らかの規範体系によって律せられていなければ、人間の生活は獣的なものになってしまいます。
 この規範体系とは、人間が他の動物と共通にもつ生理機能のうちでも最も厄介な性というこの機能に、人間の尊厳を与えるものでなければならず、またそのことがはっきりと認められるものでなければなりません。

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