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日蓮大聖人・池田大作

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嘱累品(第二十二章) 虚空会──「付嘱…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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1  「ご安心ください!」と弟子たちの誓い
 須田 これからは嘱累品です。よろしくお願いします。
 池田 嘱累品は、「付嘱」の章です。「付嘱」とは「後継」です。「後継」とは「師弟」です。ゆえに、嘱累品とは「後継品」であり、「師弟品」とも言える。
 末法に広宣流布していくための「広宣流布の師弟」品です。戸田先生も、嘱累品を大切に感じておられた。
 斉藤 嘱累の「嘱」とは「まかせる」「託す」という意味です。
 遠藤 今でも「嘱託」などと言いますね。
 斉藤 「累」には「わずらわす」「面倒をかける」という意味があります。ですから、嘱累とは「ご苦労だが、私に代わって、正法を人類に弘めてくれ」と弟子に託すことです。
 遠藤 まさに「後継」品であり、「師弟」品ですね。
 池田 弟子の側から言えば、「私が全部、苦労を担っていきます」というのが「嘱累」です。それで師弟相対になる。師弟というのは、厳粛なものです。師の一言でも、どれだけ真剣に受けとめているか。「すべて実行しよう」と受けとめるのが弟子です。
 師匠の「口まね」をするのが弟子なのではない。「実行」こそ「弟子」の証です。
 話は飛躍するようだが、ある時、戸田先生が大阪の花園旅館という宿舎で、急に、こんなことを言われた。「今、わしは『今日、死んだらどうしようか』『今日、内閣総理大臣になったらどうしようか』と思索している」と。
 真剣な顔で言われた。朝、早かった。ふつうなら「朝ご飯、まだかな」とか(笑い)、「もうちょっと、寝ていたいな」とか(笑い)、そんなところでしょう。
 しかし、先生は真剣に思索しておられた。
 私も、それ以来、先生のお言葉を糧にして、自分なりに思索したものです。
 斉藤 ″今日、死ぬ″というのは″臨終只今にあり″ということですね。
 池田 自分は、今、死んでも成仏するに決まっている──そう言いきれる信心をしていきなさいということです。もちろん、広宣流布へ向かって、今世の使命の達成に向かって、「生きて生き抜かなければ」ならない。
 そのうえで、いつ死んだとしても、自分の信心には悔いがない、自分はやりきった、今死んでも一生成仏できるに決まっている、そう確信できる──うぬぼれは、いけないけれども──そういう信心をしていきなさいということだと、私は受けけとめた。
 一生成仏──何があつても楽しいという、最高の「歓喜の中の大歓喜」は信心以外にない。広宣流布へ、だれが見ていようがいまいが、戦いきる以外に味わえない。そういう信心を、今、自分はしているか。それを、じっと静かに見つめてみなさいということです。
 人間の一日には″八億四千の念々″があると言われている。(御書四七一ページ)
 心は、ぱっ、ぱっ、ぱっ、ぱっと、いつも変わる。
 八億四千というのは、当時の「億」は「十万」の意味とも言われているから、「八十万四千」となるかもしれない。いずれにしても、すごい変化、変化です。
 そのうちの、どれだけ自分は広宣流布のことを思ったか、御本尊のことを思ったか、学会のことを、同志のことを思ったか、行動したか、行動しなかったか。
 その差し引き、プラスマイナスの総合点で、自分の境涯が決まってくる。「心こそ大切なれ」です。信心は形式ではない。
 遠藤 「生ぬるい、形式だけの信心をするな! 臨終只今の信心をせよ!」ということですね。
2  池田 もうひとつの「今日、総理大臣になったら」というのは、門下の立場で言えば、おのおのが、おのおのの世界の「柱」として、思う存分に働ける実力をつけよ、ということと言ってよい。
 仏法は「宗教のための宗教」ではない。社会のため、現実の人生のための信仰です。社会と人生の軌道を、希望の方向へ、希望の方向へと、ぐーっと引っ張っていける、その活力源が信仰です。
 だから、社会のあらゆる分野の指導者として、「さすがは信仰者だ」といわれる活躍と結果を示さなければならない。また広宣流布の組織のリーダーとして、「ああ、あの人がいれば、皆、元気になる」と慕われる人にならねばならない。
 要するに、広宣流布の広大な戦野にあって、「この部署は、まかせておいてください。どうかご安心ください!」と言える自分自身であるかどうかを反省せよ、と受けとめればよいと思う。このように、一つは「信心」で、一つは「自分の位置」をよく見つめて、自分を磨ききっていきなさい、ということです。
 戸田先生は、本当に鋭い、不思議な先生だった。
 斉藤 この戸田先生の一言を、まさに「実行」してこられたのが、池田先生だと思います。世界の指導者との対話にしても、民間人として、これほど数多く、意義ある対話を重ねてこられたことに、心ある人は皆、驚嘆しています。
 須田 世界の大学からの名誉博士・名誉教授が、六十近いのも信じられないことです。(二〇〇七年二月現在、二百四)
 池田 私は牧口先生、戸田先生にいつも捧げるつもりで頂戴しています。
 牧口先生、戸田先生は教育者であった。教育者であって、広布に殉じられた。その福運が私に流れ、続いているのです。初代の福運が二代に行き、二代の福運が三代に行く。これが師弟です。これが人間の究極の法則です。今度は、私の福運が門下に行くのだし、私はいつも「福運を分けてあげたい」という気持ちです。戸田先生もそうであった。
3  本化・迩化両方への「総付嘱」
 遠藤 嘱累品のあらすじですが、神力品(第二十一章)で上行菩薩への「結要付嘱」が終わります。その後、釈尊は立ち上がって、大神力を示します。それは、無量の菩薩の頭を右の手でなでて、こう言うのです。「自分が久遠の昔に修行した、この得がたき仏の悟りの法を、今、あなた方に託すから、この法を一心に流布して、広く人々に利益を与えていきなさい」。それを三回、繰り返します。
 斉藤 頭をなでるというのは面白いですね。
 須田 「苦労をかけるが、頑張ってくれよ」という心でしようか。「嘱累」ですから。
 池田 そうも言えるでしよう。「頭をなでる」というのは、まあ、頼りない子どもに「いい子だから、ちゃんとやるんだよ」と言っている感じにもとれる。
 須田 相手は、神力品とうって変わって、迹化の菩薩がいっぱい入っていますから、優しい託し方ですね。
 遠藤 本化・迹化、両方含めた「総付嘱」ですから。
 斉藤 低いレベルのほうに合わさざるを得ない(笑い)。
 池田 本当に信頼している弟子には厳しいのです。全魂を打ち込んて訓練し、一切を託していく。戸田先生は言われていた。「牧口先生に、かわいがられた弟子は皆、退転し、先生に背いた。おれは先生には、ただの一度もほめられたことはなかった。しかし、おれはこうして、たった一人残って、先生の後を継いで立っている」と。
 私も戸田先生から、だれよりも厳しく訓練を受けた。くる日も、くる日も、″無理難題″ばかりだったと言っていい。門下生の中には「自分は戸田先生に大事にしてもらった」「かわいがってもらった」、そう思っている人もいた。それはそれでいい。
 しかし、大事なのは、師匠の意図を「実現」していくことだ。
 また、格好だけ、師匠の「まね」をした人間は皆、おかしくなっている。戸田先生の時代もそう。私の時代もそうです。
 弟子には弟子の道がある。弟子の道は「実行」あるのみです。
 さらに深く見るならば、「三回、頭をなでる」というのは、師匠の「身口意の三業」そのままを、弟子が実行していけという意味ともなる。
 斉藤 はい。御義口伝に、こうあります。「三摩の付嘱とは身口意三業三諦三観と付嘱し給う事なり」(三回、頭を摩する〈なでる〉付嘱は、師匠の身口意の三業、空仮中の三諦を一心に観じる三観の智慧を付嘱したまうことである)
 池田 弟子の立場から言えば、師の教えを「身」で行じ、「ロ」で行じ、「意」で行じて、一心三観の智慧を得ていく。
 すなわち自分の仏界を無量に開いていく──そういう意味になるでしょう。
 須田 「行動」ですね。
 池田 「弘教」です。広宣流布に動いていくことです。広宣流布に連なった「身」「ロ」「意」の三業は、塵も残さず、全部、大功徳に変わる。
 「身」が動いていても、「意(心)」が「ああ、いやになっちゃうな」と思っていたら、その分、自分で自分の功徳を消しているのです。
 遠藤 「右手で頭をなでる」の部分は、サンスクリット本では、「右手で右手をとって」とあります。いわば全員と握手したのです。
 これは師匠が「握りこぶしをもたない」つまり「自分の知っていることは全部、包み隠さず示した」という意味だと考えられます。
 池田 バラモン階級の師匠は「秘伝」とか「秘法」を売りものにしていた。それが「握りこぶし」だね。しかし、釈尊は、そうではなかった。
 「如我等無異(我が如く等しくして、異なること無からしめん)」(方便品、法華経一三〇ページ)と言って、皆に、最高の「秘法」すなわち「妙法」を教えたのです。
4  斉藤 仏教は「人類最初の伝道の宗教」です。それまでの宗教は、ごく限られた人に秘密の法を伝えるということはあっても、釈尊のように「自分の悟りを万人に弘める」ということはありませんでした。
 池田 「握りこぶし」だね。
 須田 日顕宗も、何かと言うと、秘伝とか相伝とか言って、バラモンに似ていますね(笑い)。本来、「三大秘法」以上の「秘法」はありません。法主の相伝というのも、三大秘法への正しい信・行・学が中心にあるはずです。
 遠藤 「三大秘法を広宣流布せよ」というのが日蓮大聖人の御遺命ですから。
 本来、法主が広布の先頭に立ち、三類の強敵からの迫害の矢面に立つべきです。
 事実、日興上人、日目上人は、そうされたわけです。それもしないで、いな「広宣流布」を破壊に破壊しておいて、何の相伝か。秘法でなく、邪法でしかない。
 斉藤 「握りこぶし」も開いて見れば、中身は何にもありませんからね(笑い)。
 遠藤 ただ、人をぶん殴ったり、「破壊」に役立つだけ(笑い)。
 須田 そう言えば、インドには「握りこぶしでは、握手できない」という言葉がありましたね。「力」ではなく「対話」でなければ平和は生まれないという意味です。
 池田 釈尊は、信頼する弟子には何も隠さなかった。
 嘱累品でも、如来に「慳悋けんりん(もの惜しみ)」無し、とあったでしよう。
 斉藤 はい。「如来は大慈悲有って、諸の慳りん無く、亦畏るる所無くして、能く衆生に、仏の智慧、如来の智慧、自然の智慧を与う。如来は是れ一切衆生の大施主なり」(法華経五七八ページ)とあります。
 池田 大施主だ。気前がいいんだよ。けちんぼの仏さまなんかいないんです。
 妙法は、言わば「打出の小槌」です。「如意宝殊(心のままに宝を得られる宝珠)」です。「宝の中の宝」です。
 それを全部、あげようというんだから、こんな気前のいい話はない。それなのに、いやがって、悪口言ったり、迫害するんだから──。
 須田 本当に悪世末法です(笑い)。
5  遠藤 そういえば、もう亡くなられましたが、岩手の一関の方で、昭和三十年(一九五五年)に入会してから、生涯に百四十世帯近くの折伏をされた婦人がいました。
 彼女が、本気で折伏に励むようになった動機が面白いんです。胃かいようや心臓病で、医者から「あと三年の命」と言われた時に入会。半年ほどで、みるみるうちに健康になり、病床をたたんでしまった。彼女は、先輩に言ったそうです。
 「すばらしい信心だ。もったいなくて人に聞かせられネエ」(笑い)。
 「自分だけでやるんだ」と張りきって(笑い)いたところを、先輩から、さとされた。
 「なにを言うんですか。自分さえよければ、ほかの人はどうなってもいいんですか。そんな無慈悲な人は学会員じゃありません!」
 そこで、びっくりして、「よし」と決意し、弘教ひとすじに頑張ったんだそうです。
 御本尊への絶対の「大確信」と、面倒見のよさで、折伏した人は一人も退転していないし、たくさんのリーダーが出ています。一人、音信が途絶え、最後まで心配していたそうですが、それにしてもすごいことです。
 子どもたちも立派に後を継ぎ、皆の折伏も合計すると五十世帯近くなります。
 池田先生の前で記念表彰されたことを最高の誇りにして、大勢の人に見守られながら、安らかに亡くなりました。
 池田 有名な方です。本当によく頑張ってこられた。
 創価学会には、こうした庶民の「無冠の王者」がたくさんおられる。これほど偉大な世界はない。
6  「如来の秘密」をすべて開示
 須田 釈尊が、もしも法華経を説かなかったら、「慳貪(もの惜しみ)の罪」に堕ちていたと、御書には説かれています。(御書一五ページ等)
 法華経で「如来秘密神通之力」(寿量品、法華経四七七ページ)を全部、示したということです。
 池田 日蓮大聖人は、この寿量品の文を「本門の極理」と言われている。その実体は「文底の南無妙法蓮華経」です。
 (「法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり、一切の功徳法門・釈尊の因行果徳の二法・三世十方の諸仏の修因感果・法華経の文文句句の功徳を取り聚めて此の南無妙法蓮華経と成し給えり、ここを以て釈に云く惣じて一経を結するに唯だ四のみ、其の枢柄を撮つて之を授与す云云、上行菩薩に授与し給う題目の外に法華経の極理は無きなり」)
 過去・現在・未来の、全宇宙の、すべての仏を成仏させた「根源の種子」を、そのまま弘めるのです。まさに「如来の秘密」そのものなのです。
 須田 本当に、あけっぴろげというか、気前がいいというか、大盤ぶるまいというか、法華経は「情報開示」の究極とも言えそうです(笑い)。
 池田 「大慈悲」です。戸田先生は、自分だけが拝んで、広宣流布に働かないのは「まんじゅうを、一人で、こっそり隠れて食べるような信心」と言われていた(笑い)。
 牧口先生も「菩薩行をせねば仏になれない」と、折伏を叫ばれた。宗門が弘教を忘れていたことを叱ったのです。
 斉藤 「信者と行者を区別しなければならない」と言われたんですね。
 「信ずるだけでもお願いをすればご利益はあるに相違ないが、ただそれだけでは菩薩行にはならない。自分ばかり御利益を得て、他人に施さぬような個人主義(利己主義)の仏はないはずである。菩薩行をせねば仏にはなられぬのである。即ち親心になって他人に施すのが真の信心でありかつ行者である」(『牧口常三郎全集』10)
 池田 「親心」というのは、分かりやすいね。親が子どもを慈愛するように、正法を施すのが折伏です。決して、勢力拡大でも売名でもない。単なる理論闘争でもない。何もわからず、むずかる赤ん坊に、親がミルクをあげるような気持ちで、あたたかく、時には厳しく、時にはなだめ、導いていくのです。
 相手と同じ次元になって、感情的にけんかしたりしては、「如来の使い」でなくなってしまう。「忍辱(忍耐)の衣」を厚く着こまなければならない。反対に「(信心を)やってください」と頼むような卑屈な態度は、法を下げてしまう。「親心」です。
 戸田先生は「折伏の『折る』というのは、悪い心を折る、そして折伏の『伏する』ということは、善い心に伏せしめる」と説かれた。親ならば、子どもが、悪い不幸な道に入っていくのを黙って見ていないでしょう。厳しく叱る場合がある。この厳愛が折伏です。
 要するに、最高の正義であるし、最高の勇気です。
 慈悲と言っても、凡夫には慈悲なんか、なかなか出るものではない。「自分は慈悲がある」なんて言うのは、大ていは偽善者です。
 だから慈悲に代わるものは「勇気」です。「勇気」をもって、正しいものは正しいと語っていくことが「慈悲」に通じる。表裏一体なのです。表は勇気です。
 斉藤 先ほども嘱累品に「畏るる所無くして」とありました。
7  先生の″メモ″が支えてくれた!
 池田 悪と戦うのが「折伏精神」です。内部の悪に対しても、黙っていてはいけない。折伏精神は万般にわたるのです。
 前にも話したが、戦時中には座談会にも特高の刑事が来ていた。話が神札問題に触れると必ず「中止!」の声がかかる。牧口先生は、しばらく話をそらして、また神札に触れると、また「中止!」です。
 そばの人が「なんで、あんなに注意されることがわかりながら、牧口先生は繰り返すのかな」と、思ったほどであった。
 だれも牧口先生の深いお心はわからなかったのです。先生は毅然として、むしろ刑事を折伏するかのような勢いであったという。それに比べれば、今は自由の時代です。それで戦えなかったら、あまりにも、いくじがない。
 牧口先生は、そういう獅子王の勇気とともに、こまやかに一人一人に愛情を注がれた。人の上に立つ者の一番の条件は、愛情です。これしかない。
 先生は、入会まもなくて何もわからない人たちに懇切丁寧に教えておられた。
 話しているときによく、紙を出して、筆でサラサラとメモをとられていたという。それは指導をした人の問題をきちんと覚えておいて、問題が解決するまで激励を続けていくためのメモだった。
 また、それぞれの人にふさわしい御書の一節や、指導の言葉をメモに書いて渡しておられた。御書もなく、学会の出版物もない時代です。
 皆、このメモを持って、弘教に歩いたのです。
 遠藤 嘱累品では、本化・迹化を問わず、すべての菩薩に、布教を命じ、託します。
 その荘厳な様子を、こう大聖人は表現しておられます。
 「属累品の御心は仏・虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしの武蔵野すすきのごとく・富士山の木のごとく・ぞくぞく簇簇ひざをつめよせて・頭を地につけ・身をげ・をあはせ・あせを流し、つゆしげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経をゆづらんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ、たとえば悲母の一子が頂のかみなづるがごとし、爾の時に上行乃至・日月等かたじけなき仰せを蒙りて法華経を末代に弘通せんと・ちかひ給いしなり
 (嘱累品の心は、釈尊が虚空に立たれて、四百万億那由佗の世界一面に、武蔵野の芒のように、富士山の木のように群がり、膝を詰め寄せ、頭を地につけ、身をかがめて、手を合わせ、汗を流して、釈尊の前に露のようにおびただしく集まった上行菩薩等や文殊等、大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経を譲るために、三度も頂をなでられたことにある。たとえば、悲母が子どもの髪をなでるようなものである。その時に、上行や日月天等は、かたじけない仰せを受けて、法華経を滅後末代に弘通することを誓われたのである)
 池田 「武蔵野のすすき」「富士山の木」──詩的ですね。大聖人は詩人です。
8  須田 このように、見わたす限りに連なった菩薩は、こう誓います。
 「世尊のみことのりの如く、当に具さに奉行すべし。唯然なり世尊、願わくは慮したもうこと有らざれ」(法華経五七〇ページ)
 (「はい。私たちは、世尊のご命令通りに実行します。どうか、世尊、ご安心ください。心配なさらないでください」)
 これを三回、繰り返します。
 池田 凛々しいね。すがすがしい。
 師匠も、うれしかったでしょう。師匠に心配をかけないことが大事です。
 ただでさえ師匠は、弟子が想像も及ばぬほど、弟子のことを心配しているものだ。そして、嘱累品に、弘教の人は「諸仏の恩を報ずるなり」(法華経五七九ページ)とある。
 仏の願い、師匠の願いは、ただ「広宣流布」にある。ゆえに弘教に走ることが、それこそが師匠への「報恩」になるのです。
 恩を忘れて仏法はない。いな人道はない。仏法は「人間の生き方」を教えたものです。ゆえに、仏法者は、だれよりも「知恩の人」「報恩の人」でなければならない。
 斉藤 仏法を教えてくれた創価学会の恩を絶対に忘れてはならないと思います。創価学会にお世話になりながら、学会を下に見るような人間は、自分で自分を破壊しているようなものです。
 須田 師匠に言われた通りに、「当に具さに奉行すべし」。その通りに、私見をまじえず、「具さに」つまり「ひとつ残らず、全部」実行します。これが「弟子」ですね。
 遠藤 ともすれば「師匠はああ言われているが、今は特別の事情があるから、その通りにはできない」とか、「師匠の教えは教え、現実は現実」となりがちです。
 池田 それでは、自分で、師弟の間の電線を断ち切ってしまうようなものだ。電流が通うわけがない。力が出るはずがない。
 師弟とは、弟子の「自覚」の問題です。形式ではない。師匠に何回、会ったとか、そばにいるとか、幹部だとか、それは形式です。たとえ師匠から離れた地にいようとも、直接話したことがなくても、自分が弟子の「自覚」をもって、「師匠の言う通りに実行するのだ」と戦っていれば、それが師弟相対です。
 根幹は、師匠対自分です。組織の機構や役職等は方便です。それをまちがうと、大変です。仏法という「師弟の世界」を壊して、官僚的な「形式の世界」にしてしまったら、大変なことになる。
 どんなに人知れず、陰で働いていても、師匠の指導通りにやっているならば、師弟相対は深い。
 それが外れていたら、どんなに華々しく行動していても、何にもならない。
 師弟の道を離れて、仏法はないのです。
 法華経が他の経典よりも優れている理由の一つに、天台大師は「師弟の遠近不遠近」を挙げた。ここには重大な意義がある。
 (法華玄義に説かれた「三種の教祖」の第三。爾前経・迹門では、始成正覚の釈尊からの師弟関係しか明かしていないが、法華経の本門において″久遠以来の師弟関係″を明かした)
9  法華経全体が「師弟の儀式」
 遠藤 嘱累品というと、どうしても神力品(での上行菩薩等への付嘱)との対比で、「迹化の菩薩への付嘱」という印象が強いのですが、本化・迹化あわせた「すべての菩薩への付嘱(総付嘱)」なんですね。
 池田 そうです。だから、その上首、リーダーは、やはり上行菩薩です。
 一往は「迹化の菩薩への付嘱だが、再往は上行菩薩が中心です。
 だから「三回、頭をなでる」ことの本義も、弟子の頭に「南無妙法蓮華経」の「明珠」を与えるところにあった。
 須田 安楽行品(第十四章)の「髻中けちゅうの明珠」の譬え(法華経四四五ページ)を思い出しますね。
 (もとどり〈髪を頭の頂きに集めて束ねたもの。「たぶさ」〉の中に大切にしまってある一番大切な宝珠。転輪聖王が、戦い最も功績のあった者にだけ、これを与えるという。法華経こそ、仏が与える無上の宝珠に当たる)
 遠藤 要するに、御本尊のことです。
 斉藤 御本尊を弘めていきなさいというのが嘱累品の本意です。
 池田 そう。日蓮大聖人の御出現を予告しているのです。
 斉藤 上行菩薩への付嘱は、「本尊付嘱」あるいは「法体付嘱」等と呼ばれています。
 法華経の付嘱に二通りあって、一つは「経巻付嘱」──迹化のために、この二十八品を付嘱しました。
 一方、本化地涌の菩薩のためには、寿量品の文底にあって、一切諸仏がそれを「本尊」として修行した法体──久遠元初の南無妙法蓮華経を付嘱したのです。
 池田 付嘱の儀式を通して、末法に、この御本尊を所持している「人」を指し示し、最大に称賛したのです。
 法華経は釈尊の遺言です。自分の死後に、だれが、どうやって人類を救っていくのか。それを指し示すために説かれた。具体的には法師品(第十章)から菩薩への呼びかけが始まり、続いて宝塔品(第十一章)で、巨大な宝塔が出現した。そして大衆を虚空に引き上げ、「大音声」で呼びかけます。
 「誰か能く此の娑婆国土に於いて、広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久からずして、当に涅槃に入るべし。仏此の妙法華経を以って付嘱して在ること有らしめんと欲す」(法華経三八六ページ)
 斉藤 そして、虚空会でずっと儀式が続いて、この嘱累品で、虚空会の儀式が終わります。
 須田 弟子たちの「ご安心ください」という返事を聞いた釈尊は、十方から集まっていた諸仏を「本土にお帰りください」と言って帰し、「宝塔も元通りにしてください」と言って、虚空会が終わります。
 遠藤 こうして見ると、虚空会はまさに「付嘱のため」にあったことが、はっきりわかりますね!
 池田 法華経全体が、壮大な「師弟の儀式」なのです。師弟を離れて、法華経はわからない。
10  二処三会のダイナミズム
 遠藤 ちなみに、サンスクリット語の現存する法華経では「嘱累品」に当たる品は、法華経の末尾に置かれています。
 池田 「正法華経」(竺法護による漢訳)でも、そうだったね。
 遠藤 そちらのほうが本来の形だったとも言われますが煇……。
 斉藤 たしかに、嘱累品で経文全体が終わっても、不自然ではない内容になつています。
 池田 研究課題だね。
 斉藤 古来、議論があるところです。
 池田 それは学問的研究に待つとして、この位置に「嘱累品」があることによって、法華経全体がじつにドラマチックになっていることは間違いないと思う。つまり「二処三会」という、ダイナミックな舞台設定になったということです。
 須田 あ、そうですね!
 虚空会が始まる前の「霊鷲山」から「虚空会」へ、そしてまた「霊鷲山」に戻る──二つの場所で三つの会座ですから「二処三会」です。嘱累品が全体の末尾にあると、「霊鷲山」から「虚空会」ヘ──という「二処二会」の平板な構造になります。
 池田 前に(序品のところで)やったように「二処三会」には、深い意義があった。
 それは法華経全体の構成によって、「現実の世界から『永遠の生命の世界』へ」(霊鷲山から虚空会)、そしてまた「現実の世界へ」(虚空会から霊鷲山へ)という″人間革命のリズム″を示している。
 須田 「求道(上求菩提)」の方向と、「救済(下化衆生)」の方向と、両方の往復のリズムということですね。
 遠藤 現実の「生活」から「勤行」へ、そして「勤行」から、また、みずみずしく「生活」へ、「社会」へ。そういうリズムにも通じます。
 斉藤 妙法蓮華経に「帰命する(南無する)」というのも、妙法に「帰する」方向と、妙法に「命く」方向の両方を含んでいます。
11  池田 両方です。両方あって「南無妙法蓮華経」になる。
 「帰する」のは、いわば「自行」です。「命く」のは、「化他」と言える。
 自行化他の両方があって、宇宙のリズムに合致してくる。天体の自転と公転のように。
 「自行」が進めば進むほど、「化他」も進む。
 「化他」が進めば「自行」も深まる。
 弘教について、戸田先生はよく「御本尊を、しっかり拝むことだ。ほかに何の方法もない!」と言われていた。
 「真心が通じますように」と祈るのです。
 「如来の使いとして、今世の使命を果たさせてください」と祈るのです。
 仏法は勝負です。戸田先生は勝負に厳しかった。体育大会の騎馬戦なんかでも、負けそうなチームに、先生が少しアドバイスされると、不思議に勝ったものです。
 一方、弘教について、戸田先生は、こう言われたこともあった。
 「なかには、折伏のできない人もいる。口べただとか、気があまり良すぎるとかいう人は、折伏はあまりできないが、本人は喜んで信仰している。それならそれでいいのである。それを『あなた! 折伏しなくちゃだめよ!』とか言う人がいる。だめよと言ったって、本人ができなければ、しょうがないではないか。本人が御本尊をありがたいと思っているなら、それでいいのだ。
 ただその人を、本当に信心させるようにすればよい。『御本尊は本当にすばらしい』ということが、ちゃんとわかってくれば、自然に、その人は他の人に言う。それがそのまま、折伏になるのだ」と。
 須田 納得できますね。
12  池田 心豊かにやるのです。楽しくやるのです。
 この世に生れて、一言でも妙法のことが説けるなんて最高の栄誉だと、感謝して、誇りをもって、笑みをたたえて、やるのです。
 それを「何人やらないといけない」とか決めつけると、心に負担になってしまう。苦しくなってしまう。皆の心を重くして、広宣流布が進むわけがない(笑い)。
 心を軽くしてあげるために指導者がいるんです。みんな、その反対をやっている。
 勇気を与えるんです。希望を与えるんです。大きな心で、ほめ讃えていくんです。
 もちろん自分が目標をもつことは大切です。そして「会員に一人のこらず大功徳を受けさせるんだ」という祈りがあれば、その心は必ず通じます。
 大功徳を受けさせるために、おだやかに信心のことを一生懸命語って、「一緒に頑張りましょう」「もっと健康になり、もっと皆で長生きしましょう」「皆で、すごい二十一世紀を迎えましょう」と励まし合っているところは、大騒ぎしなくても伸びています。
 妙法のことを、ほめ讃えていけば、それが立派な折伏なのだから、相手が入会するかどうかは別問題で、語っただけでも功徳はちゃんとあるのです。
 スポーツとかピアノとかでも、しょっちゅうやっていれば、力がつく。それと同じように、折伏もできるときにやっておくことです。その福運が、自分の一族、子孫をも守っていくのです。
 ともあれ、折伏を地道にやってきた人は、福運の土台がコンクリートのように固まっている。強い。魔に破られない。弘教の修行を避けた人は、どんなに偉くなっても、メッキのように、いざという時に堕ちてしまう。
 須田 「自行と化他」両方で法華経のリズムになっているということですね。
 遠藤 嘱累品が神力品の直後にある意義が、よくわかりました。
13  人を助けて、自分も癒される
 池田 人を救うことによって、自分も救われる。これは心理学のうえからも言われています。癒しがたい心の苦しみを担って、「生きる力」をなくしてしまった人が、どうやって立ち直るか。
 いくら自分の苦しみを見つめても、ますます落ち込んでしまうケースが余りにも多い。それと反対に、同じような苦しみを味わっている人のもとへ行き、その人を助けることによって、自分も「生きる力」を回復すると言うのです。
 他者への「思いやり」の行動が、自分を「癒す」のです。
 斉藤 人を助けることによって、自分が助かる。まさに「自他不二」です。その意味で、折伏には「相手に感謝しながら」という謙虚さも含まれていますね。
 遠藤 親子だって、子どもの成長を楽しみにすることが、どれほど親自身の「生きる力」になっているかわかりませんから……。
 池田 現代は、「人に尽くす」ことが、何か「損」のような風潮がある。
 「慈愛」などというと、冷笑されるような雰囲気もあるが、そういう傲慢が、どれほど社会を不幸にしているか、はかり知れないね。
 ガンジーに、ある時、アメリカ人宣教師が聞いたという。「あなたの宗教とは何ですか、インドの未来の宗教はどのような形をとるのでしょうか」。
 むずかしい宗教論議をふっかけられたガンジーは、何と答えたか。
 ちょうど、その部屋に二人の病人が伏せっていた。
 ガンジーは二人を指さして、あっさりと、こう答えた。「奉仕すること、仕えることがわたしの宗教です。未来のことなど慮っていません」。そして、ガンジーにとって、政治もまた「奉仕」であり、「最も貧しい人」たちに仕えることだったと言うのです。(森本達雄著『ガンデイーとタゴール』第三文明社。引用・参照)
 行動です。「菩薩行」にしか宗教はない。仏法はない。本来の政治も、教育もない。
14  斉藤 数年前、ある学者が、日本が行き詰まっている原因を、こう論じていました。(経済学者の佐和隆光氏、『世界』九五年十一月号)
 「一九四五年の敗戦に至るまでは、天皇制が『宗教』の役割を果たしていた。ここでいう宗教とは、国民的アイデンティティーと社会規範の源泉を意味する」
 戦後、天皇制に代わって「宗教」の役割担ったのは「マルクス主義ないしその亜流」。
 六〇年代の高度成長時代に「新しい『宗教』となったのが、欧米先進国に『追いつき追い越せ』の国民的願望にほかならない」。
 この願望は、八〇年代から九〇年代に、経済大国となって達成され、「『追いつき追い越せ』教」の役目は終わりました。そこで「もう一つの『宗教』を見いださない限り、この国は『規範なき社会』とならざるを得まい」──こういう論です。
 遠藤 たしかに「規範なき社会」です。社会の止め金がはずれて、何もかも、ばらばらになってしまった感じです。何が起こっても不思議ではない不気味ささえ感じます。
 池田 無宗教国家・日本の悲劇です。だからこそ、私たちの使命は大きい。
 「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」です。
 「蔵の財」──経済のことばかりいじくっても、経済そのものだって、良くはならない。かりに良くなっても、社会は幸福にならない。
 人間です。心です。心がすべてを動かす。
 如来は「大施主」とあったが、妙法の弘教とは最高の「心の財」を施すことです。
 福運と智慧にあふれた「心の財」があれば、そこから、本当に豊かな「身の財」「蔵の財」も備わってくるのです。
 斉藤 二十一世紀に向かって、一番大切なことだと思います。
15  池田 人生、最後に何が残るのか。
 思い出です。生命に刻まれた思い出が残る。
 モスクワで会った作家のショーロホフ氏が、こんなことを言われていた。
 (=ノーベル文学賞作家。代表作『静かなドン』『人間の運命』。名誉会長との対話は、一九七四年〈昭和四十九年〉九月)
 「長い人生になると、いちばん苦しかったことは、思い出しにくくなります。長くなると、いろんな出来事の色彩がうすくなり、一番うれしかったことも、一番悲しかったことも、一切合切、過ぎ去っていきます」
 そして一呼吸おいて、こう言って微笑まれた。「私の言うことが真実だということは、池田さんが七十歳になった時にわかるでしよう」。味わい深い言葉です。
 一切は過ぎ去る。天にも昇らんほどの喜びも、死のうかと思うほどの苦しみも、過ぎてしまえば、夢のようなものです。そのうえで、私は「生命を完全燃焼させた思い出は、永遠に消えない」と言っておきたい。なかんずく広宣流布に燃やしきった思い出は永遠です。
 この世に生まれて、一体、何人の人を幸福にしたか。何人の人に「あなたのおかげで私は救われた」と言われる貢献ができたか。
 人生、最後に残るのは、最後の生命を飾るのは、それではないだろうか。
 「南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」です。
 それが冒頭に話した戸田先生の「今日、死んだらどうするか」という思索の結論と言えるのではないだろうか。

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