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日蓮大聖人・池田大作

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妙音菩薩品(第二十四章) 社会に「希望…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  「妙音」とは、妙法根本の大文化運動
 池田 「シルクロードの法華経」を見た。
 経文が喜んでいた。光っていた。笑っていた。幸せそうだった。
 今から千二、三百年前の「サンスクリット語の法華経」です。
 斉藤 ペトロフスキー(ロシアのカシュガル総領事)がもたらした「ホータン出土の写本」(七〜八世紀)ですね。
 遠藤 「法華経とシルクロード」展には私も感動しました。
 (=同展は「ロシア科学アカデミー東洋学術研究所〈サンクトペテルブルグ〉」所蔵の貴重な写本・木版本など四十七県を世界初公開したもので、名誉会長が創立した東洋学術研究所が共催。東京・戸田記念国際会館で、一九九八年十一月九日から三十日まで公開され、名誉会長は開催に先立って、十一月八日に会場を訪れた)
 池田 マルガリータ・ヴォロビヨヴァ博士(ロシア科学アカデミー東洋学術研究所写本室主事)が、「この写本はホータンで書写されたもので、親戚を弔うために、ある人物が依頼したのです。奥付に、その人の名前も残っています」と語っておられた。人の″後生善処″を祈る″心″がこもった写本です。
 文字は文字であって、それ以上のものです。
 ″魂″です。″心″がこもっている。日蓮大聖人は「文字は是一切衆生の心法の顕れたるすがたなり」と仰せだ。
 須田 文字という″色法″に、目に見えない″心法″が顕れている。それを、どこまで、くみとれるか──。
 池田 いわんや「法華経の文字」です。大宇宙の根源で「渦」を巻き、「波」をうっている大生命力のリズムを写しとった表現です。
 このことを私が言うと、マルガリータさん(ヴォロビヨヴア博士)は「私たちも、写本と触れ合って、生命力をもらうことができます」と言われていた。
 斉藤 「写本が喜んでいるのは、池田先生の大いなる人格に包まれて、安心したのでしよう」とも言われていましたね。
2  明るいから″民衆の心″をつかんだ
 池田 四十年以上も、こつこつと古文書を、なかんずく法華経を研究してこられた大学者です。ご主人は二十八歳の若さで亡くなった。幼い一人息子を遺して──。
 ご主人は、将来を嘱望されていた言語学者でした。最愛の人を亡くしたマルガリータさんは、以来、子どもを育てながら、研究ひと筋に生きてこられた。お子さんは立派に育って、化学の博士になられたという。「冬は必ず春となる」という御聖訓を思い起こさせる人生です。
 「法華経とシルクロード展」でお会いして、ますますお元気そうで、うれしかった。「法華経には『不老不死』と説かれています。年を重ねても、いよいよ若くなつていくのが法華経の人生です」。そう言うと、にっこり笑つて「仏の力によって、私たち皆が不老不死をわかるようになりたいですね」と言われた。
 私は答えました。
 「それが本当の世界平和です。法華経こそ″人類の大いなる平和の波″です」。
 チェリストのパブロ・カザルスは言った。
 「仕事と価値あることにたいする興味は、不老長寿のいちばんの薬だ。毎日私は新しく生まれる。毎日私はゼロから始める」(ジュリアン・ロイド・ウェッパー編『鳥の歌』池田香代子訳、筑摩書房)
 同時期に、来日されたペトロシャン博士(ロシア科学アカデミー.サンクトペテルブルク学術センター副総裁)も、クチャーノフ博士(同アカデミー東洋学研究所所長)も、マルガリータさんと三人で一緒に、四十年間、いな五十年近く、ひたすら文化のために生きてこられた。名声も、富も求めず。言うに言われぬ苦しみを乗り越えて──。
 なんとと尊い人生か。ともかく、すごい展示会を実現してくださつた。
 遠藤 海外初公開。ロシアでも、これほどい一挙には見られない″文化の宝″です。
 斉藤 訪れた専門家も感激していましたね。これまで写真でしか見られなかった″本物″が目の前にある。
 モントリオール大学のルブラン博士(東アジア研究所前所長)は、言われていました。
 「ここまで多くの翻訳された法華経を見るのは初めてです。大変に感銘しました。一つの経典がここまで多くの言語に訳されている事実は、仏教が数多くの民族、民衆に訴えかける力があることを物語っています」(「聖教新聞」一九九八年十一月十日付)と。
 池田 たしか、法華経は東方の七つの言語に翻訳されたものが知られている。そのうち五言語の写本が展示されていたね。
 須田 はい。サンスクリット語、古ウイグル語、西夏語、ホータン・サカ語、中国語(漢訳)の五つです。
 遠藤 クチヤーノフ博士は西夏語文献の専門家ですが「西夏語が(十一世紀に)できて、最初に翻訳された仏典が法華経です」と言われていました。
 池田 それだけ、法華経は「民衆の心」をつかんでいた。その理由は、もちろん、さまざまに論じられるだろうが、簡単に言うと、法華経が「明るい」経典だからではないだろうか。
 どんな人にも、分けへだてなく「希望」を与える経典です。″太陽″の温かさ、明るさがある。そして、もうひとつ、表現が「美しい」。芸術的です。″蓮華″が花開き、香りゆく美しさがある。心を奪う楽しさがある。
 明るいところ、楽しいところに、人は集うものです。
3  妙音菩薩は″地球より大きい″
 斉藤 たしかに法華経は、心に映像が浮かび、音楽が聞こえるような芸術性があります。
 池田 「妙音菩薩品」(第二十四章)のテーマも、その代表だね。
 法華経全体に「妙音」は鳴り響いている。心をかき立てる音楽が鳴っている。
 「音楽」は「音を楽しむ」と書く。「楽しい」天の曲が流れている。音楽だけでなく、映像があり、照明があり、色彩があり、香りもある。大地が震動し、天から花も降る。スペクタクル(壮大なショー)でもあり、人間ドラマでもあり、スペース・オペラ(宇宙を舞台にした活劇)のようでもある。
 哲学がある。体験談がある。悪人との戦いもあれば、民衆の行進もある。踊りもある。芸術家ならずとも、大いなる創造力を刺激されるでしょう。
 法華経そのものが「美の価値」を体現しているのです。その「美」の根源は何か。ありとあらゆる優れた「文化」のふるさとは何か。それは人間生命の躍動です。
 つらくとも、苦しくとも、「何くそ!」と耐えて耐えて、最後には勝利する──「冬は必ず春となる」という宇宙本然のリズムを、生命力を、くみ上げ、わき立たせていく戦いです。
 あらゆる一流の芸術の底には、この「生への希望」が脈打っているのではないだろうか。たとえ表面的には、苦しみが描かれていようとも。
 「希望」という大生命力に、「妙音菩薩品」の核心もあると私は思う。
 斉藤 そういえば、妙音菩薩は、とてつもない巨大さで描かれています。前から不思議だったのですが、これも「宇宙の根源の大生命力」を全身にあふれさせているという表現かもしれません。
 遠藤 身長は「四万二千由旬」とあります。(梵本では四百二十万由旬とある)
 虚空会の宝塔が「高さ五百由旬」ですから、あの巨大な宝塔の八十四倍もあることになります。
 須田 一由旬は「帝王が一日に行軍する距離」です。諸説ありますが、少なめに見て、約七・三キロという計算があります。
 そうすると宝塔は、地球の直径(約一万三千キロ)の四分の一以上という巨大さ(三千六百五十キロ)になります。
 斉藤 その八十四倍ですから(笑い)。
 遠藤 ええっと……地球の二十四倍ぐらいの大きさになりますね。(梵本の説だと、地球の二千四百倍、太陽の二十二倍ほどになる)
 須田 そんな菩薩が、地球にやってきたのですから大変です(笑い)。
 池田 そう。別名「妙音菩薩来往品」ともいうように、これは「妙音菩薩が娑婆世界にやってきて、また帰った」物語です。
 妙音菩薩は大きさだけでなく、「顔も端正で、百千万の月を合わせたよりも美しい」と説かれている。
 体は金色に輝き、「無量百千の功徳」と「威徳」があふれている。そして娑婆世界にやつてくる時、通り路の国は震動し、「七宝の蓮華」を雨と降らし、「百千の天樂(天の音楽)」が鳴り響きます。
 遠藤 華やかなパレードのようですね。
 池田 華麗なる「光と音の菩薩です。この壮麗な姿を娑婆世界の人々に「見せる」こと自体が、妙音がやってくる目的の一つなのです。
 斉藤 先ほど、法華経の経文は「大字宙の根源で『渦』を巻き、『波』をうっている大生命力のリズムを写しとった」ものと言われましたが、妙音はまさに、この「大生命力のリズム」を象徴しているように思います。
 池田 宇宙全体が「妙音」を奏でているのです。
 大宇宙そのものが「生命の交響曲」であり、森羅万象が歌う「合唱曲」であり、セレナーデ(小夜曲)であり、ノクターン(夜想曲)であり、バラード(物語風の歌謡)であり、オペラであり、組曲であり、ありとあらゆる「妙音」を奏で、「名曲」を奏でている。その根源が「妙法」です。「南無妙法蓮華経」です。
 だから本当は、勤行も、朝は胸中に太陽が昇る「目覚めの歌」であり、夜は胸中を月光で照らす「夜想曲」であり「月光の曲」なのです。
 経文を読むのは「詩」を朗読していることに通じるし、唱題は最高の「名曲」とも言える。最高に文化的な行動なのです。
4  文化は「境涯」の表現
 須田 なぜ妙音菩薩が、娑婆世界にやってきたのか。あらましを見てみます。
 釈尊が眉間から光を放って、東方を照らします。すると無限の仏国土の一つに「浄光荘厳」という世界があり、その国に「浄華宿王智如来」という仏がいます。この国に「妙音菩薩」は住んでいるわけです。
 斉藤 無量の諸仏に「親近」し、供養して、「法華三昧」をはじめ、もろもろの大三昧の境涯を得たとされています。
 池田 仏に「親しみ、近づく」ことが大事です。私たちでいえば、たゆまず御本尊を拝することです。また別の次元から言えば、広宣流布を行じている「学会員」に親しみ、近づくことです。そうすることによって、自分自身が生命力を増し、境涯を広げていけるのです。学会員に会っていくことです。
 遠藤 三昧というのは「心を統一した境涯」のことですね。「解一切衆生語言三昧(一切衆生の語る言葉がわかる三昧」とか「慧炬三昧(智慧の松明を燃やす三昧)」とか、さまざまに説かれています。
 池田 あふれ出る「智慧」の境涯であり、「胸中の平和」の境涯です。何が起ころうとも揺るがない大磐石の境涯です。その「胸中の平和」から、人の心を揺さぶる「魂の名曲」が、ほとばしり出てくる。
 平和といっても、何もしない安逸から生まれるのではない。反対です。コマが全速力で動いているから静止して見えるように、フル回転で修行する真剣さが、悠々たる大境涯を支えているのです。
 須田 釈尊の光が妙音菩薩を照らすと、妙音は浄華宿王智如来に申し出ます。「娑婆世界に行って、釈尊を礼拝し、親近し、供養し、さまざまな菩薩がたにも、お目にかかりたい」と。
 如来は答えます。「それはいいが、娑婆世界を軽んじてはいけないよ。そこは高低があって平らかでなく、泥や石や山が多く、よごれている。仏の身も、菩薩の身も小さいし、見劣りがする」。
 遠藤 たしかに、あの巨大さに比べたら、比較になりません(笑い)。
 斉藤 かの国の如来は、妙音菩薩よりも、もっと大きいとされていますからね。
 池田 それでも「娑婆世界の仏と菩薩を尊敬しなさい!」と。
 「一番大変なところで法を説き、法を弘めている方々を絶対に軽んじてはならない! 見かけで判断してはならない! 最高に尊敬していきなさい!」──大事な教えです。
 一番大変な国土で、泥まみれになって戦っている人が、一番尊いのです。自分が仏の力で功徳を受け、人に尊敬される身になったからといって、そういう″戦いの現場″を下に見たり、離れては大変な増上慢です。
 須田 妙音菩薩は「如来のカ」によって、少しも動くことなく、遠く離れた霊鷲山に美しい「蓮華」を八万四千本、出現させます。
 遠藤 神通力ですね。今でいうと「衛星中継」に似ています(笑い)。
 須田 その蓮華は「黄金の茎」をもち、「銀の葉」をもち、おしべはダイヤモンド、「台(花托)」もルビーのような赤い宝石です。
 遠藤 釈尊が説法している場所のそばに、それらが現れました。
 池田 ″精神の宝石″です。生命の″福徳の宝石″であり、″智慧の宝石″だ。これこそが三世永遠の宝石です。
 斉藤 はい。どんなにダイヤを集めても死後まで持っていくことはできません。
 須田 霊鷲山の人びとは驚き、蓮華が出現したわけを文殊菩薩が代表して釈尊に聞きます。
 釈尊が「この蓮華は妙音菩薩がやってくる瑞相である」と教えると、文殊菩薩が妙音に会いたがります。
 斉藤 会って、学びたいという求道心です。
 須田 そこで多宝如来の″来たれ″という合図で、妙音八万四千の菩薩とともに、「七宝の台」に乗って、やってくるのです。
 遠藤 光り輝く宇宙船のイメージですね。
 須田 やってくる時の絢爛たる姿は、先に見た通りです。
 池田 だれもが息を飲んだでしよう。そういう壮麗な姿と音楽で、妙音は「法華経の功徳は、こんなにもすばらしいのですよ」と皆に示しているのです。
 自分が獲得した「見えない境涯」を、だれにでも分かるように「目に見え」「耳で聞こえる」ように表現しているのです。表現です。表現がなければ、わからない。恋愛だって、黙っていたんじゃ、わからない(笑い)
 信心で得た「境涯」やなんらかの「表現」によって、初めて人々のもとに光は届く。「文化」は、その代表です。妙音菩薩は、「文化活動」の代表です。
 ″仏法を基調とした平和・文化・教育運動″というSGI(創価学会インタナショナル)の壮大な行進が、妙音菩薩の行進に象徴されていると言えるかもしれない。「天の曲」を燦爛と振りまきながらの行進です。
 斉藤 学会の「妙音菩薩」というと、鼓笛隊・音楽隊をはじめ、幅広い音楽活動を思い出します。民音の活動もそうですね。
 池田 法華経の原理の通りに進んでいるのです。
 宗教は大地です。大地だけで、花も木もなかったら、不毛です。反対に大地がなければ、根無し草の文化になってしまう。
 また身体でいえば、宗教は骨です。文化は肉であり、皮膚であり、装いです。両方あいまって、「美」の価値が生れる。
5  「世界一の鼓笛隊にしよう」
 遠藤 鼓笛隊ひとつとっても、池田先生が始められたんですね。鼓笛隊の歴史を学んで、本当に先生の″手づくり″だったんだと、よく分りました。
 発足は、昭和三十一年(一九五六年)の七月二十二日です。わずか三十三人の乙女によるスタートでした。若き池田先生が、自力で工面されて、楽器をプレゼント。
 初代の音楽隊長が奔走して、集まった楽器は、ファイフ(横笛)四十本、ドラム十個でした。ドラムは米軍の払い下げで、派手な赤と青の線が入っていたといいます。
 すぐに練習を開始したものの、ドラムスティックの握り方もわからず、ファイフも手にしたこともない人たちばかり。五分も吹き続けていると、頭がフラフラして、「一人の例外もなく目まいがしてくる」ありさま。しかし、池田先生は「世界一の鼓笛隊にしよう」と、機会あるごとに激励されました。
 初出場の日。昭和三十一年九月三日の女子部幹部会(中野公会堂)。毎日練習を重ねていましたが、当日になっても、「息の音しか出ない」人が半分近くいました。どうにか音の出る人が前に並び(笑い)、音の出ない人は後ろに並んだ。
 曲目は、「憂国の華」「日の丸」「荒城の月」。
 初舞台のため、足はガクガク。指は思うように動かず、かすかな音しか出ない。ドラムは、舞台の床にぺたんと置き、立てひざで打った──。
 この妙な光景に、会場から、クスクスと笑い声が起きました。しかし、隊員の真剣な姿に、いつしか皆、目に涙を浮かべて聴き入っていた。曲が終わりに近づいた時には、演奏者と聴衆が一体となった、と。
 その二十日後、第三回「若人の祭典」に出場。正面スタンド左側に、むしろを敷いて演奏。戸田先生が近くに来て、「鳴るかね?」と優しく声をかけた。全員、喜びにはずんで、戸田先生を囲んだそうです。
 服装はクリーム色のブラウスと黒のスカート、黒リボン。靴は、練習中に履いていた運動靴に、白いチョークや歯磨き粉を塗って出場しました。これが最高の晴れ姿でした。「白のソックスをはくなど、思いもよらなかった」と聞きました。
 すると大会終了後、池田先生から全員に、真っ白なソックスがプレゼントされたのです。皆、うれしくて、涙があふれてしかたがなかった──そう、うかがいました。
 池田 懐かしいね。今、文字通り「世界一の鼓笛隊」になった。「平和の天使」は各地に、そして全世界にいて、乱舞しています。
 演奏を聞いた人が、なんと「明るく」「美しい」のかと感激している。人を歓喜させているのだから「菩薩」です。友好の心を広げている。平和の波を広げている。
 音楽には国境は無い。ダイレクトに「心から心へ」飛び込んでいく。一本の笛(ファイフ)に、一個の鼓(ドラム)に、宇宙の本流のリズムを宿らせて、人類の胸の奥底の「平和への願い」の糸をかき鳴らしているのです。
 斉藤 心ですね。「心から心へ」──。
 池田 ベートーヴェンが好きだった言葉です。「心から来る! 願わくはふたたび心に帰れ!」(ロマン・ロラン『ベートーヴェンの生涯』片山俊彦訳、岩波文庫の原注から)。たしか、荘厳ミサ曲の「キリエ」の楽譜に、彼みずから書き入れた言葉です。その「心」を耕すのが文化であり、根本的には宗教なのです。
 須田 鼓笛隊の「心」に感動した一人に、ジャズ界最高峰と言われたアート・ブレイキー氏がいます。
 昭和四十年(一九六五年)一月十八日、氏の演奏会が行なわれました。二時間の熱演の後、幕が下りた後も、興奮冷めやらず、聴衆は席を立とうとしません。その時、聴衆の中から、数人の少女たちがドラムをかかえて舞台裏へ突進していきました。
 たどたどしい英語で、自分たちが鼓笛隊メンバーであることを話しました。「ぜひ教えてほしい」。あまりの熱心さに、氏はその場で直ちに教え始めました。
 池田 まあ、非常識きわまるが……(笑い)。
 須田 氏も驚いたでしょうが(笑い)、少女たちの真剣さに打たれてか、氏のほうから、日を改めて教えることを約束してくれたのです。
 一月二十六日、アート・ブレイキー氏を迎えて、音楽隊・鼓笛隊の有志が集い、リズムの基礎打ちのレッスンが行われました。鼓笛隊員の一生懸命な姿に、彼も背広を脱ぎ捨て、すぐスティックを取って、全魂こめてたたき出しました。
 「形式や、形で打つのではない。ハートで打つのだ!」。こう言いながら、エネルギッシュに、たたき続けた。全身から噴き出る汗をぬぐおうともせず、巨体でリズムをとり、「シャシャーン!」と、シンバルを打つ。すさまじい迫力。
 教える側と教わる側が一体になった練習が約一時間続きました。約束の時間を過ぎても、彼はやめようとしない。
 最後に、汗と涙でくしゃくしゃの顔で「私は、日本の本当の姿を見た。日本は私のふるさとだ」と語り、舞台のそでに駆け込んで、マネジャーと抱き合い、号泣していたといいます。こうした″一流″と触れるなかで、多くの人材を輩出していったのですね。
6  勇気の声──それが「妙音」
 池田 「一流」に触れなければ「一流」にはなれない。
 低いものから段々、高いものへというのではなく、芸術とか哲学・宗教は、また人生は、「超一流」に、いきなり触れることです。そうすれば、二流・三流は、すぐに見抜ける。低いものばかりに触れていると、本当に良いものが分からなくなってしまう。
 ともかく鼓笛隊も音楽隊も、合唱団も、よく成長した。何より、うれしいのは、「妙音」の訓練の中から、立派に自分自身を人間革命した人材が育ってきたことです。
 ″芸術は立派だが、人生は失敗だった″そういう芸術家も多い。そういう悲劇を美化する人もいる。しかし、「芸術」といっても、その当体である「人間自身」が堕落し、敗北してしまっては、芸術の本当の光もないと私は思う。
 「妙音」の意味には諸説あるが、その一つに「どもる人」とあったでしょう。
 斉藤 はい。「妙音」は、サンスクリット語では「ガドガダ・スヴァラ」です。
 一つには「吃音」の意味とされています。″聞きづらい″声の人ということになります。
 池田 それがどうして「妙音」の人となったのか。経文にないから、想像するしかないが、そこには一個の「人間革命のドラマ」があったのではないだろうか。
 妙音菩薩がやってきた時、あまりの素晴らしさに、「一体、どんな善根を植えて、こうなったのですか」と華徳菩薩が聞いた。
 遠藤 はい。そこで釈尊が妙音の過去世を明かします。
 ──昔、雲雷音王仏の時に、仏に十万種の伎楽(舞踊と音楽)、そして八万四千もの七宝の鉢を供養した。その功徳で、妙音菩薩として生まれ、さまざまな神通力や福徳を具えることができた、と。
 池田 日蓮大聖人は、この「八万四千」とは「八万四千の塵労」だと仰せです。(「御義口伝」、御書七七五ページ)
 ありとあらゆる苦労のことです。人生は、無数の塵のように、きりのない苦労の連続です。その苦労が、南無妙法蓮華経と唱える時に、全部「八万四千の法門」となる、と。
 苦労した分だけ、全部、教訓となり、智慧となり、指導力と変わるのです。
 文底から見るならば、妙音菩薩も、苦しみと戦い、戦い、また戦って、題目をあげ、人間革命したのです。それが「八万四千の七宝の鉢」を仏に供養したことに通じる。私たちも同じだ。つらいことがあっても、負けないで、題目を唱えながら前へ前へ進むのです。広宣流布に生き抜けば、必ず、最高に「よい人生の流れ」に入っていける。「幸福の川」「宝の川」の流れに入っていく。
 凡夫の目には見えないが、宇宙には「道」があり、「生命の流れ」があるのです。そのなかでも妙法の黄金の流れに入っていけるのです。
 「広宣流布」という最高の「流れ」に入っていくことです。自分も一家も一族も、皆、厳然と幸福の流れに入っていけるのです。
 妙音菩薩も、苦しい宿命と戦いながら、最後に「勝利の歌」を歌ったのではないだろうか。悩みと戦いながら、周囲の人々には、温かな励ましの声を送り、勇気の調べを奏でていった──。
 そんな姿が、心に映じてきてならない。
 友を励ます「真心の声」。それが「妙音」です。人の心を揺さぶる「確信の言葉」。それが「妙音」です。悪を破折する「正義の叫び」。それが「妙音」なのです。
7  アショーカ大王の「文化祭」
 須田 妙音菩薩は「伎楽の供養」をしたとありますが、これは大乗仏教の特徴です。
 小乗の出家教団では、音楽や舞踊を修行の邪魔として禁じていたようです。自分がするのはもちろん、見物も禁止していました。
 遠藤 しかし、大乗になると、反対です。
 池田 法華経の法師品(第十章)でも、法華経に対して伎楽等をもって供養しなさいと説かれていたね。また、インドのアショーカ大王も「伎楽供養」を行なっていたという。
 (紀元前三世紀のマウリヤ朝第三代の王。仏教を厚く信奉し、福祉・平和の施政を行なった。悪侶を追放したり、動物を生贄にすることを禁じたりもした)
 斉藤 ストゥーパ(仏塔)の周りで行なった祭りが、そうですね。
 池田 有名だ。仏塔を囲むようにして、歌手が歌い、さまざまな楽器が演奏された。
 演劇あり、舞踏会あり。詩の朗読もある。いろいろな商人も「いらっしゃい、いらっしゃい」と声をかける。
 遠藤 楽しそうですね(笑い)。
 池田 軽業師に見とれる子どもがいる。手品や奇術に、やんやの喝宋。
 ボクシングや、相撲の試合がある。動物や鳥たちを闘わせている男たちもいる。
 目にも鮮やかな衣装で踊り続ける乙女たちもいる。それに、ぼうっと見とれている若者もいる(笑い)。松明や、パレードがある。
 斉藤 絢爛たる「文化祭」「音楽祭」ですね!
 池田 これが、「法(ダルマ)」をたたえ、供養するための「伎楽供養」です。楽しい供養です。
 ″法に生きる喜び″を全身で表したとき、歌がこぼれ、体が動き出した。その″平和の波″が広がっていった。「アショーカの文化祭」は、私たちの大文化運動の先駆と言えるでしょう。
 遠藤 「明るい」ですね。
 池田 明るいし、美しい。平和です。
 平和と文化は表裏一体だ。平和がなければ文化はない。文化が興れば、平和は広がる。刹那的、享楽的な文化ではなく、尊き人間性を開放する文化です。人間の善性を信じ、永遠なるものに向かって高め合っていく。そういう香り高い文化です。
 歌手のサイフェルト女史(ヨーロッパ青年文化協会会長、元オーストリア文部次官)は言われた。「芸術は私たちの中にある『聖なるもの』の表現なのです」と。
 斉藤 じつは、法華経を今の形にまとめる際に、アショーカ大王の伎楽供養の史実が念頭にあって、妙音品などの流通分ができた──という説もあります。これが事実かどうかはともかく、法華経と音楽は切り離せません。
 池田 そう言えば、鳩摩羅什(法華経の漢訳者)のふるさとも、有名な「音楽の国」だったね。
 遠藤 いにしえの「亀茲きじ国」、今のクチヤですね。(中国・新疆しんきょう(シンシャン)ウイグル自治区にある。天山山脈の南麓に開けた高原の街)
 池田 漢の時代には、人口八万を超える「西域第一の王国」だった。とくに「歌舞音曲」「管弦伎楽」に優れ、「亀茲楽」と呼ばれて、大変な人気だったようだ。
 唐の都・長安でも、人々は争って、エキゾチックな、その調べに聞きほれた。
 正倉院の有名な「五弦の琵琶」の源流も、「亀茲琵琶」であったという。雅楽にも影響は大きかった。この「音楽の王国」は同時に「仏教の王国」だった。あの玄奘三蔵もこの地を訪れて、仏教の盛んな様子に驚いている。
 須田 『西遊記』の″三蔵法師″のモデルになった大旅行者ですね。
 斉藤 この地から、法華経の最大の名訳者・鳩摩羅什が出たのは不思議ですね。
 池田 羅什も、音感に優れた人だったかもしれない。そうでなければ、あの名文のリズムは生まれなかったでしょう。法華経には、出てくる楽器も多いね。
 遠藤 はい。まず管楽器に入るものとしては、「角」は角笛です。「ばい」「」はホラ貝です。「しょう」は縦笛の一種で、音量は小さく、音色は穏やか。「笛」は横笛で、音色は柔らかといいます。
 池田 弦楽器は?「琵琶」は有名だね。
 遠藤 はい。そのほか「琴」はのない琴で、指や、爪をはめて弾きました。「しつ」は糸が多い大型の琴です。
 斉藤 今でも「琴瑟きんしつ相和す」(夫婦仲がよいこと)などと言いますね。
 遠藤 「箜篌くご」はハープの一種です。
 須田 あと、打楽器としては「にょう」「銅抜どうばつ」があります。シンバルのようなものとされています。
 池田 法華経は「音楽」に満ちている。法華経が栄えた中国・唐の時代の「楽譜」も、敦煌から発見されています。
 もう千年以上前だし、何の楽譜なのかは、いろいろ、研究がある。一音一音の高さを表すだけでなく、リズムまでも示されているという。実際の演奏にチャレンジした人もいます。ともあれ、法華経には、宇宙の大音声がこめられている。宇宙の根源のリズムが、メロディーが、和音が、こめられている。
 妙音菩薩の名前の由来の別の説に「雷鳴」を意味すると、あったでしょう。あれが面白いね。
 斉藤 はい。梵語の「ガドガダ・スヴァラ」を先ほどは、どもる声の意味であると解釈しました。しかし、「ガドガダ」を、帝釈天の″戦いの先触れ太鼓の音″である「ガルガラ」が訛ったものではないかという説があります。
 須田 帝釈天は雷神でもありますから、この太鼓の音は、要するに「雷鳴」と考えられます。
 池田 日本語でも、カミナリとは″神鳴り″の意味であるとか、″神の御なり(出現)″のことであるとか言うね。天の轟きです。宇宙が吼える声です。
 遠藤 キューバでの出来事を思い出します。取材した記者に聞いたのですが。
 ハバナ大学から池田博士への名誉文学博士号の授与式の日は、暑さを吹き飛ばすように、雨が降っていました。(一九九六年六月二十五日)
 雨は炎熱の大地を一気に冷やす勢いで、豪雨となり、式典の途中、ちょうど先生の記念講演の時には雷雨となった。すさまじい雷鳴。日本から行ったメンバーも内心、「ちょっと降りすぎだな」「どうなっちゃうのかな」と思っていたそうです(笑い)。
 ところが先生は講演を、こう切り出された。
 「雷鳴──なんと素晴らしき天の音楽でありましょう。『平和の勝利』への人類の大行進を、天が祝福してくれている『ドラムの響き』です。『大交響楽』です。また、何と素晴らしき雨でありましょう。苦難に負けてはならない、苦難の嵐の中を堂々と進めと、天が我らに教えてくれているようではありませんか!」(「聖教新聞」一九九六年六月二十五日)
 これで一気に聴衆の心をつかんでしまったと、うかがいました。
 斉藤 私たちなら、とっさには、ちょっと出てきませんね(笑い)。
 池田 妙音菩薩が過去に仕えた仏の名も「雲雷音王仏」だった。
 宇宙は「音声」です。万物が「声」を発している。惑星の動きから、原子・素粒子のミクロの世界まで、″音楽的法則″とも言うべきリズムに貫かれている。このことは陀羅尼品(第二十六章)で論じるこどにしよう。大事なところだから。
 要は、その「宇宙の名曲」を、どれだけ自分のなかに入れられるかです。ロダンは「芸術とは自然が人間に映ったものです。肝腎な事は鏡をみがく事です」(高田博厚・菊池一雄編『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波文庫)と言った。
 自分という「楽器」を、見事に調律し、訓練して、「宇宙の妙音」を宿らせ、響かせ、轟かせるのです。その鍛錬が仏道修行ともいえる。
 一般的にも、「音楽によって人格を陶冶しよう」としてきた歴史がある。古代ギリシャもそう。古代中国もそうです。
 プラトンは音楽教育が決定的に大事だと考えていた。「リズムと調べ」によって、「気品ある人間」ができると考えた。
 中国の孔子の「礼楽」も有名です。「楽(音楽)」を学ぶことによって、調和ある人格ができるとしたのです。
 初期の仏教でも、歌舞音曲は遠ざけられたが、音楽に無縁だったわけではない。もともと経典そのものが音楽的に朗唱されたのです。それで初めて人々の心に浸透した。
 初期の仏典では、釈尊が歌声(声を出すこと)の効用をこう説いたと伝える。「身体が疲れない」「憶うところを忘れない」「心が疲れない」「言葉が理解しやすい」など。
8  社会に希望を贈る「妙音運動」
 斉藤 音楽の力──それは宇宙のハーモニーを、わが生命に共鳴させるということだと思います。自分の生命も「調和」がとれていきます。
 池田 音楽は、心を開放します。心の「こり」を、ときほぐしてくれる。
 「演奏する」ことを英語で「プレイ(Play)」という。「遊ぶ」という言葉と同じです。伸び伸びと、心を開放するのです。(ドイツ語の「Spielen(シュピーレン)」、フランス語の「jouer(ジユエ)」も同じく両方の意味をもつ)
 日本語でも「管弦に遊ぶ」といった。いい意味での「遊戯」です。自在の心です。
 須田 妙音菩薩の体得した三昧の一つに「神通遊戯三昧」ありました。
 遠藤 音楽療法なんかも、心の「こり」を取る効果を、狙ったものでしょうね。
 池田 伸び伸びと、自分を開放する。だから、歌声があるところは伸びていくのです。戸田先生は「民族の興隆には、必ず歌があった」と言われた。創価学会も「学会歌」が元気に歌われているかぎりは、発展は続きます。
 社会も同じです。人々が、美しい曲を口ずさむような社会であれば、向上への鼓動があると言ってよいでしよう。「哀音」に引きずられるような社会は、前途も暗いのではないだろうか。
 遠藤 そう言えば、関東大東災の直後でしたか、″今度のような大天災に見舞われたのは、人心の荒廃や慢心と、どこか関係があるのではないか″と論じた作家がいました。
 池田 幸田露伴の随筆だね(「震は亨る」、蝸牛会編『露伴全集』30所収、岩波書店。参照)。戸田先生も、そのことはよく語られていた。
 遠藤 たとえば、震災の前、″おれは河原の枯れすすき同じお前も枯れすすき″(作詞・野口雨情)という歌が大流行した。何か、いやな感じがしたと書いていたと思います。
 須田 一種の「哀音」でしょうね。
 池田 もちろん科学的に立証されたわけではないし、軽々に、すべての例に当てはめるのも、おかしいでしよう。ただ、目に見えない底流の部分で、「時代の動向」と「文化・音楽」は、互いに影響を及ぼし合っているのではないだろうか。
 「歌は世につれ、世は歌につれ」です。
 須田 具体的には、「哀音」と「妙音」の戦いでしょうか。
 池田 「哀音」と言っても、文字通りに哀しげな音律のこととは限らない。人を「あきらめ」に追い込む音律であり、音楽であり、文化が「哀音」ではないだろうか。
 どんなに、にぎやかな印象であっても、人の心を「なるようにしかならない」という虚無に導く文化は「哀音」でしょう。反対に、静かであっても、人の美しい感情に訴え、人間を高尚にしていく文化は「妙音」に通じるのではないだろうか。そこには人間への信頼と希望があるからです。
 私たちSGI運動は、音楽にとどまらず、ありとあらゆる分野で、人々の胸に「希望」をわき立たせていく運動です。その意味で、すべて「妙音運動」と言ってよい。
 人の胸中にある「善性のいと」を、かき鳴らしていく運動です。それが妙音菩薩の「三十四身」ではないだろうか。
 斉藤 はい。妙音菩薩は、薬王菩薩や観音菩薩と同様、「現一切色身三昧」を体得しています。
 民衆を救うためならば、どんな姿にでもなって行動していこうという境涯です。
 遠藤 経典には、あるいは梵天王の身を現じ、あるいは帝釈の身を現じ、あるいは自在天の身を現じ……とあります。
 (経典には、三十四身について、次のようにある。「梵王、帝釈、自在天、大自在天、天大将軍、毘沙門天王、転輪聖王、諸小王、長者、居士、宰官、婆羅門、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、長者の婦女、居士の婦女、宰官の婦女、婆羅門の婦女、童男、童女、天、龍、夜叉、乾闥婆けんだつば、阿修羅、迦楼羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅伽まごらがなどの身を現じて、人々を救う。そして、地獄、餓鬼、畜生の三悪道の人々を救い、また、王の後宮においては女身となって法華経を説く」(法華経六一五、趣意)と。)
 斉藤 大聖人は、こう仰せです。「所用に随つて諸事を弁ずるは慈悲なり是を菩薩と云うなり
 池田 相手にあわせて自在です。自由自在であり、自由奔放です。
 人を鋳型にはめて、ロボットのような人間を作るのが宗教ではありません。ロボットのように縛られた生命を解放するのが仏法です。
 妙音の三十四身とは、創価学会が、社会のあらゆる分野で、多角的に、また立体的に行動している正しさの証明です。
 分野は違っても、すべて「慈悲」です。「人間主義」です。「悩める人の最大の味方になっていこう」という炎が燃えていなければならない。それがなくなれば「妙音」ではありません。
 斉藤 かつてヤコプレフ博士(ベレストロイカの設計者)が、池田先生の行動を見て、こう言われていました。ドストエフスキーの「美は世界を救う」という言葉について、この「美」とは「人間主義」のことではないか──と。
 「人間主義」で、社会のなかへ、社会のなかへ入っていくことですね。
 池田 それが「美」です。それが「妙音」です。それが「法華経」です。学会の行き方は絶対に正しい。
 須田 先日(一九九八年十月)、イタリア・ポローニャの現代宗教映画祭で、池田先生の平和行動を紹介した「旭日の騎士」が「特別賞」を受けました。その時の評価も、宗教が社会に貢献している姿に感動したという趣旨でした。
 遠藤 私たちにとっては、当たり前のようですが、新鮮なんですね。
 斉藤 口で「論じる」人はいくらでもいますが、実際に風圧を受けながら「行動」する人は少ないですから。環境問題ひとつとっても、「論じる人の数に比べて、行動する人の何と少ないこと!」と、ある人が嘆いていました。
 池田 牧口先生の主張は「宗教のための宗教であってはならない」であった。美・利・善という「価値」を「創造」しなければ宗教の存在意義はないと。ここが宗門との決定的違いであった。
 牧口先生は宗教が宗教の世界に閉じこもるのではなく、この現世を価値あるものに変革しなければならないと叫んで、殉教されたのです。
 だから、この現世を「美の国土」にしなければならない。「利(うるおい)の国土」「善の国土」に変えなければならない。また人生を「美の生活」「利(うるおい)の生活」「善の生活」へと創造していくのです。それが″創価人″の人生です。
9  文化交流は「見えない橋」
 須田 妙音菩薩の三十四身のことを釈尊が教えると、聞いていた人々も「現一切色身三昧」を得ます。そして妙音菩薩は、仏にあいさつをして、本国へ帰ります。
 帰りもまた、通り路を震動させ、宝の蓮華を雨と降らし、百千万億の種々の伎楽を奏でていきます。
 池田 こうして妙音菩薩品は終わる。大宇宙を「音楽」で満たして往復した物語です。宇宙に架かった「音楽の橋」です。これによって、霊鷲山の人々の境涯も、大字宙へと開かれていった。
 妙音菩薩とともに来た八万四千の菩薩たちも、大境涯(現一切色身三昧)を得た。有限の身が、無限へと開かれていく。そのための信仰です。宇宙に包まれている自分が、宇宙を包み返していく。それが妙音の勤行・唱題です。
 宇宙と自分との間に「見えない橋」を架けるのです。それが「妙音」の力用であり、広く言えば「芸術」の力ではないだろうか。その「生命の橋」は、今度は、人と人との間も結ぶのです。
 遠藤 ロシアのペトロシャン博士が言われていました。
 「国と国、民族と民族をつなぐ『見えない橋』──それが文化交流です。他の(=政治・経済などの)橋は、戦争でもあれば、いっペんに崩れます。しかし『見えない橋』があるからこそ、また交流が生まれる。その『見えない橋』の設計者こそ池田先生です」(「聖教新聞」一九九八年十一月十日付)と。
 斉藤 私も、その言葉を感動して聞いていました。人を引き裂く「分断」の悪の力を超えて、「結合」という文化の力が必要です。
 クチャーノフ博士は「世界は『善なる力』を必要としています。SGIの皆さまの力で『善の勝利』を、もたらしてください!」と語っておられました。
 池田 国連の発表によれば、二〇〇一年は「文明の対話の年」と決まったようだ。文明間の対話を進めてきた学会の行き方こそが、二十一世紀を先取りしているのです。
 天台大師は、妙音菩薩のことを「妙なる音声をもって、あまねく十方に吼え、此の教を弘宣す。故に妙音と名く」(『法華文句』)と説いている。
 「正法華経」(竺法護訳)では、「妙音」は「妙吼」と訳されているようだ。吼えたのです。師子吼したのです。
 戸田先生は、亡くなられる寸前まで、「戦おうじゃないか!」というお姿であった。命をふりしぼっての先生の一言であり、お姿でした。
 今、私も、あらゆる思いを一言にこめて、「戦おうじゃないか!」と叫びたい。
 「迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(御書一三〇〇ページ)です。この″勢い″が法華経です。
 楽しくやるのです。悠々と舞を舞いながら、進むのです。
 胸を張って、「さあ、戦おうじゃないか!」と。

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