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日蓮大聖人・池田大作

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観世音菩薩普門品(第二十五章) 「広宣…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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16  日蓮仏法は「誓願の仏法」
 池田 そういう「哲学なき非文化国家」日本を、心豊かなヒューマニズムの国に変えていくのが、広宣流布の運動です。
 ともあれ、日蓮仏法であっても「広宣流布」への戦いを忘れれば、これまでの利己主義の宗教と同じになってしまう。
 須田 宗門がその典型です。
 池田 広宣流布への不惜身命の「行動」があってこそ、わが小宇宙の生命が大宇宙と冥合し、祈りも叶うのです。と大聖人は「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」と仰せだ。ならば、自分が法華経の「実践者」であるかどうかだけが問題になる。
 日蓮仏法は「誓願の仏法」です。自分が自分の立場で、御本尊に「私は、これだけ広宣流布を進めます! 断じて勝利します!」と誓願することです。その「誓願の祈り」が出発点です。
 観音品には、観世音菩薩の由来について述べたなかに「弘誓の深きこと海の如し」(法華経六三四ページ)とある。(広宣流布しようという誓いは海のように深い)
 その結果、観音は「福聚の海無量なり」(法華経六三八ページ)という大境涯を得たのです。(無量のの福が聚まった海のごとき境涯)
 日蓮大聖人は、この経文について「依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」と言われている。依正──周囲の境涯も自分自身も、無量の「福徳」と「智慧」にあふれてくるのだと。
 人間には「智者タイプ」の人と、「福者タイプ」の人がいる。それはそれで個性なのだが、智慧があっても福運がなければ、努力は実らず、幸福な人生は創れない。
 福運があっても、智慧がなければ、多くの人に信頼されることはむずかしいし、多くの人々を救っていくこともできない。両方、兼ね備えた人生が最高です。
 広宣流布という人間性の真髄の軌道を生ききるときに、そういう「無上道の人生」になっていくのです。ゆえに一歩も退かず、押して押して押しきっていくことだ。遠慮してはならない。
 全幹部が一兵卒になって、コマネズミのように動いて動いて、獅子王のごとく語って語って、魂魄をとどめた広布勝利の歴史をつくっていくことだ。その分だけ、自分自身の三世永遠の旅路が黄金に輝いていくのです。

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