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日蓮大聖人・池田大作

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随喜功徳品(第十八章) 妙法を伝える「…  

講義「法華経の智慧」(池田大作全集第29-31巻)

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2  我らは広布を願って生まれた
 池田 「流通」とは「広宣流布」のことです。今、学び始めた「流通分」には「妙法広宣流布」への指針がちりばめられている。
 だから、仏法三千年の歴史の中で、私どもこそが、この経文を実感をもって読むことができる。私どものための「随喜功徳品」です。
 戸田先生は言われた。「予は立宗七百年を期として、これより盛んに広宣流布することを断定するものである」と。(『戸田城聖全集』3)
 昭和二十七年(一九五二年)です。会長就任の一年後でした。創価学会は折伏の団体です。広宣流布の団体です。広宣流布のために、御本仏・日蓮大聖人が呼び出された不思議なる団体なのです。この一点を、どこまで深く「自覚」できるかです。
 斉藤 日淳上人(第六十五世)は、こう言われています。読んでみます。
 「将来の歴史家は立宗七百年以前は宗門の護持の時代とし、以後を流通広布の時代と定義するであろうと思われます。これまでの宗門の歴史を見ますれば時に隆昌がありましたが、結局、護持といふことを出なかったと考えます」
 「開宗七百年を転期として一大流布に入ったということは正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。これを思うにつけても創価学会の出現によって、もって起こった仏縁に唯ならないものがあると思います」(昭和三十一年〈一九五六年〉元旦「開宗七百四年を迎へて」)
 遠藤 ″ただならない仏縁″と言われていますね。本当に深い意味があると思います。
 須田 末法万年にわたる「流通広布の時代」が始まった。その開幕に応じて集った創価学会員について、日淳上人は、こうも言われています。
 「法華経の霊山会において上行を上首として四大士(=四菩薩)があとに続き、そのあとに六万恒河所沙の大士の方々が霊山会に集まって、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊鷲山の約束でございます。その方々を(=戸田)会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。
 即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万(=の学会員)として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(昭和三十三年〈一九五八年〉五月三日「創価学会第十八回総会御講演」)
 上人は、学会は「仏の一大集まり」とも言われています。
 斉藤 これが宗門の先師の御言葉です。
 この明々白々たるお言葉を裏切った日顕宗は、先師違背の大謗法です。広宣流布を邪魔する「日蓮大聖人の大怨敵」になってしまった。
 池田 われわれは「流通広布の時代」を待ち、その時を選んで、今、生まれてきたのです。
 今世に、どれほどの深い使命があるか、どれほどの尊貴な立場か、はかりしれない。末法万年への先駆けです。それを思えば、大感激です。欣喜雀躍きんきじゃくやくです。しっかり御本尊を拝して、「自覚」をしなければならない。
 随喜功徳品では、有名な「五十展転」が説かれるが、これを事実の上で実践してきたのも創価学会です。弘教といっても、単なる理屈だけではなくて、信仰の「感激」と「確信」「喜び」を語っていくのが根本です。それが、人の生命を揺さぶるのです。
3  五十展転の功徳は絶大
 須田 「五十展転」のところは、このように説かれています。まず弥勒菩薩が「この法華経を聞いて随喜する者には、どんな功徳、福徳がありますか?」と質問します。
 これに対して、仏が答えます。如来の滅後に──その真意は末法ということです──法華経を聞いて随喜する者がいるとする。それがだれであれ、年寄でも、若くても、町へ行き、田舎に行き、静かな所、にぎやかな所、いろんな所へ行って、父母、親族、友人、知人に対して、聞いた教えを、自分の力に応じて説く(随力演説)とする。
 そうすると、聞いた人々は、また随喜して、次の人に教えを語る。それを聞いた人がまた随喜して、教えを語る。このように「転教」し、「展転」していって第五十番目の人に至ったとする。
 遠藤 五十番目ともなると、随喜といっても、もうかなり薄まっているでしょうね。
 須田 それでも、その人の功徳は莫大であるというのが「五十展転」の趣旨です。
 池田 どのくらい莫大かというと、日蓮大聖人が「五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり」と言われているところだね。
 遠藤 はい。「八十年の布施」というのは、「四百万億阿僧祇の世界」に住む、生きとし生ける者に対して、それぞれの欲しがるものを、何でも与える人がいたとします。
 金、銀、瑠璃、瑪瑙、珊瑚など、もろもろの宝を与え、立派な乗り物を与え、七宝で飾った宮殿を与える。八十年間、それを続けます。
 このように、「物」を与えるだけではなく、この人は、衆生がだんだん年老いてきて、髪が白くなり、しわが増え、死期が近づいてきたのを見て、仏法を教えるわけです。
 斉藤 物を与えるのは「財施」。法を教えるのは「法施」です。物だけでは、どんなに豊かになっても、「老」そして「死」という人生の根本問題を、どうしようもない。そこに、法を教える必要があるということですね。
 池田 もちろん、この大長者が衆生に教えた大法は、法華経以前の教えです。
 遠藤 はい。そこで教えを聞いた衆生は、皆、阿羅漢の悟りなどを得ます。声聞の悟りです。が、それでも「すばらしい境涯」と思われていたものです。
 須田 これだけの「財施」と「法施」をやり抜いた人の功徳というのは、「どうだ、弥勒よ、どう思う。大変な功徳と思うか?」。仏がそう聞きます。弥勒は「この人の功徳は、はなはだ多くて、無量無辺です」と答えます。
 すると仏は、「この人のその大功徳よりも、先ほど言った『五十番目の人が法華経の一偈を聞いて、随喜した功徳』のほうが、もっと大きいのだ」と説くのです。その「百倍、千倍、百千万億倍」の、それ以上の無量の大功徳があるというわけです。
 池田 いわんや、第一番から四十九番目までの人の功徳をやということです。
 妙法の偉大さです。
 第五十番の人は、文字通り解釈すれば、自分が随喜するだけで人には語っていない。他の人に語る「化他」の行動はないわけです。それにもかかわらず、それだけの功徳がある。いわんや、もっと歓喜し、「化他流通」に励む人の功徳は「無量無辺阿僧祇にして、比ぶること得べからず(比べられない)」(法華経五二一ページ)と説いてある。
 「法華経の一偈」を聞いてとあるが、文底から言えば、「南無妙法蓮華経」ということです。御本尊ということです。御本尊の話を聞いて、「すごいな」「すばらしいな」「ありがたいな」──そう思っただけで大功徳がある。
 いわんや喜びにあふれて御本尊を拝し、妙法を、力に応じて「随力弘通」する人は、絶対に、祈りとして叶わざるなく、福運として来らざるなく、願いとして所願満足にならぬものはない。そういう文証です。
 「五十展転」──。
 大聖人は、一生の間に一回でも題目を唱えたり、また題目の声を聞いて喜び、さらにその喜びの声を聞いて喜び、このようにして五十番目となる人は、智慧第一の舎利弗の如き人よりも、文殊菩薩や弥勒菩薩のような大菩薩の如き人よりも、百千万億倍の功徳があるのだと仰せです〈「月水御書」、御書一一九九ページ、趣意〉。
 斉藤 「随喜する声を聞いて随喜し」(同ページ)と仰せですね。
 実際、座談会場の隣に住む人が、皆の楽しそうな声を聞いて入会するということもあります。
4  「自他共に」──幸福の拡大運動
 遠藤 新潟の婦人部の方のお宅もそうだと聞きました。
 そのお宅は長年、座談会場などの拠点で使っていますが、多くの人が楽しそうに出入りするのを、隣の奥さんが、ずっと不思議そうに見ていた。
 そこでは、いつも朗々とお経から始まる。終わると決まって歌が歌われる。それからアハハと実に楽しそうな笑い声が聞こえてくる。そして、なぜか毎回、八時半になるとピタっと終わる(笑い)。そして三十分ぐらいの間で、本当に、うれしそうに皆、出て行く。
 昔は、窓の向こうから、夫婦ゲンカの声が絶えなかったのに、今は、楽しそうな声ばかりで、子どもたちも、あいさつをきちんとすることで近所の評判になっている。
 それで、長年見てきた結果、やはり創価学会は力がある、この御本尊を拝んでみたい。そう思って入会を申し込んだようです。
 須田 今は学会員の笑顔を見て、自分も素敵な笑顔をしてみたい、そう思って入会する例が増えていますね。
 遠藤 これも先ほどの婦人部の方からうかがった話です。
 ある壮年は、座談会で活動報告する時、言葉に詰まる癖もあって、「すごかった」の一言しか出てこない。一生懸命、しやべろうとするんですが、どうしても次の言葉が出てこない。とにかく「すごかった!」の一点ばりなんです。
 何がどうすごいのかは誰もわからないんだけれども(笑い)、それでも、びんびん「感動」は伝わる。それで結局、その姿を見て参加者が入会する。
 これまでに百世帯以上の弘教をしてきたその婦人の結論も、対話は確信と歓喜。これに尽きるようです。先ほど先生が言われた通りです。
 池田 尊い姿です。この利己主義の世の中で、自分だけでなく、人をも幸せにしようと祈り、苦労している姿は、荘厳です。崇高です。
 悪口を言われながら、来る日も来る日も、広宣流布に励んでいる学会員は、まさに地涌の菩薩の出現にあらずんば、できえない姿と私は確信しています。
 「随喜」というが、大聖人は、こう仰せだ。
 「喜とは自他共に喜ぶ事なり
 「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり
 自分も人も、です。「自分だけ」では利己主義です。「人だけ」というのは偽善でしょう。自分も人も、ともに幸せになっていくのが本当の「喜び」です。
 戸田先生は「自分が幸福になるぐらいは、なんでもない。簡単なことです。他人まで幸福にしていこうというのが信心の根底です」と言われた。
 その「幸せ」の内容が、この御聖訓に、きちっと示されている。
 「智慧」と「慈悲」です。仏界の生命です。智慧があっても無慈悲では、生命は閉ざされている。また、それでは、本当の智慧ではない。慈悲があっても、智慧がなく、愚かであれば、自分も人も救えない。救えないなら本当に慈悲があるとは言えない。
 斉藤 両方が必要です。
 池田 その両方が、ただ「信心」の二字に納まっているのです。大聖人は「所詮しょせん今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時必ず無作三身の仏に成るを喜とは云うなり」と明快です。これこそが「歓喜の中の大歓喜」なのです。
 斉藤 自他ともに幸福になる──それが仏法を語っていく功徳ですね。
 五十展転は、そういうダイナミックな「幸福拡大運動」を示していると思います。そして「地の果てまでも妙法を」と展転してきたのが創価学会です。
 大聖人は″五十人″とは″一切衆生″のことだと言われています。
 「五十展転とは五とは妙法の五字なり十とは十界の衆生なり展転てんでんとは一念三千なり、教相の時は第五十人の随喜の功徳を校量きょうりょうせり五十人とは一切衆生の事なり
 (五十展転の五とは妙法の五字のことである。十は十界の衆生のことである。展転とは一念三千である。五十展転とは、経文の表に説かれている内容から言えば、五十人目の人の随喜の功徳の大きさを量っているのである。五十人とは一切衆生のことである)
 妙法の五字を十界の一切衆生が信受しゆくとき、つまり「広宣流布」しゆくときに、そこに「事の一念三千」が顕現していくのだとの仰せではないでしょうか。
5  民主主義の「内実」をつくる戦い
 池田 国土世間をも変えていくのが広宣流布です。事の一念三千です。ともあれ、一人から一人へ、また一人から一人へ──五十展転は最高に民主的な対話の軌道です。
 民主主義は、形式だけ、制度だけを整えればいいかと言うと、断じてそうではない。「内実」がなければ、からっぼの箱のようなものだ。すぐに、つぶれてしまう。
 「内実」とは何か。個人の自立であり、向上であり、個人の幸福です。
 「一人の人間」を、どう生き生きと躍動させていくか。その「個人の尊厳」への努力なくしでは民主主義は形骸化する。
 遠藤 今の日本が、まさにそうです。
 池田 民衆の「心」が空虚で、からっぽであれば、民主主義の危機です。
 そこに「権力の魔性」は、つけこむ。国家主義が黒い影を広げ始める。
 戸田先生は「個人の幸福と社会の繁栄が一致しなければいけない」と言われたが、個人の幸福をなおざりにして、「社会の繁栄」だけを追ったところに、大きな失敗がある。
 個人の幸福と言っても、利己主義の幸福ではない。「自他ともに智慧と慈悲をもっていくという真の「人間の確立」です。
 多くの社会主義国、また自由主義国も含めて世界的課題であるが、法華経こそが「個人の幸福」と「社会の繁栄」をともに実現していく力をもっているのです。それが「事の一念三千」です。
 要するに、一人の人を幸福にしたいと祈り、語っている、私どもの行動こそ、最高の民主的行動であり、民主社会の「内実」をつくっているのです。
 「歓喜」から「歓喜」への展転です。いくら展転し、広がっても歓喜は減ることがない。だれひとり犠牲にしない。すべての人に幸福を満喫させながらの広布の展開です。
 「今日もまた明日もまた……と学会歌を歌いながら、あの道、この道を歩きに歩きながら、正法を弘めてきた。
 苦しい時も、つらい時も、くやし涙にくれる時も、学会歌を歌えば勇気が出た。
 そうやって君たちの先輩は「二十世紀の奇跡」と言われる妙法広宣流布をやってきたのです。
6  威風堂々と、王者の道を
 斉藤 「威風堂々の歌」には、学会員のだれもが、何らかの思い出をもっていますね。
 それほど全国津々浦々で歌われてきました。
 遠藤 ″戦後最大のヒット曲″と言う人もいます(笑い)
 須田 以前、作詞者の方について、池田先生は語ってくださいました。
 先生は「この歌が厳しい環境の中、京都の皆さまの″前進の息吹″の中から誕生したことは、すばらしい広布の歴史である」と紹介してくださいました。(本全集第七十三巻)
 その方はもう亡くなられているので、京都の方に話を聞いてみました。歌を作ったのは、入会してまもないころで昭和三十年の時です。傘問屋を営んでいましたが、取引先の倒産で、多額の負債を抱え、生活苦のドン底のなかで、この仏法の話を聞きました。紹介者が言いました。
 「この信心はすごいで。三カ月、やってみなはれ。必ず結果が出る。もし出んかったら、おれの首やるわ」「そんな首、ほしない。金がほしいんや」「いくらほしい」「三万円」
 踏み倒された額でした。紹介者は、すかさず言いました。
 「よし分かった。絶対、取り返せる。その代わり、三カ月間、勤行と座談会を欠かさないで、おれについて折伏すること」
 遠藤 確信ですね。大確信が折伏の命ですね。
 須田 そして、一緒に弘教に歩きまわり、三カ月たたないうちに、夜逃げしていた取り引き相手が帰ってきて、三万円を返してくれたのです。確信をつかみ、ますます弘教に走ります。この頃、他の地区では「地区の歌」が作られていました。ところが京都地区には地区歌がない。皆、寂しい思いをした。
 そのことを先輩に訴えたら、先輩はその場でエンピツと紙を出し、″じゃ、自分で作れ″と(笑い)。作詞の経験など全くありませんでしたが、情熱はありました。店の小さな机の前で、立ったまま考えました。「威風堂々」──。このテーマが決まると、不思議なくらいエンピツが動きました。「たとえ今、身が落ちぶれていようとも、広宣流布の出陣をするんや、威風堂々と……」。
 曲も見ようみまねで作りました。歌うたびに曲がかわり(笑い)、″完成″まで一カ月かかりました。
 「濁悪の此の世行く学会の
 行く手を阻むは何奴なるぞ
 威風堂々と信行たてて
 進む我らの確信ここに」
 テープレコーダーもない時代です。「ええ歌やなあ」と、口から口ヘ、この歌は伝えられていきました。京都支部結成と同時に、支部歌になりました。そして、この歌を高らかに歌いながら、京都支部は日本一の折伏の結果を出しています。日本中の人が驚きました。
 池田 私も京都でこの歌を聞きました。歌も素晴らしかったが、この歌を歌いながら、千年の古都で法旗を掲げた京都の同志の意気込みが素晴らしかった。すぐに、全国の学会員の歌にしようと思いました。
 須田 そのことは今も京都の方たちの誇りになっています。
 先生は「これはいい歌だ。これからはみんなで歌おう」と提案され、歌詞に手を入れてくださいました。
 当初、三番の最初の一行は「我ら住む平安の 洛土見ん」だった。それを先生がさっと「我ら住む日本の 楽土見ん」に変えられた。「ぱあっと一気に境涯が開ける思いだった」と言います。それから全国に広まるのは本当に早かった。
 彼自身も、暮らしが好転。手描き友禅で色をつける仕事が成功し、何不自由ない生活となり、″御殿″と呼ばれる邸宅に住んで、毎年のように海外旅行ができる境遇になりました。
 先生が京都の会合でその方を紹介された時(一九八九年)、末期がんで入院していました。先輩幹部が会合の模様を伝えようと、急いで病室を訪れました。彼は話を聞いて、本当に、うれしそうにうなずいていたそうです。それからほどなく六十九歳の使命の人生を終えられ、霊山へと旅立っていかれました。
 その方の生前、″対話の名人″″個人指導の達人″と呼ばれていました。だれが行っても立ち上がらない人も、彼の話だけは聞いたといいます。
 逝去前のある日のことです。彼は、病床で見舞いの人に言いました。
 「おれね。もっとしたいことがあるんや」
 「なんやの。また海外旅行したいの」
 「いいや、それはな、家庭訪問や。家庭訪問したい。みんなと、もういっペん一緒に学会活動したいんや」
 まさに、彼の人生は、「威風堂々の歌」の通り、庶民の王者の一生だった、と思います。
 斉藤 「学会活動したいんや」──まさに実感ですね。
 学会活動こそ最高の「今生人界の思出」だと思います。
7  悩みを見おろす自分になれ
 遠藤 楽しいことばかりとは限りませんが、やりきった後は、さっぱりと風呂に入ったように爽快です。
 池田 「歓喜」と言っても、それだけが長続きするものではない。感激も、喜びも、時とともに薄れていく。「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」と言った女性作家がいたが、喜びは短く、苦しみは長いのが、人生の実相かもしれない。だからこそ「煩悩即菩提」の妙法が、ありがたいのです。
 苦しみは、苦しみにつけ題目を唱える。悲しみは、悲しみのまま御本尊にぶつける。うれしきは、うれしさを開いて、感謝の唱題にする。悩みは悩みとして、大きく見おろしながら、前へ前へと行くのです。
 御本尊を拝するということは、全宇宙を見わたし、見おろしていくようなものです。自分自身の苦しんでいる生命をも見おろしていける自分になっていく。
 「随喜」と言っても、悩みがなくなるのではない。悩みがあるから題目が唱えられる。題目を唱えるから、生命力がわく。苦しみがあるから喜びがある。″幸せだけの幸せ″はありえない。″喜びだけの喜び″はない。
 「仏法は勝負」なのだから、一生涯、戦いです。戦い続けられる強き強き自分をつくるのです。鍛えあげられた、その強き境涯が本当の永遠性の「随喜」です。信心があれば、何があろうと、生命の根底が歓喜になる。希望になる。確信になる。そして、勇んで、悩める人のもとへ飛びこんでいって、自他ともに「随喜」の当体となっていけるのです。
 日蓮大聖人の御境涯は、はかり知れないけれども、そういう真の「随喜」の模範と拝される。佐渡に流罪されるということは、「今でいえばサハラ砂漠のまん中に置き去りにされるようなものだ」と戸田先生は言われていたが、そういう大難のなかで「喜悦はかりなし」と仰せです。
 須田 常識では考えられない御境涯です。
8  「幸いなるかな」! 御本仏の大境涯
 池田 御書のいたるところから、「幸いなるかな」「悦ばしいかな」との大聖人の大音声が聞こえてきます。その一部でも、拝しておこう。
 斉藤 はい。御書には、次のように仰せです。「流人なれども喜悦はかりなし」、「大難来りなば強盛の信心弥弥いよいよ悦びをなすべし」、「劫初より以来父母・主君等の御勘気を蒙り遠国の島に流罪せらるるの人我等が如く悦び身に余りたる者よも・あらじ」、「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」、「経文に我が身・普合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし
 遠藤 数限りなくありますが、こうも仰せです。「日蓮悦んで云く本より存知の旨なり」、「これほどの悦びをば・わらへかし
 「日蓮が臨終一分も疑無く頭を刎ねらるる時はことに喜悦有るべし、大賊に値うて大毒を宝珠に易ゆと思う可きか
 「幸いなるかな我が身「数数見擯出」の文に当ること悦ばしいかな悦ばしいかな」、「幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊につかえ奉らんことよ
 池田 「悦ばしいかな」「悦ばしいかな」です。大聖人の心音を聞く思いがする。
 これが南無妙法蓮華経の「大歓喜のリズム」です。
9  「御本尊に随順」が本義
 須田 ところで、「随喜」とは「随順慶喜」の意義です。信髄して歓喜することです。「隋」とは「信心」のことと言ってよいと思います。
 それでは、随喜功徳品では、何に「随順」せよと言っているのか。第五十番の人の随喜の功徳が、これほど大きいのだから、「随順する法」も、例の大長者(八十年の布施をした大長者)の与えた法とは比較にならない大法であることを示唆しています。
 しかし、経文には「是の法華経を」とありますが、実体が明らかではありません。
 斉藤 要するに釈尊は法華経を説いて、何を信じ、何を本尊とせよと言っているのか。それが明らかでない。これは古来の仏教界の大問題ですね。
 池田 そこに「文底」の仏法が説かれなければならない理由があるわけです。
 この品の冒頭、「如来の滅後に」この経を聞いて、とあった。釈尊はもういない。それでは、衆生はどうすればいいか。釈尊を本尊にせよと法華経では言っているのか。どこにも、そうは言っていない。そうではなく、釈尊自身も仏になした″仏因″の法を本尊にせよというのが「法華経の心」です。結論すれば、人法一箇の御本尊に「随順」していく信心が「隋」であり、その功徳が「随喜功徳」です。
 大聖人は「人とは五百塵点の古仏たる釈尊法とは寿量品の南無妙法蓮華経なり、是に随い喜ぶを随喜とは云うなり」と仰せです。これがわからないと「法華経を讃すと雖も還て法華の心を死す」(伝教大師『法華秀句』)ことになる。
 須田 日淳上人が、おもしろいことを言われています。「天台宗の和尚さんに聞いてごらんなさい。わかった和尚さんだったら、『おお今は、日蓮大聖人の時代である』といいますから。それをいわない天台宗の和尚さんなら、まだ法華の心をころしておる」
 「だから、向こうからこちらへ入って、大聖人様の信仰に入った和尚さんなら沢山おります。それは、底に法華経の心があるからです」(昭和三十二年〈一九五七年〉十月十八日)
 遠藤 その意味で、随喜功徳品の後半も、御本尊の大功徳として読むべきです。五十展転の説法の後、三段に分けて功徳が説かれています。
 まず第一は、必ず物質的な幸福を得るということです。経文には、妙法を聞く者は「是の功徳に縁って、身を転じて生れん所には、好き上妙の象馬、車乗、珍宝の輩輿れにょ(=乗り物)を得、及び天宮に乗ぜん」(法華経五二一ページ)とあります。
 第二は、指導者となる福徳です。経文には、誘うくらいでも、少しでも人に勧めたら、「是の人の功徳は、身を転じて帝釈の坐処、若しは梵天王の坐処、若しは転輪聖王の所坐の処を得ん」(同ページ)とあります。
 帝釈、梵天、転輪聖王になる。今でいえば、会社なら部長、社長などに、あるいは地域のリーダーに、そして妙法流布の指導者になっていく。それぞれの立場で、リーダーとなって活躍できるということです。
 池田 そう。法華経は将軍学です。広宣流布に励む今の訓練が全部、生々世々、大指導者となる原因になっているのです。仏法には一切、むだがないのです。
 遠藤 第三は、智慧が豊かになり、色心ともの健康をもたらす功徳です。
 経文には、声をかけたり、誘ったりする人の五十の功徳が許細に並べられています。
 すなわち、「利根にして智慧あり」から始まり、口や舌、歯や鼻、すべて健康であり、いい顔になり、そして、「世世に生れん所には、仏を見たてまつり法を聞いて、教誨きょうげを信受せん」と記されています。(法華経五二二、三ページ)
 斉藤 経済的にも、精神的にも、肉体的にも、そして、智慧も福徳も、すべて人がうらやむほど、自在の境涯になれるということですね。
 池田 最後は全部、所顧満足となるということです。
 人生、山あり谷あり、しかし信心をやり通していけば、最後は「これで一番よかったんだ」という黄金の境涯になれるのです。広宣流布に連なる労苦は、あたかも小さなマッチの火が広大な草原に広がっていくように、全宇宙大に広がる大功徳となっていく。
10  ″御書の通り″に生きる喜び!
 斉藤 広島で被爆した松田文姑さんの体験を聞きました。
 入会は昭和三十一年(一九五六年)。戸田先生の原水爆禁止宣言を直接聞いて、その感動から、弘教に邁進したそうです。
 貧血、リューマチ、胃腸障害など七つあった後遺症も、活動の中で一つ一つ克服。広布のリーダーとして、思う存分に戦えるまでに健康になっておられます。
 十五年ほど前のことです。六十歳の時、御書を全編拝読したことがないことに気がついた。大聖人からいただいたお手紙なのに、まっ白のところがあっでは申し訳ない。そこで、全編の拝読に挑戦し、最初は五年かかったようですが、だんだん速度もついて、今は五回目に取り組んでおられるそうです。
 読了で実感した功徳は、グチが出なくなったことです。「くたびれた」「疲れた」とは言わなくなった。御書のどこを読んでも、大聖人がそうしたことを言われていない。そして、グチがなくなった分、たくましい楽観主義に変わったといいます。
 今は、″ともすると悲観主義に陥りやすい国土世間″を変えていこうと、ますます燃えているとうかがいました。
 池田 私も、よく存じ上げています。すばらしいね。こうした草創の英雄が無数にいらっしゃることが学会の誇りです。
 大聖人の仰せの通りにやろう! これが「随喜」の信心です。学会は「御書の通りに」を根本精神に戦ってきた。ゆえに学会だけに本当の歓喜があり、功徳があるのです。
 要するに、広布に生きる喜びにまさる功徳はありません。弘教以上の歓喜はない。自分の対話をきっかけとして、他人がどんどん幸せになっていく姿を見る。これ以上の喜びはありません。そして、人の幸福を喜べば、ますます自身の生命が浄化されていく。
 ゆえに折伏は傲慢ではなく、人間として生まれて、ひとことでも法を説ける喜びに燃えて行じていくことです。そして、大切なことは、折伏したときに、相手が聞くか、聞かないかは別問題だということです。
 随喜品には、「法華経の話があるから」と人を誘うこと自体が、すでに功徳を積んでいるのだと説いである。
 会場で、座をつめて座らせてあげるだけで功徳があると説かれている。いわんや、自分から人に仏法の話をしてあげるのは、莫大な功徳を積んでいるのです。
 「発心下種」(妙法を説いて相手が発心した場合)と「聞法下種」(相手が法は聞いたが発心しなかった場合)の功徳は同じなのです。
 だから、戸田先生は、何人もの人が折伏してもなかなか入会しない人について、″それだけ多くの人に「聞法下種」させて、多くの功徳を与えている人なんだ″と言っておられた(笑い)。
11  仏法を語ること自体か大功徳
 遠藤 たとえば、ある人が七人目の人の話を聞いて、やっと入会した──こういう場合は、七人目の人にだけではなく、それまで折伏してきた、はじめの六人の人にも絶大な功徳があるわけですね。
 池田 その通りです。相手がどうかではなく、こちらが妙法をたたえ、聞かせていけば、それだけで大功徳になる。そう自覚していけば、またまた「歓喜」です。
 そして、弘教を実践している人を、心からたたえていくことです。最高に尊貴なる「仏の使い」なのだから。
 そうすれば、自他ともに歓喜がわくゆえに、さらに広宣流布が進むのです。
 ともあれ、御本尊が大好き、唱題が大好き、学会活動が大好きという強盛な「信心」にこそ「随喜功徳」が無量にあふれてくるのです。

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