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日蓮大聖人・池田大作

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薬王菩薩本事品(第二十三章) 命を燃や…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
2  「本化」と「迹化」
 須田 はい。前の章の「嘱累品」(第二十二章)までで、法華経の「付嘱」は終わっています。ですから、ある意味で、ここで法華経は終わってよいはずです。
 しかし、「薬王品」に続いて「妙音菩薩品(第二十四章)」「観世音菩薩普門品(第二十五章)」「陀羅尼品(第二十六章)」「妙荘厳王本事品(第二十七章)」「普賢菩薩勧発品(第二十八章)」と、六品が加わっています。これは、なぜなのか。大聖人は「捃拾遺嘱くんじゅういぞく」と言われています。(御書二五二ページ)
 遠藤 捃拾くんじゅうは「落穂を拾う」ことです。本来の刈り入れ、収穫が終わった後、残った落穂を拾い集めることです。
 地涌の菩薩への「別付嘱(神力品〈第二十一章〉)」、すべての菩薩への「総付嘱(嘱累品)」によって、釈尊滅後の人類をどう救っていくかという「バトンタッチ」の儀式は終わりました。そのうえに、なお重ねて、迹化、他方の菩薩に念を押して、法華経の弘通を託した。いわば″ダメ押し″のための六品だと思います。
 池田 「一人も残さず、救いきるのだ」「どんなことがあっても、妙法を広宣流布するのだ」という気迫が、この六品には込められている。形のうえでは「付録」のようであり、事実、法華経の成立史研究では、後から加えられた部分とする説が強い。
 斉藤 たしかに、それぞれが独立した一経のように整えられていますし、相互の関連も薄い。実際、「観音品」は「観音経」とも呼ばれ、独立した一経として信仰されてきた歴史があります。
 池田 とはいえ、これら六品は単なる「付録」ではない。二処三会でいえば、六品は(「前半の霊鷲山会」「虚空会」につづく)「後霊鷲山会」であり、虚空会で明かされた「永遠の妙法」を胸に、現実社会へ打って出るという重要な意義をもっている。
 須田 従果向因(仏界から九界へ向かう)ですね。
 池田 寿量品の文底の南無妙法蓮華経を信受したうえで、それぞれの舞台で妙法を「実証」する。「実験証明」して「流通」していく。だから、この六品に登場する菩薩は、非常に多彩な姿になっているでしょう。
 遠藤 薬王、妙音、観音、(陀羅尼品に出る)勇施、(妙荘厳王品に出る)薬上、普賢など、多彩な顔ぶれです。
 斉藤 個性豊かな感じですね。
 池田 あくまで譬えであるが、光がプリズムを通ると七色に分散する。「光」は全体、「七色」は光が割れてできた部分、部分です。そのように後霊鷲山会での迹化の菩薩は、仏界という光を胸中に灯しながら、それぞれの使命の姿を彩り豊に現わしているのではないだろうか。
 斉藤 たしかに「迹」には「影」の意味があります。天台大師は「本」を天の月(本体の月)に、「迹」を池月(池に映った月)に譬えています。
 遠藤 天月は一つでも、池月は無数にあるわけです。池はいくらでもありますから。
 須田 そうしますと、本化の菩薩(地涌の菩薩)が対照的に地味というか、生一本というか、飾り気のない印象なのも、うなずけますね。リーダーとして挙げられているのは上行、無辺行、浄行、安立行菩薩ですが、名前のつけ方からして、迹化の菩薩とは全然違います。
 池田 そう、次元が違う。四菩薩の名前は、「本体」「天月」としての「妙法」そのものの働きを代表している。その使命も「妙法の流布」そのものなのです。
 「本化の菩薩の所作としては南無妙法蓮華経なり」と仰せの通りです。
 遠藤 整理しますと「迹化の菩薩」とは第一に「迹仏(久遠の本地を開顕していない仏)に化導された菩薩」のことです。
 これに対し、本仏と一体不二の直弟子が「本化の菩薩」です。
 池田 そう。その位は、天地雲泥です。
 遠藤 釈尊滅後の広宣流布の「主役」も、あくまで本化地涌の菩薩なのです。迹化の菩薩は「脇役」というか、主役を「助ける」立場です。この「地涌の使命を助ける」働きを明かしたのが、後霊鷲山会の六品と考えられます。これが一往の義です。
 須田 今も、信心はしないが、広宣流布に賛同し、応援し、顕彰してくださっている人々が全世界にいます。こういう働きも、「迹化の菩薩」の一分と考えてよいでしょうか。
 池田 そう言って、よいでしょう。もちろん、あくまで広布を支える「働き」のことであり、実体的なものではない。
3  妙法証明へ多彩な行動
 遠藤 迹化の意義を、再往、もう一重、深く考えますと、先ほど言われた「七色の色彩」のように、仏界を根本とした多彩な舞台での活躍と考えられます。
 斉藤 より「生活」「人生」に引きつけた、とらえ方ですね。
 遠藤 たとえば薬王菩薩は「医学」の分野、妙音菩薩は音楽をはじめ「芸術」の分野、普賢菩薩は「学問」の分野──そういうスクリーンに「本化」が影を映した姿と言えます。いわば、私たち本化の菩薩の「社会面」の姿とも言えるのではないでしょうか。
 池田 そうなるでしょう。私どもは学会活動においては、本化の菩薩として妙法の広宣流布を進めている。しかし、それぞれ社会では仕事があり、役割・立場がある。家庭の主婦も、母として妻として、地域社会の一員としての役割がある。信心を根本にして、それぞれの舞台で「見事だ」「さすがだ」という活躍をしていかねばならない。それが「信心」「妙法」を証明することに通じる。
 輝いている学会員の姿を通して、その胸中にある「太陽」を人々は感じていくのです。仕事、生活がいいかげんで、信心だけ立派──そんなことはありえない。インチキです。「法」を下げてしまう。
 「本化」として自行化他に励んで開拓した「仏界」の生命力を、「迹化」としての社会面・生活面で生かしていく。生かし、活躍していこうと努力するなかで、さらに「信心」が深まり「仏界」が固まっていく。この往復作業です。本化→迹化、迹化→本化という、粘り強い往復作業によって、自分の生命を限りなく向上させ、広宣流布を限りなく広げていくのです。これが「後霊鷲山会」の六品の実践的な意義になるのではないだろうか。
 須田 迹化の菩薩というのが、ぐっと身近になりました。これまでは、随分、見下していたというか(笑い)、あまり自分たちとは関係ないと思いがちだったと思います。
 池田 そこで大事なのは「信心」です。社会で活躍すると言っても、「信心」を忘れてしまったら、本化の菩薩でもなければ、迹化の菩薩でもない。
 名聞名利の餓鬼界、畜生界に堕ちていってしまうのが″落ち″でしょう。自分で自分の仏界を覆ってしまうのだから。最後は地獄界に転落してしまう。いな、信心を失えば、因果惧時で、その瞬間に地獄です。
 斉藤 迹化の姿が「多彩」な理由が、よくわかった気がします。妙音菩薩が「三十四身」、観音菩薩が「三十三身」と説かれるのも、ありとあらゆる姿を示して、人々を救い、妙法を証明し、広宣流布を推進していくということですね。
 池田 華麗です。自在です。創価学会の「仏法を基調とした平和・文化・教育の推進」という根本軌道も、この「後霊鷲山会」の原理に淵源をもっている。法華経の軌道通りの前進なのです。
4  「師匠の恩に報いるのだ!」
 須田 薬王品のストーリーですが、一口に言って、薬王菩薩の「師匠への報恩」の物語です。宿王華菩薩が釈尊に質問します。「薬王菩薩は、なにゆえに娑婆世界で難行苦行しているのですか。皆、聞きたがっています」と。それに釈尊が答えます。
 「過去に日月浄明徳仏という仏が法華経を説いたとき、一切衆生喜見菩薩という菩薩がいた。彼は法華経を聞き、一心に仏を求めて修行し、一万二千年後に『現一切色身三昧』という境涯を得た」──。
 遠藤 ″十界の一切衆生の姿を自在に現せる″境涯ですね。
 三十四身、三十三身と同じです。
 須田 彼は、この境涯を得られたのは法華経のおかげであり、仏のおかげであると知っているゆえに、「よし、師匠と法華経を供養しよう!」と報恩の誓いを立てます。そして最高の供養は、自分自身の生命を捧げる供養だと考え、さまざまな香や香油を飲んだ後、香油を身に塗って、自身の身を燃やし、その光明を供養しました。
 その灯明は千二百年にわたって燃え続け、世界を照らしました。諸仏は、この供養は「第一の布施」であり、「法の供養」であると、たたえます。
 池田 「報恩」に徹した真心が世界を照らしたのです。
 私どもも、御本尊のおかげで幸福になれた。御本尊を教えてくれた創価学会のおかげで正しい人生を知った。その「報恩の一念」が奥底にあれば、福運は加速度的に増していく。どんなに表面は行動しているようであっても、「報恩の心」がなければ、その増上慢が福運を消していく。境涯の革命もできない。
 わずかな一念の違いが、百八十度違う結果になってしまう。組織のうえで偉くなっても、社会で出世しても、「報恩」の行動を忘れたら、身は堕ちねども心は堕ちた姿です。
 遠藤 一切衆生喜見菩薩の「報恩」の思いは千二百年、わが身を燃やしても尽きません。やがて、燃え尽きて命を終えた後、また同じ日月浄明徳仏の国に生まれ、浄徳王の家に誕生します。そして再び日月浄明徳仏のもとへ行って、報恩の供養を捧げようとするのです。
 池田 生死を超えた報恩の一念です。
 「死後もまた師匠のもとに生まれて、戦うのだ」と決めていた。「現一切色身三昧」を得ていたのだから、どこに生まれるかも自在です。妙法の信心に徹すれば、自在です。
 斉藤 再び師匠にまみえた一切衆生喜見菩薩に対して、師は自身の入滅の時が来たことを告げ、法を彼に付嘱します。
 また仏の一切の弟子、一切の宝をすべて彼に託したのです。
 池田 報恩第一の弟子に、すべてを託したのです。
 須田 一切衆生喜見菩薩は、日月浄明徳仏の舎利(聖骨)を八万四千の塔を造って供養します。しかし、師を恋慕する彼の心は、それでも満足しません。
 そこで彼は八万四千の塔の前で、自分の臂(腕)を燃やして供養します。それが七万二千年、続きます。この時、人々は師匠である一切衆生喜見菩薩の臂が失われたことを悲しみますが、菩薩は「私は両方の臂を失ったが、必ず仏の金色の身を得るだろう。それが嘘でない証拠として、私の臂は元通りになるだろう」と言います。すると、この言葉の通り、臂は元通りになります。
 池田 このように、大確信をもっての供養は、必ず、それ以上の福徳となって返ってくる。疑いながら、いやいやながらでは、真の供養にならない。「心こそ大切」なのです。
 須田 こういう過去を釈尊は語り、この一切衆生喜見菩薩こそ、現在の薬王菩薩であると説くのです。
5  ″牧口先生の殉教は薬王の供養″
 池田 激烈な「報恩」と「殉教」の姿です。後世、薬王品の影響は大きく、中国でも日本でも、臂を焼いたり、わが身を焼いて焼身供養する人間も現れた。
 今、そんなことは必要ありません。この火は「智慧」の火です。智慧の火で煩悩の身を焼いて、仏界の光を出すということです。そして最高の智慧とは信心であり、唱題です。また御本尊に「香」と「灯明」を捧げることによって、その信心で全宇宙を照らすことができるのです。
 薬王品が教えているのは、要するに「正法のために身を捧げる」信心です。
 薬王品というと、戸田先生がいつも牧口先生の殉教を「薬王の供養」と言われていたことを思い出す。
 (「かかる高徳の人が、どうして牢屋で獄死せられたのでしょうか。もし先生が法華経の行者でなかったら、この運命はありえないのです。されば、先生は、法華経のために身命をなげうったお方である、法華経に命を捧げた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう。先生こそ、仏に『諸の施の中に於いて、最尊最上』の供養をささげた善男子なり、とおほめにあずかるべき資格者である。
 愚人にほめらるるは智者の恥ずるところと大聖人のおことばを、つねに引用せられた先生は、ついに最上の大智者にこそほめられたのである。また薬王菩薩本事品に、『命終の後に、復日月浄明徳仏の国の中に生じて、浄徳王の家に於いて、結珈趺坐して忽然に化生』(法華経五八六ページ)と。
 法華経は一切現象界の鏡と、日蓮大聖人はおおせあそばされている。大聖人は妄語の人にあらず、実語のお方である。
 ゆえに凡下の身、ただ大聖人のおことばを信じて、この鏡に照らしてみるならば、先生は法華経流布の国のなかの、最も徳清らかな王家に、王子として再誕せらるべきこと、堅く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人に何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐばかりである」)(『戸田城聖全集』1)
 牧口先生のことになったら、いつでも″真剣″を抜く戸田先生であった。師匠を偲び、師匠をたたえ、師匠を思う心にあふれておられた。疲れが出た晩年には、「先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と、よく言われた。
 ただただ広宣流布のために、命を延ばし、生き抜いている戸田先生であった。二年間の獄中生活で体は、ぼろぼろだったのです。ある時は、ぐったりと横になって思索しておられた。背中をさすっている私に一言、鋭く言われた。
 「幾百年かかっても、広宣流布は絶対にせねばならない。革命には、弾圧も、非難もつきものだ。なにがあっても恐れるな。命をかければ、なにも怖いものはなくなるのだ」
 命をふりしぼるような遺言だった。まさに戸田先生も「薬王の供養」であった。全生命を燃やして、ひとり正法の法灯を守り、輝かせておられた。
6  ″魔につけ入らせるな!″
 斉藤 薬王品には、有名な広宣流布の依文があります。
 「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ」(法華経六〇一ページ)(龍、夜叉、鳩槃荼は、どれも悪鬼神)
 魔に、つけ入る「すき」を与えるな! という遺言です。世界広宣流布を「断絶」させてはならない。師から弟子へ、世代から世代へ、我が身を灯台として燃やしていく「死身弘法」のリレーを続けていきなさいということだと思います。
 遠藤 この通りに、迹化の菩薩も頑張ったわけです。
 日蓮大聖人は、天台大師を薬王の再誕とされています。「薬王菩薩は像法の主天台是なり」など、何回も御書で繰り返されています。天台は像法時代に「広宣流布」の法灯を守り抜きました。
 須田 伝教大師は、天台大師が二百年後に日本に生まれた「後身」とされますから、天台も伝教も本地は薬王菩薩となります。
 遠藤 天台の仏法は、文底の妙法が広宣流布するための序分(先序)であったと大聖人は位置づけられています。(御書三四六ページ、等)
 本化による広宣流布の時が来るまで、法華経を守るのが迹化の菩薩です。また、末法おいては、広宣流布に励む本化地涌の菩薩を敬い、守護する使命があるとされています。
 池田 現実の「人」が守護する場合もあるし、見えない守護の働きの場合もある。
 いずれにしても「内薫外護」です。地涌の菩薩が妙法を内に行じて、仏界を薫発しているからこそ、外に守護の働きが現れる。
 全部、自分の信心です。いかなる荒波があろうとも、「広宣流布のために、希望の道を開かせたまえ」と戦い抜いて、諸仏・諸天に守られないはずがない。
 薬王品では、妙法を弘める人の功徳を、こう説いている。「火も焼くこと能わず、水も漂すこと能わじ。汝が功徳は、千仏ともに説きたもうとも尽さしむること能わじ。汝今已に能く諸の魔賊を破し、生死の軍を壊し、諸余の怨敵皆悉く催滅せり。善男子、百千の諸仏、神通力を以って、ともに汝を守護したもう」(法華経六〇〇ページ)
 すなわち、折伏をする人間の福徳は、苦悩の火に焼き滅ぼされることはない。不幸の荒波に押し流されることも絶対にない。
 千人の仏が総がかりで説いても、説きつくせない大功徳がある。あらゆる魔を打ち破り、生死の苦悩の軍勢を打ち破ったのだ。もろもろの怨敵を、ことごとくくだき、滅ぼしたのだ。百千の諸仏が神通力をもって汝を守護してくださるのだ──。
 仏法は勝負です。仏と魔との戦いです。
 戦いである以上、勝たねばならない。勝ってこそ、幸福がある。勝ってこそ広宣流布がある。仏の別名は「勝者」と言うのです。
7  薬王──広宣流布の地ならしの働き
 池田 また別名を「医王」「大医王」という。「生死の苦しみの病」を治す名医ということです。その意味で、「薬王」という名前は、仏に近い高位の菩薩であることを示唆している。
 「仏は医師、法は薬、修行者は看護人」とすれば、苦悩を癒す薬(法)の王という名前からして、菩薩の代表格と考えられる。
 斉藤 たしかに法華経でも、迹化の菩薩の代表が薬王菩薩です。「序品」から登場し、「法師品」では対告衆の中心になっています。
 遠藤 法師品から迹門の流通分が始まり、対告衆も「声聞から菩薩へ」と変わる。そのしょっぱなから、薬王に呼びかけているわけです。
 斉藤 次の「宝塔品」で、釈尊が自分の滅後の弘教を呼びかけたあと、「勧持品」で悪世での妙法受持を誓った菩薩の代表も薬王です。いわば「滅後の弘教」の主役になるかと思われていた存在です。
 須田 ところが、その後、地涌の菩薩が出現して、主役は地涌であるということになってしまった。
 池田 それで「あの薬王菩薩は、どうなるんだ?」という疑問が起こる。それに答えたのが薬王品だと言えるね。
 斉藤 はい。本化の菩薩が登場するまで、広宣流布への地ならしをし、本化の菩薩を守りきっていくという使命があったわけです。
8  我が生命に「医王」「薬王」の力が!
 池田 法華経の教相で、それをおさえたうえで、観心というか、「己心の薬王菩薩」とは何か。
 法華経はすべて「己心の儀式」です。経文を向こう側においていては、肝心なことはわからない。
 我が生命の薬王菩薩とは、名前の通り、心身の病気を治し、生命を「健康」にする力用と言ってよい。その本体は「妙法」であり「仏界」です。仏界の大生命力が生命の苦しみを癒す働きを「薬王」と名づける。
 ゆえに御本尊に向かって唱題するとき、己心の薬王菩薩が働くのです。
 戸田先生は「医者に行って、どんなボロ医者でも、こっちの薬王が働いていますから、医者が自然にいい治療をせざるをえなくなるのです」と言われていた。
 医者を選ばなくてよいということではなくて、「病気を治すのは自分自身」だということです。なかんずく自分自身の「生命力」「自然治癒力」が病気を治す根本の力です。医者は、それを手伝うだけです。
 須田 「医師が傷を縫い、神これを癒したまう」という言葉も、そういうことですね。
 遠藤 「神が病気を治し、医者が金を取る」(笑い)というのもあります。
 斉藤 その「治癒力」の本源が「仏界」ですね。「不老不死の大生命力」です。
9  「感謝」と「確信」に薬王の生命は発動
 池田 戸田先生の確信はすごかった。質問会では、病気の質問がいっぱい出る。
 先生はよく言われた。
 「『治りますか』という質問をしては、いけません。治るに決まっているから信心させているのです」と。
 「それを治るか、治らないかと、そこに疑いがある」。それでは祈りは叶わない。
 「人間というものは、胃ガン、胃病、肺病になる体をもっているのです。同様に、病気になった体から、病気を治す力も持っているのです。ちょうど、坂を登った人が、必ず坂を降りるようなものです。これが私自身の生命論です。生命哲学から、そう言うことができるのです」とも言われていた。
 斉藤 よく、「まだ治らないのですが……」という質問に、叱られていたとうかがいましたが。
 池田 戸田先生は、病気の人の話を聞くと、その晩、その人の夢を見ることがあるくらい、一緒に苦しんであげていた。そのうえで、本気で信心しないで功徳だけ欲しがったり、少しでも良くなったのに「まだ全快しない」と愚痴を言うような人には、厳しく信心の姿勢を正しておられた。
 「形式ではなく、命を打ち込んで、御本尊にすがりつくのです。命を御本尊に差し上げるくらいの、本当の決意をもった題目ならば、治らないわけがありません」
 「それを御本尊にご奉公もせずに、大病院ですら治らぬ病気を治せというのは横着すぎます。仏には、治してやらねばならない義務はありません! どれだけの人々を折伏したのか、支部をどこまで盛り上げたのか、よく反省しなさい。心を入れかえ、広宣流布へのご奉公ができたならば、私の命をかけて、必ず治ると申し上げます」
 「少しでも良くなったならば、心から感謝することです。それなのに、まだ悪いところがある、まだ良くならないと、まるで御本尊様に貸しでもあるように考えているのではないですか。それではだめです。不知恩の行動に出ると、治ったものまで悪くなります。少しでも良くなったことを深く感謝して、感謝に満ち満ちて信心をしなさい! 早く治してくれなどと、ご奉公もしないで要求ばかりしていると、御本尊があいそをつかします」
 まさに、薬王菩薩の「報恩」の信心を教えられたのです。この信心に立ったときに、己心の「薬王菩薩」が意気さかんに活動を始めるのです。自分の全細胞を一新させるくらいの決意で祈るのです。六十兆の全細胞ひとつひとつの薬王菩薩をたたき起こして、発動させるのです。私だって、三十歳までしか生きられないといわれた体で、ここまで働いて、ここまで長寿を勝ち取った。
 寿量品の「更賜寿命(さらに寿命を賜え)」の一文の通りと感謝しています。「寿量」には「命数」とか「寿命」の意義がある。端的に言えば、寿命を延ばして、生きて生き抜くための本源の生命力を寿量品は教えているのです。
 仏法は、一面から言えば「真の健康」とは何かを探求したとも言える。
 須田 と言いますと……。
10  「戒律」は「健康法」
 池田 生老病死の四苦を乗り越えるといっても、観念論ではない。要するに、どうすれば健康で、充実して長生きをし、苦しまないで死ねるか──その課題を離れてはない。そのための「智慧」を仏法は説いているのです。
 たとえば、小乗教の戒に、在家信者が特定の日に受持した「八斎戒」がある。その一つに「正午を過ぎたら食事をしない」という戒がある。これなどは、寿命を延ばすための修行とも言える。
 斉藤 過食の戒めですね。
 池田 他の戒にしても、欲望をコントロールして、心身の調和を図ることを目指している。いわば仏道修行が、そのまま心身を調える「健康法」ともなっている。
 遠藤 たしかに、戒は「生命を清浄に保つ」ことに力点があると言えます。これは、小乗教に限りません。つまり、「生命を浄化する」ことによって「生命本来の働きを活性化させる」わけです。
 たとえば、天台の立てた修行に二十五方便がありますが、そのなかの「五事を調う」は、生命を健康に保つための修行という色彩が強いと思います。
 調食(食べ物の調節)・調眠(睡眠の調節)・調身(身体を調えること)・調息(息を調える)・調心(心を調える)の五事です。
 池田 心身を調えることによって、「観心」の修行──すなわち「自己の生命がー念三千の当体である」と観ずる土台を作っている。生命が健康であってはじめて、永遠の生命を悟る素地ができる。宇宙大の生命を我が身に覚知できるのです。
 「病気」とは「人間生命という場の乱れ」とも言える。だから小乗教、権大乗教と、だんだんと生命の乱れを調え、調和させ、鍛えて、最後に法華経によって「不老不死の大生命力」を説いたとも考えられます。
 健康こそ宝です。長年、病気に苦しんだ人が言っていた。「よく『忙しくて、くたびれた』と言うが、『忙しくてくたびれる』ことが、どれほど幸せなことか!」と。
 だから健康なうちに「福徳」と「智慧」を積めるだけ積んだほうが得です。仏法は智慧です。健康は智慧です。
 不惜身命といっても、「無理をする」ということではない。無理は続かない。仏法は道理です。道理にのっとった賢明な信心即生活でなければ反価値になってしまう。それでは「創価」学会とは言えない。
 道理の軌道のうえに、年齢や境遇に応じて自分自身の生命力を、どう保持するか、どう強めるか、そのコントロールができなければいけない。自分が自分の生命の「医王」となり「薬王」とならなければいけない。″信心しているから″″幹部だから″自分は大丈夫だというのは「慢心」です。
 たとえば一般的に言って、四十代までは自分自身の「鍛え」の時代と言えるかもしれない。四十代以降は「保護」の時代に入ってくる。それを賢明に考えて、疲れをためないようにしなければならない。
 須田 疲れをとるには、なんと言っても、よく眠ることですね。
 池田 そうだね。「眠り」は、一種の「小さな死」です。大宇宙の生命の海に、いったん心身を浸す作業です。その休息によって、生命力が充電され、次の日への新しい活力を得る。それと同じように、「死」も生命力の充電です。老いたり、病気になった体は、いったん宇宙生命の「蘇生の海」に帰って、さっぱりとして、新しい元気な体になったほうが良い場合がある。
 これは、その人の信心の状態、宿業などによって、いちがいには言えない。
 ただ言えることは、「薬王菩薩の信心」をやり通した人は、必ず、次はもっと福々しい生命で、生まれたいところに生まれてこられるということです。
 斉藤 薬王菩薩の過去世の一切衆生喜見菩薩も、命を燃やし尽くした後、王家に生まれました。
 池田 要は「死」の時に、大宇宙のどこに、何界に溶けこんでいくかです。「仏界」に溶けこんでいけば、何歳で死んでも「永遠の大生命」を得た人と言える。「寿量品」を身で読んだ人です。「不老不死」の境涯に連なっている。どんなに長生きしても、最後が三悪道・四悪趣であれば、はかない人生です。永遠の生命から見れば、五十年や七十年の違いなど「瞬時」とすら言えない。
 以前にも紹介したが、釈尊も言っている。「不死しなないの境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている」(前掲『ブッダの真理のことば 感興のことば』)
 三世の生命から見るならば「不死の境地」すなわち「仏界」「信心」というものを今世で、どこまで確立できたか──それが真に「長寿であったかいなか」の尺度と言える。
 遠藤 そう思います。かりに短命であっても、信心さえあれば、すぐに生まれてこられるわけですから──。
11  スペイン女子部長の″黄金の青春″
 池田 スペインに支部ができた時(1976年)の女子部長は、鮮烈な青春を生きました。そして、駆け抜けるようにして逝ってしまった。しかし、その黄金の軌跡は、今なお燦然と輝いています。
 (彼女は東京・渋谷区の生まれ〈四九年〉。両親が入会した三ヵ月後〈六六年〉に入会〈六六年〉。高校の一年生、十六歳の時であった)
 彼女は、高等部で「世界広布のお役に立ちたい!」という夢を抱き、語学も頑張ったようだ。優秀だった。
 (病気の家族を介護しながらの受験勉強で、二浪した)
 二十歳の時、思わぬ試練に襲われた。お母さんががんで亡くなり、後を追うようにお父さんも病死してしまった。あっという間に天涯孤独の身になってしまった。進学どころではなくなった──。
 私が彼女に会ったのは、その一年後です。夏季講習会だった。両親の死を語る彼女に、私は言いました。「そうか。でもあなたたちの年齢なら、この先、必ず二回経験しなければならないのが、親の死ということです。それをあなたは、皆より少し早く一度に経験してしまっただけのことです。御本尊様がついているから大丈夫だよ!」と。
 彼女は、あるいは慰めてほしかったのかもしれない。しかし私は率直に、人生の本当の真髄を語ってあげたつもりです。「本有の生死」です。死は必ずやってくる。その現実から逃げるのは、仏法ではない。
 大聖人は薬王品の経文でさえも、「正確ではない」と読みかえておられる。
 「一切の苦、一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたもう」(法華経五九七ページ)の経文です。
 斉藤 この「離れる」「解かしめる」というのは煩悩即菩提、生死即涅槃という法華経の心に背くと言われていますね。
 ゆえに大聖人は「離の字をば明とよむなり、本門寿量の慧眼開けて見れば本来本有の病痛苦悩なりと明らめたり」と読みかえられた。
 「あきらめる」とは「明らかに見る」ということです。「本来本有の病痛苦悩」である、「本来本有の生死」である、と明らかに見なければいけないと。
12  池田 その通りだ。「生死」といっても、宇宙生命の変化相です。仏の命の現れです。だから「生死」を嫌うことは、仏の命を嫌うことに通じる。また生死の苦しみに溺れることも、仏という大生命に遊戯する身とはいえない。
 生の苦しみも、信心を強める糧にする。死の苦しみも信心を強める糧にする。それが生死即涅槃です。とはいえ、彼女は、若き身でつらかったでしょう。女子部の人材グループの一員になった彼女を、私はたびたび励ました。一緒に皆で農場に行って、スイカやトウモロコシを食べたことも懐かしい。
 彼女は職場でも、女子部の活動でも、もちまえの「明るさ」と「粘り強さ」で、目を見張るような結果を出していった。
 そして入会からちょうど十年後に、高等部時代からの「夢」をつかみとって、憧れのスペインに留学できたのです。
 (着いて二週間で、スペインで初の支部が結成され、支部結成式で女子部長に任命された)
 彼女は駆けた。草創期のスペインの大地で「カトリックの大地に題目をしみこませるんだ!」と言って、いつも題目を唱えていた。座談会に行くのに、車で往復十時間というのも、しばしば。会合から戻ると、明け方まで、御書や「大白蓮華」を一文一文、翻訳していった。
 彼女は言っていたという。「苦労だなんて、とんでもありません。一人のスペイン人が立ち上がるたびに喜びに変わります。盤石な日本の創価学会しか知らなかった私には、大変というよりも、草創の苦労を体験できる喜びのほうが大きいのです」と。
 そして無我夢中で二年がたった。彼女に再び「試練の弾丸」が襲った。左ひざに、しこりのようなものがあり、日本に帰国して検査したら、悪性の腫瘍であった。「左足のつけ根から切断しないと、生命の保証はできない」と。
 世界中の時間が止まったようなショックだった。その時、お母さんの顔が浮かんだ。近隣の人も驚くような美しい成仏の相で亡くなったお母さんの遺言が、耳もとに蘇った。「あなたには、御本尊様があるじゃないの。あなたのことは、全部、御本尊様にお願いしたから、まったく心配はないよ……」と。
 「そうだ、この時のために、母が命をかけて私に信心を教えてくれたんじゃないか!」
 彼女は意を決して、日本で手術を受けた。足の切断はまぬかれたが、五十針も縫う大手術。主治医からは「一生、歩くことは不可能」と告げられた。
 しかし彼女は「スペインの同志のために、必ず、もう一度、歩いてみせる!」と決めたのです。そして病魔と戦った。
 (石のように、まったく動かなかった左足だったが、手術から数十日後、ぴくっと親指が動いた。「あっ、動いた!」。そして何と手術で、えぐり取られたひざの肉が、少しずつ盛り上がってきた。リハビリにも執念で取り組み、手術から七ヵ月後、医師の「君の体は医学では説明できない」という言葉に送られて、自分の足で歩いて退院した)
 すさまじい闘争だった。経済的にも、ぎりぎりのところにいた。それでも彼女は「広宣流布をやるんだ」と命を燃やしていた。そして再び、自分の足で、スペインの大地に立ったのです。
 時に、昭和54年(一九七九年)の四月。私が第三代会長の勇退を発表した月です。彼女は、私の正義を証明するためにも負けてなるものかと頑張ったのだという。その心を私は忘れません。
 体力的・金銭的問題もあって、日本に帰ったが、それからも、あちらで折伏があると聞けば、飛んで行って体験を語り、部員さんが悩んでいると聞けば、駆けつけて激励した。国際部の翻訳グループとしても頑張っていた。
 個人折伏も十人以上。同じ、足の腫瘍を患っていた少女も激励した。少女は感激し、やがて創価大学に進学しました。
 須田 聞けば聞くほど、「なまはんかな信心ではいけない」と、粛然たる気持ちになります。
13  「何と美しき顔だろう!」
 池田 「いつ倒れるか。否、いつ倒れようとも、悔いのない闘争を続けるのみだ」との決心で走り続けた。
 彼女に私は神奈川文化会館で会った。(八〇年十二月十四日)
 翻訳グループの一員として、皆と一緒に「お月さまの願い」を合唱してくれた。
 (=歌い終わるや、彼女は一首の和歌を名誉会長に差し出した。「病魔破し 広布に走らん 師のもとに 今日の集いを 胸にきざみて」。名誉会長は彼女の目を見つめて「健康になるんだよ!」「長生きするんだよ!」と激励した)
 パリの会館にも、彼女は来ていた。皆で記念撮影も行った。(八一年六月十四日)
 彼女が亡くなったのは、その一年後だった。(八二年六月二十六日)
 がんは肺に転移していた。薬の副作用で、体はみるみる衰弱していった。それでも彼女は題目を唱え続けた。日本とスペインの同志のことを祈り続けた。
 (末期状態になっても、深呼吸しては「ナンー」、また深呼吸しては「ミョウー」……と唱題した。初めてスペインに渡ってから二回目の「一千万遍」に挑戦し、五年間で達成した。亡くなるときは、三回目の「一千万遍」に挑戦していた)
 「生きよう!」という壮絶なまでの彼女の執念に、看護婦さんたちも感動したという。お見舞いに来た人が、反対に激励されて帰った。我とわが身に炎を点じて、人々に光を送ったのです。
 八ヵ月の入院闘争の末、彼女は三十二歳で、次の生へと旅立っていった。亡くなったその顔を見て、皆があっと驚いた。
 「ものすごい美しさでした。こんなにきれいな姿を、生きている時も見たことがありません」
 「お化粧も必要ないくらいで、うらやましかった」
 「手もやわらかく、あたたかく、顔もふっくらしていた」と。
 (もともと色黒だったが、死の前は、やせ細って、顔色もひどく悪かった。「しかし、まっ白に変わっていました。この落差。本当に成仏の相とはこれかと思いました」と証言されている。火葬場の人に「こんなきれいな人は見たことないよ」「焼くのは、もったいない」と言われた)
 少し笑みをたたえて、半眼半口。御書に仰せの通りの成仏の姿だった。
 葬儀には全国から数百人もの人が訪れ、近所の人から「どういう人が亡くなったんですか」と聞かれた。
 大聖人は、成仏した人の死を「千仏が迎えに来て手を取る」と仰せになっておられる。(「生死一大事血脈抄」、御書一三三七ページ、趣意)
 その一つの表れが、これだけ大勢の人が彼女の死を悼んで、題目を唱えてくれたということです。大勢の人を真心から面倒みた分だけ、自分が三世永遠に守られるのです。しかも彼女の友人は「本当に幸せだったと思う」と言っている。
 「天涯孤独、そして病死──でも、彼女を知る人は、だれも『かわいそう』とは思わないんです。『立派だった』『すべて、やりきった』。そう心から思います。だから私たちは少しも悲しくないんです。彼女は、もう、スペインにいるでしょう。スペインに生まれて、広宣流布に戦っているだろうと思います」と。
 斉藤 薬王品ですね。不老不死と言っても、人生の「長さ」だけではありませんね。
14  不老不死──生死を超えて使命のために
 池田 彼女の「身」は病んでいたが、「心」は太陽のごとく輝いていた。「生命」は「健康」そのものであった。
 私は翌年(一九八三年)、スペインを訪問した時、彼女をたたえて、初の「名誉ヨーロッパ女子部長」の称号を贈りました。
 「健康」とは何か。その結論は「菩薩の生命」です。人のために戦い続ける一念──それが真の「健康」だと私は思う。ただ″健康食品″を食べ、自分のことだけ考えて、安楽な暮らしを願う──それが健康だとは思わない。
 「健康」を象徴する薬王は、信念に「殉教」した菩薩であった。「戦う生命」それが「健康な生命」です。
 私もお会いしたが、ルネ・デュボス博士(世界的医学者)は言っておられた。「心配のない世界でストレスもひずみもない生活を想像するのは心楽しいことかもしれないが、これは怠けものの夢にすぎない」(『健康という幻想』田多井吉之助訳、紀伊国屋書店)と。
 (さらに「地球は想いの場所ではない。人間は、必ずしも自分のためではなく、永遠に進んでいく情緒的、知能的、倫理的発展のために、戦うように選ばれているのだ。危険のまっただなかで伸びていくことこそ、魂の法則であるから、それが人類の宿命なのである」〈同前〉と)
 ストレスや悩みをも、生命力に転じていく。それが「毒を薬に変える(変毒為薬)」妙法です。「大いに楽しく生きよう」という仏法の境涯の実現です。
 そのためには、戦いです。「生死を超えて、汝の為すべきことを為せ!」です。この使命感の前には、生も死もない。この献身の前には、死苦さえが前進の力に変わる。
 大聖人は、本門の流通分は、寿量品・方便品の″修行の仕方″を説いていると仰せだ。(御書一四九九ページ)
 薬王品も、まさに「末法広宣流布の戦士よ! 薬王菩薩のごとく、命を燃やせ!」と教えているのではないだろうか。そういう青年が陸続と現れたとき、創価学会全体が永遠化される。「不老不死の教団」になっていくのです。
 そうなって初めて、永遠の未来にわたって、全人類に「癒しの光明」を燦然と送り続けることができるのです。

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