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日蓮大聖人・池田大作

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常不軽菩薩品(第二十章) 「増上慢」の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

前後
1  池田 桜が見事だ。「さまざまの事おもひだす桜かな」。
 芭蕉の言う通り、桜が咲くたびに、あの日の桜、あの年の春と、思い出が蘇る。
 戸田先生が亡くなつた四十年前──。
 四月八日の告別式の日も、桜吹雪が舞っていた。ひとひらひと片が、いのちをもっているかのように光って、飛んでいた。妙法の大英雄との別れを惜しんでいるようであつた。
 戸田先生の訃報を聞いて、駆けつけてくださった目淳上人は言われた。
 「戸田先生は、本当に立派な方です。──仏様なんですよ」と。
 一生涯、庶民のために命を削り続けた先生であつた。
 一生涯、国家主義の権力と一戦い続けた先生であつた。
 散る桜──思えば、戦前は国家主義のために桜まで利用された。「桜のように、いさぎよく、ぱっと散るのが日本人だ」などと、死が賛美された。とんでもないことだ。
 本当は、桜は、生きて生き抜いていく象徴です。「花見」というのも、古来、花がどれだけ咲いているかを確かめる行事であったという。なぜかならば、桜の花がたくさん咲き、しかも長く咲き続けていれば、その年は豊作と言い伝えられてきたからです。
 斉藤 そうしますと、いさぎよく、ぱっと散っては困るるわけですね──。
 遠藤 それが反対の方向に、ゆがめられてきた。
 池田 幕末から明治にかけて、「ソメイヨシノ」が全国的に広がっていたことも、「ぱっと散る」イメージに利用された。
 須田 たしかに、東京などでは″葉よりも早く花だけが咲く″とか″一斉に咲いて一斉に散る″といった特徴があります。
 遠藤 権力というものは、利用できるものは何でも利用してしまう。恐いと思います。
 斉藤 しかも、そうやって「意図的に広められたイメージなんだ」ということが、だんだん、わからなくなってしまう。「昔から、そうだつたんだ」と何となく、皆、思ってしまいます。
 須田 桜は、死の象徴ではなく、生きて生き抜く象徴なんだと言われて、はっとしました。豊かな実りへの「民衆の希望」が託された花だったんですね。
2  池田 戸田先生も、「民衆の希望」を担って、生き抜かれた。体は、二年間の獄中生活で、ばろぼろであった。しかし、先生は命を振りしぼつて、生きて、生きて、生き抜かれた。国家悪に殺された牧口先生の「分身」として──。
 まさに奇跡のごとき生命力であつた。まさに寿量品(第十六章)でした。
 戸田先生が亡くなった年の元日、先生は最後の「新年の講義」をしてくださった。
 長い闘病で、お体は衰弱しておられたが、声だけは力強かった。
 その時の先生の話は何だったか。それは、寿量品の「三妙合論」についてだった。
 (三妙合論とは、本因妙〈仏の境涯を得るための根本原因の不可思議〉、本果妙〈本因によって得た仏果の不可思議〉、本国土妙〈その仏が住む国土の不可思議〉が合わせて説いてあること)
 斉藤 最後の最後まで、法華経講義をなされたのですね。それにしても、なぜ、この時に三妙合論の話をされたのでしょうか。
 池田 とくに先生が力をこめて教えられたのは、日蓮大聖人が「本因の仏」であられるということ。そして、真実の仏とは娑婆世界という「現実の世界」以外には、いらっしゃらないのだということです。
 遠藤 「我常在此。娑婆世界。説法教化(我常に此の娑婆世界に在って説法教化す)」(法華経四七九ページ)という「本国土妙」のところですね。
 池田 「仏」とは架空の存在ではない。もちろん、「架空の仏」も方便としては説かれた。しかし、真実の「仏」とは、この現実の五濁悪世の世の中におられる。
 最も苦しんでいる民衆のなかに分け入って、人々の苦しさ、悲しさに同苦し、救っていく。それが「仏」です。
 しかも、民衆を救わんと戦うゆえに、傲慢な権力者からは弾圧され、僧侶をはじめ悪い指導者に迫害され、当の民衆からさえ憎まれる。「悪口罵詈」であり、「杖木瓦石」です。
 その大難のなかにこそ、「仏」はいらつしやるのです。どこか安楽な別世界で、悟りすましているのが「仏」ではない。怒涛の社会のなかへ、先頭を切つて進むのが、「仏」なのです。先頭を切つて進めば、必ず難を受ける。傷もつく。
 しかし、民衆の苦しみをよそに、目分は傷つかないように、要領よくやろうというのは、それは「仏」ではない。「魔もの」です。
 戸田先生は、ご自身をはじめ、創価学会員が、くる日もくる日も、広宣流布へと突進し、苦闘している。その現実にこそ、真の「仏法」の光はあるのだ、それ以外にはないのだと教えてくださつたのです。これが最後の法華経講義になったと言ってよい。
 斉藤 現実の中で戦い、難を受けていく──これはまさに「不軽品」ですね。
 池田 日蓮大聖人も「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」と仰せだ。
 仏法は一体、何を説いたのか。その結論が法華経であり、具体的実践は不軽品につきる。
 須田 この御文の後に、あの有名な一節が続きます。「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ
 遠藤 人の「振舞」──「人間、いかに生きるべきか」ということを教えるために、釈尊は出現し、法を説いた。
 その結論が「不軽菩薩の生き方」であったということになります。
 池田 なみなみならぬ御言葉です。仏法の真髄を教えてくださつている。
 これを前提に、不軽品を学んでいこう。
3  一番苦しんでいる人のために!
 須田 はい。寿量品のあと分別功徳品(第十七章)、随喜功徳品(第十八章)、法師功徳品(第十九章)と三品、「流通の功徳」が説かれます。それに続いて「不軽品(常不軽菩薩品)」(第二十章)では、「法華経を弘める人」の福徳と、「法華経の弘教者を毀る人」の罪を、あわせて説いています。
 斉藤 それも「常不軽菩薩」という一人の実践者のドラマを通して、語つているわけです。
 池田 「常不軽菩薩」という名前については、いろいろ面白い話があったね。
 われわれが親しんでいる鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」では「常に(人を)軽んじなかった」菩薩という意味だが、サンスクリット語では反対に「常に(人から)軽んじられた」男という意味だつたという。
 遠藤 そうですね。竺法護が訳した「正法華」でも「常被軽慢品」と訳されています。「常に軽蔑された」という意味になります。(軽慢は「軽んじ慢(あなど)る」)
 池田 創価学会もそうです。民衆蔑視の日本の社会から、いつもバカにされてきた。「貧乏人と病人の集まり」と軽蔑する人間も多かつた。
 しかし、戸田先生は「貧乏人と病人を救うのが本当の宗教である!」と獅子吼された。
 金もうけの宗教は、金もちだけを大切にする。貧乏人なんか相手にしません。
 いわんや病人を集めて、何になりますか。病院を開くわけではなし──。
 真実の仏法は、苦しんでいる人のためにあるのです。一番苦しんでいる人を一番幸福にするための仏法なのです。そうではないだろうか。
 この崇高な心のわからない人間からは、われわれは「常に軽蔑されて」きました。それでも、相手がだれであれ、われわれは悩める人がいれば、飛んでいつて面倒を見てきた。
 抱きかかえながら、「あなたの中の仏界を開けば、必ず幸福になれるのだ」と教え、励まして、妙法に目覚めさせていったのです。
 「一人の人」を身を粉にして育て、世話してきた。まさに「常に人を軽んじなかった菩薩」です。
 斉藤 たしかに、折伏も指導も、相手を尊敬すればこそです。「この人は話しても、むだだ」と見放してしまえば、語ることもないわけですから。
 池田 常不軽菩薩が、いつもバカにされていたという表面に着目すれば、たしかに「常に軽んじられた」菩薩になるでしよう。
 しかし一歩深く、その行動の本質、魂に着目すれば、「常に軽んじなかつた」という訳は正しいのではないだろうか。
 遠藤 経典の″心″をくんだ名訳と思います。
 斉藤 あるジャーナリストが、池田先生に「どうして学会は発展したのか」と聞いて、先生はこう答えられました。
 「私が一人一人の会員と直接会い、語り合ってきたからです」と。
 池田 別に自分のことが言いたかったわけではない。それぞれの地域での皆さんの苦労が土台にあることは言うまでもない。ただ、何か、「組織の力」とか命令とかで、大衆がこれだけの団結をするはずがないということです。一人一人を真心こめて大切にしてきたから学会は強いのです。学会のその「心」を強調したかったのです。
 世間の指導者のほとんどは命令主義です。自分は楽をし、自分が疲れないようにして結果だけを盗もうとする。そんな指導者が多すぎる。われわれは、これを革命しているのです。
 遠藤 一人一人を大切にする──たしかに、これは疲れますね。
 池田 自分が疲れない指導者なんて、インチキです。
 世の中の不幸は、自分が疲れないように手を抜いて、要領よく振る舞っている指導者が多すぎることだ。結局、保身であり、遊びです。
 いわんや学会は、まじめに働いて疲れている人、人生を真剣に生きようとしながら苦しんでいる人、そういう庶民を力づけ、幸福にするためにある。そのリーダーが疲れを厭(いと)って、どうするのか。
 もちろん無理をせよというのではない。年齢とともに、健康への智慧が必要なのは当然です。ただ、不惜身命という″魂″を失つてしまえば、おしまいです。幹部も、他の指導者も──。
4  二十四字の法華経
 須田 不軽品のあらましですが、「時代設定」は、「無量無辺不可思議の阿僧祇劫」をさかのぼつた昔、「威音王如来」という仏がいた。
 その仏の入滅後、正法時代がすぎ、像法時代も末になった。そのころは、仏の正しい教えも見失われて、「増上慢の僧侶」が一大勢力をもっていた。こういう時代背景です。
 池田 「法滅」の時だね。像法時代の「像」とは、「肖像」とか「映像」と言うように、「かたちが似ている」ということだから、形だけで、正法時代のような魂はなくなっている。仏法が形骸化した時代です。
 遠藤 「像法の末」とは、日蓮大聖人の出現された「末法の始め」に通じますね。
 また、宗門によって日蓮大聖人の仏法がまさに「法滅」の危機にあった、その時に創価学会が興隆した意義にも通じると思います。
 須田 たしかに「増上慢の比丘」が充満しています。こういうなかへ、不軽菩薩が出現するわけです。
 斉藤 彼は男女を問わず、また出家・在家を問わず、あらゆる人に対して、こう言って礼拝しました。
 「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」(法華経五五七ページ)
 (私は深く、あなた方を敬います。決して、軽んじたり、慢ったりいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです)
 遠藤 今引かれた「我深く汝等を敬う」以下の文は、漢文で、二十四文字から成つています。そこで、不軽菩薩の弘めた法華経は「二十四字の法華経」と呼ばれています。
 この「二十四字の法華経」は、「広」「略」「要」で言えば、「略法華経」に当たります。
 (御義口伝に「此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり」とある)
 池田 法華経とは一体、何を説いたのか。それがこの二十四字に凝縮されているということです。「私は深く、あなた方を敬います。軽んじたり、慢ったりいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」
 一切衆生に「仏性」がある。「仏界」がある。その「仏界」を不軽菩薩は、礼拝したのです。法華経の経文上では″一切衆生に仏性がある″とは明示されていない。しかし、厳然と、そのことを主張しているのです。これ以上の「生命尊厳」の思想はない。
 宗教のなかには、「平等」を説いたとしても、人類は「罪の子として平等」であると説くものもある。しかし法華経は皆、尊き「仏子」と説く。「仏界の当体として平等」なのです。そこには、大きな違いがある。
 須田 自分の仏界を自覚していない″異教徒″であっても、仏界の当体である事実は変わりません。不軽菩薩が礼拝した通りです。ゆえに法華経の精神からは、暴力は絶対に出てきません。
 斉藤 暴力を伴う「宗教紛争」は、絶対にありえないですね。
 池田 ありとあらゆる暴力と対極にあるのが「不軽菩薩」です。法華経です。
 「暴力」に対する「精神闘争」が法華経なのです。
 斉藤 はい。非暴力の彼自身は「肉体的暴力」と「言論の暴力」をあびせられます。
 遠藤 「杖木瓦石」と「悪口罵詈」ですね。不軽菩薩は、遠くに四衆(在家・出家の男女)を見かけると、わざわざ出かけて行つて、あの二十四字を唱え、礼拝します。
 須田 今でもインドあたりでは、両手を合わせて「ナマステ」等とあいさつします。不軽菩薩も、そういう合掌をもつて礼拝したんだと思います。
 遠藤 ところが、増上慢の人々は、感謝するどころか、かえつて怒って、罵ります。
 「どこから釆たんだ! この無智なやつめ! わしらが仏になるだろうだって。そんな嘘っぱちの記別(予言、保証)なんか相手にするもんか」
 要するに、″お前は仏でもないくせに、われわれが仏になれるとか何とか偉そうなことを言うな。身のほどしらずの無智なやつめ″と、「常にバカにした」のです。
 池田 「増上慢の比丘に大勢力有り」(法華経五五六ページ)と説かれているように、彼らは羽ぶりがよかつた。大きな勢力をもっていた。その「力や「地位」を頼んで、いよいよ増上慢になつていたのでしよう。
 権威、権力、経済力、腕力、地位力、組織力、名声、才能、知識──人間、何かの「力」を頼んでいるうちは、なかなか謙虚になれない。すべてを失ってから、はじめて「聞く耳」をもつことが、あまりにも多い。人間の悲劇です。
 ほとんどの人間が、自分自身の慢心で滅びていく。そうなる前に、裸の「人間として」自分には何があるのか──それを問いかけることが大事なのです。一切の虚飾を、かなぐり捨てて。
 斉藤 そういう増上慢の人々に冷笑されても、不軽菩薩は、びくともしません。どんなに罵られても、怒ることなく、「あなたは、必ず仏になるでしょう」を繰り返します。
 池田 「忍辱」の修行だ。仏のことを「能忍(よく忍ぶ)」というが、忍耐し切れるかどうかで決まる。
 遠藤 しかも、不軽の忍耐は何年も何年も続きます。なかには悪口罵詈するにとどまらず、杖や棒で打ったり、瓦のかけらや石を投げつける人間もいました。すると不軽菩薩は、さっと、よけて走り去り、遠くからまた大声で、あの二十四字を繰り返すのです。
 斉藤 機敏であり、したたかです。
 須田 わざわざ暴力を受ける必要は、絶対にありませんからね。ぼ−っとしていてはいけない。機敏に身をかわしながら、しかも、少しもひるむことなく、また弘教を続ける。不屈の実践者です。
 斉藤 しかも徹底して「非暴力」の闘争です。
5  池田 かつて戸田先生は言われた。
 「われわれ自身が南無妙法蓮華経である。ゆえに、たたかれようが、ののしられようが、ひとたび題目を唱えた以上は、水をのみ、草の根をかんでも、命のあるかぎり、南無妙法蓮華経と唱え抜いて、広宣流布へ向かっていくのだ。これが信心だ」と。
 そして弘教については、こう教えてくださった。
 「折伏に手練手管も方法もなにもありません。ただただ、おれは南無妙法蓮華経以外になにもない! と決めることを、末法の折伏と言うのです。それ以外にない。
 どういうふうにやったら南無妙法蓮華経が弘まるか、どのようにやったら南無妙法蓮華経が人によく教えられるか、そんな方法論は関係ありません。我、みずからが南無妙法蓮華経だ! 南無妙法蓮華経以外になにもない! と決めきって、決めきるのです。
 おれはそれ以外にない、それで悪ければ、殺されても死んでもなんでもしようがないと、自分は南無妙法蓮華経だと決めきって、御本尊を流布することです」
 不軽菩薩もそうです。悪口を言われようと、たたかれようと、二十四字の法華経を「下種」して歩いた。相手がどうあれ、「自分はこう生きるんだ」と決めた通りに、戦い通した。その結果、不軽菩薩は、どうなったか。
 斉藤 はい。経文には、こうあります。
 「(不軽菩薩は死期が来て)まさに命が絶えようとするとき、天空からの声で、威音王仏が、かつて説かれた法華経の説法を聞き、そのすべてを信受した。
 そうして、先に(法師功徳品で)説いたような六根清浄を得た。六根清浄を得て、そのあと二百万億那由佗年の寿命を増し、広く人のために、この法華経を説いた」(法華経五五九ページ)
 池田 そう。「寿命」を延ばしたのです。生きのびたのです。生き抜いたのです。
 この「寿命」とは、文字通り「長生き」したことでしようが、「生命力」とも解釈できる。たとえ短命であつても、「生命力」満々と生き、大いなる価値創造をして亡くなれば、その人は「長寿」だつたのです。また広宣流布をして、多くの人々に偉大な「生命力」を与えたこと以上の「長寿」はないと言える。
 ともあれ不軽菩薩は、見事に六根清浄──人間革命の「実証」を示した。その結果、周囲の目は変わった。
 須田 こう説かれています。
 「(不軽菩薩を軽蔑していた)増上慢の出家・在家の男女は、不軽菩薩がすばらしい神通力と雄弁と智慧の力を得た事実を見、その説法を聞いて、皆、信伏し随従した」(同ページ、趣意)
 池田 現金なものです(笑い)。それまで不軽菩薩は、雄弁でも何でもない。ただ二十四字を繰り返して、礼拝するだけです。だからバカにされたといえる。
 しかし、立場は完全に逆転してしまった。自分たちがバカにしていた、あのみすぼらしい男が、あんなにも立派に、荘厳に変わった。「しまつた!」と思ったかもしれない。
 戸田先生は、「今、いばっている人間が『しまつた』と思つた時が広宣流布だ」と言われていた。
 遠藤 彼らは心を入れかえて信伏随従しただけ、ましでした。それでも、彼らは、その罪のため地獄へ堕ちます。大聖人は仰せです。
 「不軽菩薩を罵り、打った人は、はじめこそ、そうだったが、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶことは、諸天が帝釈天を敬い、われらが日天月天を畏怖するのと同様であつた。しかし、はじめ誹謗した大重罪が消えなくて、千劫の間、大阿鼻地獄に入って苦しみ、二百億劫の間、仏法僧の三宝の名を聞くこともできなかった」(「呵責謗法滅罪抄」、御書一一二五ページ、趣意)
 いわんや、心を改めない謗法者の罪は、想像もできません。
6  「在世は今にあり、今は在世なり」
 斉藤 一方、不軽菩薩は、その後も、生まれるたびに諸仏に仕え、法華経の広宣流布へ「心畏るる所無く」戦い続けます。そして仏になります。
 池田 そこまで語って、突然、釈尊は「この不軽菩薩とは、だれのことか?ほかならぬ私のことなのだ」と宣言するのです。じつに、ドラマチックだ。
 須田 速い昔話と思つていたのが、一転、目の前の現実の話に変わる。皆、どきっとしたでしようね。
 池田 そこです。日蓮大聖人は、この「こと人ならんや、すなわち我が身是れなり(どうして別人であろうか。否、私のことなのだ)」の経文を、さらに深く我が身で読まれたのです。大難を呼び起こし、竜の口で命まさに尽きなんとするとき、発迹顕本され、生きのび、命をのばされた。そして佐渡に向かう途中の寺泊で、こう仰せです。
 「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し
 遠藤 ″今、勧持品に説かれる三類の強敵を呼び起こしたのは、私である″と。
 それは過去に不軽菩薩が戦った戦いを、今、この身でしているのであり、未来から見るならば、今の私の戦いは不軽菩薩と同じとわかるであろう──と。
 斉藤 「三世の説法の儀式なり」。甚深ですね。
 池田 「在世は今にあり今は在世なり」です。
 ぼやっとして、「法華経」を、紙に書いた二十八品のことと思ってはならない。仏法は「今」「ここの」、凡夫の「現実」のなかにしかないのです。この「今」の奥底を「久遠」といい、この奥底を開くことを成仏という。それを教えたのが法華経なのです。
 今です。この今、広宣流布へ「戦おう!」という「一念」のなかにのみ妙法蓮華経は生きている。「こと人ならんや」。大聖人は「不軽菩薩はじつは釈尊であった。今、大難にあっている私もじつは釈尊なのだ。仏なのだ」と教えてくださつているのです。それがわからないと、法華経を学んだことにならないよ、と。
7  須田 法華経というのは、本(書物)のことではない──。
 池田 戸田先生にある人が質問して「中国・インドに仏法がもはやないと言われているが、経典はたくさん残っているではないか」と。
 先生は「経典があるだけで、正しい信仰がなければ、仏法はない。経典は、それだけでは、ただの本(書物)だ。仏法じゃないのです」と言われていた。
 斉藤 御書も同じですね。
 「在世は今にあり今は在世なり」という信心で拝し、行動しなければ何にもならない。古文書を読んでいるだけになってしまう。いな、かえって自分は教学力があるんだと慢心してしまえば、「増上慢の四衆」の生命になつてしまいます。
 池田 不軽菩薩は、上手な話もしなかった。偉そうな様子を見せることもなかった。ただ、愚直なまでに「下種」をして歩き回った。その行動にこそ、三世にわたつて、「法華経」が脈動しているのです。
 要するに学会員です。最前線の学会の同志こそが、不軽菩薩なのです。皆から尊敬されて、自分が偉いと思つているのは「増上慢の四衆」です。幹部にしても、だれにしても、「創価学会」という不思議な仏勅の団体に力があるからこそ、活躍もできるし、ものごとも進む。それを目分の力のように錯覚するところに、転落が始まり、堕落が始まる。
 ともあれ「豈異人ならんや」──自分自身が不軽菩薩なんだ、南無妙法蓮華経の当体なんだと決めて、「不軽」の修行をしていくことです。
8  遠藤 不軽の修行と言えば、先生が学会創立七十周年への門出を祝し、歌を贈ってくださいました。(「聖教新聞」一九九〇年一二月三日付)
 晴れわたる
  不軽の心の
    広宣の
  友の功徳は
    億万劫かな
  
 妙法は
  無始より無終の
    法なれば
  南無して生きなむ
    其罪畢已と
 須田 不軽の精神で、広布の道なき道を切り開いてきた学会員の功徳は、永遠であるとのメッセージですね。また、「其罪畢已(其の罪畢え己って)」(法華経五六四ページ)も不軽品に説かれる重要な法門です。
 遠藤 ええ。つまり、不軽菩薩が上慢の四衆から迫害を受けたのも過去の法華経誹謗の故であり、それに耐えて法華経を弘めたことによって過去の重罪を消滅したのである、と。
9  池田 法を説いて、どんなに反対され、迫害されても、「これで自分の罪業を消しているのだ」と喜んで受けきっていきなさいということです。「嘆いてはならない」と教えてくださっているのです。
 それで思い出すのは、戸田先生が、獄中で四回、殴られたことです。戸田先生はよく語っておられた。
 遠藤 はい、戸田先生が書かれた小説『人間革命』に、くわしく描写されています。
 それによると、権力をカサにきた看守が、理由もなく、戸田先生を一度、二度と殴ったことが述べられています。小説には大要、次のようにあります。
 ──先生は、腹の底から焼けつくような怒りがわいてきたが、囚われの身では、歯を食いしばって我慢するしかない。やがて、房の中で法華経を読み、題目をあげぬいていったとき、これは目分の宿業を消しているんだということがわかったとあります。
 そして三度目。春まだ浅い日の入浴の時だった。
 小さな風呂場へ、四、五十人の囚人が看守にせきたてられながら群がっていく。戸田先生は三十分も待たされ、体は冷え切っていたが、お湯をむだにしないようにと、後に続く囚人を気遣って、体にかかった湯が風呂に戻るような浴び方をした。
 すると、いきなり看守の怒声が飛んだ。
 「貴様! 生意気に悠々と湯を浴びたろう! けしからん奴だ!」
 同時に、先生の頬は数回、激しく打たれた。その時、くやし涙のなかで、はっと「そうだ! もう一度、殴られる! 四度目に殴られたら、それは帰れるときだ!」と思った、と。
 その確信の通り、ある時、また狂気の看守が先生の背中を麻縄で、ぴしり! ぴしり! ぴしり! と二十数回も殴った。もちろん激痛だったが、先生は心の中で「きた! 四回目だ! これで罪は終わった!」と喜び、叫んでいたと言うのです。
 そして戸田先生の獄中の悟達へと続くのです。
 斉藤 身ぶるいするようなお話です。仏法の深さに身ぶるいするし、権力の残酷さにも身ぶるいします。
10  国家主義という″宗教″
 池田 国家主義とは何か。その根本には「力の崇拝」があります。不軽菩薩と対極です。
 須田 「力の崇拝」が国家主義の根本にある──むずかしいですね。
 遠藤 国家主義と聞いても、ピンとこないという人もいますが……。
 池田 「権力主義」と言ってもよいと思う。
 「国家があって人間がある」という転倒の思想です。忘れてならないのは、国家主義は古代からの「宗教」であるということです。
 須田 「宗教」ですか……。
 池田 これについては、トインビー博士と、じっくり語り合いました。前にも話したと思うが、博士は、こう言っておられた。
 「キリスト教の後退によつて西欧に生じた空白は、三つの別の宗教によって埋められた」その三つとは、「科学的進歩への信仰」と「共産主義」、そして「ナショナリズム」すなわち国家主義であると(本全集第三巻収録)。その「国家主義」とは、どんな宗教か。それは「人間の集団力」を信仰の対象にしている。「集団力崇拝」であり「国家崇拝」です。
 ちなみに、トインビー博士は、集団的な人間の力を崇拝している点で、ナショナリズム、ファシズム(全体主義)、共産主義は共通していると喝破されていた。国家主義という宗教のもとでは、「人間」は、あくまで「国家」の一部にすぎない。手段にされ、道具にされる。「人間の尊厳」が「国家のエゴ」に踏みにじられてしまう宗教です。
 遠藤 それならば、今の日本にも、いっぱい例はあります。
 池田 「集団力崇拝」の恐ろしさは、「信仰するに価しないことがそれほど明瞭にわからないから」だと、トインビー博士は書いている。(『一歴史家の宗教観』深瀬基寛訳、『トインビー著作集』4所収、社会思想社)
 「そして個人が罪を犯す場合なら、おそらく躊躇なく良心の呵責をうけるはずの悪業も(中略)一人称が単数から複数におきかえられることによって、自己中心の罪をまぬがれたような錯覚におちいるために、とかくこれを大目に見ることになる」
 須田 一人称──「私」という個人なら、とてもできないような非道も、「われわれ」という複数になったら、とたんに平気になるということですね。
 遠藤 赤信号も「みんなで渡れば、こわくない」(笑い)。恐ろしいことです。
11  斉藤 あの、戸田先生をいじめた看守も、「国家主義」に毒された姿そのものですね。
 「国家」という強大な力と目分を同一視している。自分まで、力があるかのように振舞っている。
 遠藤 「虎の威を借り」「権力をカサにきた」姿です。
 池田 戦争もそうだ。通常なら、人を殺すということは「極悪」の行為です。ところが「国のため」となると、たくさん人を殺したほうが英雄になる。
 須田 国家主義という転倒の宗教によって、人間が狂わされていく……。
 池田 戸田先生は書いておられる。
 「私は少年時代から不思議に思っていることがいくつもあるが、そのなかで最も不思議に思うことは、国家と国家の間に、最も文化とかけ離れた行動があるということである。
 もっと、くわしくいえば、あらゆる文化国の人々が、礼儀の上でも言葉づかいでも態度でも、じつによく文化的に訓練され教育されている。このように、個人と個人の間の生活は、価値と認識において文化的であるにかかわらず、この形式は国家と国家との間における外交にかんしでは、表面が文化的であっても、その奥は実力行使が繰り返されている。
 一旦外交が断絶されると、礼儀や習慣を捨てて修羅の巷となるのが国家間の状態ではなかったろうか」(『戸田城聖全集』1)
 戦争をはじめ、こうした流転に歯止めをかけ、人類永遠の楽園を建設する原動力こそ、真実の宗教であると戸田先生は叫ばれたのです。
 人間です、大事なのは。人間のために社会・国家があるのであって、その逆ではない。国家優先の思想は、「力の崇拝」であり、要するに「弱肉強食」になっていく。人間愛の「不軽菩薩」と対極です。それで不幸になるのは、結局、庶民なのです。見ぬかなければいけない。目ざめなければいけない。
12  国家崇拝を拒否
 池田 国家悪の恐ろしさを、深く見抜いておられたのが、牧口先生であった。
 神札を受けることを拒否した時、宗内には″形だけなのだから、受けけるだけ受けではどうか″という意見もあった。
 しかし、先生は一歩も引かれなかった。先生が投獄される前から、座談会も特高警察の立会いで行われた。話が神札のことになると「中止!」の声が飛ぶ。
 先生が話をそらした後、神棚のことに入ると、また「中止!」。周囲の幹部でさえ「注意されることがわかっていながら、どうして牧口先生は、何度も話を繰り返すのかな」と思っていた。先生の心がわからなかった。先生が「神札」を拒否したということは、本質は「国家崇拝」を拒否したのです。
 ″国家より、人間が大事ではないか! 皆が不幸になっていくのを見過ごすことなど、絶対にできない!″という、やむにやまれぬ叫びだったのです。
 斉藤 「国家崇拝」を拒否したというのは、あの原始キリスト教もそうです。ローマ帝国という最強の「集団力」に対して、敢然と「ノー!」と言いました。
 池田 トインビー博士も、それを論じておられた。
 (『試練に立つ文明』[深瀬基寛訳、社会思想社]では、こう論じている。「原始キリスト教徒は、彼らに向って、何も気にすることはない、ほんの形式だけのはなしだからといってしきりに勧められる『レヴァイアサン』崇拝との妥協を一蹴して、一見とうてい抗しがたく見えた『ローマ帝国政府』の強権に挑戦したのであります」と。「レヴァイアサン」とは、聖書に出る伝説的な巨大怪獣。ホップズ〈一五八八〜一六七九年〉はこれを国家権力の象徴とした)
 須田 日本の諸宗教は、軍国主義の宗教統制に追随し、妥協してしまいました。
 それで教団の体裁を守ったつもりになって、結局、肝心の「信心」を失い、骨抜きにされてしまったわけです。
 遠藤 宗門もそうでした。″魂″をなくしてしまつた。
 池田 牧口先生、戸田先生が、大聖人の″魂″を守ったのです。国家権力との壮絶な戦いによって。
 斉藤 日本の国家主義という邪宗教との戦いだったといえますね。
 遠藤 しかも、それは強大な「力」をもつている──。
13  池田 牧口先生、戸田先生は、人々を国家の「奴隷状態」から救うために戦ったのです。人間、だれ人にも、幸福になる権利がある。自由に生きる権利がある。国家の部品や歯車なんかでは絶対にない。
 その信念ゆえに国家から迫害された。まさに「不軽」の行動です。
 遠藤 国家よりも人間──それを池田先生が行動しておられると思います。
 ソ連(=現・ロシア)に行かれた時もそうでした。「宗教否定の国になぜ行くのか」と聞かれて「そこに人間がいるからだ」と。
 中国へ行かれた時もそうです。「おじさんは、何しに来たの」と問う少女に「あなたに会いに来たんです」と。
 キューバにも行かれ、道を開かれた。国際情勢が最も困難な時に。
 人間を信じるという一点で、世界を結ぼうとされている。これこそ「現代の不軽」の実践だと思います。
 池田 私は「道」を開いているのです。青年が続かなければ、「道」は「大道」にならない。ともあれ、広げて言えば、上慢の四衆は、国家悪に通じる。権力者ほど増上慢の人間はいない。
 四衆の行いを「第六天の魔王」の操る舞いとされている「御義口伝」があったね。
 斉藤 はい。「上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり」とあります。(凡有所見とは「会うかぎりの、あらゆる人に対して〈礼拝する〉」との意。末法においては折伏が凡有所見となる)
 池田 「大勢力」を誇る四衆が、何の力も持たない不軽菩薩をバカにし、迫害した。
 四衆の「力」と傲慢に対して、不軽菩薩は「精神」で挑んだ。
 「暴力」に対して「非暴力」で戦った。「多数」の横暴に対して「一人」で戦った。
 それは近代においては、インドのマハトマ・ガンジー、アメリカのマーチン・ルーサー・キング博士の戦いを想起させる。民衆による人間愛の人権闘争です。
14  善が勝ってこそ善悪不二
 池田 「不軽」の心については、まだまだ、あらゆる角度から深く拝さなければならない。たとえば、「増上慢の四衆」と「不軽」との関係にしても、大聖人は、こう仰せになっている。
 「不軽は善人・上慢は悪人と善悪を立つるは無明なり、此に立つて礼拝の行を成す時善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり
 たしかに不軽菩薩と悪人は対極にある。しかし、どちらも妙法の当体である。同じ「人間」である。悪人にも善の仏界があるし、善人にも悪の生命がある。
 ゆえに不軽菩薩は迫害されても迫害されても、広宣流布へ立ち向かっていった。悪人たちの「眠れる仏性」を信じて、「毒鼓の縁」を結び、仏縁を結んでいったのです。
 (「毒鼓の縁」とは「逆縁」とも言い、法華経を説き聞かせれば、たとえ、その時は信ずることなく、誹謗しようとも、″正法を聞いた″ことが「縁」となり、必ず後に成仏の道に入ること。
 毒鼓とは毒を塗った太鼓のことで、この音を耳にした者は、聞くことを望むと望まないとにかかわらず、皆、死すとされた。死ぬとは「煩悩が死ぬ」ことを譬え、逆縁の功徳を教えている)
 須田 仏縁を結ぶことが、下種仏法では大切なわけですね。大聖人は「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり」と仰せです。「強いて」と仰せです。
 斉藤 妙法を説き、耳に触れさせれば、相手の生命の奥底では、必ず仏性が触発されている。それで反発するか、発心するかは、人それぞれですが、必ず「眠つていた仏性」が刺激されているのですね。
 池田 そう。「鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」です。
 遠藤 そこを読んでみます。
 「自他不二の礼拝なり、其の故は不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり
 (〈不軽菩薩の礼拝は〉自他不二の礼拝である。なぜかというと、不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた同時に不軽菩薩を礼拝するのである。これはちようど「鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する」のと同じである)
 池田 一般論で言っても、尊敬は尊敬を生む。軽蔑は軽蔑を生む。
 自分が変われば、相手も変わる。人材育成にしても、相手を「必ず立派な人材になる人だ」と、まず信じて、尊敬してこそ成功する。自分の子分のような気持ちで接して、人材が育つわけがない。
 同志を心から尊敬できる人が偉いのです。不軽菩薩は信仰していない相手すら、「仏界」があるのだからと礼拝した。いわんや信仰している同志を粗略に扱う人がいれば、必ず罰を受けるでしよう。
15  斉藤 幹部は、よくよく振る舞いに注意しなければいけませんね。人を無礼に待たせたり、威張った態度では、法華経ではありません。
 池田 相手の態度がどうあれ、不軽菩薩は、ただひとすじに信念を貫いた。そして勝った。表面だけ見れば、「常にバカにしていた」有力者たちのほうが勝っていたように見えるかもしれない。しかし、じつは「常にバカにされていた」不軽菩薩が勝っていたのです。境涯には天地雲泥の差があつたのです。
 思えば、大聖人は、あの流罪の地・佐渡で、「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」と言われた。
 何と崇高な御言葉か。幾万年の人類史の頭上、その天空高くから、雷鳴のごとく、天の交響曲のごとく、鳴り響き、とどろきわたる一言です。
 斉藤 大聖人のその深きお心も知らず、迫害に狂奔していた彼らの心は、本当に無慙です。今もいます。そういう人間について、大聖人は″長らく地獄に堕ちて苦しんで、そのあとまた日蓮に会って救われるのだ″と言われています。(御書七六六ページ、一一二三ページ等)
 池田 「善悪不二」とは、悪をそのまま認めることではない。悪と断じて戦い、打ち破って、悪をも善の味方にしていくことです。
 仏法は勝負だ。負けたのでは、現実には、善悪不二ではなく、善が悪の奴隷になってしまう。断じて勝ってこそ、悪知識をも善知識にしていけるのです。
 遠藤 大聖人は「相模守殿こそ善知識よ平左衛門こそ提婆達多よ」と言われています。
 大聖人を流罪した相模守(北条時宗)こそ「善知識」である。そして迫害の中心者・平左衛門尉こそ、釈尊の「悪知識即善知識」であった提婆達多と同じである、と。
 池田 法華経には「魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん」(授記品、法華経二五七ページ)とある。敵をも味方に変えてこそ広宣流布です。
 そのためには、自覚した人間が猛然と「一人立つ」以外にない。そして民衆が鉄の団結で進む以外にない。
 この章の冒頭、桜の花の話をしたが、国家主義という転倒の思想によつて、何百万、何千万という尊き、かけがえのない命が散らされた。
 その暴虐を「やめろ!」と叫んだのが牧口先生、戸田先生です。それは最高の″愛国者″の行動であった。
 そして「人間宗」というべき法華経への殉教であつた。国家のためでなく、人間のために命を捨てたのです。この歴史を、両眼をしっかと開いて見つめなければならない。そして今こそ、新たな国家主義、権力主義の動きに対して、立ち上がるべきです。
 それこそが「不軽品」を読むことになるのです。

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