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日蓮大聖人・池田大作

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妙音菩薩品(第二十四章) 社会に「希望…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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9  文化交流は「見えない橋」
 須田 妙音菩薩の三十四身のことを釈尊が教えると、聞いていた人々も「現一切色身三昧」を得ます。そして妙音菩薩は、仏にあいさつをして、本国へ帰ります。
 帰りもまた、通り路を震動させ、宝の蓮華を雨と降らし、百千万億の種々の伎楽を奏でていきます。
 池田 こうして妙音菩薩品は終わる。大宇宙を「音楽」で満たして往復した物語です。宇宙に架かった「音楽の橋」です。これによって、霊鷲山の人々の境涯も、大字宙へと開かれていった。
 妙音菩薩とともに来た八万四千の菩薩たちも、大境涯(現一切色身三昧)を得た。有限の身が、無限へと開かれていく。そのための信仰です。宇宙に包まれている自分が、宇宙を包み返していく。それが妙音の勤行・唱題です。
 宇宙と自分との間に「見えない橋」を架けるのです。それが「妙音」の力用であり、広く言えば「芸術」の力ではないだろうか。その「生命の橋」は、今度は、人と人との間も結ぶのです。
 遠藤 ロシアのペトロシャン博士が言われていました。
 「国と国、民族と民族をつなぐ『見えない橋』──それが文化交流です。他の(=政治・経済などの)橋は、戦争でもあれば、いっペんに崩れます。しかし『見えない橋』があるからこそ、また交流が生まれる。その『見えない橋』の設計者こそ池田先生です」(「聖教新聞」一九九八年十一月十日付)と。
 斉藤 私も、その言葉を感動して聞いていました。人を引き裂く「分断」の悪の力を超えて、「結合」という文化の力が必要です。
 クチャーノフ博士は「世界は『善なる力』を必要としています。SGIの皆さまの力で『善の勝利』を、もたらしてください!」と語っておられました。
 池田 国連の発表によれば、二〇〇一年は「文明の対話の年」と決まったようだ。文明間の対話を進めてきた学会の行き方こそが、二十一世紀を先取りしているのです。
 天台大師は、妙音菩薩のことを「妙なる音声をもって、あまねく十方に吼え、此の教を弘宣す。故に妙音と名く」(『法華文句』)と説いている。
 「正法華経」(竺法護訳)では、「妙音」は「妙吼」と訳されているようだ。吼えたのです。師子吼したのです。
 戸田先生は、亡くなられる寸前まで、「戦おうじゃないか!」というお姿であった。命をふりしぼっての先生の一言であり、お姿でした。
 今、私も、あらゆる思いを一言にこめて、「戦おうじゃないか!」と叫びたい。
 「迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(御書一三〇〇ページ)です。この″勢い″が法華経です。
 楽しくやるのです。悠々と舞を舞いながら、進むのです。
 胸を張って、「さあ、戦おうじゃないか!」と。

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