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日蓮大聖人・池田大作

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如来神力品(第二十一章) 地涌の菩薩へ…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
13  池田 生命の激震です。
 ただし神力品では「大歓喜の激震」であったが、タゴールがここで歌っているのは、大我が目覚め、ほとばしり出ようとして出られない、一種の″もがき″でしよう。しかし詩の後のほうでは、彼は歓喜にうながされて、こう歌っている。
 「こころの言葉を語り告げ、
     こころの調べを歌つて聞かせよう、
  生命をふんだんにほどこすほど 生命はますますほとばしり、
    もはや 生命は尽きないだろう、
  わたしには 語るべき多くの言葉が 歌うべき多くの歌がある、
    わたしの生命は ありあまるほどだ、
  わたしには 多くの歓喜が 多くの願望がある。
    生命みち 恍惚としている。
  これほどの歓喜はどこにあるだろう これほどの美はどこにあるだろう」(同前)
 斉藤 文字通り、″汝自身に目覚めた″歓喜の描写ですね。法華経とも響き合う″インドの心″を感じます。
 池田 だれもが、タゴール以上の目覚めをできるのです。
 壮大な「如来神力」といっても、その「本体」は「南無妙法蓮華経」です。
 ゆえに、御本尊に題目をあげることは、わが小宇宙の生命に、毎朝、毎夕、神力品のごとき壮麗なドラマを起こしているのです。その変革のドラマを今度は、現実社会にも広げていってこそ、神力品を読んだことになる。
 そのためには、勇気です。打って出ることです。それで自分が変わる。社会が変わる。
 大我に目覚めた、タゴールは叫んだ。
 自己の小さな限界を「打ち破れ、打て 打ち破れ!」(同前)と。

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