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日蓮大聖人・池田大作

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法師功徳品(第十九章) 「法師=弘教の…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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16  「戦う心」がある限り!
 斉藤 最後に「意根清浄」です。経文の「一偈、一句」を聞いただけで、「無量無辺の義」をわかるようになるとあります。また、その一偈、一句の意義を一カ月でも、四カ月、一年でも、自在に説いていけるし、説くところの法は「皆実相と相違背せじ」(法華経五四九ページ)とあります。
 池田 話す内容が全部、宇宙の真理に、きちっとかなっている。
 斉藤 はい。「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」(法華経五四九ページ)とあります。世俗の思想や、政治・経済・産業・生活等のことについて語っても、すべて正法にかなっている──それが「意根清浄の功徳」です。
 須田 池田先生の広大な言論活動は、まさにこの通りだと思います。
 池田 「意根清浄」だから、頭だって、よくなっていく。生々世々、大学者、大智慧者にもなっていく。
 要するに、六根清浄とは「全身これ広宣流布の武器たれ」ということです。要領でなく、計算でなく、不惜身命で広布へ働いていく時、限りのない生命力が全身にしみわたってくる。智慧もわく。元気もわく。慈愛もわく。
 たとえば、年をとって目が悪くなっても、手はまだ動く。手紙も書ける。口は動く。電話もできる。無理をするということではなく、胸中に「戦う心」が燃えていることが大事です。その「信心」があれば、六根精浄です。
 どんな悩みがあっても、全部、「価値」に変えていける。「功徳」に変えていける。その大生命力を「法師功徳」と言うのです。
 結論すれば、仏勅の創価学会とともに、広宣流布ひとすじに生きた人は必ず、「これ以上はない」という無上道の軌道に入っていくということです。
 前進しきった人が、必ず勝つ。
 題目を唱えきった人が、必ず最後は勝つのです。

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