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日蓮大聖人・池田大作

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如来神力品(第二十一章) 「凡夫こそ本…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  神力品は「民衆勝利の大行進」の序曲
 斉藤 「民衆勝利の年」(一九九八年)も、凱歌のうちに下半期に入りました。この「民衆勝利」こそ、法華経がうたい上げている讃歌だと思います。
 池田 そうです。そのために法華経は説かれた。
 虐げられ、苦しめられ、ぱかにされてきた民衆を立ち上がらせ、胸を張って、大行進させるための法華経です。「一番苦しんできたあなたが、一番幸福になれる人なんだ」と激励し、大生命力を開かせていくための法華経です。
 「自分なんか、だめな人間なんだ」と卑下している人に、「あなたこそ一番尊い、一番高貴な人なんだ」と目覚めさせ、顔を上げさせるための法華経です。そして皆でスクラムを組んで、「自他ともの幸福」へ、大行進していくのです。
 その「民衆勝利」の大行進のプレリユード(序曲)が、法華経の神力品です。
 今、二十一世紀に向かって、私たちがその「民衆の勝利」の軌道を作っている。道を作っている。橋を懸けている。苦労は大きいが、その功績は、後になるほど光ってくることを確信してほしいのです。
 遠藤 それこそ「生きた法華経」ですね。
 須田 釈尊から上行菩薩への「結要付嘱」とは、仏法のすべて″如来の生命″を、すべて上行菩薩に渡した儀式でした。これからは──末法は「釈尊の時代」ではなく、「上行菩薩の時代」ですよ、と宣言したわけです。
 遠藤 「上行菩薩の時代」とは、「凡失こそ仏である」と開顕していく時代です。それまでの「(色相荘厳の)仏が上」「凡夫が下」という仏法を、まったく建て直す新時代です。
 斉藤 ありのままの「凡夫」「人間」以外に「仏」はないのだという徹底したヒューマニズムですね。
 池田 ある人が言っていた。
 「本来、患者のために医者がいる。患者に尽くしてこそ医者である。なのに医者は自分のほうが偉いように思って、威張っている。困っている人のために弁護士がいる。なのに弁護士は自分が偉いように思って、威張っている。
 国民のために政治家がいる。公僕(民衆に仕える人)である。なのに政治家は国民を利用し、国民より自分が偉いと思って、威張っている。ジャーナリストは、民衆の人権を守るためにいるはずである。なのに、マスコミが先頭に立って人権侵害をしている。信徒のために聖職者がいる。なのに聖職者は自分のほうが偉いと思って、威張っている」と。
 須田 その通りだと思います。
 遠藤 転倒ですね。
 池田 転倒です。これを、ひっくり返すのが、人間主義の「革命」です。
 斉藤 「革命(リボリユーション)」は、もともと「ひっくり返す」という意味です。
 池田 その一番激しく、一番根本的な「革命家」が日蓮大聖人であり、釈尊と言えるのではないだろうか。
2  釈尊は、それまでの「神々のための人間」を「人間のための神々」に、ひっくり返した。同時に、人々の信仰心を利用して威張っていた「聖職者(バラモン)階級」を否定し、カーストを否定し、「人間はすべて平等」と宣言し、実行した。
 遠藤 考えてみると、保守勢力から迫害されて当然ですね。
 池田 しかし、その仏法も、いつのまにか釈尊の精神を忘れてしまつて、人間主義でなくなっていった。そこへ日蓮大聖人が出現されて、「仏のために人間がいるのではない。人間のために仏がいるのだ」と宣言されたのです。
 斉藤 驚天動地の宣言です。
 須田 「上行菩薩の時代」とは、じつに深い意義があります。
 池田 宗教は社会の根本だから、宗教革命こそ、社会の一切の転倒を正していく「根本の革命」なのです。
 ともあれ、誰にせよ、傲慢になった分だけ、自分が「マイナス人間」になっていることに気がつかなければならない。″自分は皆より偉いんだ″と思っている分だけ、人間としではマイナスであり、低いところに堕ちているのです。
 遠藤 ″我、高し″と思っている分だけ、じつは低いところに堕落しているんですね。
 斉藤 エリート意識なんかも、そうです。
 先ほど挙げられた弁護士とか政治家、医師、僧侶。また有名大学を出たとか、金もちだとか、一流の会社にいるとか、自分は幹部だとか、何らかのエリート意識。これらは、「裸の人間性」以外の何かで、自分を「飾り立てている」わけです。
 そうではなく、「人間」そのもので勝負せよというのが、法華経だと思います。
 須田 仏の「色相荘厳」さえ否定してしまうのですから、そのほかの「飾り立て」なんか″問題外″ですね。
 池田 エリート意識をもっている人間は、捨て身で戦わない。
 自分は傷つかないようにして、要領よく、人にやらせて、甘い汁だけ自分が吸おうとする。臆病であり、最低です。
 法華経は、日蓮大聖人の仏法は、裸一貫の凡失が「人間」として生き、「人間」として叫び、「人間」として「人間」の幸福のために戦い抜いていくところに本義がある。満身創痍です。難との戦いです。不惜身命です。それ以外に「生きた法華経」はない。
 創価学会による広宣流布だって、社会的なエリートがやったのではない。名もなき民衆の肉弾戦で切り開いたのです。
 ここにこそ、「神力品」の本当の実践がある
3  名もなき庶民の「人権闘争」
 遠藤 夕張炭労問題(昭和三十二年〈一九五七年〉)の時、池田先生、戸田先生のもとで戦つた北海道のあるご夫妻の体験をうかがいました。
 奥さんは、現在、苫小牧にお住まいで、この秋(九八年)、七十歳になられます。ご主人は、三年前に亡くなられました。
 池田 存じ上げています。先日も「聖教新聞」で紹介されていたね(九八年=平成十年六月三日付)。「炭労問題の四十周年(平成九年〈九七年〉)」を記念して、札幌の通信員の方々が当時の貴重な記録や証言を、まとめて届けてくださつた。一緒に戦った夕張の同志のことは、永久に忘れることはできません。
 遠藤 当時の様子は、先生が小説『人間革命』(第十一巻)にくわしく書いてくださっています。「権力の魔性」に対する、名もなき庶民の「人権闘争」に感動します。
 そのご夫妻が入会したのは、ご主人の道楽ぶりに悩んだ奥さんの両親の勧めでした。しかし、入会したものの、形だけで、何もしませんでした。夫の飲み代や借金のかたにとられ、家を二回も失っています。
 須田 並の道楽ぶりじゃないですね!
 遠藤 東京から大阪へ行ったものの、事業に失敗。ご主人は故郷の夕張に一人、帰ってしまった。奥さんは、よっぽど別れようかと思いましたが、母親が「子どものために、もう一度やり直してみなさい」と言ったので、ご主人の後を追って夕張へ。ところが、その直後、頼りにしていたお母さんが亡くなってしまったのです。
 斉藤 それは、心細かったでしようね。
 遠藤 途方に暮れ、夕張の橋の前で呆然としていました。
 すると、見知らぬ女性が声をかけてきた。「あなたを見かけた方が、心配していますので」。誘われて行くと、そこに待っていたのは、戸田先生でした。
 地方指導のため夕張を訪れた戸田先生が、旅館の窓から外を見ていると、身投げでもしそうな意気消沈した彼女を見つけたのです。「橋のところに変な人がいるから呼んできなさい」。そう言って、使いの人を行かせたのでした。
 池田 鋭いね、戸田先生は。
4  遠藤 昭和三十年(一九五五年)八月のことです。戸田先生の親身な指導に発心し、夫妻そろって広布に走る日々が始まりました。
 「信心したのに、どうして母は亡くなったのでしようか」と、勝代さんが質問すると、戸田先生は厳しくお叱りになった。
 「馬鹿者! あんたみたいな親不孝者は見たことがない。どれだけの信心をしてきて、そんなことを言っているのか。お母さんは方便をもって、我が子に信心を教えたんだ!」
 斉藤 そうやって、生活の苦悩にあえぐ人々を、一人また一人と全力で励まし、蘇生させてきたのが、戸田先生、池田先生の戦いだったと思います。
 その慈愛があったからこそ、これだけの庶民が立ち上がったんです。「自分の幸福を本当に思ってくれる人がいたんだ!」と。
 須田 この「庶民と庶民の連帯」を軽蔑し、嫉妬し、恐れを抱いたのが、炭労問題の本質ではないでしようか。
 斉藤 とくに、昭和三十一年(五六年)七月の参院選で、学会推薦の候補に、夕張から予想の何倍も上回を票が出た。このことに、彼らは衝撃を受けたようです。
 遠藤 そして、″泣く子も黙る″と言われた絶大な権力をカサに、組合に所属する学会員を脅し、学会から″改宗″させようとした。とんでもない「人権蹂躙」であり、「憲法違反」です。
 須田 炭労は、全国の大会でも、北海道の大会でも、「創価学会と断固、対決する」方針を打ち出しました。
 池田 炭労側は、こう言っていたんだよ。
 「もともと炭鉱には不慮の災害や珪肺(粉塵による肺疾患)のような病気が多く、労働者自体も知的水準の低いものがおり、この種の宗教の入りこむ余地がある」と。
 ″病人や、知的水準の低い人間が学会に入る″と言うのです。何と傲慢な、民衆蔑視か。
 斉藤 夕張炭労は「組合の統制に従わない者は組合を除名する」と脅しました。「組合からの除名」は即「会社からの解雇」を意味していました。(=被雇用者の組合加入が義務づけられるユニオン・ショップ制のため)
 須田 労働金庫からお金を借りようとすると、「学会をやめるなら貸そう」と言われた。有線放送やビラなどを使って″インチキ宗教に用心せよ!″と悪口も言われました。
 池田 陰険な″いじめ″や圧迫は、最もっと、たくさんあったのです。
 遠藤 夕張の同志は、耐えて耐えて、池田先生と心を合わせ、戦いました。
 ある会合では、先ほどの夫妻のご主人が、真正面から質問しました。「組合の団結を乱し、組合活動に不利益をもたらした学会員があったかどうか、もしあれば事実をあげて説明ねがいたい!」と。実例などあるはずがありません。
 組合執行部は、たじたじとなって、いいかげんさを露呈するばかりでした。
5  「民衆」に基盤なき組織は滅びる
 斉藤 夕張の同志に、先生は言われました。
 「民衆のための闘いだもの、かならず勝つに決まっています」
 「炭労側は、今後もさまざまな手段で、学会員を、いじめにかかつてくるだろう。だから、この際、夕張の学会員が二度と、いじめられないように、徹底して戦い、一気に事を決しておく必要があるのです」
 須田 そして、あの歴史的な「札幌大会(七月一日)」「夕張大会(七月二日)」が開かれました。大会の模様を報じた地元紙には、こうありました。「この大会には子供連れの婦人、中学、高校生の姿の多いことが目立ち、人いきれでムッとする会場は演説の一くぎりごとに全員拍手をするなど他の会合ではみられぬ光景だった」。
 斉藤 今も同じですね(笑い)。
 池田 「子供連れの婦人」──世間から見れば、政治や労働組合といった問題から、いちばん遠い存在であったかもしれない。しかし、そうした名もなき庶民が、「特権者のエゴの政治」ではなく、「全民衆の幸福のための政治」を実現しようと立ち上がったのです。この健気なる同志を、私は絶対に泣き寝入りさせたくなかった。
 力の恫喝が勝つか、正義の民衆が勝つか。炭労問題は、一地方の事件のように見えて、「民衆勝利」への重大な法戦だったのです。
 遠藤 「勝負」は歴然でした。「(学会の)夕張大会を傍聴させてほしい」と求めてきたのは、炭労側からです。しかし、いたたまれなくなったのか、大会の途中で、こそこそと逃げるように帰っていきました。
 当時、支部幹事であった三戸部菊太郎さんは、こう宣言されています。
 「池田先生からいただいた数々の指導のなかで思い出されるのは、炭労問題当時、ハイヤーに同乗させていただた時、『民衆次元に立っていない炭労は、かわいそうだ駄目になるよ。みんなは、この信心をしっかりやって、人生の基盤を固めていきなさい』と言われたことです。この言葉通り、昭和五十三年(一九七八年)十一月に夕張の炭労は解散大会を行い、三十二年の歴史を閉じたのです」
 池田 もちろん、炭労の人々だけが悪かったのではない。正しき民衆観、人間観を、だれからも教えてもらっていなかったのです。ある意味で、犠牲者です。
6  遠藤 歴史を刻んだ夕張の同志の方々は、皆さん、大きく境涯を開いておられます。
 紹介してきた奥さんも「かな書道」の芸術家として、実証を示され、活躍中です。苦労させられた、ご主人のことも「最高の同志」と言い切っておられる。
 亡くなったご主人の″最後の言葉″に感動しました。
 「先生、待ってください! 今すぐ行きます──ほらっ、母さん、早く靴はいて」
 うわごとのように、こう言われたそうです。「母さん」とは奥さんのことです。
 ご夫妻ともどもに、池田先生に続いて、どこまでも広宣流布へ戦おう! と。″学会活動が生きがい″というご主人らしい、崇高な「三世の旅立ち」だと思いました。
 須田 炭労問題のことを、小説『人間革命』で読んだある識者は、語っています。
 戦後の労働運動の拠り所となった思想も、話局は、真実の変革の力とはなりえない″保守反動的″なものにすぎなかった。
 そのことを、日本で初めて、公衆の眼前で明らかにしたのが、この事件であったと。
 そして「こうした法難に際して戸田を支えたのは名もなく貧しい『ただの人』であることが活写されている。『ただの人』にこそ仏性が存することを明示している。『地涌の菩薩』をこれほど分かりやすく説いたものは少ない」と。愛媛大学教授の村尾行一さんです。
 池田 名もなく、貧しい「ただの人」──その人こそが最高に尊いのです。
 広宣流布に進む「ただの人」こそが、「仏」なのです。じつは、これこそが「如来秘密」の「秘密」なのです。これを教えるために如来──仏は出現したのです。
7  文豪・金庸博士の″妙法との出あい″
 斉藤 本当に、仏法こそが人間主義だと思います。
 池田先生と香港の文豪・金庸博士との対談集『旭日の世紀を求めて』(潮出版社)を読みました。そのなかで、金庸さんが「なぜ仏教を信奉するようになったのか」について語っておられます。非常に印象的な、また深いお話でした。
 池田 そうだね。「仏教とは何か」を考えるうえで参考になるでしよう。
 ご自分の人生をかけた探究の結果、「真理は仏教のなかにあったのだ」と、分かったと言うのです。
 斉藤 はい。金庸さんは、自分が仏の教えに帰依したのは「非常につらい、苦難に満ちた道程でした」と言われています。それは、ご長男が突然、自殺してしまったのです。ご長男はアメリカのコロンビア大学におられた。優秀な方だったようです。
 金庸さんにとって、これほどの驚き、悲しみはありませんでした。
 須田 金庸さんは、そのとき何歳ですか
 斉藤 五十二歳です。
 須田 すでに作家として、大きく成功しておられたころですね。ジャーナリストとしても。
 池田 「私も息子のあとを追って自殺しょうかと思った」とも言われていた──。
 斉藤 はい。そして「どうして自殺しなければならなかったのか?どうして突然、命を捨ててしまったのか?」という疑問にさいなまれ、それから一年間、「生と死」を探求するために、数えきれないほどの本を読んだそうです。
 しかし、どうしても納得できない。キリスト教の教義についても、繰り返し思索したが、どうしてもなじめなかったと言われています。
 池田 そこで仏教の勉強を始められたのです。
 斉藤 まず、いわゆる小乗仏教と呼はれている「阿含経」に取り組み、何カ月も寝食を忘れて研究し、思索された。
 すると、あるとき、突然に、「真理は仏教のなかにあったのだ。必ずや、そうにちがいない」と、ひらめくものがあった。金庸さんは、英訳と漢訳の仏典を並べて読みながら、ついに「心の底から全身全霊で、仏法を受け入れた」のです。
 遠藤 こう言われています。
 「仏法は、心に巣くった大きな疑問を解決してくれました。『そうだったのか! ついにわかったぞ!』と、心は喜びで満ちあふれ、歓喜は尽きませんでした」と。
8  池田 すごいことだね。
 いわゆる「原始仏典」には、繰り返し、「不死」という言葉が使われている。
 「不死に没入して(中略)平安の楽しみを享けてている」「不死の底に達した人」(『ブッダのことば──スツタニパーク』中村元訳、岩波文庫)
 「不死しなないの境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている」「不死の境地におもむく」「われは不死の鼓を打つであろう」(『ブッダの真理のことば感興のことば』中村元訳、岩波文庫)
 生死を越えた「永遠の生命」という幸福境涯を釈尊は教えようとしたのです。金庸先生は、その本質を、先生なりに、つかんだのではないだろうか。
 斉藤 はい。金庸先生は次に大乗経典を研鑚します。「維摩経」「楞伽経」「般若経」などです。ところが、これらは、あまりにも神秘的で不可思議なことを誇張しであり、とても受け入れられなかったといいます。
 須田 たしかに、大乗仏教は神変や奇跡の類が多く、想像力豊かです。
 遠藤 SF(空想科学小説)みたいですね(笑い)。荒唐無稽とさえ思われる内容です。
 それが、「大乗仏典は釈尊が説いた教え(仏説)でなく、後世の人間がつくったものである」という「大乗非仏説」の理由の一つになっていると思います。大乗仏教は歴史的に、釈尊の死後、何百年もたってから(紀元前後に)出現したことでもありますし。
 池田 問題は、大乗仏典が「何を表情しようとしていたか」です。
 法華経の虚空会にしても、大地を破っての地涌の菩薩の出現にしても、経文の「文」だけを見ていたのでは、まさに荒唐無稽でしょう。しかし、経文には「文」「義「意」がある。(「文」は経文の文面、「義」は経文の字義にしたがった意味、「意」は経文の元意)
 経文の「意」すなわち「心」を知らなければいけない。
9  斉藤 金庸さんは、初め、とまどったものの、「しかし『妙法蓮華経(法華経)』を読むにいたり、長い思索を繰り返した結果、ついにわかったのです。すなわち本来、大乗経典がいいたかったことはみな、この『妙法』だったということを」と言われています。
 遠藤 卓見ですね。すべての経典は、たしかに「妙法」の一点を志向しています。
 池田 「妙法」という「生死不二」の大生命を志向している。「妙」は死、「法」は生。妙法で生死不二を表している。釈尊の説いた「不死の境地」というのも、この「永遠の大生命」を体得した境地ではないだろうか。
 斉藤 仏界ですね。
 池田 仏界です。妙法に帰命することによって「不老不死」の仏界の大生命力がわくのです。
 須田 「不死の鼓を打つ」というのは、妙法の大音声を響かせていく、ともとれます。
 遠藤 金庸さんは言われています。「『妙法蓮華経』で仏陀は、火宅、牛車、大雨など多様で身近な比喩を使って、世の人々に仏法を説き明かしています。人々を導くためには、『方便』を使う場合もある。仏陀が毒に当たって死にかけているふりをする場面もあります。それも、仏法を人々に広めるためなのです」
 「『妙法』。この二字の意味をわきまえるようになって、ようやく大乗経典を幻想で満たしている誇張にも反感をいだかなくなりました。大苦悩が大歓喜へと変わるのに、およそ二年の歳月がかかりました」
 須田 驚きです。「五重の相対」を、そのまま、たどっておられるような精神の遍歴ですね。
 キリスト教から仏教へ入り、それも小乗教から大乗教へ、そして法華経へと進まれた。
 (「五重の相対」は、仏法と仏法以外〈内外相対〉、大乗と小乗〈大小相対〉、法華経と法華経以外の大乗〈権実相対〉、法華経の本門と迹門〈本迹相対〉、日蓮大聖人の下種仏法と釈尊の脱益仏法〈種脱相対〉を比較相対して、正法を選びとっていく「宗教批判の原理」の一つ)
 池田 金庸先生の「生と死」の探究が、どれほど真剣であったか、その証明と言えるでしよう。息子さんに導かれて、妙法に近づいていかれたのです。
 今、学んでいる「神力品」でも、表そうとしている「元意」は「妙法」です。久遠以来、無始無終で活動している「永遠の大生命」を、伝えようとしているのです。
10  法華経の″本当の主人公″は誰か
 遠藤 前のところで、上行菩薩の出現は「無始無終の久遠の本仏」を指し示していると学びました。
 斉藤 おさらいしますと、「上行菩薩」は外用げゆう(外面の振る舞い)は菩薩だが、内証(内心の境涯)は仏であり、いわば「菩薩仏」である。内証は「因位(仏因の位)の仏」であり、「因果倶時の仏(仏因・仏果が同時の仏)」である。仏教史上、かつてない存在と言えます。
 須田 この「因果倶時の仏」の出現によって、初めて真に「無始無終の本仏」を指し示すことができたわけです。「因が先、果が後」であっては、どうしても、″どこかの時点で″仏になったということになり、「無始無終」とは言えないからです。
 池田 その「因果倶時」を「蓮華」という。妙法蓮華経の「蓮華」は「因果倶時の仏」を表しているのです。
 遠藤 むずかしいですね。
 池田 むずかしいね。しかし、大事なことは、「学ぼう」という」信心です。その求道心さえあれば人間革命が進む。
 戸田先生は、よく言われていた。「わかる」ことより「かわる」ことだと。
 たとえ八万法蔵が「わかった」としても、自分が人間革命しなければ、何にもならない。人間革命するための教学です。信心を強くするための教学です。少しずつでも、学び続ける「信心」があればいいのです。
 斉藤 それにしても、上行菩薩、あまりにも不思議な存在です。仏教の通念を、ひっくり返すような存在だと思います。
 池田 その通りです。じつは「上行菩薩とは、だれなのか。いかなる存在なのか」が、法華経本門のメーンテーマ(中心課題)なのです。
 その意味で、上行菩薩こそが、法華経の主人公と言ってよい。釈尊が主人公のように見えるが、じつは上行菩薩のほうが、法華経の「心」を、より深く体現しているのです。
 そもそも、法華経の流れそのものが、それを示している。釈尊が「自分の入滅後に、だれが娑婆世界で妙法を弘めていくのか」と呼びかけ、多くの菩薩が「私たちにやらせてください」と″立候補″します。しかし、釈尊は、それを否定してしまう。
 須田 「止みね善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ」(法華経四五一ページ)
 こう、きつぱりと断ります。そして地涌の菩薩を呼び出します。
11  池田 この「止みね」の一言が大事です。この一言で、それまでの仏法をすべて否定したのです。日蓮大聖人は仰せです。「上行菩薩等を除いては総じて余の菩薩をばことごとく止の一字を以て成敗せり
 遠藤 釈尊はの滅後は──末法は「上行菩薩の時代」であるという宣言ですね。「止みね」の一言に、千鈞の重みがあります。
 斉藤 そして大地の底から、上行菩薩をリーダーとする地涌の菩薩を呼び出します。だれもが驚きます。釈尊よりも立派な姿だったのだから、驚くのは当然でしよう。
 代表して、弥勒菩薩が問います。「この方々は、一体どこから来たのですか。どういう因縁をもって集われたのですか」と。
 それに答えるなかで、釈尊は「寿量品」を説く。こういう流れになっています。
 須田 たしかに「上行菩薩とは、いかなる存在か」という問いが発端になって、釈尊の「はるかな昔からの成仏(久遠実成)」が明かされます。そして、神力品で「如来の生命」の全体を上行菩薩に結要付嘱します。
 こうしてみると、上行菩薩がどれほど中心的な役割をしているかわかります。少なくとも虚空会では、″釈尊とともに主人公″ですし、滅後は完全に主人公になっています。
 斉藤 釈尊と上行という″久遠の師弟″が法華経の主人公ということでしようか。
 池田 その″師弟不二″で、一体何を表しているのか。それが問題です。
 それは宇宙と一体の「無始無終の本仏」の生命を指し示しているのです。本仏の「本因」を、法華経二十八品では「上行菩薩」として表現し、本仏の「本果」を「久遠実成の釈尊」として表現している。
 遠藤 すると、同じ一仏──本仏の二つの働きということでしょうか。
 池田 そうです。釈尊と上行という二つの別々の仏が出られたわけではない。一仏です。一仏の二つの側面です。だから、付嘱といっても、それは「儀式」にすぎない。付嘱そのものに「実体」があると見ては、法華経はわからない。
12  釈尊が最後に伝えたかったこと
 須田 何のための儀式でしようか。
 池田 根本は、末法に上行菩薩が出現して、久遠の妙法を弘めますよという「予告」のためです。この「予告」「予言」があってこそ、真の妙法を弘める″人″が出た時に、「ああ、あれは法華経に予告された通りだ」とわかるからです。そうでなければ、経文の裏づけがなくなってしまうからです。
 遠藤 そうしますと、法華経を編纂した人は──あるいはグループは──「将来、久遠元初の妙法を説き弘める人が出現する」と、わかつていたわけですね。
 斉藤 それは.当然、そうだと思います。
 遠藤 どうして、そうわかったのでしようか。
 斉藤 それは法華経二十八品の「限界」をわかっていたからではないでしようか。
 遠藤 つまり、「自分たちにはわかっているが、経文上には説いてないことがある」と自覚していたということです。
 須田 「文底」のことですね。
 池田 話がまた難しくなってきた(笑い)。
 大事なところだから、整理しておこう。まず、歴史上の釈尊の悟りとは何だろうか。
 遠藤 それは、やはり「不死の境地」を見たということだと思います。
 斉藤 「永遠の生命」「永遠の法」への目覚めですね。
 須田 この「不死」のパーリ語の言語(amata)には「甘露」の意味があります。天界の妙薬で、それを飲むと不死になれるとされました。
 斉藤 「妙法」こそが真の「不死の妙薬」です。
 池田 そのことは御書にも仰せだね。
 「甘露は不死の薬と云えり、所詮しょせん妙とは不死の薬なり(中略)所詮しょせん末法に入つて甘露とは南無妙法蓮華経なり、見灌とは受持の一行なり
 遠藤 十界の一切衆生──つまり宇宙の森羅万象がすベて、変化、変化しつつ永遠であるということですね。
 池田 法華経の眼を開けてみれば、一切衆生がすべて、無始無終の宇宙生命──永遠の本仏の顕れです。それが諸法の実相です。
 ゆえに一切衆生が、その身そのままで如来なのです。
 大聖人は「如来とは一切衆生なり」と仰せだ。
13  須田 釈尊はその「永遠の法」即「永遠の仏」を悟った。それを「理法(ダンマ、ダルマ)」とも呼び、「如来」とも呼びました。
 斉藤 その「ダンマ」が、自分の生命のうえに顕現し、染み通り、自己と一体になる境地を味わった。それを「不死の境地」と呼んだのではないでしようか。
 ここに「寿量品」の原型があると思います。
 池田 そうかもしれない。釈尊は、この境地を人々に伝えるために一生を捧げた。しかし、とうてい言葉に表すことはできなかった。相手の悩みに応じ、機根に応じて、さまざまに教えを説いたが、要は、この境地に目覚めさせようとしたわけです。
 不老不死の大生命力を、聞かせようとした。そして一生をかけて人々を教育し、機根を整え、最後に「法華経」を説いた。その説法の内容は、当然、二十八品そのものとは違うでしょう。しかし、その「核」になるものは説いたに違いない。法華経を説かない仏は、仏ではないからです。
 須田 その「核」とは、「永遠の妙法」即「永遠の本仏」という大生命の実在ですね。
 池田 その大生命が、凡夫である「人間」に顕現するという事実です。ここに、生きた法華経がある。この一点を、どう表現し、どう多くの人々に開いていくか。ここに全仏教史の歩みがあり、進歩があったと言ってよい。その観点から言えば、大乗仏教の出現は必然性があったと思う。
 釈尊が入減する。遺言は何か。
 「自らを島とし、自らを依り処として、他を依り処とせず、法を島とし、法を依り処として、他を依り処とせずにあれ」(『ブッダ最後の旅──大パリニッパーナ』中村元訳、岩波文庫)
 生死の苦悩の激流の中で、「自己」と「法」だけを依り処として、生き抜きなさいという遺言です。この「自己」を探究し、「法」を探究することが、釈尊滅後の仏教徒のつとめとなったのです。
 須田 人法で言えば、自己は「人」、法は「法」です。
 二つの探求の究極が、人法一箇の「永遠の仏」即「永遠の法」だったのですね。
 遠藤 言いかえれば、こういうことでしようか。釈尊滅後の仏教史は、釈尊を「仏」たらしめた「仏因」の探究史であったと。もちろん理論的な探究というだけでなく、全人格、全生命をかけた「仏因」の探究です。
 斉藤 それは「釈尊の師」とも言える「永遠の生命」そのものの探究ですね。
 池田 「仏因の探究」は、釈尊の「前生譚(ジャータカ)」にも、まとめられたね。
 須田 釈尊が過去世でどんなに功徳を積んできたかという物語ですね。
 遠藤 菩薩として我が身を捨てて他者を救ったり、動物の王になったり、ものすごい数の話が生まれました。
 池田 御書にも尸毘王しびおう(鳩を救うためにわが身の肉を鷹に与えた王)とか、忍辱仙人(歌梨王に手足を切られても怒らなかった仙人)とか、鹿野苑の鹿の王(鹿の仲間を救うために身がわりに食べられに行った鹿王)とか、薩埵さった王子(飢えた虎にわが身を布施した王子)、雪山童子(半偈のために鬼神に身を投げた求道者)、そのほかたくさんの「ジャータカ」が引かれている。
 斉藤 今昔物語なとでも有名です。
 池田 「ジャータカ」というと、何か遠い「おとぎ話」のように思えるかもしれない。しかし、今、私たちの学会活動こそ「現代の菩薩行」であり、「菩薩の物語」をつづっているのです。
 日蓮大聖人は、池上兄弟の団結の戦いについて「未来までの・ものがたり物語なに事か・これにすぎ候べき」とたたえておられる。(未来までの物語として、これ以上のことがあるでしようか、いいえ、ありません」)
 広宣流布への私たちの戦いも、後世、必ずや多くの人々が語りつぎ、たたえていく「物語」となっていくに違いない。
 斉藤 歴代会長の激闘こそ、末法万年尽未来際まの栄光の物語だと思います。
 遠藤 私たちが今、それに連なっていけることは今世の最高の栄誉です。
14  仏は衆生の「恋慕」に応じて出現
 須田 「ジャータカ」と言えば、インドに行ったとき、仏塔にも、そういう物語をもとにした彫刻やレリーフ(浮き彫り)が、たくさんありました。
 池田 その「仏塔(ストゥーパ)」も、「仏因の探求」と深い関係があるね。
 遠藤 はい。釈尊の死後、在家者によって釈尊の遺体の火葬がなされます。「出家者は葬儀などしてはならない.そんなひまがあるなら自分の修行をしなさい」という遺言があったからです。遺骨(舎利)が分けられて、それを中心に「塔」が建てられました。その後、「仏塔」信仰は大きく広がっていきます。その経緯や実態は不明ですが、大乗仏教の興隆と密接な関係があったことは定説になっています。
 斉藤 「仏塔」を中心にした人々の信仰は何であったか。
 確実なことは言えませんが、亡くなった釈尊を「心懐恋幕」(心に恋慕を懐き=寿量品)する思いが、そこに脈打っていたと思われます。
 池田 寿量品には「其の(=衆生の)心の恋慕するに因って、すなわち出でて為に法を説く」(因其心恋慕乃出為説法)(法華経四九一ページ)とある。
 「永遠の仏」が、衆生の「心懐恋慕」の一念に応じて、出現して法を説くと言うのです。
 釈尊の滅後、人々は釈尊の「不死の本質」というか、入滅しても滅していない「真実の釈尊」を求めたのではないだろうか。それは「仏身論」にも表れているでしょう.
 斉藤 はい.竜樹なども紹介しているように、はじめは、「生身」の釈尊と「法身」の仏との二身が立てられたようです。
 八十歳で亡くなった肉身の釈迦仏を「生身」とします。一方、生身の釈尊を仏たらしめた悟りの境涯そのものは永遠であるとして、それを「法身の仏陀」と呼びました。
 池田 「法身」の仏陀は、後に「法身(境)」と「報身(智)」の二身が説かれるようになり、法・報・応(応身)の三身説になっていく。しかし、「肉身の人間・釈尊」の奥底に「永遠の仏」を見ている点では同じです。
 須田 「仏塔」信仰も、肉身の釈尊を超えた「永遠の仏」を「一心欲見仏(一心に仏を見たてまつらんと欲して=寿量品)」(法華経四九〇ページ)する人々の思いに支えられていたと思います。
 遠藤 法華経にも、「仏塔」信仰は大きく反映しています。
 ″諸仏の入滅後に人々が仏舎利を供養して成仏した″とか、″幼児が戯れに砂を集めて仏塔を作ってさえ、仏道を成ずる″とか、説かれています。(方便品〈第二章〉)
 斉藤 多宝如来の「宝塔」が出現するというのも、「仏塔」の反映でしょうね。
 遠藤 多宝如来は「過去仏」です。釈尊は「現在の仏」、そして上行菩薩は「未来の仏」──こういう意味があるのかもしれません。
 池田 いずれにしても、三世にわたる「永遠性の仏」への思いが、仏の「塔」にこめられている。その実相は、じつは凡夫の生命そのものが「宝塔」なのです。妙法を持つ凡夫こそが宝塔であり、「永遠の仏」と一体になる。
 「阿仏房あぶつぼうさながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」です。
 須田 こうして、たどってみますと、大乗仏教で、さまざまな「永遠性の仏」を説くのは、必然性がありますね。
 よく「亡くなった宗祖・釈尊を神格化したのが大乗仏教」だというような意見がありますが、そういう一面もあったかもしれませんが、それは本筋ではない。大乗仏教の原動力は、釈尊を仏にした「仏因」の探求であり、それが「永遠の仏」の探究となっていったのではないでしょうか。
 池田 「永遠の仏」そのものが「仏因」だということです。「南無妙法蓮華経如来」から一切の諸仏は生まれたのです。もちろん、「仏因」であると同時に「仏果」なのだが。
 斉藤 先ほどの「生身」と「法身」の二身説でも、「法身から生身は生まれた」とされます。
 池田 こうも言えるでしょう。
 仏法者は皆、自分が「ダンマ(正法=永遠の生命=如来)」に目覚めようと努力した。
 ところが、目覚めたとたん、わかったのは、ほかならぬ自分が「ダンマ」から生まれた「如来の子(菩薩)」であったという事実なのです。少しむずかしい表現になるが。
 遠藤 その転換は、もしかすると、「小乗」仏教から「大乗」仏教への転換という歴史の流れと重なっているかもしれませんね。「法」を探究の「対境」としていた小乗仏教(部派仏教)から、「菩薩(仏子)」の運動である大乗への変化です。
15  渾身の「弟子の言葉」に「師の真実」が
 池田 まあ、そう言うためには、もっと、しっかりした実証的研究が必要です。ただ、大乗仏教は決して、釈尊と無関係の「非仏説」ではないということです。むしろ、釈尊の真意に追った結果なのです。
 もちろん、だれが説こうと、その教えが優れていればよいのです。
 釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏なのです。それがだれであれ、法華経を説いた人が仏なのです。「釈尊が説いたから偉大なのだ」というのでは、一種の権威主義であり、肩書主義でしょう。
 須田 プラトンが書き残した膨大な「対話篇」も、ソクラテスが主人公になっていますが、実際に、その通り、師・ソクラテスがしゃべったわけではないでしょう。
 では、「うそ」なのか、「非ソクラテス説」なのかというと、そうは言いきれない。弟子プラトンがつかんだ「師の真意」の表現だったと思います。
 池田 そうだね。私は、大乗仏典は、「釈尊の真意」に追った人々が、より多くの人々にそれを伝えるために、さまざまな工夫をして説いたものだと思う。
 遠藤 金庸さんは、こう言っています。「ついにわかったのです。すなわち本来、大乗経典がいいたかったことはみな、この『妙法』だったということを。大乗経典は、知力の劣った、のみこみの悪い人々にも理解させ、帰依させるために、巧妙な方法を用いて仏法を宣揚し、説き明かしたものだったのです」(前掲『旭日の世紀を求めて』)
 斉藤 たしかに「大乗非仏説」の弱点は、「これほどの偉大な法を説いた経典編集者が、『自分の勝手な自説を、釈尊の名前で発表する』ような破廉恥なことをするのか」ということです。「如是我聞(是の如きを、我聞きき)」(法華経七〇ページ)とある通り、その教えを文字にまとめた人々は、「自分はたしかに釈尊からこの教えを聞いたのだ」と信じていた──自覚していたと考えたはうが、すっきりします。
 池田 それでは、その「如是我聞」申し上げた相手は、だれなのか。「たしかに聞いた」──だれから聞いたのか。それこそ、「常住此説法(常に此〈=娑婆世界〉に住して法を説)」(寿量品、法華経四八九ページ)の「永遠の仏」から聞いたのではないだろうか。その「説法」を、たしかに聞いた。その宗教体験を「如是我聞」と言ったと考えられる。
 須田 大乗仏教の研究者にも、そういう立場を取る人がいます。
 池田 もちろん、「生身の釈尊」の説法が伝承されていて、それが「核」になったことも当然、考えられます。
 遠藤 「一心欲見仏」の修行のなかで、そういう不可思議な体験をする。それは必ずあったと思います。
 斉藤 否定する学者もいるかもしれませんが、こういう「観仏(見仏)」体験を否定したのでは、仏教史、宗教史はわかりません。
 遠藤 「音痴が音楽史を書く」ようなものですね(笑い)。
 池田 「大乗非仏説」は、「仏といえば(生身の)釈尊以外ない」という大前提に立っているようだ。
 しかし、それでは釈尊が何のために仏法を説いたのか、わからなくなってしまう。自分と同じ「不死の境地」を教えるために、仏法を説いたのだから。
 釈尊と同じ悟りを得た人は必ずいるはずです。
 斉藤 その人も「仏」ですね。
 池田 そうです。
 須田 法華経を編纂した人も「仏」でしょうか。
 名着金長そう言ってよいでしょう。
 遠藤 ではなぜ、「(歴史的)釈尊が霊鷲山で説いた」という形式になっているのでしょうか。
 池田 そういう伝承があったのかもしれないし、何よりも「これこそが釈尊の真意である」という確証を実感していたからでしょう。
 須田 大乗の運動が、紀元前後の数百年をピークとしますと、釈尊滅後、五百年ぐらいでしょうか。「五五百歳」説で言えば、ちょうど「禅定堅固」のころに当たります。
 斉藤 「禅定」の体験の中で、「常住此説法」している「久遠の釈尊」にまみえたと考えられますね。
 遠藤 戸田先生の獄中の悟りも、「霊山の一会、儼然とて未だ散らず」を体験されたわけです。
 池田 きょうは仏教史のような話になってしまったが、現代人が法華経を理解するにあたっては、こういう考察も必要だろうね。
 遠藤 これまで「法華経の説法」は、『事実』そのものではなくても生命の『真実』なのだ」ということで納得していたのですが、より鮮明になりました。
16  「仏とは人間」への大転換点
 池田 話は、まだ終わらないんだ(笑い)。
 読者も大変だけれども、むずかしいところは、飛ばして読んでもいいから──。
 仏教史の流れを、ごく大づかみに言うと、こう言えるでしょう。
 いわゆる「原始仏教」は、生身の人間・釈尊が出家者に遺した戒法を持つことに、力を注いだ。いわば「保守」です。その結果、かえって、釈尊の真意──みずからの「仏因」を示して、皆を仏にしたいという──を見失いがちであった。
 一方、大乗仏教は、釈尊の「仏因」を探究し、「永遠性の仏」を追究した。いわば「革新」勢力です。その結果、阿弥陀仏とか盧舎那仏とか、真言の大日如来とか、多くの「長遠の寿命をもつ仏」が説かれた。
 これらは、法華経の眼から見るならば、「無始無終の無作三身如来(南無妙法蓮華経如来)」の一面、一面を説いているとも言えるでしょう。
 しかし、「永遠性の仏」を追究するあまり、原点の「人間・釈尊」と切り離されてしまった。否、「人間」そのものから離れてしまった。
 須田 たしかに、阿弥陀仏はこの娑婆世界にいない「他土」の仏だし、大日如来は法身仏であり、身相をもたない仏です。人間とは隔絶しています。盧舎那仏も、広大な智慧身(他受用報身)として説かれ、凡夫とは、はるかにかけ離れた存在になっています。
 池田 小乗と大乗には、それぞれ、こういう限界があった。この両者を統合し、両方の限界を打ち破ったのが「法華経」です。
 すなわち「人間・釈尊」が、その「本地」を「久遠実成の仏」であると明かす。そのことによって、″身近でありながら、永遠性にして偉大な仏″を示す道を開いたのです。それは、釈尊その人の原点に戻ったとも言える。
 須田 「発迹顕本」は「人間・釈尊に返れ」という意義があるということは、以前にも語っていただきました。
 池田 「人間・釈尊に返れ」とは、「人間に返れ」ということです。「人間の尊貴さに目覚めよ」ということです。
 斉藤 法華経は、小乗と大乗の両方を「統合」した経典ですね。
 池田 そうです。発迩顧本によって、すべての諸仏を「久遠実成の釈尊が教化してきた仏」として統一した。これが本門です。諸大乗経を統一している。
 迹門では、小乗の担い手であった二乗の成仏を説いた。その根拠は、一切の諸法を「実相」の一理のもとに統一したからです。
 遠藤 諸法実相です。
 池田 しかも、逆門の「諸法の統一」と、本門の「諸仏の統一」は対応している。
 どちらも「妙法」のもとに統一されたのです。
 斉藤 それまでの仏教史の進歩の「頂点」にあります。まさに「経王」ですね。
 池田 その進歩はしかし、まだ止まらない。それが法華経の「文底」の仏法です。
 いよいよ、次回は「なぜ文底仏法が必要なのか」を論じよう。
 「凡夫こそ本仏」──仏教史を画する、根本的な転機(ターニング・ポイント)は、文底仏法によって、初めて現実となるのです。

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